2017年7月3日月曜日

1969年の宇宙遊泳

久しぶりにマイルス・デイビスの 'Bitches Brew' を聴く。確か高校卒業の前後、わたしが初めて手を伸ばしたジャズのアルバムがこれでした。マイルス・デイビスが何者でジャズが何であるのか一切予備知識もなく、奇妙なジャケットと共に初めてCD化された2枚組本盤・・高かった(涙)。




きっかけは、当時どっぷりとハマっていたR&Bの解説本にR&B、ファンクの他ジャンルへの影響の一枚として本盤が挙げられていたからです。何となくですが当時、ジャズという、黒人音楽にしてどこか小難しそうな音楽が凄い気になっていたんですよね。それまではアース・ウィンド&ファイアやクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズなどのアルバムに '小品' として小耳に挟んできたジャジーな響き、その大人っぽい感じが思春期のわたしの感性をビリビリと刺激してきたのでした。あくまでジャズではなくジャジーである、というのが当時のわたしの理解だったんだけど、この 'Bitches Brew' は終始 '何なんだろう?' という不思議な感想として支配される結果に・・。確かに小難しい雰囲気いっぱいながら、かろうじて音楽としての構造はある、しかし楽曲の '主題' のような中心はなく、2枚組全体で一曲というような '組曲' として響くなど・・う〜ん。デイビスのラッパがどうとか各自のソロが、みたいなところは全然耳に入ってこなくて、とにかく全体から提示される '響き' に呑まれるばかりで、特に3台のフェンダーローズ・エレクトリック・ピアノの麻薬的なレイヤーは、分からないなりの中毒性で以って夜眠るときの '睡眠剤' の役割を果たしてくれましたね。まあ、端的に理屈は分からなくとも気持ち良かったのですヨ。



"これは単にもっと美しいの話ではない。ただ違うのだ。新しい美、異なる美、また別の美しさ。それでも美は美なのだ。これは新しいし、新しさのキレがある。宇宙船から、まだ誰も踏み入れたことのない場所に出た時に感じる、あの急にこみあげてくる熱さがある。"

'Bitches Brew' のライナーノーツを担当したジャズ評論家、ラルフJグリーソンのこの一節が本作の魅力を見事なまでに看破しております。それは本作を聴いて当惑するであろう従来のジャズ・クリティク、古くからのリスナーに対する '注意書き' のように、当時流行のLSD服用による '意識の拡張' やアポロ11号の月面着陸、前年公開のスタンリー・キューブリック監督のSF映画 '2001年宇宙の旅' のイメージを借用してまで説き伏せる勢いなのだから・・今の何倍もの衝撃があったであろうことは想像に難くない。




1969年のマイルス・デイビスは最も精力的かつ創造的な時期であったことは間違いありません。新たにジャック・ディジョネットを擁したクインテットを率いて、いわば 'Pre Bitches Brew' 的なアプローチをライヴで試行錯誤しながら、2月に 'In A Silent Way'、8月に 'Bitches Brew'、11月にアイアート・モレイラやカリル・バラクリシュナらブラジル、インドの民族楽器を導入したセッションから 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' という、それぞれ全く異なるコンセプトのサウンドを完成させてしまうのだから・・。また、この年は全米で猛威を奮っていた 'サマー・オブ・ラヴ' 最後の一年でもあり、7月のアポロ11号月面着陸、8月のウッドストック・フェスティヴァル開催という激動の瞬間が世界を駆け巡りました。世界中の学生たちはゲバ棒振り回して大学を占拠し、権力に楯突いて暴れ廻っていた季節。そんな時代の雰囲気を如実に感じ取ったであろう変貌するデイビスの姿は、そのまま ''レコードでは静的に、ライヴでは獰猛なほど動的に" という志向へと現れます。これはダブル・アルバムとして、それぞれ1970年に連続でリリースされた 'Bitches Brew' と 'Miles Davis At Fillmore' の両面 '合わせ鏡' のような関係性からも伺えるでしょうね。個人的にこの2作品は '4枚組' の組曲的大作として捉えており、ここに上述した '先行シングル' ともいうべき 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' で全く違う世界をも提示するのだから、いかにこの69年から70年という年がデイビスにとって豊饒なる一年であったか。まさにアブドゥル・マティ・クラーウェイン描く 'Bitches Brew' のジャケットが暗示する如く、すべてにテオ・マセロの編集作業が施されて '静と動' のコントラストが目まぐるしく切断、再生されていくという無重力の世界がそこにあるのです。




1969年の 'In A Silent Way' と 'Bitches Brew' からデイビスの 'アンプリファイ'、エレクトリック・サウンドへの希求がより本格化したことも特筆したいですね。本作 'Bitches Brew' では、エンジニアにより8トラックを用いて4チャンネル方式で録音、編成の大型化したアンサンブルに対抗すべくデイビスのトランペットも3通りのやり方で収音しております。それは、いよいよデイビスのMartin Committeeにも穴が開けられピエゾ・ピックアップを装着、それをアンプから出力した音をマイクを立てて収音、そのアンプへと出力する直前にDIによって分岐されたラインの音をミキサーへ入力、そしてベルからの生音をマイクを立てて収音され、デイビスの目の前には小型のモニターが置かれてほぼライヴ形式でのレコーディングとなりました。これら3つの音をエンジニアの手により混ぜ合わせることで、デイビスの 'ヴォイス' は自由に加工できる余地が生まれ、それはタイトル曲で印象的なタップ・ディレイの効果に顕著ですね。これはCBSの技術部門の手により製作されたカスタムメイドのテープ・エコーで 'Teo 1' と名付けられました。1998年にCBSが大々的にマイルス・デイビスのカタログを手直した際にデジタル・リマスタリングとリミックスを担当したマーク・ワイルダーの言によれば、本機はテープ・ループ1本に録音ヘッド1つと再生ヘッドが最低4つは備えられたものだったそうです。そして、この 'Bitches Brew' が従来のジャズのレコード制作と決定的に違う視点を持った作品として、後に 'アンビエント' の作曲家として大きな影響力を振るうブライアン・イーノの発言はとても重要な示唆をしています。それは 'アンプリファイ' (電化)を超えた 'マグネティファイ' (磁化)によるスタジオの密室的な 'マジック' においてのみ、その表現が大きく貢献していることを見抜いております。

"彼のやったことが極めて新しい、レコードでしかできないことだった、という点だ。すなわち、パフォーマンスを空間的に分解したんだ。レコーディングの段階では、ミュージシャン達はひとつの部屋の中、お互いが近い距離に座っていた・・でもオンマイクだったこともあり、各自の音はそれぞれに独立して録音されていた。それをテオ・マセロがミックスの段階で、何マイルも引き離して見せた。だから音楽を聴いているとすごく楽しいんだ。コンガ奏者は道をまっすぐ行った先あたりで叩いているし、トランペット奏者はかなたの山のてっぺんで吹いているし、ギタリストの姿は・・双眼鏡でのぞきこまなきゃ見えないんだからね!そんな風に皆の音が遠くに置かれているので、小さな部屋で大勢の人間が演奏しているという印象はまるでなくて、まるで広大な高原かどこか、地平線の彼方で演奏しているかのようなんだ。テオ・マセロはそれぞれの音をあえて結びつけようとはしていない。むしろ、意図的に引き離しているかのようだよ。"



Hammond / Innovex Condor RSM
Shure CA20B

またこの時期、世界初のギター・シンセサイザーとしてHammondが開発した機器Innovex Condor RSMもデイビスの元に届けられて、同年11月から再び始まるインド、ブラジルの民族楽器を導入したセッション中の1曲 'Great Expectations' において不気味なオクターヴの効果をトランペットに付加しております(デイビス本人はこの機器を気に入らなかったようですけど)。この曲は13分弱からなるヒプノティックに反復するテーマと少しづつ前後するポリリズムの絡みで構成されており、通奏低音のタンプーラをバックにデイビスのトランペットはソロに変わってオープン、ミュート、エコー、オクターヴ、ディストーション、フェイズ、トレモロと多岐に渡り、刻々とその反復の表情を変えていきます。Hammondはエレクトリック・ギター用GSMと管楽器用RSM、キーボードなどステレオ機器用SSMの3種を用意し、本機は晩年のジミ・ヘンドリクスも購入したようですね。以下、1970年の 'Downbeat' 誌によるダン・モーゲンスターンの記事から抜粋。

"そこにあったのはイノヴェックス社の機器だった。「連中が送ってきたんだ」。マイルスはそう言いながら電源を入れ、トランペットを手にした。「ちょっと聴いてくれ」。機器にはフットペダルがつながっていて、マイルスは吹きながら足で操作する。出てきた音は、カップの前で手を動かしているのと(この場合、ハーモンミュートと)たいして変わらない。マイルスはこのサウンドが気に入っている様子だ。これまでワウワウを使ったことはなかった。これを使うとベンドもわずかにかけられるらしい。音量を上げてスピーカー・システムのパワーを見せつけると、それから彼はホーンを置いた。機器の前面についているいろんなつまみを眺めながら、他のエフェクトは使わないのか彼に訊いてみた。「まさか」と軽蔑したように肩をいからせる。自分だけのオリジナル・サウンドを確立しているミュージシャンなら誰でも、それを変にしたいとは思っていない。マイルスはエフェクト・ペダルとアンプは好きだが、そこまでなのだ。"

さて、先に述べましたが、実は現在発売中の 'Bitches Brew' はこの1998年にリミックスされたもの、俗に '1998年マスター' と呼ばれているものが基本となっております。つまり、テオ・マセロ及びCBS専属のエンジニア、スタン・トンケルの手によるオリジナル・ミックスではなく、改めて8トラックのマスターテープから '再現' させたものなのです(つまりリミックス)。これは1999年に発売されたボックスセット 'The Complete Bitches Brew Sessions' に合わせて元々の2ミックス・マスターを検証した際、長年のコピーと保管状態含め相当に劣化していたことが原因となっておりました。ここで他国から質の落ちるコピーをもらうか、オリジナルの8トラックに戻って再度リミックスに挑み、ジェネレーション落ちを避けるか・・。CBSの判断は結局、より際立ったエッジとダイナミクスを獲得する代わりに各曲それぞれ秒数の違う長さの新たな 'Bitches Brew'  を完成させました。リミックスを担当したジョー・ワイルダーの言によれば、LPのミックスは質にかなりのばらつきがあり、ボトムを持ち上げる代わりにハイエンドをカットしてクリアーさがかなり失われていると述べます。わたしの手にあるのは1996年に日本でのみ 'Master Sound' としてリマスタリングされた紙ジャケット仕様(Sony SRCS9118-9)のものなのですが、とりあえずリミックス前のオリジナル・ミックスとして聴くことができる '最後' のもの。確かに全体的なダイナミックレンジは狭く、リマスタリングされたとはいえ分離の悪さとだんご状態の低音、シンバルの鈍い音像などが聴き取れますね。それでも8トラック・マスターからテオ・マセロになりきって改めてテープを繋いだり、エコー処理を施すというのはかなり危険な賭けであり現在に至るまで賛否両論出ております・・。

"バランス、そして編集された箇所には凄く注意を払った。僕らのミックスと編集をオリジナルLPヴァージョンと一緒に流して、時には片方のスピーカーを僕らのヴァージョン、もう片方をオリジナルにして比較し、見逃したりズレたりしている編集箇所がないように確認したんだ。これにはもの凄い労力を費やしたよ。編集は大問題で、テオのやったことに敬意を表するのは僕らにとっては重要なことだった。ミックス中は、まるで優先順位割当に従って作業をやっているような感じで、ボブ・ベルデン(今回の企画プロデューサー)と僕は、何を最優先させるか、あれをコピーするかしないか、といったことを常に考えていたんだ。"

また、この作業を通じて 'Bitches Brew' のセッション・テープ全体が再検討されることとなって、そこから流出した編集前の音源が 'Deep Brew' という2枚組ブートレグとして市場に出回り、このセッションに焦点を絞ったジョージ・グレラ・ジュニア著の研究本 'Miles Davis Bitches Brew' (スモール出版)も2016年に邦訳されました。ちなみに、オリジナル・ミックスを手がけたテオ・マセロはこの作業を認めてはおらず、オリジナルを毀損して大人しくなってしまった(常識的な?)リミックス、'The Bitches Brew Complete Sessions' の名で不必要かつ関係のない未発表曲と一緒にまとめたこと、その未発表曲がリリースする水準のないものであると喝破しております。確かに、異様なまでの編集作業と 'ローファイな' 質感こそ 'エレクトリック・マイルス' の音楽性と不可分であることを鑑みれば、果たしてどこまでリミックスという作業が有効であるのかは考えてみる必要がありますね。このあたりの詳しい話は 'サウンド&レコーディング・マガジン' 1999年4月号に載っておりますので、気になった方はどうぞバックナンバーでチェックを。



Betty Davis: The Columbia Years 1968 - 69

そして、この時期のデイビスに多大な影響をもたらした 'ミューズ' ともいうべき触媒的存在となったのが当時の妻、ベティ・デイビス。アルバム 'キリマンジャロの娘' のジャケットに初めて登場し、'Bitches Brew' レコーディングの3ヶ月前にデイビスとテオ・マセロのプロデュースで制作されながら 'お蔵' となったのがこの2016年の本作!ここに参加するメンツも凄いのですが、何しろ 'Bitches Brew' に至る多くの 'Hype' をデイビスに教えて上げた張本人こそベティなのです。そりゃ 'Bitches Brew' レコーディング時に、ベティ自身を目の前に座らせてラッパ吹くワケですヨ(ベティ本人はジャズに興味なかったみたいだけど)。




しかし、マイルス・デイビスのライヴ動画も 'The Bootleg Series' としてどんどん公式化されていくほど、そのままブログへの直接リンクが不可になってくるなあ・・(悲)。Youtubeで 'Bitches Brew' と検索して出てくる関連動画のほとんどが、このワードと引っかかってリンク不可になるのが本当に残念・・どうぞ、Youtubeの方でいろいろ聴いてみて下さいませ。さて、この電気楽器のアンサンブルを率いて '明日への予兆' を示唆する1969年のマイルス・デイビスの姿は、そのまま髪と髭を伸ばし、'ゴーウェスト' の旅へとドロップアウトしながら泥沼のベトナムに 'No' を突きつけ、遥か頭上の月面着陸に思いを馳せていた1969年の風景と不可分ではいられませんね。まあ、今の耳ではロックやR&B、電気楽器がスパイスとして構造は未だジャズの範疇にあるのが微笑ましいのだけど、やはり、'Pharaoh's Dance' のひたひたと忍び寄ってくる '足音' から描き出される本作の魅力はいつまでも色褪せないのです。

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