2016年3月4日金曜日

シタール 60's

昨年Dan Electro Baby Sitarが '二度目の' 復刻をしました。1967年から69年にかけて販売されたこの ‘シタール・ギター’ は、同社がCoralのブランドで販売したElectric Sitarと並び、1960年代後半のフラワー・ムーヴメントの季節である 'サマー・オブ・ラヴ' を象徴するアイテムだと言っていいでしょう。



こちらの動画はDan ElectroがCoralのブランドで1967年に発売したエレクトリック・シタール。後に、Jerry Jonesというブランドからも復刻したシタールの音色を 'シミュレートする' エレクトリック・ギターの一種です。


Electric Sitar ①
Electric Sitar ②

また、欧米でエレクトリック・ギターの 'シタール化' が起これば、本場インドではシタールの 'エレキ化' が起こる、ということで、ムンバイのPaloma社製ほか、シタールにピックアップやツマミを付けたこんな 'エレクトリック・シタール' も御座います。



しかし最近では、わざわざ 'シタール・ギター' を用意せずともこんなシタールの音に変えてくれるエフェクターも御座います。昔は 'ギター・シンセサイザー' のプログラムのひとつとしてのみ用意され、コンパクト・エフェクターでは再現不可能だったのですが、いやあ現代のDSPの技術は凄いですねえ。'デジタル臭さ' はありますが、雰囲気はかなり肉迫しているのではないでしょうか。ラッパで使ったらどんな音になるのか別の意味で興味がありますケド・・。

インドの民俗楽器であるシタールが、当時の新しいロックの響きの中で渇望されていたというのは、いまから考えると相当に ‘異様な’ もののように思えてきます。突然、欧米の文化圏の中から三味線や尺八が聴こえてくるようなもので、以前なら ‘エキゾティック’ なもの、今なら ‘Cool Japan’ などと称して取り上げていたことでしょう。しかし1960年代後半、このシタールを始めとした東洋文化とヒッピーイズムの伝播は、遠くインドシナの地で泥沼に陥ったベトナム戦争を始め、それまで誇っていた欧米の価値観が揺らぎ出していたことに意味がありました。つまり、単なる流行を超えたところで時代を乗り越えようとする若者の反乱と意識変革に大きな力を与えた ‘響き’ がシタールにはあったのです。1965年のザ・ビートルズ ‘’Norwegian Wood’ 1966年のザ・ローリング・ストーンズ ‘Paint It, Black’ で、それぞれシタールをフィーチュアしたことがロックにおけるシタール・ブームのきっかけを作ります。以後、サイケデリック・ロックにおいてシタールの響きは人気を博し、またジャズや映画音楽においても多用され、当時のフラワー・ムーヴメントを彩る ‘サウンドトラック’ として、大音量のエレクトリック・ギターと共に時代の空気を代弁しました。



'サマー・オブ・ラヴ' の時代真っただ中、多くのヒッピーたちが集う 'モンタレー・ポップ・フェスティヴァル' で演奏するシタールの巨匠、ラヴィ・シャンカール。同コンサートで鮮烈な印象を残すジミ・ヘンドリクスもたぶん見ていたことでしょう。


‘Electric Psychedelic Sitar Headswirlers’ という全11枚からなるコンピレーションがありますが、これはまさに、そんな時代に量産されたシタールをフィーチュアするロック、ジャズ、イージー・リスニングetc…をコンパイルしたもの。もちろん、こんなものは氷山の一角であり、他にも掘り起こせばいくらでも出てくるほどシタールが ‘時代のサウンド’ であったことを、この膨大な量のコンピレーションは教えてくれます。

さて、ここからはそんな混迷する時代の中でシタールをフィーチュアした曲、それもグルーヴィーなヤツをご紹介したいと思います。ある意味、ジョージ・ハリソンがマハリシ・マヘギ・ヨギにかぶれてしまった ‘若気の至り’ 的な抹香臭いものから、単純にエキゾでモンドな ‘覗き見趣味’ 的にアプローチしたものまで、ひっきりなしに粗製乱造していたのが1960年代後半という時代でした。そんな混沌とした雰囲気にシタールは一役買っていたのですが、特にジャズマンたちの '変貌ぶり' は目を見張るものがあるでしょう。御大マイルス・デイビスからして高級なイタリアン・メイドのトラッド・スーツを脱ぎ捨て、極彩色な柄のシャツにフリンジの付いたジーンズ、ジャラジャラとしたアクセサリーに宇宙飛行士のように大きなレンズのサングラスをかけ、激しいロック・ビートと濃密なシタールの音色を纏いながら黒いラッパを吹いたのです。



ここ近年のリバイバルで見るなら、1990年代以降のアシッド・ジャズ、モンド・ミュージックとの繋がりで、ドイツのジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットの ‘Mathar’ が再評価されたことは大きいですね。それまでの瞑想的なインドのラーガ的イメージからシタールをグルーヴィーな8ビートに乗せるという価値観は、ある意味 '時代' が一周回ったかのような面白さがありました。スタイル・カウンシルのポール・ウェラーがIndian Vibesという ‘覆面バンド’ でカバーし、立花ハジメもテイ・トウワをプロデュースに迎えて制作した 'Bambi' で 'Son of Bambi' としてカバー。そして、この流れを受けて ‘本家’ であるザ・デイヴ・パイク・セットも過去の作品がすべてCDリイシューされました。ただし ’Mathar’ のイメージが強い同グループですが、全7作中シタールをフィーチャーした曲はわずかに3曲、意外でしたね。それはともかく、このグループはすべてに格好良いクールなジャズ・ロックを展開しているので必聴です。ちなみにクリーゲルは 'Mathar' 収録のアルバム 'Noisy Silence - Gentle Noise' のライナーノーツでこう述べています。

"まだ2週間にしかならないけれど、インドの楽器シタールと取り組んでいるところなんだ。ご多分にもれず、この偉大な楽器のすばらしいサウンドに興味を持ったからね。マタールっていうのは、ラヴィ・シャンカールが人前で演奏できるようになるまで、グルの元で14年間学んでいた、北インドの村の名前なんだ。でも、それだけじゃない。この言葉には、'Mathar' が 'Mother' (母)とシタール(Sitar)という言葉も含んでいるように思えるんだ。"

ちなみにこのクリーゲルさん、1970年代をギタリストとして駆け抜けながら1980年代に入って廃業し、不動産業かなにかに転身してしまったという変わり種の人でもあります。



こちらは何とも謎のグループ、ザ・ソウル・ソサエティの 'The Sidewinder'。そう、一聴してお分かりのリー・モーガンのヒット曲ですね。1960年代後半に 'Satisfaction from The Soul Society' というアルバムをDOTというレーベルから一枚リリースしたソウル・ジャズ・グループのようで、当時のヒット曲であるサム&デイヴの 'Soul Man' やザ・ローリング・ストーンズ 'Satisfaction'、ミリアム・マケバの 'Pata pata' などをファンキーにカバーしております。本曲のラテン・ジャズ・アレンジによる 'The Sidewinder' のイントロで鳴る濃厚なシタールの '掴み'、たったコレだけなんですがナイスなアレンジです。

この他、パット・マルティーノやガボール・ザボなど、当時、ギターにおける早弾きのスキルと相まって、シタールに関心を持つギタリストは大勢いました。ザ・ビートルズのジョージ・ハリスン、ザ・ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズはバンドにシタールを持ち込んだ張本人ですが、何より、1967年の ‘モンタレー・ポップ・フェスティヴァル’ 1969年の ‘ウッドストック・フェスティヴァル’ のステージに立ったシタールの巨匠、ラヴィ・シャンカールの演奏は大きな影響を与えます。ヒンズー教に帰依までした ‘マハヴィシュヌ’ ことジョン・マクラフリンはもちろん、米国人ながらラヴィ・シャンカールに師事してシタールを習得し、そのままジャズの世界の中で '伝道師的' に数々のセッションを経ながら、マイルス・デイビスの 'On The Corner' に参加したコリン・ウォルコットもいました。また、パット・マルティーノとの共演を経てマイルス・デイビスのセッションに参加、後にそのメンバーとなるカリル・バラクリシュナ、ウェストコースト一帯でセッション・ミュージシャンをしていたビル・プルマーらも皆米国人ながら ‘インド’ にやられてしまったひとりです。

 

1968年のハリウッド映画 'The Party' のOSTはヘンリー・マンシーニが手がけ、そのテーマ曲でのシタールの演奏をビル・プルマーが行いました。本作は同時期にImpulse !で吹き込んだソロ・アルバム 'Bill Plumer and The Cosmic Brotherhood' から、これまた同時代のバート・バカラックによるヒット曲 'The Look of Love'。このように単なる '時代の音色' としてシタールを扱うサウンドがある一方で、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' にアプローチするジャズマンも出てきます。ジャマイカ出身で米国で活動していたサックス奏者ジョー・ハリオットは、早くからインドの古典音楽にアプローチしていた稀有な人であり、インド人ヴァイオリニストのジョン・メイヤーと共に 'Joe Hariott - John Mayer Double Quintet' としてAtlanticから立て続けにアルバムをリリースしました。

Indo - Jazz Suite (Atlantic 1965)
●Indo - Jazz Fusions Ⅰ (Atlantic 1967)
●Indo - Jazz Fusions Ⅱ (EMI 1968)



このジョー・ハリオットとジョン・メイヤーの試みは大西洋を渡り、ブリティッシュ・ジャズのジャズマンたちをも刺激し、1969年にThe Indo-British Ensembleの名義で 'Curried Jazz' というアルバムを制作します。ここでは1965年の 'Indo - Jazz Suite' に続いてラッパのケニー・ウィーラーも参加しておりますが、この時代、ウィーラーもモダン・ジャズからフリー・ジャズ、ジャズ・ロックに加えてこのような 'インドもの' まで、実に幅広く活躍しております。






そして、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' を自らのビッグバンドに取り入れたドン・エリスなのですが、おお〜!まさかこんな音源が残っていたとは・・コレ、明日にでもアルバム化して発売できるクオリティですね。'Hindustani Jazz Sextet' という名の実験的グループによるライヴ音源のようで、1964年の時点ですでにその後の 'インド化' の端緒を切り開いていたことが分かります。タブラやシタールの演奏はHari Har Raoなるインド人?が担っているようですが、ヴァイブのエミル・リチャーズやベースのビル・プルマーなど、この後完全にインドに 'かぶれてしまう' 連中が参加しているのも興味深いです。そして、自らのビッグバンドの 'インド化' を象徴する1曲 'Turkish Bath'。当時、シングル・カットもされたくらいですから多くのヒッピーたちからもウケていたことでしょう。

一方、このような欧米の 'シタール・ブーム' に対し、やはり 'ビートルズ・ショック' を受けたであろうインドの文化圏からもロックやR&Bの要素を取り入れたグルーヴィーなヤツが登場します。



ラヴィ・シャンカールの娘として、今や父と同じくシタール奏者の道を歩むアヌーシュカ・シャンカールや、世界的なポップ・スターとなったノラ・ジョーンズ(この二人は異母姉妹です)に比べ、甥っ子のアナンダ・シャンカールなどと言われても知らない人がほとんどでしょうね。やはり叔父のラヴィ同様シタール奏者の道を歩みながら、時代の空気がそうさせたのか、師匠の反発を無視してロックにアプローチした時期がありました。1969年に大手レーベルRepriseと契約してザ・ドアーズの 'Light My Fire' やザ・ローリング・ストーンズの 'Jumping Jack Flash' をカバーしたり、1974年の 'Ananda Shankar and his Music' からの一曲である 'Streets of Calcutta' では、エグいモーグ・シンセサイザーを取り入れたグルーヴィーなスタイルを披露しました。



イランのシタール奏者などと言われてもなかなかインドとは結び付きませんが、地図を見ればそこはインド、パキスタン、イランという広大な文化圏が一続きなのです。まだ 'イラン革命' 前のパーレビ国王時代のイランは米国の文化を楽しむ余裕があり、このMehrpouyaというシタール奏者もアルバム 'African Jambo' からの一曲 'Soul Raga' でグルーヴィーなR&Bの要素を見せ付けます。

ある種の観念的なイメージ、エキゾな慰みものとして東洋は常に西洋圏の眼差しの中で査定され、型作られてきました。その中でもシタールという楽器が持つ抹香臭い響きは、それこそ、米国の通販で売られている ‘Zen’ などと呼ばれていつでもどこでも枯山水の庭園を味わえるミニチュアと同程度の、お手軽なアジアを所有できるアイテムだったのではないかと思います。これをもって文化的簒奪や新たな植民地主義だ、などと批判することは簡単ですが、しかし、なぜシタールが欧米の価値観を揺るがすほどの魅力を振りまいたのか、という文化的なパラダイム・シフトの背景を答えることは簡単ではありません。資本主義社会が最初のデッドエンドを迎えた1960年代後半、世界が反乱の狼煙を上げる中で鳴り響いたシタールの香りは、現在の世界の状況に新たな光を投げかけます。


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