→Hi-Nology / Terumasa Hino ①
→Hi-Nology / Terumasa Hino ②
唯一、具体的な使用例として上がるのが日本を代表するラッパ吹き、日野皓正さんの '電化宣言' ともいうべき1969年の傑作 'Hi-Nology'。見開き仕様の本盤ジャケット内側には、上半身裸の日野さんがAce Toneのスタックアンプとミキサー、そしてMultivoxのコントローラーを腰に装着する若かりし日のお姿をモノクロ写真、綴れ込みのポスターとして封入されており、その機器の存在を垣間見ることができます。ピックアップはラッパのベルの真横に穴を開けて接合され、この時期の日野さんのトレードマークであるJet Toneのマウスピースが印象的ですね。上のリンク先にはそれぞれポスターとジャケット内側の写真が大きく載せられており是非ともチェックして頂きたいです。ちなみにこの頃の管楽器用ピエゾ・ピックアップはマウスピースのほか、日野さんや上の動画にあるドン・エリスのようにベルの真横に穴を開けて接合するなど、ピエゾの感度に応じていくつかのやり方がありました。さて、このMultivox、効果的にはトーン・コントロールと1オクターヴ下のオクターバーを付加する素朴なものなのですが、'Hi-Nology' を聴く限りではほとんど使っている感じではないですねえ(テナーとのテーマ合奏での 'ハモリ' が紛らわしいですけど)。当時、都電の映像との 'コラボ' によるインスタレーションや大阪万博のステージでこの '装置' を持ち込んだそうですけど、残念ながら記録としては残っておりません。米国ではエディ・ハリスやリー・コニッツ、ドン・エリスら先駆者がいたとはいえ、このような電子機器をステージに上げてパフォーマンスを行っていた1969年の時点で、すでに日野さんの方がマイルス・デイビスよりも1年ちょっと早かったと言えますヨ。あ、上で本機についての具体的な資料がない、と述べてしまいましたが、実は、古い 'スイングジャーナル' 誌からこのMultivoxの広告を見つけました。
⚫︎オクターブの変化が得られます。
⚫︎三種の音色変化が得られます。
⚫︎各種のアンプに接続して演奏が楽しめます。
⚫︎IC使用により電源内蔵の世界で一番小型です。
⚫︎直接、管に取り付けることが出来ますので、操作がいたって簡単です。ただし、クラリネットの場合はベルトか肩かけに装置する様になっています。
別の '広告文句' ではより具体的な構成が明らかに。ちなみに本機の専用ピックアップ 'PU-10' は、Conn Multi-ViderやGibson / Maestro Sound System for Woodwindsと互換性のあるコネクターを採用しているという点で、かなりの部分において 'コピー' しております。
⚫︎ノーマル(ダーク、ブライト)
正常な音を暗くしたり明るくしたりできます。
⚫︎スーパーオクターブ
高音なシャープな音に変化できます。
⚫︎バス
1オクターブ下の音に変化できます。
⚫︎サブバス
2オクターブ下の音に変化できます。
⚫︎どんな管楽でもピックアップ一つで取付はいたって簡単です。
MULTIVOX(マルチボックス)とは
エーストーンが新たに開発した電子管楽器装置で従来からある管楽器の機能に、特殊な音色変換を与える事により、管楽器の演奏機能に全く新しい局面を開いて、多彩で変化に富んだ演奏を可能にします。⚫︎最新の技術で小型、軽量
IC(集積回路)及びシリコントランジスタ使用。非常にコンパクトで楽器又は体につけて使用できます。
⚫︎使いやすい
操作面が手もとに来ますから、演奏しながら指先ですべての操作が簡単にできます。
⚫︎電源コード不要、バッテリー内蔵
電池式で取扱いが簡単です。一目でわかるバッテリーメーター付き。
⚫︎電池保護装置付き
電池の無駄な消耗がありません。
定価 PU-10 (ピックアップコード付) ¥3,000-
EX-100 (マルチボックス本体) ¥39,000-
なるほど、少しづつその詳細が見えてきました。まあ、これでジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズの音色が直ぐさま再現できるとは思いませんけど(笑)、しかし、1968年の時点でこういう製品を海外とほぼ時差なく製作してしまう日本の 'もの作り' 精神、恐るべし。ちなみに60年代後半から70年代にかけての 'スイングジャーナル' 誌って誌面の後半、ほとんどオーディオの記事と広告で埋められていた記憶が強いのですが、この68年から69年にかけては当時のGSブームの影響なのか、ElkやGuildなどの楽器メーカーの広告もあって結構楽しいですね。あ、新映電気の広告も見つけてしまいましたけど、この頃はギター用マイク、トランスの専門メーカーとして、何とユーザーに対し 'あなたがデザインしたマイクを1個から製作いたします' なんて書いてあり、翌年倒産するHoneyを買収して本格的な楽器業務を展開する前はまだ小さな会社だったようです。
⚫︎Selmerエレクトロニック・ピックアップ ¥20,000-
⚫︎Selmerアルト用ネック(取り付け器具付) ¥8,000-
⚫︎Selmerテナー用ネック(取り付け器具付) ¥10,000-
⚫︎Selmerバリトン用ネック(取り付け器具付) ¥6,000-
⚫︎Selmerクラリネット用タル(取り付け器具付) ¥4,000-
→Selmer Varitone ①
→Selmer Varitone ②
このほか、大阪で2000年代前半頃までヴィンテージ・サックスの老舗として有名だった中村楽器が広告を載せているのだけど、すでに 'アンプリファイ' 用として、Selmerのピエゾ・ピックアップとソケットの埋め込まれたサックス用ネックが輸入、販売されていたのにビックリ。さすが 'プロジャズメンの専門店' と銘打っているだけに、当時の物価から考えてもMultivox同様これは高いですねえ。'ジャズ・プレーヤー間で話題集中' なんて書いてますが、当時のジャズメンの '電化アレルギー' から考えてもほとんど売れなかったんだろうな・・。そんな中、日本を代表するビッグバンド、シャープス&フラッツを率いる原信夫さんはいち早くSelmer Varitoneを導入してチャールズ・ロイドの 'ヒッピー賛歌' ともいうべき大ヒット曲、'Forest Flower' に挑戦します。このネロ〜ンとした蒸し暑いテナートーンこそ電気サックスならでは、ですね。さて、Multivoxを用いたイベントとしては以下の2つが有名で、まさに1969年ならではの '前衛' に立ち向かっていた '時代の空気' を感じさせます。
→Terumasa Hino Quintet 1968 - 69
⚫︎3月24日 初の日野皓正クインテット・ワンマン・コンサートを開催する(東京サンケイ・ホール)。'Love More Train'、'Like Miles'、'So What' などを演奏、それに合わせてあらかじめ撮影された路面電車の 種々のシーンをスクリーンに映写し、クインテットがインプロヴァイズを行う。日野さんのラッパには穴が開けられピックアップを取り付けて初の電化サウンドを披露した。
⚫︎6月27、28日 クインテットによる「日野皓正のジャズとエレクトロ・ヴィジョン 'Hi-Nology'」コンサート開催(草月会館)。写真家の内藤忠行のプロデュースで司会は植草甚一。第一部を全員が 'Like Miles'、'Hi-Nology'、'Electric Zoo' を電化楽器で演奏。第二部は「スクリーン映像との対話」(映画の公開ダビング)。「うたかたの恋」(桂宏平監督)、「POP 1895」(井出情児監督)、「にれの木陰のお花」(桂宏平監督)、「ラブ・モア・トレイン」(内藤忠行監督)の5本、その映像を見ながらクインテットがインプロヴァイズを行い音楽を即興で挿入していった。コンサートの最後にクインテットで 'Time and Place' をやって終了。
→Ace Tone Solid Ace 9
→Ace Tone MP-4 Echo Mixer
→Vintage Amplifiers
→Computone Lyricon
当時の日野さんが使っていたと思しきAce Toneのソリッドステートによるスタックアンプ、'Solid Ace'。SA-10はそのシリーズ最高峰の200Wなのですが、リンク先にあるSA-9というのはカタログでも見たことがありません。そのヘッドアンプの上に鎮座していたのは、同社のテープ・エコーと見間違えてしまいますが、たぶんMP-4 Echo Mixerなのかな?まあ、ほとんどAce Toneの '宣材' 的セッティングなのでしょうけど、この頃の国産アンプはトランジスタということもあってかクリーン一辺倒で歪みませんねえ。そういえば、この時期の日野さんのバンドで肩を並べるフロントマン、テナーの村岡建さんも本機にアプローチをしていたと思います(実際、69年の映像イベントでは2人共に '電化' してます)。植松孝夫さんとの '2テナー' で 'ソウル・ジャズ大会' をぶち上げた1971年銀座ジャンクでのライヴ盤 'Ride and Tie' に、このMultivoxを使ったと思しきオクターバーなサックス・ソロがあったはず(本盤解説には本人談で、ヤマハから機器を購入したことがライヴ盤制作のきっかけだったとのこと)。ちなみに村岡さんは自身のブログでも語っておられましたが、EWI / Steiner Hornの原点ともいうべきウィンド・シンセサイザー、Computone Lyriconの日本での第一人者だそうですね。そんな村岡さんが参加した石川晶とカウント・バッファローズ1975年の作品 'Get Up !'。時代的にグッとクロスオーバー色濃いジャズ・ファンクといった感じで、サックスにはかなりのフィルタリングやエコーがかけられております。この石川晶さんの1970年代初期のグルーヴィーな作品は '和モノ・グルーヴ' として再評価され、かなりのマニアックな作品がドッと再発されましたね。
1970年公開の東宝映画「白昼の襲撃」のテーマ曲としてブレイクしたこのシングル。ファンキーなブーガルーのリズムにのって吹きまくる日野さんの姿は、当時ちょっとした 'ヒノテル・ブーム' としてアイドル的人気を得ていたそうです。本編では短いながらもステージの演奏シーンが挿入されておりますが、う〜ん、'Like Miles' なだけにかなりマイルス・デイビスを意識している感じだ(笑)。個人的にはこの頃のデイビスに憧れて必死に奏法を探求していた頃のスタイルが好き。日野さん本人はずーっとアンブシュアとスタミナ、鳴りの面で悩んでいたらしく、この後、米国に渡っていろいろな奏者の口元をチェックしながらアンブシュアを変更、そして、とにかくフレディ・ハバードのレコードを聴きまくってはトランスクライブ(耳コピー)していたらしいです。
→Wishes / Kochi
こちらも同時期、フラワー・トラヴェリン・バンドと 'コラボ' したシングル。やはり 'エレクトリック・マイルス' の影響は、そのまま日野さんにもロックやシタールなどのインド音楽との 'フュージョン' へ向かわせます。そのシタールをフィーチュアした 'Dhoop' は日野さんの 'Hi-Nology' 収録曲の再演ですが、う〜ん、こんなロックなセッションであれば使っても良さそうなものだけど・・聴こえないな。日野さんと 'アンプリファイ' の関係では、ここからしばらくして1976年、活動停止した 'エレクトリック・マイルス' のメンツを大挙呼び寄せ(スティーヴ・グロスマン、デイヴ・リーブマン、レジー・ルーカス、アル・フォスター、ムトゥーメ、そして 'ヘッドハンターズ' のアンソニー・ジャクソン!)、ピアノの菊地雅章を中心にエレクトリック・ファンクを '和風' で換骨奪胎した傑作、'Wishes / Kochi' を制作します。日野さんのラッパもエコーを効かしたエンヴェロープ・フィルターでかなりのフュージョン風スタイルに移行、この時代あたりから段々と憧れのフレディ・ハバードを意識し過ぎたスタイルに変わっていくんですよねえ。本作は毎度お馴染みのリンク不可ですので、どうぞリンク先の方でフルに堪能して下さいませ。しかし米国からの帰国後の日野さんによる 'Freedom Jazz Dance'、めちゃくちゃパワフル!今年の夏は日野さんにとっていろいろありましたが(汗)、今後はもっと穏やかに・・いつまでもラッパを鳴らせる健康な存在でいて頂きたいものです。
→Conn Multi-Vider
→Conn Multi-Vider Manual
→Conn Model 914 Multi-Vider
→Vox / King Ampliphonic Octavoice Ⅰ / Ⅱ
おっと、ここまで述べてきて肝心のMultivoxの音が全然聴こえてこなかったのですが(汗)、本機のベースというか 'コピー元' というか、先駆的存在のConn Multi-ViderとVox / KingのOctavoiceをどうぞ。Multivoxの効果はこれらとほぼ同じ管楽器用オクターバーでございます。現代のピッチ・シフターからしたら素朴極まりないものですけど、これがアンプから再生させれば、地を這うようなぶっとさと荒々しい質感で今のテクノロジーでは再現できませんね。
→Ace Tone EC-10 Professional Echo Chamber
→Shin-ei WF-8 Fuzz Wah
日野さんから少し遅れてアプローチしたのがフリー・ジャズのラッパ吹き、沖至さん。当時のステージ写真では、セッティングもAce ToneのスタックアンプにミキサーのMP-4と同じながら、そこへ新たにテープ・エコーのAce Tone EC-10と足元に新映電気のファズワウ・ペダルが置かれておりました。ただし、本稿の主役であるMultivoxが用いられていたかまでは不明。1974年の渡仏における壮行コンサートを記録したライヴ盤 'しらさぎ' では、そんな 'アンプリファイ' の威力をカオスなノイズと共に叩き付けておりますね。そして、フランス移住後の仕事であるサックス吹き、Noel Mcghieとのファンクな一枚では、'エレクトリック・マイルス' 的ワウペダルなアプローチでファンキーなプレイも披露しました。ちなみに当時の近藤等則さんはまだ2本のラッパを持ってアコースティックにおける '雑音' の探求中であり、その 'アンプリファイ' な探求が始まるのは1979年のニューヨーク移住まで待たねばなりません。
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