混迷する1960年代後半を象徴するように現れた、ティンバルスのプーチョことヘンリー・ブラウンをリーダーとするプーチョ&ザ・ラテン・ソウル・ブラザーズ。1990年代のアシッド・ジャズのムーヴメントにおける再評価を経て、現在も活動中のグループであります。1960年代後半といえば、すでにジャズは瀕死の状態で、ロックの台頭を始めにR&Bやラテンなど、マイノリティによる新しいムーヴメントが巻き起こっていた混迷の時代。彼らもジャズの名門レーベルPrestigeに属しながら、移り行く時代の変化に何とかついて行こうとレーベルを象徴する存在として迎え入れられたのでしょうね。基本的にホテルの ‘箱バン’ として ‘Top 40’ ものを中心にオリジナルも交えていたことから演奏、アレンジ共にデビュー時から高い完成度を誇っていました。ヒットチャートに食い込もうと、ジャッキー・ソウルというオーティス・レディング・スタイルのR&B歌手をフィーチュアしてアルバムも作ったものの仲違いし、結局はイージー・リスニングの域を出ないR&Bとラテン・ジャズ、ブーガルーやファンクの ‘折衷主義’ に留まった存在として記憶の彼方に・・(が故に、アシッド・ジャズの再評価を受けたとも言えます)。ちなみに、このグループのヴァイブ奏者ウィリアム・ヴィブンズは、’本家’ LJQの作品 ‘The Chant’ に参加したウィリー・ヴィブンズの息子に当たり、親子二代に渡ってヴァイブ奏者の血筋を誇ったことになります。
●Tough! / Pucho & The Latin Soul Brothers
そして1966年の本盤。デビュー盤にはその後の ‘すべて’ が詰まっていると言われますが、彼らは最初からオリジナルで完成されていたグループであったことを、後の ‘アシッド・ジャズ宣言’ ともいうべき賑やかな ‘Cantaloupe Island’ のカバーで証明してみせます。また、バート・バカラック作の 'さよなら60's' な風の吹く 'Walk On By' やミュート・トランペットでムーディーな夜を演出する ‘いそしぎ’ のカバーもあれば、映画 ’007 ゴールドフィンガー’ の主題歌では、スパイのイメージを増幅させるラテン・アレンジで怪しくもゴージャスな60’sラテンの夜を演出します。これ以降、ブーガルーやファンク、ジャッキー・ソウルの男臭いR&B歌唱などが入ってきますが、基本的なアレンジに ‘プーチョ印’ ともいうべき浮遊感漂うカラー(これがサイケデリックか?)が備わっており、これはグループの奇才、ニール・クリークの手腕によるところが大きいですね。
●Saffron and Soul c/w Shuckin’ and Jivin’ / Pucho & The Latin Soul Brothers
1966年の ‘Tough!’ に続いて、同年の ‘Saffron and Soul’ と67年作の ‘Shukcin and Jivin’ をカップリングした本盤は、さらに濃厚な ‘プーチョ印’ を時代に対して撒き散らします。しかし、なんといっても ‘Shuckin’ and Jivin’’ から参加するジャッキー・ソウルの暑苦しいR&B歌唱。’借金!借金!’ や ‘ガッタ!ガッタ!’ といったオーティス・レディング直系のシャウトが、当時のワッツ暴動やキング牧師暗殺事件で揺れ動くアフリカン・アメリカンの魂に火を付けるようにして、もうラテンもアフロもジャズもロックもR&Bもなんでもあり、みたいな ‘ごった煮’ 状態でヒッピーたちとの連帯を表明します。それでも、ジ・アフロ・ブルーズ・クインテット・プラス・ワンのような ‘ごった煮’ の放置プレイにはならず、きちんと一枚の作品としての矜持を保っているのはさすがにホテルの ‘箱バン’ 出身、生真面目なほどに抜かりはありません。映画 ‘アルフィー’ の主題歌がまさにバート・バカラック作曲による ‘さよなら60’s’ の時代を疾走し、もちろん、ブーガルーで踊り狂いながら平和を考える ‘What A Piece’ や ‘The Groover’ もあれば、安定の ‘プーチョ印’ が怪しく光る ‘Reach Out. Ill Be There’ や ‘Soul Yamie’、’Something Black’、’Swing Thing’ のアレンジは本当に素晴らしい。おっと、またまた ‘サザエさんの世界’ 第二弾ともいうべきまどろみの平和な昼下がりソング ‘Early Autumn’ は一気に脱力させます。いやあ、タイトル通り早い秋の訪れは瞬く間に厳しい冬へとその表情を変えることを、プーチョたちは聴き手への気配りとして過ぎ行く季節の断片を見逃しません。また、気怠いアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲 ‘How Insentive’ から新天地への出航を目指す ‘処女航海’ の船出への流れは、どこか虚ろな夢の世界から覚めたくない60’sの儚さそのものでしょうか。そして、デューク・エリントンのエキゾな名曲 ‘Caravan’ をこれまたプーチョ流の浮遊感溢れるアレンジで聴かせます。しかし、最後の半拍くらいで強引にテープをちょん切ったような終わり方は何だ?制作側のミス?それともテープが足らなかった?う〜ん、この奇妙で唐突な終わり方に、夢から覚めて現実の世界で起こっていることに聴き手を引き戻すとする深読みは強引!?
●Vibes Galore / Louie Ramirez and his Conjunto Chango
昨日のデイヴ・パイク ‘Manhattan Latin’ をご紹介したら、こちらも ‘右側’ に並べないと意味がないでしょう(是非ジャケットを見比べて下さい!)。ここまでは ’ラテン・ジャズ’ サイドからの紹介であったのに対し、こちらはスパニッシュ・ハーレム仕込みの ‘ラテン’ サイドからの登場だ。後年にはカル・ジェイダーへのトリビュート・アルバムなどをリリースしましたが、ヴァイブ奏者というよりは作、編曲家、プロデューサーであり、自らが率いるビッグ・バンドのリーダーとしての姿が主で、ルイ・ラミレスはまさに典型的なラテン・ミュージックを届けてくれる大御所的存在です。ジョー・クーバやピート・テレスなどと並んで60’s ラテンの世界を大いに盛り上げてくれたひとりで、あとのふたりがブーガルー以降、人気が凋落していったのに対し、ラミレスは1970年代以降のサルサの時代になってからも中心的な人気を誇りました。ちなみにラミレスは、フィル・ディアズによる ‘分家’ LJQのUA盤に、ティンバルス奏者としての参加はもちろん、いろいろなラテン作品の重要なところにちょこちょこ参加する稀有な存在でもあります。サルサ前夜の混沌とした ‘バリオ’ の熱気を凝縮したTico All-Starsや幻のスーパー・セッションとしてお蔵入りとなったThe Nitty Gritty Sextet、そして、サルサ全盛期の中で行われたラテン・ジャズのスーパー・セッションLa Cremaといったラテン重要作にその名が刻まれています。こちらは1966年に、彼の全盛期によるラテンの名門レーベルAlegreからリリースされた数少ないコンボ編成の一枚。何といってもこのジャケット、堂々とヴィブラフォンの上に寝転んでタバコをくわえる ‘伊達オトコ’ ぶりが様になっています。デイヴ・パイクのところで述べましたが、どうです?わたしがこの二枚を並べて飾っておきたいという意味がお分かりになりましたでしょうか?セクシーな脚線美で夜の匂いのする60’sレディーと、くわえタバコに黒スケのおっさん靴下とタイトなモッズ・パンツで精一杯粋がるラミレスさん。いや〜、絵になるポーズですねえ。しかし、運搬中にブツけて凹んだであろうMusserのヴァイブのお姿がちょっと泣けます。決して上手くはありませんが、ラミレスさんの奏でる鍵盤を引っ叩いたような暗いヴァイブの音色がたまりません。香港旅行帰りからのイメージで書いたデスカルガ ‘Rush Hour in Hong Kong’ の中華風エキゾティックな旅情をかき立てるマリンバのプレイも最高。ちなみに、この盤は二度CD化されており、1998年にオリジナル盤通りの再発と2010年にAlma Latinaから ‘Louie Ramirez & Friends’ としてリリースされています。この2010年版の方には、これまたレア盤であるRemoから1964年にリリースされたデビュー盤 ‘Introducing Louie Ramirez’ とのカップリングで、こちらはビッグ・バンド編成にラミレスのヴァイブが絡むというもの。しかもリマスタリングされて音質も向上しているのでオススメです。
●Afro Latin Soul Vol.1 / Mulatu Astatke and his Ethiopian Quintet
●Afro Latin Soul Vol.2 / Mulatu Astatke and his Ethiopian Quintet
さて、このようなラテン・ジャズのラウンジ感覚は、遠くアフリカから米国へやってきたひとりの留学生をも虜にしたようです。現在、エチオピアン・グルーヴとして独自の音楽圏(日本の演歌や浪花節と共通する歌謡性があるのです!)に対する関心が高まっておりますが、その中心人物なのがこのムラトゥ・アスタトゥケ。1960年代にバークリー音楽大学へ入学したアフリカ初の留学生であり、上記の2作品はその留学中であった1966年に制作したもの。混迷する時代の熱気の中、高揚する公民権運動への高まりを横目で眺めながらエチオピアの一青年であったアスタトゥケは、どのような心境でこれら初作品に挑んでいったのでしょうか。ちなみに、アフリカ圏とラテン・アメリカの文化圏には一見交流が無さそうに感じますが、実は1960年代に西アフリカやコンゴ一帯でグァヒーラやパチャンガなどのラテン・ミュージックが流行したそうです。そのきっかけはキューバ革命であり、当時、旧宗主国に対する '革命の輸出' と称してアフリカへキューバが派兵をした際、数多くのラテン文化、レコードなどを現地に置いてきたことがブーム発祥に繋がりました。
長らく ‘Ladies and Gentlemen’ で始まる米国のステージマナーにおいて、このヴァイブを中心としたラウンジ・バンドのステージショウは、オトナの娯楽文化としてひとときの癒しと共に君臨してきました。なぜ、この編成がエンターテインメントの市場を生み出したのかについては専門的な研究が待たれますが、これらはロックの台頭を境に一挙に過去のものとなり、今では大人の社交場において音楽の果たす役割はグッと小さくなってしまいました。そんな享楽的な米国の大量消費社会が生み出した ‘一服の清涼剤’ は、いま、乾いたコンガと絶妙な相性を見せるヴァイブとして都市民の '環境' に新たなスペース(空間)を投げかけます。
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