2022年7月1日金曜日

クールの誕生

1990年代初め、ロンドンから吹いてきたアシッド・ジャズの風はこの怪しげな黒縁眼鏡のおじさんをわたしに教えてくれました。真っ青に色付けされたカバーアートで 'ジェイダーと一緒にマンボ' というタイトルと共に、その涼しげな色そのままヴァイブの涼風がまさにわたしにとってのラテン・ジャズ初体験です。チャーリー・パーカーがマチートと共演したアフロ・キューバン・ジャズ集 'South of The Border' や、'いぶし銀' のラッパ吹き、ケニー・ドーハムによるアシッド・ジャズ聖典の一枚 'Afro-Cuban'の熱狂的な '灼熱の一夜' に比べれば、カル・ジェイダーのモダン・マンボ五重奏団によるラテンは、どこかひんやりとした真夜中の雰囲気を醸し出す極上の空間を描き出します。








急速調ながら汗ひとつ掻かないマンボ 'Mamblues' でスタートし、いかにも50'sな感じのオールディーズな男性コーラスを交えながら、史上稀に見る米国の黄金時代へとリスナーを誘います。また、バラッドの定番として有名なスタンダード '四月の思い出' が、ここでは極上のボレロとして昼下がりの木漏れ日誘うひとときを演出。ちなみにオリジナル本盤のライナーノーツでH.クレア・コルベが書く世界はそのまま、この手のリスナーがどこにいるのかを如実に描き出しております。とても興味深いので国内盤に掲載されていた翻訳をそのまま引用してみましょう。

"ラテン化されたジャズの幾何学的緊張というものは、趣味のあまりよくない音楽家の手にかかると、長時間にわたって聴き手の忍耐を強いるのが明らかな道楽として、実験的手法で無理に型づくられた作品ともなりかねない・・例えば、ブロードウェイの 'マンボラマ' のように(・・では 'ヴァレリー・ドラッグ' を聴いたことは?まあ、これは輪をかけてひどいのだが・・)。

一方、ここで聴かれるカル・ジェイダーのモダン・マンボ五重奏団がじっくり取り組んできたマンボは、嬉しいことに上述の節度を欠いた作品とは次元の違う出来栄えを見せている。この音楽にのめり込むあまり、作品に収められた曲に合わせて楽しく - あるいは優しく - ひと晩でもふた晩でも踊り明かしてしまったとしても、カイロプラクティックのお世話になる心配はないであろう。ジェイダーと仲間たちの手にかかると、マンボのタイム感に包まれてたやすくスイングすることができる。繊細と洒落、優雅さ、当意即妙の才などがラテンの気質に取り込まれて、チェリー・ピンクやチャーリー・アップルホワイトのアフロ・キューバン一派('グーフボールの婉曲語法および抽象入門' 参照)とはあからさまな共通点を見せず、むしろカリブ海に臨むヒルトン・ホテルの一室で、ジャズで盛り上がった(あるいはジャズで落ち着く)週末をふたりきりで過ごしているような気分が楽しめる。

ジェイダーのグループがこの12インチ・ディスクの周りを旋回しながら、進むべき方向性について検討を重ねている間は、汎アメリカ主義的な問題もひと息付けるというものだ。

北アメリカのジャズとキューバから来た音楽とを組み合わせるカルの手腕については、今ではよく知られている。過去にジョージ・シアリングやデイヴ・ブルーベックのグループで彼らの薫陶を受け、長年アフロ・キューバンの愛好者であり続けた彼は、ここ数年の間にも、聴くことと演奏することとの両面で真剣かつ積極的な研鑽を積み、どちらの形態でも素直に自分を表現することができるまでになっている。マニュエル・デュランのピアノやカルロス・デュランのベース、バヤルド・ベラルデの正統的なティンバレスとボンゴ、そしてエドガルド・ロサレスのコンガによる感情のこもった演奏に支えられ、カルは様々なタイプの一連のメロディーを聴きながら優雅にスイングする海辺の人々を納得させ、マンボが聴き手の思った通りのものであることを証明している。最近流行の 'Midnight Sun' から昔懐かしい 'Sonny Boy' まで、全てはダンス・パーティー向きの曲ばかりだ。マルチ・パーカッション奏者のカル(ヴァイブ、ドラムス、ボンゴ、ティンバルスなどをこなす)は、'Mamblues' と 'Lucero' ではハイアライを思わせるコンガ、そして '枯葉' ではゴアードを、やはりこの作品で活躍しているヴァイブに加え披露している。上述の 'Mamblues' と 'Lucero' はカルのオリジナルで、どちらも彼の完璧なバランス感覚が見事に現れている(ちょうどいいリズムを、ちょうどいいブルーズを・・)。老ドン・レッドマンがこよなく愛した 'Cherry' がここではチャチャチャのリズムで登場し、もっと嬉しい復曲としては、最近あまり聴かれなかった '四月の思い出' があり、ボレロのテンポで粋に再生されている。またそういった形で、アフロ・キョーバン奏者ならではの、すがすがしい手法で練られた 'This Can't Be Love' や 'Bye Bye Blues'、'Dearly Beloved'、'Tenderly' そして 'Chloe' といった曲が肩を並べているのである(なお、本文の登場人物は全て実名である。コードだけ変更してある)。皆さん、慌てずに、騒がずに。これは頭痛のしないマンボですぞ。"

                                         H.クレア・コルベ      









ジョン・ハッセルがブライアン・イーノとやった 'アンビエント' の仮想空間による '秘境' の演出は、そのまま遠いエキゾチカの時代からサイケデリックの体験を経て、現在の 'コロナ・ウィルス' による切断された世界の事象へとダイレクトに繋がるものと言って良いでしょう。まさに自宅に籠り世界との '距離' をやり過ごそうとする層にとってインターネットは、そんなヴァーチャルな結び付きに耽溺する為の支配的存在として君臨します。わたしはその 'VR' の端緒となった昭和の 'ラウンジ感覚' というべきクールな雰囲気が大好き。それは日活の無国籍映画などを見ていても現れる眺めの良いホテル、百貨店、空港などのカフェやバー。そうそう、昔は飛行機に乗るのにもキチッとスーツにネクタイを締め、航空会社のネームの入った飛行機バッグをぶら下げておりました。そんな搭乗前のリラックスできるカフェの一角にジュークボックス、そして、ゴージャスな夜の社交場では小編成のジャズ・コンボによる生演奏がこのラウンジのムードを高めるよう、または会話の妨げにならないような演奏で空間を '演出' します。実際、こういった場所をリアルタイムでは知らない世代ですが、しかし、今やジャズだろうが 'AKB' だろうが、何でもお店のBGMとして有線から一方的に音楽を '聴かされる' 時代に比べたら、昔のお店はもっとずっと '大人' であったと思うのです。そして、ラグジュアリーな自宅の一室の延長となった 'マイカー' の生活は、そのまま高速化した移動空間と共にいつかやってくる宇宙への憧憬を反映したようなロケットの流線型で視覚へと訴えます。












そんなエレガンスな時代から60年近い時間が過ぎた現在、人々の一日はぐっと短くなり、昼夜を逆転したように眠らない不夜城としての都市を忙しくします。常に何かと接続されて、世界のあらゆる情報とのコミュニケーションを可能とする一方、人間は環境と共に変容しているのでしょうか?、それとも変わりゆく環境の中で、人間は虚構の世界を '騙されたように' 生きているのでしょうか?。冷戦という恐怖の中、史上まれに見る享楽的なエンターテインメイントを生み出した1950年代の米国は、まさに 'ジェットの時代' とばかりにカリブ海やハワイ、アジアを都市の消費社会に対するリゾート地としてその距離を縮めました。そのエキゾティックな眼差しは、実際の都市からの逃避行に対し、さらに都市の中に人工的な楽園を '演出' することへと転倒します。都市の高層アパートメント、もしくは郊外の庭付き一戸建てに住む独身者の嗜み。それは、よく効いた空調設備の整う部屋の中にヤシの木の鉢植えを置き、竹で編んだ簾をかけ、リクライニングチェアに寝転がりながら、その傍らには冷たい飲み物をいつでも手に出来るミニバーが備えられている。仏像やエキゾな土産物、お香を焚いても良いでしょう。ミッド・センチュリー・モダンな木目調オーディオセットからは、当時流行のマンボやラテン・ジャズ、そしてエキゾチカと呼ばれる架空の '秘境' をイメージした環境音楽が流れ、不快指数0%の人工的な楽園を一室に所有するのです。1940年代後半からのマンボ・ブームとラテン・ジャズ、マーティン・デニーやレス・バクスターらエキゾティカのブームは偶然ではなく、その楽園の雰囲気を波のBGMと共にハワイから伝える 'Hawaii Calls Show' は週末のまどろむ逃避行の憧憬となりました。ある意味、アジアは日本も中華も区別が付かないほどにごちゃ混ぜの 'メルティングポット状態' で、ここでの '香港' も架空の楽園の如く描かれます。マリンバはまさに竹のイメージか!?(笑)。













さて、ここで小洒落たエキゾのジャズ・アレンジで演奏された三洋電機のイメージソング '小さいお嫁さん' を作曲したのは、まだ 'シンセサイズ前夜' とも言うべき巨匠、富田勲氏でございます。そしてここに当時、新たなテクノロジーとして現れたステレオ・オーディオによる 'パノラマ' 的音響効果でエキゾを強調したエスキヴィル楽団も加えたいですね。さらにこの楽園の '秘境' は鬱蒼としたジャングルや未開の部落を離れ、月夜と共に未だ想像の地である宇宙へと拡張します。ソビエトの 'スプートニク・ショック' がもたらした1957年、人々は月に建設される(だろう)ヒルトン・ホテルのラウンジで、地球を眺めながらカクテルのグラスを傾けることを夢想しました。それは1961年のボストーク1号とガガーリンによる有人飛行を経て、ケネディ大統領の "米国は今後10年以内に月へ有人飛行を達成させる" の発言により宇宙への距離が現実味を帯びたものとなります。さらに1968年のスタンリー・キューブリック監督作品 '2001年の宇宙の旅' では、その具現化されるであろう近未来のヒルトン・ホテルのラウンジが登場しました。この世代を象徴するアルバムの大半で頻繁に目にするのが 'Out of This World' という言葉からも分かり、以後、まさに 'サイケデリック前夜' とも言うべき 'Space Age' の世代へ繋がる為の道筋がこの 'ミッドセンチュリーモダン' の時代に敷かれていたことは無縁ではないのです。1969年のビザールなSFドラマ 'Moon Zero Two' でトランペットのドン・エリスがブライン・オーガー率いるThe Trinityの '紅一点'、ジュリー・ドリスコールをフィーチュアした主題歌もグルーヴィで良し。ドラマに登場するアポロ月面着陸の宇宙服を見越してピエール・カルダンがデザインしたコスモコール・ルックだけを見ても、この '宇宙時代到来' への希求がよく現れております。




また、このような傾向の中で重宝されたのが現代音楽の作曲家たちで、例えば黛敏郎が巨匠、溝口健二監督の映画 '赤線地帯' のテーマ曲として作曲した電子音楽も難解ながらどこか非日常でユーモラスな表情を垣間見せます。当時、映画と楽曲の乖離した '先鋭性' に賛否が分かれましたが黛氏曰く、この映画の画面をあざ笑うかのような楽曲をぶつけてみたかったとのこと。そして、後にインドの古典音楽が持つ変拍子の構造に関心を移して 'アンプリファイ' によるビッグ・バンドを始動させるドン・エリスも、先鋭化したジャズと現代音楽を取り入れることに熱中したひとり。ここではその端緒となる1962年の 'New Ideas' からジョン・ケージの '偶然性の音楽' を体現した 'Despare to Hope' があります。また、1964年にはいち早くインドの古典音楽に影響されたと思しきHindustani Jazz Sextetという名の実験的グループにより、エリスの師(グル)となるインド人Hari Har Haoを中心にヴァイブのエミル・リチャーズ、ベースのビル・プルマーなど、その後インドへかぶれてしまう連中が参加しているのも興味深い。ある意味では都市民の大量消費社会が生み出すストレスに対して、東洋の神秘ともいうべき 'メディテーション' を通したヒッピー文化への贅沢な憧憬とも言えるでしょうね。しかし、そこで出てくるのはインドとブラジルが突然出会ってしまったような 'Bombay Bossa Nova' ということで、まだまだエキゾチカの無国籍な視線が横溢していた頃でもあります。













さらに遠くブラジルの地では、オスカー・ニーマイヤー設計による新首都ブラジリアと共にボサノヴァが産声を上げ、気だるい '呟き' と共に都市民のライフ・スタイルへ新たな提案を投げかけます。大ヒットした「イパネマの娘」は、百貨店の購買意欲を煽ると同時に '無言の沈黙' を和らげる 'エレベータ・ミュージック' として機能し、ワルター・ワンダレイのオルガンがそのイメージを増幅しました。ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンに先駆けて米国で活動していたジョアン・ドナートがカル・ジェイダーと共演した 'Aquarius' も、まさに1960年代を代表する極上の 'エレベータ・ミュージック' と言って良いでしょう。ちなみに 'モンド・ミュージック' の著者のひとりである小柳帝氏は、その 'エレベータ・ミュージック' と 'エキゾティカ' の定義を分けて考えており、前者が、百貨店などで消費者の購買意欲を促進させ、気分を煽るような機能を有する 'ミューザック' であるのに対し、後者は、一見何の関係もない場所に強引に '秘境' のイメージを設定するもの、聴き手と場が離反することでヴァーチャルな関係性を結ぶことにあるとしています。そして、いつ核が降り注ぐか分からない冷戦の恐怖の中で、大量消費社会に邁進する米国が提供した '楽園' は新たな購買層とマーケットを生み出し、都市民が嗜むべき '大衆文化' という虚構を形成しました。








しかし、そんな時代から60年近い時間が過ぎ去った現在、これら '楽園' がもたらす風景は、まるで時間が止まったかの如き '機能美' を現代に投射します。一日の短くなった現代人にとってその夜は長く、また人々は、過去の忘れていた時間から '余裕' の嗜み方を知るのではないでしょうか。まさに世界のあちこちで多くの '秘境' が演出され、加山雄三もボサノヴァをやったし、ブラジルの片隅ではラジオから流れるザ・ビートルズを聴いて 'エレキ' の誘惑に身を焦がす若者が現れます。そしてよりお手軽な '一粒のアシッド' と共に物理的な距離を超越した '意識の拡張' でもってインナートリップに旅立つ者たち・・そう、狂乱のサイケデリックの季節がやってきます。あのジェームズ・ボンドに対する 'ハリウッドからの解答' とも言うべき '電撃フリントGo-Go作戦' では、ゴーゴーを踊るダンスフロアーからエスキモーの世界に古代エジプトの宮殿、そしてカップルが戯れるドライブイン・シアターなど、カーテン一枚を隔ててあらゆる世界へ '飛び越えていく' 安っぽい演出にもある種のサイケ感が横溢していると言って良いですね。







さて、そんなラウンジなラテン・ジャズとアヴァンギャルドを繋ぐ稀有な存在としてこちら、孤高のインプロヴァイザーであるエリック・ドルフィーに触れないわけには行かないでしょう。ドルフィーってそのキャリアの始めからずーっと自身のバンドに恵まれなかった人だったと思うのだけど、それはオーネット・コールマンやセロニアス・モンク、マイルス・デイビスのようにバンドで自らの音楽を構築していくタイプではなく、すでにドルフィーの身体がそのまま木管と合一することで現れる '異物なアンサンブル' として完結していたと思うのですヨ。駆け出しの頃のチコ・ハミルトンからオーネット・コールマン、ジョン・コルトレーンらと一緒の時でもどこか '疎外感' の如くハミ出してしまう個性。その孤立から '居場所' を放浪するドルフィーの音楽性と親和性を保っていたのがチャールズ・ミンガスのグループ在籍時であり、そこにはエレクトロニカと共通する '顕微鏡のオーケストラ' ともいうべき微細な破片を拾い集めるような静寂と統率力を垣間見るんですよね。つまりミンガスのどっしりとした指揮が、そのままドルフィーを自由に羽ばたかせる為の '土台' として機能しているのです。しかし元祖 'DV男' として、後ろから手に持った弓でバシバシ叩かれるような威圧感を与えるミンガスのご機嫌取るのは大変だったろうな(苦笑)。そして、フランク・ザッパは 'Eric Dorphy Memorial Barbecue' でドルフィーへの希求を露わにします。



そして、エリック・ドルフィーに見る多様な管楽器をひとりで受け持つ 'マルチ・プレイヤー' としては、こちらのドン・エリオットもトランペット、ヴィブラフォン、コンガにヴォーカルなどもやってしまう多才多芸の持ち主です。そんなエリオットの用いる最もユニークな楽器がメロフォンで、吹奏楽の経験がある人ならアルトホルンの代用品として馴染みのある人もいるのではないでしょうか。パッと見はフレンチホルンに似ておりますが、下から突き出すように前へ向いたベルとトランペットの運指でマーチング・ブラスが主な活躍の場でした。キャンディドのパーカッションをフィーチュアした 'Jamaica Jazz' などで、そのハリウッド・マナーの昔懐かしい異国情緒が漂います。












Models: Puje Trumpets

灼熱のカリブの血脈として、英国のラッパ吹きで西インド諸島バルバドス出身のハリー・ベケットやキングスタウン出身のシェイク・キーンなど、その'移民組' が奏でるフレイズの端々にこの地域独自の文化圏が聴こえてくるのは間違いありません。つまりモダンからフリージャズ 、サイケなジャズ・ロックの '季節' を経てレゲエやダブと '邂逅' することでカリブ海と 'UK Blak' を辿る為の地図が完成するのです。そんなラッパの吹奏感を求めるべく、独自設計な楕円形 'Ovalベル' による '46 Custom  Shop Shorty Oval' がここでの '主役'。ヘンチクリンなデザイン過多のヤツ、ただただ重たい 'パクリMonette' のヤツはまったく興味なかったのですが、このTaylorが2014年に製作した '46 Custom Shop Shorty Oval' は一目惹れしてしまった。Taylorはこの年を境に 'Oval' と呼ばれる楕円形のベルを備えたシリーズを展開しており、そのユニークかつ独創的なスタイルに注目していたのですが、それを短いサイズにしたトランペットとして新たな提案をしたことに意味があるワケです。ええ、これは吹奏感含めロングタイプのコルネットではありません。トランペットを半分ちょいほど短くした 'Shorty' なのですが、ベルの後端を 'ベル・チューニング' にして '巻く' ことで全体の長さは通常のトランペットと一緒。その 'Shorty' シリーズとしてはこの 'Oval' ベルのほか、通常のベル、リードパイプを備えたタイプも楽器ショーの為に製作されたので総本数は2本となりますね。重さは大体1.4Kgほどなのですが、短い全長に比して重心がケーシング部中心に集まることからよりズシッと感じます。また、この 'Shorty Oval' はマウスピースに穴を開けてPiezoBarrelピックアップを装着する 'アンプリファイ' で鳴らしておりますが、そのままアコースティックのオープンホーンで吹いてみても通常のラッパと何ら遜色無くパワフルに音が飛んで行きますヨ。そして 'Bauerfeind' バルブによるフェザータッチの操作性は最高です。ちなみにこの手のショート・トランペットにおけるルーツとしては、以前フランスで製作され近年再評価により復活したPujeのトランペットがありまする。










このラッパも 'アンプリファイ' と共にワウペダルで変形されておりますが(笑)、そんなパーカッシヴな奏法の参考にすべくクイーカを触ってみたりしております。このクイーカというヤツはバケツや樽に山羊や水牛などの皮を張り(近年はプラスティック打面もあり)、その真ん中へおっ立てた竹ひごを濡れた布(ウェットティッシュなども最適)でゴシゴシ擦ると例の "クック、フゴフゴ・・" と鳴るブラジルの民俗楽器です。皮の打面をチューニングしながら指でミュートすることで音程を変えることも可能で、大きさで人気のあるのは大体8インチ、9.25インチ、10インチのもので大きいほど音量も大きくなります。バケツ側の素材は昔は樽を用いたこともありましたが、その他ブリキ、真鍮、アルミ、擦る手元の見える透明のアクリル樹脂などありますが、一般的なのはステンレスですね。わたしはブラジル産のArt Celsior製8インチのステンレス胴(山羊皮)を入手し、さらに日本で 'アンプリファイ' した打楽器専用のピックアップを製作するHighleadsへ連絡。通常はPearlの8インチに加工済み製品をラインナップしているのですが、工房主宰のともだしんごさんに特別にCube Micをわたしのクイーカの胴へ穴を開けてXLR端子(オス)を加工、装着して頂きました。その他、123 Soundという国産の工房から強力な磁石を利用して打面に挟み込むMSPピックアップでクイーカを 'アンプリファイ' させるやり方もあるようですね。そんなクイーカの音色といえば30代後半以降の世代ならNHK教育TV 'できるかな' に登場するキャラクター、ゴン太くんの鳴き声として記憶にインプットされているのではないでしょうか?。マイルス・デイビスのステージの後方でゴシゴシと擦りながらラッパに合わせて裏で 'フィルイン' してくるパーカッショニスト、アイルト・モレイラの姿は、そのままワウペダルを踏むデイビスのアプローチと完全に被ります。その録音の端緒としては、初参加による1969年11月19日の 'The Little Blue Frog' から1970年5月4日にエルメート・パスコアール作の 'Little High People' でモレイラのクイーカやカズーと 'お喋り' する電気的な 'ワウ奏法' を披露しております。またマルコス・ヴァーリによるブラジルMPB至宝の一枚 'Previsao Do Tempo' の一曲目 'Flamengo Are Morrer' や日野皓正1979年のヒット作 'City Connection' の一曲目 'Hino's Reggae'、そしてファンカデリックのヒット曲 '(Just Not) Knee Deep' などでも地味に活躍しております。









Steelpan

さて、このコロナ禍とはいえ真夏にずーっと自宅で引き篭もって小さな液晶画面と顔突き合わせるなんてありえないでしょ。スプリフに火を付けて煙燻らすジャマイカのダンスホール文化もそうなんですけど、あの膨大なダブ・プレートはどこで需要があるのかと言えば、それは週末の野外パーティーで超低音のウーハーを飛ばす勢いで踊らせる為にあるのです。南国と音楽の関係性については偏見かも知れないけど、例えばコンピュータ中心の制作環境で '宅録' をやっているイメージは、暖かい陽射し溢れる日常より寒くて閉ざされた地域の方が活発なんじゃないか、という気がします。冬は外に出て行く機会もなく、ひとり暗く自室に閉じこもってアレコレやっている国々に対して、毎日が澄み渡る青空と陽射しの連続ならカーニバル的 '夏祭り' な過ごし方で一日の予定を立てる・・。いや、実際にはあまりに猛暑で日中は外出せず自宅で涼んでいるのかも知れませんけど(苦笑)。そして、コロコロと南国のムード溢れる楽器といえばトリニダード・トバゴのドラム缶で製作する創作楽器スティールパンがあり、このジャコ・パストリアス・グループのカリプソ風ファンキーな 'The Chicken' で叩くのはトリニダード・トバゴ出身のスティールパン奏者、オセロ・モリノー。この照り返すスティールパンが炸裂する 'カリビアン・ファンク' の合図として、まずはショーン・コネリー主演のスパイ映画 '007サンダーボール作戦' の舞台となる1965年当時のバハマは首都ナッソーのビーチへとひとっ飛びしましょうか。














そんなカリブ海とバハマ一帯、実は音楽的に '不毛地帯' ではなかったことを証明する怪しいシリーズ 'West Indies Funk' 1〜3と 'Disco 'o' lypso' のコンピレーション、そして 'TNT' ことThe Night Trainの 'Making Tracks' なるアルバムがTrans Airレーベルから2003年、怒涛の如く再発されました・・。う〜ん、レア・グルーヴもここまできたか!という感じなのですが、やはり近くにカリプソで有名なトリニダード・トバゴという国があるからなのか、いわゆるスティールパンなどをフィーチュアしたトロピカルな作風が横溢しておりますね。実際、上記コンピレーションからはスティールパンのバンドとして有名なThe Esso Trinidad Steel Bandも収録されているのですが、その他は見事に知らないバンドばかり。また、バハマとは国であると同時にバハマ諸島でもあり、その実たくさんの島々から多様なバンドが輩出されております。面白いのは、キューバと地理的に近いにもかかわらず、なぜかカリブ海からちょっと降った孤島、トリニダード・トバゴの文化と近い関係にあるんですよね。つまりラテン的要素が少ない。まあ、これはスペイン語圏のキューバと英語圏のバハマ&トリニダードの違いとも言えるのだろうけど、ジェイムズ・ブラウンやザ・ミーターズ、クール&ザ・ギャングといった '有名どころ' を、どこか南国の緩〜い '屋台風?' アレンジなファンクでリゾート気分を盛り上げます。ジャマイカの偉大なオルガン奏者、ジャッキー・ミットゥーとも少し似た雰囲気があるかも。しかし何と言っても、この一昔前のホテルのロビーや土産物屋で売られていた '在りし日の' 観光地風絵葉書なジャケットが素晴らし過ぎる!永遠に続くハッピーかつラウンジで 'ミッド・センチュリー・モダン' な雰囲気というか、この現実逃避したくなる 'レトロ・フューチャー' な感じがたまりません。













同じサムネ画ばかりで目がクラクラしているでしょうけど、この亜熱帯にラウンジな感じはまだまだ続きますヨ。誰かすぐにホテルを手配して航空機チケットをわたしに送ってくれ〜。今夜一眠りして、翌朝目が覚めたら一面、突き抜ける青空と青い海、降り注ぐ日差しを浴びながらプールサイドで寝そべっていたらどれだけ気持ち良いだろうか。豪華な巨大クルーズ船の旅のパッケージツアーでは、やっぱりカリブ海の西インド諸島周遊に人気が集まっているんですよね。












そんなバハマといえば首都のナッソー(Nassou)、そのナッソーといえば 'Funky Nassou' ということで、この 'カリビアン・ファンク' で最も有名なのがバハマ出身のファンクバンド、The Bigining of The End。1971年のヒット曲で聴こえる地元のカーニバル音楽、'ジャンカヌー' のリズムを取り入れたファンクは独特です。このジャンプアップする 'Funky Nassou' 一曲だけでカリブの泥臭くも陽気な雰囲気はバッチリ伝わっており、その優れたファンクを全編で展開したデビュー作以後、ディスコ全盛期の1976年にバンド名そのままの2作目をリリースして消えてしまいました。そしてもう一度、Trans Airのコンピ 'Disco 'O' Lypso' から 'Funky Nassou' のディスコ・カバーをどーぞ。









そして中南米から大西洋を渡り北アフリカへ上陸!。エチオピアから '昭和の哀愁を持つ男' (笑)ムラトゥ・アスタトゥケを始めとした、この懐かしくも夏祭りの叙情溢れる 'エチオピアン歌謡グルーヴ' で厳しいコロナ禍の夏を乗り切りましょう。ジャマイカで推進されたラスタファリ運動の神ジャーの '化身' として推戴されていたのがエチオピアの皇帝、ハイレ・セラシエ一世だったということで、なぜかジャマイカもそうなのだけど、彼らと日本の音楽が持つ '演歌性' の親和感って一体どこで繋がっているのだろうか?(謎)。さて、最後は日本が誇る歌謡ジャズ・ヴァイブの至宝、平岡精二とブルー・シャンデリアの '謎の女B' でお別れです。怪しくブッ飛んでます(笑)。


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