2016年11月4日金曜日

ブートレグのマイルス・デイビス

またマイルス・デイビスかよ・・いや、そう言わずにおつき合い下さいませ。

ここ近年のSony / Legacyによるマイルス・デイビスの ‘The Bootleg Series’ は、過去マニアの間で話題となった高音質のブートレグを公式盤としてリリースすることで、広くデイビスの音楽性を大衆に伝える役目を負っています。逆にいえば、これは高価なボックスセットとして詰め合わせ状態で出荷されているワケで、コレクションのほかに果たしてどのくらいの人に聴かれているのだろうかという不安もありますね。そもそもブートレグの根底には公式盤では満足できない聴き手のもっと聴きたいという声の表れがあり、個人の私家録音、放送用音源のエアチェック・テープというのが主な発掘対象でした。また、公式盤ではフォローしていないミッシングリンクな時期の音源などは、それらを聴くことで公式盤だけでは埋められない音楽的連関を考察する鍵を提供してくれるものでもあります。

そんなマイルス・デイビスのブートレグで彼の没後、大手CDショップの棚でよく見かけた初期ブートレグ2枚を久しぶりに見つけたので購入。当時、タワーレコードやHMVCD棚で、公式盤より明らかに割高で怪しげなジャケットを見つけては訝しげに買って帰ったことを思い出します。ガイドとなるのは積極的にデイビスのブートレグをフォローした評論家、故・中山康樹氏の著書マイルスを聴け。ほんと音質からデータの記載、演奏内容などを考察する上で無駄銭を防止する有難い一冊でしたね。


今でこそブートレグといえばCD-Rが当たり前ですが、当時は普通にプレスCD。しかし、レコード時代にはガサガサ、ゴソゴソとノイズの彼方から微かに聴こえてくるような音質が当たり前であったブートレグは、CDの時代になってからは高音質の音源をパッケージすることが多くなりました。特に、レコード時代から評価の高かった1967年の 'No Blues' (JMY)や1969年の 'ロスト・クインテット' を収めた 'Double Image' (Moon)、そして1971年のキース・ジャレット在籍時の2枚組 'Neue Stadthalle, Switzerland' (JMY)などは、当時、公式盤でフォローしていない時期のものだけに感動もひとしお・・これは凄い、と。しかし、そんな入手のしにくいブートレグも今では公式盤としてリマスタリングされて、いつでも耳にできるようになった反面、ちょっとした '宝探し' の気分が味わえなくなったのは寂しいですね。店頭の棚をチェックし、冴えないジャケットをドキドキしながら開封する・・おお、こんな 'お宝' が眠っていたんだ、っていう密かな楽しみ。



さて、①はジョン・コルトレーンとの最後のヨーロッパ・ツアーを記録したものからスイスはチューリッヒのライヴ。なぜかこのツアーからのものは公式盤でフォローしておらず、名盤 ‘Kind of Blue’ の次は後釜で加入したハンク・モブレイとの ‘Miles Davis in Person At The Blackhawk, San Francisco’ なのだから・・アレ?って感じ。まさにコルトレーンとデイビスの蜜月時代を聴きたい人にとっては待望の音源ではありますが、しかし、やはりこの二人って水と油 なんだな、というのが分かるのもこのヨーロッパ・ツアーのもの。ちなみにブートレグではありますが、ジャズの評伝書きとしても有名なJan Lohmannがライナーノーツを書いているのも良いですね。ちなみに現在では、ビル・エヴェンス在籍時のセクステットでニューヨークの 'Cafe Bohemia' に出演(1958年5月17日)した4曲を追加した 'Live in Zurich' としてiTunesで購入できます。



①を気に入ったという方は、同じく高音質のブートレグ?と言っていいのか、フランスの放送局Europe 1による4枚組②をおすすめします。コルトレーンとのヨーロッパ・ツアー2枚に後釜のソニー・スティットとのヨーロッパ・ツアー2枚という、もうお腹いっぱいな内容です。しかし、さすがにコルトレーンの後のスティットは古すぎる・・。モード奏法も分かっていない先輩スティットなだけに、さすがにデイビスもこちらは消化試合のようなものだったのでしょう。さて、ともかくグループの一員であることを無視して、ブヒバヒとソロになってやりたいことを好き勝手に開陳するコルトレーンと、そんなこと一切お構い無しに自分の仕事に徹するデイビス、その二人の水と油ぶりに右往左往しながらひたすらキープするリズム・セクションというチグハグさが①と②の聴きどころ、ですかね。いや、ハッキリ言ってデイビスはそんなコルトレーンの無法ぶりに腹を立てていたはず・・しかし、クビにせずにこのツアーまで残留をお願いしたのもデイビス本人なのだから泣くに泣けませんよ、コレは。自叙伝を開いてみるとコルトレーンの退団は了解していたものの、彼の後釜を見つけられずに四苦八苦していたのが当時のデイビスの悩みでした。すでにこのグループの二大看板であり、何とかコルトレーンを連れていかなければツアーは成功しなかった・・。そこでコルトレーンを宥めながら欲しがっていたソプラノ・サックスを買ってやり、ソロとして大手アトランティック・レコードとの契約をまとめてやりとご機嫌を伺うデイビスの心情が微笑ましくもおかしいのです。そもそもマイルス・デイビス・スクールとは、彼のお眼鏡に叶った連中をピックアップし、デイビスの音楽を理解させ、駄目ならクビ、ソロとして独り立ちできるようなら卒業というのが一貫した姿勢でした。コルトレーンも間違いなくデイビスのグループとは相容れなくなった個性を確立しており、普段ならとっとと出て行け!と追い出していたハズが、くだんの件で頭が上がらなかったのが①と②の音源だと覚えておくと、いろいろ想像できて楽しくなるでしょう。



③はご存知、当時若干18歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムズを擁した第2期クインテットのもの。これはフランスのアンティーヴ・ジャズ・フェスティバルに出演したもので、公式盤 ‘Miles in Europe’ を残しております。公式盤は1963727日の音源ですが、こちらは前日26日のもの。コルトレーンを擁した1960年のクインテットによる重複したレパートリー、‘So What’ や ’If I Were A Bell’ をそれぞれ聴き比べてみて下さい。もう、ウィリアムズの半拍先を叩くシンバル・レガートの速いこと!デイビスもこの新鮮なリズム・セクションの熱気を受けて一気に若返りました。バラッドの解釈においてもウィリアムズによるメリハリの効いたチェンジ・オブ・ペースを受けて、デイビスがまったく新しいやり方でスタンダードを換骨奪胎させていきます。ちなみにこの③、CDのインデックスでは1曲目が 'All Blues' となっておりますが、実際は急速調な 'So What' でスタート。ラストの5曲目でもさらに速度UPした 'So What' が再び登場するということで、つまり2ヴァージョンの 'So What' を堪能することできます(残念ながら誤植の 'All Blues' は収録されておりません)。んが!さらにマニアとは恐ろしいもの・・そのまた前々日の7月25日と公式盤の翌日28日の音源を発掘し2枚組とした 'Another in Europe' (So What)でドカンとすべてを吐き出しました!全11曲収録。というか、もうこのレベルであればSonyから公式盤としてリリースするべき内容ですけどね。つまらない既存の '抱き合わせボックス' で暴利を貪るのならちゃんと仕事をしてくれ・・Sony / Legacy。残念ながらiTunesでは 'Cote Blues' が購入できるのみで、フル・コンプリートの 'Another in Europe' は渋谷の専門店まで足を運ばなければならないようです。







そんなブートレグ事情が公式盤とシンクロした一例として、マイルス・デイビス没後、'事件' ともいうべき最初の '発掘作業第一弾' となった '1969 Miles'。それまで 'Double Image' という高音質のブートレグを聴いていた者にとって、これほどタイムリーかつターニング・ポイントな時期のデイビスを堪能できる音源はないと言っていいでしょう。元はフランスのテレビ局が収録したものということで上のモノクロの映像も後に出回りましたが、やはり冒頭のジャック・ディジョネットによるドシャメシャな、ジャズなのかロックなのかフリーなのか分からないドラム連打が胸踊らせます!カバーアートは晩年のデイビスと親交のあったファッション・デザイナー、佐藤孝信氏を起用し、プロデュースに1983年以降 '絶縁' 状態であったテオ・マセロを再び立てて、いわゆる 'マイルスの音' を作り出す手腕を発揮するなど、ある意味、ブートレグで '想像の耳' を広げていたユーザーの思いと見事に合致した傑作だと思います。個人的に、本盤でのスモーキーで黒々としたぶっといMartin Committeeの音は最高ですね。ちなみに、この '1969 Miles' の音源は翌日の音源と共にフランスの放送局が記録し、それらは 'The Bootleg Series' のボックスセット 'Miles Davis Quintet: Live in Europe 1969' としてまとめられております。実は、このボックスセットの音源はテオ・マセロの '加工前' のもの(モノラル)ということで、これと '1969 Miles' を聴き比べてみればマセロがいかに優れた手腕を発揮していたかが分かるでしょうね。





さて、そんなデイビスの 'ブートレグ' の中で 'ミッシングリンク' として今後の発掘と評価の対象とされているのが、プリンスとの共演ものでしょうね。実はプリンスもデイビスのラッパも 'ソックリさん' だったとか、いろんな噂が出ましたけど、プリンスの '流出モノ' として話題となり、結局ワーナーから正式に発売された 'Black Album' とひっかけたタイトルのブートレグで一部マニアの耳に届きます。しかし、この 'Can I Play with U ?' 1曲が陽の目を見ているのみで、この時のレコーディング・セッションの全貌がどのようなものだったのか、未だその興味は尽きません。時期的には当時発売中止となった 'Black Album' や、アルバム 'Sign O' The Times' 〜 'Lovesexy' の音源と被るということで、プリンス全盛期なだけに悪いワケありません!しかし、プリンスのライヴに飛び込んだデイビス、誰が聴いてもすぐ分かる 'この一発' で良いフレイズ吹くなあ〜。





この1980年代後半は、デイビスとR&Bの距離もスライ・ストーンなどと連んでいた1970年代に比べたらグッと近いところに居て、プリンスはもちろん、ワシントン・ゴーゴーの影響やチャカ・カーンとの共演など、割とすぐ 'ノッてしまう' ところがありましたね。また、デニス・ホッパー監督の映画 'The Hot Spot' のサントラでブルーズの大御所、ジョン・リー・フッカーやタジ・マハールらとの共演など、それまでは考えられないような組み合わせをフットワーク軽く決めてしまう。このキャミオとの共演 'In The Night' もそうで、ゴーゴーのリズム(by リッキー・ウェルマン!)で軽やかなファンクを吹くデイビスは時代の空気にぴったりハマっていたと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿