2016年4月5日火曜日

'質感' に携わるものたちへ

音色を変える、というより '質感' を変えることが重要な時代がここ20年ほどの音楽シーンを覆っています。特に1990年代以降、アナログ盤とサンプラー、MoogやArpのアナログ・シンセサイザー、ファズを始めとしたヴィンテージ・エフェクター、Fender Rodesエレクトリック・ピアノやHammondオルガンなど、いわゆる1960年代から70年代にかけて隆盛を極めた音色が復活しました。しかし単なる '懐古趣味' ではなく、これらはサンプラーに象徴されるデジタル機器に取り込まれることによって注目され、'ハイファイ' の名の下にデジタル・テクノロジー一色となった1980年代の価値観を '転倒' し、音楽から取り出す情報量と '聴き方' の姿勢を変えたことに意味があったのだと思います。ちょうどこの時代、'サウンド&レコーディング' 誌1996年11月号で特集された '質感製造器 〜フィルターの可能性を探る' を読んでみると、そこではテクノやヒップ・ホップにおけるフィルターの話題を中心に、2ミックスのステレオ・トラックをアナログ・シンセのRoland System 100MやSH-2、Arp 2600の外部入力に入れて 'なまらせる' ということの面白さについて語られています。また、同誌1999年5月号の特集 'シンセサイザーをエフェクターに!' も付録CDと共にいろいろな音作りの参考となりました。



Korg MS-20 Mini ①
Korg MS-20 Mini ②
MASF Pedals Tortam

上の動画は、近年 '復刻' されたKorgのセミ・モジュラーシンセMS-20 Miniの外部入力よりマイクから声を入れて変調させたもの。昔のアナログ・シンセながらピッチの追従もそこそこの精度を誇り、内蔵のオシレータの代わりに外部からの音声をトリガーにしてエフェクターのように用いて面白い音に加工してくれます。ステージ上でラッパを構える横にこのようなシンセを置き、あれこれツマミを操作したりパッチ・ケーブルで結線してみるというのも格好良いですね。さて、ここで述べる 'シンセサイズ' によるフィルター、これは基本的にワウペダルやエンヴェロープ・フィルターと同義語であり、コンパクト・エフェクターのものは 'ローパス・フィルター' としてギターやベースに特化したパラメータを備えています。フィルターとは言葉通りに訳せば、何かを ‘漉す’ ことで余分なものをろ過する、いわゆるコーヒーなどを淹れる場合に使われるものと同義語です。機器においては、その余分なものをろ過する ‘ローパス’ (高域を削り低域を強調する) ‘ハイパス’ (低域を削り高域を強調する)バンドパス’ (中域を強調する)によるVCFを備え、さらにVCALFOといった豊富なパラメータで音作りしていきます。しかし、本稿での 'フィルター' は、ただ何らかの機器を通すことで音色が変化するという意に拡大して使っております。ちなみに、このようなCV/Gateに対応した音作りとして、MS-20 Miniやステップ・シーケンサーSQ-1などと結線できるMASF Pedalsの新製品Tortamもモジュラー・シンセとコンパクト・エフェクターを繋ぐフィルターとして面白そうですね。

さて、管楽器における音作りで、'アンプリファイ' の '生音' に対する加工として '質感' はもっと注目されてよい 'ジャンル' ではないか、と考えています。実際、ここ近年プラグインの分野で流行している 'テープ・サチュレーション' をシミュレートするコンパクト・エフェクターが市場に登場し、それはワウやモジュレーションほどわかりやすい変化はしないものの、楽器が持つ二次倍音、三次倍音を強調する働きを持ちます。もちろん、このような変化はEQでも作れるのですが、EQの場合は直接周波数を増減することで位相の問題などがあり、あくまで補正的な操作でこそ威力を発揮するもの。しかし、この手の 'サチュレーション' を付加するものはただ '通す' だけ、あくまで '質感' の増減にのみ働くことに特化している点が特徴的です。この ‘テープ・サチュレーター’ というのは、ハードディスク・レコーディング以前に一般的であったマルチトラック・レコーディングを磁気テープに記録する際、テープ(Ampex 456など)に録音することで物理的に生じる飽和感、テープ・コンプ’ の状態をシミュレートしたものです。







Roger Mayer 456 Mono
Strymon Deco
JHS Pedals Colour Box

最初の2機種は 'テープ・サチュレーション' を模したもので、入力する音に二次倍音、三次倍音を付加することで歪んだ '質感' を生成します。ここでいう歪みとはファズやディストーションのようなものではなく、入力に対して 'オーバーロード' により飽和する感じで、例えばキラキラするデジタル・ディレイの後ろに繋ぐとイイ感じの '滲み' とまろやかさに変化します。アナログの時代には特別意識せず、むしろ機材の限界として注意すべき '変化' であったものがクリーンな再生によるデジタル以降、ノイズの付加として求めるようになったというのは面白いですね。この動画ではディストーションの効いたギターの歪みに耳が引っ張られてしまいますが、音色の持つ倍音がどのように付加、変化しているのかに注意して聴いてみて下さい。またStrymon Decoの方には、ザ・ビートルズのレコーディングで有名となったADT(Artificial Double Tracking)のテープ・フランジング機能を備え、ダブリングによるモジュレーションと音の厚みを付加することができます。そしてもうひとつのJHS Pedals Colour Boxは、エフェクターの筐体にミキシング・コンソールの絵柄が描かれている通り、マイク・プリアンプの世界で崇められているルパート・ニーヴの手がけたコンソールの '質感' をシミュレートしたもの。ニーヴには、放送用コンソールBCM10にインサートするためのプリアンプ+EQモジュール1073が 'チャンネル・ストリップ' として、今やプラグイン含めレコーディング時の '必須アイテム' として重宝されているのですが、もはやそれは 'Neve' というひとつのサウンドを象徴していると思います。こういったものまでコンパクト・エフェクターとして求められるなど、いやはや、凄い時代になったものです。




Z.Vex Effects
Placid Audio Copperphone

こちらはちょっとユニークなもので上記 'テープ・サチュレーター' に比べ、もう少しエフェクターとしての 'いろ' が強いですね。エフェクター界の鬼才、ザッカリー・ヴェックスの主宰するZ.Vexが送り出すのはアナログ・レコードの '質感' を再現したもので、おお、この何とも言えない郷愁を誘う '質感' (レトロなどという言葉は使いたくない!)。これはアナログ盤の時代を知っている人なら確実に頷いてくれるものだと思いますが、確かにレコードの針音の奥から語りかけてくるような '質感' はありますヨ。Comp〜Lo-Fiのツマミでギュッと音像をまとめながら、Speedのツマミでテープの回転数がヨレて狂ったことによるワウ・フラッターの '質感' を再現する・・間違ってもデジタルの時代には聴かれなくなったものです。そして、もうひとつはコンパクト・エフェクターではなく、これはいわゆる '電話ヴォイス' や 'AMラジオ・トーン' を再現してくれるダイナミック・マイク。リンク先にはトランペットの音で用いた音源もありますが、まるで古いラジオから流れてくるビ・バップを聴いているような '質感' に変えてしまいます。

このような、エフェクターというよりかはあくまで '質感' のみを操作するシグナル・プロセッサーの類いは、一聴地味なものにしか感じられないと思います。わざわざPAを通してまで用いる必要があるのか、と思う向きもあるでしょう。しかし、特別 '生音' の再生に強いこだわりを持ち、エフェクターを管楽器で使うなど邪道だと思う方、もしくは、一通りエフェクターを使ってはみたけど何か飽きてしまった、という方にこそ、この倍音を操作し '質感' を生成する機器の面白さは訴えるのではないでしょうか。これらはむしろ、最終的な出音がPAに握られている現状において、マイクやプリアンプと共に用いることで自分好みの '音色' に深く関わっていける '縁の下の力持ち' 的存在。EQのような補正的機器による調整ではなく、積極的に自分の欲しい '生音を作っていける' アイテムとして、Audio-Technica VP-01 Slick FlyやRadial Engineering Voco Locoと共にぜひ足元へ置いて体感してみて下さい。







Brownman Electryc Trio

確か、ロイ・ハーグローヴなどもこんなアプローチでやっていたような気がしましたが、ウィントン・マルサリスがどんなに口を酸っぱくして '啓蒙' しようとも、今の若者たちにとってバップとヒップ・ホップは同時に聴く音楽のようです。以前にもご紹介したこのBrownmanは、かなりエフェクターの '質感' にこだわって吹いているラッパ吹きのひとりではないでしょうか。ここでもフィルター的変調を '電話ヴォイス' からワウや '歪み' に至るまで、実に多彩に操作しながらフレイズのメリハリを付けています。巧みな音色の切り替えなどを見るとコレ、マルチ・エフェクターでやってるのかなあ?







Guillaume Perret
Molten Voltage Molten MIDI

こちらはフランスで活動しているGuillaume Perret & Electric Epic。おお、なんだか 'サックス界のコンドーさん' というか、マウスピース・ピックアップにAmpegのスタック・アンプを野外に持ち込み、大量のエフェクターを駆使してかなりマッチョなスタイルを披露しております。強烈な歪みはProco Ratで作っているようで、またDigitech WhammyのMIDI機能を利用したMIDIコントローラーのMoltenによるアルペジエイターが面白いですね。時にアラビックな中近東風メロディのセンスも織り込むところなどは、米英とは違うフランスという場所ならではでしょうか。



そして、アナログ的 '質感' としてはまさに超アナログとも言うべきく鍵盤楽器、ザ・ビートルズの名曲である 'Strawberry Fields Forever' の印象的なイントロや、プログレッシヴ・ロックの分野で大活躍したメロトロン。これはサンプラーのルーツ的楽器であり、35鍵に合わせて35台分のテープ・レコーダーを駆動させフルートやストリングス、ブラスなどの音色を鳴らします。1鍵あたり7秒の持続音を持ち、0.5秒の速さで巻き戻すという超絶アナログ機構・・しかも、テープなだけにゆらゆらとしたワウ・フラッターの揺れ具合が独特の侘しい空気感を醸し出すのが特徴です。その後デジタルの時代になりDigital Melotronというサンプラーで復活しましたが、わたしもサンプリングCDを買って1鍵あたり7秒づつサンプリングしてマルチで鳴らしていましたね(お金がないのでCD-ROM版が買えなかった・・)。そんなメロトロンがついにエレハモから登場!音色はかなりの再現度で、エフェクトするというよりほぼトリガーして鳴らすいった感じ。しかしエレハモは面白いものを出すなあ。

2016年4月4日月曜日

ピート・コージーという男

1970年代の 'エレクトリック・マイルス' 活動時期、ひとり強烈な異彩を放っていたのがシカゴ出身のギタリスト、ピート・コージーでしょう。ある意味、この人の印象はこのわずか3年ほどの活動がすべてであり、そういう意味では非常に謎めいた存在でもありますね。あのジミ・ヘンドリクスがメジャーデビュー前に追っかけをしていたとか、晩年は、母親の元でほとんどニート的生活をしていたとか、別れた奥さんとの子供に対する養育権不履行で米国から出国できなかったとか、いろいろな憶測が飛び交っておりますが・・う〜ん。



コージーの活動として比較的よく知られているところでは、1968年にブルーズの巨匠、マディ・ウォーターズがヘンドリクス流サイケデリック・ロックにアプローチした 'Electric Mud' へフィル・アップチャーチと共に参加したことです。



マーティン・スコセッシ製作総指揮によるブルーズ・ムーヴィー 'Godfathers and Sons' は、そんなシカゴの名門レーベル 'Chess' の栄枯盛衰と現在のヒップ・ホップへと続くストリートの空気をぶつけた異色作。ヒップ・ホップ側からはコモンとパブリック・エネミーのチャックDが参加しますが、白眉は1968年の 'Electric Mud' 再会セッション。すっかり真っ白くなった髪やヒゲをたくわえて 'グル' な雰囲気のピート・コージーも渋い存在感を醸し出します。

さてコージー&アップチャーチのコンビは、'Chess' のみならずシカゴのジャズ系レーベル 'Argo / Cadet' にも関わり、1970年代にフュージョン界のスターとなるサックス奏者、ジョン・クレマーのデビュー作 'Blowin' Gold' にも参加します。1969年らしくクレマーも全編で 'アンプリファイ' したサックスによるグルービーなブーガルー、ジミ・ヘンドリクスの名演でお馴染み 'Third Stone from The Sun' を披露。また本作にはモーリス・ジェニングスなるドラマーも参加、そう、後のアース・ウィンド&ファイアのモーリス・ホワイトその人なのです。コージーとはこの後のザ・ファラオズでも一緒に連むこととなりますが、そのルーツ的グループなのが、サン・ラ&アーケストラの一員であったフィリップ・コーランが率いて1967年に自主制作した 'Philip Cohran & The Artistic Heritage Ensemble' です。





Philip Cohran & The Artistic Heritage Ensemble
The Awakening / The Pharaohs

彼らは 'アンプリファイ' した電気カリンバなどを用いて、時に前衛的なパフォーマンスを行うサン・ラ&アーケストラに対し、よりブルーズやR&Bなどの大衆的なゲットーの感覚でもって地元シカゴを根城に活動します。そこでアンダーグラウンドに活動していたピート・コージーが、1973年にマイルス・デイビスのグループへ加入するきっかけについて当時の 'スイングジャーナル' 誌のインタビューでこう述べております。

"あれは4月の土曜の午後だった。仕事もないし、オレはベッドで横になっていたんだ。そこに仲間のムトゥーメから電話があって、突然「どうだい、マイルス・デイビスがギターでソロの弾ける男はいないかって探しているんだがやるかい」っていうんだ。オレはベッドから落っこちそうになってしまったよ。もちろん、嬉しい話だからOKしたさ。オレはシカゴのAACM(創造的音楽のための地位向上協会)のメンバーなんだ。ほら、これが会員証だよ。シカゴでの活動かい?うん、オレは 'フェローズ' (注・ザ・ファラオズのことだと思われる)って12人編成のバンド(インタビュアーの注・私は1969年にこのバンドをシカゴで聴いたことがあり、それはサン・ラの影響を感じさせるバンドであった)を率いている。以前 'フェローズ' は、フィリップ・コーランがリーダーだったし、今でも彼とは仲間同士だけど、フィリップが独立したんでオレが引き継いだってわけだ。最近、レコードを出したんだけどなあ(注・1971年の 'The Awakening' のことだと思われる)。日本には入っていないだろうな。そのほか、オレは今でもそうだけどテナー・サックスのジーン・アモンズのレギュラー・メンバーなんだ。だから、マイルスのバンドが休みになれば、オレはまたシカゴに戻るつもりだよ。生まれかい?うん、オレはシカゴ生まれのアリゾナ育ち。1943年10月9日に生まれ、12歳のときにアリゾナに移住。10年間、そこにいたんだが1965年にシカゴへ戻って、そのままジャズの世界に入ったんだ。今の心境かい?うん、とてもラッキーだと感じているのさ。"

そんなピート・コージーに対するデイビスの思いも相当 '買っていた' ことが、以下の1975年来日時のインタビューからも分かります。

"ピート・コージーは大変に長い経験を積んだミュージシャンだ。亡くなったジミ・ヘンドリクスなんかは、昔はよくこのピートの後を追っかけていたんだ。彼の音楽的才能 - 音を選んだり、何をするかを考え出す才能 - はまぎれもなく素晴らしいものだ。オレはピートの才能を信じ切っている。だから、オレは彼が何かをしようと考え、何をするべきかを選択するとき疑問をはさまない。つまり、完全な自由を与えているわけだ。東京での2日目のコンサートの終わりでやったのはエレクトロニック・ミュージックだ。シュトゥックハウゼンがやっているようなものと同じだよ。"

そしてもうひとつは近年のもの、ワシントンDC在住の音楽ジャーナリスト、トム・テレルが2007年に行ったインタビュー記事から。

"わたしはいつもマイルスを崇拝していた。わたしはマイルスを一番ヒップな道しるべのようなものだと思っていた。マイルスの新作が出る度にいつも、いつも必ず新しい方向性があった(笑)。わたしがプレイしたいと思った男はジョン・コルトレーンだ。彼のスプリチュアルなレベルの高さ、そうしたもの、全てを感じていたからだ。わたしはマイルスのスピリチュアル・レベルや、彼に関するその他のことがどれほどのものかはわからない。彼がクールとヒップの本質だということ以上のことはわからない。"

- なぜマイルスはあなたにバンドに入るよう連絡してきたと思いますか?

"そうだな、いくつかの出来事が重なったためだと思う。わたしはあの頃ジーン・アモンズとやっていた。マイルスがちょうど事故をやった年に(ニューヨークのウェストサイド・ハイウェイでランボルギーニを橋台に衝突させた事故)、ニューヨークでプレイしていた。事故の前の夜、わたしはアン・アーバー・ジャズ&ブルーズ・フェスティヴァルに行った。フレディ・キングがプレイして、その後にマイルスがプレイした。わたしはマイケル・ヘンダーソンに1、2年前に会っていた。フェニックス出身の友達のドラマーがモータウンでマイケルとプレイしていた。彼がわたし達を紹介してくれた。まあ、いずれにせよ、とてもおかしくてね。マイルスが車から降りてきたとき、彼のトランペット・ケースが開いてしまって、彼のホーンが地面に落ちそうになった。わたしはフットボール・プレイヤーのように、それを地面すれすれで拾い上げたんだ。で、彼に言ったんだよ。「おい、あんたの大事なものを落とすなよ!」。彼はわたしを見て、それをすぐに掴んで、ニヤッと笑ってウインクした。それからホーンをケースにしまい、ステージに上がり一撃をかました!バンドは本当に凄かった!10人か11人編成のバンドだった。レジーがギター、バラクリシュナがエレクトリック・シタール、バダル・ロイがタブラ、セドリック。ローソンがキーボード、サックスが確かカルロス・ガーネット、ムトゥーメがパーカッション、ベースのマイケル、アル・フォスターのドラムス、そしてマイルスがバンドを仕切っていた。"

"アン・アーバーの翌日、わたしたちのグループがマイケルの楽屋に集まった。レジー、ムトゥーメ、マイケル、それから通りの向かいのフルート奏者がいた。そこで皆でジャム・セッションをした。それから秋になって、わたしはジーン・アモンズのグループに参加し、最初のギグがハーレムであった。次のギグは2週間後にニューヨークのキー・クラブだった。わたしはムトゥーメに電話して「君がわたしのことを覚えているかどうかわからないけど」と言うと、彼は「もちろん、君のことは覚えているよ!」と言ってしばらく話をし、彼をキー・クラブに招待したんだ。そこで彼はわたしの本当のプレイを聴いたわけだ。彼から次に連絡があったのが、翌年の4月だったと思う。土曜の夜だった。モハメッド・アリがケン・ノートンに顎を砕かれ負けた夜だ(この試合は1973年3月31日土曜日に行われた)。その日シカゴで電話をもらった。電話はカナダからだった。ムトゥーメとバンドのマネージャーが電話で、わたしに彼らのバンドに参加できないかと誘ってきた。わたしは言った。「いやあ、とても嬉しいよ。でも今のバンドでハッピーなんだ。このグループを辞めようとは思っていないんだ。こうしよう。何人かわたしのところで勉強している連中がいる。ひとり選んで君の元に行かせよう」。すると彼は言ったんだ。「いやいや、彼は君に来て欲しいんだ」。そこまで言われたら断れないだろう?(笑)。次の夜、彼らとアルバータ州カルガリーで落ち合う手はずを整えてくれた。わたしは朝早くのフライトに乗るはずだったが、支払いに手間取ってそれに乗り損ねた。そこで次の場所、オレゴン州ポートランドで彼らを捕まえることにした。月曜だった。そして火曜の夜にギグをやってた。"

- そのバンドでリハーサルをする時間はありましたか?

"ハハハ!その話を知らないのか?OK、マイルスのホテル・ルームで、彼はその前の夜のパフォーマンスのテープをかけ始める。それをわたしは何小節か聴いて彼に尋ねる。「このキーは何ですか?」。彼は「Eフラットだ」と答える。わかった、次の曲に行こう。すると彼はわたしを睨む、わかるだろ(笑)。それを何度も何度も繰り返すんだ。そして、4分の5拍子の曲が出てくるとわたしは言う。「あなたは(4分の)5拍子の曲をやってるんですね」。彼はわたしを見てニヤリとする。部屋で座ってずっとそれをやるんだ。"

- ということは、マイルスはなぜあなたをバンドに入れたかったかその理由は言ってないんですね?

"そんな必要はなかったね。わたしがバンドにいる間、全部の期間で2、3回音楽的方向性を示しただけだ。最初のことは、その夜プレイするために準備しているときだった。わたしはテーブルをセットし、ペダルをドラムスの横にセットしようとしていた。わたしはいつもドラムスとベースのそばでプレイするのが好きだったからね。すると彼はわたしに前へ出るように言った。彼はわたしをステージの一番前に出したがった。あと2つのことは、まず、もっと黒人っぽく見えるようにしたがった(笑)。それから音楽的方向性でもう一点彼が言ったことは、自然に予期せぬものを出せ、ということだった。だからわたしはそうした。それから何年か後、彼はわたしにリハーサルをして欲しくないと言った。なぜなら、わたしが次に何をプレイするかわかってしまうからだ。彼にはギターでちょっとしたアイデアがあることが後でわかった。彼は自宅にジミ・ヘンドリクスを住まわせていたんだ。ジミが亡くなる前ね。彼はギターの力が音楽をある高いレベルに持ち上げることができるとわかっていた。彼はそれまでバンドにいたギタリストとではそれができなかった。わたしが思うに、ムトゥーメ、マイケル、レジーといった連中がわたしのことを高く評価して、そのことをマイルスに話してたんだろうね。"

- 振り返ってみて、あなたはこのバンドに何をもたらしたと思いますか?

"彼が求めていたことは明らかだ。バンドを拡張したいということだった。わたしのプレイの経験からミュージシャンは、他のミュージシャンに周辺のミュージシャンを、またそのミュージシャンの内側に影響を与え、より高いレベルに引き上げることができるものだ。そしてマイルスは間違いなくそんな人種のひとりだ。彼はいつも同じような資質を持ったミュージシャンを探していた。ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、そうした名前と並ぶ連中なら誰でも、それぞれの繊細さによってそれぞれをより高みに持っていける。彼はわたしの中にもその資質を見出したんだと思う。だからバンドは前進、進化したんだろう。バンドの進化を見るとき、1973年の最初のプレイとプレイを止めた1975年の演奏を見れば明らかだ。彼の作品は百万光年の差があるよ。"

- 最後の質問です。あなたにとってマイルス・デイビスとは?

"おおっ、どこから始めようか?どれほど素晴らしい人間か。何と素晴らしい教師か。彼は自身の周りにどのような要素を置けばいいか誰よりもよくわかっていた。本当だ。彼は知性、育ちという点で完璧な男だった。知的な両親、家族、そして経験。経験は美徳だ。マイルスはあらゆることを経験していた。彼の周りにいれば、そして知性を持っていれば、必ず何かを学べるだろう。バンド演奏以外の時間で過ごした時間は、時の流れとともにただ素晴らしく報われるひと時だった。"





全盛期の巨大なアフロヘアーとその巨漢ぶりに比べれば、晩年の彼は若干 '縮んだ' ように見えます。とにかく 'エレクトリック・マイルス' 期のプレイの印象が強く、エレクトリック・ギターはもちろん、各種パーカッション、そして1975年の来日時には執拗なデイビスの指示にキレてしまったアル・フォスターに変わりドラムを叩くなど、そのマルチ・プレイヤーぶりもアピールしました。当時の 'スイングジャーナル' 誌によれば、"Maestro製のFuzz Tone(FZ-1Sか?)、それにMXR Phase 90という変調器、テーブルの下には3台のペダルを用意している" としており、また、市場で出回っているブートレグの映像を見ると、1973年のモントルーやウィーンのステージでは、足元に当時の新製品であるエンヴェロープ・フィルター、Musitronics Mu-Tron Ⅲがチラッと映っておりますね(その他、メーカー不詳のグレーの筐体によるワウペダルを踏む写真あり)。ちなみにギターだと、冒頭で紹介したウィーンの公演で用いるVox Phantomの12弦はかなりマニアックなセレクトだと思いますヨ。 しかし、ピート・コージーの最もユニークなアイテムとして、1975年の来日時に持ち込んだアタッシュケース型のポータブル・シンセサイザーがあります。





1971年に英国のEMSが開発したSynthi A。まだまだモノフォニックのアナログ・シンセ黎明期、記憶媒体のない本機をSonyのカセット・レコーダー 'Densuke' と共に用いることで、実に前衛的な 'ライヴ・エレクトロニクス' の効果を生み出しておりました。1975年の 'スイングジャーナル' 誌でもこう取り上げられております。

"果たせるかな、マイルスの日本公演に関しては「さすがにスゴい!」から「ウム、どうもあの電化サウンドはわからん」まで賛否両論、巷のファンのうるさいこと。いや、今回のマイルス公演に関しては、評論家の間でも意見はどうやら真っ二つに割れた感じ。ところで今回、マイルス・デイビス七重奏団が日本公演で駆使したアンプ、スピーカー、各楽器の総重量はなんと12トン(前回公演時はわずかに4トン!)。主催者側の読売新聞社が楽器類の運搬に一番苦労したというのも頷ける話だ。その巨大な音響装置から今回送り出されたエレクトリック・サウンドの中でファン、関係者をギョッとさせたのが、ギターのピート・コージーが秘密兵器として持参した 'Synthi' と呼ばれるポータブル・シンセサイザーの威力。ピートはロンドン製だと語っていたが、アタッシュケースほどのこの 'Synthi' は、オルガン的サウンドからフルートやサックスなど各種楽器に近い音を出すほか、ステージ両サイドの花道に設置された計8個の巨大なスピーカーから出る音を、左右チャンネルの使い分けで位相を移動させることができ、聴き手を右往左往させたのも実はこの 'Synthi' の威力だったわけ。ちなみにピートは、ワウワウ3台、変調器(注・フェイザーのMXR Phase 90のこと)、ファズトーン(注・Maestro Fuzz Toneのこと)などを隠し持ってギターと共にそれらを駆使していたわけである。"





実際この '右往左往ぶり' は、1996年にリマスタリングされた 'Agharta' 完全版の二枚目最後のところ(オリジナル版では割愛されていた部分)で存分に堪能することができます。また1974年の 'Get Up With It' に収録された 'Maiysha' では、ギターを本機の外部入力から通し、Synthi内臓のLFOとスプリング・リヴァーブをかけた奇妙なトレモロの効果を聴くことができますね。



さて、そんな 'エレクトリック・マイルス' 期に対する総括として、ピート・コージーはジョン・スウェッド著 'マイルス・デイビスの生涯' でこう述べています。

"それは人生そのものの音楽だった。つまり浄化であり、蘇生であり、堕落だった。とてつもなく知的でありながら、野卑でもあった。俺たちはある種の世界を作り出し、リスナーにいろんな経験をしてもらい客席との思考交換を目指したよ。"


こんなギタリスト、もう二度と出て来ない・・。




2016年4月3日日曜日

円環する 'テクノ・ストレス'

 いまの時代の音楽を聴いているのか、と問われたら、ちょこちょこ手は出しつつも正直詳しくはないですね。EDMとか全然わかりません・・。う〜ん、ここ近年の新しいものって何だろ?一部、ジャズの界隈で話題となっているロバート・グラスパーだとか、いや全然聴いたことがないです。







最近の音楽誌では ’Jディラ繋がりで、グラスパーとわりかしセットで取り上げられている気のするフライング・ロータスと彼のレーベルBrainfeeder。フライング・ロータスは1枚目から5枚目まで聴いており、この2008年の3作目 'Los Angels' でメジャーシーンへの扉を大きく開けることとなりました。そしてこの界隈にいるラスG、ザ・ガスランプ・キラー、トキモンスタなどは耳にしておりますが・・確かに変則ビートにのったヒップ・ホップの再解釈は格好良いけど、ここら辺りがわたしの追いかける流行の限界です(もう古い!?)。後は何だろ?フィンランドの鬼才、ヴラディスラヴ・ディレイの2 ‘Vantaa’ (2011) ‘Kuopio’ (2012)も格好良かったです。こういうのをベーシック・チャンネル以降のミニマル・ダブというのか、とにかくストイックなまでにそぎ落とした反復と変則的な脱臼感覚’ は面白いですね。そして、そのヴラディスラヴ・ディレイとサン・エレクトリックのマックス・ローダーバウアー、ベーシック・チャンネルのモーリッツ・フォン・オズワルドからなるモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオの 'Fetch' (2012)。オズワルドはニルス・ペッター・モルヴェルとも共演しておりますが、しかし、こんなダークで神経症的なヤツを日常リピートするのはなかなかヘヴィです・・。



そうそう、オヴァルも久しぶりの新作である ‘O’ (2010)とアンソロジー的な ‘Oval DNA’ (2012)をリリースしたのでチェック。わたしは初期から彼のアルバムを集めるほどのリスナーなのですが、う〜ん、オヴァルも理論武装のやり過ぎが祟ったのか、イマイチやりたい方向性が定まっていない感じ。いや、これはこれで格好良いんですけどね。ただ、別にオヴァルがこのスタイルでやらなくても・・というか。最初にコンセプトを打ち出してしまうと後々ツライのがこの手の音響作家の宿命でしょうか。あ、フェネスの最新作 'Becs' (2014)も買ったけどあんまり聴いてないや・・う〜ん。エレクトロニカもマンネリ化してきたのかな。ここで挙げた作品は、だいたいここ5年ほどのスパンでリリースされたものばかりだから 新しいというには語弊があるかもしれませんが、正直ここ5年の流れに大きな変化はないというくらい、近年の音楽シーンが放つ '質感' は均一化しています。



というか、昔と比べて5 6年前はもとより、15年前の作品といまの作品の質感さえそれほど違う気がしないんですよね。これって実は凄いというか、古びないというより時代の空気が入れ替わらない。ひと昔前は1960年代、70年代、80年代とそれぞれ時代の放つ空気感というのが確実にあったというのに、なぜか1990年代以降はオマージュの名の下に空気の '入れ替え' ではなく '読み替え' の時代となった・・。つまり、停滞したまま円環の如く ‘繰り返す日常を生きている不気味さを感じます。テクノロジーが音楽表現の極北として現れたオウテカの ‘Confield’ 2001年、当時はエレクトロニカ界隈でCycling 74 MAX/Mspを用いて音響空間を構築していくのが最先端でした。動画にある本作はまさにその極北と言っていいのだけど、15年経ったいま聴いてみても '古い' という感じがしない・・。まあ、オウテカはその初期から一貫して同じことをやり続けているという意見もありますが、2013年の最新作である ‘Exai’ でも 'やっぱりオウテカだ!' という声が上がるということは、たぶん 'Confield' からそれほど変わってはいないのでしょう

ここにiTunes Music Storeに代表される音楽配信システムを享受することで、これまではあった 'アルバム' という時間軸が無効となったことは大きいと思います。そこでは昔の大御所による名盤もインディーの新作も1曲からダウンロードして、各々のライブラリーの構築がそのまま膨大なアーカイブスと共に世界観が分割、細分化されていきます。近い将来、間違いなく '共通言語' のない世代と既存世代の明確な意思疎通の困難が予想されるでしょう(いや、すでにそうなりつつありますね)。マイルス・デイビスって何?ザ・ビートルズって何?名曲とか名盤って何?まあ、別に昔のものを聴いて 'コレって古臭いヨ!' と切り捨てながら、まったく新しいものを創造してくれるのなら構わないのですが、むしろ、情報の密度がどんどん圧縮されながら '書き換える' ことがそのまま情報を摂取することと同義語にならざるを得ないのではないか、という不安はありますね。だから今後、'名盤' だとか 'スタンダード' などというものが生まれる余地はないし、また生み出す必要すらない地平へと音楽シーンは向かっている気がするのです。



 坂本龍一さんとデイヴィッド・シルヴィアンによる2003年のコラボレーション 'World Citizen (I wont't be disapointed)'。メッセージの内容はともかく、まるで、この惑星の軌道を周回する人工衛星から '俯瞰する' 無機質な眼差しというか、重力に逆らって猛烈な自転を繰り返す運動体そのものの世界観というか・・う〜ん、うまい言葉が見つかりませんが、この曲からイメージされる壮大な世界にゾクゾクします。

コンピュータ・ベースによる無機質なトラックばかりが氾濫している昨今、ここに挙げたある種 '偏執的' トラック・メイカーたちが提示する '極北' は、今までの '時代' を取り囲んでいたような時間軸とはまったく別の方向を指し示す象徴的なものです。もはや、わたしたちはテクノロジーの中で呼吸し、思考することをについて慣らされているのかもしれません。



こちらは2004年頃、突如としてヨーロッパから火が付いたコンゴの 'リンガラ' を軸としたストリート・ミュージックを発信するKonono No.1なるグループ。いわゆるアフリカの '親指ピアノ' (カリンバだとかリケンベ、ムビラなど各地により名称が異なる)にピックアップを取り付け、アンプによるディストーショナルなサウンドに変調、その歪み切ったバンド・アンサンブルはまさに '人力テクノ' と呼ぶにふさわしいものです。







管楽器と 'テクノ' といったときにどのような '出会い' があるのかは分かりませんが、こちらの動画のDaniel Brothierさんのようなアプローチも 'アリ' ではないでしょうか。 アルト・サックスとライン・ミキサー、Shure SM58ダイナミック・マイクにKorgのセミ・モジュラーシンセMS-20、X-911 Guitar Synthsizer、Lexicon PCM80ディレイ(シーケンサーはKorg SQ-10?)を用いた '4つ打ちテクノ' 風アプローチ。あ、X-911というのは初期ギターシンセのひとつで、エンヴェロープ・フィルターとは一味違う効果としてサックスによる動画の方もどうぞ。これからはメンバー募集はせず、シーケンサーが第二のドラマーとしてジャズメンをサポートしてくれることでしょう。


2016年4月2日土曜日

未来世紀ブラジル

ラテン・アメリカの文化圏の中でもブラジルは特別な存在ではないでしょうか。唯一ポルトガル語を公用語としているほか、俗に音楽大陸ブラジルなどと呼ばれるように、そこにはアフリカとヨーロッパからの影響が異種交配した独自の血脈を誇っています。伝統的なショーロやサンバ、ブラジル最初の新世代とも呼べるボサノヴァといった下地が、そのまま現在まで豊富なポップ・ミュージックの前衛として息づいているのです。アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトのボサノヴァによる産声は、より大衆的なスタイルで世界から愛されたセルジオ・メンデス、ロック世代と共闘するかたちでマルコス・ヴァーリやジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾらMPB世代に引き継がれ、新たなブラジル流ポップを世界に証明しました。



ブラジル北東部はペルナンブーコ州の土着音楽をルーツに、ボサノヴァなどとミックスしたスタイルでMPBを代表するエドゥ・ロボ。アマゾン出身で現在はニューヨークを拠点に活動するヴィニシウス・カントゥアリアのルーツ的存在とも言えますね。





このPerfumeの30年先を行ったような、ヴォコーダー全開のエグベルト・ジスモンチによる異色エレクトロ・ポップ 'Coracao Da Cidade' を始め、ミルトン・ナシメント、エルメット・パスコアールといったプログレッシヴなスタイルで世界へ打って出る者たち、ジャズやフュージョンのアレンジで1970年代に活躍したデオダートなど、ブラジルから発信されるその引き出しの多さは世界的にも類を見ません。そのプログレッシヴさが 'サマー・オブ・ラヴ' の空気と濃密に溶け合った奇跡の一枚として、タンバ・トリオのピアニスト、ルイス・エサが 'Familia Sagrada' というコミューン的グループで1970年に制作したのがコレ。1曲目のミルトン・ナシメントのカバー、'Homen Da Sucursal / Barravento' による変拍子全開の疾走感からヤラレてしまいます!一方で、ザ・ビートルズに代表されるロックがもたらした世界同時革命的な影響は、ブラジルのシーンからも奇妙なフォロワーたちが続出したことはもっと特筆してもよいと思います。彼らは、マルコス・ヴァーリやカエターノ・ヴェローゾほど世界的な成功を手にすることはありませんでしたが、しかしブラジルという土壌においてのみ可能となった捩れたポップを世に問い、それは音楽産業の停滞した現代において新たな道標ともいうべき光を投げかけています。サンバ、ボサノヴァ、ジャズ、ロックンロール、サイケデリック、R&B、ラテン、現代音楽といったあらゆる要素を飲み込み、今の耳で聴いてみてもこれほどプログレッシヴなものはありません。それでは、ブラジル流捩れたポップの一端を覗いてみましょう。



まずは、ブラジルで吹き荒れた 'ビートルズ・ショック' を受けて、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルを中心に音楽、美術、映画などアート全般で起こったムーヴメント 'トロピカリア(トロピカリズモ)' の一端を担うグループ、オス・ムタンチス。アルナルドとセルジオ・ヂアスのバチスタ兄弟と紅一点ヒタ・リーによるこのトリオは、ブラジルにおけるサイケデリックやプログレッシヴ・ロックの先駆けとして、この後に続くブラジルの 'カウンター・カルチャー' 世代に強い影響を及ぼしています。

Love, Peace & Poetry: Brazilian Psychedelic Music Vol.6

Love, Peace & Poetry: Brazilian Psychedelic Music Vol.6

まずはこちら、’Love, Peace & Poetry’ シリーズのひとつであるコンピレーション ‘Brazilian Psychedelic Music Vol.6’。サイケデリックな音源を得意とするNormal Records1998年から2008年まで断続的にリリースしてきたもので、いわゆる辺境グルーヴなどと呼ばれる南米やアフリカ、トルコといった珍しい国々はもちろん、欧米から見た日本やアジアの音源をコンパイルした独自のものでした。残念ながら本作は視聴制限のため貼り付けられませんが(マルコス・ヴァーリの曲が引っかかっているのかも)、Youtubeの方ではフル・アルバムが視聴できますのでそちらでどーぞ。ちなみに全10作からなるシリーズのラインナップは以下の通り。
American, Vol.1 (1998)
Latin American, Vol.2 (1998)
Asian, Vol.3 (2000)
Japanese, Vol.4 (2001)
British, Vol.5 (2001)
Brazilian, Vol.6 (2003)
Mexican, Vol.7 (2003)
African, Vol.8 (2004)
Turkish, Vol.9 (2005)
Chilean, Vol.10 (2008)

どれも1960年代後半のプレイボーイ誌あたりからのガーリーな60’sガールのピンナップをジャケットにしていて、これだけでも集めてみようか、という気にさせてくれます。しかしこのブラジル編は見事にどれも知らない名前ばかり。



この 'Love, Peace & Poetry: Brazilian Psychedelic Music' からOs Brazoesの 'Tao Longe De Mim' をどうぞ、って言ってもまったく説明する術を持ちません。このコンピレーションからは、かろうじて17曲目にマルコス・ヴァーリの ‘Revolucao Organica’ が入っていますが、これもヴァーリがサイケでプログレしていた頃のアルバム ‘Vento Sul’ からの選曲ということで、さすがのマニアぶり。いよいよレア・グルーヴもここまで発掘するかと感服します。ともかくファズやワウワウ、深いリヴァーブやエコーというサイケデリックな音像を振りまきながら、どこか亜熱帯的な陽気さと呪術的なおどろおどろしさが同居しているようで、その裾野はこれほど深かったのかと驚くばかりです。これらの持つサイケデリックな要素は、同時代の日本のバンドで、水谷孝の裸のラリーズや早川義夫のザ・ジャックスなどと呼応するでしょうね。



Brazilian Guitar Fuzz Banas: Tropicalia Psychedelic Masterpieces 1967 - 1976

Brazilian Guitar Fuzz Bananas: Tropicalia Psychedelic Masterpieces 1967 - 1976

これまた強烈なブラジルの 'サマー・オブ・ラヴ' の季節を記録したコンピレーション。本盤はエンハンストCDとなっており、このコンピレーションのバックグラウンドなどをいろいろと解説してくれています。しかし、1曲目のテレビ・ドラマ「バットマン」のテーマ曲など、ここまで時代の空気を受けてサイケな感じになるとは・・面白い!



そんな 'Brazilian Guitar Fuzz Bananas' の中でもお気入りなのがこの曲、1969年に7インチ・シングルとしてリリースされたCom Os Falcoes Reaisの 'Ele Seculo XX'。いや〜、トリップしそうなくらいに強烈なエコーとワウギター、チープなコンボ・オルガンの疾走感がたまりません。

Soul Braza: Brazilian, 60's & 70's Soul Psych Vol.1

Soul Braza: Brazilian, 60's & 70's Soul Psych Vol.1
Soul Braza: Brazilian, 60's & 70's Soul Psych Vol.2

こちらも 'Brazilian Guitar Fuzz Bananas' の姉妹編のような内容で、ポルトガルのNosmokeなるレーベルからのコンピレーション、それも2枚に渡ってブラジル流サイケの真髄を味わうことができます。タイトルに 'Soul Braza' とあるように、こちらはR&Bやファンクのエッセンスを抽出する '黒い' ブラジルが漲っています(リンク先視聴可)。



いきなりジミ・ヘンドリクス的なワウファズ・ギターから、ブラジル風爽やかなフォークっぽい歌を挟みつつサイケな展開で進むThe Jonesの 'Hey Mina (Foul)'。ちょっとチャーリー•コーセイが歌う 'ルパン三世' の世界と同質なものを感じてしまいました。

Culture of Soul presents The Brasileiro Treasure Box of Funk & Soul


こちらは去年リリースされたコンピレーション。1曲目こそジージーしたファズが唸るサイケ調ギターによるAntonio Carlos & Jocafiの 'Quem Vem La' で始まるものの、本盤は 'Funk & Soul' のタイトル通り、サイケデリックから1970年代のブラジリアン・フュージョンを通過したようなブラジル流R&Bスタイルまで、幅広い選曲となっております(リンク先視聴可)。



Francoの 'El, Voce, Psiu !' って誰?って感じですが、すでに1974年ということでディスコの足音が聴こえてくる頃ですね。クール&ザ・ギャング風ファンク・ブギーという感じでミラーボールが回ります。





お、ブラジルといえばボサノヴァは・・ということで、こんなマニアックなヤツを。1970年にPete Jacques Orchesterがリリースした 'Round Trip To Rio' から 'Fata Morgana'。実はブラジル産ではなくスイス産の 'なんちゃって' ボサノヴァ。ワルター・ワンダレイを例に出すまでもなく、ボサノヴァは世界中のリゾート地で '粗製乱造' された 'エレベータ・ミュージック' としての役割も担っていたのです。しかし、本曲はボサノヴァ+ブレイクビーツといった感じのかなり先駆的な作りで、今やダンスフロアーの隠れた 'キラーチューン' で御座います。そして、そんなボサノヴァとブレイクビーツの親和性が '化学反応' し、英国のダンスフロアーから火が付いたドラムンベースを、ニューヨークの '吟遊詩人' にしてブラジルの血を滴らせるアート・リンゼイがナナ・バスコンセロスのビリンバウと共に '換骨奪胎' してみせた 'Mundo Civilizado' から 'Complicity' を。さて、そんなブラジルは今年リオでオリンピックを開催します。経済最悪、治安最悪なブラジルではありますが、世界はそんな '音楽大陸' の中で見つけるでしょう・・


"何を?"  "永遠を!"



2016年4月1日金曜日

革命無罪 造反有理

 歳と共にめっきり聴かなくなってしまった音楽というのがあり、フリー・ジャズと呼ばれるものもまさにそういった類いのひとつです。全盛期ともいうべき1960年代からセクト化して混迷と共に袋小路へ至る1970年代まで、そのアナーキーな感染力は世界中で猛威を奮いました。米国のESP-Diskに触発され、ドイツのFMP、オランダのICP、フランスのBYG、イギリスのIncusといったレーベルが組織されましたが、欧米では常に、このような音楽は政治活動と共に強固な支持基盤を得ており、それらは連帯をもって、ある種の社会文化的な革命を目論んでいたと思います。結局は、音楽が啓蒙により何かの代弁者として機能していた時点ですでに相当数のリスナーがいなくなり、社会とほとんど切り離された存在として古びてしまう。まあ、こういったバックグラウンドはともかく、まず音楽自体に、ある種の選民意識のようなものがこの手のジャンルには当初から付随していたのは否めないでしょうね。俗に1960年代を政治の季節と呼ぶように、この10年に青春を捧げた者たちは親を始めとした前世代の価値観の否定、破壊から新しいものを生み出そうという弁証法的な衝動と、ワケのわからないものほど新しいという進歩史観でもって前衛に高い地位を与えました。モダン・ジャズにあった様式は解体され、即興という名のノイズ、一期一会によるハプニングの場こそ創造と参加の運動体であるというのが1960年代の共通認識だったのです。フリー・ジャズはロックや現代音楽などと共闘して、前近代からのプロフェッショナルにおける権威の否定が、そのまま、アマチュアリズムの衝動と社会参加を呼び込むコミューン的共同体となることを夢想します。

AMMmusic 1966 (Matchless 1966)



ケルンの音楽大学に留学してクラシックと現代音楽を専攻し、カールハインツ・シュトゥックハウゼンに師事しながら、ジャズメンたちとAMMという即興グループを組織し、以後は、師であるシュトゥックハウゼンを批判して 毛沢東主義’ に傾倒しながら 人民のための音楽’ と称した素朴なフォークソングを書き、積極的に政治活動を行ったコーネリアス・カーデューも、まさにそんな時代の生き方をしたひとりでしょう。

こう書いていくだけでも、いかに音楽の中身よりも外側について述べなければならないかが分かりますが、ともかく即興演奏というものを行為という場にまで解体しているだけに、例えば管楽器の軋むようなノイズ、共鳴する微細なさわりに至るまでが聴取の範囲として拡大されています。AMMのような即興と聴取の行為そのものを提示するグループは、フィードバックするアンプリファイやトランジスタ・ラジオなどの偶発的な異物にまで即興演奏の範囲を広げるのです。この為、ただでさえ喧しい騒音をある程度の音量に上げて聴かなければその良さ、面白さが伝わりません。しかも、そのほとんどが ‘60分一本勝負的長尺な展開だけに、ある意味で苦行のような態度で挑まなければならない。また、正直レコードやCDではよく分からないものでも、ライヴで体験するとすんなり身体に入ってくるというのも特徴なだけに、積極的に聴取を要請する意識が求められます。要するに心身ともに疲れ、結構肩が凝る音楽なのだ。



さあ、やってきました!サックスのヘラクレスの異名を持つドイツ・フリーの重鎮、ペーター・ブロッツマンとコンドーさんによる ‘Die Like A Dog Quartet’ 4533秒一本勝負。しかしコンドーさん若いなあ。ブロッツマンは8:20〜の高音域のフリークトーンに対して下から不気味に歌うマルチフォニックス奏法にゾクゾクします!コンドーさんは珍しくベル側のマイクにSD Systems LCM77を用いておりますね。ロックにおける衝動というのが、大音量でコードをかき鳴らした時のディストーションによる轟音の歪みや、記憶の彼方に飛んでいくフィードバックのノイズだったりするのですが、フリー・ジャズの快感というのも実は同様のカタルシスから共有されています。しかし、ここに紹介するグループ、スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)はちょっとその趣が異なるものです。まず、典型的なフリー・ジャズのカタルシスを避け、静的な不協和音で、個々の緩急よりもグループとしてある一定の枠をはみ出さないよう気をつけている。それは、コンセプトの下地に現代音楽からのモチーフを活用しながら抽象的な響きを紡ぐ姿勢にも現れています。ここでは、即興演奏は手クセ的なものとして批判的に扱われ、デュオを最小単位に、あらゆる楽器の組み合わせによるアンサンブルが現代音楽のテクストに相当するしばりとして、限られたスペースを不確定的に積み上げた音響として構築するのです。

Challenge / Spontaneous Music Ensemble (Emanem 1966)
Withdrawal / Spontaneous Music Ensemble (Emanem 1967)
Karyobin / Spontaneous Music Ensemble (Island 1968)





SME ‘Challenge’ ‘Withdrawal’ は、1966年から1967年にイギリスでフリー・ジャズに触発された先鋭たち、ジョン・スティーブンス、エヴァン・パーカー、デレク・ベイリー、ケニー・ウィーラーを中心としたグループの実験の記録です。彼らの試みは、1968年の ‘Karyobin’ でひとつの成果を示すのですが、この冷たいアンサンブルは当時主流の米国のフリー・ジャズからは出てこないもの。オーネット・コールマン的な4ビートの変則的スタイルによる ‘Challenge’ から、実験映画のサウンドトラックに使われ、完全にドローンの音響的構築へ向かう ‘Withdrawal’ で昇華し、いよいよ ’Karyobin’ へと到達する。現在、SMEのアルバムは ‘Emanem’ というレーベルからCD化されており、細々ではありますが未発表曲なども発掘しており、(たぶん)あの時代の 前衛世代が頑張って製作しているのかと思うと胸が熱くなります。どこにいるのか分からないリスナーを前に、ほとんどボランティアのような心境であり、また、その一途に頑固な気質こそ '前衛' そのものではないでしょうか。



このフリージャズにおいて金管楽器、特にラッパの '日陰者' 的不遇な扱い方は目を覆いたくなります。オーネット・コールマンとドン・チェリー、兄のアルバート・アイラーと弟ドナルド・アイラー、弟のウェイン・ショーターと兄アラン・ショーター、レスター・ブウイはアート・アンサンブル・オブ・シカゴの一員としてその個性を発揮しました。う〜ん、このなんとも言えない日陰的に地味なサポートぶり・・。これは楽器の構造上、明らかにサックスより3本のピストンと '替えのきかない' 唇を発音体とするラッパの限界であり、それこそコンドーさんのようにエレクトロニクスの力を借りて違う発想からアプローチするしかないのです。もしくは、'静寂' の中から微細な騒音を掻き集めるアクセル・ドーナーの 'ケージ的な' 手法に活路を見出すか・・(循環呼吸でTVの '砂嵐' のような効果を出しておりますね!)。



管楽器の特殊奏法は、さらにフリージャズにおいて1本よりは2本、というように '多楽器主義' であらゆる響きを獲得する方向に走り、沖至さんのラッパとフリューゲルホーン、まだ 'アンプリファイ' する前のコンドーさんのラッパとユーフォニアムによる '2本吹き' 奏法に活路を見出したりもしましたが、やはりこの分野ではラーサン・ローランド・カークの右に出る者はいないでしょう。ここでは 'アナキズム' の大家、ジョン・ケージとの奇妙なコラボレーションが面白い。



う〜ん、なにやら頭デッカチな空気も漂い始めてまいりましたが、この '突然変異体' な大男、ソニー・シャーロックを聴けばそんな思いも吹っ飛びます。妻リンダとの激烈な演奏を記録した 'Black Woman' (Voltex)や 'Monkey Pockey Boo' (BYG)を大音量で浴びようものなら間違いなく警察に通報されるレベルですが、こうやって '動く' 彼らを眺めると、意外に理知的なスタイルと共に分かりやすいものだったことが理解できるでしょう。シャーロックはコルトレーンのスタイルをギターで、リンダはトレモロ的な絶叫で器楽的にアプローチと、前衛まっただ中な良き時代の風景です。

SMEの ‘Withdrawal’ のジャケットや ‘Challenge’ のジャケット内にある演奏風景を写したフォトを見ていると、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズ、ブリティッシュ・インヴェンションと呼ばれるジェフ・ベックやエリック・クラプトンらロックが生まれたガレージの衝動の一方で、まるで哲学書や現代音楽のレコードを片手に、狭いガレージの倉庫に集まってフリー・ジャズの実験に熱を上げていた若者たちがいたことを想像します。そして、いかに1960年代が熱い時代であったのかを思い知らされるのですが、そんな時代の骨董品は、熱狂的な政治の季節を乗り越え、何度でもダウンロードし、書き換えられるデータとしての音楽の時代にどう響いているのでしょうか。



すでに個性であるとか主張などという自分探しを徒労と感じ、おびただしい情報の中から受動的に摂取するだけの若者にとって、このエゴイスティックなまでの騒音の塊は、ただただウザいものに響くだけでしょう。しかし、ここには圧倒的な力によって場を占拠し、エゴがそのままの存在として認知するしかない強力な磁場を放っています。常に、崖っぷちであらゆるフリーを選択する瞬間だけがここにはあるのだ。そういう意味では今、最も時代に欠けている音楽であるとだけは間違いなくいえるでしょうね。