2018年3月4日日曜日

'On The Corner' - 前編 (再掲)

1972年の ‘On The Corner’ から出発しよう。この錯綜するポリリズムの喧噪をどう表現すればよいのだろうか?まるで、カーステを唐突に触って耳に飛び込んできたような衝撃、助走のないグルーヴの混沌は、しばし身体を預けるためのチューニングに時間を要するだろう。その長いイントロダクションの間、主役’ は勿体つけたように引きつったリズムの影に隠れながら、むしろ積極的に打楽器としての役割で混じり合おうとしている。



早速、自叙伝から本人による ‘取り扱い説明書’ を開いてみる。

オレが「オン・ザ・コーナー」でやった音楽は、どこにも分類して押し込むことができないものだ。なんて呼んでいいのかわからなくて、ファンクと思っていた連中がほとんどだったけどな。あれは、ポール・バックマスター、スライ・ストーン、ジェイムズ・ブラウン、それにシュトゥックハウゼンのコンセプトと、オーネットの音楽から吸収したある種のコンセプト、そいつをまとめ上げたものなんだ。あの音楽の基本は、空間の扱い方にあって、ベース・ラインのバンプと核になっているリズムに対する、音楽的なアイデアの自由な関連づけがポイントだった。オレは、バックマスターのリズムと空間の扱い方が気に入っていた。シュトゥックハウゼンが好きになったのも、同じ理由だった。これが、「オン・ザ・コーナー」に持ち込もうとしたコンセプトだった。それは、新しいベース・ラインに合わせて、足でリズムが取れるような音楽だ。

この音楽は、当初から多くの ‘記号’ を纏いながら、あらゆる ‘ジャンル’ という括弧からこぼれ落ちるような存在として自立している。インドの民俗楽器、ファンクの黒いストリート感覚とジェイムズ・ブラウン、スライ・ストーン、オーネット・コールマン、ヒップ・ホップのルーツ的グループと呼ばれるザ・ラスト・ポエッツ、そして、ポール・バックマスターを通じてもたらされたカールハインツ・シュトゥックハウゼンとヨハン・シュトゥラウス・バッハら錚々たる ‘振れ幅’ は、この ‘謎解き’ に用意された地図であると同時に、深い迷宮へと誘う ‘だまし絵’ の役割を果たす。マイルス・デイビスなど知らない黒人のガキどもへ届けとばかりに送り出されながら、しかし、ほとんど聴衆不在となった ‘黄色いジャケット’ の意匠。このアルバムの ‘共犯者’ として選ばれたポール・バックマスターでさえ、まるで躊躇われるように近づくことができない。ただ、焚きつけるような ‘アフォリズム’ を宙に放っただけだ。


それでもこの、一切自立しているような ‘黄色いジャケット の周りにあらゆる点と線を結び付ける ‘地図’ を描き出すことは可能だ。なぜなら、このアルバムは40年以上経った現在においても強烈にその匂いを放ち、多くの ‘越境者’ を虜にする魅力を纏っている。

すでに、このアルバムに付随するダブ、ヒップ・ホップ、ドラムンベースといった ‘ジャンル’ の先駆者としての位置づけで語ることも陳腐化し、’On The Corner’ を巡る語彙とバックグラウンドは拡大したが、それは ‘言説化’ されなかったタームがテクノロジーの進化と共に鮮明となったにすぎない。もちろん、デイビス本人も現在のストリートの潮流を見越して ‘先取り’ したわけではないだろう。しかし面白いのは、現在のストリートを占拠しているダブやヒップ・ホップの手法が、この1972年の ‘On The Corner’ と並行して勃興していることである。’On The Corner’  ‘秘術的な’ ミックスを手がけたテオ・マセロの頭の中にあったのは、むしろ、ピエール・シェフェール以降のミュージック・コンクレートなどのカットアップやテープ編集の手法であった。それらは現代音楽における緻密なコンテクストと編集作業によって進められるものだが、キングストンの限られた環境においてリディムのリサイクルからミックスの ‘換骨奪胎’ に挑むダブや、ニューヨークのストリートに二台のターンテーブルを引っ張り出し、剽窃と誤用’ によりレコードの意味を変えたブレイクビーツの手法と比べても、そのバックグラウンドは異なれ、驚くほど近似的なアプローチを取っている。また、ミュージック・コンクレートやシュトゥックハウゼンのライヴ・エレクトロニクスによる密室的な作業に比べ、ダブやヒップ・ホップの手法は、貧しい環境と編集による再生産の解釈がそのまま、音楽市場の商業主義に対する ‘批評的行為’ として機能したことに意味があった。それは孤立無援であった ‘On The Corner’ の惨敗に対し、ダブはレゲエのマーケットを超えて生み出される副産物の ‘リミックス’ として発展し、ヒップ・ホップのブレイクビーツにおける ‘再生産’ は、1980年代以降のサンプラーやシーケンサーなどのテクノロジーと共に ‘ループ’ という概念へと変化したことからも明らかだ。このような黒人の身体感覚と限定的なテクノロジーによるダブ、ヒップ・ホップと、スタジオの密室的な実験精神から生み出される ‘On The Corner’ の手法は、現在の袋小路なポップ・ミュージックの突端にそびえ立つ ‘前衛’ そのものとして未だ有効である。





また、’On The Corner’ のグルーヴとの ‘相似性’ として、これらと並行するように展開していたアフリカのフェラ・クティを始めとする ‘アフロ産ファンク’ との共通項がある。’On The Corner’ 惨敗の要因のひとつが、当時の米国の潮流であるファンクとの ‘連帯感’ の無さだ。アフリカン・アメリカンでありながら、ジェイムズ・ブラウンやスライ・ストーンを聴いて出来上がったのが ‘On The Corner’ というアルバムであるところに、マイルス・デイビスの深い闇がある。これは、同じように孤立しながら独自の手法を深化させ、後に ‘ハーモロディクス’ という概念へと統合させたオーネット・コールマンと被さる。彼らはまさに ‘異邦人としての米国’ を体現した存在であり、ブルーズやファンキーというレッテルと共にこの問題の根は深い。我々が現在認識している黒人音楽のグルーヴと呼んでいるものの大半は米国産だが、当然、米国の黒人に対してジャマイカの黒人とナイジェリアの黒人ではリズムの取り方が違う。アフロビートと呼ばれるグルーヴの元にジェイムズ・ブラウンのファンクとの関係があるが、ある意味でそれは ‘誤用’ による多様性の現れである。レゲエのルーツであるスカやロック・ステディが、そもそもはカリブ海を隔ててラジオから流れてくるR&B ‘ジャマイカ流’ 解釈として始まったのも同様だ。





’On The Corner’  ‘誤用’ は未だフォロワーを持たない自立した存在だけに、アフロ’ という感覚的なニュアンスに対する ‘反語’ として、これら特異なグルーヴを並べてみることには意味があるだろう。すでに1975年、ドイツの評論家兼音楽家であるマンフレット・ミラーは ’Stereo’ 誌のレビューで “サウンドストリーム(音の潮流)及び、断片的なソロに代わって、リード・シンガー役を努める合唱隊の礎として、幾重にも織られたリズム・ライン(ドラム合奏)がある、西アフリカの儀式舞の原理に基づいた音楽” であると、’On The Corner’ について卓見した内容を述べている。おおよそ、ファンキーな連帯感やアフロという観念的な印象からも遠いように聴こえるいびつな ‘On The Corner’ を前に、そのリズム構造とアフロの感覚に着目しているのはさすがだ。

‘On The Corner’ 最大のアフォリズムとして、現在までほとんど触れられていないのがドイツの現代音楽作曲家、カールハインツ・シュトゥックハウゼンの影響である。このアルバム以降、ことあるごとにデイビスは自らの音楽の源泉としてその名前を口にするが、このふたりの関係を結び付ける言説は未だ登場していない。むしろ、スライ・ミーツ・シュトゥックハウゼン’ というスローガンだけが一人歩きして、それがクールだという素振りに終始している。


1966年、東京の内幸町にあったNHK電子音楽スタジオを訪れたシュトゥックハウゼンが、そこの電子機器を用いて '作曲・初演' した作品 'Telemusik'。シュトゥックハウゼンによれば、本作は '多チャンネルの特殊な再生方法による音響空間の造型' と '演奏という、ある意味での不確定な要素を電子音楽に持ち込むことによるある種の人間性復活' にあるとしている。タイトルの 'Telemusik' の 'tele' は、telephone、televisionの 'tele' であり、時間的、空間的、精神的、内容的にも '隔たり' または '違い' を意味する。本作の再生にあたり、5台のスピーカーを非対称の5点に(5角形)配置し、その向きは、あるスピーカーに対する反対側の2台のスピーカーを結ぶ直線の中心に向ける(それぞれの方向は中心の1点には結ばれない)。そして、再生時にはシュトゥックハウゼン自身が5台のスピーカーの中心で、5チャンネル・ミキシング回路を操作し、聴衆はスピーカーの内側で中心に向かって位置する。大掛かりな3群オーケトラによるアコースティックでの音響生成と空間音楽を目指す 'Gruppen' のエレクトロニクス版ともいうべき本作だが、その制作手法のひとつに、日本を始めとした世界各地で録音された音の断片をコラージュ的に用いている。それは、奈良のお水取りや雅楽、薬師寺、高野山、アマゾン、南サハラ、スペインの片田舎、ハンガリー、バリ島、ヴェトナムの山奥、あるいは中国からの音素材を基にしているという。このような手法についてシュトゥックハウゼンはこう述べている。

"電子音楽を作るとき、これらの音をすべて一緒にして、それぞれを同じ次元で考えようとする。つまりそこで時間、歴史(伝統)、空間という3つの異なった要素を一緒にすることができる。わたしの作った作品はユートピアへの志向であり、予想であって、そこには時間も空間も存在しない。"

ちなみにこの 'Telemusik' は、バックマスターが差し出したシュトゥックハウゼンのレコードのうち、'Gruppen' と共にあった一枚 'Mixtur' (Grammophon 137 012)とのカップリングによるA面に収録されていたものだ。まさに '混合' と題されたこの 'Mixtur' こそライヴ・エレクトロニクスの端緒とされる作品で、オーケストラ編成から 'モメント' と呼ばれる20のブロックとして取り出したものをフィルター処理やリング・モジュレーターで変調、音響合成するものである。果たして、'On The Corner' におけるA面を占める1曲 'On The Corner (2:58)〜New York Girl (1:32)〜Thinkin' One Thing and Doin Another (6:45)〜Vote for Miles (8:45)' の連続する主題の転換と、同一曲のベーシック・トラックを用いながら '断片' として切り分けていく 'Black Satin' と 'One and One'、そしてこれらの主題が混ぜ合わされていく 'Helen Butte〜Mr. Freedom X' という 'ふたつ' の対照的な様式に 'モメント' は影響を与えているのか、その興味は尽きない。また、アルバムのコンセプトなどにも多くのサジェッションを与えたと言われているバックマスターは、アイデアの源泉としてデイビスにこんな '哲学' をぶちまけている。

要するに、抽象性をおおいに取り入れ、一種の ‘宇宙的パルス’ を生み出すことだった。マイルスには「物事というのは、オンかオフか、そのどちらか一方だ。現実とはオンとオフの連続によって成り立っているんだ。」というようなことを話した。なんともクレイジーなアイデアだがね。私が言いたかったのは、音というのはその前後、もしくは隣に静寂さを伴っていなければ、何の意味も持たないということさ。静寂が音楽を作り、音楽の一部だということを言いたかったんだ。シュトゥックハウゼンもかつてこう言っていた。「おまえに聞こえる音の隣にある音を出せ」と。そこで私もマイルスに「オンかオフの宇宙的パルスを持つストリート・ミュージック」というようなことを言ったわけさ。マイルスはそのアイデアを気に入り、アルバムのタイトルだけでなく、表ジャケットには「オン」、裏ジャケットには「オフ」という言葉を使ったよ。

1960年代、ビートニクらカウンター・カルチャーの世代からフラワー・ムーヴメントに至る影響まで、インド哲学や東洋思想などが過度に持て囃され、それまでのキリスト教的価値観に対する大きな疑問符が突きつけられた。知識人の中からも、哲学とフロイト精神分析における権威であったジャック・ラカンや、現代音楽におけるジョン・ケージが鈴木大拙を通じて理解する禅の思想、そしてシュトゥックハウゼンもまた、理論を超えた誇大妄想的な宗教的言説に塗れていく頃でもあり、バックマスターの発言にはそんな時代の雰囲気が大きく作用している。また、デイビスのシュトゥックハウゼンへの理解が、あくまでバックマスターというフィルターを通して見ていたことにも留意したい。



そんな ‘On The Corner’ に強い影響を及ぼしたシュトゥックハウゼンだが、その逆に、シュトゥックハウゼンへはどのように波及したのだろうか。この1975年の小品は 直観音楽’ と称して、従来のセリーや図形楽譜からのコンテクストを脱し、即興演奏をさらに ‘直観’ なる哲学に基づいたコレクティヴ・インプロヴィゼーションにより イメージの具象’ へ挑んだものである。1970年の大阪万国博の帰りに立ち寄ったスリランカでの体験を元に書いた ‘Ceylon’ と、1975年の ‘Bird of Passage’ B面に配されているが、その ‘Bird of Passage’ の方に、息子のマルクスが ‘On The Corner’ に触発されたような ‘アンプリファイ’ によるトランペットで参加している。クラシックと現代音楽を専攻し、父親の難しいスコアも吹きこなすマルクスだが、一方でジャズにも強い関心を持ち、当時、自らのジャズ・ロックのグループで活動していた。また、本盤ではカールハインツ自らも民俗楽器のKandy Drumやフルートを持ち、演奏に参加しており、ワウワウの効いたトランペットと無調によるエレクトロニクスが錯綜する中、まるでデイビスとシュトゥックハウゼンの ‘擬似共演’ を聴いているようでもある。



‘On The Corner’ は、その不可解な構成を伴ったアルバムであることに反し、制作の元となっている素材やアイデアなどについては広く流布する希有な一枚でもある。前述したように錚々たる名前が彼の自叙伝を飾り、それでも出来上がった内容に関して誰も批評することができないことに、デイビスはある種の快感と苦痛を伴っていたはずだ。快感とは、批評家を混乱させることであり、苦痛とは、これがどこのマーケットにも届かなかったという無理解である。しかし、シュトゥックハウゼンを単なる戦略的なタームで煙に巻いたものとして見るべきなのか。デイビスはご丁寧にも、まるで ‘On The Corner’ 解読の ‘処方箋’ の如く ‘Gruppen’  ‘Telemusik’ ’Mixtur’ のレコードを繰り返し聴いて ‘On The Corner’ を制作したことを述べているのである。そこにはデイビスの ‘On The Corner’ 創作の前後として、最も近しい関係であったスライ・ストーンの ‘暴動’ から ‘Fresh’ の創作期間が対を成す。頻繁にスライのスタジオに顔を出し、彼の制作過程も目の当たりにした上で、そこに差し出されたシュトゥックハウゼンのレコードを繋げたところに ’On The Corner’ 接近の鍵が隠されている。薬物とスターの軋轢により自我が崩れ始め、延々として制作の進行しないスライを訪ねる1970年の精力的なデイビスと、自動車事故の後遺症から再び薬物に溺れ始め、片や健康を取り戻しつつあるスライのスタジオに度々顔を出す1973年の病み始めたデイビス。この交差する関係性が ‘On The Corner’ に落とす影響は甚大だ。作品というひとつの枠組みの中にあらゆるパースペクティヴを内包するデイビスの音楽の特徴にあって、’On The Corner’ はその枠組み自体をファンクから現代音楽、インドの民俗楽器などがエレクトロニクスを通じてまき散らしたまま、あちこちで放棄されている。むしろ、その散りばめられたピースを積極的に聴き手自身で組み立てることを奨励しているようにさえ聴こえるのだ。ちなみにここで無機質にテンポを刻むリズム・ボックスは、スライが失った 'ザ・ファミリー・ストーン' に代わりスライ流 '冷たいファンク' の出発点となり、これは、そのままデイビス自身も1973年の来日公演を機にバンドへ導入、ムトゥーメの担当する打楽器のひとつとなった。


シュトゥックハウゼンを持ち込んだ ‘張本人’ であるポール・バックマスターは、デイビスにとって ‘On The Corner’ のコンセプトを手順よく進めて行く上での ‘設計者’ であり、多くの偶発的な要素を呼び込む ‘触発的存在’ であった。シュトゥックハウゼンのレコードを聴き、いくつかのアイデアの交換を元に設計図をバックマスターが書き上げ、そこから実際の現場で取捨選択していく ‘指揮者’ としてのデイビス。さらに、そのラフなスケッチ的セッションを元にデイビスの指示した ‘完成図’ に従い、テオ・マセロがテープを編集する。これが ‘On The Corner’ 制作プロセスのすべてである。’In A Sirent Way’  ‘Bitches Brew’ のカバーに小さく書かれた ‘マイルス・デイビス監督による音楽’ という ‘注意書き’ は、むしろこの ‘On The Corner’ においてこそ徹底していると言っていいだろう。もちろん、テクスト先行の現代音楽を教条的に受け取り ‘On The Corner’ へ結び付けてしまう愚行を犯す恐れはあるが、しかし、単なる ‘マイルス・デイビス流ファンク’ とするだけでは片手落ちなほど、アイデアの源泉としてのシュトゥックハウゼンの影響は濃いと見るべきだ。ちなみにバックマスターは、レコーディング・セッションのアイデアをデイビスに求められて、デイビス近年の作品に提示されて、またシュトゥックハウゼンの作品にも顕著な不規則テンポ(アウト・オブ・タイムのパッセージ)を活用したらどうなるか見てみたい、と答えている。厳密なシュトゥックハウゼンのテクストに従っていなくとも、混乱するアイデアの状況を前に、デイビスにとってシュトゥックハウゼンの ‘ガイド’ は制作を進めていく上での大きな指針となった。

以下は、バックマスターが詳述する ‘セッション’ の中身。

あらかじめ記譜しておいたのは、ベース・フィギュアとドラムのリズムと、あとはそれに合わせてタブラとコンガと、キーボードのフレーズが1、2個。実際、まるまる一曲譜面にしておいても、いざスタジオに入ってみると、キーボードはそれらのフレーズに一応触れはしても、しまいにはすっかり変えてしまう。最初は大体正確に弾いているんだけれども、そのうちだんだんシュトゥックハウゼン流に変形してしまうんだ。少しずつ元のフレーズがわからなくなって最後にはまったく別のものになっていくわけだ。転調する場所も書いておいたのに、リハーサルしないから、転調もされない。僕は譜面のコピーをとって、ミュージシャン達に配ったし、マイルスがそう言うから、ベースのパートやドラムのパートを彼らに歌って聴かせたり、キーボードのフレーズをチェックしたりしていたんだ。ところが、それもろくろく済まないうちに、マイルスが「オーケー、それで充分だ!」と言って、指を鳴らしてテンポをとり出した。そうして始まって、「オーケー、それまで。聴き返してみよう」とマイルスが言うまで30分も延々と続いたかな。もしも、もっとリズムがはねて欲しい、もしくはだらっとして欲しいと思った時は、肩をすくめるあの独特の仕草で表現するのさ。曲をおしまいに持っていくのもやっぱり動作、手のジェスチャーでね。





ポール・バックマスターがデイビスと知り合い、そこで自らのデモテープを聴かせてお墨付きをもらったのは1969年であった。この年、バックマスターはキーボードのティム・マイクロフトと共にSounds Niceの名義で、いわゆるレコード会社の ‘企画もの’ 的イージー・リスニングなロック・アルバム ‘Love At First Sight’ において早くも野心的な試みを探求する。また、ブライアン・ジョーンズ追悼の意でトリを務めたザ・ローリング・ストーンズや、鮮烈なデビューを果たすキング・クリムゾンらと共に 'チェンバー・ロック' でプログレの新機軸を打ち出したサード・イヤー・バンドの一員として、ハイドパークのフリー・コンサートに出演するバックマスター。これ以後、デイビスの ’In A Silent Way’  ‘Bitches Brew’ の革命的な ‘転向’ はバックマスターの血肉となり、1972年の ‘On The Corner’ に至る長い準備期間となった。1970年に制作され翌年リリースされたアルバム ‘Chitinous’ は、バックマスターが指揮を取り、ブリティッシュ・ジャズ・ロックの錚々たるメンツを集めた壮大なオーケストラ作品である。弦楽とジャズ・ロックのエレクトリックな響き、インドのタブラなどが融合し、そこかしこに当時のデイビスからの影響がある。そして1972年の5月にニュー・ヨークの自宅に呼ばれ、その後一ヶ月近くをデイビスと共同生活を送るバックマスターは、毎朝、チェロを取り出してバッハの無伴奏チェロ組曲第一番のプレリュードを弾いていたという。そして、バックマスターが旅行鞄の中に割れないようにして持ってきたシュトゥックハウゼンのレコードは、すぐさまデイビス邸のBGMとなり、それを貪るように聴き続ける中から ‘継続的プロセスとして音楽を捉えるという考え方’ のテーゼを獲得する。デイビスが ‘Chitinous’ を耳にしていたかどうか定かではないが、本アルバムがまるで ‘On The Corner’ への長いイントロダクションとして響くのは偶然であろうか。デイビス邸では、デイビスがピアノ、バックマスターはチェロで応答しながら ’On The Corner’ のスケッチとなるべき最初のアイデアを交換していく。

僕が、マイルスが使ったコードやらスケールやらを基にフレーズを弾くと、マイルスはよく「待った!それだ!それ書いといてくれ!」と言った。僕は急いで書き留めた。

実際のセッションでは、バックマスター自らもチェロにBarcus-berryピックアップを取り付けてワウペダルを踏むかたちの ‘アンプリファイド・チェロ’ で、積極的に ‘On The Corner’ における打楽器の一部として溶け込んでいる。バックマスターが用意していったスケッチの大半は、現場でほとんど変形させられ跡形も無くなってしまったというが、’Chitinous’ はそんな ‘On The Corner’ のスケッチの ‘青写真’ として重要な考察を与えてくれる。



また、このような傾向からデイビスがプレリュードに関心を示していたことは明らかで、基本的にリズムとテクスチャー、色彩、そしてストラクチャーから成り立ち、メロディのない音楽に惹かれていたこと。そしてデイビス自身がバッハを通じて、オーネット・コールマンの言う 'ハーモロディクス' の根幹である "グループ内の全楽器は同時にソロを取る自由がある" という趣旨の理解へと至ったことを認めている。



参考文献
完本 マイルス・デイビス自叙伝
マイルス・デイビス / クインシー・トゥループ著 中山康樹訳 (JICC出版局)
マイルス・デイビス物語
イアン・カー著 小山さち子訳 (スイングジャーナル社)
マイルス・デイビスの生涯
ジョン・スウェッド著 丸山京子訳 (シンコーミュージック・エンタテイメント)
音の始原を求めて - 塩谷宏の仕事 -ライナーノーツ: 佐藤茂 (元NHKチーフ・エンジニア)
エレクトリック・マイルス 1972 - 1975 〈ジャズの帝王〉が奏でた栄光と終焉の真相
中山康樹著 (ワニブックス【PLUS】新書)

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