→Coral Electric Sitar
→Kartar Music House Electric Sitar
また、このようなエレキギターの 'シタール化' は、そのまま本場インドでシタールの 'エレキ化' のような動きが起こり、このインドのKartar Music House社製に見るピックアップやツマミを備えた 'エレクトリック・シタール' もございます。しかし、Coralのジャラ〜ンと奏でる1ピックアップの共鳴弦のところなんて曲のイントロ、アウトロ以外のところで出番なさそうだ(笑)。
そして、さらにお手軽な 'アタッチメント' として、エレキギターをそのまま 'シタール化' するシタール・シミュレーター、Electro-HarmonixのSitar Ravish。昔は 'ギター・シンセサイザー' のプログラムとして用意されておりましたが、現代のDSPテクノロジーでここまで 'エフェクト化' してしまったマイク・マシューズおじさんは凄いなあ。ちなみにDanelectroといえば一時、エレクトリック・シタールとは別に奇妙な 'シタール・シミュレーター' を発売していた時期がありました。Sitar Swamiと命名されたソレは、シタールを彷彿させる茶色い筐体にサイケな尊師(グル)の下手な似顔絵、そしてスライド・バーが一緒に封入されていた気がする。効果はオクターヴ・ファズにフランジャーかけたような感じで、これをウィ〜ンとスライド・バーで弾くとソレっぽく聴こえるのかな?動画のもこれをシタールと言うのはどうかと思えますが(苦笑)、しかし、新たなエフェクトと言えば面白いのかも。ちなみに、このような '空耳' っぽくシタールに聴こえるということでは1960年代後半、同じく時代を席巻したファズの音色もどこかシタールに例えられていたのですヨ。日本のHoneyが1967年に発売したアッパーオクターヴ・ファズの名機 'Baby Crying' は、米国にも 「流行の東洋の神秘、Honeyの効果装置' のキャッチコピーと共に上陸し、その評価は "従来のファズ・トーンに加えて世界的流行のインド楽器、シタールの音色を新たに付け加えた、初めて2種類の音色を持つデラックス・ファズ・マシーン」などとキャッチコピーが付けられておりました。
インドの民俗楽器であるシタールが、当時の新しいロックの響きの中で渇望されていたというのは、今から考えると相当に '異様なもの' のように思えてきます。それは突然、欧米の文化圏の中から三味線や尺八が聴こえてくるようなもので、以前なら 'エキゾティック' なもの、今風に言えば 'Cool Japan' などと称して取り上げていたことでしょう。しかし1960年代後半、このシタールを始めとした東洋文化とヒッピーイズムの伝播は、遠くインドシナの地で泥沼に陥ったベトナム戦争を始め、それまで誇っていた欧米の価値観が揺らぎ出していたことに意味がありました。つまり、単なる流行を超えたところで時代を乗り越えようとする若者の反乱と意識改革に大きな力を与えた '響き' がシタールにはあったのです。1965年のザ・ビートルズ 'Norwegian Wood' と1966年のザ・ローリング・ストーンズ 'Paint It Black' で、それぞれシタールをフィーチュアしたことがロックにおけるシタール・ブームのきっかけを作ります。以後、サイケデリック・ロックにおいてシタールの響きは人気を博し、またジャズや映画音楽においても多用され、当時のフラワー・ムーヴメントを彩る 'サウンドトラック' として、大音量のエレクトリック・ギターと共に時代の空気を代弁しました。
→Electric Psychedelic Sitar Headswirlers - 11CD Box Set
→Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.1
→Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.2
'Electric Psychedelic Sitar Headswirlers' という全11枚からなるコンピレーションがありますけど、これこそまさにそんな時代に量産されたシタールをフィーチュアするロック、ジャズ、イージー・リスニングetc...をコンパイルしたもの。もちろん、こんなものは氷山の一角であり、他にも、掘り起こせばいくらでも出てくるほど粗製乱造にシタールが '時代のサウンド' であったことをこのコンピは教えてくれます。また、本家インドのハリウッドならぬ 'ボリウッド' の一大映画産業で用いられるO.S.T.からグルーヴィーなもの中心に編集したコンピレーション、'Sitar Beat !' も有名ですね。ちなみに上の動画の 'The Minx' は1969年のポルノ映画のO.S.T.なのですが、サイケデリックなソフト・ロックの雄、ザ・サークルが参加し、本盤のレーベルは、Impulse !の創業者ボブ・シールが独立して新たに設立したFlying Dutchmanというジャズ・レーベルからの発売という、何とも混迷した時代を象徴する一枚でもあります。
さて、ここからはそんな混迷する時代の中でシタールをフィーチュアした曲、それもグルーヴィーなヤツをご紹介したいと思います。ある意味、ジョージ・ハリソンがマハリシ・マヘギ・ヨギにかぶれてしまった '若気の至り' 的抹香くさいものから、単純にエキゾでモンドな 'のぞき見趣味' 的にアプローチしたものまで、いやあ、熱狂する時代のエネルギーというのは凄いものです。それまでキッチリとアイビー・スーツ着こなして会社に行っていたヤツが突然、髪もヒゲも伸ばし放題となり、革靴からサンダル、ジャラジャラした数珠などを修行僧の格好と共に身にまとい、お香を焚いてはそのままインドへ旅立って行方不明となってしまった 'ドロップアウト' 組を大量に生み出してしまったのだから・・。この、その名もズバリ、Okkoの 'Sitar & Electronics' もドイツから遠くインドの地に思いを馳せてモーグシンセと共に旅立ったひとりです。
ここ近年のサイケデリックに対するリバイバルで見るなら、1990年代以降のアシッド・ジャズ、モンド・ミュージックとの繋がりでドイツのジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットの 'Mathar' が再評価されたことは大きいですね。それまでの瞑想的なインドのラーガ的イメージから一転、シタールをグルーヴィな8ビートに乗せるという価値観は、そのまま余計な '抹香くささ' を払拭すると共に時代が一周したかのような面白さがありました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーがIndian Vibesという '覆面バンド' でカバーし、日本では立花ハジメ(懐かし〜名前)がテイ・トウワをプロデュースに迎えて制作したアルバム 'Bambi' で 'Son of Bambi' としてカバー。こんな再評価で突然蘇ったザ・デイヴ・パイク・セットは、過去MPSでリリースしたアルバムがすべてCDリイシューされました(さすがにグループの復活はなかったけど)。この 'Mathar' のイメージが強い彼らですが、実際は過去作全7枚中、シタールをフィーチュアした曲はわずかに3曲、意外でしたね。それはともかく、このグループはプログレにも通じる格好良さを備えており、わずか4年ほどの活動期間ですべてにクールなジャズ・ロックを展開しております。ちなみにデイヴ・パイクと並ぶ '双頭' リーダーのひとり、ギター、シタール担当のフォルカー・クリーゲルはその 'Mathar' 収録のアルバム 'Noisy Silence - Gentle Noise' のライナーノーツでこう述べております。
"まだ2週間にしかならないけれど、インドの楽器シタールと取り組んでいるところなんだ。ご多分にもれず、この偉大な楽器のすばらしいサウンドに興味を持ったからね。'Mathar' っていうのは、ラヴィ・シャンカールが人前で演奏できるようになるまで、グルの元で14年間学んでいた北インドの村の名前なんだ。でも、それだけじゃない。この言葉には、'Mathar' が 'Mother' (母)と 'Sitar' という言葉も含んでいるように思えるんだ。"
ちなみにこのクリーゲルさん、1970年代をジャズ・ギタリストとして駆け抜けながら1980年代には廃業、その後、不動産業かなにかに転身してしまったという変わり種の人でもあります。そして 'ドイツ繋がり' でクラウス・ドルディンガーのずばり 'シタール・ファンク' の1968年作キラーチューン 'Sitar Beat' が続きます!。
こちらは何とも謎のグループ、ザ・ソウル・ソサエティの 'The Sidewinder'。そう、一聴してお分かりのようにリー・モーガンのヒット曲ですね。1960年代後半に 'Saticfaction from The Soul Society' というアルバムをDotというレーベルからリリースしたグループのようで、その他、当時のヒット曲であるサム&デイヴ 'Soul Man' やザ・ローリング・ストーンズ 'Saticfaction'、ミリアム・マケバの 'Pata Pata' などをファンキーにカバーする '企画もの' 的一枚のようです。本曲のラテン・アレンジによるイントロで鳴る濃厚なシタールの '響き'、ええ、たったこれだけのアレンジなんですけど良いですね。そして日野皓正さん作の 'Dhoop' も日本のロックバンド、フラワー・トラヴェリン・バンドとのコラボ作で、いかにもこの時代ならではの '抹香くさい' アレンジとなりました。
'花のサンフランシスコ2連発'。さて、このようなシタールに魅了された者たちとしては、当時、ギターにおける早弾きのスキルと相まってアプローチする奏者がロック、ジャズの界隈から現れます。ザ・ビートルズのジョージ・ハリソン、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミー・ペイジの師匠筋にあたるビッグ・ジム・サリヴァン、ジャズにおいては、パット・マルティーノやガボール・ザボ、後にヒンズー教徒に帰依までした 'マハヴィシュヌ' ことジョン・マクラフリンが代表的ですね。また、米国人ながらラヴィ・シャンカールに師事してシタールを習得、そのままジャズの世界で '伝道師的に' アラン・ローバー・オーケストラを始め、数々のセッションを経ながら無国籍グループ、オレゴンを結成、そしてマイルス・デイビスの 'On The Corner' にも参加したコリン・ウォルコットもおりました。その他、パット・マルティーノとの共演を経てマイルス・デイビスのセッションに参加、後にそのメンバーとなるカリル・バラクリシュナ、ウェストコースト一帯でセッション・ミュージシャンをしていたビル・プルマーなどもそれまでフツーの米国人ながらインドに '感染' し、以降は完全に 'ドロップアウト' してしまった連中です。そんなプルマーさん、ドン・セベスキーやデイヴ・グルーシンなど多くの作、編曲家らも夢中にさせたようで、ヘンリー・マンシーニがOSTを手がけた1968年のハリウッド映画 'The Party' は、そのテーマ曲でのシタール演奏をビル・プルマーが担当しました。またプルマーが同時期にImpulse !で吹き込んだ一枚 'Bill Plumer and The Cosmic Brotherhood' から、これまた同時代のバート・バカラックによるヒット曲 'The Look of Love' をどーぞ。
このように '時代の音色' としてシタールを取り入れる一方で、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' にアプローチするジャズマンも登場します。ジャマイカ出身で米国で活動したサックス奏者ジョー・ハリオットは、早くからインドの古典音楽にアプローチしていた稀有なひとりであり、そのまま西インド諸島の 'カリブ海' と本家インドを結び付けるかたちで先鋭的な 'クロスオーバー' を提示します。インド人ヴァイオリニストのジョン・メイヤーと '双頭' による 'Joe Harriot - John Mayer Double Quintet' としてAtlanticから立て続けに発表した連作は、まさに彼のキャリアの集大成として今後 '再評価' されるでしょう。ここではまだ駆け出しのケニー・ウィーラーによる初々しいラッパも拝めます。このジョー・ハリオットとジョン・メイヤーの試みは大西洋を渡り、ブリティッシュ・ジャズのジャズマンたちを刺激、1969年にThe Indo-British Ensembleの名義で 'Curried Jazz' というアルバムを制作します。ここでは1965年のハリオット、メイヤーらの 'Indo - Jazz Suite' に続いてラッパのケニー・ウィーラーらも参加しておりますが、この時代、まだ駆け出しの 'セッションマン' であったウィーラーがモダン・ジャズからフリー・ジャズ、ジャズ・ロックに加えてこのような 'インドもの' にまで参加するというのは、その後のECMで打ち立てる様式美を考えると感慨深いものがありまする。
そして、インドの古典音楽が持つ即興演奏の '構造' を自らのビッグバンドに取り入れたドン・エリスなのですが、おお〜!まさかこんな音源がそれも高音質で残っていたとは・・コレ、明日にでもCD化して発売できるクオリティですよね。'Hindustani Jazz Sextet' という名の実験的グループによるライヴ音源のようで、ジョー・ハリオットよりもさらに早い1964年の時点でその後の 'インド化' の端緒を試行錯誤していたことが分かります。しかしシタールとボサノヴァがラウンジに融合するという怪しげな展開・・コレ、もっと音源ないのかな?ここでのタブラやシタールの演奏はHari Har Haoなるインド人?が担っているようですが、ヴァイブのエミル・リチャーズやベースのビル・プルマーなど、エリス同様にインドへかぶれてしまう連中が参加しているのも興味深い。う〜ん、何かこのあたりのジャズ人脈からインド人脈ってのもジャズとヒッピー文化の '秘史' として掘り下げてみたら面白いかも。続く 'Turkish Bath' はドン・エリスの 'インド化' を象徴する一曲で当時、シングル・カットもされたくらいですから多くのヒッピーたちのBGMとして迎え入れられたことでしょう。
一方、このような欧米の 'シタール・ブーム' に対し、やはり 'ビートルズ・ショック' を受けたであろうインドの文化圏からも上でご紹介したコンピレーション 'Sitar Beat !' を始め、ロックやR&Bの要素を取り入れたグルーヴィなヤツが登場します。代表的なのはラヴィ・シャンカールの娘として、今や父と同じくシタール奏者の道を歩むアヌーシュカ・シャンカールがおりますが(世界的なポップ・スターとなったノラ・ジョーンズと異母姉妹)、甥っ子のアナンダ・シャンカールなどと言われても知らない人がほとんどでしょうね。やはり叔父のラヴィ同様シタール奏者の道を歩みながら、時代の空気がそうさせたのか、師匠の反発を無視してロックにアプローチした時期がありました。1969年に大手レーベルRepriseと契約、ザ・ドアーズの 'Light My Fire' やザ・ローリング・ストーンズの 'Jumping Jack Flash' をカバーしたり、1974年の 'Ananda Shankar and his Music' では、エグいモーグ・シンセサイザーを取り入れたグルーヴィなスタイルを披露しました。
イランのシタール奏者などと言われてもいまいちインドとは結び付きませんが、地図を見ればそこはインド、パキスタン、イランという広大な文化圏が一続きなのです、まだ 'イラン革命' 前のパーレビ国王時代のイランは米国の大衆文化を楽しむ余裕があり、このMehrpouyaというシタール奏者もアルバム 'African Jambo' からの一曲 'Soul Raga' でグルーヴィなR&Bの要素を見せ付けます。
ある種の観念的なイメージ、エキゾな '慰みもの' として東洋は常に西洋圏の眼差しの中で査定され、型作られてきました。その中でもシタールという楽器が持つ '抹香くさい' 響きは、それこそ、米国の通販で売られている 'Zen' などと呼ばれていつでも枯山水の庭園を味わえるミニチュア同様、お手軽な 'アジア' を所有できるアイテムだったのだと思います。これをもって文化的簒奪や新たな植民地主義だ、などとカビの生えた批判はもはや時代遅れですけど、一方で、なぜシタールが欧米の価値観を揺るがすほどの魅力を振りまいていたのか、という文化的なパラダイム・シフトの背景に答えることは簡単ではありません。戦後、資本主義社会が最初のデッドエンドを迎えた1960年代後半、世界の反乱の狼煙を上げる中で響くシタールの '香り' は、現在の世界の状況に新たな光を投げかけるでしょう。
→Electric Psychedelic Sitar Headswirlers - 11CD Box Set
→Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.1
→Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.2
'Electric Psychedelic Sitar Headswirlers' という全11枚からなるコンピレーションがありますけど、これこそまさにそんな時代に量産されたシタールをフィーチュアするロック、ジャズ、イージー・リスニングetc...をコンパイルしたもの。もちろん、こんなものは氷山の一角であり、他にも、掘り起こせばいくらでも出てくるほど粗製乱造にシタールが '時代のサウンド' であったことをこのコンピは教えてくれます。また、本家インドのハリウッドならぬ 'ボリウッド' の一大映画産業で用いられるO.S.T.からグルーヴィーなもの中心に編集したコンピレーション、'Sitar Beat !' も有名ですね。ちなみに上の動画の 'The Minx' は1969年のポルノ映画のO.S.T.なのですが、サイケデリックなソフト・ロックの雄、ザ・サークルが参加し、本盤のレーベルは、Impulse !の創業者ボブ・シールが独立して新たに設立したFlying Dutchmanというジャズ・レーベルからの発売という、何とも混迷した時代を象徴する一枚でもあります。
さて、ここからはそんな混迷する時代の中でシタールをフィーチュアした曲、それもグルーヴィーなヤツをご紹介したいと思います。ある意味、ジョージ・ハリソンがマハリシ・マヘギ・ヨギにかぶれてしまった '若気の至り' 的抹香くさいものから、単純にエキゾでモンドな 'のぞき見趣味' 的にアプローチしたものまで、いやあ、熱狂する時代のエネルギーというのは凄いものです。それまでキッチリとアイビー・スーツ着こなして会社に行っていたヤツが突然、髪もヒゲも伸ばし放題となり、革靴からサンダル、ジャラジャラした数珠などを修行僧の格好と共に身にまとい、お香を焚いてはそのままインドへ旅立って行方不明となってしまった 'ドロップアウト' 組を大量に生み出してしまったのだから・・。この、その名もズバリ、Okkoの 'Sitar & Electronics' もドイツから遠くインドの地に思いを馳せてモーグシンセと共に旅立ったひとりです。
ここ近年のサイケデリックに対するリバイバルで見るなら、1990年代以降のアシッド・ジャズ、モンド・ミュージックとの繋がりでドイツのジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットの 'Mathar' が再評価されたことは大きいですね。それまでの瞑想的なインドのラーガ的イメージから一転、シタールをグルーヴィな8ビートに乗せるという価値観は、そのまま余計な '抹香くささ' を払拭すると共に時代が一周したかのような面白さがありました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーがIndian Vibesという '覆面バンド' でカバーし、日本では立花ハジメ(懐かし〜名前)がテイ・トウワをプロデュースに迎えて制作したアルバム 'Bambi' で 'Son of Bambi' としてカバー。こんな再評価で突然蘇ったザ・デイヴ・パイク・セットは、過去MPSでリリースしたアルバムがすべてCDリイシューされました(さすがにグループの復活はなかったけど)。この 'Mathar' のイメージが強い彼らですが、実際は過去作全7枚中、シタールをフィーチュアした曲はわずかに3曲、意外でしたね。それはともかく、このグループはプログレにも通じる格好良さを備えており、わずか4年ほどの活動期間ですべてにクールなジャズ・ロックを展開しております。ちなみにデイヴ・パイクと並ぶ '双頭' リーダーのひとり、ギター、シタール担当のフォルカー・クリーゲルはその 'Mathar' 収録のアルバム 'Noisy Silence - Gentle Noise' のライナーノーツでこう述べております。
"まだ2週間にしかならないけれど、インドの楽器シタールと取り組んでいるところなんだ。ご多分にもれず、この偉大な楽器のすばらしいサウンドに興味を持ったからね。'Mathar' っていうのは、ラヴィ・シャンカールが人前で演奏できるようになるまで、グルの元で14年間学んでいた北インドの村の名前なんだ。でも、それだけじゃない。この言葉には、'Mathar' が 'Mother' (母)と 'Sitar' という言葉も含んでいるように思えるんだ。"
ちなみにこのクリーゲルさん、1970年代をジャズ・ギタリストとして駆け抜けながら1980年代には廃業、その後、不動産業かなにかに転身してしまったという変わり種の人でもあります。そして 'ドイツ繋がり' でクラウス・ドルディンガーのずばり 'シタール・ファンク' の1968年作キラーチューン 'Sitar Beat' が続きます!。
こちらは何とも謎のグループ、ザ・ソウル・ソサエティの 'The Sidewinder'。そう、一聴してお分かりのようにリー・モーガンのヒット曲ですね。1960年代後半に 'Saticfaction from The Soul Society' というアルバムをDotというレーベルからリリースしたグループのようで、その他、当時のヒット曲であるサム&デイヴ 'Soul Man' やザ・ローリング・ストーンズ 'Saticfaction'、ミリアム・マケバの 'Pata Pata' などをファンキーにカバーする '企画もの' 的一枚のようです。本曲のラテン・アレンジによるイントロで鳴る濃厚なシタールの '響き'、ええ、たったこれだけのアレンジなんですけど良いですね。そして日野皓正さん作の 'Dhoop' も日本のロックバンド、フラワー・トラヴェリン・バンドとのコラボ作で、いかにもこの時代ならではの '抹香くさい' アレンジとなりました。
'花のサンフランシスコ2連発'。さて、このようなシタールに魅了された者たちとしては、当時、ギターにおける早弾きのスキルと相まってアプローチする奏者がロック、ジャズの界隈から現れます。ザ・ビートルズのジョージ・ハリソン、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミー・ペイジの師匠筋にあたるビッグ・ジム・サリヴァン、ジャズにおいては、パット・マルティーノやガボール・ザボ、後にヒンズー教徒に帰依までした 'マハヴィシュヌ' ことジョン・マクラフリンが代表的ですね。また、米国人ながらラヴィ・シャンカールに師事してシタールを習得、そのままジャズの世界で '伝道師的に' アラン・ローバー・オーケストラを始め、数々のセッションを経ながら無国籍グループ、オレゴンを結成、そしてマイルス・デイビスの 'On The Corner' にも参加したコリン・ウォルコットもおりました。その他、パット・マルティーノとの共演を経てマイルス・デイビスのセッションに参加、後にそのメンバーとなるカリル・バラクリシュナ、ウェストコースト一帯でセッション・ミュージシャンをしていたビル・プルマーなどもそれまでフツーの米国人ながらインドに '感染' し、以降は完全に 'ドロップアウト' してしまった連中です。そんなプルマーさん、ドン・セベスキーやデイヴ・グルーシンなど多くの作、編曲家らも夢中にさせたようで、ヘンリー・マンシーニがOSTを手がけた1968年のハリウッド映画 'The Party' は、そのテーマ曲でのシタール演奏をビル・プルマーが担当しました。またプルマーが同時期にImpulse !で吹き込んだ一枚 'Bill Plumer and The Cosmic Brotherhood' から、これまた同時代のバート・バカラックによるヒット曲 'The Look of Love' をどーぞ。
このように '時代の音色' としてシタールを取り入れる一方で、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' にアプローチするジャズマンも登場します。ジャマイカ出身で米国で活動したサックス奏者ジョー・ハリオットは、早くからインドの古典音楽にアプローチしていた稀有なひとりであり、そのまま西インド諸島の 'カリブ海' と本家インドを結び付けるかたちで先鋭的な 'クロスオーバー' を提示します。インド人ヴァイオリニストのジョン・メイヤーと '双頭' による 'Joe Harriot - John Mayer Double Quintet' としてAtlanticから立て続けに発表した連作は、まさに彼のキャリアの集大成として今後 '再評価' されるでしょう。ここではまだ駆け出しのケニー・ウィーラーによる初々しいラッパも拝めます。このジョー・ハリオットとジョン・メイヤーの試みは大西洋を渡り、ブリティッシュ・ジャズのジャズマンたちを刺激、1969年にThe Indo-British Ensembleの名義で 'Curried Jazz' というアルバムを制作します。ここでは1965年のハリオット、メイヤーらの 'Indo - Jazz Suite' に続いてラッパのケニー・ウィーラーらも参加しておりますが、この時代、まだ駆け出しの 'セッションマン' であったウィーラーがモダン・ジャズからフリー・ジャズ、ジャズ・ロックに加えてこのような 'インドもの' にまで参加するというのは、その後のECMで打ち立てる様式美を考えると感慨深いものがありまする。
そして、インドの古典音楽が持つ即興演奏の '構造' を自らのビッグバンドに取り入れたドン・エリスなのですが、おお〜!まさかこんな音源がそれも高音質で残っていたとは・・コレ、明日にでもCD化して発売できるクオリティですよね。'Hindustani Jazz Sextet' という名の実験的グループによるライヴ音源のようで、ジョー・ハリオットよりもさらに早い1964年の時点でその後の 'インド化' の端緒を試行錯誤していたことが分かります。しかしシタールとボサノヴァがラウンジに融合するという怪しげな展開・・コレ、もっと音源ないのかな?ここでのタブラやシタールの演奏はHari Har Haoなるインド人?が担っているようですが、ヴァイブのエミル・リチャーズやベースのビル・プルマーなど、エリス同様にインドへかぶれてしまう連中が参加しているのも興味深い。う〜ん、何かこのあたりのジャズ人脈からインド人脈ってのもジャズとヒッピー文化の '秘史' として掘り下げてみたら面白いかも。続く 'Turkish Bath' はドン・エリスの 'インド化' を象徴する一曲で当時、シングル・カットもされたくらいですから多くのヒッピーたちのBGMとして迎え入れられたことでしょう。
一方、このような欧米の 'シタール・ブーム' に対し、やはり 'ビートルズ・ショック' を受けたであろうインドの文化圏からも上でご紹介したコンピレーション 'Sitar Beat !' を始め、ロックやR&Bの要素を取り入れたグルーヴィなヤツが登場します。代表的なのはラヴィ・シャンカールの娘として、今や父と同じくシタール奏者の道を歩むアヌーシュカ・シャンカールがおりますが(世界的なポップ・スターとなったノラ・ジョーンズと異母姉妹)、甥っ子のアナンダ・シャンカールなどと言われても知らない人がほとんどでしょうね。やはり叔父のラヴィ同様シタール奏者の道を歩みながら、時代の空気がそうさせたのか、師匠の反発を無視してロックにアプローチした時期がありました。1969年に大手レーベルRepriseと契約、ザ・ドアーズの 'Light My Fire' やザ・ローリング・ストーンズの 'Jumping Jack Flash' をカバーしたり、1974年の 'Ananda Shankar and his Music' では、エグいモーグ・シンセサイザーを取り入れたグルーヴィなスタイルを披露しました。
イランのシタール奏者などと言われてもいまいちインドとは結び付きませんが、地図を見ればそこはインド、パキスタン、イランという広大な文化圏が一続きなのです、まだ 'イラン革命' 前のパーレビ国王時代のイランは米国の大衆文化を楽しむ余裕があり、このMehrpouyaというシタール奏者もアルバム 'African Jambo' からの一曲 'Soul Raga' でグルーヴィなR&Bの要素を見せ付けます。
ある種の観念的なイメージ、エキゾな '慰みもの' として東洋は常に西洋圏の眼差しの中で査定され、型作られてきました。その中でもシタールという楽器が持つ '抹香くさい' 響きは、それこそ、米国の通販で売られている 'Zen' などと呼ばれていつでも枯山水の庭園を味わえるミニチュア同様、お手軽な 'アジア' を所有できるアイテムだったのだと思います。これをもって文化的簒奪や新たな植民地主義だ、などとカビの生えた批判はもはや時代遅れですけど、一方で、なぜシタールが欧米の価値観を揺るがすほどの魅力を振りまいていたのか、という文化的なパラダイム・シフトの背景に答えることは簡単ではありません。戦後、資本主義社会が最初のデッドエンドを迎えた1960年代後半、世界の反乱の狼煙を上げる中で響くシタールの '香り' は、現在の世界の状況に新たな光を投げかけるでしょう。
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