2019年5月1日水曜日

'電化ジャズ' -可能性と問題点- (再掲)

さようなら「平成」・・そして、ようこそ「令和」。

'温故知新' - 古きをたずねて新しきを知る。さて、オクターバーというヤツは管楽器用エフェクターとしても最初に製品化されたものなのですが、ここではそんな初期の胎動を示す 'スイングジャーナル' 誌1968年10月号に寄稿された故・児山紀芳氏(合掌)の記事 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' を、いくつか抜粋してお送りしたいと思います。しかし、この '問題点' というところに当時の保守的なジャズ界の '右往左往ぶり' が伺いしれるのだけど、一方では、当時台頭してきたロックと '電化' の波がもたらす風潮を耳あたりの良い 'ギミック' として、それがいつまで '賞味期限' を保証してくれるのか、というビル・エヴァンスの鋭い批評を引用するなど、今の時代から読んでも唸らされるところがあります。'プッシュボタン時代' という今からすれば実に古臭いキャッチコピーは、現在の生活、音楽シーンなどと合わせて考えてみるとなかなかに示唆に富んだ表現なのですが、これはそんな時代の変わりゆく '証言' の一端です。



- 来るかプッシュ・ボタン時代 -

アメリカでエレクトリック・サキソフォーンが開発されたのは、いまから2年前の1966年夏のことだった。いらい今日では、リー・コニッツからキャノンボール・アダレイまで、実に多くのジャズメンがエレクトリック・サックスを使っている。そこで本稿では、私が最近アメリカで見聞、取材した材料をもとに、話題のエレクトリック・ジャズと、その可能性と問題点を探ってみる。

エレクトリック・サックスというのは、サックスの音をひろうピックアップを楽器に接続して、電気増幅器で音をいったん電流に変え、スピーカーを通して再生するもので、すでにアメリカでは、いくつかのメーカーが売り出している。






エレクトリック・サックスを最初に開発、発売したのは有名なサックス・メーカーのセルマーだが、セルマーがエレクトリック・サックスの研究を進めた動機は、ローランド・カークの二管同時吹奏という驚異のテクニックにアイデアを求めたものといわれている。一本のサキソフォーンでカークのようなマルチ・プレイが電気仕掛けでできないものか - これがセルマーの考えだった。こうして完成されたのが今日のエレクトリック・サックスだが、この楽器を使うと、人は一本のサックスで、いうなればテナー・サックスとアルト・サックスの演奏ができる。もちろんサックスばかりでなく、ピックアップをクラリネットやフルートに装てんすれば、同じ結果(正確には1オクターヴ下の音)が得られるのだ。そのほか、増幅器(アンプリファイヤー)に内蔵された種々のメカニズムによって電気的に音色を明るくしたり、ダークにしたり、エコーをつけたり、トレモロにしたり、都合、60種類もの変化を得ることができる。



「音楽にプッシュ・ボタン時代来る」 - これはあるエレクトリック・サックス・メーカーが考え出したキャッチ・フレーズだが、ここで考えられる問題点や疑問については、あとでふれるとして、少なくとも私が見聞したかぎりでは、このキャッチ・フレーズは全くウソではない。事実日本でも松本英彦や北村英治、原信夫とシャープス&フラッツがプッシュ・ボタンやつまみのついたリード楽器を使いはじめているし、上記したようにアメリカでは多くのミュージシャンたちがサックスを吹きながら手や足でプッシュ・ボタンを操作しているのだ。単にサキソフォーンばかりではなく、ボタン時代はトランペットにも、ピアノにも、もちろんギターやベース、ドラムスにも波及してきている。






- 電化サックスの可能性 -

このところエレクトリック・アルト・サックスをもっぱら使用しているリー・コニッツは、サックスが電化されたことにより、これまでの難問題が解決されたと語っている。コニッツが従来直面していた難問題とは、リズム・セクションと彼のアルト・サックスとの間に、いつも音量面で不均衡が生じていたことをさしている。つまりリズム・セクションの顔ぶれが変わるたびに、ソロイストであるコニッツはそのリズム・セクションのサウンドレベルに自己を適応させなければならなかったし、リズム・セクションのパワーがコニッツのソロを圧倒してしまう場合がよくあった。電化楽器ではサウンド・レベルを自由に調整することができるからこうした不均衡を即時に解消できるようになり、いまではどんなにソフトなリズム・セクションとも、どんなにヘヴィーなリズム・セクションとも容易にバランスのとれた演奏ができるという。しかも、リー・コニッツが使っている 'コーン・マルチ・ヴァイダー' は1本のサックスで同時に4オクターヴの幅のあるユニゾン・プレイができるから、利点はきわめて大きいという。先月号でも触れたように、コニッツは1967年9月に録音した 'The Lee Konitz Duets' (Milestone)のなかで、すでにエレクトリック・サックスによる演奏を吹き込んでいるが、全くの独奏で展開される 'アローン・トゥゲザー' で 'コーン・マルチ・ヴァイダー' の利点を見事に駆使している。この 'アローン・トゥゲザー' で彼は1オクターヴの音を同時に出して、ユニゾンでアドリブするが、もうひとつの演奏 'アルファニューメリック' ではエディ・ゴメス(ベース)やエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、カール・ベルガー(ヴァイブ)、ジョー・ヘンダーソン(テナー・サックス)ら9人編成のアンサンブルで、エレクトリック・サックスを吹き、自分のソロをくっきりと浮き彫りにしている。ここでのコニッツは、アルト・サックスの音量面をアンプで増大するだけにとどめているがその効果は見逃せない。





いまアメリカで圧倒的な人気を得ているエディ・ハリスの場合は、リー・コニッツとは別のアプローチから電化楽器に挑んでいる。最近の彼はエディ '電化' ハリスと呼ばれるほど徹底したエレクトリック・サックスの実践者だが、そもそも彼がエレクトリック・サックスを使うようになった動機はこうだ。

いまから7、8年も前、'栄光への脱出' という最初のヒットを出した当時のエディ・ハリスは、テナー・サックスで何とか独奏的なサウンドを出そうと研究していた。結局彼はアルト・サックスに近い高音部を駆使するユニークなスタイルをつくったが、その後、コルトレーンが登場して、テナー・サックスのレンジや奏法には飛躍的な進歩がみられるようになり、彼にとって新しい課題ができた。私がエディ・ハリスに会ったとき、ハリスはテナー・サックスでヴァイオリンの高度な練習曲を吹いていたが、彼はこれまでにトロンボーンのマウスピースをサックスに接合したり、バスーンのリードをつけて工夫してみたり、ことテナー・サックスで考えられるありとあらゆる実験をやり、それによって独創性を維持しようとしたという。たまたまそんなとき、セルマーのヴァリトーン・サックス(電化サックス)が開発され、これによって種々の効果が電気的に出せるのを知った。ハリスは早速 'The Tender Storm' (Atlantic)で使ったが、やがてギターの 'ギブソン' のメーカー、シカゴ・ミュージカル・インストゥルメントが開発したエレクトリック・サックス 'マエストロ' に切り変えた。現在も彼はこの 'マエストロ' を使っているが、この電化楽器だと、テナー・サックスでオーボエ、バスーン、バス・クラリネット、イングリッシュ・ホーンの音が出せる。テナー・サックスにバスーンのリードをつけて実験していた効果が、この 'マエストロ' だと簡単に吹けるというわけだ。



エディ・ハリスのグループがロサンゼルスの〈シェリーズ・マンホール〉に出ていたとき、彼のグループはジョディ・クリスチャン(ピアノ)、メルヴィン・ジャクソン(ベース)、リチャード・スミス(ドラムス)で構成されていたが、ハリスとベースのジャクソンが電化楽器を使っており、ジャクソンがアルコ奏法で発する宇宙的サウンドをバックにハリスが多彩な効果を発揮してみせた。2音、3音のユニゾン・プレイはもちろんのこと、マウスピースにふれないでキーのみをカチカチと動かしてブラジルの楽器クイーカのようなリズミックなサウンドを出し、ボサノヴァ・リズムをサックスから叩き(?)出すのである。この奏法はエディ・ハリスが 'マエストロ' の練習中に偶然出てきた独奏的なもので、同席した評論家のレナード・フェザーとともにアッと驚いたものである。ハリスはあとで、この打楽器的な奏法がサックス奏者に普及すればサックス・セクションでパーカッション・アンサンブルができるだろうと語っていたが、たとえそれが冗談にしろ、不可能ではないのだ。ともあれ、エディ '電化' ハリスのステージは、これまで驚異とされていたローランド・カークのあの演奏に勝るとも劣らない派手さと、不思議なサウンドに満ちていて人気爆発中。しかもカークが盲目ということもあって見る眼に痛々しさがある反面、ハリスは2管や3管吹奏をプッシュ・ボタンひとつの操作で、あとはヴォリューム調整用のフット・ペダルを踏むだけで楽々とやってのけているわけだ。エレクトリック・サックスの利点は、体力の限界に挑むようなこれまでのハードワークにピリオドを打たせることにもなりそうだ。ハイノートをヒットしなくても、ヴァイタルな演奏ができる。つまり、人体を酷使することからも解放されるのだ。この点は、連日ステージに出る当のミュージシャンたちにとって、大きな利点でもあるだろう。


エディ・ハリスは電化サックスの演奏中は、体が楽だといった。これを誤解してはいけないと思う。決してなまけているのではなく、そういう状態になると、その分のエネルギーを楽想にまわせることになり、思考の余裕ができて、プラスになるという。さらに、エレクトリック・サックスを使う場合、もし人が普通のサックス通りに演奏したら、ヒドい結果になるという。楽に、自然に吹かないと、オーバーブロウの状態でさまにならないそうだ。新しい楽器は新しいテクニックを要求としているわけだが、それで体力の消耗が少しでもすめば、まことに結構ではないか。






-ドン・エリスと電化トランペット-

同じ電化楽器でもトランペットの場合は特性面でかなりの相異がある。電化トランペットの使用で話題になったドン・エリスの場合、やはり種々のアンプを使っているが、サックスとちがって片手でできるトランペット演奏では、もうひとつの手でアンプの同時操作が可能になる。読者は、先月号のカラーページに登場したドン・エリスの写真で、彼がトランペット片手にうつむきながらアンプを操作している光景をご覧になっているはずだ。あの場合、ドン・エリスはいったん吹いたフレーズをエコーにしようとしてるのだが、この 'エコー装置' を使うと 'Electric Bath' (CBS)中の 'Open Beauty' にきかれる不思議な音楽が誕生する。装置の中にはテープ・レコーダーが内蔵されており、いったん吹かれた音がいつまでもエコーとなって反復される仕組みになっている。ドン・エリスは、この手法を駆使し谷間でトランペットを吹くような効果を出しているが、彼はまた意識的にノイズを挿入する。これも片手で吹きながら、もう一方の手でレバーを動かしてガリガリッとやるのである。こうした彼のアイデアは、一種のハプニングとみなしていいし、彼が以前、'New Ideas' (New Jazz)で試みた実験と相通じるものだ。







もちろんトランペットでもサックスと同じユニゾン・プレイは可能である。マルチ・ヴァイダーさえ使えば、トランペットの音が2重3重に拡大分離されて出てくるから、高低ブラス・セクションのような効果になる。ナット・アダレイが最新アルバム 'You, Baby' (A&M)で早速この成果を世に問うているが、ギル・エヴァンス・オーケストラがこのエレクトリック・トランペットをそこでどう利用しているかという点が、現在のところ興味をもって待たれるところである。





-エレクトリック・ジャズ批判-

読者の中には、電化楽器など、くそくらえだと考えていらっしゃる人も多いのではないかと思う。実は、かくいう私自身、エディ・ハリスやドン・エリスの演奏をきくまでは、そんな風にも考えていた。だからこそ、チャールズ・ロイドやスタン・ゲッツが5月に来日したときその問題点をきいたわけである。もともとゲッツは、セルマーから最初にヴァリトーン・サックスの使用を要請されたミュージシャンだったが、彼はボサノヴァには不必要だと断ってしまった。チャールズ・ロイドにしても、自身持っていながらいまのところは使う意志がないという。つまるところ、異質な電気を音楽に作用させるところを不自然で、抵抗になっているのだ(2人の電化楽器への感想は、本誌68年7月号を参照されたい)。







たしかに、ドン・エリス・バンドやエディ・ハリスの演奏をきいていると、電化楽器の新しいサウンドをノベルティとして売りものにしているところが全くないわけではない。エリスがトランペット片手にアンプの操作を長々とやるのは、途中で退屈もした。ただし、トム・スコットの言葉 "ジャズはこれまで多くの制約でしばられてきた。世の中がエレクトロニクスの時代になっているのに、ジャズがいつまでも旧態然としていていいものか。新しい楽器が開発され、それからジャズの新しい可能性を引き出してみせるのは、決して無意味だとは思わない" という発言には賛成だ。





また、エディ・ハリスによれば、これまで有名なプレイヤーがエレクトリック・サックスをマスターしようとして、多くの人が失敗して使うのをやめてしまっているという。つまり、この種の楽器は、利点も多いがコントロールするのがむつかしく、タンギングもフィンガリングのタッチも息の入れ方も、根本的にやりなおさなければならないという。彼によれば、ロイドのようにニュー・イディオム(2音、3音奏法や変則的なフィンガリング)を追求しているジャズメンが、この楽器を使わないのはかえっておかしいという。





問題は、エレクトリック・ジャズが、いまでこそニュー・サウンドで人々の耳目を集めているが、これからさきその '新しさ' がどれだけ生命を持ちつづけられるかということだろう。ピアニストのビル・エヴァンスがドン・エリス・バンドの 'Open Beauty' についてその冒険性を高く評価しながらも "問題は音楽的な内容だ。この演奏は、ただちに人の耳をアトラクトする何かをそなえているが、いまは新しい何かが、20年のちには全く無意味になりかねない。その意味でも肝心なのは内容でしかありえない" と語っているが、至言であろう。とにかく、電化楽器はまだ開発されて間もない新しい分野である。今日のエレクトリック・ジャズは、先月号でもふれたように、ギミックとしての性格が強いという弱点はたしかにある。しかし、一方では、タル・ファーロウやサン・ラ、リー・コニッツの音楽のように充分な内容をそなえたエレクトリック・ジャズも誕生しはじめている。そしてジャズの世界に、やがては本格的な 'プッシュ・ボタン時代' が到来するかもしれないのである。ジャズは、つねに未知の世界に挑戦しつづけてきたのだから・・。







すでに1967年から68年の時点で相当の数の '電化ジャズ' が市場に現れていたことに驚きます。当時、ロックやR&Bを中心とした電気楽器によるアンサンブルに最も危機感を覚えていたのがホーンを持つ管楽器奏者たちだったことは間違いなく、それはプログレを始めとしたロックバンドの中にホーンを 'アンプリファイ' することで挑んでいく姿からも象徴的ですね。ビッグバンドにおける4ブラスを始めとした豪華な '音量' は、些細なピッキングの振動がそのまま、ピックアップとアンプを通して巨大なスタジアム級のホールを震わせるほどの '音圧' に達する 'エレキ' に簡単に負けてしまったのです。ちなみに上の本文で触れた 'スイングジャーナル' 誌1968年7月号でのチャールズ・ロイドやスタン・ゲッツらの '電気サックス' に対する発言は以下の通りです。

- このところ、ジャズ界ではエレクトリック・サキソフォーンやエレクトリック・トランペットなど、新しく開発された電気楽器を使用するミュージシャンが増えてきましたが、ここではとくに貴方の領分である電気サックスの使用についてのご意見をきかせてほしい。

C.ロイド
"実は私もエレクトリック・サキソフォーンを最近手に入れたばかりだ。しかし、いまのところ私は、ステージで使ってみようとは思わない。少なくとも、現在の私のカルテットでは必要がない。というのも私自身、これまでのサキソフォーンにだってまだまだ可能性があると考えているからだ。それに、人が使っているからといって、流行だからといって、必要もないのに使うことはない。もし、将来電気サックスが自分の音楽にどうしても必要になれば、もちろん使うかもしれないが・・。"

S.ゲッツ
"元来、サキソフォーンという楽器は、他のいかなる楽器よりも人間の声をじかに伝達する性質がある。だから、サックスは肉体の一部となり、肉体とつながりをもってこそ、はじめて自分自身を正しく純粋に表現しうる楽器となる。その点、エレクトリック・サックスは、人間と楽器の中間に電気的な操作を介入させようというのだから、純粋性がなくなるし不自然だ。私は不自然なものは好まないし、世の中がいかに電化されたとしても、少なくとも私にとって電気サックスは無用だ。"














そんなジャズとエレクトロニクスの極北としては、1950年代にBlue Noteで 'ウェストコースト' 風バップをやりながら画家や彫刻家としても活動したギル・メレがいます。すでに1960年代から現代音楽などの影響を受けて自作のエレクトロニクスを製作、ジャズという枠を超えて多彩な実験に勤しみました。画像は上から順に 'Elektor' (1960)、'White-Noise Generator' (1964)、'Tome Ⅳ' (1965)、'The Doomsday Machine' (1965)、'Direktor with Bubble Oscillator' (1966)、'Wireless Synth with Plug-In Module' (1968)といった数々の自作楽器であり、特に1967年にVerveからのリーダー作 'Tome Ⅳ' は、ソプラノ・サックス状のかたちの自作楽器(世界初!の電子サックス)を開陳したものです。ま、一聴した限りではフツーのサックスと大差ないのですが、彼がコツコツとひとり探求してきたエレクトロニクスの可能性が正式に評価されなかったのは皮肉ですね。そんなメレ独自のアプローチは1971年のSF映画 'The Andromeda Strain' のOSTに到達、まさに初期シンセサイザーにおける金字塔を打ち立てます。








Computone Lyricon

このような様々な葛藤の '黎明期' を経てそれでも1970年代にはまだ、ギターとは違う '音色' としてアンサンブルの中で生き残りを賭けていたホーンは1980年代、デジタルの分厚く多彩な音色が特徴のポリフォニック・シンセサイザーに完全に駆逐されてしまいました。当時、'ブラスシンセ' という言葉と共にズラッとバンドの中で並んでいたホーン陣はほとんど1台のキーボードで賄えるようになり、また、Computone Lyriconをきっかけに始まったAkai Proffesional EWIやYamaha WXなどのウィンド・シンセサイザーは、そのままキーボードの延長線上にあるMIDIコントローラーとして探求されていったという印象があります。







「昭和」も遠くなりにけり。さて、このような音楽を始めとする文化の '地殻変動' が根底から湧き起こった1960年代後半から70年代初め。この、今から見れば少々大げさのようにも感じる '電化騒ぎ' と表現の変容を「令和」の皆さまはいかが感じるでしょうか。

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