昭和の ‘ラウンジ感覚’ 溢れるクールな雰囲気が好きだ。日活の無国籍映画などを見ていると現われる眺めのよいホテル、百貨店、空港などのカフェやバー。そうそう、昔は飛行機に乗るのにもキチッとスーツにネクタイを締め、航空会社のネームの入った飛行機バッグをぶら下げていました。そんな搭乗前のリラックスできるカフェの一角にジュークボックス、そして、ゴージャスな夜の社交場では小編成のジャズ・コンボによる生演奏がそのようなラウンジのムードを高めるよう、または会話の妨げにならないような演奏で空間を ‘演出’ します。実際、こういった場所をリアルタイムでは知らない世代ですが、しかし、今やジャズだろうが ‘AKB’ だろうが、何でもお店のBGMにして有線から一方的に音楽を ‘聴かされる’ カフェに比べたら、昔のお店はもっとずっと ‘大人’ であったと思うのです。
そんなエレガンスな時代から60年近い時間が過ぎた現在、人々の一日はぐっと短くなり、昼夜が逆転したように眠らない不夜城としての都市を忙しくします。常に何かと接続され、世界のあらゆる情報とのコミュニケーションを可能とする一方、人間の中身は情報によって摩耗し、多くのストレスを抱えながら一日を消費するのです。人間は環境と共に変わっているのでしょうか、それとも変わりゆく環境の中で、人間は虚構の世界を ‘騙されながら’ 生きているのでしょうか。冷戦という恐怖の中、史上まれに見る享楽的なエンターテインメントを生み出した1950年代のアメリカは、’ジェットの時代’ とばかりにカリブ海やハワイ、アジアを都市の消費社会に対するリゾート地としてその距離を縮めました。そのエキゾティックな眼差しは、実際の都市からの逃避行に対し、さらに都市の中に人工的な楽園を ‘演出’ することへと転倒します。都市の高層アパート、もしくは郊外の庭付き一戸建てに住む独身者の嗜み。それは、よく効いた空調設備の整う部屋の中にヤシの木の鉢植えを置き、竹で編んだ簾をかけ、リクライニングチェアに寝転がりながら、その傍らには冷たい飲み物をいつでも手にできるミニバーがあります。仏像やエキゾティックな土産物、お香を焚いてもいいでしょう。ミッド・センチュリー・モダンな木目調オーディオセットからは、当時流行のマンボやラテン・ジャズ、そしてエキゾティカと呼ばれる架空の ‘秘境’ をイメージした環境音楽が流れ、不快指数0%の人工的な楽園を所有するのです。
1940年代後半からのマンボ・ブームとラテン・ジャズ、マーティン・デニーやレス・バクスターらエキゾティカのブームは偶然ではありません。ここには当時、新たなテクノロジーとして現われたステレオ・オーディオによる ‘パノラマ的’ 音響効果でエキゾティカを強調したエスキヴィルなども含まれます。さらにこの楽園の ‘秘境’ は鬱蒼としたジャングルや未開の部落を離れ、月夜と共に未だ想像の地である宇宙へと拡張します。ソビエトの ‘スプートニク・ショック’ がもたらした1957年、人々は月に建設される(だろう)ヒルトン・ホテルのラウンジで、地球を眺めながらカクテルのグラスを傾けることを想像しました。それは、1961年のボストーク1号とガガーリンによる有人飛行を経て、ケネディ大統領の “米国は今後10年以内に月へ有人飛行を達成させる” の発言により、さらに宇宙への距離が現実味を帯びたものとなります。
また、遠くブラジルの地では、オスカー・ニーマイヤー設計による新首都ブラジリアと共にボサノヴァが産声を上げ、気怠い ‘呟き’ と共に都市民のライフ・スタイルへ新たな提案を投げかけます。大ヒットした「イパネマの娘」は、百貨店の購買意欲を煽ると同時に ‘無言の沈黙’ を和らげる ‘エレベータ・ミュージック’ として機能し、ワルター・ワンダレイのオルガンがそのイメージを増幅しました。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンに先駆けて米国で活動していたジョアン・ドナートがカル・ジェイダーと共演した 'Aquarius' も、まさに1960年代を代表する極上の 'エレベータ・ミュージック' として機能します。(ちなみに、’モンド・ミュージック’ の著者のひとりである小柳帝は、 ‘エレベータ・ミュージック’ と ‘エキゾティカ’ の定義を分けて考えており、前者が、百貨店などで消費者の購買意欲を促進させ、気分を煽るような機能を有する ‘ミューザック’ であるのに対し、後者は、一見何の関係もない場所に強引に ‘秘境’ のイメージを設定するもの、聴き手と場が離反することでヴァーチャルな関係性を結ぶことにあるとしています)。そして、いつ核が降り注ぐか分からない冷戦の恐怖の中で、大量消費社会に邁進する米国が提供した ‘楽園’ は新たな購買層とマーケットを生み出し、都市民が嗜むべき ‘大衆文化’ を形成しました。しかし、その時代から60年近い時間が過ぎ去った現在、これら ‘楽園’ がもたらす風景は、まるで時間が止まったかの如き ‘機能美’ を現代に投射します。一日の短くなった現代人にとってその夜は長く、また人々は、過去の忘れていた時間から ‘余裕’ の嗜み方を知るでしょう。
また、遠くブラジルの地では、オスカー・ニーマイヤー設計による新首都ブラジリアと共にボサノヴァが産声を上げ、気怠い ‘呟き’ と共に都市民のライフ・スタイルへ新たな提案を投げかけます。大ヒットした「イパネマの娘」は、百貨店の購買意欲を煽ると同時に ‘無言の沈黙’ を和らげる ‘エレベータ・ミュージック’ として機能し、ワルター・ワンダレイのオルガンがそのイメージを増幅しました。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンに先駆けて米国で活動していたジョアン・ドナートがカル・ジェイダーと共演した 'Aquarius' も、まさに1960年代を代表する極上の 'エレベータ・ミュージック' として機能します。(ちなみに、’モンド・ミュージック’ の著者のひとりである小柳帝は、 ‘エレベータ・ミュージック’ と ‘エキゾティカ’ の定義を分けて考えており、前者が、百貨店などで消費者の購買意欲を促進させ、気分を煽るような機能を有する ‘ミューザック’ であるのに対し、後者は、一見何の関係もない場所に強引に ‘秘境’ のイメージを設定するもの、聴き手と場が離反することでヴァーチャルな関係性を結ぶことにあるとしています)。そして、いつ核が降り注ぐか分からない冷戦の恐怖の中で、大量消費社会に邁進する米国が提供した ‘楽園’ は新たな購買層とマーケットを生み出し、都市民が嗜むべき ‘大衆文化’ を形成しました。しかし、その時代から60年近い時間が過ぎ去った現在、これら ‘楽園’ がもたらす風景は、まるで時間が止まったかの如き ‘機能美’ を現代に投射します。一日の短くなった現代人にとってその夜は長く、また人々は、過去の忘れていた時間から ‘余裕’ の嗜み方を知るでしょう。
クールなヴァイブの幻惑的な響きと、それを持続するように打面を打つパーカッションの調べ。決して熱狂的ではなく、どこか都市のひんやりとした空間を ‘演出’ するのがラテン・ジャズのマナーです。カル・ジェイダー、エミル・リチャーズ、ボビー・モンテス、ピート・テレスといった ‘ラテン’ ヴァイブ奏者の面々。持ち替え組としてはマンボの王様ティト・プエンテ、そしてピアノのジョージ・シアリングやジョー・ロコ、パーカッションのジョー・クーバやフルートのハービー・マンもヴァイブの響きを自らのバンドの重要なカラーとしました。これより、さらにエキゾティックな ‘逃避’ をお求めなら、マーティン・デニーやアーサー・ライマンが控えています。その目的は都市の生活スタイルをデザインすることであり、部屋に居ながらにして、遠く南海の浜辺でさざ波に耳を傾けるイメージへ ‘飛ぶ’ こと。それは、現代のインターネットを先取りするようなヴァーチャルな空間の構築なのです。汗ひとつかかずに ‘アーシーな’ 土着性を発揮するラテン・パーカッションと、ゆらゆらと揺れるヴァイブの転がるようなテンポは、まるでウキウキとする足取り、もしくは雨音と共に流れる水滴の雫となり、憂鬱な雨の日の気分すら楽しいものへと救ってくれるでしょう。
'Brass' から 'Vibe' へ・・夏限定!そんな魅惑なラテン・ヴァイブの世界へ誘うべく、マンボ・ブーム真っただ中の1950年代後半から、ストロボの照明と共に ‘ゴーゴー’ のダンスフロアーで鳴り響くブーガルーに代表される、混迷した1960年代後半までの15年ほどのスパンで新玉の ‘極上盤’ をご紹介していきましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿