2016年10月3日月曜日

横断する 'イルビエント'

久しぶりにドラムンベースを ‘Kick’ してみる。いや、これはプログラムから別のプログラムを起動させるというコンピュータに起因した用語なのですが、レコードや生のドラムから音色をサンプリングして、細かくバラしていくと共に組み直し、テンポを上げてピッチはストレッチさせるという、まさにサンプラーありきのプログラム的なビート・ミュージックだったことを思い出します。緻密でポリリズミックな高速のブレイクビーツと、ダウンテンポの無調によるベースラインの二層的な構造でひとつのグルーヴを生み出すのが画期的でした。ドラムンベース全盛の時代は、まだMIDIプログラミングが当たり前だったのだけど、今や、コンピュータ・ベースによるオーディオ・データ貼り付けの制作システムにおいても、基本的にこのドラムンベースの時代から変わっていない。そういう意味では、音楽が創造的な時代の最後のピークだったと見ることもできる一方、しかし、その盛り上がりから燃え尽きるまでは案外早かったジャンルでもありましたね。特にまだジャングルという呼称で、ラガマフィン・スタイルをベースにリミックス中心のノベルティ・タッチな作風だった頃は単にユニークな響きに聴こえていただけだったものが、その後、ジャズやテクノといったムードを纏い、シリアス・ミュージックとしての可能性に転向してからは、その特徴的なビートの過剰さに寄りかかりすぎて自滅した感があります。それでも4つ打ちのテクノ、スモーキーなダウンテンポのブレイクビーツに現れる普遍性に比べてドラムンベースの方法論は、現在のダブステップやグライムといったEDMのスタイルに受け継がれるように、いわゆるビートの細分化とプログラミングのスキルによるネットワークで再起動したものと見ることができます。



つまり、流行のサイクルは短いけど、何度でも組み直されることの変奏により、ビートが身体の限界を管理する様態へいつでも接近したい欲求の、最もプログレッシヴなかたちがドラムンベースだったんじゃないかな、と。現在、世界的に流行しているヒップ・ホップ・ダンスの一種であるPoppin' では、まさにビートと拮抗するような身体の限界に挑む創造性を発揮しております。ええ、上の動画はCGでもなければ編集もなし。ダブステップに特徴のウォブルベースに合わせてブルブルと痙攣させたり、逆再生するような流れでガクガクとヒット(身体を打つようなPoppinの動きをこう呼びます)させる特異な動きなど、いやあサイボーグの時代到来ですね。



1998年とはそんなドラムンベースがピークを迎えた年であり、前年のRoni Size Reprazent ‘New Forms’ を始めに、4 Hero ‘Two Pages’ Goldie ‘Saturnz Return’Grooverider ‘Mysteries of Funk’ が立て続けにリリースされました。しかし、これらはどれも2枚組というヴォリュームで畳み掛けるもので、むしろ、その過剰な供給が食傷気味を早めるきっかけになったという気がしています。そんな同年に、ドラムンベースの本場英国ではなく米国からアプローチする一枚として登場したのが 'Riddim Warfare’。トリップ・ホップやテクノ、ジャングルからドラムンベースへと流れが変わりつつあった1996年に、当時、ニューヨークのアンダーグラウンドで盛り上がっていたイルビエント なるムーヴメントの中心人物だったのがDJスプーキーです。元々、ヒップ・ホップの強い地盤であるニューヨークでは、ドラムンベースのムーヴメントはUKに比べ遅れていたものの、その中でも積極的にヒップ・ホップとダブ、ドラムンベースを集中的にミックスして、さらにそこへアンビエントや民俗音楽、ヤニス・クセナキスら現代音楽のコンテクストを混ぜ合わせ、サンプリングとノイズの脱構築で実践するイルビエントを提唱しました。まあ、今の視点から見るとこのイルビエントってヤツはどこか実体のないイメージでして、このムーヴメントを伝えるAsphodelからのコンピレーション ‘Incursions in Illbient’ を聴いてみてもどこか掴みどころがない・・。というか、このムーヴメントの中心的存在であったDJスプーキー自身がまさにそんなフワフワとすり抜けていく存在でしたね。



1996年の ‘Necropolis: The Dialogic Project’ というミックス・アルバムと同年のフル・アルバム ‘Songs of A Dead Dreamer’ は、まさにイルビエントを体現した一枚として、それまでのトリップ・ホップ的世界観をさらに抽象化したもの。確かにヒップ・ホップやダブなどのストリート・ミュージックに根底を置きながら、そこにヤニス・クセナキスやアンビエントなどのインテリジェンスなセンスをミックスしたことが新しかったのでしょう。しかし、同時期にヨーロッパで勃興していたエレクトロニカに比べると、ムーヴメントをパッケージする美学的センスは壊滅的にセンスがなかったですねえ・・。だってイルビエントとされたアルバムのカバーアートのすべてがダサいもんな。またコンスタントに作品をリリースするDJスプーキー以外では、2作リリースしたSub Dubのほか、雑誌が連呼するほどにはシーン全体が匿名的な存在に甘んじていた印象がありました。前述のコンピレーション以外では、ニューヨークで最初のドラムンベース・レーベルJungle Skyを主宰するDJ Soul Slingerがその中心にいたくらいで、他はイルビエント全面協力の一枚として露出したアート・リンゼイのリミックス・アルバム ‘Hyper Civilizado’ くらいではないでしょうか。DJスプーキー自身は坂本龍一のコンサートにおいて、当時始まったばかりのインターネット回線を用いてコンサートのオーケストラにリアルタイムでドラムンベースをリミックスしていく模様をそのまま ’Jungle Live Mix of Untitled 01 - 2nd Movement - Anger’ で行い、これは1997年の坂本龍一のアルバム ‘Discord’ に収録されております。しかし、そのようなメディア・ミックス的な動きも空しく、新たな潮流としてヨーロッパで勃興していたエレクトロニカの波に掻き消されるように、この1997年をもってイルビエントなるムーヴメントは静かにそのピークを迎えることとなります。

このDJスプーキー、そんなDJによる音楽活動と制作の一方で、批評家としても筆を振るい、2004年に本名のPaul D.Millerリズム・サイエンスという音楽批評本を出しています。これは2008年に邦訳され、自ら手がけたミックスCDを付録に耳と目からの啓蒙を試みるという一冊。イルビエントのキーワードとなるべきサンプリングを核に現代思想を用いて21世紀のアートを考察していくものという、少々理論武装的匂いが強いですね。同時期に勃興したエレクトロニカでは、オヴァルやパンソニックといった音響派のサウンドスケープに現代音楽からの影響が過分にありましたが、このDJスプーキーには、クセナキスの大作 ‘Kraanerg’ 1997年にST-X Ensembleと共に手掛けた際、テープによる電子音響のミキシング操作を担当した他は、いわゆるシリアス・ミュージックへの傾倒はあっても、常にストリート・ミュージックを自らの立脚点としてアルバム制作を行っていました。シリアスでありながら、ヒップ・ホップやエレクトロニカと一歩引いて活動するDJスプーキーの関心は、それこそラジオをひねると飛び込んでくる ‘サンプル’ の情報量を、それぞれが持つ空間’ として結び付けていく '手さばき' こそ重要であるというDJの視点に立脚します。

DJスプーキーは、ニューヨークの喧騒というバックグラウンドの中で、ストリート・ミュージックの批評的な行為がもたらすネットワークの力を肯定します。現代思想のドゥルーズ / ガタリらが提唱するスキゾという概念は、絶えず巨大な資本主義社会を動かすための逃走として肯定していましたけど、DJスプーキーにとってそれは、あらゆるジャンルを横断していく視点として、現在のネットワーク中心なアートと資本の関係を先取りするサンプルの喚起力こそリアルであると喝破しました。それは、ビートやノイズを解体して緻密にコンピュータの中で磨き上げていく職人的なヨーロッパのエレクトロニカに比べ、DJスプーキーらイルビエントのスタンスは、もっとずっと即物的に嵌め込んでいく羅列の快楽が強いのです。このようなやり方は、ヒップ・ホップが元来誇ってきた剽窃と誤用により物質と場の意味を読み替える方法論であり、黒人音楽が辿ってきたルーツの血統を残すための異種交配の記憶を巡る旅でもあります。これ自体はダブを起点としたリミックス文化、コラージュや現代音楽におけるミュージック・コンクレートなどにも共通するものですが、DJスプーキーの即物的な態度には、内容よりもそれがいかに機能するのかの審美眼に作用します。裏を返せば彼自身はあくまでそれぞれを繋いでいく上での媒体であり、そこで発揮される強烈な個性のようなものからすり抜けていくことこそ、そのままイルビエント’ という姿勢を体現しているのだと思うのです





レコードから意味を紡ぎ取るDJのスタンスで、ニューヨークのニッティング・ファクトリーなどに集うオルタナ系の即興演奏家や、マシュー・シップなどのテクノを通過したニュージャズ系らとのコラボレーションを行ってきたDJスプーキー。そのマシュー・シップとのコラボレーション 'Optometry' のリミックス盤 'Dubtometry' で久しぶりに原点回帰的なダブへとアプローチします。



直接、'イルビエント' のムーヴメントとの関わりはありませんが、同時期の1996年、英国のフリー・ジャズの重鎮、デレク・ベイリーがドラムンベースにアプローチしたのは衝撃的な出来事でした。ロンドンのラジオから頻繁にかかってくるドラムンベースのトラックを '即興' の相手に、無機質にノイズの壁を構築していくベイリーの手法。'無機質同士' のお互いが与り知らないところで触発している関係性を、DJ Ninjなるトラックメイカーを呼び、ちょうど 'イルビエント' 真っ只中であったニューヨークでジョン・ゾーン・プロデュースにより実現した一枚。いやあ面白いですねえ。



そして 'イルビエント' ムーヴメント終焉と共にDJスプーキーがメジャーデビュー盤 'Riddim Warfare' をリリースした1998年、カセットテープというかたちでひっそりとニューヨークのストリートで流通した謎の1本。Spectreの 'Ruff Kutz' がミニマル・ダブのベーシック・チャンネル傘下のスタジオ、Dubplates & Masterringの手により2枚組アナログ盤で蘇りました。これはDJスプーキー以上に 'Dope' というか、いやあ、どこか実体のない 'イルビエント' の感覚がタフなブレイクビーツとして覚醒していくというか・・ヤバイですねコレは。


             - ‘イルビエント’ 1996 - 1997 -   

‘Ill(狂ったような)アンビエントという意味合いで、WeDJ Oliveが名付けたイルビエントという言葉が1990年代後半、インターネットという新たなネットワークと呼応するように彷徨い出てきたのは象徴的でした。ヒップ・ホップの地盤が根付き、人種の坩堝と呼ばれるニューヨークという場が用意したのは、表層的に現れるヒップ・ホップ、ダブ、ドラムンベース、ジャズ、アンビエント、民俗音楽、現代音楽といったサンプルを俯瞰しながら、どこか病んだような手付きで混沌とした態を生み出すことにあります。同時期、ヨロッパで勃興したエレクトロニカがシュプレマティズム的な機能美だとするなら、それは、アンディ・ウォーホル的ポップアートの持つ 記号の戯れに溢れていると例えられるでしょうか。いやここでは、DJ Spookyの名前に付随する ‘That Subliminal Kid’ の引用元であるウィリアムSバロウズのカットアップの美学に敬意を表したものと言うべきか。すべてに アノニマスな匂いを放ち、短命に終わったこのムーヴメントを再び読み直すための7枚のアルバムがこれだ(カバーアートはどれもダサいけど)



⚫︎Incursions in Illbient -V.A.- (Asphodel) 1996
⚫︎Necropolis: The Dialogic Project - V.A.- / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Knitting Factory Works / Shadow) 1996
⚫︎Songs of A Dead Dreamer / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Asphodel / Gut Bounce) 1996
⚫︎Hyper Civilizado - Arto Lindsay Remixes / Arto Lindsay
   (Gramavision / Gut Bounce) 1996
⚫︎Sub Dub / Sub Dub (Instinct) 1996
⚫︎Dancehall Malfunction / Sub Dub (Asphodel) 1997
⚫︎Don’t Believe / DJ Soul Slinger (Jungle Sky) 1997


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