2017年1月3日火曜日

Honey 〜 Shin-eiの伝説

電気楽器、エフェクターの黎明期において日本のある先駆的なメーカーの存在は、もっと大きく評価されても良いと思います。1970年代以降、海外に進出して世界的なメーカーへとのし上がっていったYamaha、Korg、Rolandを先取りしたこの小さな会社、Honey / Shin-ei Companionの商品開発と技術力は現在でも多くの 'ペダル・ジャンキー' たちを惹きつけます。





時はザ・ビートルズの来日公演に揺れ、その影響で全国に 'GSブーム' の巻き起こった1967年2月、東京都新宿で設立されたHoney。元Teiscoのスタッフにより独立したこの小さな会社は、エレクトリック・ギター、ベース、アンプ、マイクやPAシステムなどと共にエフェクター(当時はアタッチメントという呼称が一般的でした)の製造にも乗り出します。当時のロックを代表する 'アタッチメント' として話題となっていたファズは、Baby Cryingの名前で製品化、海外へもOEMのかたちで輸出されて '流行の東洋の神秘、Honeyの効果装置' のキャッチコピーで好評を得たそうです。他にもAce Tone、Royal、Guyatone、Voiceなどから登場し、1970年代に入ってからはMiranoやElkが後に続くようにファズを製作しました。上の動画は中尾ミエさんの 'GS歌謡' ともいうべき '恋のシャロック'で、Maestro FZ-1Aを 'パクッた' 国産ファズ第1号のAce Tone Fuzz Master FM-1でジ〜ジ〜と歪みまくり!また、当時の 'アングラ' を代表するバンド、ジャックスがGSバンドのザ・カーナビーツをカバーするとこんなガレージなアレンジに変身。ファズは瞬く間にこのようなポップスの市場にまで流行したのです。








高度経済成長期の真っ只中、多くの日本の会社は欧米の下請け企業としてOEMの輸出に勤しみ、Honeyも英国のRose-Morrisや米国の大手Unicordと提携、そこからさらに細かなブランドとして店頭に並びました。Shaftesbury、Uni-Vox、Appolo、National、Elektra、Jax、L.R.E.、Cromwell、Sam Ash、Sekova etc..。また、輸出のみならず国内では独立元のTeiscoやGrecoへも納入し、Idolという別ブランドでも販売するなど、とにかく 'GSブーム' と呼応するようにフル生産の状況であったことが伺えます。上の動画ではHoneyからShin-eiにかけてのファズやワウファズ、そして同時期のRoyal RF-1やGuyatone FS-3などと一緒に歪みまくっておりますが、実は中身がほとんど同じ回路基板ということで、これは新映電気がOEMで供給していたのかどうか、その謎は尽きません。またBaby Cryingは当時、Roger Mayerの手により開発され、ジミ・ヘンドリクスの使用で有名となったOctavioに先駆けたアッパー・オクターヴの効果を持っており、それはサイケデリックの時代、どこかシタールの音色にも例えられるほどユニークなものでした。1968年にはそのカタログも一挙に拡大、ファズに加えワウペダルのCrierはもちろん、テープやスプリング式ではないEcho Reverb ER-1P、ファズとオートワウ!を一緒にまとめてしまったようなSpecial Fuzz、ワウペダルとヴォリューム・ペダルに波(Surf)と風(Tornado)とサイレンの効果音!を発生させる '飛び道具'、Super Effect HA-9P、そして、いよいよ同社を世界的な名声へと押し上げる名機、Vibra ChorusとHoneyの集大成的 'マルチ・エフェクター' の元祖、Psychedelic Machineが登場します。



Honeyの持つ 'モジュレーション' 系エフェクトの技術とファズが '2 in 1'で合わさった文字通りのSpecial Fuzz。1970年代に入って一世を風靡することとなる 'ジェット・フェイザー' の元祖的存在ながら、そのモジュレーションはフェイズとも一味違うエンヴェロープ・フィルター的エグみのある独特なもの。当時、米国で起こっていたサイケデリックの洗礼を直接受けずにここまで麻薬的な効果を生み出す日本の好奇心、恐るべし。





Honeyの経営は当時の 'GSブーム' とほぼ比例しており、世間の 'エレキ禁止令' やそのブームの下火とリンクするように影響して、翌69年3月に会社はあっけなく倒産。それはHoneyだけに留まらず独立元のTeiscoやGuyatoneなども連なるように潰れてしまったことで、日本の電気楽器の興隆はここでひとつの幕を下ろしました。しかし、そのHoneyの開発、製造を請け負っていた新映電気がすべての業務を引き継ぎ、そのまま 'Shin-ei' として1970年代半ばまで続けることとなります。OEM業務もそのまま引き継ぎますが、新たに 'Companion' の名でも自社ブランドとして輸出し、また、Honey時代には無かったワウファズ、オクターバー、エンヴェロープ・フィルター、フェイズ・シフターもラインナップするなど、その旺盛な製品開発の勢いは特筆して良いと思いますね。1970年代初めといえば、海外ではElectro-HarmonixやMaestro、Colorsoundなどがようやく総合的な製品開発を始めた頃で、まだまだ世間的にはエフェクターといえばファズかワウ、という時代でした。上の動画は国産では珍しいエンヴェロープ・フィルター、MB-27 Mute Box。国産のRoland AG-5 Funny Cat、海外では1972年のMusitronics Mu-Tron Ⅲがエンヴェロープ・フィルター普及のきっかけと言われておりますが、早くも新映電気から単体の製品が発売されていたというのはただただ驚くばかり。完全にMu-Tron Ⅲを意識したと思しきMute Boxですが、さらにOEMのUni-Voxブランドでは見た目もまんま、Uni-Tron 5を製作。下の動画はMu-Tron Ⅲの '復刻版' との比較ですが、音痩せするとはいえ '本家' よりエグい効き方でイイですねえ。ともかくそのような状況で、当時、極東の小さな島国から上述するメーカーと比べても遜色ない製品が海外の市場に並んでいたという事実は、その後のYamahaやKorg、Rolandに見る '優秀な日本製品' の先鞭を付けたものと見てよいと思います。






さて、そんなHoney / Shin-ei Companionの製品群の中で同社を神格的な存在に押し上げたのがコーラス/ヴィブラート・ユニット、Vibra Chorusでしょう。1968年のカタログに17,900円の価格で載せられたこの '新製品' は、翌69年の倒産後から本格的な生産がフル稼動します。すでに全般的な業務は新映電気へと移っており、Unicord社への輸出用には 'Uni-Vibe' の名前が与えられて、それまでのVibra Chorusにはない新たな機能、モジュレーションのスピードをコントロールできるフット・ペダルが追加されておりました。そしてこの米国に輸出された最初期の一台を手にしたのが、あのジミ・ヘンドリクス。それまでのバンド、エクスペリエンスを解散して、新たな仲間と共に立ったウッドストックのステージで奏でるその独特なサイケデリックの効果は、世界に強烈な印象を刻み付けることに成功します。



Korg Nuvibe 1
Korg Nuvibe 2

開発、設計を担当したのは現Korgの監査役である三枝文夫氏。当時、フリーの技術者としてこの製品に携わっていたそうですが、この頃はまだ各社間の製品競争のようなものもなく、いろいろな技術者が交流しながら業界を盛り上げていたという '緩い' 時代だったそうです。三枝氏は翌70年に京王技研(Korg)に入社し、その後は国産初のシンセサイザーMini Korg 700を始め、現在も第一線で現場に立っておられる偉大なエンジニアでもあります。もちろん、三枝氏が携わったのは基本的な設計段階の部分においてであり、当時、この 'Uni-Vibe' がヘンドリクスに使われたことも知らなければ、Honeyや新映電気の '製品開発' の裏話などもほとんど記憶にないそうです。ただ、あの独特な筐体は秋葉原で買ってきた 'あり物' を流用したとか、'Uni-Vibe' の心臓部といえるフォトカプラー(CDS)は医療用の精度の高いもので、本郷の問屋でオーダーしてきた、という断片的なお話は最近開陳されておりました。そもそもこの、レスリー・スピーカーを電子的にシミュレートするという 'Vibra Chorus' の出発点となっているのは、実は日本で傍受できるモスクワ放送の 'フェーズ現象' をなんとか電気楽器として応用することはできないか?というところから始まっているそうです。現在、この 'Uni-Vibe' の効果は各社から多くの 'デッドコピー' が出回るくらい盛況なのですが、しかし、この心臓部であるフォトカプラー(CDS)は硫化カドミウムによる環境汚染対策として、電気製品に組み込むことが禁止されております。三枝氏が若いエンジニアと共に新たに設計した 'Nuvibe' は、デジタルではないトランジスタによるアナログ回路で起こした '新製品' として、まさに 'Vibra Chorus〜Uni-Vibe' の血統を受け継ぐものです。







こちらはHoneyの時代に製品化された 'マルチ・エフェクター' の元祖、Psychedelic Machine。その時代を先取ったネーミングのセンスもさることながら、当時のHoney / Shin-eiの技術力を結集したアッパー・オクターヴ・ファズ、コーラス&ヴィブラート、トレモロを堪能することができます。本機もまた海外へ輸出され、下の動画は、ちょうど69年のHoney倒産直後から新映電気により 'Companion' のブランドで輸出され始めた過渡期の貴重なもの。しかしこの本機の登場した1968年、エレクトリック・ギターに強烈なフェイズをかけるにはレスリー・スピーカーに通すか、スタジオのオープンリール・デッキを用いて、ADTと呼ばれる2台のテープの位相差から生じる 'テープ・フランジング' の加工に頼るしかなかったのですから、それを(当時としては)持ち運べる機器として開発してしまった日本の発想力と技術力は並大抵のことではありませんヨ。さて、Flash & The Dynamicsの 'Electric Latin Soul' は、いわゆるブーガルーのバンドとしてTicoからデビューし、サンタナに触発されたと思しきこのビリビリと感電したようなラテン・ロックを聴かせます。これはわたしの勝手な判断なのですが、たぶんPsychedelic Machineを使っているのではないかな、と。本作は1970年の作品で、Maestroが最初のフェイザーを発売するのは翌年であることを考えると、この強烈なフェイズのかかったファズはもう間違いないでしょう。





そして1970年代のShin-ei Companionの時代にはPM-14としてデザインを一新。また本機からコーラス(Duet)&ヴィブラート、トレモロの機能を抜き出して同じくデザインを一新したVibra Chorus SVC-1もJaxやCompanionのブランドで輸出、最終的にはResly Tone RT-18に行き着きます。もちろん、新たに登場したフェイザーの時代にも呼応すべく、ほとんどMaestro PS-1Aの 'パクり' といえるRM-29 Resly Machineやペダル・フェイザーのPS-33 Pedal Phase Shifterなどもラインナップ・・なのですが、会社の底力もここまでが限界。



1975年頃、これだけの製品開発、技術力を持ちながらまるで '神隠し' にでもあったように市場から消えてしまった新映電気。現在、この時代の詳しい事情を聞きたくてもその関係者含め一切現れず、三枝氏以外で倒産後、その他楽器会社に転職したであろう名乗りを上げる人も皆無です。小さいながらも日本の高度経済成長期を支えてきたこの昭和の謎、謎、謎・・興味深いですねえ。







Shin-ei
Jim Klacik Unique-Vibe
Heaven's Vibe
Watson Electronics Fuzz FY-2
Watson Electronics Fuzz FY-6

ちなみにこの 'Shin-ei'。なんと米国でRobert N. Feldmanという人物により、'Uni-Vibe' の 'デッドコピー' であるVibe-Broとそのロゴや当時の製品を入れる箱!まで含め、完全に?蘇りました。というか、コレって商標などの特許権とかどうなっているのかな?何でもこのFeldmanさんの 'ハニー&新映Love' な設立目的として "Honey / Shin-ei / Companionの歴史に敬意を払い、過去の名機を忠実に復刻することでブランドを守る" とのことで、これは過去のカタログを一挙に '復刻' するつもりなのでしょうか。そしてJim Klacikさんのは・・もうまんま過ぎ。ラック型など派生したレプリカも製作しているようです。さて 'Maid in Japan' からはマニアの手により完成したこれまた 'まんま' なヤツ、Heaven's Vibe。何でもオリジナル設計者の三枝文夫氏にも手渡し "よく出来てますねえ" とのお墨付きをもらったのだとか。この他、他社からもBaby Crying FuzzやCompanion FY-2 Fuzzなどがそのまま '復刻' されていたりするので、米国でも 'Uni-Vibe' 以外の同社製品は評価が高くなっているのかもしれません。しかしマニアの '熱量' って凄いですね。

2 件のコメント:

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  2. 細川様、こんにちは
    'Brass Amplifier' ブログ主の者です。

    そちらへメールを差し上げました。
    届いておりますでしょうか?

    よろしくお願い致します。

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