2018年7月1日日曜日

夏の前夜祭 (再掲)

夏、始めました。

久しぶりにフェネス2014年作 'Becs' (ベーチェ)を聴いてみる。というか個人的に 'エレクトロニカ' 食傷気味な頃のリリースだっただけに記憶も薄く、ようやく手に取ったというべきか。オーストリア出身のエレクトロニカ職人、クリスチャン・フェネスは1997年の 'Hotel Paral.lel' から一貫して独自の音響世界を築いてきた人であり、そのデビュー作は、未だテクノのうねりと折合いをつけながらユニークなエレクトロニカ胎動の一歩を示しました。そして、夏の 'エバーグリーン' ともいうべきフェネス2001年の傑作 'Endress Summer'・・また、コイツのお世話となる季節になるとは・・。







大きくブレイクしたこの 'Endress Summer' では、そのフォーキーなアコースティックの響きと真っ向から覆い尽くすようなノイズの壁が不思議な心地良さを演出し、特に夏に対してセンチメンタルな感情を抱きやすい日本人のツボにハマった一枚でしたね。たぶん、毎夏訪れる度にこの作品の 'サウンドスケープ' が有り有りと眼前に現れる人たち、多いのではないでしょうか。ジリジリと肌に差す夏の陽気、照り付ける陽射しを避けて木陰からジッと遠い陽炎を眺める眼差し・・。ああ、夏が来たなあと感じます。





続く2004年の 'Venice' も 'Endress Summer' の延長線上にありながらよりノイジーとなり、デイヴィッド・シルヴィアンがゲスト参加したのも話題となりました。そして2007年の坂本龍一 '教授' とのコラボレーション 'Cendre' から翌年の 'Black Sea' と続き・・んで、冒頭の 'Becs' に戻るワケですが、この頃、オヴァル2010年の 'O' を聴いて 'これじゃない感' を引きずりながら、エレクトロニカ全般に食傷気味だったことも影響して 'Becs' も特に期待してなかったんだけど、やはり、久しぶり聴けば 'Endress Summer' の雰囲気を纏ったような感じでその 'サウンドスケープ' にやられてしまう。

思い返せば、1990年代後半のエレクトロニカ興隆には世紀末の空気と相まって興奮したものです。それまで現代音楽の一部である電子音楽の世界がテクノとぶつかってしまったような '化学反応' は、当時のサンプラーやシンセサイザーに対するアプローチを一新させました。それまで 'ローファイ' などとアナログの価値観に引きづられていた多くのユーザーは、CDの盤面に傷を付けて意図的に引き起こす 'デジタル・エラー' の不快さが、そのままCycling 74 Max/Mspに代表される痙攣したリズムへと摩り替えていく快感を体験してしまったのだから。これはコンピュータを意図的に 'ジャンク' としてプログラミング、楽器のように機能させる 'グラニュラー・シンセシス' のアプローチでもあります。







またやってきます、真夏という名の狂気の季節が。いや、もう気持ちは年中真夏で良いと思いますヨ。汗かいて陽に焼けて蝉は精一杯鳴き続ける・・ビールは美味い。昼間の照り付けた熱気の残るアスファルトを散歩する真夜中・・その渇いた独特の匂い。これから夏本番を迎えて街中がソワソワし出す初夏の雰囲気、いいなあ。ホント今のこの季節が一番好きだ。









そして、あえてここでエリック・ドルフィーを混ぜてみる(笑)。ドルフィーってそのキャリアの始めからずーっと自身のバンドに恵まれなかった人だったと思うのだけど、それって結局は彼がアルト・サックス、バス・クラリネット、フルートのマルチ・プレイヤーとして 'ひとりオーケストラ' の先駆だったんじゃないかと思うのですヨ。つまり、オーネット・コールマンやセロニアス・モンク、マイルス・デイビスのようにバンドで自らの音楽を構築していくタイプじゃなく、すでにドルフィーの身体がそのまま木管と一体となった時に現れる '異物なアンサンブル' の人だった。そんな '居場所' を放浪するドルフィーの音楽性と親和性を保っていたのがチャールズ・ミンガスのグループ在籍時であり、そこにはエレクトロニカに共通する '顕微鏡のオーケストラ' ともいうべき微細な破片を拾い集めるような静寂と統率力を垣間見るんですよね。いや、だからと言ってドルフィーは 'ニカの先駆' と騒ぐつもりはありませんが(苦笑)、こうやって混ぜて聴いてみても・・どうでしょう?あまり違和感ないのでは?そんな孤高なドルフィーの志はフランク・ザッパの 'The Eric Dolphy Memorial Barbecue' はもちろん、ミンガスのグループで共演したテッド・カーソンによりドルフィー客死のわずか1ヶ月後、真夏の1964年8月1日に捧げられた '葬送曲' に至るまで、時代を超えて厳かに '真夏の狂気' を体現します。





あのオヴァルが難解な 'グリッチ' から 'ビート' に '転向' した、ということで賛否両論あった2010年の 'O' からこちら 'Ah !'。まあ、マーカス・ポップの本質は全然変わっていないし、特に同種のエレクトロニカ作家に対して 'フリケンシー・ミュージック' で先端を気取るのは詐欺だ!と '炎上' させたことが、一転してこのような作風に繋がったのだと思いますね。やはり 'グリッチ' のオリジネイターにして孤高の存在、素晴らしい。









いかにもアブストラクトなフェネスの '音響' はエレクトロニカの専売特許ですが、もうちょっとビートに寄ったものとして、ミニマル・ダブからクリック・テクノにおける雛形を作った '御三家'、ヤン・イェリネック、ヴラディスラヴ・ディレイ、オウテカ。というか、このオウテカの極北ともいうべき 'Confield' の根底に流れるヒップ・ホップの解釈は、ショーン・ブースとロブ・ブラウンの二人により1993年のデビューから2016年の最新作 'elseq 1-5' までブレずに一貫して流れているのは驚嘆するなあ。そして現在まで大きな市場を築いているダブステップの大御所、ブリアルの登場はフライング・ロータスと共に大きな衝撃でした。スクリレックス以降のビヨビヨしたウォブルベース全開でEDM化する以前は、このブリアルによる2ステップから派生したシリアスかつダークなブレイクビーツこそダブステップの白眉。Kode 9主宰のレーベル、Hyperdubから2006年の本作と翌年の 'Untrue' はまさに現代の 'Anthem' として君臨します。





さて、ヒップ・ホップの '解釈' の原点という意味では、時計の針を1980年の東京に巻き戻さなければなりません。アフリカ・バンバータの 'Planet Rock' ?ハービー・ハンコックの 'Rockit' ?マントロニクスの 'Bassline' ?サイボトロンの 'Clear' ?いやいや、我らがテクノポップな '教授' ことRiuichi Sakamotoにご登場頂きましょう。ここでいうヒップ・ホップとは(テクノ含めた)同時代的なアティチュードのことであり、それは、最もとんがっていた頃の '教授' がブチかましたエレクトロ・ミュージックの 'Anthem' と言うべきこれらを聴けば分かるはず!特に 'Riot in Lagos' のデニス・ボーヴェルによるUK的 'メタリック' なダブ・ミックスが素晴らしい。





そんな坂本龍一 '教授' とデイヴィッド・シルヴィアン2003年のコラボレーション、'World Citizen (i wont be desapointed)' で寝苦しい真夜中を飛び出し、成層圏を突き抜けて地球の周回軌道に乗ってみましょうか。昼間の熱波に晒された路面はそのまま真夜中の '澱み' として汗ばみ、そんな寝苦しさから逃げ出すべく意識は夜空を飛翔し、自らが人工衛星となって真っ青な地球を眺めてみる・・こんな陳腐な妄想に耽ってしまうくらいの壮大なイメージ。さらにその 'World Citizen' の池田亮司さんによるリミックス。このエレクトロニカの '極北' ともいうべき存在が手がける感電したような疾走感・・たまらん。





管楽器でいえば、この辺りの影響を受けながらやっているのはノルウェーのニルス・ペッター・モルヴェルやアルヴァ・ヘンリクセンの名前が上がるでしょうね。しかし、この藤原大輔さんと高橋保行さんのデュオによる 'ニカ的' 即興なアプローチもかなり格好良いですヨ。2部に分かれて展開する(動画途中の長い 'Intermission' は58:33から第2部スタート)その美しくも不条理な世界は、Sherman Filterbank 2とKorgのラック型ディレイDL8000Rを駆使してグニャリと変調していくモチーフが素晴らしい!ちなみにこのデュオ、スカム・ジャズ・ユニット 'びびび' と言うらしい(笑)。そして、古くはAACM〜シカゴ音響派辺りとリンクしながらシカゴを根城に活動するコルネット奏者、ベン・ラマー・ゲイのアルバム 'Downtown Castles Can Never Block The Sun' が話題となっているようですが、うん、これもなかなか格好良いなあ。







しかしこのようなエレクトロニカの '作家性' に共通するミニマルさは、そのまま1960年代のスティーヴ・ライヒやテリー・ライリーらの音の動きを最小限に抑え、その最小の単位から積み上げて反復させるミニマル・ミュージックの '隔世遺伝' を感じてしまいます。こちらはトランペットのドン・エリスによる1961年のアルバム 'New Ideas' から、当時のジョン・ケージの影響と 'Fluxus' でやっていたダダイズム的パフォーマンスに影響を受けて '作曲' した 'Despair To Hope'。ジョージ・ラッセルの 'リディアン・クロマティック・コンセプト' に共鳴していた一方で、こんなオモチャ箱を引っくり返してしまったような怪しい感じは、いわゆる '前衛' っていうよりかは、深夜のB級映画で催眠的に流れてくるSEの '期せずしてサイケ' な感じと共通する(笑)。そんな 'アカデミックな' 影響もあればこちら、テキサス・サイケデリックの雄として、現在まで '永遠のアウトサイダー' の如く君臨するメイヨ・トンプソン率いるレッド・クレイヨラ。サイケということでは1967年の大名盤である 'The Parable of Arable Land' を挙げなければならないところですが、ここでは、2作目として予定されながらあまりのダダ的 '実験ぶり' にお蔵となった 'Coconut Hotel' をどーぞ。この荒涼としたテキサスの砂埃舞う中に現れるひなびたホテル、という設定が何ともサイケというか、チープなトレモロの効いたオルガンやハープシコードと共に、こちらも瞳孔開きっぱなしの乾いた覚醒感が迫ってくる怖い感じ・・ヤバイ。こんな研ぎ澄まされていくような感覚は京都から世界に発信する孤高の作曲家、竹村延和さんの 'Water's Suite' をマルセル・デュシャンの 'Anemic Cinema' と組み合わせても存分に発揮されております。さて、最近はそんな怪しい時間帯も無くなってしまって寂しい限りですけど、こういう感覚ってトラウマ的にいつまでも自分の中に残るんだよなあ。

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