2018年9月5日水曜日

モジュラーの壁 (再掲)

まだまだその熱気が留まることを知らない 'モジュラーシンセ' のブーム。あくまでマニア の間でのみの話なのかと思いきや、小さなガレージ・メーカーやコンパクト・エフェクターを製作する者たちが軒並み参入し、今や欧米でひとつの市場を形成しております。





このような流れを受けたのか、Korgは往年のセミ・モジュラーシンセMS-20 Miniやモジュラー的発想で音作りのできるArp Odysseyの復刻、Rolandは新たにデザインしたAira Modulerを用意するなど、決して小さな出来事ではなくなりました。きっかけはドイツのシンセサイザー・メーカーDoepferが製造しているA-100モジュラーシンセの規格を元に、いわゆる 'ユーロラック' サイズによるモジュールであること。往年のモジュラーシンセといえば 'タンス' などと呼ばれたMoog Ⅲ-P(Ⅲ-C)やRoland System 700の巨大なモジュールの集合体を思い出しますが、現在の 'ユーロラック' はモジュール自体のサイズを小型にした卓上型のもの。それこそコンパクト・エフェクターを買うような感覚で小さなモジュールを買い集め、自分だけのサウンド・システムを気軽に構築することができるのです。





以前はオタク的な 'マッド・サイエンティスト' たちの占有物というイメージのあったモジュラーシンセですが、現在はこのような女性アーティストが 'ユーロラック' サイズによるモジュラーシンセのサウンド・システムを構築するなんて・・。しかしKaitlynさんは気持ちの良い環境で鳴らしているなあ。







Moog System-55
Moog Mother-32
Moog Moogerfooger CP-251 Control Processor
Moog Moogerfooger

そんなモジュラー・ブームにMoogも刺激を受けたのか、なんと1973年発表のモジュラーシンセSystem 55、35、Model 15を復刻してしまいました。テクノポップ世代ならYMOのステージで見てビックリした方も多いでしょうが、その巨大なモジュールもさることながら価格も半端ではない垂涎もの・・'YMO世代' にはたまらないでしょうね。また、昨今の 'ユーロラック' サイズに合わせた最新型のモジュラーシンセ、Mother-32も用意されております。さすがに1台だと1VCO、1EGの構成なので3段積みのラックに複数のMother-32を搭載して巨大な壁を築きたくなってしまいますけど・・出音はMoogならではの素晴らしいもの。ちなみに、管楽器を用いてMoogにアプローチする最初の一歩としては、CP-251を中心に各種CV(電圧制御)でVCF、VCA、LFO、EGなどやり取りの出来る 'Moogerfooger' シリーズから始めてみるというのも良いかもしれません。しかしMoogといったらやっぱり '木枠' だね!





さて1960年代後半、意外にも当時の '未知の楽器' Moogシンセサイザーに食い付いたのはエミル・リチャーズやディック・ハイマンといったジャズの奏者たちでした。いわゆる 'コマーシャル・ミュージック' の体裁を借りながら、当時、最も先端的なかたちでエレクトロニクスと格闘していたという事実は、単に風変わりな 'モンド・ミュージック' 的視点でのみ語られているのは惜しいと思います。これは、彼らとは真逆のシリアスな視点に立ち、アネット・ピーコックとArpシンセサイザーを用いて前衛的表現を追求したポール・ブレイにしても同様でしょう。マイルス・デイビスが 'Bitches Brew' で '転向' したと大騒ぎになった当時のジャズ界にあって、むしろ、もっとその先を行っていた彼らの仕事は未だ 'キワモノ' の領域から出ないままです。





これら初期のMoogシンセサイザーのマニピュレーターとして活躍したのがポール・ビーヴァーとバーナード・クラウゼのコンビ。上記のエミル・リチャーズや映画 '白昼の幻想' のサウンドトラック、ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンが自ら買い上げたMoogシンセを用いてAppleに吹き込んだソロ作 '電子音楽の世界' などに携わり、また、現代音楽専門のレーベル、LimelightからはMoogシンセのガイド的アルバム 'The Nonesuch Guide to Electronic Music' を発表して、得体の知れなかったシンセサイザー普及に一役買いました。ちなみに、上記ディック・ハイマンのアルバムには当時、Moog相談所の所長であったウォルター・シーアが携わっております。





タンジェリン・ドリームやクラウス・シュルツェ、ポポル・ヴーなどのプログレ勢に好まれたモジュラーシンセですが、ジャズの世界においては、ピアニストのポール・ブレイが妻のアネット・ピーコックと一緒に 'Synthesizer Show' と称した演奏を行っておりましたね。ブレイはArpのモジュラーシンセ2600を駆使し、アネットの歌声もシンセの外部入力から変調する前衛的なものでした。これは、ワルター・カーロスがMoogでバッハを演奏した 'Switched on Bach' を発表し、作曲家の富田勲氏が米国からそのMoogを日本に輸入しようとして 'これは楽器か?何かの機器か?' と関税でモメる前夜に記録された、未知の楽器シンセサイザーと即興的アプローチの一コマでもあります。そして1950年代にはジャズの名門Blue Noteで 'Patterns in Jazz' を制作したサックス奏者ギル・メレも、1960年代後半にはElectar、Envelope、Doomsday Machine、Tome Ⅳ、Effects Generatorなる自作のフィルターやオシレーターをきっかけにエレクトロニクスへ接近。この1971年のパニック型SF映画 'The Andromeda Strain' のサントラでは、(たぶん)EMSのモジュラーシンセを駆使して完全なる電子音楽作品を披露しています。宇宙から謎の病原菌が地球に撒かれて人々が恐怖に慄くというSFらしく、得体の知れない恐怖が迫ってくる雰囲気をシリアスな電子音響で見事に再現。



こちらはオランダの現代音楽にして電子音楽のパイオニア的存在、ディック・ラージメイカー(aka キッド・バルタン)とトム・ディセヴェルトのコラボレーションによる傑作。1958年!にして '元祖アシッド・ハウス' と呼びたくなるくらいテクノな匂い全開のシーケンスは、まさに '過去から来た未来' を暗示しております。









Buchla Music Easel
Buchla Music Easel Review

さらにMoogと並ぶシンセ黎明期の二大巨頭のひとつ、Buchlaもこの市場に参入してきました。ロックやジャズのアーティストに好まれたMoogと違い、こちらは当時、現代音楽の作曲家モートン・サボトニックが監修していたのが特徴的です。また、EMS Synthiをイメージしたようなアタッシュケース型のMusic Easelも復刻、いやあ、狂ったようなぶっといオシレータの出音含め格好良いですねえ。本機は独特な構造を備えており、2VCOがVCA/VCFの合体したDual Lo Pass Gateという2チャンネルのモジュールからゲート、変調用オシレータ、外部入力を選び、またエンヴェロープ・ジェネレータをLoop、発振させてオシレータにするというまさに 'シンセの原点' と呼ぶに相応しいものです。そんなBuchlaを代表する1967年の 'Silver Apples of The Moon' はサボトニックによるモジュラーシンセの金字塔的作品。楽音的なMoogと違い、いわゆる '鍵盤的発想' ではないところから出発してサイケデリックな空間を描き出します。







Tom Oberheim SEM / SEM Pro
Oberheim DS-2 Digital Sequencer

Korgが大々的に始めたアナログシンセの '復刻' は、1970年代の名機であるMS-20やArp Odysseyの訴求力が時代を超えて支持されていることを見事に証明したと言えるでしょう。そんな時代の流れは同じく1970年代に席巻した 'オーバーハイム・シンセサイザー' の生みの親、トム・オーバーハイムをも動かします。長らくMarion Systemsと名を変えて製品開発を行ってきたトム・オーバーハイムが久々に自らの名で '復刻' したのは原点ともいうべきシンセ・モジュール、SEM。オリジナル通りの構成にパッチング機能を追加したSEM with Patch PanelとMIDIインターフェイスを搭載したSEM Proで、'ユーロラック' モジュラーや現在の音楽環境との連携を目指した音作りはさすがの一言。ちなみに元々は1970年代初め、同社のデジタル・シーケンサーDS-2の音源モジュールとして製作されたもので、打ち込んだシーケンスを走らせながらモジュールを操作させるというのが '正しい' 使い方でした。





Korg MS-20M Kit + SQ-1 Step Sequencer

そんな 'モジュラーシンセ' の入門編としてこちら、Korgの名機MS-20のモジュールと8ステップ2段のシーケンサーSQ-1のセットはいかがでしょうか?一応 'Kit' ということで自分で組み立てるのですが接着剤、ハンダ一切不要で基板含めたいくつかのパーツを取説通りに組み立てるだけのお手軽さ。2VCO、2VCF、2VCA、2EG(Envelope Generator)、1LFOのシンプルな構成ながら内部ルーティンをパッチングにすることである程度自由な音作り、アナログシンセの基本を学べることが本機の大ヒットへと繋がりました。







Korg MS-03 Signal Processor

このMS-20には精度の高い 'CV/Gateコンバータ' が搭載されており、外部の音程から 'Hz/V' (Korgの規格)の電圧制御(CV)と 'CV Trig' や 'Env Out' でシンセをコントロールすることが可能で、さらに単品のコンバータであるMS-03では 'Oct/V' も搭載されてKorg以外のシンセを 'Portamento' や 'CV Hold' なども加えて加工することが出来ます。これは往年の 'ギターシンセ' ともいうべきX-911にも同様の機能として搭載されており、例えば管楽器をMS-20の外部入力から突っ込みオシレータを追従させてエンヴェロープ・ジェネレーター(EG)で揺さぶってみるとか、いろいろな音作りを堪能することが出来まする。





さて、管楽器だとMIDIを中心にMAX/mspなどでサウンド・システムを構築する 'Mutantrumpet' のベン・ニールのアプローチと近しい関係かもしれません。1960年代後半にSonic Arts Unionとしてゴードン・ムンマやロバート・アシュリー、アルヴィン・ルシエらとライヴ・エレクトロニクスの実験に勤しんだデイヴィッド・バーマンがそのベン・ニールをゲストに迎えて制作した極楽盤 'Leapday Night' の気持ち良さ!







Akai Professional EWI
Sherman Filterbank 2

このようなベン・ニールのやり方としては、例えば 'ウィンド・シンセサイザー' のEWIによりブレスでシンセサイザーをトリガーし、リアルタイム・サンプリングでラッパから映像含めたシーケンスをコントロールすることとも共通するのですが、鍵盤ではない発想からモジュラーシンセと取り組んでみるというのは重要でしょうね。それはBuchlaのモジュラーシンセがなぜ鍵盤を付けなかったのかという問いに対して、元々はクラシックのクラリネット奏者であったモートン・サボトニックのこの言葉からも伺えます。

"(鍵盤を付けなかった)一番の理由は 'Buchlaで音楽を演奏するつもりがなかった' からだ。私はクラリネットでどんな音楽でも演奏することができる。だからシンセサイザーで '音楽' を演奏することは、私にとっては意味が無いんだ。当時、私はBuchlaになろうとしていた楽器を 'Electronic Music Easel' と呼んでいた。音楽におけるサウンドを、絵画の絵の具と同じように捉えていたんだ。だから鍵盤はタッチ・プレートになり、指先の力加減でサウンドの '色' を制御できるようにした。"

ちなみに動画はAkai ProfessionalのEWIとトランペット型のEVIですが、元々は米国のナイル・スタイナーという人が開発、販売したSteiner Hornというのが原型です。EVIはSteiner Hornそのもののデザインでしたが、すぐにサクソフォンの運指によるEWIに一本化された為に今となっては希少なモデル。しかし現在ラインナップされているEWI4000にはプログラムとしてEVIの運指で演奏することが可能です。







すでにProtoolsに象徴されるコンピュータでのDAW環境が一般化し、すべてがプラグインやソフトシンセなどを画面上でプログラミングする制作手法の反動として、このようなアナログ的な制作手法が甦っているというのは興味深いですね。これは単に、ソフト化されたモジュラーシンセを画面上のヴァーチャルなパッチで結線して鳴らしていた若い層が、懐古趣味的に '手作業' で試してみたということではなく、利便的な環境の中で '何でもできることが何かを刺激することではない' ということに気がついたのだと思います。音色の保存は出来ない、MIDI(MIDI to CV/Gateコンバーター)はあるけど基本的にモノによる音作り、'ユーロラック' サイズになったとはいえ場所の取る制作環境など、モジュラーシンセの不便さを挙げていけばキリがないのですが、むしろ、その不便さこそが音楽的なモチベーションを刺激すること、'手を使う' ことがそのまま創造力の担保として至極自然に体感できるのでしょう。上の動画はマトリクス・パッチピンが独特な 'ガジェット・シンセ' の極北であるEMS Synthi AKSとその最高峰、Synthi 100!。







Bruno Spoerri Interview
EMS Pitch to Voltage Converter ①
EMS Pitch to Voltage Converter ②
Computone Lyricon

さて、こちらはそんなジャズ・サックス奏者から実験好きの 'マッドサイエンティスト' 的存在へと変貌したスイスのエレクトロニクス・ミュージックの御大、ブルーノ・スポエリ。わたしがこの人の存在を知ったのは1970年、プログレに積極的だったレーベルDeramからジャズ・ロック・エクスペリエンスの一員として同郷のラッパ吹き、ハンス・ケネルと参加した '企画もの' 的ジャズ・ロック盤 'J.R.E.' を聴いたことでした。そんな管楽器と 'エレクトロニクス初期' の頃の思い出を '5つの質問' としてネット上のインタビューでこう答えております。

- また、1970年代にあなたは電化したサックスで実験されましたよね。あなたのサックスを電化するにあたり用いたプロセスはどのようなものでしょう?

- ブルーノ
サックス奏者でありジャズのインプロヴァイザーでもあるわたしは、いつもキーボード以外のやり方で演奏することを探していました。1967年にわたしはSelmer Varitoneを試す機会を得たのですが、しかし(それはあまりに高価だった為)、わたしはConn multi-Viderを、その後にはHammondのCondorへ切り替えて使いました。特にわたしは多くのコンサートでMulti-Viderを使いましたね(1969年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで私たちのジャズ・ロック・グループが使用し、そこでエディ・ハリスにも会いました)。1972年にわたしは、EMSのPitch to Voltageコンバーターをサックスと共に用いてコンサートをしました(VCS 3による3パートのハーモニーやカウンター・メロディと一緒に)。そして、1975年にわたしはLyriconの広告を見て直ちにそれを注文したのです。









最近の 'ユーロラック' モジュラーシンセでは、いわゆる 'グラニュラー・シンセシス' のアプローチからサンプラーなどデジタルの発想を積極的に盛り込んでおり、従来のアナログシンセとは違うベクトルで製品開発が行われております。創造力の詰まったアイデアの源泉とも言うべき豊富なパレットを欲し、尚且つ潤沢な資金力をお持ちの方はこのモジュラーシンセ、是非ともチャレンジしてみて下さいませ!

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