セールス的に惨敗したマイルス・デイビス1972年の 'On The Corner' 。このアルバム・リリースに際してCBSが用意したPR用のキャッチコピーには、こう記されています。
"マイルス・デイビスと共にストリートを歩き、歩道の人たちの言葉に耳を傾けよう、それは 'その地区' に暮らす人たちの喜び、苦しみ、美しさが凝縮された音楽。耳を澄ましてみよう、世界で最も美しい場所のひとつに"
翌年、デイビスから見れば '後輩' に当たるジャズメン、ドナルド・バードとハービー・ハンコックはそれぞれ 'Black Byrd' と 'Headhunters' で、それまでのジャズというフィールドを超えて同胞たちの強い支持を得ることに成功しました。そんな1973年の 'モントルー・ジャズ・フェスティヴァル' でステージを分けたバードとデイビス。まずは一躍、時の人となったバードたちが、'Black Byrd' 大ヒットの鍵を握る当時のヒット・メイカー、スカイハイ・プロダクションのラリーとフォンスのマイゼル兄弟と共に立ちます。バードのそばで控えめにラッパを吹いているのが兄のフォンスです。
マイルス・デイビスのグループは、このモントルーの直前に行った日本公演の際にYamahaとエンドース契約をしてアンプやPA一式を揃えましたが、ドナルド・バードたちも同じくYamahaのサウンド・システムを用いていますね。
このときのデイビスたちのステージは、ジャズ評論家レナード・フェザーによる酷評一色なコンサート評によると、第一部は聴衆のブーイングで迎えられたそうで、テレビ放送されたこの第二部では、完全に聴衆無視でバンドとデイビスによる 'ジャム・セッション' を好き勝手に繰り広げている感じですね。いや〜、デイビスには申し訳ないけど、これはドナルド・バードたちの方が 'わかりやすい' です。一般聴衆にウケるのも仕方がありません。しかし、 得体の知れない 'アンプリファイ' の魔力によって音楽が生成されるプロセスを堪能できるのは、完全にデイビスのファンクに分があるでしょう。
このジャズとフュージョンを隔てる '境界' として、 'On The Corner' と 'Black Byrd' に代表される '質感' の変容は、そのままジャズの制作システムと聴衆が大きく変化したことを如実に物語っているようです。
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