2026年1月1日木曜日

việtechno / technam pop 2026

"Chúc mừng năm mới."
明けましておめでとうございます。
タイトルをゴダール風に並置して 'ソニマージュ'?させてみた(笑)。
'ソニマージュ' とはフランス語で 'Son(音)+Image(映像)' をくっ付けた造語であり、音、映像、台詞、引用などを切断、再統合して新たな関係性を実践するジャン・リュック・ゴダール特有の映画手法です。













2026年をYMOの 'テクノポップ' で迎えるのはあまりに枯れ過ぎかも知れないけど(汗)、しかし、あのポップでキッチュでアバンギャルドな 'テクノポップの季節' が大衆を巻き込んで騒動を引き起こしたんだ、というのはそれ以前それ以後にもないんですよね...。それはポップの中毒性を逆手に取った 'オトナたちの戯れ' であり、いろんな音楽の要素とカルチャーを巻き込んでの(細野さん言うところの) '洗脳' に近いところがありました。当時、嵐のように終焉した中国の文化大革命を象徴する人民服は日本の中学生の象徴でもある学生服(そもそもは戦前のスキーウェアがデザインの元らしい)でもあり、小難しい 'ニューアカ' にカブれたオシャレ層が小脇に浅田彰の著作 '構造と力' を携えスキゾだパラノだポストモダンだのキャッチコピーのように呟いてた時代。その '時代のBGM' として謎のおじさん3人組であるYMOが、小学生から女子大生に到るまで '追っかけ' されてたのだからまさに狂ってるとしか言えないだろう(苦笑)。そんな風のように吹き抜けていった 'バブル前夜' ともいうべき1983年の '散開' が示す '祭りの終わり' としてYMOを象徴する 'Behind The Mask'。この曲を象徴するヴォコーダーは外されて3人均等に並ぶコーラスから現れる 'ニューウェイヴ' の意匠は、Japanのデイヴィッド・シルヴィアンやデイヴィッド・ボウイを彷彿するばっちりメイクの 'ニューロマンティック' と共に与えられた仮面を脱ぎ捨てました。クラフトワークとジョルジオ・モロダーのディスコサウンドをフュージョンの出自で挑み、ココ日本でしか生み出し得なかった電子的な 'エキゾチカ' としてのYMOのテクノポップ。それは '隔世遺伝' するカタチで亜熱帯の地、ベトナムから突如流れて来た 'Em Nên Yêu Cô Ta' なる曲の 'テクノポップ' な響きで蘇ります。そのままYMOの '中国女 (La Femme Chinoise)' に対するアンサーソングとして私はコレを '越南女 (Em Nên Yêu Cô Ta)' と改称して呼びたいですね(笑)。ちなみにベトナム語の 'Em Nên Yêu Cô Ta' とは直訳すれば '愛しい彼女'。そのYMOの '元ネタ' であるジャン・リュック・ゴダール監督の映画 '中国女' (La Femme Chinoise)の挿入曲 'Mao Mao' は毛沢東思想で '武装' した当時のパリはカルチェラタン闘争を諧謔的に表現した一曲だけど、それを歌うClaude ChannersのMV?が完全に 'アジア蔑視' (当時はそういう意識すら無かったのだろう)な演出で今なら叩かれること必至...。まあ、YMOの 'エキゾチシズム' も政治をアイコン化しデザインとして大量消費される露悪的な 'ファッション左翼' としての遺物なので、あまりマトモに取り合わないで下さいませ(苦笑)。今や膨張する中国の覇権と向き合う厳しい日中関係では絶対できないコンセプトだけど(汗)、当時はロックバンドのゴダイゴがドラマ '西遊記' の主題歌で 'モンキーマジック' や 'ガンダーラ' など中華趣味を提供してた時代があったのだ。このYMOを象徴する真っ赤な人民服も本場中国の粗末なモノではなく(そもそもこんな派手な色は無い)、当時、高橋幸宏氏が手がけていたアパレルブランド 'Bricks MONO' 謹製品ですね。そういや、1980年代には大中や宇宙百貨の中華雑貨、修学旅行でやって来た中華街のおみやげで中学生がふざけて人民帽を被り、ジャン・ポール・ゴルチェはスポーツの 'ジャージ素材' と共にロシア・アヴァンギャルドを取り入れたデザインやマルクス、レーニンの肖像画をTシャツに貼り付けるなど、(共産主義者ぢゃなくて) '共産趣味者' としてのアイテムで消費されてたなあ...。ソビエトはペレストロイカ、中国は改革開放、ベトナムはドイモイ(Đổi mới)と動き出し、閉鎖的な '鉄のカーテン' で社会主義体制が行き詰まり共産主義終焉のカウントダウンが始まっていた1980年代でした。












              
                 "Back to The 1980's !!"


何かここ最近、街中やメディアから '1980's' の雰囲気やデザインを受け取るように感じます。音楽でいえばいわゆる 'City Pop' の再評価があり、デザインで言えば漫画 'ストップ!ひばりくん' でお馴染み江口寿史の画集発売など、あの時代の街中を飾っていた 'テクノポップ' でC調(死語だ)のセンス。サウンドで言えばあの頃に聴こえてきたのはゲートリヴァーブに突っ込んだドラムスやフランジャーの効いたギター、キラキラしたDX-7のデジタルエレピに 'メガミックス' で定番のオーケストラヒットなど、ああ、書いている内に懐かしさと恥ずかしさでクラクラしそうなほど 'プラスティックで軽薄な感じ' があったんですヨ(笑)。また、CGと呼ぶにはかなりビープで去年リメイクも話題となったディズニー制作の映画 'Tron' に見るLight Cycleの疾走するアーケードゲーム感覚などなど。そんな時代のデザインをまんま写し取ったようなDreadbox Hypnosisや今は無きDwarfcraft DevicesのARFなど、ショッキングピンクに雑誌の切り抜きコラージュからネオンサイン風フォントとか、明らかにあの時代の空気を知っている人が手がけてる(笑)。そのHypnosisは 'Time Effects Processor' と呼称されるマルチ・エフェクツで、BBDのコーラス/フランジャー、3種のモードと 'Freeze' 機能を備えたステレオのデジタル・ディレイ、そしてNowい小窓(笑)からLEDの点滅と共に揺れるスプリング・リヴァーブ搭載と7種のプリセットから最大49個のユーザー・プリセットとして保存可能。一方、残念ながらその工房を畳んでしまったDwarfcraft Devicesから地味なエンヴェロープ操作を中心にいまいちウケの悪かった?ARF。Freq、Rez、Dpth、Attack、RlsというVCFとしては一般的な5つのパラメータに加えて歪ませるDrvツマミも装備。そしてエンヴェロープを操作するモメンタリー・スイッチでリアルタイム・コントロールしながら本機お待ちかねの拡張機能、Freq.、Env.Out、Trigger InのCVでモジュラーとの同期を楽しむことが出来まする。う〜ん、このトリガーによるエンヴェロープのリアルタイム性は訴求力が弱いっすね(苦笑)。個人的に思うのはどれもエンヴェロープのカーブが極端過ぎるというか、むしろ単体でヴォリューム機能に特化したエンヴェロープ・モディファイアの方が使いやすいのかも知れません。こんな 'ジューシィ・フルーツな' (笑)ユニットでやるならもちろんテクノポップ、あのニューウェイヴ全開だった1980年代初めの雰囲気へと戻りたい。ま、ただ冷静に考えなくとも当時ショッキングピンクに彩られて 'C調' (死語!)というコトバからも分かる通り、軽薄で思いっきり可愛くて死ぬほどダサいんですけど、ね(苦笑)。一風堂の 'すみれ September Love' はもちろん、イモ欽トリオの 'ハイスクールララバイ' やなぜかCCBの 'ロマンティックが止まらない' が耳から離れなくて鬱になる...。ギャグとやる気のなさの間で逡巡するYMOの '君に、胸キュン' のMVとか(目が泳ぎ不貞腐れながらも徐々に満更でもない教授の表情に注目!)、それがネタだと分かっていても 'ぬるい笑い' が横溢しております(笑)。あ、そーか、コレがYMO結成当時のコンセプトであったスローガン "下半身モヤモヤ、みぞおちワクワク、頭くらくら" なのか!?(違っ)。

ただ、海外での日本のプレゼンス低下が顕著となった現在の目線で眺めてみれば、当時はあまりに軽薄でC調でビビッドな蛍光色と共に 'プラスティックな響き' でもってバブルの好景気と '余裕' に浮かれておりました。下請けで '種蒔き' に勤しんでいた 'Maid in Japan' からそのまま 'Japan As No.1' として海外を '誤読' しながら、とんがった姿を露出し奇妙でエキゾな最先端のPOPをやっていた最後の時代だったように思いますね。そして、そんなテクノポップの時代と並行して1980's Japanの街並みを彩っていたのが今や海外からの再評価により謎の '爆上げ' となった 'City Pop' のクリスタルな高揚感。う〜ん、なんだろうね?確かにこーいう雰囲気に満ちていたとは思うのだけど、それらは全てTVや映画からメディアを通じてもたらされていた虚構のエンタメ感であり、まさに再評価のど真ん中である山下達郎や竹内まりやの 'プラスティック・ラヴ' の空虚さの中にある '余裕' だったと思うのです(まさに '泡のように' 消えていったバブル!)。ここではちとヒネって、ベトナムからそんな 'City Pop' の世界観をリアルに再構築したPhùng Khánh Linhのアルバム 'Citopia' をどーぞ(わざと80'sアニメ風のカットをMVに持ってくるセンス!)。なるほどそうか、今はその経済成長著しい活気あるベトナムがそんな '余裕' を求めてるんだよな、と...。 











さて、ニューウェイヴにおけるダブと東京が先鋭的なカタチで交差した瞬間を捉えたという意味ではもう一度、時計の針を1980年の 'TOKIO' に巻き戻さなければなりません。アフリカ・バンバータの 'Planet Rock' ?ハービー・ハンコックの 'Rockit' ?マントロニクスの 'Bassline' ?デトロイト・テクノの出発点であるサイボトロンの 'Clear' ?もしくは、その前段階としてディスコブギーとエレクトロを繋ぐKanoの 'I'm Ready' を入れてもいいかも知れない...。いやいや、ここはYMOの '頭脳' ともいうべき '教授' ことRiuichi Sakamotoにご登場頂きましょう。ここでは 'ニューウェイヴ' の同時代的なアティチュードとして、最もとんがっていた頃の '教授' がブチかましたエレクトロ・ミュージックの 'Anthem' とも言うべきこれらを聴けば分かるはず!特に 'Riot in Lagos' のメタリックなダブミックスを手がけた 'Blackbeard' ことUNダブの巨匠、デニス・ボーヴェルの手腕が素晴らしい。そんな1981年に教授がNHK FMの番組 'サウンドストリート' から、その名も '坂本教授の電気的音楽講座' で5回に渡り音楽制作を開陳した内容を編集したもの。この番組から後にデビューするテイトウワや槇原敬之など、多くのミュージシャンがデモテープを投稿しておりましたね。この曲はYMOの弟子的企画モノグループ、コスミック・インベンションが教授プロデュースで出したシングル 'コンピューターおばあちゃん' のB面に 'フォト・ムジーク' として陽の目を見ました。ちなみにYMOはもちろん、アフリカ・バンバータの 'Planet Rock' といえば現代のリズムトラックの礎となる 'ヤオヤ' ことRoland TR-808をキックに使ったことで象徴的な一曲。そんなドラムマシンの名機がウン十年の時を経て、Rolandにより同じく名機のTR-909のプログラムも内蔵したTR-1000として蘇りました。何より近年のRolandといえばコンパクト・エフェクターのBoss含め、ほぼデジタルの 'アナログ・モデリング' により再現する形態を取っていた姿勢から一転、久々の 'フルアナログ' な回路により最新のエディット機能も盛り込んでいるのだから素晴らしい!。






そんなプログラミング可能のドラムマシン、Roland TR-808やLinnのLinn Drum TR-1以前にはこんなビザールな初期プログラミング可能なリズムマシン、ComputerrhythmがイタリアのEkoから1972年に登場しました。まだまだ、ホテルのラウンジでオルガンの伴奏としてチャカポコと鳴らすだけだったリズムボックスが普及していた時代です。の時代、見るからに当時のSF映画の小道具に出てきそうなズラッと並ぶ 'ウルトラ警備隊' 的ボタン(笑)にパンチカードを読み込んで鳴らすビザールな仕様は、現代のPolyend TrackerやSeqのような機器にときめくユーザーなら興奮すること間違いなし(やれることは全く比較になりませんが・・苦笑)。アシュラ・テンペルのマニュエル・ゲッチングやフランスの作曲家ジャン・ミッシェル・ジャールが愛用していたことも影響してか、当然eBayやReverb.comでも余裕で100万を超える超レアものですね。










矢野顕子の '在広東少年' もバリバリのテクノポップ、ニューウェイヴな一曲!。しかし、庶民的な耳に残ってる一曲としては、これぞ '80'sのテーマ' ともいうべき1980年代週末の 'サブカル未成年' (笑)をワクワクさせたNHK教育TV 'You' のテーマ曲でしょう。'Akira' でおなじみ大友克洋氏のタイトルバックでヴォコードする教授のリフレインを聴くと一気に 'バブル前夜へGO!' の世界へ連れて行ってくれるのです。さて、ニューウェイヴにおけるダブと東京が先鋭的なカタチで交差した瞬間を捉えたという意味ではもう一度、時計の針を1980年の 'TOKIO' に巻き戻さなければなりません。アフリカ・バンバータの 'Planet Rock' ?ハービー・ハンコックの 'Rockit' ?マントロニクスの 'Bassline' ?サイボトロンの 'Clear' ?いやいや、YMOの '頭脳' ともいうべき '教授' ことRiuichi Sakamotoにご登場頂きましょう。ここでは 'ニューウェイヴ' の同時代的なアティチュードとして、最もとんがっていた頃の '教授' がブチかましたエレクトロ・ミュージックの 'Anthem' とも言うべきこれらを聴けば分かるはず!特に 'Riot in Lagos' のデニス・ボーヴェルによるUK的 メタリックなダブ・ミックスが素晴らしい。一方、そんな 'B-2 Unit' 制作のきっかけとなったのが当時、吉祥寺に構えていたレコード店 'ジョージア' の店主であった後藤義孝氏との出会いからでした。その後藤氏を中心にニューウェイヴの 'アングラ' 感を詰め込んだ 'No New York' から触発されたかのように立ち上げたインディレーベルがPassであり、そのレーベルでデビューしたのが異才のニューウェイヴ集団であったGunjogacrayon(グンジョーガクレヨン)。坂本教授をして 'リアルタイムダブ・ギタリスト' と言わしめ 'B-2 Unit' にも参加した組原正氏を中心に、まるでオーネット・コールマンのプライムタイム・バンドを思わせるカテゴリー不能のアルバムは、教授自ら 'ダブ・ミックス' まで手がける(フラッとスタジオにやって来て勝手にダブミックスやってたらしい)ほどの異才を放っております。そういや両作品のジャケットの '色味' までよく似てる(笑)。1980年はYMO人気のピークと共にメンバー3人が '公的抑圧' (パブリック・プレッシャー)に苛まれていた頃であり、メンバー間の仲も最悪、いつ空中分解してもおかしくない時期でした。そんなフラストレーションが '教授' の趣味全開として開陳させたのが、ソロ・アルバム 'B-2 Unit' と六本木のディスコのテーマ曲として制作した7インチ・シングル 'War Head c/w Lexington Queen' におけるダブの 'ヴァージョン' 的扱い方だったりします。名機Prophet 5によるガムラン風な音色からスティールパンでも挑戦してみたい一曲なり。そんな 'B-2 Unit' 制作時の1981年に東京新宿のコマ劇場で開催されたYMOの 'Winter Live 1981' は、まさにニューウェイヴ全開のステージとしてアルバム 'BGM' や 'Technodelic' のアートワークを手がけた奥村靫正(ゆきまさ)氏がその独特なステージセットも担当し、広告界の権威ある賞であるADC賞を受賞しております。パンクの衝動を叩き付ける教授もさすがですが、Neu!のようなハンマービートを刻む幸宏氏、ファンキーにグイグイとグルーヴする細野さんのベースも素晴らしい!。そんな日本が最も元気で最先端を突っ走っていた頃の象徴であるYMOのふたり、高橋幸宏氏と坂本龍一 '教授' を失った損失は本当に大きい...。特に現代音楽からテクノ、映画音楽、ポップスに実験音楽からエレクトロニカとこれだけ '振り幅' を持った '教授' のような才能はもう、二度と出て来ない...とは言いたくないな(汗)。





そんなテクノポップから 'ニューウェイヴ' の季節と軌を一にするようにアンダーグラウンドの地でジャズという 'オモチャ箱' を引っくり返してしまった男、オーネット・コールマン。パンク・ジャズだフリー・ファンクだのと呼ばれ続けて来た、彼にとっての 'ハーモロディック・ファンク' とはいったい何だったのでしょうか?。まるで突然変異の如く後に 'Prime Time' と呼称するエレクトリック・バンドの活動を開始したコールマンは、それまでの和声から自由になろうと 'ピアノレス' な編成でフリーに突っ走ってきたスタイルを捨て、バーン・ニクス&チャールズ・エラービーの '2ギター' でリズミックなアプローチにその可能性を見出しました。それはエレクトリック・ギターがもたらす 'オーバートーン' (倍音)のアンサンブルです。

"ハーモロディック理論では、結局、どの音も主音のように聴こえるという境地に達する"、"技術面で言えば、即興で演奏しながら、常に(音の高さや音程を)変えていく。譜面や、ミュージシャンの内面から湧き上がってくるものに従い、お互いの音を聴き合っていく・・"、"調和した2つ以上の音の結合、または組み合わせ。一致した同じ内容を唱和すること。・・同時に、または一緒に聞こえ・・多くの人間が揃って音を発すること。完全に調和すること。一致した、調和した、協和した、ハーモニーのバランスが取れた" などなど・・。

オーネット本人は "秘伝でもなんでもなく、誰にでもできるはず" としながら、'ユニゾン' という言葉を西洋の器楽表現の枠からかなり拡大解釈して使っていることですね。'不協和'  であることがそのまま個々の '内なるピッチ' を要請し、ハーモロディック流のトーナリティを構成する実に奇妙なファンク。そんな彼の元へは 'ハーモロディクスの愛弟子' としてもうひとり、ジェイムズ "ブラッド" ウルマーがやって来ます。ウルマーがコールマンの自主制作レーベル、アーティスツ・ハウスから1978年にリリースしたデビュー・アルバム 'Tales of Captain Black' は、ウルマー、タクーマ、オーネットの息子デナード、そしてオーネット本人を加えたミニマルな編成によるソリッドで硬質な 'ハーモロディック・ファンク' 最良のスタイルを聴かせてくれる傑作。







The History of Paradis Guitar Sound

サイケデリックの時代に西ドイツから 'クラウトロック' として産声を上げ、その活動初期には日本人ヒッピーとしてアナーキーなステージを一手に引き受けたダモ鈴木さんの奇天烈なパフォーマンスが有名であったバンド、Can。このAlpha 77ははダモさん脱退後にCanがサイケなプログレからニューウェイヴのスタイルへと変貌を遂げていた時期のもの。まだダモさん在籍時はSchallerのアタッシュケース型ラックユニット(中身不明)を2台積み上げてステージを盛り上げておりましたが、1974年からシュミットの弾く右手はFarfisa Organとエレピ、伸ばす左手の先で操作する黒い壁のような謎のモジュールがAlpha 77。本機の製作を請け負ったのはスイス・チューリヒにあったHogg Labsという会社でした。H.Hogg氏はこのシュミットの為に製作したデスクトップ型の成功をベースに簡易的な 'ギターシンセ' 版の製作へと移行、その他バンドの各種機材のカスタマイズなど一手に担っていた存在でもありました。そして、このデスクトップ型を数年前にシュミットの自宅から埃を被っていたものを掘り起こしてきたJono Podmore氏はこう述べます。

"Alpha 77はCanがまだ頻繁にツアーをしていた頃に、イルミンがステージ上での使用を念頭に置いて考案したサウンド・プロセッサーで、いわばPAシステムの一部のような装置だった。基本的には複数のエフェクター/プロセッサーを1つの箱に詰め込んであり、リング・モジュレーター、テープ・ディレイ、スプリング・リヴァーブ、コーラス、ピッチ・シフター、ハイパス/ローパス・フィルター、レゾナント・フィルター、風変わりなサウンドの得られるピッチ・シフター/ハーモナイザーなどのサウンド処理ができるようになっていた。入出力は各2系統備わっていたが、XLR端子のオスとメスが通常と逆になっていて、最初は使い方に戸惑ったよ・・。基本的にはOn/Offスイッチの列と数個のロータリー・スイッチが組み込まれたミキサー・セクションを操作することで、オルガンとピアノのシグナル・バスにエフェクトをかけることができる仕組みになっていた。シュミットは当時の市場に出回っていたシンセサイザーを嫌っていた為、オルガンとピアノを使い続けながら、シュトゥックハウゼンから学んだサウンド処理のテクニック、すなわちアコースティック楽器のサウンドをテープ・ディレイ、フィルター、リング・モジュレーションなどで大胆に加工するという手法を駆使して独自のサウンドを追求していったのさ。"






                                - Irmin Schmidt's Alpha 77 Effects Unit: build by Hogg Labs -

Irmin Schmidt's Alpha 77 Effects Unit.

またシュミット本人もこう述べております。

"Alpha 77は自分のニーズを満たす為に考案したサウンド・プロセッサーだ。頭で思い付いたアイデアがすぐに音に変換できる装置が欲しかったのが始まりだよ・・。考案したのはわたしだが、実際に製作したのは医療機器などの高度な機器の開発を手掛けていた電子工学エンジニアだった。そのおかげで迅速なサウンド作りが出来るようになった。1970年代初頭のシンセサイザーは狙い通りのサウンドを得るために、時間をかけてノブやスイッチをいじり回さなければならなかったから、わたしはスイッチ1つでオルガンやピアノのサウンドを変更できる装置を切望していた。Alpha 77を使えば、オルガンやピアノにリング・モジュレーションをかけたりと、スイッチひとつで自在に音を変えることができた。そのおかげでCanのキーボード・サウンドは、他とは一味違う特別なものとなったんだ。"





Phew

ちなみにパンク/ニューウェイヴに傾倒していたこの時期のCanと坂本龍一を繋ぐものとすれば、1978年に実験的なパンクバンドのアーント・サリーの創設メンバーにして1980年に教授のプロデュースでリリースしたシングル '終曲(フィナーレ)/うらはら' で後藤美孝氏のインディーレーベルPassからソロデビュー、翌81年にクラフトワークやノイ!の名盤を生んだドイツの名プロデューサー、コニー・プランクのスタジオでCanのホルガー・チューカイ、ヤキ・リーヴェツァイトらとソロアルバム 'Phew' を制作した孤高のアーティストのPhewがいます。ちなみに、そんなプランクの手がけた楽曲をミックスする便利な動画を発見しました。しかし当時、熱病のような社会現象のYMOで受けていた '公的抑圧' (パブリックプレッシャー)の 'ウサ' をこっち方面で教授は発散してたのか...。単なる 'バイト' から、どんどん荒んでいく教授を相手にしていたユキヒロさんや細野さんもさぞや大変だったろう(苦笑)。






そして、このCanを始めとした 'クラウトロック' の伝統と変貌を最も端的に象徴したのが皆さまお馴染み、世界でも類を見ない唯一無二のクラフトワーク。活動初期のプログレッシヴ・ロックから一気にテクノの様式美を打ち立てた金字塔として、他の追随を許さない孤高の存在ですね。初期には多くのメンバーが出入りを繰り返しながらその中心にいたラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーにより、まさにバウハウスなどの影響も得ながら自ら 'ロボット化' したテクノの様式的ステージを展開します。StylophoneやSpeak & Spellといった電子ガジェットが高騰したのもクラフトワークのお陰?でしょう(苦笑)。わたしも2019年の来日公演に行きましてたっぷりとその '万博感' 溢れるショウを堪能しました(開演時に3Dメガネを配る近未来感...笑)。ちゃんと 'Computer World' や 'Autobahn'、Trans-Europe Express' もやるし、'Pocket Calculator / Dentaku' では日本語も披露しましたヨ。これが翌年、冥界へと旅立たれる(いや '脳の電源' をOFFにしたというべきか)フローリアン最後のステージになったのでとりあえず見ておいてヨカッタ。







さて、スティールパンと相性の良いヴォコーダーとして今さらながらどうしても欲しかったKorgのVC-10が半年近くかかりようやく手許に来た...(涙)。本機特有のザラついてモワッとした質感は上位機種のヴォコーダーに比べとても太刀打ちできないチープなものだけど、逆にそのローファイさ加減が本機でしか出せない唯一無二のヴォイスを生成します。ちなみにわたしが英国のコレクターから入手したものは電源部と音声ボードに手が入っており、4558デュアルオペアンプへの交換、音声認識を向上するための重要な4バンド(17Hz〜20kHz)の帯域モディファイがなされております。この実践的なModによりオリジナル特有の篭り具合から大幅なアップグレードを達成しました。そして本機の人気を決定付けたのが、坂本龍一教授1979年の傑作 '千のナイフ' 冒頭でヴォコードされる1965年に毛沢東が詠んだ詩 '重上井冈山' でしょう(中国語の四声一切無視してヴォコードしているので当の中国人には聞き取れないと思う...苦笑)。教授自らフランシス・レイからの影響を促すようなコードの響きに新たな電脳都市 'TOKIO' 到来を夢見たのはわたしだけじゃないハズ...。しかしYMOで教授が愛用したヴォコーダーといえばRolandの名機、VP-330と '電脳都市TOKIO' のテーマ曲ともいうべき 'Technopolis' と 'Behind The Mask' に尽きますね。これらの音声合成による 'スピーチシンセシス' には、古くはZappのロジャー・トラウトマンによるトークボックスからヴォコーダーのクラフトワーク〜YMO世代を端緒にAntares Audio Technologies Auto-Tuneで始まるケロケロヴォイスなど、リアルタイムに音声を加工することへの関心は過去から一貫して引き継がれております。ちなみにハービー・ハンコックが 'I Thought It Was You' の使用で有名になったのはSennheiser VSM201ですけど、それと同時期のMoogから登場した16チャンネル・ヴォコーダーはなんと復刻までしてしまいました...(そんな需要あるのか!?)。

このスティールパンとエキゾチカ、そこにエレクトロニカとポップの要素を振りかけたイメージとして最適なのが細野晴臣氏による名曲、Simoon。1978年のYMOデビュー盤で開陳された ' 世紀末の砂漠' ともいうべきオリジナルからクラフトワークのラテン化に次いで挑戦したセニョール・ココナッツの 'YMOラテンカバー'、そして千葉を中心に活動していた(今はまた別メンによるYMOカバーユニットで継続中)秀逸なYMOカバーバンドCMOのこれぞ、21世紀の超絶ポップなアレンジによるSimoonまで名曲は時代を超えて色褪せません。コギャル風な(笑)Itsukiさんの 'ケロ声' 処理とカタカナ英語、ヴォコーダーが今の無機質な時代を象徴します。そんなCMOのカバーに流れるどこか 'テン年代のCity Pop風味' にも通ずるライトな感覚は、そのまま昨今のV-Popから流れてくるSoobin Hoàng Sơnの 'Sunset in The City' へと繋ぎたくなってくる(笑)。永らく東南アジアの地を覆っていた '脱K-Pop' としてCity PopやTechno Popへの憧憬?がやってきてるのかも!?。










新調したスティールパンのピカピカなメッキと '鳴り' が眩しい〜!
やっぱ去年最高のお買い物はこのローテナーパンなのだ!。もう、そろそろこの動画もいいだろうとは思うのだが(汗)、とりあえず、スティールパンではかなりプログレッシヴなアプローチでやってるお2人だと思いますヨ。従来のモノよりリッチかつ重厚な響きのおニューなパンは、トリニダード・トバゴ出身で日本在住の名パン奏者、マニッシュさんとわたしの師匠で選んでもらった逸品です。毎年一回、故国から懇意のチューナーを呼び寄せ 'チューニング検診' を行うのですが、パンは頻繁な演奏や気温によりチューニングが狂うので調律師がチューニングメーターとハンマー片手に調整するのが習わしとなっております。わたしの師匠は複数のローテナーからダブルセコンド、ドラム缶丸出しなベースパンに至るまで錚々たる数のパンのチューニングを施したので出費も相当なものでした...(苦笑)。さらにこのパンに愛用するペダル内蔵型エコー、Eye Rock Electronics O.K. Delayも2台 '手許' にやってきました(もちろん '足下' で使うのは1台です...笑)。この手の 'ローファイ' な質感をシミュレートしたデジタル・ディレイに搭載されているのがPT2399というICチップであり、それを650msという短いディレイタイムながら筐体両側面にある2つの大きなホイールで原音→エフェクツのMixとRepeat、そしてペダル・コントロールをDelay TimeとフィードバックのRepeatsツマミ型スイッチで各々入れ替えることで全て足下により操作可能です。この今は無きテキサス州オースティンにあった工房からは、他にデイヴィッド・ギルモアがワウとエコーのフィードバックを組み合わせ音作りする 'カモメの鳴き声' サウンドをシミュレートしたエンヴェロープ・フィルターのGullmour Wahを製作するなど、かなりニッチな層に訴えていたのが面白かったですね。意外にどこの工房もフィードバックのリアルタイム操作でペダル内蔵型エコーってやらないんだよな(謎)。その代わりわたしが愛用するStrymon Brigadierもそうですが、一発踏んで発振させるフィードバック用スイッチ搭載のエコーペダルは市場に溢れてますけどね...。そんなO.K. DelayはJim Dunlop Crybaby筐体を利用しているものの、中身もしっかり作っているからかズシッとかなりの重量感がありまする。そんな 'アナログライク' なショートディレイでは去年、これまた '村田さん案件' だけど(笑)ノルウェーの工房Fjord Fuzz(フィヨルド・ファズ)のLokeを買った。その工房名からファズなど歪み系ペダルの多いラインナップにあって、本機はデジタルによる 'アナログライク' な往年のエコーを再現するということで、そろそろ市場で飽和する 'お腹いっぱい' な雰囲気がその仕様から漂ってくる...(苦笑)。しかし、そこは日本を代表する名レビュワーにして購買欲を刺激するプレイと商品説明能力の高さから安心安定のフーチーズ、村田善行氏に持って行かれます(笑)。スラップバックからタップテンポと最大400msのショートディレイによるコーラス効果は一転して80'sのニューウェイヴ風味(Devoとか弾きたくなるでしょ!)が漂い、入力ゲインを突っ込むとブースターにもなりエクスプレッション・コントロールによるディレイタイム変調の '飛び道具' なグニャグニャ具合まで多機能に対応(もうちょいディレイタイムは欲しかったかな)。面白いのは封入されるセッティング表の中に、ショート・ディレイによる 'リンギング' からの 'Steel Drums' セッティングがあることです(笑)。個人的にはこのサイズにしてエコー音と原音を個別に調整出来るミキサー機能があるのは素晴らしい!。ちなみに古い機種では、国産BigJamのフランジャーSE-5 Flanjamにも 'Steel Drums' セッティングが封入されてましたね。フランジャー単体としてFlanJamはエグ味ある機種なのだけど、なぜかこの動画では薄味なセッティングでちと大人し過ぎ...(汗)。













いわゆる 'サイドチェイン' に特化した音作りでRainger FxのMinor Concussionという珍品を所有しているのですが、この怪しげなガレージ工房の同種製品Planetariumもようやく手に入れました。コンプをベースにステレオ・リヴァーブとコーラス・エコーを組み合わせた複合機、Neon EggのPlanetariumはそのビザールな佇まいから興味をそそられます。ある意味その 'ガレージ丸出し' なアナログシンセ的筐体から生成されるサウンドは、Attack、Release、Ratioに加えて優秀なサイドチェイン・コントロールで 'ダッキング' による音作りを約束。これもV.2で従来のデュアル・モノからリアル・ステレオ仕様となり、DC9VからDC15Vに上げられることでよりヘッドルームの広いコンプレッションを実現します。そして2つのリヴァーブとコーラスから3つの異なるアルゴリズムを選択して、Sizeツマミは2つのリヴァーブ・サイズとホール・リヴァーブを追加。EchoセクションはMix、Time、Feedbackに加えてモジュレーションの部分で正弦波と方形波の選択と共にワウフラッター的不安定な揺れまでカバーします。ちなみに同種の効果では、英国の奇才にして 'マッド・サイエンティスト'  であるDavid Rainger主宰の工房、Rainger FxからMinor Concussionがありまする。基本的なトレモロのほか、外部CVや付属のダイナミック・マイクをトリガーにした ' サイドチェイン' でVCAと同期させてReleaseによるエンヴェロープを操作できるなどかなりの '変態具合' です。そんな本機の後継機としては現在、同工房からより小型化したマイナーチェンジ版のDeep Space Pulserが用意されております。こんな奇妙な 'サイドチェイン' にハマるギタリストとか、出てこないかな?。しかし、現実はニッチなペダルの際たるモノなので人知れずあっという間の 'ディスコン' 送り...(悲)。













さて、去年はいろいろと他にやることもあって最新の機材チェックも怠り、何より身の回りの '断捨離' でスッキリさせることに勤しんでおりました(汗)。そんな中でも常に突飛なアイデアで市場を沸かせワクワクさせるような機材を送り出してくるラトビアの工房、Gamechanger Audioから同社のシンセサイザー 'Mortor Synth' の機構を組み込んだ特異なペダル、Mortor Pedalの登場です。NAMMショーに出品されていたプロトタイプではLight Pedalと同種のデザインでしたが、市場へ開陳されたモノはよりポップで攻めたデザインに変更して来ましたね。そのベースとなるMotor Synthは、8つのモーターを駆動させて '電磁誘導' により 'シンセサイズ' する独自のアイデア漲ったモノで話題となりました。仕組みは小さな光学式ディスクを直流モーターで高速回転させ、そのディスクに印刷された波形を赤外線フォトセンサーで読み取って発音させるというもので、原理的にウェイヴテーブル・シンセなどと似た構造ですね。というか、単純にこのワクワクする 'ハッタリ感' がスゴいっす!。動画で見る限り音色に幅がないかなあ?という感じはありますけど(汗)、楽器って触ってみたい!、欲しい!と思わせるツボが重要ですよね(笑)。しかしまぁ、この手の 'ギターシンセペダル' って大抵、想像通りの音色でオクターバーかビットクラッシャー的アプローチ以上の効果を見出せずに市場の隅で埋もれてるモノが多いのは悲しい...。ちなみに私の現在の環境では、Buchla Music EaselとCG-Products Peak+Holdを介し、スティールパンに装着の付属ピックアップでトリガーしMusic Easelを 'パーカッション' として同期させております。そんなCG-Productsを主宰するChristian Guenther氏は元々ジャズ・ミュージシャンということで、ラッパから各種パーカッションなどアコースティック楽器と電子機器によるパフォーマンスを自ら披露しておりまする。まるで往年のブルーノ・スポエリかギル・メレのような立ち位置にいる人だ(笑)。そしてトリガーで鳴らす 'シンドラ' といえば、東洋楽器のUlt-Sound DS-4と並びYMOの高橋幸宏さんがスポット的に使用した石橋楽器のBias BS-1/BS-2ですね。黒いBS-1と銀色のBS-2の違いはホワイトノイズの付加がBS-2の改良点です。20年くらい前に復刻版も出ましたがソレも今やプレミアが付いておりまする。











そんなYMOの '好景気' も遥か昔となり教授、ユキヒロさんが各々 '鬼籍' となり、このユニットの発起人である細野さんはタバコの煙を燻らせながら一人自身が嗜む音楽の '菜園' を耕しながら健在です。彼らの遺伝子は隔世してそれこそハウスやテクノ、ヒップホップからEDMへと現在の 'DAW' に至る出発点として確実にその痕跡を刻み付けております。ユキヒロさんが招集するカタチで 'テン年代のテクノポップ' を目論んだMetafiveから 'Luv U Tokio' は今後の世代の 'Anthem' となり、そして全く窺い知れない亜熱帯の地、ベトナムの 'V-Pop' から 'Cam' (ベトナム語でオレンジの意)ことOrangeという女性歌手の歌う 'Em Nên Yêu Cô Ta' が奇しくも往年の 'テクノポップ' (エレポップと言った方が正確か)とのシンクロニシティーをチープなビープ音で呼応してしまった2024年...。そういえば一昨年、日本のベトナムフェスで来日してVaundyのエレポップな傑作 '踊り子' を見事な日本語でカバー披露してたのも納得なステージでしたね。いまだ沈滞する 'NIPPON復活' を横目に見ながら、まだまだYMOの '隔世遺伝' は世界のあちらこちらで異種交配を続けます。