2016年4月3日日曜日

円環する 'テクノ・ストレス'

 いまの時代の音楽を聴いているのか、と問われたら、ちょこちょこ手は出しつつも正直詳しくはないですね。EDMとか全然わかりません・・。う〜ん、ここ近年の新しいものって何だろ?一部、ジャズの界隈で話題となっているロバート・グラスパーだとか、いや全然聴いたことがないです。







最近の音楽誌では ’Jディラ繋がりで、グラスパーとわりかしセットで取り上げられている気のするフライング・ロータスと彼のレーベルBrainfeeder。フライング・ロータスは1枚目から5枚目まで聴いており、この2008年の3作目 'Los Angels' でメジャーシーンへの扉を大きく開けることとなりました。そしてこの界隈にいるラスG、ザ・ガスランプ・キラー、トキモンスタなどは耳にしておりますが・・確かに変則ビートにのったヒップ・ホップの再解釈は格好良いけど、ここら辺りがわたしの追いかける流行の限界です(もう古い!?)。後は何だろ?フィンランドの鬼才、ヴラディスラヴ・ディレイの2 ‘Vantaa’ (2011) ‘Kuopio’ (2012)も格好良かったです。こういうのをベーシック・チャンネル以降のミニマル・ダブというのか、とにかくストイックなまでにそぎ落とした反復と変則的な脱臼感覚’ は面白いですね。そして、そのヴラディスラヴ・ディレイとサン・エレクトリックのマックス・ローダーバウアー、ベーシック・チャンネルのモーリッツ・フォン・オズワルドからなるモーリッツ・フォン・オズワルド・トリオの 'Fetch' (2012)。オズワルドはニルス・ペッター・モルヴェルとも共演しておりますが、しかし、こんなダークで神経症的なヤツを日常リピートするのはなかなかヘヴィです・・。



そうそう、オヴァルも久しぶりの新作である ‘O’ (2010)とアンソロジー的な ‘Oval DNA’ (2012)をリリースしたのでチェック。わたしは初期から彼のアルバムを集めるほどのリスナーなのですが、う〜ん、オヴァルも理論武装のやり過ぎが祟ったのか、イマイチやりたい方向性が定まっていない感じ。いや、これはこれで格好良いんですけどね。ただ、別にオヴァルがこのスタイルでやらなくても・・というか。最初にコンセプトを打ち出してしまうと後々ツライのがこの手の音響作家の宿命でしょうか。あ、フェネスの最新作 'Becs' (2014)も買ったけどあんまり聴いてないや・・う〜ん。エレクトロニカもマンネリ化してきたのかな。ここで挙げた作品は、だいたいここ5年ほどのスパンでリリースされたものばかりだから 新しいというには語弊があるかもしれませんが、正直ここ5年の流れに大きな変化はないというくらい、近年の音楽シーンが放つ '質感' は均一化しています。



というか、昔と比べて5 6年前はもとより、15年前の作品といまの作品の質感さえそれほど違う気がしないんですよね。これって実は凄いというか、古びないというより時代の空気が入れ替わらない。ひと昔前は1960年代、70年代、80年代とそれぞれ時代の放つ空気感というのが確実にあったというのに、なぜか1990年代以降はオマージュの名の下に空気の '入れ替え' ではなく '読み替え' の時代となった・・。つまり、停滞したまま円環の如く ‘繰り返す日常を生きている不気味さを感じます。テクノロジーが音楽表現の極北として現れたオウテカの ‘Confield’ 2001年、当時はエレクトロニカ界隈でCycling 74 MAX/Mspを用いて音響空間を構築していくのが最先端でした。動画にある本作はまさにその極北と言っていいのだけど、15年経ったいま聴いてみても '古い' という感じがしない・・。まあ、オウテカはその初期から一貫して同じことをやり続けているという意見もありますが、2013年の最新作である ‘Exai’ でも 'やっぱりオウテカだ!' という声が上がるということは、たぶん 'Confield' からそれほど変わってはいないのでしょう

ここにiTunes Music Storeに代表される音楽配信システムを享受することで、これまではあった 'アルバム' という時間軸が無効となったことは大きいと思います。そこでは昔の大御所による名盤もインディーの新作も1曲からダウンロードして、各々のライブラリーの構築がそのまま膨大なアーカイブスと共に世界観が分割、細分化されていきます。近い将来、間違いなく '共通言語' のない世代と既存世代の明確な意思疎通の困難が予想されるでしょう(いや、すでにそうなりつつありますね)。マイルス・デイビスって何?ザ・ビートルズって何?名曲とか名盤って何?まあ、別に昔のものを聴いて 'コレって古臭いヨ!' と切り捨てながら、まったく新しいものを創造してくれるのなら構わないのですが、むしろ、情報の密度がどんどん圧縮されながら '書き換える' ことがそのまま情報を摂取することと同義語にならざるを得ないのではないか、という不安はありますね。だから今後、'名盤' だとか 'スタンダード' などというものが生まれる余地はないし、また生み出す必要すらない地平へと音楽シーンは向かっている気がするのです。



 坂本龍一さんとデイヴィッド・シルヴィアンによる2003年のコラボレーション 'World Citizen (I wont't be disapointed)'。メッセージの内容はともかく、まるで、この惑星の軌道を周回する人工衛星から '俯瞰する' 無機質な眼差しというか、重力に逆らって猛烈な自転を繰り返す運動体そのものの世界観というか・・う〜ん、うまい言葉が見つかりませんが、この曲からイメージされる壮大な世界にゾクゾクします。

コンピュータ・ベースによる無機質なトラックばかりが氾濫している昨今、ここに挙げたある種 '偏執的' トラック・メイカーたちが提示する '極北' は、今までの '時代' を取り囲んでいたような時間軸とはまったく別の方向を指し示す象徴的なものです。もはや、わたしたちはテクノロジーの中で呼吸し、思考することをについて慣らされているのかもしれません。



こちらは2004年頃、突如としてヨーロッパから火が付いたコンゴの 'リンガラ' を軸としたストリート・ミュージックを発信するKonono No.1なるグループ。いわゆるアフリカの '親指ピアノ' (カリンバだとかリケンベ、ムビラなど各地により名称が異なる)にピックアップを取り付け、アンプによるディストーショナルなサウンドに変調、その歪み切ったバンド・アンサンブルはまさに '人力テクノ' と呼ぶにふさわしいものです。







管楽器と 'テクノ' といったときにどのような '出会い' があるのかは分かりませんが、こちらの動画のDaniel Brothierさんのようなアプローチも 'アリ' ではないでしょうか。 アルト・サックスとライン・ミキサー、Shure SM58ダイナミック・マイクにKorgのセミ・モジュラーシンセMS-20、X-911 Guitar Synthsizer、Lexicon PCM80ディレイ(シーケンサーはKorg SQ-10?)を用いた '4つ打ちテクノ' 風アプローチ。あ、X-911というのは初期ギターシンセのひとつで、エンヴェロープ・フィルターとは一味違う効果としてサックスによる動画の方もどうぞ。これからはメンバー募集はせず、シーケンサーが第二のドラマーとしてジャズメンをサポートしてくれることでしょう。


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