2018年5月4日金曜日

シタール60's (再掲)

Jerry JonesによるCoral / Dan ElectroのElectric SitarとBaby Sitarそれぞれの復刻は、この特異な 楽器の存在を再評価する上で大きな貢献をしたのではないでしょうか。1967年から69年にかけて販売されたこの 'シタール・ギター' は、1960年代後半の季節である 'サマー・オブ・ラヴ' を象徴するアイテムとしてひとつの市場を生み出しました。こちらの動画はDanelectroがCoralのブランドで1967年にヴィンセント・ベルの手により開発、発売したエレクトリック・シタール。シタールの共鳴にも似た 'Buzz' 音を出すブリッジ部を備えることで 'シタール風' の音色を出すエレクトリック・ギターの一種です。







Coral Electric Sitar
Kartar Music House Electric Sitar
Electro-Harmonix Ravish Sitar

また、このようなエレキギターの 'シタール化' は、そのまま本場インドでシタールの 'エレキ化' のような動きが起こり、インドのKartar Music House社製ほか、こんなピックアップやツマミを備えた 'エレクトリック・シタール' もございます。そして、さらにお手軽な 'アタッチメント' として、エレキギターをそのまま 'シタール化' するシタール・シミュレーター、Electro-HarmonixのSitar Ravish。昔は 'ギター・シンセサイザー' のプログラムとして用意されておりましたが、現代のDSPテクノロジーでここまで 'エフェクト化' してしまったマイク・マシューズおじさんは凄いなあ。





Danelectro Sitar Swami DDS-1
Freakshow Effects Maharishi

ちなみにDanelectroといえば一時、エレクトリック・シタールとは別に奇妙な 'シタール・シミュレーター' を発売していた時期がありました。Sitar Swamiと命名されたソレは、シタールを彷彿させる茶色い筐体にサイケな尊師(グル)の下手な似顔絵、そしてスライド・バーが一緒に封入されていた気がする。効果はオクターヴ・ファズにフランジャーかけたような感じで、これをウィ〜ンとスライド・バーで弾くとソレっぽく聴こえるのかな?動画のもこれをシタールと言うのはどうかと思えますが(苦笑)、しかし、新たなエフェクトと言えば面白いのかも。それでもこのシリーズ、他にPsycho FlangeやBack Talkとかなかなか侮れないモノもあって無視できないんですけどね。このような '空耳' っぽくシタールに聴こえるということでは、そんなシタールの流行した1960年代後半、同じく時代を席巻したファズの音色もどこかシタールに例えられることがありました。日本のHoneyが1967年に発売したアッパーオクターヴ・ファズの名機 'Baby Crying' は、米国にも '流行の東洋の神秘、Honeyの効果装置' のキャッチコピーと共に上陸し、その評価は "従来のファズ・トーンに加えて世界的流行のインド楽器、シタールの音色を新たに付け加えた、初めて2種類の音色を持つデラックス・ファズ・マシーン" とのこと。Freakshow Effectsはそんなファズのイメージを 'Maharishi' の名前と共に特化、蘇らせます。





インドの民俗楽器であるシタールが、当時の新しいロックの響きの中で渇望されていたというのは、今から考えると相当に '異様なもの' のように思えるてきます。それは突然、欧米の文化圏の中から三味線や尺八が聴こえてくるようなもので、以前なら 'エキゾティック' なもの、今風に言えば 'Cool Japan' などと称して取り上げていたことでしょう。しかし1960年代後半、このシタールを始めとした東洋文化とヒッピーイズムの伝播は、遠くインドシナの地で泥沼に陥ったベトナム戦争を始め、それまで誇っていた欧米の価値観が揺らぎ出していたことに意味がありました。つまり、単なる流行を超えたところで時代を乗り越えようとする若者の反乱と意識改革に大きな力を与えた '響き' がシタールにはあったのです。1965年のザ・ビートルズ 'Norwegian Wood' と1966年のザ・ローリング・ストーンズ 'Paint It Black' で、それぞれシタールをフィーチュアしたことがロックにおけるシタール・ブームのきっかけを作ります。以後、サイケデリック・ロックにおいてシタールの響きは人気を博し、またジャズや映画音楽においても多用され、当時のフラワー・ムーヴメントを彩る 'サウンドトラック' として、大音量のエレクトリック・ギターと共に時代の空気を代弁しました。





Electric Psychedelic Sitar Headswirlers - 11CD Box Set
Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.1
Sitar Beat ! : Indian Style Heavy Funk Vol.2

'Electric Psychedelic Sitar Headswirlers' という全11枚からなるコンピレーションがありますけど、これこそまさにそんな時代に量産されたシタールをフィーチュアするロック、ジャズ、イージー・リスニングetc...をコンパイルしたもの。もちろん、こんなものは氷山の一角であり、他にも、掘り起こせばいくらでも出てくるほど粗製乱造にシタールが '時代のサウンド' であったことをこのコンピは教えてくれます。また、本家インドのハリウッドならぬ 'ボリウッド' の一大映画産業で用いられるO.S.T.からグルーヴィーなもの中心に編集したコンピレーション、'Sitar Beat !' も有名ですね。ちなみに上の動画の 'The Minx' は1969年のポルノ映画のO.S.T.なのですが、サイケデリックなソフト・ロックの雄、ザ・サークルが参加し、本盤のレーベルは、Impulse !の創業者ボブ・シールが独立して新たに設立したFlying Dutchmanというジャズ・レーベルからの発売という、何とも混迷した時代を象徴する一枚でもあります。

さて、ここからはそんな混迷する時代の中でシタールをフィーチュアした曲、それもグルーヴィーなヤツをご紹介したいと思います。ある意味、ジョージ・ハリソンがマハリシ・マヘギ・ヨギにかぶれてしまった '若気の至り' 的抹香くさいものから、単純にエキゾでモンドな 'のぞき見趣味' 的にアプローチしたものまで、いやあ、熱狂する時代のエネルギーというのは凄いものです。それまでキッチリとアイビー・スーツ着こなして会社に行っていたヤツが突然、髪もヒゲも伸ばし放題となり、革靴からサンダル、ジャラジャラした数珠などを修行僧の格好と共に身にまとい、お香を焚いてはそのままインドへ旅立って行方不明となってしまった 'ドロップアウト' 組を大量に生み出してしまったのだから・・。



ここ近年のサイケデリックに対するリバイバルで見るなら、1990年代以降のアシッド・ジャズ、モンド・ミュージックとの繋がりでドイツのジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットの 'Mathar' が再評価されたことは大きいですね。それまでの瞑想的なインドのラーガ的イメージから一転、シタールをグルーヴィな8ビートに乗せるという価値観は、そのまま余計な '抹香くささ' を払拭すると共に時代が一周したかのような面白さがありました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーがIndian Vibesという '覆面バンド' でカバーし、日本では立花ハジメ(懐かし〜名前)がテイ・トウワをプロデュースに迎えて制作したアルバム 'Bambi' で 'Son of Bambi' としてカバー。こんな再評価で突然蘇ったザ・デイヴ・パイク・セットは、過去MPSでリリースしたアルバムがすべてCDリイシューされました(さすがにグループの復活はなかったけど)。この 'Mathar' のイメージが強い彼らですが、実際は過去作全7枚中、シタールをフィーチュアした曲はわずかに3曲、意外でしたね。それはともかく、このグループはプログレにも通じる格好良さを備えており、わずか4年ほどの活動期間ですべてにクールなジャズ・ロックを展開しております。ちなみにデイヴ・パイクと並ぶ '双頭' リーダーのひとり、ギター、シタール担当のフォルカー・クリーゲルはその 'Mathar' 収録のアルバム 'Noisy Silence - Gentle Noise' のライナーノーツでこう述べております。

"まだ2週間にしかならないけれど、インドの楽器シタールと取り組んでいるところなんだ。ご多分にもれず、この偉大な楽器のすばらしいサウンドに興味を持ったからね。'Mathar' っていうのは、ラヴィ・シャンカールが人前で演奏できるようになるまで、グルの元で14年間学んでいた北インドの村の名前なんだ。でも、それだけじゃない。この言葉には、'Mathar' が 'Mother' (母)と 'Sitar' という言葉も含んでいるように思えるんだ。"

ちなみにこのクリーゲルさん、1970年代をジャズ・ギタリストとして駆け抜けながら1980年代には廃業、その後、不動産業かなにかに転身してしまったという変わり種の人でもあります。



こちらは何とも謎のグループ、ザ・ソウル・ソサエティの 'The Sidewinder'。そう、一聴してお分かりのようにリー・モーガンのヒット曲ですね。1960年代後半に 'Saticfaction from The Soul Society' というアルバムをDotというレーベルからリリースしたグループのようで、その他、当時のヒット曲であるサム&デイヴ 'Soul Man' やザ・ローリング・ストーンズ 'Saticfaction'、ミリアム・マケバの 'Pata Pata' などをファンキーにカバーする '企画もの' 的一枚のようです。本曲のラテン・アレンジによるイントロで鳴る濃厚なシタールの '響き'、ええ、たったこれだけのアレンジなんですけど良いですねえ。





さて、このようなシタールに魅了された者たちとしては、当時、ギターにおける早弾きのスキルと相まってアプローチする奏者がロック、ジャズの界隈から現れます。ザ・ビートルズのジョージ・ハリソン、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミー・ペイジの師匠筋にあたるビッグ・ジム・サリヴァン、ジャズにおいては、パット・マルティーノやガボール・ザボ、後にヒンズー教徒に帰依までした 'マハヴィシュヌ' ことジョン・マクラフリンが代表的ですね。また、米国人ながらラヴィ・シャンカールに師事してシタールを習得、そのままジャズの世界で '伝道師的に' アラン・ローバー・オーケストラを始め、数々のセッションを経ながら無国籍グループ、オレゴンを結成、そしてマイルス・デイビスの 'On The Corner' にも参加したコリン・ウォルコットもおりました。その他、パット・マルティーノとの共演を経てマイルス・デイビスのセッションに参加、後にそのメンバーとなるカリル・バラクリシュナ、ウェストコースト一帯でセッション・ミュージシャンをしていたビル・プルマーなどもそれまでフツーの米国人ながらインドに '感染' し、以降は完全に 'ドロップアウト' してしまった連中です。





当時、ドン・セベスキーやデイヴ・グルーシンなど多くの作、編曲家らも夢中となったシタールの音色ですが、1968年のハリウッド映画 'The Party' のOSTはヘンリー・マンシーニが手がけ、そのテーマ曲でのシタール演奏をビル・プルマーが担当しました。ここでの 'エセ・インド人' を演じたのは 映画 'ピンクパンサー'  のクルーゾ警部でおなじみ若き日のピーター・セラーズ。またプルマーが同時期にImpulse !で吹き込んだ一枚 'Bill Plumer and The Cosmic Brotherhood' から、これまた同時代のバート・バカラックによるヒット曲 'The Look of Love' をどーぞ。このように '時代の音色' としてシタールを取り入れる一方で、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' にアプローチするジャズマンも登場します。ジャマイカ出身で米国で活動するサックス奏者ジョー・ハリオットは、早くからインドの古典音楽にアプローチしていた稀有なひとりであり、インド人ヴァイオリニストのジョン・メイヤーと '双頭' による 'Joe Harriot - John Mayer Double Quintet' としてAtlanticから立て続けにアルバムをリリースしました。





このジョー・ハリオットとジョン・メイヤーの試みは大西洋を渡り、ブリティッシュ・ジャズのジャズマンたちを刺激し、1969年にThe Indo-British Ensembleの名義で 'Curried Jazz' というアルバムを制作します。ここでは1965年のハリオット、メイヤーらの 'Indo - Jazz Suite' に続いてラッパのケニー・ウィーラーらも参加しておりますが、この時代、まだ駆け出しの 'セッションマン' であったウィーラーがモダン・ジャズからフリー・ジャズ、ジャズ・ロックに加えてこのような 'インドもの' にまで参加するというのは、その後のECMで打ち立てる様式美を考えると感慨深いものがありまする。また、そのジョン・メイヤーがさらに 'プログレ寄り' のコンセプトで行なった続編的プロジェクト、Cosmic Eyeの 'Dream Sequence'。こういう組み合わせって即興音楽の '構造' の面白さを引き立てる上でまた流行しないですかねえ?





そして、インドの古典音楽が持つ即興演奏の '構造' を自らのビッグバンドに取り入れたドン・エリスなのですが、おお〜!まさかこんな音源がそれも高音質で残っていたとは・・コレ、明日にでもCD化して発売できるクオリティですよね。'Hindustani Jazz Sextet' という名の実験的グループによるライヴ音源のようで、ジョー・ハリオットよりもさらに早い1964年の時点でその後の 'インド化' の端緒を試行錯誤していたことが分かります。しかしシタールとボサノヴァがラウンジに融合するという怪しげな展開・・コレ、もっと音源ないのかな?ここでのタブラやシタールの演奏はHari Har Haoなるインド人?が担っているようですが、ヴァイブのエミル・リチャーズやベースのビル・プルマーなど、エリス同様にインドへかぶれてしまう連中が参加しているのも興味深い。う〜ん、何かこのあたりのジャズ人脈からインド人脈ってのもジャズとヒッピー文化の '秘史' として掘り下げてみたら面白いかも。続く 'Turkish Bath' はドン・エリスの 'インド化' を象徴する一曲で当時、シングル・カットもされたくらいですから多くのヒッピーたちのBGMとして迎え入れられたことでしょう。

一方、このような欧米の 'シタール・ブーム' に対し、やはり 'ビートルズ・ショック' を受けたであろうインドの文化圏からも上でご紹介したコンピレーション 'Sitar Beat !' を始め、ロックやR&Bの要素を取り入れたグルーヴィなヤツが登場します。





ラヴィ・シャンカールの娘として、今や父と同じくシタール奏者の道を歩むアヌーシュカ・シャンカールや、世界的なポップ・スターとなったノラ・ジョーンズ(このふたりは異母姉妹です)に比べ、甥っ子のアナンダ・シャンカールなどと言われても知らない人がほとんどでしょうね。やはり叔父のラヴィ同様シタール奏者の道を歩みながら、時代の空気がそうさせたのか、師匠の反発を無視してロックにアプローチした時期がありました。1969年に大手レーベルRepriseと契約、ザ・ドアーズの 'Light My Fire' やザ・ローリング・ストーンズの 'Jumping Jack Flash' をカバーしたり、1974年の 'Ananda Shankar and his Music' では、エグいモーグ・シンセサイザーを取り入れたグルーヴィなスタイルを披露しました。





イランのシタール奏者などと言われてもいまいちインドとは結び付きませんが、地図を見ればそこはインド、パキスタン、イランという広大な文化圏が一続きなのです、まだ 'イラン革命' 前のパーレビ国王時代のイランは米国の大衆文化を楽しむ余裕があり、このMehrpouyaというシタール奏者もアルバム 'African Jambo' からの一曲 'Soul Raga' でグルーヴィなR&Bの要素を見せ付けます。

ある種の観念的なイメージ、エキゾな '慰みもの' として東洋は常に西洋圏の眼差しの中で査定され、型作られてきました。その中でもシタールという楽器が持つ '抹香くさい' 響きは、それこそ、米国の通販で売られている 'Zen' などと呼ばれていつでも枯山水の庭園を味わえるミニチュア同様、お手軽な 'アジア' を所有できるアイテムだったのだと思います。これをもって文化的簒奪や新たな植民地主義だ、などと批判することは簡単ですが、しかし、なぜシタールが欧米の価値観を揺るがすほどの魅力を振りまいていたのか、という文化的なパラダイム・シフトの背景に答えることは簡単ではありません。資本主義社会が最初のデッドエンドを迎えた1960年代後半、世界の反乱の狼煙を上げる中で響くシタールの '香り' は、現在の世界の状況に新たな光を投げかけるでしょう。



そんな最後はインドの瞑想と共に幻覚の一粒を経口して・・。'LSDの教祖' としてその布教活動に取り組んだティモシー・リアリー。これは 'セットイン' と呼ばれるLSD服用の為のリラクゼーション導入を促す一枚で、濃密なインド音楽と電子音で被験者を 'Stone' させる1967年の 'Turn On, Tune In, Drop Out'。しかし、こんなものが大手メジャー・レーベルであるCapitrolやMercuryから当時リリースされていたのだから、やっぱりどこか社会全体が壊れていたのかもしれないな。あ〜、カレー食べたくなっちゃった。

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