2021年7月1日木曜日

ドン・エリス '教授' の実験室

暑中お見舞い申し上げます。 

モダン・ジャズという '大海' の中で、どこか辺境の海域を彷徨う知られざる '才能' の持ち主がいることが多々あります。このドン・エリスという白人のラッパ吹きもそんなひとりであり、一部、熱狂的なビッグバンドのスコアや編曲などに興味を持っている人たちの支持を得ているものの、一般的にはマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンのように広く聴かれることはありません。









超絶なテクニックを持つハイノートヒッターにして、現代音楽にも造詣が深く、ガンサー・シュラーの 'サードストリーム・ミュージック' からエリック・ドルフィーと共に 'リディアン・クロマティック・コンセプト' を掲げるジャズ界のダークホース、ジョージ・ラッセルを代表する謎多き名盤 'Ezz-thetics' やその続編 'The Outer View' などに参加。そのインテリジェンスにユニークな個性は未だジャズ未踏の地で大きく君臨し続けております。









エリスはその後、インドの古典音楽が持つ変拍子の構造に関心を移し、ロックの登場で現れた 'アンプリファイ' の響きをいち早く自らのサウンドに取り入れて始動させます。そんなインドの古典音楽に影響された即興演奏の 'プロトタイプ' ともいうべき貴重な音源が高音質で残っていたなんて・・。これは明日にでもCD化して発売できるクオリティですよね。'Hindustani Jazz Sextet' という名の実験的グループによるライヴ音源のようで、ジョー・ハリオットよりもさらに早い1964年の時点でその後の 'インド化' の端緒を試行錯誤していたことが分かります。しかしシタールとボサノヴァがラウンジに融合するという怪しげな展開・・コレ、もっと音源ないのかな?ここでのタブラやシタールの演奏はエリスの師(グル)となるインド人Hari Har Haoが担っているようですが、ヴァイブのエミル・リチャーズやベースのビル・プルマーなど、エリス同様にその後インドへかぶれてしまう連中が参加しているのも興味深い。う〜ん、何かこのあたりのジャズ人脈からインド人脈ってのもジャズとヒッピー文化の '秘史' として掘り下げてみたら面白いかも。続くアル・クーパー・プロデュースで制作した1968年の作品 'Autumn' からの一曲 'Turkish Bath' は、シングル・カットもされたドン・エリスの 'インド化' を象徴するヒッピーたちのテーマ曲でここでは貴重なライヴ動画をどーぞ!。まさにこれぞサイケデリック・ジャズ!。








現在の視点から眺めるとこのような '異種交配' におけるジャズ、ポップ・ミュージックとシタールの邂逅は奇異に映りますが、当時のカウンター・カルチャーにおいて東洋のエキゾチシズムはザ・ビートルズを始めに憧憬の対象でした。まさにインドの瞑想と共に幻覚の一粒を経口するように 'LSDの教祖' としてその布教活動に勤しんだティモシー・リアリー。これは 'セットイン' と呼ばれるLSD服用の為のリラクゼーション導入を促す一枚で、濃密なインド音楽と電子音で被験者を 'Stone' させる1967年の 'Turn On, Tune In, Drop Out'。そんな '時代の音色' を象徴するシタールを取り入れる一方で、インドの古典音楽の持つ即興演奏の '構造' にアプローチするジャズマンも登場し、パット・マルティーノ、ガボール・ザボ、ビル・プルマー、コリン・ウォルコットにザ・デイヴ・パイク・セットのフォルカー・クリーゲルやマイルス・デイビスなど多岐に渡りました。ジャマイカ出身で米国で活動するサックス奏者ジョー・ハリオットは、早くからインドの古典音楽にアプローチしていた稀有なひとりであり、インド人ヴァイオリニストのジョン・メイヤーと '双頭' による 'Joe Harriot - John Mayer Double Quintet' としてAtlanticから立て続けにアルバムをリリースしました。そしてこのハリオットとメイヤーの試みは大西洋を渡り、ブリティッシュ・ジャズのジャズマンたちを刺激し、1969年にThe Indo-British Ensembleの名義で 'Curried Jazz' というアルバムを制作します。ここでは1965年の 'Indo - Jazz Suite' に続いてラッパのケニー・ウィーラーらも参加しておりますが、この時代、まだ駆け出しの 'セッションマン' であったウィーラーがモダン・ジャズからフリー・ジャズ、ジャズ・ロックに加えてこのような 'インドもの' にまで参加するというのは、その後のECMで打ち立てる様式美を考えると感慨深いものがありまする。続いてスイス人ピアニスト、イレーネ・シュヴァイツァーが後にクラウトロックのバンド、Guru Guruとしてサイケに変貌するウリ・トリプテ、マニ・ノイマイヤーらとサックス奏者ヴァルネ・ウィランやシタール、タンプーラ、タブラでセッションする 'Jazz Meets India'。また、このような従来のジャズに捉われない即興演奏のムーヴメントとか、来ないかな?。





Taal Tarang Digital Tabla Machine ①

ちなみに施法のラーガと共にインドの変拍子なリズム構造ターラをさらうに当たって便利なのがこちら、タブラマシンですね。ティーンタール(16拍子)、エクタール(12拍子)、ルーパクタール(7拍子)、ジャクタール(10拍子)などなど・・とターラの基礎ビートを学ぶことが可能。ドン・エリスの音楽を楽しむきっかけになるのはもちろん、まさに電気ラッパのお供としても最適でございます。ワウペダルを踏みながら鳴らせば、ちとマイルス・デイビスの 'On The Corner' の気分を味わえるかも(笑)。







このように書くともの凄い難解な音楽をやっていると誤解されそうですけど聴けば、実は極めて真っ当なビッグバンド・ジャズで馴染みやすいことが分かって頂けるかと思います。しかし、その音楽的構造を聴き取ろうとするとかなり複雑な変拍子を展開しているという面白さ。ベルの横に穴を開けてピエゾ・ピックアップを接合し、当時の新製品であるMaestroのSound System for Woodwinds W2やC.G. Conn Multi-Vider、テープ・エコーのEchoplex EP-2、Fenderのスプリング・リヴァーブFR-1000を複数のPro Reverbギターアンプに囲まれて鳴らすステージは当時圧巻だったのではないでしょうか。エリスのみならず各アンサンブルのフルートやクラリネットなども次第に 'アンプリファイ' されていくのがこの時期の風景です。




ここでエリスが吹いているのはHoltonにオーダーしたクォータートーン・トランペット。3つのピストンに加えて、4本目のピストンを追加することで半音の半分、1/4音という微分音を鳴らすことが出来ます。ちなみにこの手のアプローチはすっかり陽の目を見ることはなくなりましたが、ここ最近、アラビック・スケールを基調に活動するフランスのラッパ吹き、Ibrahim Maaloufがこの微分音を求めてVan Laarにオーダーしたものを吹いておりますね。4本目のピストンを左手の人差し指で押しやすいように、若干左側に傾けて配置しているのが特徴です。また、アダム・ラッパのプロデュースにより展開するブランド、Lotusのラッパにも4本目のピストンに当たるスライドを設けることで同種の音域に対応します。








当時、すでにエディ・ハリスなどがかなりの 'アンプリファイ' で人気を博しておりましたが、ここまでの電気楽器を管楽器でステージに上げたのは、あまり '正調' ジャズ史では取り上げられないハリスやエリスが初めてだったと思うのですヨ。これらはまだ、マイルス・デイビスが不気味なエコーで自らのターニングポイントを示した傑作 'Bitches Brew' を制作する以前の出来事であり、この時点で彼らの試みはデイビスよりずっと先を見越したものでした。そんな時代の変化を感じ取って 'スイングジャーナル' 誌1968年10月号で児山紀芳氏により寄稿された記事 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' から以下、抜粋します。

"同じ電化楽器でもトランペットの場合は特性面でかなりの相異がある。電化トランペットの使用で話題になったドン・エリスの場合、やはり種々のアンプを使っているが、サックスとちがって片手でできるトランペット演奏では、もうひとつの手でアンプの同時操作が可能になる。読者は、先月号のカラーページに登場したドン・エリスの写真で、彼がトランペット片手にうつむきながらアンプを操作している光景をご覧になっているはずだ。あの場合、ドン・エリスはいったん吹いたフレーズをエコーにしようとしてるのだが、この 'エコー装置' を使うと 'Electric Bath' (CBS)中の 'Open Beauty' にきかれる不思議な音楽が誕生する。装置の中にはテープ・レコーダーが内蔵されており、いったん吹かれた音がいつまでもエコーとなって反復される仕組みになっている。ドン・エリスは、この手法を駆使し谷間でトランペットを吹くような効果を出しているが、彼はまた意識的にノイズを挿入する。これも片手で吹きながら、もう一方の手でレバーを動かしてガリガリッとやるのである。こうした彼のアイデアは、一種のハプニングとみなしていいし、彼が以前、'New Ideas' (New Jazz)で試みた実験と相通じるものだ。"






ちなみにここでの機器Maestro Woodwindsは1967年のW-1から1971年のW-3に至るまでこの分野における最高のヒット作となり、エディ・ハリス、トム・スコット、ポール・ジェフリー、ジョン・クレマー、ドン・エリス、ザ・マザーズ・オブ・インベンションのイアン・アンダーウッドやバンク・ガードナーなど多くのユーザーを獲得、変わったところでは作曲家の富田勲氏も '姉妹機' にあたるG-2 Rhythm n Sound for Guitarと共に愛用しておりましたね。この錚々たる名前からも分かるように、それは現在でも状態良好の中古がeBayやReverb.comなど定期的に出品されていることからも裏付けるでしょう。このMaestro使用の 'アイコン' となったエディ・ハリスは徹底的にその機能と奏法を探求、新たな 'アンプリファイ' における管楽器のスタイルを提示しました。それを同じく 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' ではこう記しております。

"エディ・ハリスのグループがロサンゼルスの〈シェリーズ・マンホール〉に出ていたとき、彼のグループはジョディ・クリスチャン(ピアノ)、メルヴィン・ジャクソン(ベース)、リチャード・スミス(ドラムス)で構成されていたが、ハリスとベースのジャクソンが電化楽器を使っており、ジャクソンがアルコ奏法で発する宇宙的サウンドをバックにハリスが多彩な効果を発揮してみせた。2音、3音のユニゾン・プレイはもちろんのこと、マウスピースにふれないでキーのみをカチカチと動かしてブラジルの楽器クイーカのようなリズミックなサウンドを出し、ボサノヴァ・リズムをサックスから叩き(?)出すのである。この奏法はエディ・ハリスが 'マエストロ' の練習中に偶然出てきた独奏的なもので、同席した評論家のレナード・フェザーとともにアッと驚いたものである。ハリスはあとで、この打楽器的な奏法がサックス奏者に普及すればサックス・セクションでパーカッション・アンサンブルができるだろうと語っていたが、たとえそれが冗談にしろ、不可能ではないのだ。ともあれ、エディ '電化' ハリスのステージは、これまで驚異とされていたローランド・カークのあの演奏に勝るとも劣らない派手さと、不思議なサウンドに満ちていて人気爆発中。しかもカークが盲目ということもあって見る眼に痛々しさがある反面、ハリスは2管や3管吹奏をプッシュ・ボタンひとつの操作で、あとはヴォリューム調整用のフット・ペダルを踏むだけで楽々とやってのけているわけだ。エレクトリック・サックスの利点は、体力の限界に挑むようなこれまでのハードワークにピリオドを打たせることにもなりそうだ。ハイノートをヒットしなくても、ヴァイタルな演奏ができる。つまり、人体を酷使することからも解放されるのだ。この点は、連日ステージに出る当のミュージシャンたちにとって、大きな利点でもあるだろう。エディ・ハリスは電化サックスの演奏中は、体が楽だといった。これを誤解してはいけないと思う。決してなまけているのではなく、そういう状態になると、その分のエネルギーを楽想にまわせることになり、思考の余裕ができて、プラスになるという。さらに、エレクトリック・サックスを使う場合、もし人が普通のサックス通りに演奏したら、ヒドい結果になるという。楽に、自然に吹かないと、オーバーブロウの状態でさまにならないそうだ。新しい楽器は新しいテクニックを要求としているわけだが、それで体力の消耗が少しでもすめば、まことに結構ではないか。"















ちなみにエリスのようなエレクトロニクスとジャズを越境して孤軍奮闘した 'マッド・サイエンティスト' としては、ほかにギル・メレがおりますね。1950年代にBlue Noteで 'ウェストコースト' 風バップをやりながら画家や彫刻家としても活動し、1960年代から現代音楽の影響を受けて自作のエレクトロニクスを製作、ジャズという枠を超えて多彩な実験に勤しみました。そんな '発明家' としての姿を示す画像は上から順に 'Elektor' (1960)、'White-Noise Generator' (1964)、'Tome Ⅳ' (1965)、'The Doomsday Machine' (1965)、'Direktor with Bubble Oscillator' (1966)、'Wireless Synth with Plug-In Module' (1968)といった数々の自作楽器であり、特に1967年にVerveからのリーダー作 'Tome Ⅳ' は、まるでEWIのルーツともいうべきソプラノ・サックス状の自作楽器(世界初!の電子サックス)を開陳したものです。ま、一聴した限りではフツーのサックスと大差ないのですが、彼がコツコツとひとり探求してきたエレクトロニクスの可能性が正式に評価されなかったのは皮肉ですね。そんなメレ独自のアプローチは1971年のSF映画 'The Andromeda Strain' のOSTに到達、難解な初期シンセサイザーにおける金字塔を打ち立てます。ちなみにこの映画は、まさに今の新型コロナウィルスを暗示したような未知のウィルス感染に立ち向かう科学者たちのSF作品でして、その '万博的' レトロ・フューチャーな未来観と70年代的終末思想を煽るギル・メレの電子音楽が見事にハマりました。








Oberheim Electronics Ring Modulator (Prototype)
Maestro Ring Modulator RM-1A
Maestro Ring Modulator RM-1B

そして 'Don Ellis At Fillmore' で聴けるザ・ビートルズの名曲 'Hey Jude' のカバーを聴いたことがありますか?。ここではMaestroのRing Modulator RM-1を繋ぎ、完全に原曲を '換骨奪胎' して宇宙の果てまでぶっ飛んで行くようなアレンジです。エリスは、Maestroのエフェクターを製作していたC.M.I.(Chicago Musical Industries)で設計を担当していたトム・オーバーハイムとUCLAの音楽大学で同窓生で、エリス自身の '電化' に際してその機材のオーダーをオーバーハイムに持ちかけたことから始まります。ジャズの世界でこのRing Modulatorはエリスのほか、ザ・フォースウェイのマイク・ノック、ウェザーリポートで活躍したジョー・ザヴィヌルやマイルス・デイビスのバンドに所属していたチック・コリアらが愛用し、一方ではハリウッドの音響効果スタッフの目に留まることで、映画「猿の惑星」のスペシャル・エフェクトとして用いられたことから評判を呼びました。これがそのままGibsonの展開するエフェクター・ブランド、MaestroでRM-1として商品化されてヒット、続けて製作された世界初のフェイザーであるPhase Shifter PS-1がそれを上回るほどの大ヒットとなり、その元手からオーバーハイムは自らの会社Oberheim Electronicsを立ち上げてシンセサイザーの製作に着手、MoogやArp、EMSと並び1970年代を代表するシンセサイザーの一時代を築き上げました。




さて、ドン・エリスといえば自らのビッグバンドの傍、そのスコアの能力を買われてTVドラマや映画音楽なども手がけておりました。サントラではジーン・ハックマン主演の映画 'The French Connection' が有名ですけど、1969年のビザールなSFドラマ 'Moon Zero Two' でブライン・オーガー率いるThe Trinityの '紅一点'、ジュリー・ドリスコールをフィーチュアした主題歌もなかなかグルーヴィで良いですねえ。このドラマに出てくるピエールカルダンがアポロ月面着陸の宇宙服を見越してデザインしたコスモコール・ルック最高!。そして貴重なのは英国のブラスロック・グループ、The Trinityを率いたブライアン・オーガーのステージに電気ラッパで客演した動画で、そのMaestro Echoplexを駆使したセッション(6:28〜18:09)は軽く10年以上を先取りします。







ブルガリアの鬼才、ミルチョ・レヴィエフのクレズマー的なアレンジが冴える本アルバム 'Tears of Joy' は、ドラムスのラルフ・ハンフリーが後にフランク・ザッパのバンドに参加するなど、エリスが与える影響はそれまでのジャズという狭い枠の中に収まるものではありません。例えば、吹奏楽などを通ってこれから本格的にジャズでも聴いてみようかな?と思っている若いコたちにこそ、その辺の 'ジャズの教科書' 的小うるさいウンチク本など読まず、このドン・エリスのアルバムを素直に聴いてみて欲しいですね。賑やかなバンド・アンサンブルの妙技と華やかに突き抜けるハイノート、しかしアタマから数えると混乱する変拍子と奇怪な電子音響からダダイズム的実験精神の豊饒さ・・。ドン・エリス、これほどジャズを体現した人はほかに知りません。

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