ファンクと現代音楽を、まるで秤にかけたかのようなバランスで釣り合いを取っている ‘On The Corner’ の隙間を埋めるように作用しているのが、インドの民俗楽器であるシタールとタブラの響きである。インドの ‘民俗音楽’ ではなく ‘民俗楽器’、つまり、ジャズにおいてインドの古典音楽が持つ即興演奏の ‘構造’ にアプローチしたジョー・ハリオットやドン・エリスとは違い、あくまでエスニックなカラーとしての ‘インド’ という点では、1960年代後半のザ・ビートルズを始めとしたサイケデリック・ロックに追従している。実際、デイビスが1969年11月から1970年2月まで断続的に行ったセッションは、まさにデイビス流のサイケデリックなドローンの実験に費やされた最初の試みである。ビハリ・シャルマ、カリル・バラクリシュナらが奏でるシタール、タンプーラ、タブラを、デイビスなりの遅れてきた ‘サージェント・ペパーズの衝撃’ と捉えてもそう不思議ではない。ある意味では ‘時代のサウンド’ だったわけだが、1972年の ‘On The Corner’ ではそれらとまったく別のアプローチで、積極的にリズムのパーツとして ‘分解’ したように作用している。コリン・ウォルコットのシタールはほとんどスパイス程度の役割に後退しているのに対し、高音のタブラと低音のバーヤの2つのハンド・ドラムからなるタブラは錯綜するポリリズムの ‘基礎ビート’ として、この見失いそうなリズムの頭を示すメトロノームの役割を果たす。ムトゥーメのコンガやスリット・ドラムス、ドン・アライアスの雑多なパーカッションも、ミックスのバランス上タブラより ‘低い位置’ に抑えられているだけに、タブラのよく通る乾いた直線的ラインが耳を捉える。実際、デイビスのセッション開始のキューは常にタブラから始められ、そこにひとつずつ楽器が折り重なっていくものであった。
インドとデイビスを繋ぐ興味深いもののひとつとして、1970年2月にリリースされた一枚の7インチ・シングルがある。それはちょうど ‘In A Silent Way’ と ‘Bitches Brew’ の間隙をすり抜けながら、ほんの少しだけ、デイビス言うところの ‘半歩先を行った’ 姿をみせる短い ‘断片’ を披露した。’Bitches Brew’ のレコーディング後、再開されたセッションにやってきたのはインドやブラジルの民俗楽器を持って現れた怪しい風体の姿。スタジオ内にカーペットを敷き、まるで露天商の如く楽器を並べて座っている姿を見て、デイビスいわくリビング・ルームのようだと言わしめたが、1969年の11月に始まったこのレコーディングは、断続的に翌年2月まで行われ、その中の一部を編集したものが上述のシングル盤 ‘The Little Blue Frog c/w Great Expectations’ となった。すでに ‘In A Silent Way’ の衝撃が落ち着き、早くも二枚組の大作である ‘Bitches Brew’ のアナウンスが行われようか、という時期に、これら二作品よりも後にレコーディングされたものが ‘ひっそりと’ ディスコグラフィーを飾ったのだから、それまでのデイビスにとっては前例がないことである。当時、このシングル盤がどれほど評判となり、またヒットチャートを賑わせたのかは分からない。そもそもシングル盤とは、ラジオ局やバーのジュークボックスなどで ‘宣伝’ するための商品であり、いわゆる ‘売れ線’ としてタイアップを呼び込むものでもある。ところがこのシングル盤、むしろ、当時のデイビスが展開していたエレクトリック・サウンドをさらに抽象化したような混沌に満ち溢れているのだ。この二曲は、’Great Expectations’ が1974年のアンソロジー的作品 ‘Big Fun’ で、’The Little Blue Frog’ が1998年の ‘The Complete Bitches Brew Sessions’ というボックスセットで、それぞれ ‘完全版’ の姿を公開している。しかし、ここでその演奏を検証することは無意味だろう。むしろ強調したいのは、その無駄に長い演奏からテオ・マセロが2分弱の編集をして ’断片’ とする混沌の姿と、’On The Corner’ の ‘プリ・プロダクション’ で描かれる ‘青写真’ を結び付けることにある。実際、この二曲の ’完全版’ でみせる姿のほとんどが明確な着地点もなく、ひたすら繰り返すことの冗長に終始しているのは一聴して明らかだ。以下は、そのときのレコーディングに参加したハービー・ハンコックの証言である。
“確か僕達は、あれはいったい何だったんだと、頭をかきかきスタジオから出て来たんだったよ。おもしろかったことはおもしろかった。しかし、僕達にも良いのか悪いのか、さっぱり見当がつかないんだ。とにかく変わってた。”
実際、この奇妙なレコーディング・セッションの様子はそのまま1972年6月の ‘On The Corner’ 制作においても発揮されている。スコアを持って現れたバックマスターはもちろん、明確な全体図も示されず急遽参加したデイヴ・リーブマン、バダル・ロイらの ‘困惑ぶり’ は、デイビスが本作品で求めていた ‘プロセス’ の重要な要素となる。しかし、その不明瞭な地図が指し示している ‘行き先’ はテオ・マセロによる二重の ‘隠蔽工作’ により、さらに意味不明な ‘断片’ の完成図として受け取ることの困惑へと変わる。それは、このバダル・ロイとデイヴ・リーブマンらの発言に集約されるだろう。
バダル・ロイ
バダル・ロイ
“正直にいえば、わたしはレコードができたときに一回聴いただけだった。そしてレコードが終わった瞬間、忘れることにした。どうしても好きになれなかったんだ。CDの時代になって、ある日、息子が学校から帰ってくるなり、興奮して叫んだ。「父さん、すごいじゃないか!『オン・ザ・コーナー』で演奏しているじゃないか!」。息子は『オン・ザ・コーナー』を再発見したんだ。それがきっかけになって、わたしは『オン・ザ・コーナー』を何度か聴いてみた。そしてわたしも好きになった。”
デイヴ・リーブマン
デイヴ・リーブマン
“当時、わたしはこの作品をまったく理解できなかったし、ただ ‘雑’ であるとしか思えなかったよ。コンセプトや音楽的な方向性がわからなくて、しかも彼のバンドに入って最初の6ヶ月くらいは、雑然としてたんだけど、徐々に彼がやろうとしていることを理解し始めたんだよ。でもはっきり言うと、20年、30年経って、やっと当時のマイルスのコンセプトがわかった気がするんだ。きっちりとまとまっていなかったことが逆に魅力的で、当時としては、とても斬新な音楽スタイルだったと思う。そして ‘On The Corner’ の影響で、1970年代以降のジャズは、様々なジャンルの音楽が最も融合した時代となったのさ。そして、それはマイルスが成し遂げた音楽への大きな貢献の一つだったんだよ。”
話を戻せば、このシングル盤では当然 ’完全版’ とはミックスのバランスが変わり、ドラムスよりもベース・ラインがビートの中心に据えられている。各楽器の錯綜する細かなパーカッシヴ的アプローチは、早くも ‘On The Corner’ の予兆を感じさせるが、むしろ、長いジャムセッションの一部を切り出した ‘断片’ の唐突さに、演奏の中心点をずらしながら、聴き手に積極的なチューニングを求めてくる ‘On The Corner’ のコンセプトの萌芽をみる。ちなみに1972年11月リリースの ’On The Corner’ からは、アルバム一曲目のメドレーから ‘Vote for Miles’ と、’Black Satin’ をタイトル変更した ‘Molester’ の二曲がシングルカットされている。
話を戻せば、このシングル盤では当然 ’完全版’ とはミックスのバランスが変わり、ドラムスよりもベース・ラインがビートの中心に据えられている。各楽器の錯綜する細かなパーカッシヴ的アプローチは、早くも ‘On The Corner’ の予兆を感じさせるが、むしろ、長いジャムセッションの一部を切り出した ‘断片’ の唐突さに、演奏の中心点をずらしながら、聴き手に積極的なチューニングを求めてくる ‘On The Corner’ のコンセプトの萌芽をみる。ちなみに1972年11月リリースの ’On The Corner’ からは、アルバム一曲目のメドレーから ‘Vote for Miles’ と、’Black Satin’ をタイトル変更した ‘Molester’ の二曲がシングルカットされている。
このようなテオ・マセロの編集におけるテクノロジーの積極的な活用は、他のプリ・プロダクションにおけるエレクトロニクスの 'ギミック' でも存分に発揮されている。CBSの技術部門が製作したElectric SwitcherやInstant Playbackと呼ばれる機器は、アルバム全体を左右に激しく ‘錯綜’ するパンニングの定位として、この ‘On The Corner’ の不条理な世界を強調する。すでにCBSの技術部門は、’Bitches Brew’ における印象的なエコーを放つトランペットの響きを生み出すため ‘Teo 1’ と呼ばれる機器を製作している。1998年、CBSが大々的にマイルス・デイビスのカタログを手直した際にデジタル・リマスタリングとリミックスを担当したマーク・ワイルダーの言によればそれは、テープ・ループ1本に録音ヘッド1つと再生ヘッドが最低4つは備えられたテープ・エコーであるという。この後、1969年11月の ‘Great Expectations’ ではさらにトランペットへの加工は大胆となり、翌年3月にレコーディングされ、1974年の ‘Big Fun’ で公開された ‘Go Ahead John’ に至って、そのまま ’On The Corner’ に先駆けたようなテクノロジーとミックスの最初の成果を発揮する。それは ’Jack Johnson’ 譲りのロック・ビートをバックに、いわゆるパンニングというよりかはスイッチャーを交互に切り替えながらデイビスの持つ ‘二面性’ のイメージを強調した。このような 'ギミック' はさらに錯綜する ’On The Corner’ において、ステレオを最大限に活かしたアルバム全体に横溢するデイビスの分裂したイメージへと拡大する。また、あまりにも不条理で雑然としたミックスと捉えられがちな 'On The Corner' ではあるが、その、ほとんどデイビスのトランペットが聴こえないことに抗議したリスナーに対し、マセロは 'Bitches Brew' が24分43秒、'Live-Evil' が26分40秒、'Black Beauty' が33分39秒、そして 'On The Corner' が26分38秒ものソロを取っていると具体的に割り出して反論しており、これだけでもいかにテープを周到かつ緻密に編集していたかが伺える。ちなみにテオ・マセロのプロデューサーとしての資質の根底には、モダン・ジャズと並び現代音楽への素養があり、1967年にはチャールズ・アイヴズら複数の作曲家と無調、微分音をテーマとした作品'New Music in Quarter-Tones' で 'One-Three Quarters' を自ら作曲、指揮している。
そんなテオ・マセロの偏執的な 'ポスト・プロダクション' は、そのまま’On The Corner’ の奇形的 ‘変奏’ と捉えられる一曲 ‘Rated X’ に到達する。’On The Corner’ 以降における編集作業を施したものとしては最もプログレッシヴで、また、デイビスがシュトゥックハウゼンの影響下において完成させた極北といえる。そもそもは1972年の9月にレコーディングされたベーシックトラックを元にプロデューサーのテオ・マセロが、その他のレコーディング・セッションから取られたデイビスの弾くオルガンをオーヴァーダブして、完全にスタジオの編集室の中でテープを切り貼りし、ミキシングコンソールによる音響的操作によって完成させたミュージック・コンクレートとなっている。以下、テオ・マセロによる制作の ‘レシピ’ を開いてみよう。
“マイルスのオルガントラックは、実は別の曲のものだった。もともと “レイテッドX” とはまったく無関係だったんだ。バンドの音が一斉になくなる箇所があるよね?それでもオルガンは鳴り続ける。あれはループだ。その1〜2小節後、再びバンドが戻ってくる。あのトラックは編集室で作ったものだったのさ”
‘Rated X’ は、1972年のコンサートバンドにおけるオープニングのレパートリーとして用意された曲であり、これは1972年8月にスタジオでリハーサルしたものが ’Chieftain’ と誤記されて ‘The Complete On The Corner Sessions’ に収録されている。一方、徹底的に編集の施されたこちらの ‘Rated X’ は、そもそものベーシックトラック含めどのような意図によるセッションだったのか、未だ明かされていないものへの興味は尽きない。また、この二曲ともに変則的なクロスリズムを持つバックビートは、1990年代に現れたUKのダンス・ミュージック、ドラムンベースを先取りしたものとして捉えられてもいる。ほとんどテープ編集とミキングコンソールによる音響的操作の ‘ダブ的’ 手法及び、ブレイクビーツの先駆的な 'ループ' を軸に制作された ‘Rated X’ のラディカルさは、'On The Corner' においてリズムの断片にまで解体されたデイビスのトランペットは完全に消え去っている。それはクラスター的オルガンの響きがミュートスイッチによる ‘On / Off’ として、ダイナミズムとグルーヴの波が遠心的な距離で拮抗する緊張感の持続においてのみ、ひたすら不穏な状態から逃れることを拒否しているようでもある。端的にこの徹底した編集作業の産物は、そのまま山のように積み上げられる ‘アウトテイク’ のオープンリールこそ、ほんの瞬間を捉えることを前提とした ‘アーカイブス’ の構築物であることを示す。つまり、創造の過程は客観的な聴取の作業を要請するための ‘宝の山’ に挑むことであり、それは、徹底した編集主義を貫く当時のデイビスの意図を強調するテオ・マセロの以下の発言からも読み取れるだろう。
“録音の機械というのは、セッションの最中止まることはない。止まるのは、録音したプレイバックを聴き返す時だけだ。彼がスタジオに入った瞬間、機械を回し始める。スタジオの中で起こることはすべて録音され、残されるのはスタジオ内のすべての音を閉じこめた素晴らしい音のコレクションだ。一音足りとも失われていない。私が彼を手がけるようになって、彼はおそらく世界でただひとり、すべて(の音)がそっくりそのまま損なわれていないアーティストだろう。普通はマスターリールを作るものだが、それは3トラック、4トラックの開発とともにやめた。もうそういうやり方ではなく、自分が欲しいものだけを取り出し、コピーする。そのあとオリジナルは手つかずのまま、保管室に戻されるんだ。”
‘Rated X’ は、1972年のコンサートバンドにおけるオープニングのレパートリーとして用意された曲であり、これは1972年8月にスタジオでリハーサルしたものが ’Chieftain’ と誤記されて ‘The Complete On The Corner Sessions’ に収録されている。一方、徹底的に編集の施されたこちらの ‘Rated X’ は、そもそものベーシックトラック含めどのような意図によるセッションだったのか、未だ明かされていないものへの興味は尽きない。また、この二曲ともに変則的なクロスリズムを持つバックビートは、1990年代に現れたUKのダンス・ミュージック、ドラムンベースを先取りしたものとして捉えられてもいる。ほとんどテープ編集とミキングコンソールによる音響的操作の ‘ダブ的’ 手法及び、ブレイクビーツの先駆的な 'ループ' を軸に制作された ‘Rated X’ のラディカルさは、'On The Corner' においてリズムの断片にまで解体されたデイビスのトランペットは完全に消え去っている。それはクラスター的オルガンの響きがミュートスイッチによる ‘On / Off’ として、ダイナミズムとグルーヴの波が遠心的な距離で拮抗する緊張感の持続においてのみ、ひたすら不穏な状態から逃れることを拒否しているようでもある。端的にこの徹底した編集作業の産物は、そのまま山のように積み上げられる ‘アウトテイク’ のオープンリールこそ、ほんの瞬間を捉えることを前提とした ‘アーカイブス’ の構築物であることを示す。つまり、創造の過程は客観的な聴取の作業を要請するための ‘宝の山’ に挑むことであり、それは、徹底した編集主義を貫く当時のデイビスの意図を強調するテオ・マセロの以下の発言からも読み取れるだろう。
“録音の機械というのは、セッションの最中止まることはない。止まるのは、録音したプレイバックを聴き返す時だけだ。彼がスタジオに入った瞬間、機械を回し始める。スタジオの中で起こることはすべて録音され、残されるのはスタジオ内のすべての音を閉じこめた素晴らしい音のコレクションだ。一音足りとも失われていない。私が彼を手がけるようになって、彼はおそらく世界でただひとり、すべて(の音)がそっくりそのまま損なわれていないアーティストだろう。普通はマスターリールを作るものだが、それは3トラック、4トラックの開発とともにやめた。もうそういうやり方ではなく、自分が欲しいものだけを取り出し、コピーする。そのあとオリジナルは手つかずのまま、保管室に戻されるんだ。”
そして “私のやったことが気に入らない者は、20年後、やり直せばいい” とテオ・マセロは言葉を結んでいるが、それは、この時代のデイビスの創造性において最もラディカルな試みであった ’On The Corner’ の核心を突くものでもある。
一方で ‘ブラック’ の視点からみると、R&Bとシタールは特別不思議な関係というわけではなかった。大ヒットしたザ・デルフォニクスの ‘Didn't I (Blow Your Mind This Time)’ やザ・スタイリスティクスの'Your Are Everything' を始め、すでにMFSBによるフィラデルフィア・ソウルのプロダクションにおいて、シタールを隠し味的に用いるのは当然となっており、また、デイビスも ‘On The Corner’ のアイデアをムゥトーメに話した際、MFSBの中心人物トム・ベルのアイデアをヒントにして練っていると話しながら、1970年1月にレコーディングした ‘Guinnevia’ のテープを参考として寄越したという。もちろん、ここには ‘On The Corner’ 制作の直前まで進行していたシングル ‘Red China Blues’ セッションの仕事が絡んでくる。当時、アイザック・ヘイズの ‘Shaft’ やカーティス・メイフィールドの ‘Superfly’ のヒットをきっかけに、いわゆる ‘ブラックスプロイテーション’ 映画の興隆があった。黒人を主人公にしたアクション映画は、それまでの黒人たちが置かれていた状況を一変させ、以後、雨後の筍のように同様の映画が乱発された。デイビスも、そういった作品を得意とするウェイド・マーカスをアレンジャーに呼び ’Red China Blues’ というシングル盤を制作したが、結局リリースされたのは1974年である。’On The Corner’ の結果を鑑みたとき、この曲 ‘Red China Blues’ はストレートに同胞たちに受ける要素を持っていた。むしろ、それはデイビスらしくないとさえいえる ‘仕事ぶり’ なのだが、ここから ‘On The Corner’ への ‘転回’ について考察してみる価値はあるだろう。同時期、デイビス同様にファンクへと接近し、スカイハイ・プロダクションを迎え制作された '真っ黒い' ドナルド・バードの ‘Blackbyrd’ やハービー・ハンコックによる ‘Headhunters’ が、従来のジャズの枠を超えてR&Bの層に受け入れられていたことと ’On The Corner’ への ‘転回’ から ‘惨敗’ の流れは、そのままジャズの制作システムと聴衆が大きく変化したことを如実に物語っている。以下、CBS制作の ‘On The Corner’ PR用広告に添えられていたキャッチコピー。
「マイルス・デイビスと共にストリートを歩き、舗道の人たちの言葉に耳を傾けよう、それは ‘その地区’ に暮らす人たちの喜び、苦しみ、美しさが凝縮された音楽。耳を澄ましてみよう、世界で最も美しい場所のひとつに」
このようなメッセージとは裏腹に、1970年代以降の同胞が求める ‘連帯感’ は、混沌とした制作のプロセスをパッケージする ‘On The Corner’ よりフォーミュラ化する音楽の持つパッケージの洗練さであった。そこには、一枚岩のように誇っていた ‘ブラック’ による共同体への希求は過去のものとされ、あらゆる '階層' へと振り分け、鋳直されていく ‘フュージョン’ に象徴された黒人たちの変容として読むことができる。すでにストリートから遠く離れた ‘スター’ としてのデイビスが創造する ‘混沌’ の世界は、コーキー・マッコイが描くグラフィティ・アートの ‘連帯感’でもって近づこうとすればするほど、巨大なアフロヘアーと共に洗練された身のこなしで、白人に気兼ねなく街を闊歩することを求める ‘ブラック’ とは相容れなかったのである。それは、すでに黒人が米国社会にとって理解され難い ‘ノイズ’ の存在ではなくなったことの証明でもあった。
‘On The Corner’ のレコーディング・セッションを考える上で、いわゆる ‘マイルス・デイビス・スクール’ の有能な卒業生たちやジャズ畑からの参加と、まったく偶発的に呼ばれて参加したミュージシャンたちとの混合した関係がある。その ’スクール卒業生’ であるジョン・マクラフリン、ハービー・ハンコックとチック・コリア、ベニー・モウピン、ジャック・ディジョネット、そしてジャズ畑の ‘新人’ であるデイヴ・リーブマンやカルロス・ガーネット、ロニー・リストン・スミス、アル・フォスター、ビリー・ハートらに、引き続き前年のコンサートバンドからマイケル・ヘンダーソン、ドン・アライアス、ムトゥーメが参加して、デイビスの意図するグルーヴを支える役割を果たしている。ここに新たなメンバーである、インドの民俗楽器を操るバダル・ロイ、コリン・ウォルコットと、それまでとは畑違いのジャンルからデイヴィッド・クリーマーやハロルド・ウィリアムズを加えて、さらに、デイビスと共に制作側に立つ人間ながら演奏者としても参加するポール・バックマスター、テオ・マセロらが ’On The Corner’ のクレジットを飾っている。その他、ハロルド・ウィリアムズの紹介により、以降のコンサートバンドから加入するレジー・ルーカスも参加していたのではないか、とも言われているが、残念ながら確認のほどは取れていない。このような事態となったのは、スケジュールの都合がつくメンツを連れてくるようにと ‘口コミ’ に頼り、参加する演奏者が各々連れてきた結果であった。もしくはレコーディング・セッションですべて完成させようとせず、テオ・マセロの緻密な編集作業を念頭に置きデイビス自ら狙っていたものとも考えられる。実際、これらのクレジットはさながら ‘覆面バンド’ の如くアルバムでは伏せられていたのだから。この 'On The Corner' におけるクレジットの '隠蔽' については、'スイングジャーナル' 誌1973年7月号のインタビューでこう答えている。
"レコードをじっくり聴いてもらいたかったからだよ。白人の批評家ときたら、名前を見ただけで、黒人ミュージシャンの悪口を言うからね。彼らには、我々がどう感じているかなんてことは、これっぽっちもわかっちゃいないんだ。そんな連中には、オレのレコードについて何かを書くなんて許せないよ。だから名前を外したんだ。誰がやってるのか分からなければ、何も言えなくなるんじゃないか。コメントなんてしてもらいたくない。"
この中から真っ先にデイビスのお眼鏡に叶ったのが、デイヴ・リーブマンとロニー・リストン・スミスのふたりだ。すでに、アルバム制作後の長期ツアーを見越して自らのコンサートバンドへの参加を打診したというが、スケジュールの都合でリーヴマンは翌年の1月、リストン・スミスは3月にそれぞれ遅い加入を果たすこととなった。そして、ディジョネットに加えて参加したビリー・ハートとアル・フォスターらふたりのドラマーから、フォスターもまたデイビスの熱烈なラヴコールを受けたひとりである。リーヴマン同様、出演するクラブに通い詰めて口説き落とされたのだ。ちなみにフォスターは、3日間に渡って設けられた 'On The Corner' レコーディングのうち、6月12日のセッションでディジョネットに代わって参加し、ビリー・ハートとのツイン・ドラムスで'Ife' と 'Jabali' の二曲を叩いている。
しかし、このツイン・ドラムスの編成によるファンクのアプローチは示唆的である。すでにターニング・ポイントとなった ’Bitches Brew’ においてディジョネットとレニー・ホワイトの編成を試みていたが、ここでの編成に大きな影響を与えているのは、同時代のジェイムズ・ブラウンのバンドであるザJBズを支えたふたりのドラマー、クライド・スタブルフィールドと ’ジャボ’ ことジョン・スタークスであろう。つまりディジョネット以降、デイビスにとってファンクをキープするドラマーの選択は重要な問題であった。度々、穴埋め的に参加していたビリー・コブハムはもちろん、1971年のツアーメンバーであった ’ウンドゥク’ ことレオン・チャンクラー、そして従来のジャズ畑からの選考にこだわらず、ジミ・ヘンドリクスのバンド・オブ・ジプシーズからバディ・マイルス、ファンカデリックの ‘ティキ’ ことレイモン・フルウッドらにも声をかけていた。お気に入りはスライ&ザ・ファミリー・ストーンのグレッグ・エリコだが、一足早くウェザー・リポートのツアーメンバーに加入した後であった。またエリコの後釜として、アルバム ‘Fresh’ に参加するアンディ・ニューマークの叩き出す ‘In Time’ をデイビスが貪るように聴いていたことも特筆したい。そして、‘On The Corner’ 直前まで進行していた ’Red China Blues’ セッションに参加する ‘プリティ’ ことバーナード・パーディは、まさに ‘ファンク・マスター’ ともいうべきグルーヴを叩き出すドラマーとして有名であったが、果たしてデイビスは声をかけたのであろうか。結局は、ファンクと最も縁遠いアル・フォスターを長きに渡り起用することを考えれば、典型的なパーディの黒いグルーヴと、これ以降のコンサートバンドで展開するフォスターの ‘扱い方’ の違いにデイビス流の特異なファンクのアプローチが見えてくる。それは、この ‘On The Corner’ 全体を貫いている ‘分散化’ されたリズムのパーツとして、個々の律動から全体を統合するアンサンブルへと到達するプロセスに関心を示すものとして現われている。’ファンク’ もまた、デイビスにとっては目指すべきものではなく ’解体’ されるべきものであった。
ジャズのクリティクが持つマルクス主義的進歩史観は、マイルス・デイビスに大きなモダン・ジャズの椅子を用意してきた。’転向’ したとされる ‘In A Silent Way’ や ‘Bitches Brew’ のときでさえ、務めてジャズの著述家たちは、彼の行動にモダン・ジャズの明日を占う ‘マイルストーン’ の一投があると納得させてきた。しかし ‘On The Corner’ は、その ‘原理主義’ に対するアンチテーゼとして強烈に響く。批評に必要なパーソネルも編集の痕跡も隠蔽して、ふざけた漫画の ‘黄色いジャケット’ で舌を出してみせる。それは、マイルス・デイビスがどこからやってきて、どこへ向かうのかという ‘進歩史観’ の歩みを止めた瞬間でもある。また、不必要に黒人としての連帯感を求めたアルバムでもない。彼は、同胞の大半がいつも同じレコードを聴いて頭を固定させ、おなじみのものと戯れている姿に失望する。’ブルーズ’ にしがみつき、’ファンキー’ であることや ‘ブラザー’ であることを ‘演じている’ 黒人たちに向かって、より高度なアートフォームを提示して啓蒙することが自分の役目だとまで述べるのは、急速に変化する時代と格闘しなければならなくなったデイビス自身を象徴している。これは1970年代以降、大手を振って街を歩けるようになった黒人たちと ’アウトサイダー’ としてのブルーズやR&B、ジャズなどの黒人アートにかかわる根幹的な問題提起として読めるだろう。’On The Corner’ が用意する難解なパズルは、前近代的なエンターテインメントとしてのジャズの終焉と、巨大なロック・ビジネスを通じて ‘ジャンル’ という鋳型に流し込まれる狭間で、改めて自らの ‘居場所’ を確保し、強力な ‘磁場’ のように影響力を放つマイルス・デイビスの姿を提示する。そこには常に ‘謎’ が孕んでいるのだ。
"レコードをじっくり聴いてもらいたかったからだよ。白人の批評家ときたら、名前を見ただけで、黒人ミュージシャンの悪口を言うからね。彼らには、我々がどう感じているかなんてことは、これっぽっちもわかっちゃいないんだ。そんな連中には、オレのレコードについて何かを書くなんて許せないよ。だから名前を外したんだ。誰がやってるのか分からなければ、何も言えなくなるんじゃないか。コメントなんてしてもらいたくない。"
この中から真っ先にデイビスのお眼鏡に叶ったのが、デイヴ・リーブマンとロニー・リストン・スミスのふたりだ。すでに、アルバム制作後の長期ツアーを見越して自らのコンサートバンドへの参加を打診したというが、スケジュールの都合でリーヴマンは翌年の1月、リストン・スミスは3月にそれぞれ遅い加入を果たすこととなった。そして、ディジョネットに加えて参加したビリー・ハートとアル・フォスターらふたりのドラマーから、フォスターもまたデイビスの熱烈なラヴコールを受けたひとりである。リーヴマン同様、出演するクラブに通い詰めて口説き落とされたのだ。ちなみにフォスターは、3日間に渡って設けられた 'On The Corner' レコーディングのうち、6月12日のセッションでディジョネットに代わって参加し、ビリー・ハートとのツイン・ドラムスで'Ife' と 'Jabali' の二曲を叩いている。
しかし、このツイン・ドラムスの編成によるファンクのアプローチは示唆的である。すでにターニング・ポイントとなった ’Bitches Brew’ においてディジョネットとレニー・ホワイトの編成を試みていたが、ここでの編成に大きな影響を与えているのは、同時代のジェイムズ・ブラウンのバンドであるザJBズを支えたふたりのドラマー、クライド・スタブルフィールドと ’ジャボ’ ことジョン・スタークスであろう。つまりディジョネット以降、デイビスにとってファンクをキープするドラマーの選択は重要な問題であった。度々、穴埋め的に参加していたビリー・コブハムはもちろん、1971年のツアーメンバーであった ’ウンドゥク’ ことレオン・チャンクラー、そして従来のジャズ畑からの選考にこだわらず、ジミ・ヘンドリクスのバンド・オブ・ジプシーズからバディ・マイルス、ファンカデリックの ‘ティキ’ ことレイモン・フルウッドらにも声をかけていた。お気に入りはスライ&ザ・ファミリー・ストーンのグレッグ・エリコだが、一足早くウェザー・リポートのツアーメンバーに加入した後であった。またエリコの後釜として、アルバム ‘Fresh’ に参加するアンディ・ニューマークの叩き出す ‘In Time’ をデイビスが貪るように聴いていたことも特筆したい。そして、‘On The Corner’ 直前まで進行していた ’Red China Blues’ セッションに参加する ‘プリティ’ ことバーナード・パーディは、まさに ‘ファンク・マスター’ ともいうべきグルーヴを叩き出すドラマーとして有名であったが、果たしてデイビスは声をかけたのであろうか。結局は、ファンクと最も縁遠いアル・フォスターを長きに渡り起用することを考えれば、典型的なパーディの黒いグルーヴと、これ以降のコンサートバンドで展開するフォスターの ‘扱い方’ の違いにデイビス流の特異なファンクのアプローチが見えてくる。それは、この ‘On The Corner’ 全体を貫いている ‘分散化’ されたリズムのパーツとして、個々の律動から全体を統合するアンサンブルへと到達するプロセスに関心を示すものとして現われている。’ファンク’ もまた、デイビスにとっては目指すべきものではなく ’解体’ されるべきものであった。
ジャズのクリティクが持つマルクス主義的進歩史観は、マイルス・デイビスに大きなモダン・ジャズの椅子を用意してきた。’転向’ したとされる ‘In A Silent Way’ や ‘Bitches Brew’ のときでさえ、務めてジャズの著述家たちは、彼の行動にモダン・ジャズの明日を占う ‘マイルストーン’ の一投があると納得させてきた。しかし ‘On The Corner’ は、その ‘原理主義’ に対するアンチテーゼとして強烈に響く。批評に必要なパーソネルも編集の痕跡も隠蔽して、ふざけた漫画の ‘黄色いジャケット’ で舌を出してみせる。それは、マイルス・デイビスがどこからやってきて、どこへ向かうのかという ‘進歩史観’ の歩みを止めた瞬間でもある。また、不必要に黒人としての連帯感を求めたアルバムでもない。彼は、同胞の大半がいつも同じレコードを聴いて頭を固定させ、おなじみのものと戯れている姿に失望する。’ブルーズ’ にしがみつき、’ファンキー’ であることや ‘ブラザー’ であることを ‘演じている’ 黒人たちに向かって、より高度なアートフォームを提示して啓蒙することが自分の役目だとまで述べるのは、急速に変化する時代と格闘しなければならなくなったデイビス自身を象徴している。これは1970年代以降、大手を振って街を歩けるようになった黒人たちと ’アウトサイダー’ としてのブルーズやR&B、ジャズなどの黒人アートにかかわる根幹的な問題提起として読めるだろう。’On The Corner’ が用意する難解なパズルは、前近代的なエンターテインメントとしてのジャズの終焉と、巨大なロック・ビジネスを通じて ‘ジャンル’ という鋳型に流し込まれる狭間で、改めて自らの ‘居場所’ を確保し、強力な ‘磁場’ のように影響力を放つマイルス・デイビスの姿を提示する。そこには常に ‘謎’ が孕んでいるのだ。
最後に、上でも少し触れたが、’スイングジャーナル’ 誌1973年7月号のインタビューで、デイビスが ‘On The Corner’ のセールス惨敗を見越したと思しきコメントがあるので抜粋したい。このインタビューは同年6月の来日公演を前に、5月1日のサンタモニカはシビック・オーディトリアムの楽屋で行ったインタビュー。バンドはインドの楽器群含め総勢10名に膨らんでいたターニング・ポイントの時期である。ちなみにデイビス自身は‘On The Corner’ への困惑を理解できなかったようで、ある晩、ありきたりなジャズ・ロック・グループのライヴを聴きながら、なぜ、大衆はこんなクソみたいなバンドを好きなのにオレの音楽が分からないんだ?と悪態を付きながら独り言の如く、たぶん、オレの音楽が一度にたくさんの方角から出てくるからなんだろうな、と '自己分析' している。また、デイビス自身が行ってきた '変貌' に対してその時代ごとの変化、特に自動車の衝突音などが、昔は金属の鋭い響きだったものが今はプラスティックの鈍い響きへと変わったことなど、常に鋭敏な感覚で嗅ぎ取っていることにも留意したい。
- さっきあなたは、聴衆のことを気にしないといったが、それでは、あなたは音楽を何のために演奏しているのか。聴衆のことをどう思っているのか。
“聴衆について、オレがいつも考えているのは、人々をより高い水準に導きたいということだ。彼らは、いつも同じレコードを聴いて頭を固定させてしまう。しかし、いまは1973年なんだ。テレビでやっている音楽だって、60年代から少しも進歩していない。彼らを導かないといけないと思う。”
そして、この先トランペットで何かやれそうな可能性はあるのか、という質問を受けてデイビスは・・
“いつも自分のやっていることが、いま世界で起こっていることに遅れているかピッタリしているかどうかという風に考えるんだ。自動車の衝突音、街の音、それに合わせたりぶつけたり、ただ同じことの繰り返しは出来ないな。だいたい、洪水みたいに出てくるレコードを聴いたって、どのレコードもリズムは皆同じじゃないか。皆メロディばかりに気を取られていて、リズムはさっぱりダメなんだ。我々はメロディのためのリズム(Rhythms for Melody)を演奏しているんだ。”
1973年1月のニューヨークはヴィレッジ・イーストで、前年6月の ‘On The Corner’ レコーディング以来、初めてデイヴ・リーブマンの参加したライヴ。まだ、タブラのバダル・ロイとエレクトリック・シタールのカリル・バラクリシュナ在籍中の混沌とした時期である。撮影と編集は当時ニューヨーク在住であったカメラマンの井口鉄平氏。この、個人で回したと思しき安物のビデオ・カメラの映像に横溢する 'ローファイ' な質感は、そのまま強力なコンプレッションと共に荒い質感で迫る ‘On The Corner’ とのシンクロニシティを発揮、1970年代を象徴するマイルス・デイビスの放つ '匂い' となった。
1973年1月のニューヨークはヴィレッジ・イーストで、前年6月の ‘On The Corner’ レコーディング以来、初めてデイヴ・リーブマンの参加したライヴ。まだ、タブラのバダル・ロイとエレクトリック・シタールのカリル・バラクリシュナ在籍中の混沌とした時期である。撮影と編集は当時ニューヨーク在住であったカメラマンの井口鉄平氏。この、個人で回したと思しき安物のビデオ・カメラの映像に横溢する 'ローファイ' な質感は、そのまま強力なコンプレッションと共に荒い質感で迫る ‘On The Corner’ とのシンクロニシティを発揮、1970年代を象徴するマイルス・デイビスの放つ '匂い' となった。
参考文献
●完本 マイルス・デイビス自叙伝
●完本 マイルス・デイビス自叙伝
マイルス・デイビス / クインシー・トゥループ著 中山康樹訳 (JICC出版局)
●マイルス・デイビス物語
イアン・カー著 小山さち子訳 (スイングジャーナル社)
ジョン・スウェッド著 丸山京子訳 (シンコーミュージック・エンタテイメント)
●SAX & BRASS magazine 2013年秋号 Vol.28 (リットーミュージック)
●エレクトリック・マイルス 1972 - 1975 〈ジャズの帝王〉が奏でた栄光と終焉の真相
中山康樹著 (ワニブックス【PLUS】新書)
●SAX & BRASS magazine 2013年秋号 Vol.28 (リットーミュージック)
●エレクトリック・マイルス 1972 - 1975 〈ジャズの帝王〉が奏でた栄光と終焉の真相
中山康樹著 (ワニブックス【PLUS】新書)
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