2016年7月5日火曜日

魅惑のラテン・ヴァイブ - その3 -


混迷する1960年代後半を象徴するように現れた、ティンバルスのプーチョことヘンリー・ブラウンをリーダーとするプーチョ&ザ・ラテン・ソウル・ブラザーズ。1990年代のアシッド・ジャズのムーヴメントにおける再評価を経て、現在も活動中のグループであります。1960年代後半といえば、すでにジャズは瀕死の状態で、ロックの台頭を始めにR&Bやラテンなど、マイノリティによる新しいムーヴメントが巻き起こっていた混迷の時代。彼らもジャズの名門レーベルPrestigeに属しながら、移り行く時代の変化に何とかついて行こうとレーベルを象徴する存在として迎え入れられたのでしょうね。基本的にホテルの ‘箱バン’ として ‘Top 40’ ものを中心にオリジナルも交えていたことから演奏、アレンジ共にデビュー時から高い完成度を誇っていました。ヒットチャートに食い込もうと、ジャッキー・ソウルというオーティス・レディング・スタイルのR&B歌手をフィーチュアしてアルバムも作ったものの仲違いし、結局はイージー・リスニングの域を出ないR&Bとラテン・ジャズ、ブーガルーやファンクの ‘折衷主義’ に留まった存在として記憶の彼方に・・(が故に、アシッド・ジャズの再評価を受けたとも言えます)。ちなみに、このグループのヴァイブ奏者ウィリアム・ヴィブンズは、本家’ LJQの作品 ‘The Chant’ に参加したウィリー・ヴィブンズの息子に当たり、親子二代に渡ってヴァイブ奏者の血筋を誇ったことになります。





Tough! / Pucho & The Latin Soul Brothers

そして1966年の本盤。デビュー盤にはその後の ‘すべて’ が詰まっていると言われますが、彼らは最初からオリジナルで完成されていたグループであったことを、後の ‘アシッド・ジャズ宣言’ ともいうべき賑やかな ‘Cantaloupe Island’ のカバーで証明してみせます。また、バート・バカラック作の 'さよなら60's' な風の吹く 'Walk On By' やミュート・トランペットでムーディーな夜を演出する ‘いそしぎ’ のカバーもあれば、映画 ’007 ゴールドフィンガー’ の主題歌では、スパイのイメージを増幅させるラテン・アレンジで怪しくもゴージャスな60’sラテンの夜を演出します。これ以降、ブーガルーやファンク、ジャッキー・ソウルの男臭いR&B歌唱などが入ってきますが、基本的なアレンジに ‘プーチョ印’ ともいうべき浮遊感漂うカラー(これがサイケデリックか?)が備わっており、これはグループの奇才、ニール・クリークの手腕によるところが大きいですね。





Saffron and Soul c/w Shuckin’ and Jivin’ / Pucho & The Latin Soul Brothers

1966年の ‘Tough!’ に続いて、同年の ‘Saffron and Soul’ 67年作の ‘Shukcin and Jivin’ をカップリングした本盤は、さらに濃厚な ‘プーチョ印’ を時代に対して撒き散らします。しかし、なんといっても ‘Shuckin’ and Jivin’’ から参加するジャッキー・ソウルの暑苦しいR&B歌唱。借金!借金!’  ‘ガッタ!ガッタ!’ といったオーティス・レディング直系のシャウトが、当時のワッツ暴動やキング牧師暗殺事件で揺れ動くアフリカン・アメリカンの魂に火を付けるようにして、もうラテンもアフロもジャズもロックもR&Bもなんでもあり、みたいな ‘ごった煮’ 状態でヒッピーたちとの連帯を表明します。それでも、ジ・アフロ・ブルーズ・クインテット・プラス・ワンのような ‘ごった煮’ の放置プレイにはならず、きちんと一枚の作品としての矜持を保っているのはさすがにホテルの ‘箱バン’ 出身、生真面目なほどに抜かりはありません。映画 ‘アルフィー’ の主題歌がまさにバート・バカラック作曲による ‘さよなら60’s’ の時代を疾走し、もちろん、ブーガルーで踊り狂いながら平和を考える ‘What A Piece’  ‘The Groover’ もあれば、安定の ‘プーチョ印’ が怪しく光る ‘Reach Out. Ill Be There’  ‘Soul Yamie’’Something Black’’Swing Thing’ のアレンジは本当に素晴らしい。おっと、またまた ‘サザエさんの世界’ 第二弾ともいうべきまどろみの平和な昼下がりソング ‘Early Autumn’ は一気に脱力させます。いやあ、タイトル通り早い秋の訪れは瞬く間に厳しい冬へとその表情を変えることを、プーチョたちは聴き手への気配りとして過ぎ行く季節の断片を見逃しません。また、気怠いアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲 ‘How Insentive’ から新天地への出航を目指す ‘処女航海 の船出への流れは、どこか虚ろな夢の世界から覚めたくない60’sの儚さそのものでしょうか。そして、デューク・エリントンのエキゾな名曲 ‘Caravan’ をこれまたプーチョ流の浮遊感溢れるアレンジで聴かせます。しかし、最後の半拍くらいで強引にテープをちょん切ったような終わり方は何だ?制作側のミス?それともテープが足らなかった?う〜ん、この奇妙で唐突な終わり方に、夢から覚めて現実の世界で起こっていることに聴き手を引き戻すとする深読みは強引!?







Vibes Galore / Louie Ramirez and his Conjunto Chango

昨日のデイヴ・パイク ‘Manhattan Latin’ をご紹介したら、こちらも右側に並べないと意味がないでしょう(是非ジャケットを見比べて下さい!)ここまでは ラテン・ジャズサイドからの紹介であったのに対し、こちらはスパニッシュ・ハーレム仕込みのラテン サイドからの登場だ。後年にはカル・ジェイダーへのトリビュート・アルバムなどをリリースしましたが、ヴァイブ奏者というよりは作、編曲家、プロデューサーであり、自らが率いるビッグ・バンドのリーダーとしての姿が主で、ルイ・ラミレスはまさに典型的なラテン・ミュージックを届けてくれる大御所的存在です。ジョー・クーバやピート・テレスなどと並んで60’s ラテンの世界を大いに盛り上げてくれたひとりで、あとのふたりがブーガルー以降、人気が凋落していったのに対し、ラミレスは1970年代以降のサルサの時代になってからも中心的な人気を誇りました。ちなみにラミレスは、フィル・ディアズによる分家’ LJQUA盤に、ティンバルス奏者としての参加はもちろん、いろいろなラテン作品の重要なところにちょこちょこ参加する稀有な存在でもあります。サルサ前夜の混沌としたバリオの熱気を凝縮したTico All-Starsや幻のスーパー・セッションとしてお蔵入りとなったThe Nitty Gritty Sextet、そして、サルサ全盛期の中で行われたラテン・ジャズのスーパー・セッションLa Cremaといったラテン重要作にその名が刻まれています。こちらは1966年に、彼の全盛期によるラテンの名門レーベルAlegreからリリースされた数少ないコンボ編成の一枚。何といってもこのジャケット、堂々とヴィブラフォンの上に寝転んでタバコをくわえる伊達オトコぶりが様になっています。デイヴ・パイクのところで述べましたが、どうです?わたしがこの二枚を並べて飾っておきたいという意味がお分かりになりましたでしょうか?セクシーな脚線美で夜の匂いのする60’sレディーと、くわえタバコに黒スケのおっさん靴下とタイトなモッズ・パンツで精一杯粋がるラミレスさん。いや〜、絵になるポーズですねえ。しかし、運搬中にブツけて凹んだであろうMusserのヴァイブのお姿がちょっと泣けます。決して上手くはありませんが、ラミレスさんの奏でる鍵盤を引っ叩いたような暗いヴァイブの音色がたまりません。香港旅行帰りからのイメージで書いたデスカルガ ‘Rush Hour in Hong Kong’ の中華風エキゾティックな旅情をかき立てるマリンバのプレイも最高。ちなみに、この盤は二度CD化されており、1998年にオリジナル盤通りの再発と2010年にAlma Latinaから ‘Louie Ramirez & Friends’ としてリリースされています。この2010年版の方には、これまたレア盤であるRemoから1964年にリリースされたデビュー盤 ‘Introducing Louie Ramirez’ とのカップリングで、こちらはビッグ・バンド編成にラミレスのヴァイブが絡むというもの。しかもリマスタリングされて音質も向上しているのでオススメです。








Afro Latin Soul Vol.1 / Mulatu Astatke and his Ethiopian Quintet 
Afro Latin Soul Vol.2 / Mulatu Astatke and his Ethiopian Quintet

さて、このようなラテン・ジャズのラウンジ感覚は、遠くアフリカから米国へやってきたひとりの留学生をも虜にしたようです。現在、エチオピアン・グルーヴとして独自の音楽圏(日本の演歌や浪花節と共通する歌謡性があるのです!)に対する関心が高まっておりますが、その中心人物なのがこのムラトゥ・アスタトゥケ。1960年代にバークリー音楽大学へ入学したアフリカ初の留学生であり、上記の2作品はその留学中であった1966年に制作したもの。混迷する時代の熱気の中、高揚する公民権運動への高まりを横目で眺めながらエチオピアの一青年であったアスタトゥケは、どのような心境でこれら初作品に挑んでいったのでしょうか。ちなみに、アフリカ圏とラテン・アメリカの文化圏には一見交流が無さそうに感じますが、実は1960年代に西アフリカやコンゴ一帯でグァヒーラやパチャンガなどのラテン・ミュージックが流行したそうです。そのきっかけはキューバ革命であり、当時、旧宗主国に対する '革命の輸出' と称してアフリカへキューバが派兵をした際、数多くのラテン文化、レコードなどを現地に置いてきたことがブーム発祥に繋がりました。

長らく ‘Ladies and Gentlemen’ で始まる米国のステージマナーにおいて、このヴァイブを中心としたラウンジ・バンドのステージショウは、オトナの娯楽文化としてひとときの癒しと共に君臨してきました。なぜ、この編成がエンターテインメントの市場を生み出したのかについては専門的な研究が待たれますが、これらはロックの台頭を境に一挙に過去のものとなり、今では大人の社交場において音楽の果たす役割はグッと小さくなってしまいました。そんな享楽的な米国の大量消費社会が生み出した一服の清涼剤’ は、いま、乾いたコンガと絶妙な相性を見せるヴァイブとして都市民の '環境' に新たなスペース(空間)を投げかけます。 


2016年7月4日月曜日

魅惑のラテン・ヴァイブ - その2 -

ジェイダめ、うまいことやりやがったなとこのフルトおやじが愚痴ったかどうかは定かでないですが、それまで、サックスやバスクラを吹いて地味な仕事に甘んじていたハー・マンが心機一、フルト一本に身して時代のサウンドで稼ごうと思ったのは間違いありません。ある意味嗅いというか、大ヒット曲の ‘Comin’ Home Baby ’ において、すでに彼の判が間違っていなかったことを証明しています。彼は流行のサウンドを料理に例えフレンチ、イタリアン、ブラジリアン、それぞれ皆おいしいけど、明日はまた別の何かを食べたくなるかもしれないだろ?Nothing Is Foreverと自分の音する節操のなさをユモアたっぷりに話します。また、彼のグルプからは素晴らしいヴァイブ奏者を輩出し、共演したジョニー・レイをきっかけに、ハグッドディ、デイヴパイク、ロイエアズらが在籍しました。ちなみにチックコリアを見出したのも彼です。ラテンジャズやボサノヴァはあくまで彼のサウンドの一部で、以後、ジャズロックやフュジョン、レゲエ、ディスコなどをすべて自分流にアレンジするなど、そのはあまりにも深過ぎます。

Herbie Mann At The Village Gate

そんなマンにとって記念すべき本盤。ニュクにあるジャズクラブ ‘Village Gate’ がどんなところかは知りませんが、このライヴ盤での、どこか場末の暗闇の中で潜んでいるような雰囲気心地良いですね。そんな全編で聴こえてくるひっそりとした感じ調するようなアレンジと選曲も素晴らしい。本盤も大ヒット作の割には、何となくクラブにてオプンリルを回した記から編集し、そこから ‘Comin’ Home Baby’ がブレイクしたというのだから人生分からないものです。なお、りのテプを編集した編として ’Returns To The Village Gate’ がありますが、そっちは ‘り物的フツな感じで、やはり本作だけの魔法効いている。 例えば、勝手にボーナス・トラックを付け加えるか曲順を変更、もしくは ‘Returns To The Village Gate’ とカップリングするなど、今後も絶対にいじってはいけないくらい動かせない何かがここにはあるのです。そして、そんなハービー・マンのラテン・ジャズ宣言’ は、ラテンという領域を汎アフリカ的な価値観に基づいた第三世界全般と結び付けることで、ジャズのブルーズ解釈がひとつではないことを見抜いていたのでしょう。しかしマンは、民族音楽の本質には触れずにあくまでエキゾティシズムな眼差しで、俯瞰した世界旅行をエンターテインメントに提供する立ち位置のままキープします。土着的ではあっても泥臭くならないところにハービー・マンのセンスを感じますね。しかしAtlanticよ、'At The Village Gate' に関する音源はすべて視聴制限・・ったく。





Herbie Mann Live At Newport

1961年の ‘Village Gate’ に続き、1963年の ‘Newport’ におけるライヴ盤。さすが、名門フェスティヴァルだけに大きな声援と共にノリノリで応えますが、いち早く人気のボサノヴァを食すなどハービー・マンに抜かりはありません。デイヴ・パイクにアッティラ・ゾラーとその後、ソロで人気を博すプレイヤーたちが初々しい姿で、まだ発売直前の ’Getz / Gilberto’ から最も早いイパネマの娘のカバーを披露しています。同じくアントニオ・カルロス・ジョビンの ‘Desafinado’ や、ルイス・ボンファ作曲の映画黒いオルフェの主題歌など、ここからアメリカ全土で何百万と量産されるボサノヴァの雛形がすでにハービー・マンによって打ち出されていたのには驚くばかり。まあ、そのことによる誤解されたブラジル像にも一役買っていたわけですがしかし、これを機にしてボンファやジョビン、ジョアンとアストラッドのジルベルト夫妻にジョアン・ドナートなど、まさにボサノヴァ第一世代がアメリカに進出して活動しやすくなる足がかりとしては、立派な商品の役割を果たしたと言えるでしょう。そして、ジョビンが作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスと共にイパネマ海岸沿いのバーヴェローゾから眺める少女エロイーザの姿こそ、本盤の白眉イパネマの娘の原風景。ここでのマンのフルートは、まるでエロイーザのウキウキするような足取りを追いかける風のような爽やかさで、60’s新しい風を都市民のライフ・スタイルに語りかけます。





The Chant c/w Hot Sauce / The Latin Jazz Quintet

本家分家か、それが問題だ!?いや、基本的にどちらも音楽性に大きな違いがあるわけではなく、どうやらバンドの主導権争いで分裂 したようで、このザ・ラテン・ジャズ・クインテット(LJQ)も実にややこしい経緯を辿ったグループでした。思いっきりB級感丸出しながら、あのエリック・ドルフィーが一時期関わっていたことで、なぜかモダン・ジャズ原理主義者たちの話題にもしばしば上がります。パーカッションのジュアン・アマルベルトをリーダーにPrestigeから、オルガンのシャーリー・スコットとのコラボレーションで ‘Mucho Mucho’ を吹き込みますが、この後、どうやらグループ内で内紛が起こりヴァイブ奏者のフィル・ディアズが抜け、新たに同名のバンドを結成して大手のUAから ‘The Latin Jazz Quintet’ をリリースするのでややこしい。すでにドルフィーは、ディアズ脱退後のLJQによる ‘Caribe’ に参加していましたが、ディアズも悔しいと思ったのでしょう、UAからの分家盤でも同様にドルフィーを起用して対抗しました。バンドはもめるものと昔から相場は決まっていますが、1960年の7月から9月にかけてのおよそ3ヶ月の間の出来事ということで、なんというかメジャー・デビューは人を狂わせますね。結局ディアズの分家はこのUA盤一枚のみで終わり、その後は人気ラテン・グループのジョー・クーバ・セクステットへ加入、クーバの後期サウンドを担う存在として活躍します。本家の方は以後、’Latin Soul’ の吹き込みを最後にPrestigeの傍系レーベルTru-Soundへ移って二枚、最終的にはヴァイブの変わりにファラオ・サンダースをゲストに迎えた作品 ‘Oh! Pharoah Speak’ をマイナー・レーベルTripに残すという、少々都落ち的な結末を迎えています。本盤はそんな内紛も落ち着き、傍系レーベルに移った後の二枚の作品 ‘The Chant’ ‘Hot Sauce’ 2000年にP-VineがカップリングしてCD化したもの。ばんざ〜い!さすが我らのP-Vine!こんなマイナー盤を気にかけてくれるのはこのレーベルしかありません。ここには、圧倒的な個性でグループを置き去りにしていたエリック・ドルフィーもおらず、ある意味ゆる〜い感じで陽だまりの縁側を寝そべりながら蜜柑を頬張りたくなります。まさにお魚くわえた野良猫、追っかけて〜♪サザエさんの世界 ‘G.T’s Theme’、おお、ラテン・ヴァイブの名曲 ‘Invitation’ あるぞ!カル・ジェイダーとは一味違うアレンジで場末のキャバレー風味がたまらない。ゆる〜い ’There’s No You’ ‘Yesterday’s Child’ はまるでこの世の休日を凝縮したようなだらしなさ。ジャズ定番の名曲 ‘Summertime’ ‘Round Midnight’ もこんなドラマ・セットのような軽さでいいのでしょうか!?そして、またまた弛緩しまくりのタイトルもずばり四月の午後で、温泉上りの一杯と共にだらしなく休日の昼下がりをお過ごし下さい。捨て曲なし、すでに廃盤なのですが是非ともアマゾンのマーケット・プレイスなどで探してでも買う価値あり、です。





Next Album / The Afro Blues Quintet plus One feat. Rene Bloch

奇妙な名前のグループです。ヴァイブ奏者のリトル・ジョーデアグエロを中心に1963年に結成され、ウェストコーストを中心に活動したグループであり、Miraに三枚、SurreyCrestviewにそれぞれ一枚ずつアルバムを残しています。B級度はザ・ラテン・ジャズ・クインテット以上で、そもそも、グループ名からどういったジャンルを指向しているのか分からず、まるで取って付けたように語呂の悪いプラス・ワンっていうのは何なのでしょう?クインテット編成を基本にして、アルバムごとにスペシャル・ゲストをフィーチュアするのかな?そんな勿体つけたようなグループ名に反して、基本的にはラテン・ジャズにR&B、ブーガルーの要素をふりかけたサウンドながら、ちょっとプログレッシヴな要素もあるなど、まさにごった煮。レア・グルーヴ・クラシックとして古くから人気があったものの、2004年にBGPよりベスト盤が一枚リリースされた他は、全くもって発掘作業の対象とされてこなかったのが不思議です。最近、アマゾンからのデジタル配信と合わせてCD-Rでのアルバム化 も始まり、ようやくその全貌が陽の目を見ました。本盤は彼らの四作目で、ミリアム・マケーバの大ヒット曲 ‘Pata Pata’ やバート・バカラックのナンバーが2曲も入っているということで、どこかさよなら60’s’ のフォーキーな風が全編で吹いているような気がしてなりません。ゲストのソリストとして参加するレネ・ブロックですが、ここではフルートがメインということながら、本来はサックス奏者のブロック・・一体どこで吹いているのでしょうか?基本的にこのグループの作品はすべてにとっ散らかっており、一歩間違えればピンキーとキラーズばりのズンドコ歌謡曲と間違えてしまいそうな危うさがあります。ラテン・ジャズかと思えば、ツイストっぽいR&B色濃厚なブーガルーが顔を出し、そうかと思えば、正調4ビートのスタンダードでずっこけます。また、二作目の ‘New Directions of The Afro Blues Quintet plus One’ ではタイトルが示唆する通り、変拍子のプログレっぽいアレンジを聴かせるなど、決して演奏力の拙いグループというわけではありません。本盤は珍しくブーガルー調のラテン・ジャズとしてまとまっておりますが、この猥雑な賑やかさ含め、最後まで彼らの本音がどこにあるのか分からないのが彼らの魅力、でしょうか。



Boossa Nova Carnival c/w Limbo Carnival / Dave Pike

モダン・ジャズのヴァイブ奏者として、勝手に ‘ジャズ原理主義者’ たちのお眼鏡に叶うのがミルト・ジャクソン、ボビー・ハッチャーソンといった人たちです。もうちょっとマニアックな感じではウォルト・ディッカーソンとか、とにかくジャズのブルーズ感覚、もしくはジョン・コルトレーンのイディオムを通過していないと認めないという、シリアスこそジャズの本道だという疲れる人たちですね。そんな風潮をモロに被ってしまったひとりに、本日の主役デイヴ・パイクがいます。とにかく彼を語るには、実にいろんな面を持った ‘’ があることを抑えておかなければなりません。メキシカンのラテン・バンドから下積みを始め、1960年代にモーダルなスタイルでBlue Noteを中心に活躍するヴァイブ奏者ボビー・ハッチャーソンの師匠でもあり、また、ビル・エヴァンスとのコラボレーションでシリアスなジャズ・ヴァイブの世界を提示する ‘Pike’s Peak’ をリリースする一方、ハービー・マンのグループでラテン・ジャズの ‘お祭り囃子’ に加担し、さらに1960年代後半には、ギタリストのフォルカー・クリーゲルと双頭によるジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットを結成します。おお、なんと節操のない、もとい実に幅広い音楽性を持ったお方なのでしょうか。大体 ‘Pike’s Peak’ なんて、勝手にスイング・ジャーナル誌選定盤の扱いを受けながら、そのほとんどが ‘ビル・エヴァンスの裏名盤’ などという評価なのですよ。ま、確かにあのリリシズムはほとんどエヴァンスの持ち込んだものに異存はないのだけど・・これはあんまりでしょう。だから、あえてパイクをシリアスなまな板に乗せて評価することをここでは放棄します。そもそもシリアスこそ格調高いなんていうのは愚の骨頂だ。ハービー・マンの雑食には、常にコマーシャリズムの匂いが一貫して漂っていましたが、パイクの雑食には、どこか分裂した世界観が同時進行していると思うのです。そういう意味では、彼がサイケデリックなジャズ・ロックにアプローチしたのも納得できますね。そんなパイクにとってラテン・ジャズこそ身近な存在だとアピールしたのが、この1962年にPrestigeの傍系レーベルとして発足したNew Jazzからの二枚をカップリングしたもの。これらの作品がきっかけなのか分かりませんが、ほぼ同時期にハービー・マンのグループに参加して一挙にメジャーの陽の目を見る存在へ飛び出して行きました。そんな中でも ’Bossa Nova Carnival’ は、極上の室内楽ともいうべきクールなジャズ・ボサとして真夜中のお供に最適の一枚。わたしも何度、夜中にコイツを微かな音量で流しながら深い眠りに誘われたか分かりませんね。一方、‘Limbo Carnival’ は、ソニー・ロリンズ作の名曲 ‘St. Thomas’ に代表されるカリプソっぽい雰囲気に、カリブ海全域の日差し溢れる浜辺でグダ〜と寝そべっていたい一枚。ここではパイクもヴァイブからマリンバへと持ち替え、どこかスティール・ドラム風の音色で ‘La Bamba’ までやっちゃいます。

Manhattan Latin / Dave Pike and his Orchestra

1960年代半ば、ハービー・マンのグループで人気ヴァイブ奏者として活動するデイヴ・パイクですが、そんなハッピーな雰囲気をそのまま詰め込んだようなオーケストラ作品を大手Deccaからリリースします。いやあ、数あるラテン・ジャズ作品の中でも本盤のカバーアートは三本の指に入る魅惑の一枚ではないでしょうか。ヴァイブに腰掛けて、まさに60’sレディーを象徴するようなコンシャスなタイトスーツから覗ける見事な脚線美!正直、これはオリジナル盤をルイ・ラミレスの ‘Vibes Galore’  ‘左右対称’ に並べて壁に飾りたいほど美しいものですよ、色気は大切!さらにタイトルそのままニューヨークの夜景を模した ‘書き割り’ が、ハリウッドの箱庭的な空間を通じて見せる ‘世界’ を象徴しているようで、ここには60’sラテンでムーディーな一夜を演出する ‘すべて’ が描かれています。夜の帳と共にほんの少し物悲しい雰囲気を持った ‘Not A Tear’ が最高の一夜を宣言し、’Montuno Orita’ でモントゥーノのリズムと共にダンスフロアーに躍り出て息のあったラテン・パートナーを演じ、そのままふたりはゴージャスなリムジンで乗り付けギャンブルを楽しみ、どこからともなく追いかけてくる悪漢とのチェイスを ‘La Playa’ をバックに繰り広げながら、近づく大団円を匂わす ‘Dream Garden’ と共にハドソン川沿いのバーでカクテルを嗜み、最上階のマンハッタンのスィートから百万ドルの夜景を見下ろして ‘Vikki’ を聴きながら静かに朝を待つという、まさに、スクリーンの中の ‘アメリカ’ がここにはあるのです。もう、このような世界を持つ時間も価値観もなくなった現在において、この眩いばかりの楽園が見せつける ‘逃避’ は改めて永遠とは何かを教えてくれるでしょう、思ったらこっちも視聴制限・・はぁ。

肝心のオススメ盤がどちらも視聴制限となってしまいましたが、ハービー・マンの ‘Herbie Mann At The Village Gate’ とデイヴ・パイクの ‘Manhattan Latin’、夏の必需品として躊躇することなくご購入下さいませ。




なんとなく消化不良となってしまいましたので、一風変わったこのマイナー・グループ、セニュール・ソウルの ‘Poquito Soul’ をどうぞ。ロス・アンジェルス一帯のチカーノ・コミュニティから登場し、1968年と69年にマイナー・レーベルDouble Shotから ‘Senor Soul plays Funky Favorites’ ‘It’s Your Thing’ の二枚のアルバムをリリース。彼らの名前がクローズアップされたのは、ジ・アニマルズのエリック・バードンを中心に結成されたラテン・ファンクのグループ、ウォーの前身のひとつこそ、このセニュール・ソウルだったからです(その他、ザ・ナイトシフツなど複数の説あり)。このラテンとブーガルーに荒っぽいサイケの匂いをまぶした怪しい感じ・・たまりませんね。