2018年11月1日木曜日

横断する 'イルビエント' (再掲)

久しぶりにドラムンベースを 'Kick' してみる。いや、これはプログラムから別のプログラムを起動させるというコンピュータに起因した用語なのですが、レコードや生のドラムから音色をサンプリングして、細かくバラしていくと共に組み直し、テンポを上げてピッチはストレッチさせるという、まさにサンプラーありきの 'プログラム的な' ビート・ミュージックであったことを思い出します。緻密でポリリズミックな高速ブレイクビーツと、ダウンテンポの無調なベースラインの '二層的な' 構造でひとつのグルーヴを生み出すのが画期的でした。そんなドラムンベース全盛の時代は未だMIDIプログラミングが当たり前だったのだけど、今やコンピュータ・ベースによるオーディオデータ貼り付けの制作システムにおいても、基本的にはそのドラムンベースの時代から変わっていない。



Drum 'n Bass: sub-genres A to Z

そういう意味では音楽が創造的な時代の最後のピークであり、その盛り上がり方から燃え尽きるまで案外と早かったジャンルでもありましたね。特に、まだ 'ジャングル' という呼称でラガマフィン・スタイルをベースに 'リミックス' 中心のノべルティ・タッチな作風だった頃に比べて一転、デトロイト・テクノやジャジーな響きを纏ってシリアス・ミュージックとしての可能性に転向してからは、その作り込みとは別にビートの '過剰さ' に寄りかかり過ぎて自滅していった感があります。それでも4つ打ちのテクノ、スモーキーなダウンテンポのブレイクビーツに現れる '普遍性' に対してドラムンベースの方法論は、現在のダブステップからグライム、トラップといったEDMのスタイルに受け継がれることで、いわゆるビートの細分化とプログラミングのスキルによるネットワークで '再起動' したものと見ることが出来るでしょう。





つまり、流行のサイクルは短いけれど何度でも組み直されることの '変奏' により、ビートが身体の限界を '管理' する様態へいつでも接近したい欲求こそドラムンベースだったんじゃないかな、と。そういう意味では当時、このドラムンベースを最もプログレッシヴなかたちへと昇華させたスクエアプッシャーがその後、見事に 'EDM化' したのも納得。現在、世界的に流行するヒップ・ホップ・ダンスの一種である 'Poppin' では、まさにビートと拮抗するように身体の限界に挑む創造性を発揮しております。ええ、上の動画はCGでもなければ編集も無し、スクリレックス以降のダブステップに特徴のウォブルベースに合わせてブルブルと痙攣させたり、無重力に逆再生するような流れでガクガクとヒット(身体を打つようなPoppinの動きをこう呼びます)させる特異な動きなど、いやあ、これはサイボーグの時代到来ですねえ。この断片化された情報の 'かけら' をひとつずつ収集、分解、再解釈していく姿は、英国の音楽批評家サイモン・レイノルズによれば '想像を超えた激しい情報過負荷時代に対応するため、再プログラミングされた身体の鼓動' であると同時に 'ステロイドを使ったポストモダンのダブ' とドラムンベースを定義しました。





1998年とはそんなドラムンベースがピークを迎えた年であり、前年のRoni Size Reprazent 'New Forms' を始めに4 Hero 'Two Pages' とGoldieの 'Saturnz Return'、Grooverider 'Mysteries of Funk' が立て続けにリリースされました。しかし、これらはどれも2枚組というヴォリュームで畳み掛けるものでむしろ、その過剰な供給が '食傷気味' を早めるきっかけになったという気がしています。そんな同年にドラムンベースの本場、英国ではなく米国からアプローチする一枚として登場したのが 'Riddim Warfare'。トリップ・ホップやテクノ、ジャングルからドラムンベースへと流れが変わりつつあった1996年、当時、ニューヨークのアンダーグラウンドで盛り上がっていた 'イルビエント' なるムーヴメントの中心人物だったのが本作の主役、DJスプーキーです。元々ヒップホップの強い地盤であるニューヨークは、すでに欧州全域で猛威を奮っていたドラムンベースへの流れが遅れていたものの、その中で積極的にヒップ・ホップとダブ、ドラムンベースなどを集中的にミックスして、さらにそこへアンビエントや民俗音楽、ヤニス・クセナキスら現代音楽のコンテクストを混ぜ合わせ、サンプリングとノイズの脱構築で以って提唱したのが 'イルビエント' でした。まあ、今の視点から見るとこの 'イルビエント' ってヤツはどこか実体のないイメージでして、このムーヴメントを伝えるAsphodelからのコンピレーション 'Incursions in Illbient' を聴いてみても掴みどころがない・・。というか、その中心人物であるDJスプーキー自身が個性であるとか、何がしかの主張といったものをフワフワとすり抜けていく存在でしたね。



1996年の 'Necropolis: The Dialogic Project' というミックス・アルバムと同年のフル・アルバム 'Songs of A Dead Dreamer' は、まさに 'イルビエント' を体現したものとして、それまでのトリップ・ホップ的世界観をさらに抽象化、退廃的な世紀末の雰囲気をブレイクビーツに落とし込みました。今から見ればヒップ・ホップやダブの手法を根底にして、そこにクセナキスやアンビエントなどの 'インテリジェンスな' 響きをミックスすることが新しかったのでしょう。しかし、同時期に欧州で勃興していたエレクトロニカに比べると、そんなスノビッシュなムーヴメントをパッケージする美学的センスは壊滅的にセンスがなかった・・。だって 'イルビエント' とされたアルバムのカバーアートの全てがダサいもんな。またコンスタントに作品をリリースするDJスプーキー以外では、2作リリースしたSub Dubのほか、メディアが連呼するほどにはシーン全体が匿名的な存在に甘んじていた印象がありました。







前述のコンピ以外では、ニューヨークで最初のドラムンベース・レーベルJungle Skyを主宰するDJ Soul Slingerがいたくらいで、他は 'イルビエント' 全面協力の一枚として露出したアート・リンゼイのリミックス・アルバム 'Hyper Civilizado' があるのみ。DJスプーキー自身は坂本龍一さんのコンサートにおいて、当時始まったばかりのインターネット回線を用いてコンサートのオーケストラにリアルタイムでドラムンベースのリミックスをしていく様子をそのまま 'Jungle Live Mix of Untitled 01 - 2nd Movement Anger' で行い、これは1997年のアルバム 'Discord' に収録されております。しかし、そのようなメディアミックス的動きも空しく、新たな潮流として欧州で勃興していたエレクトロニカ、シカゴのポスト・ロックな連中とトータスを中心に騒がれ始めた 'シカゴ音響派' の波に掻き消されるように、この1997年を以って 'イルビエント' なるムーヴメントは静かにその終焉を迎えることとなります。





さて、このDJスプーキー。そんなDJによる音楽活動と制作の一方で批評家としても筆を振るい、2004年に本名のPaul D. Millerで 'リズム・サイエンス' という音楽批評書を出しております。これは2008年に邦訳され、自ら手がけたミックスCDを付録に '耳と目から' の啓蒙を試みるという一冊。'イルビエント' のキーワードとなるべきサンプリングを核に現代思想を用いて21世紀のアートを考察していくという、少々理論武装な匂いが強いですね。同時期に勃興したエレクトロニカでは、オヴァルやパンソニックといった連中に現代音楽や現代思想からの影響が過分にありましたが、このDJスプーキーには、クセナキスの大作 'Kraanerg' を1997年にST-X Ensembleと共に手がけた際、テープによる電子音響のミキシング操作を担当した他は、いわゆるシリアス・ミュージックへの傾倒はあっても常にストリート・ミュージックを自らの立脚点として制作、活動していました。アティチュードはシリアスでありながら、ヒップ・ホップやエレクトロニカと一歩距離を置いて活動するDJスプーキーの関心は、それこそラジオのスイッチを入れたと同時に飛び込んでくる ' サンプル' の情報量を、それぞれが持つ '空間' として結び付けていく '手さばき' こそ重要であるというDJの視点を重視します。





DJスプーキーはニューヨークの喧騒というバックグラウンドの中で、ストリート・ミュージックの批評的な行為がもたらす 'ネットワークの力' を肯定します。現代思想のドゥルーズ/ガタリらが提唱する 'スキゾ' や 'リゾーム' といった '中心のない' 概念は、絶えず巨大な資本主義社会を動かすための '逃走' と捉えており、それは、現在のネットワークを軸としたアートと資本の関係を先取りする 'サンプル' の喚起力こそリアルであることと通底します。具体的には、ビートやノイズを解体して緻密にコンピュータの中で '磨き上げて' いく職人的な欧州のエレクトロニカに比べ、DJスプーキーら 'イルビエント' のスタンスは、もっとずっと即物的に '嵌め込んで' いく羅列の快楽が強いのです。このようなやり方は、元来ヒップ・ホップが誇ってきた '剽窃と誤用' により物質と場の意味を読み替える方法論でもあり、黒人音楽が辿ってきたルーツの血統を残すための '異種交配' の記憶を巡る旅でもあります。これ自体はダブを起点としたリミックス文化、コラージュや現代音楽におけるミュージック・コンクレートなどにも共通するものですが、DJスプーキーの即物的な態度は、内容よりもそれがいかに '機能' するのかの審美眼に作用すること。裏を返せば、彼自身はあくまでそれぞれを繋いでいく上での '媒体' であり、そこで発揮される強烈な個性のようなものからすり抜けていくことこそ、そのまま 'イルビエント' という姿勢を体現しているのだと思うのです。







レコードから意味を紡ぎ取るDJのスタンスで、ニューヨークの 'ニッティング・ファクトリー' に集うポスト・ロックの即興演奏家や、マシュー・シップなどのテクノを通過した 'ニュージャズ' 系の連中とコラボレーションを行ってきたDJスプーキー。そのマシュー・シップとコラボした一枚 'Optometry' のリミックス盤 'Dubtometry' で久しぶりに原点回帰的なダブへとアプローチします。







直接、'イルビエント' のムーヴメントとの関わりはありませんが、同時期の1996年、英国フリー・ジャズの重鎮、デレク・ベイリーがドラムンベースにアプローチしたのは衝撃的な出来事でした。ロンドンのラジオから頻繁に流れてくるドラムンベースのトラックを '即興' の相手として、無機質にノイズの壁を構築していくベイリーの手法は、お互いが '無機質同士' の与り知らないところで触発する関係性をDJ Ninjiなるトラックメイカーを呼び、ちょうど 'イルビエント' 真っ只中であったニューヨークでジョン・ゾーン・プロデュースにより実現した一枚。当時、クラブ・ミュージック寄りの見地からトラック的に弱いだとかの批評がありましたけど、いやあそういうことじゃないんですよね。また、この 'イルビエント' 全盛の1996年には、実験的な場の総本山 'Knitting Factory' 周辺にいたラッパ吹き、ベン・ニールもDJ SpookyやWeのDJ Oliveを迎えたアルバム 'Triptycal' をリリースしてニューヨークのアンダーグラウンドに合流します(大手Verveの音源なのでYoutubeでどーぞ)。彼の実験的アプローチのアイテムと呼ぶに相応しい 'Mutantrumpet' を駆使して、この後、1998年のEP 'Tunnel Vision' ではSpring Heel JackやDJ Krustといった英国の 'ジャングリスト' ともコラボしておりますが、ここ近年は2009年にThirsty Earからの作品 'Night Science' でDJ Pinchなどとコラボして 'Burial風' ダブステップにも挑戦しておりまする。





そして 'イルビエント' ムーヴメント終焉と共にDJスプーキーがメジャー盤 'Riddim Warfare' をリリースした1998年、カセットテープというかたちでひっそりとニューヨークのストリートで流通した謎の一本。Spectreの 'Ruff Kutz' がミニマル・ダブのベーシック・チャンネル傘下のスタジオ、Dubplates & Masterringの手により2枚組アナログ盤で蘇りました。これはDJスプーキー以上に 'Dope' というか、いやあ、どこか実体のない 'イルビエント' の感覚がタフなブレイクビーツとして覚醒していくというか・・ヤバいですねコレは。


                                                     - 'イルビエント' 1996 - 1997-

'illな(狂ったような)アンビエント' という意味合いで、WeのDJ Oliveが名付けた 'イルビエント' という言葉が1990年代後半、インターネットという新たなネットワークと呼応するように彷徨い出てきたのは衝撃的でした。ヒップ・ホップの地盤が根付き、人種の坩堝と呼ばれるニューヨークという場が用意したのは、表層的に現れるヒップ・ホップ、ダブ、ドラムンベース、ジャズ、アンビエント、民俗音楽、現代音楽といった 'サンプル' を俯瞰しながら、どこか病んだ手付きで混沌とした状態を生み出すことにあります。同時期、欧州で勃興したエレクトロニカがシュプレマティズム的な '機能美' だとするなら、これは、アンディ・ウォーホル的ポップアートの持つ '記号の戯れ' に溢れていると例えられるでしょうか。いや、ここはDJ Spookyの名前に付随する 'That Subliminal Kid' の引用元ウィリアム・バロウズの 'カットアップ' の美学に敬意を表したと言うべきか。全てにアノニマスな匂いを放ち、短命に終わったこのムーヴメントを再び読み直すための9枚のアルバムがこれだ(カバーアートはどれもダサいけど)。





⚫︎Incursions in Illbient -V.A.- (Asphodel) 1996
⚫︎Necropolis: The Dialogic Project - V.A.- / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Knitting Factory Works / Shadow) 1996
⚫︎Songs of A Dead Dreamer / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Asphodel / Gut Bounce) 1996
⚫︎Hyper Civilizado - Arto Lindsay Remixes / Arto Lindsay
   (Gramavision / Gut Bounce) 1996
⚫︎Triptycal / Ben Neill (Antilles / Verve) 1996
⚫︎Sub Dub / Sub Dub (Instinct) 1996
⚫︎Dancehall Malfunction / Sub Dub (Asphodel) 1997
⚫︎As Is / We (Asphodel) 1997
⚫︎Don't Believe / DJ Soul Slinger (Liquid Sky / Jungle Sky) 1997 
                                                     

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