2021年1月3日日曜日

Buchlaとの対話

そう言えば去年の年初はBuchlaと戯れていたんだった。ええ、今年もそんなBuchlaとラッパで心身共に溜まった垢をキレイさっぱり落としております。とにかくこのBuchlaの音色って丸くてポコポコしていて優しいのだ。もちろん、鼓膜を突き刺すようなノイズも生成出来るのだけど、やはりそういう音作りとは真逆な音色をジックリ、コトコト好き勝手に弄っておりますヨ。とりあえず目の前の音と戯れておしまい・・また明日はまっさらな状態からパッチングしてスライダーやツマミを触っていくだけの日常。そんな当たり前の日々がことさら有難かったのが未曾有の2020年の風景でした。まるで全てが外界と遮断して '個の世界' と向き合うような一年だったけど、その '個の意識変革' を探求、実践していた近藤等則さんは逝ってしまわれましたね・・寂しいなあ。









Buchla Music Easel
Buchla Music Easel Review
Music Easel by Morley Robertson

手始めに 'エンジン始動' させるようにして繋いで行きます。Music Easelの外部入力からラッパを突っ込んで内蔵オシレータの代わりにVCA/VCFの合体した2chのDual Lo Pass Gate(DLPG)にアクセス。ちょうどジョン・ハッセルがEventide H910 HarmonizerやSergeのモジュラーシンセにラッパ突っ込んで変調させたようなアプローチなどは良い例ですが、さらにベン・ニールは創作楽器 'Mutantrumpet' とモジュラーシンセをMIDIやMax/MSPによる統合したシステムで構築します。そのニールがいよいよ 'Mutantrumpet V4' にヴァージョンアップして、これまでのBarcus-berryからPiezoBarrelの 'P9' マウスピース・ピックアップに変えました!。指にはSource AudioのHothand 3ビーム・コントローラーも嵌めているということで、もう、ベン・ニールにとっては全てのアクションから演奏と動画をコントロールしたいんですね(笑)。






ただ、本音を言えばせっかくのMIDI搭載によるアナログシンセなので、あのNyle Steinerが製作する 'Steinerphone' とそのプロダクト品であるAkai Professional EVIの 'ウィンドシンセ' 型コントローラーで操作したいんですけどね。去年、その遺伝子がスウェーデンのBerglund Instrumentsの手によりNuEVIとして甦りました!。ついつい、この 'ウィンドシンセ' の扱い方って吹奏楽でコントロールするシンセサイズという古典的な考え方が多いですけど、一方では従来のキーボードとは違うトリガーとしての 'ジェネレート・ミュージック' の可能性を開くものでもあります。






iPad片手に完全なるMID/USBでコントロール、もしくはCVによりアナログのモジュラーシンセを操作する 'ウィンドシンセ' で行くか、グーズネック式マイクや旧態依然の 'マウスピース・ピックアップ' 搭載して、あらゆる機能のアナログ・ペダル類をズラッと足下に並べた '擬似シンセサイズ' で満足するか・・これはいつの時代においても悩ましい '命題' なのです(汗)。さて、そんなMoog、Arp、EMSと並ぶシンセサイザー黎明期の 'レジェンド' ともいうべきBuchlaミュージック・シンセサイザー。その中でもこのMusic EaselはBuchlaというブランドのイメージとして時代を超えた評価を得ております。以下、'サウンド&レコーディングマガジン' 2015年4月号でエンジニア、渡部高士氏(W)とマニピュレーター、牛尾憲輔氏(U)によるBuchla Music Easelのレビュー対談をどーぞ。

- まずお2人には、Buchlaシンセのイメージからおうかがいしたいのですが。

W - 珍しい、高い、古い(笑)。僕は楽器屋で一回しか見たことがないんだよ。当時はパッチ・シンセを集め始めたころで、興味はあったんだけど、高過ぎて買えなかった。まあ、今も買えないんだけど(笑)。

U - BuchlaとSergeに関しては、普通のシンセとは話が違いますよね。

- あこがれのブランドという感じですか?

U - そうですね。昨今はモジュラー・シンセがはやっていますが、EurorackからSynthesizer.comなどさまざまな規格がある中で、Buchlaは一貫して最高級です。

W - ほぼオーダーメイドだし、価格を下げなくても売れるんだろうね。今、これと同じ構成のシンセを作ろうとしたらもっと安く組めるとは思うけど、本機と似た構成のCwejman S1 Mk.2も結構いい値段するよね?

- 実際に操作してみて、いかがでしたか?

W - Sergeより簡単だよ。

U - 確かに、Sergeみたいにプリミティブなモジュールを使って "これをオシレータにしろ" ということはないです。でも、Music Easelは普通のアナログ・シンセとは考え方が違うので、動作に慣れるのが大変でした。まず、どのモジュールがどう結線されているのかが分からない・・。

W - そうだね。VCAが普通でないつながり方をしている。

U - 音源としては2基のオシレータを備えていて、通常のオシレータComplex OSCの信号がまずVCA/VCFが合体した2chのモジュールDual Lo Pass Gate(DLPG)に入るんですよね。その後段に2つ目のDLPGがあって、その入力を1つ目のDLPG、変調用のModulation OSC、外部オーディオ入力から選べるようになっている。

W - だから、そこでComplex OSCを選んでも、1つ目のDLPGが閉じていると、そもそも音が出ない・・でも、パッチ・コードで結線しなくてもできることを増やすためにこうした構成になっているわけで、いったん仕組みを理解してしまえば、理にかなっていると思ったな。Envelope Generator(EG)のスライダーの数値が普通と逆で、上に行くほど小さくなっていたのには、さすがにびっくりしたけど。

U - でも、こっちの方が正しかった。

- その "正しい" という理由は?

W - Music EaselのEGはループできるから、オシレータのように使えるわけです。その際、僕らが慣れ親しんだエンヴェロープの操作だと、スライダーが下にあるときは、例えばアタックならタイムが速く、上に行くほど遅くなる。これをオシレータとして考えるとスライダーが上に行くほどピッチが遅くなってしまうよね?だからひっくり返した方がいいと言うか、そもそもそういうふうに使うものだった。時代が進むにつれてシンセに独立したオシレータが搭載されるようになり、エンヴェロープを発振させる考え方が無くなったわけ。

- 初期のシンセサイザーはエンヴェロープを発振させてオシレータにしていたのですか?

W - そう。Sergeはもっとプリミティブだけどね。最近のシンセでも、Nord Nord Lead 3などはARエンヴェロープがループできますよ。シンセによってエンヴェロープ・セクションに 'Loop' という機能が付いているのは、そうした昔の名残なんでしょうね。Music Easelはエンヴェロープで波形も変えられるし、とても面白い。

- オシレータの音自体はいかがでしたか?

W - とても音楽的な柔らかい音がして、良いと思いましたよ。

U - レンジはHigh/Lowで切り替えなければならないのですが、音が連続して変化してくのがいいですね。あとEMSのシンセのように "鍵盤弾かせません!" というオシレータではなくて、鍵盤楽器として作られているという印象でした。

W - EMSは '音を合成する機械' という感じ。その点Music Easelは '楽器' だよね。

U - 本機ではいきなりベース・ライン的な演奏ができましたが、同じようなことをEMSでやるのはすごく大変ですから。

W - 僕が使ったことのあるEMSは、メインテナンスのせいだと思うけど、スケールがズレていたり、そもそも音楽的な音は出なかったけどね。この復刻版は新品だからチューニングが合わせやすいし、音自体もすごく安定している。

U - 確かに、'Frequency' のスライダーには '440' を中心にAのオクターヴが記されていて、チューニングがやりやすいんですよ。

W - そもそも鍵盤にトランスポーズやアルペジエイターが付いていたりと、演奏することを念頭に作られている。

- オシレータのレンジ感は?

W - 音が安定しているからベースも作れると思うよ。だけど、レゾナンスが無かったり、フィルターにCVインが無かったり、プロダクションでシンセ・ベース的な音色が欲しいときにまず手が伸びるタイプではないかな。

- リード的な音色ではいかがですか?

W - いいんじゃないかな。特にFM変調をかけたときはすごくいい音だったよ。かかり方が柔らかいと言うか、音の暴れ方がいい案配だった。普通、フィルターを通さずにFMをかけると硬い音になるんだけど、Music Easelは柔らかい。

U - 僕はパーカッションを作るといいかなと思いました。

W - 'ポコポコ' した音は良かったよね。EGにホールドが付いているから、確かにパーカッションには向いている。でも、意外と何にでも使えるよ。

- 本機はオーディオは内部結線されていて、パッチングできるのはCVのみとなりますが、音作りの自由度と言う観点ではいかがですか?

U - 信号の流れを理解すれば過不足無く使えますが、例えばオシレータをクロスさせることはできないし、万能なわけではないですね。

W - でも、他社の小型セミモジュラー・シンセより全然自由度は高いよ。'パッチ・シンセ' である意味がちゃんとある。

U - 確かに、変なことができそうですね。

W - Pulser/Sequencerのモジュールも入っているし、いろいろと遊べそうだよね。パッチングの色の分け方も分かりやすい。あとバナナ・ケーブルって便利だね!パッチング中に "あれどこだっけ?" と触診するような感じで、実際にプラグを挿さなくても音が確認できるのはすごく便利。ケーブルの上からスタックもできるし。

U - 渡部さんのスタジオにはRoland System 100Mがありますが、Music EaselでできることはSystem 100Mでも実現可能ですか?

W - できると思う。System 100Mにスプリング・リヴァーブはついてないけどね。

- 復刻版の新機能としては、MIDI入力が追加されて、ほかのシーケンサーでMusic Easelをコントロールできるようになりました。

U - 僕が個人的に面白いと思ったのは、オプションのIProgram Cardをインストールすると、Apple iPadなどからWi-Fi経由でMusic Easelのプリセットを管理できるところ。ステージなどで使うには面白いと思います。

W - それはすごくいいアイデアだね。

- テスト中、お2人からは "これは入門機だね" という発言が聞こえましたが。

W - 独特のパラメータ名やしくみを理解してしまえば、決して難しいシンセではないという意味だよ。よく "モジュラー/セミモジュラー・シンセは難しそう" という人がいるけど、ケーブルのつなぎ方さえ分かってしまえば、完全に内部結線されているシンセより、自分が出したい音を作るのは簡単だからね。

U - 1つ目のDLPGにさえ気付けば、取りあえず音は出せますしね。

W - Music Easelで難しいのはオシレータとDLPGの関係とエンヴェロープだね。でも逆に言えば、特殊なのはそこだけとも言える。エンヴェロープが逆になっているのを発見したときは感動したな。シンセの歴史を見た気がしますよ。

U - 音作りの範囲はモノシンセに比べたら広いし、その領域がすごく独特です。

W - このシンセの対抗機種はArp OdysseyやOSC Oscarなどのモノシンセだよ。シーケンサーでSEっぽい表現もできるし、8ビット的な音も出せる。もう1つMIDIコンバータを用意すれば、2オシレータをパラで鳴らしてデュオフォニックになるし。

- ちなみにモジュラー・シンセというと、ノイズやSEというイメージが強かったりしますよね。

U - 確かに、モジュラー系の人はヒステリックな音色に触れがちですよね。

W - 僕はポップスの仕事でもガンガン使っていますよ。モジュラー・シンセはグシャグシャした音を作るものだと思っている人も多いようですが、アナログ・シンセの自由度が広いだけ。まあでも、オシレータに変調をかけていくと、ヒステリックな音にはなりがちだよね。

U - 変調を重ねていく方向にしか目が行かないということもあると思います。

W - でもモジュラー・シンセで本当に面白いのはオーディオの変調ではなくて、CVやトリガーをどうコントロールするかなんだよ。その意味でMusic Easelはちゃんとしている。

- 本機をどんな人に薦めますか?

W - お金に糸目を付けず、ちょっと複雑なモノシンセが欲しい人(笑)。

U - 小さくてデスクの上に置けるのはいいと思います。例えばラップトップだけで作っている人が追加で導入するシンセとしてはどうですか?

W - いろいろなパートを作れていいんじゃないかな。これ一台あれば演奏できるわけだから、その意味で楽器っぽいところが僕はいいと思ったな。鍵盤付きだし、音も安定している。

U - 確かにこれ一台で事足りる・・Music Easelが1stシンセで、"俺はこれで音作りを覚えた!" という人が出てきたら最高ですね(笑)。

W - で、ほかのシンセ触って "エンヴェロープが逆だよ!" って怒るという(笑)。







Bugbrand PT Delay Standard ②

お、Music Easelにはフォンによるメイン出力のほか、ミニプラグによる出力があるので2つ同時に出力するぞ!、などと懲りない 'ガジェット好き' の悪い虫が騒ぎ出します(汗)。このミニプラグの出力のそばには同じくミニプラグの 'Aux In' があるのでそのまま入力、過激なフィードバックによる音作りをすることも可能。そして、たまたま中古で英国のガレージ工房Bugbrandの 'ローファイ' なデジタル・ディレイを発見したので繋いでみます。'アナログ・モデリング' のディレイではお馴染みPT2399のICを用いたこのPT Delay、動画のものは通常のフォン端子になっておりますがわたしの所有品はCV入力がバナナプラグになっている!。つまりMusic EaselからのCVでコントロールして、ディレイタイムを最大2秒ほど伸ばしながらグリッチな効果も生成出来るのですヨ。また、本機のディレイ音のみを 'Delay Out→Feedback' の 'センド・リターン' にして外部ペダルを繋げばさらに攻撃的ディレイへと変貌、最高です。まさにバナナプラグが基本仕様のBuchlaユーザーなら手を出さない理由はないでしょ!。ちなみにMusic Easelはモノシンセなのですが、MIDI同期による2オシレータのデュオフォニック、または本機内蔵の 'フェイズアウト' を利用した音作りを活かす為なのか、サイド(フォン)とパネル上面(ミニプラグ)にそれぞれ 'L-R' による出力が備えられております。2016年以降の仕様ではサイドの 'R出力' が 'Sustain' と共用することで外部サスティン・ペダルを繋ぐことが可能となりましたが、通常の 'L-R' 出力と選択すべく内部のジャンパーピンを差し替えて対応しております。






Buchla iProgram Card

さて、この時代のアナログシンセは基本的に音色のプログラムは出来ないのが一般的でしたが、本機には2枚のブランク基板が用意されて最良なセッティング時に抵抗などをユーザーが基板にハンダ付け、そのままプログラム・カードとして保存することが可能。現在の復刻版ではそれに加えてPCやiPadなどとWifiを経由して管理、エディットなどを行えるiProgram Cardを用意しております。そしてこちらはBuchlaと直接の関係はありませんけど、スティーヴ・ライヒ以前のミニマルなテクノ・シーケンスのルーツ的存在として、なんと1958年!の時点で 'Birth of Techno' してしまったTom DisseveltとKid Baltanことオランダの電子音響作家、Dick Raajimakersによる奇跡の一枚で刺激を受けて下さいませ。












このスペーシーに深遠なる宇宙の果てへ飛ばされるような音作りはどこかモートン・サボトニックを思わせるけど、その底なしな 'ブラックホール' を抜け出したら、いきなり陽射し溢れる木漏れ日の中で寝そべっているような多幸感に包まれます。そして落ちてくる一滴の雫が奇妙なリズムを奏でると共に降り注ぐエレクトロニカの森林浴。何だか長〜い文章などを書いている内に目の奥がチカチカして首がカチコチしてきた・・ヤバい。そろそろPCの画面を離れてひとっ風呂浴びながら血行を良くして来た方が良さそうです。ちなみにオリジナルのMusic Easelは1973年にわずか25台のみ製作された超レアもので、その他、Buchlaの製作するミュージック・シンセサイザーはMoogやArp、EMSに比べて一部電子音響作家、大学などの教育機関を除いてはほぼ市場で流通することのないものでした。










Forgotten Heros: Pete Cosey
EMS on Reverb.com

ちなみにこちらはポータブル・シンセサイザーとして現代音楽からジャズ、プログレッシヴ・ロックの分野で大成功した英国のEMS。1971年に登場したSynthiは多くのユーザーを獲得しましたが、その中でもユニークなのがマイルス・デイビス・グループの一員であった巨漢の奇才ギタリスト、ピート・コージー。まだまだモノフォニックのアナログ・シンセ黎明期、1975年の来日公演時に記憶媒体のない本機をSonyのカセット・レコーダー 'Densuke' と共に用いることで、実に前衛的な 'ライヴ・エレクトロニクス' の効果を生み出しておりました。オリジナルのEMS製品はeBayやReverb.comなどでどれも '天井知らず' なほど高騰しておりとても手の出るものではありませんが(汗)、そんなコージーとEMS Synthi Aについて当時の 'スイングジャーナル' 誌でもこう取り上げられております。

"果たせるかな、マイルスの日本公演に関しては「さすがにスゴい!」から「ウム、どうもあの電化サウンドはわからん」まで賛否両論、巷のファンのうるさいこと。いや、今回のマイルス公演に関しては、評論家の間でも意見はどうやら真っ二つに割れた感じ。ところで今回、マイルス・デイビス七重奏団が日本公演で駆使したアンプ、スピーカー、各楽器の総重量はなんと12トン(前回公演時はわずかに4トン!)。主催者側の読売新聞社が楽器類の運搬に一番苦労したというのも頷ける話だ。その巨大な音響装置から今回送り出されたエレクトリック・サウンドの中でファン、関係者をギョッとさせたのが、ギターのピート・コージーが秘密兵器として持参した 'Synthi' と呼ばれるポータブル・シンセサイザーの威力。ピートはロンドン製だと語っていたが、アタッシュケースほどのこの 'Synthi' は、オルガン的サウンドからフルートやサックスなど各種楽器に近い音を出すほか、ステージ両サイドの花道に設置された計8個の巨大なスピーカーから出る音を、左右チャンネルの使い分けで位相を移動させることができ、聴き手を右往左往させたのも実はこの 'Synthi' の威力だったわけ。ちなみにピートは、ワウワウ3台、変調器(注・フェイザーのMXR Phase 90のこと)、ファズトーン(注・Maestro Fuzz Toneのこと)などを隠し持ってギターと共にそれらを駆使していたわけである。"





そして、このシンセサイザーについては世界で誰よりも知り尽くしている男、ブライアン・イーノのお言葉を拝聴しなければなりません。'アンビエント' を提唱し、常に音響設計とその作用、インターフェイスについてポップ・ミュージックの分野で研究してきた者の着眼点は音楽を聴く上での良い刺激をもたらしてくれます。しかし日本製品のインターフェイスをこき下ろしてEMSの簡便なアプローチを賞賛しながら、一方では超難度なFM音源を持つ日本の名機、Yamaha DX-7のオペレートにも精通しているのがイーノらしい(笑)。ちなみにEMS SynthiもBuchla Music Easel同様に外部入力を持っており、内蔵オシレータの代わりにリズムボックスやギターなどあらゆる楽器を突っ込んで 'エフェクター' として音色加工出来る楽しさがありまする。

- 今でもEMSを使っていますか?

E - 使っている。これにしかできないことがあるんでね。よくやるのは曲の中でダダダダダといったパルスを発生させたいとき、マイクを使って楽器の音をこのリング・モジュレーターに入れるんだ。それから・・(ジョイスティックを操作しながら)こうやって話すこともできるんだよ。

- プロデュースやセッションをする際にはいつもEMSを持ち込んでいるのでしょうか?

E - (「YES」とシンセで答えている)

- 最後までそれだと困るのですが・・。

E - (まだやっている)・・(笑)。でも本当に重宝な機械だよ。フィルターもリング・モジュレーターも素晴らしく、他の楽器を入れるのに役立つ。

- 大抵エフェクターとして使うのですか?

E - これはノイズを発生させるための機械、あるいは新しい音楽のための楽器なんだ。これをキーボードのように弾こうと思わない方がいい。でも、これまではできなかったものすごくエキサイティングで新しいことがたくさんできる。

- どこが他のシンセサイザーと違うのでしょう?

E - ほかのシンセサイザーでは失われてしまった設計原理が生きているからだ。原理は3つある。第1の原理は、これがノンリニアであるということ。現代のシンセサイザーは、すべて既に内蔵されたロジックがあって、大抵はオシレータ→フィルター→エンヴェロープといった順序になっている。だが、EMSだとオシレータからフィルターへ行って、フィルターがLFOをコントロールし、LFOがエンヴェロープをコントロールし、エンヴェロープがオシレータをコントロールするといったことができるんだ。とても複雑なループを作ることができるので、複雑な音を出すことができるんだよ。現実の世界というのもまさにそうやって音が生み出されている。決まった順序によってのみ物事が起こるわけではなく、とても複雑なフィードバックや相互作用があるんだ。

第2の原理はやっていることが目に見えるということ。シンセサイザーのデザインを台無しにしてしまったのは日本人だ。素晴らしいシンセサイザーは作ったが、インターフェイスの面ではまるで悪夢だよ。ボタンを押しながら15回もスクロールしてやっと求めるパラメータに行きつくなんてね。それに比べるとEMSは使いやすい。パフォーマンスをしている最中にもいろんなことができるから、即座に違った感じの音楽が出来上がるんだ。ボディ・ランゲージが音楽に影響を及ぼすんだよ。ボディ・ランゲージがあまりないと、窮屈で細かくて正確で退屈な音楽しか生まれないし、豊かだとクレイジーな音楽が生まれるんだ。

第3の原理は、これにはスピーカーを含めてすべてが組み込まれているので他のものを接続する必要がないということ。私がいかに早くこれをセットアップしたか見ただろう?もしもこれが現代のシンセサイザーだったら、まずケーブルを探して、オーディオセットの裏側に回って配線しないといけない。あれこれグチャグチャやってるうちに、恐らく私は出て行ってしまうだろうね。私はもう歳だから気が短いんだよ。







ジョン・ハッセルがブライアン・イーノとやった 'アンビエント' の仮想空間による '秘境' の演出は、そのまま遠いエキゾチカの時代からサイケデリックの体験を経て、現在の 'コロナ・ウィルス' による切断された世界の事象へとダイレクトに繋がるものと言って良いでしょう。まさに自宅に籠り世界との '距離' をやり過ごそうとする層にとってインターネットは、そんなヴァーチャルな結び付きに耽溺する為の支配的存在として君臨します。わたしはその 'VR' の端緒となった昭和の 'ラウンジ感覚' というべきクールな雰囲気が大好き。それは日活の無国籍映画などを見ていても現れる眺めの良いホテル、百貨店、空港などのカフェやバー。そうそう、昔は飛行機に乗るのにもキチッとスーツにネクタイを締め、航空会社のネームの入った飛行機バッグをぶら下げておりました。そんな搭乗前のリラックスできるカフェの一角にジュークボックス、そして、ゴージャスな夜の社交場では小編成のジャズ・コンボによる生演奏がこのラウンジのムードを高めるよう、または会話の妨げにならないような演奏で空間を '演出' します。実際、こういった場所をリアルタイムでは知らない世代ですが、しかし、今やジャズだろうが 'AKB' だろうが、何でもお店のBGMとして有線から一方的に音楽を '聴かされる' 時代に比べたら、昔のお店はもっとずっと '大人' であったと思うのです。








そんなエレガンスな時代から60年近い時間が過ぎた現在、人々の一日はぐっと短くなり、昼夜を逆転したように眠らない不夜城としての都市を忙しくします。常に何かと接続されて、世界のあらゆる情報とのコミュニケーションを可能とする一方、人間は環境と共に変容しているのでしょうか?、それとも変わりゆく環境の中で、人間は虚構の世界を '騙されたように' 生きているのでしょうか?。冷戦という恐怖の中、史上まれに見る享楽的なエンターテインメイントを生み出した1950年代の米国は、まさに 'ジェットの時代' とばかりにカリブ海やハワイ、アジアを都市の消費社会に対するリゾート地としてその距離を縮めました。そのエキゾティックな眼差しは、実際の都市からの逃避行に対し、さらに都市の中に人工的な楽園を '演出' することへと転倒します。都市の高層アパートメント、もしくは郊外の庭付き一戸建てに住む独身者の嗜み。それは、よく効いた空調設備の整う部屋の中にヤシの木の鉢植えを置き、竹で編んだ簾をかけ、リクライニングチェアに寝転がりながら、その傍らには冷たい飲み物をいつでも手に出来るミニバーが備えられている。仏像やエキゾな土産物、お香を焚いても良いでしょう。ミッド・センチュリー・モダンな木目調オーディオセットからは、当時流行のマンボやラテン・ジャズ、そしてエキゾティカと呼ばれる架空の '秘境' をイメージした環境音楽が流れ、不快指数0%の人工的な楽園を一室に所有するのです。1940年代後半からのマンボ・ブームとラテン・ジャズ、マーティン・デニーやレス・バクスターらエキゾティカのブームは偶然ではありません。ちなみにここで小洒落たエキゾのジャズ・アレンジで演奏された三洋電機のイメージソング '小さいお嫁さん' を作曲したのは、まだ 'シンセサイズ前夜' とも言うべき巨匠、富田勲氏でございます。そしてここに当時、新たなテクノロジーとして現れたステレオ・オーディオによる 'パノラマ' 的音響効果でエキゾを強調したエスキヴィル楽団も加えたいですね。さらにこの楽園の '秘境' は鬱蒼としたジャングルや未開の部落を離れ、月夜と共に未だ想像の地である宇宙へと拡張します。ソビエトの 'スプートニク・ショック' がもたらした1957年、人々は月に建設される(だろう)ヒルトン・ホテルのラウンジで、地球を眺めながらカクテルのグラスを傾けることを夢想しました。それは1961年のボストーク1号とガガーリンによる有人飛行を経て、ケネディ大統領の "米国は今後10年以内に月へ有人飛行を達成させる" の発言により、さらに宇宙への距離が現実味を帯びたものとなります。この世代を象徴するアルバムの大半で頻繁に目にするのが 'Out of This World' という言葉からも分かり、以後、まさに 'サイケデリック前夜' とも言うべき 'スペースエイジ' の世代へ繋がる為の道筋がこの 'ミッドセンチュリーモダン' の時代に敷かれていたことは無縁ではないのです。また、このような傾向の中で重宝されたのが現代音楽の作曲家たちで、例えば黛敏郎が巨匠、溝口健二監督の映画 '赤線地帯' のテーマ曲として作曲した電子音楽も難解ながらどこか非日常でユーモラスな表情を垣間見せます。当時、映画と楽曲の乖離した '先鋭性' に賛否が分かれましたが黛氏曰く、この映画の画面をあざ笑うかのような楽曲をぶつけてみたかったとのこと。










さらに遠くブラジルの地では、オスカー・ニーマイヤー設計による新首都ブラジリアと共にボサノヴァが産声を上げ、気だるい '呟き' と共に都市民のライフ・スタイルへ新たな提案を投げかけます。大ヒットした「イパネマの娘」は、百貨店の購買意欲を煽ると同時に '無言の沈黙' を和らげる 'エレベータ・ミュージック' として機能し、ワルター・ワンダレイのオルガンがそのイメージを増幅しました。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンに先駆けて米国で活動していたジョアン・ドナートがカル・ジェイダーと共演した 'Aquarius' も、まさに1960年代を代表する極上の 'エレベータ・ミュージック' と言って良いでしょう。ちなみに 'モンド・ミュージック' の著者のひとりである小柳帝氏は、その 'エレベータ・ミュージック' と 'エキゾティカ' の定義を分けて考えており、前者が、百貨店などで消費者の購買意欲を促進させ、気分を煽るような機能を有する 'ミューザック' であるのに対し、後者は、一見何の関係もない場所に強引に '秘境' のイメージを設定するもの、聴き手と場が離反することでヴァーチャルな関係性を結ぶことにあるとしています。そして、いつ核が降り注ぐか分からない冷戦の恐怖の中で、大量消費社会に邁進する米国が提供した '楽園' は新たな購買層とマーケットを生み出し、都市民が嗜むべき '大衆文化' という虚構を形成しました。しかし、そんな時代から60年近い時間が過ぎ去った現在、これら '楽園' がもたらす風景は、まるで時間が止まったかの如き '機能美' を現代に投射します。一日の短くなった現代人にとってその夜は長く、また人々は、過去の忘れていた時間から '余裕' の嗜み方を知るのではないでしょうか。まさに世界のあちこちで多くの '秘境' が演出され、加山雄三もボサノヴァをやったし、ブラジルの片隅ではラジオから流れるザ・ビートルズを聴いて 'エレキ' の誘惑に身を焦がす若者が現れます。そしてよりお手軽な '一粒のアシッド' と共に物理的な距離を超越した '意識の拡張' でもってインナートリップに旅立つ者たち・・。













Buchla on L.S.D.

50年以上の時間を経て '小さな付着物' からもたらされた幻覚・・怖い。わたしのMusic Easelのパネル面に '怪しい物質' は塗られておりませんが(笑)、あの 'サマー・オブ・ラヴ' の季節にケン・キージー&メリー・プランクスターズ主宰の '意識変革' の場として機能した 'アシッドテスト' でSEを担当したドン・ブックラ。最先端のNASAから極彩色に塗れたサイケデリアの世界へ 'ドロップアウト' した彼の姿を、ノンフィクション作家トム・ウルフの著作「クール・クールLSD交換テスト」ではこう述べられております。

"突如として数百のスピーカーが空間を音楽で満たしていく・・ソプラノのトルネードのようなサウンドだ・・すべてがエレクトロニックで、Buchlaのエレクトロニック・マシンもロジカルな狂人のように叫び声をあげる・・(中略)エレクトロニック・マシンのクランクを回すと、なんとも計算できない音響が結合回路を巡回して、位相数学的に計測された音響のように弾き出された"










このような 'シンセサイズ' がもたらすある種の '幻覚体験' を追体験する装置として、ケン・キージーが 'Can You Pass The Acid Test ?' を合言葉に主宰する一大イベント 'アシッド・テスト' で墨流しなどの舞台照明と共に普及したストロボライト。まさに音響と照明が錯綜する '意識変革' の場であり、その中でもパッパッと焚かれるストロボライトの幻惑はグニャグニャした墨流しの変調(今ならラバライトのイメージでしょうか)と対照的なサイケデリアの世界を増幅させます。以下、トム・ウルフの著作「クール・クールLSD交換テスト」ではそんなストロボとLSD体験についてこう述べられております。

"ストロボともストロボ・スコープともいうが、それはもともと、人間の走っているときの脚の動きなどを観察、研究する器具だった。たとえば、暗くされた部屋で、点滅する明るいライトを走っている人の脚に当てる。ライトは、たぶん正常な心臓の鼓動の三倍の速さで点滅する。ライトが照射されるたびに、走っている脚の動きに新しい段階が生まれるのに気づく。この連続的な脚のイメージが脳に固着する。なぜなら、動きを示すかすんだ映像が眼に映らないうちにライトが消されるからだ。ストロボはLSDヘッドの世界でも、ある種の魔術的な特性をもたらす。ストロボから発したライトはある速度で点滅されると脳波のパターンとシンクロナイズされるので、てんかん症的な発作をあたえる。LSDを飲まずにLSD体験のもたらすおおくの感覚をストロボが生むのをヘッドたちは発見した。大きなストロボの下に立った人はすべてのものが断片化されたように見える。たとえば、恍惚として踊っている人たち - の腕は上に上げられたまま静止し - そのギラギラ光った顔はバラバラになる - ここに正方形に並んだ歯が光っているかと思えば、むこうの方にテカテカ光った頬骨が二つ浮かぶ - まるで、チカチカ '雨が降る' 昔の映画の映像のように人間のすべての部分が拡散し、断片化する -スライスされた人間だ!- 蝶の標本板に全歴史がピンでとめられるのだ。むろん、それがLSD体験だ。"

このストロボライトなのですが、その昔、Electro-Harmonixからいわゆる 'パーティーグッズ' としてEH-9203 Domino Theory Sound Sensitive Light Tubeというのがありました。これは赤い透明チューブの中に15個のLEDが並び、内蔵した小型マイクが音声信号を検出、音の変化に従ってLEDが異なるパターンで点滅するというもの。しかし、その10年以上前に日本のAce Toneから同様のストロボライト・マシーン、Psyche Light PL-125が発売されているんですヨ。時代はまさにサイケデリック全盛であり、本機は電源On/OffとストロボOn/Offのほか、ストロボのスピードを調節するツマミが1つあるシンプルなもの。ええ、'エレハモ' ほど凝った 'ハイテク' なものではございません(笑)。このPsyche Lightは、ストロボ前面に挿入する赤、青、黄の透明アクリル板フィルターと遠隔で操作できるようにスピード・コントローラーが付属しております。わたしもこの珍品を所有しており、残念ながらキャリングハンドルとアクリル板フィルターは欠品しているもののLEDではなく、アナログな電球によるパッパッパッと眩いばかりのフラッシュで体感するということで、コレもわたしの '飛び道具'(笑)。トレモロの変異系?とも言えます・・かね?。ちなみにテレビで注意喚起される '光過敏性発作' を誘発する恐れもあるので、そのままストロボ光を凝視するのはダメですヨ。












さて、そんなBuchlaをヒッピーの世界から一転、アカデミックな環境へと納入されるようになったのは 'San Francisco Tape Center' を設立したモートン・サボトニック。それまでテープ・レコーダーによる実験的音響に精を出していたこの優れた作曲家は、ドン・ブックラと共同で新たにBuchla 100 Series Modular Electronic Music Systemを生み出すこととなります。当初からブックラとサボトニックはこの新しいアイデアについて意見を闘わせており、それはBuchlaシンセサイザーの基本コンセプトとして現在まで受け継がれております。そんな発想の源にはサボトニック自身が元々クラリネット奏者であったことも含め、後年、この時の出会いと開発時のエピソードとしてこう述べております。

"ドンとは初日から議論を重ねていた。ドンは楽器を作りたがっていたが、わたしは「目指しているのは楽器ではない。最大限近づけて表現するならば、楽器を作るための機材、絵を描くための機材というところだ」と伝えた。ドンは我々が望んでいた機材の本質を理解していなかった。このような考えを持っていたわたしは、鍵盤は不要だと考えていた。昔ながらの音楽制作を繰り返すようなことはしたくなかった。音程を軸にした音楽制作ではなく、奏者のアクションを軸にして音楽制作ができる機材を作りたかったんだ。"

この辺りがMoogやArpとは違う、BuchlaがEMSなどと似た志向を持つ '未知の楽器' モジュラーシンセとしての威厳ですね。これは日本で初めてBuchlaを導入した教育機関である東京藝術大学の '音響研究室' で、その発起人でもあった白砂昭一氏が同様の趣旨のことを述べておりました。

"僕は最初っから鍵盤の付いているものは忌み嫌ってた。最初から装置であるべきなんです。芸大で教える、アカデミックな世界で考えるシンセサイザーというのはね。なぜNHKがシンセサイザーを買わなかったかというと、要するにキーボード・ミュージックなんですよ。キーボードがあると、発想がもうキーボードになっちゃうんです。ブックラのよさはキーボードがないこと。タッチボードっていうのは、キーボード風に使うこともできるけど、あれは単なるスイッチ群なんです。芸大でモーグを入れたのは、電子音楽にあれを使おうというよりも、新しい楽器の研究としてなんです。ここは楽器の研究設備でもある。モーグは新しい電子楽器としての息吹を持っているから、そういうものは買って調べなきゃいけないってね。"

白砂氏によれば、Buchlaはモートン・サボトニックの作風に影響されてセリーの音楽が組み立てられやすいようにタッチボード・シーケンサーを備え、音の周波数の高さもフィート切り替えではなく20〜20000Hzまでポンと自由に切り替えられるものだと見ているそうですが、まさに鍵盤のふりした感圧センサー、電圧制御でジェネレートする 'トリガー・ミュージック' の操作性にこだわることでBuchlaは音楽の '成層圏' を突き抜けます。














最後は電子音響とジャズマンを '越境' した 'マッド・サイエンティスト' として唯一無二の存在、ギル・メレをご紹介致しましょう。彼のキャリアは1950年代にBlue Noteで 'ウェストコースト' 風バップをやりながら画家や彫刻家としても活動し、1960年代から現代音楽の影響を受けて自作のエレクトロニクスを製作、ジャズという枠を超えて多彩な実験に勤しみました。そのマッドな '発明家' としての姿を示す画像は上から順に 'Elektor' (1960)、'White-Noise Generator' (1964)、'Tome Ⅳ' (1965)、'The Doomsday Machine' (1965)、'Direktor with Bubble Oscillator' (1966)、'Wireless Synth with Plug-In Module' (1968)といった数々の自作楽器であり、特に1967年にVerveからのリーダー作 'Tome Ⅳ' は、まるでEWIのルーツともいうべきソプラノ・サックス状の自作楽器(世界初!の電子サックス)を開陳したものです。ま、一聴した限りではフツーのサックスと大差ないのですが、彼がコツコツとひとり探求してきたエレクトロニクスの可能性が正式に評価されなかったのは皮肉ですね。そんなメレ独自のアプローチは1971年のSF映画 'The Andromeda Strain' のOSTに到達、難解な初期シンセサイザーにおける金字塔を打ち立てます。ちなみにこの映画は、まさに今の新型コロナウィルスを暗示したような未知のウィルス感染に立ち向かう科学者たちのSF作品でして、その '万博的' レトロ・フューチャーな未来観と70年代的終末思想を煽るギル・メレの電子音楽が見事にハマりました。












心身不調から狂った '波長' をチューニングするべくシンセサイズの 'セラピー' を受けて、再び現実の世界へと舞い戻るという '長い道程(Trip)' はLSD映画「白昼の幻想」のピータ・フォンダになった気分ですけど(笑)、そんな自律神経の凝り固まった血流を解き、風呂上がりのビールならぬシンセと戯れる。買い物依存の如く 'モノ増やす' ばかりじゃなく、正直このBuchlaとKorgのSound on Soundだけでも全然問題無いよなあ。これまで各種ペダルやシンセ、サンプラーをガジェットの如く繋いでアレコレやっていた音作りがBuchla一台で完結する。いや、正確にはペダルもシンセもそれぞれの楽しみ方があるから比較することは無意味だけど、特に2020年の新型コロナ禍を境にこれまでの音楽を取り巻く 'あり方' が大きく変わりましたね。今まで当たり前に '消費' していたロールモデルを一掃すると共に夫々無関係なものが '細胞分裂' の如く結合、以前には見たことのなかった '風景' が表出することを暗示したのです。熟練の器楽演奏やライヴもPCの '宅録' もその境界は一切関係ナシ。Buchla Music Easelに象徴的な移動する '携帯型音楽制作' のアプローチは大きな '間口' を開けながら、人とインターフェイスの関係を繋ぐ新たな 'デザイン' として未来を待ち構えているのかも知れません。

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