2020年6月3日水曜日

'サマー・オブ・ラヴ' のチェット

1950年代初め、鮮烈なイメージで米国西海岸に現れたラッパ吹き、チェット・ベイカー。彼の破天荒な人生と晩年の姿を捉えたブルース・ウェーバー監督のドキュメント映画 'Let's Get Lost' や、そんな彼を題材に取り上げたイーサン・ホーク主演の映画 'ブルーに生まれついて' なども公開されましたけど、マイルス・デイビスとは違う意味でラッパ吹きの格好良さを体現した人ではないかと思います。



暗く紫煙漂うジャズクラブの片隅から物悲しいミュートで緊張を走らせるのがデイビスなら、突き抜ける青い海岸線をコンバーチブルで疾走しながら鼻歌を歌うようにラッパを吹くのがチェット、という感じ。こう書くと思わず '陰と陽' のイメージを付与してしまいそうになるのですが、共通するのはどちらも沈み込んだような 'ブルー' を湛えていること。血の通っていない '青白い' 感じで、体温低くひんやりとした 'Cool' でいることを美徳とする・・。これってルイ・アームストロング以降、ディジー・ガレスピーからクリフォード・ブラウン、フレディ・ハバードにまで受け継がれる '陽のラッパ吹き' の真逆を行くもので、このスタイルの創始者であるマイルス・デイビスはチェットにとってのアイドル的存在だったのは納得しますね。



さて、そんなチェットにとっての全盛期といえば 'ウェストコースト・ジャズ' の寵児として脚光を浴びた1950年代の 'Pacific Jazz' 時代と、クスリによって 'Cool' なルックスからテクニックの全てを失い、再びシーンへと復帰して耽美的なまでに 'ブルー' な絶望感を体現した1970年代半ばから80年代の '晩年' が、やはりこのチェット・ベイカーという人の '凄み' を描き出していると言えます。ではその間を取り持つべき1960年代は?。この時代、ジャズの世界を始めとした米国のエンターテインメントすべてが引っくり返る10年であり、チェットのイメージも絶頂から奈落の底へと落ちていった10年でもあります。それまでデイビスに憧れて愛用していたMartin Committeeをパリで盗まれ、知人から '借り物' として使い出したSelmerのK-Modifiedフリューゲルホーンがこの頃のイメージですね。ちなみに、そんなチェットが '堕落' していく姿を '暗示' しているワケじゃないけど(苦笑)、この頃のチェットのライヴ音源のテープを用いてミニマル・ミュージックにしてしまったテリー・ライリーのコラージュ作品ともいうべき '珍品' をどーぞ。







The Mariachi Brass - feat. Chet Baker

スターダムへと押し上げられていったもののジャズの時代的変化に付いていけず、1950年代後半には自分への賞賛がまだ残るヨーロッパへ活動の拠点を移すチェット。しかし、度重なる麻薬癖の不祥事により1960年代半ばに再び米国の地を踏むこととなります。この時期、ジャズに変わって若者を虜にしていたのがロックであり、チェットらのスタンダードを中心としたジャズは古臭いものへと成り果てておりました。そんな仕事の急減を見かねて手を差し伸べたのが、かつてチェットのスターダムを仕掛けた 'Pacific Jazz' の社長、リチャード・ボック。ただし、そんなボックのレーベルも大手Libertyの傘下で 'World Pacific' と名を変えて、ジャズよりラヴィ・シャンカールのインド音楽やイージー・リスニングを手がけるなどすっかり様変わりし、チェットはジャズの奏者ではなく、当時A&Mでヒットを飛ばしていたハープ・アルバート率いるティファナブラスの向こうを張ったマリアッチブラスの 'ソリスト' としての起用でした。また彼自身のソロ名義も 'Carmel Strings' との共演とされて、ハープシコードやドゥビドゥワ〜の女声コーラスをバックに甘いソロを吹かされます。チェットのキャリアとしては最も '不毛' な時期とされ、当面の収入は増えたもののジャズ的な価値は一切なしとされているのが現状です。







この当時、同じくウェストコースト・ジャズのスターであったアルト・サックス奏者バド・シャンクも同様の再雇用となり、ザ・ビートルズの 'マジカル・ミステリー・ツアー' や 'ミッシェル' などをやらされていたっけ・・。そんなバドが大きなヒットの恩恵を受けたのがママス&パパス1965年の '夢のカリフォルニア'。オリジナルでのソロに呼ばれて吹いたフルートがまさに 'フラワーの風' となり、そのまま東海岸の人々を 'ゴーウェスト' の旅へと誘うきっかけとなりました。その直後にチェットと組んで再度吹き込んだバド版 '夢のカリフォルニア'・・陽射し眩しい午後の昼下がりに聴いていたら気持ち良過ぎて眠ってしまいそうだ(笑)。



この後、チェットの麻薬癖はますます酷いものとなり、売人たちとの支払いによるトラブルからこの時期、彼にとって大事な前歯を暴行で負傷してしばらく生活保護を受けるまでに転落・・。彼はこれ以降のインタビューでこの事件をことさら最悪なものとして語り出すのですが、しかし、そもそも彼の前歯の1本はデビューの頃から欠けて無かったんですよね。どうやらチェットには憐れみを誘って同情を引く性向があり、この時のケガで仕事ができないということを理由に生活保護を申請して、不正受給でクスリを買っていたというのが真相のよう・・。









そんな失意のチェットが1970年、久しぶりに大手Verveで吹き込んだのがこの 'Blood, Chet and Tears'。なんとチェットにブラスロック・バンド、ブラッド・スウェット&ティアーズのカバーをやらせる!というものなのですが、おお、この時期の 'ダメダメぶり' という世評に対してかなりラッパ吹きとして復調しているのではないでしょうか!?というか、そもそも調子は崩していなかったのでは?1970年代以降の復活で入れ歯による奏法へとスウィッチしたのは、暴行よりむしろクスリのやり過ぎで歯がすべてダメになった、という風に解釈した方が腑に落ちますね。とりあえず本作は、ただジャズではないというだけで、むしろ、昨今の 'ソフトロック' 再評価の流れで見ればなかなかの佳作だと思います。なぜ今に至るまで再発しないのだろう?。ちなみにブラッド・スウェット&ティアーズの 'Spinning Wheel' 導入部、マイルス・デイビス 'Bitches Brew' ソロ一発目のフレイズに引用されていたことがお分かりでしょうか?。







この力強くもメロウな感じ。確かにボサノヴァなどに比べればチェットのイメージとはちょっとズレるかもしれないけれど、しかし、彼のソリストとしての '歌心' はどんなスタイルであろうとも全くスポイルしていないと思うんですよね。汲めども尽きぬ鼻歌のようなメロディ・・彼が終生クスリと共に手放さなかったものでもあります。そして、ジェリー・マリガンとの双頭カルテットで小洒落に 'ロマンティックじゃない' とクールに装いながら、ここではジャック・ペルツァー(終生チェットのヤク仲間)を相手にまるで昼下がりのカフェで一服するようにスラスラと歌うチェット。彼の自叙伝を読むととてもまともに付き合え切れる人物ではないことが暴露されておりますが、しかし、彼のラッパはいつでも甘い囁きと共に多くの人を魅了するのでした。











米国全土が髪と髭を伸ばし 'ドロップアウト' した1960年代後半。追われるように欧州から逃げ帰ってきたチェットがパシフィック時代の栄光に縋り 'バイショー' なポップスで小銭を稼ぎ、結局は麻薬の代金払えずに暴行されて生活保護者に転落、ガソリンスタンドで給油するバイトの身として燻り続けます。1969年の 'Albert's House' はまさに場末のストリップ・ショーの合間でステージに立ってたようなチープかつ侘しくも愛らしい一枚。この、まったく感情も無くプスプスと鳴りの悪いラッパで歌うチェット・・怖い。ギターのバーニー・ケッセルも参加しているのだけど・・若者がロックに熱狂する時代の真っ只中、喰えなかったんだろうなあ(悲)。ひっそりとした真夜中に小さな音で聴くことをオススメします。







イメージとしてはヴィンセント・ギャロ主演・監督の映画 'The Brown Bunny' でひた走るカリフォルニアの車窓とJackson C. Frankの挿入曲 'Milk And Honey' の荒んだ感じ。さて、そんな 'やっつけ仕事' をこなしながら赤土吹き荒ぶ街道沿いの給油所で突っ立つチェットを個人的に想像しちゃうのですが、この低迷期の心境を現したBGMとしてピッタリなのがテキサス・サイケデリックの雄、1967年のレッド・クレイオラ。荒涼としたテキサスの砂埃舞う中に現れるひなびたホテル、という設定が何ともサイケというか、チープなトレモロの効いたオルガンやハープシコードと共に、そのまま瞳孔開きっぱなしの乾いた覚醒感で迫ってくるおっかない感じ。何より怖いのはそんな神経症的ギリギリの妄想とメロウな歌心が同居していることで、まさに狂気の淵へと落ちていくチェットが受け取った地獄への '招待状' として共鳴しているのです。'Albert's House' や 'Blood, Chet and Tears' などと同時に鳴らすと歪んだ世界がネジれてきて背筋寒くなります。

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