2017年5月3日水曜日

チェットの 'サマー・オブ・ラヴ'

1950年代初め、鮮烈なイメージで米国西海岸に現れたラッパ吹き、チェット・ベイカー。最近、そんな彼を題材に取り上げた映画 'ブルーに生まれついて' なども公開されましたけど、マイルス・デイビスとは違う意味でラッパ吹きの格好良さを体現した人ではないかと思います。



暗く紫煙漂うジャズクラブの片隅から物悲しいミュートで緊張を走らせるのがデイビスなら、突き抜ける青い海岸線をコンバーチブルで疾走しながら、鼻歌を歌うようにラッパを吹くのがチェット、という感じ。こう書くと思わず '陰と陽' のイメージを付与してしまいそうになるのですが、共通するのはどちらも沈み込んだような 'ブルー' を湛えていること。血の通っていない '青白い' 感じで、体温低くひんやりとした 'Cool' でいることを美徳とする。これってルイ・アームストロング以降、ディジー・ガレスピーからクリフォード・ブラウン、フレディ・ハバードにまで受け継がれる '陽のラッパ吹き' の真逆を行くもので、そんなスタイルの創始者であるデイビスはチェットにとってのアイドル的存在だったのは納得しますね。

さて、そんなチェットにとっての全盛期といえば 'ウェストコースト・ジャズ' の寵児として脚光を浴びた1950年代の 'Pacific Jazz' 時代と、クスリによって 'Cool' なルックスからテクニックの全てを失い、再びシーンへと復帰して耽美的なまでに 'ブルー' な絶望感を体現した1970年代半ばから80年代の '晩年' が、やはりこのチェット・ベイカーという人の '凄み' を描き出しているでしょうね。ではその間を取り持つべき1960年代は?この時代、ジャズの世界を始めとした米国のエンターテイメントすべてが引っくり返る10年であり、チェットのイメージも絶頂から奈落の底へと落ちていった10年でもあります。それまでデイビスに憧れて愛用していたMartin Committeeをパリで盗まれ、知人から '借り物' として使い出したSelmerのK-Modifiedフリューゲルホーンがこの頃のイメージですね。





The Mariachi Brass - feat. Chet Baker

スターダムへと押し上げられていったもののジャズの時代的変化に付いていけず、1950年代後半には自分への賞賛がまだ残るヨーロッパへ活動の拠点を移すチェット。しかし、度重なる麻薬癖の不祥事により1960年代半ばに再び米国の地を踏むこととなります。この時期、ジャズに変わって若者を虜にしていたのがロックであり、チェットらのスタンダードを中心としたジャズは古臭いものへと成り果てておりました。そんな仕事の急減を見かねて手を差し伸べたのが、かつてチェットのスターダムを仕掛けた 'Pacific Jazz' の社長、リチャード・ボック。ただし、そんなボックのレーベルも大手Libertyの傘下で 'World Pacific' と名を変えて、ジャズよりラヴィ・シャンカールのインド音楽やイージー・リスニングを手がけるなどすっかり様変わりし、チェットはジャズの奏者ではなく、当時A&Mでヒットを飛ばしていたハープ・アルバート率いるティファナブラスの向こうを張ったマリアッチブラスの 'ソリスト' としての起用でした。チェットのキャリアとしては最も '不毛' な時期とされ、当面の収入は増えたもののジャズ的な価値は一切なしとされているのが現状です。ちなみに当時、同じくウェストコースト・ジャズのスターであったバド・シャンクも同様の再雇用となり、ザ・ビートルズの 'マジカル・ミステリー・ツアー' やママス&パパスの '夢のカリフォルニア' などをやらされていたっけ・・。この後、チェットの麻薬癖はますます酷いものとなり、売人たちとの支払いによるトラブルからこの時期、彼にとって大事な前歯を暴行により負傷してしばらく生活保護を受けるまでに転落・・。彼はこれ以降のインタビューでこの事件をことさら最悪なものとして語り出すのですが、しかし、そもそも彼の前歯の1本はデビューの頃から欠けて無かったんですよね。どうやら、チェットには憐れみを誘って同情を引く性向があり、この時のケガで仕事ができないということを理由に生活保護を申請して、不正受給でクスリを買っていたというのが真相のよう・・。







そんな失意のベイカーが1970年、久しぶりに大手Verveで吹き込んだのがこの 'Blood, Chet and Tears'。なんとチェットにブラスロック・バンド、ブラッド・スウェット&ティアーズのカバーをやらせる!というものですが、おお、この時期の 'ダメダメぶり' という世評に対してかなりラッパ吹きとして復調しているのではないでしょうか!?というか、そもそも調子は崩していなかったのでは?1970年代以降の復活で入れ歯による奏法へとスウィッチしたのは、むしろクスリのやり過ぎで歯がすべてダメになった、という風に解釈した方が腑に落ちますね。とりあえず本作は、ただジャズではないというだけで、むしろ、昨今の 'ソフトロック' 再評価の流れで見ればなかなかの佳作だと思います。なぜ今に至るまで再発しないのだろう?







この力強くもメロウな感じ。確かにボサノヴァなどに比べればチェットのイメージとはちょっとズレるかもしれないけれど、しかし、彼のソリストとしての '歌心' はどんなスタイルであろうとも全くスポイルしていないと思うんですよね。汲めども尽きぬ鼻歌のようなメロディ・・彼が終生クスリと共に手放さなかったものでもあります。


 
ジェリー・マリガンとの双頭カルテットでヒットした 'ロマンティックじゃない' と言いながら、ここではジャック・ペルツァー(終生チェットのヤク仲間)を相手にまるで昼下がりのカフェで一服するようにスラスラと歌うチェット。彼の自叙伝を読むととてもまともに付き合え切れる人物ではないことが暴露されておりますが、しかし、彼のラッパはいつでも甘い囁きと共に多くの人を魅了するのでした。


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