2025年9月10日水曜日

xinh đẹp!

 残暑お見舞い申し上げます。ああ、イレギュラーな9月...2025年の夏も終わりますね。

毎年、花粉に襲われる春から夏を境になんか身体の不調というか、季節の変わり目をうまく乗り越えられない自分がいます。いわゆる '気象病' として頭痛だったり節々の関節痛だったり...と、だんだん当たり前が当たり前ではなく無理の効かなくなってる自分を受け入れざるを得ない '老い' ってほんとイヤだなあ...。例えば、毎日亜熱帯に住む人たちはそういう季節の変化について思うことなどあるのだろうか?いや、それはそれで過酷の地に住んでるワケだけど(汗)、日本の四季の中で真冬、花粉、猛暑と各々3シーズンも乗り越えなきゃいけない自分に嫌気が指しますヨ。これからやってくる '小さい秋' なんてほんとどっか行っちゃった(汗)。ま、イヤだと言ったところでどうにもなんないから、後はせっせと稼いでそういう過酷な季節から毎年逃避できる身分になるしかないんですけど、ね(苦笑)。というか、ずっと猛暑なら熱中症に気を付けながらそのまま身体のチューニングなどしなくていいのにな...(違うか)。

なんと久々なFriday Night Plansのmasumiさんのご登場!。すっかり音響派な世界へ旅立ってしまい戻ってこないかと思われましたが(苦笑)、リヴァーブたっぷり効かせた '海の中' をたゆたうように2018年作の一曲 'Fall in love woth you in every 4AM.' なども織り込みながら上手な落としどころ?を見つけたようです...内省的だけど(汗)。このまま心地よい眠りに就きそうではありますが、もうちょいサム・ゲンデル的な飄々とした諧謔性も欲しいかな?...まだ若いんだから(笑)。そういえばStutsらとのコラボで制作した一曲 'Prism' でフィーチュアした若きラッパー、JJJも逝ってしまいましたね...。そんな悲しみも込められてるのかな?(涙)。

そんな季節に 'プチ逃避' でやってる 'シンセ温泉'。そういうコンセプトで随分と前からやってるベッドルーム・テクノの御仁、サワサキヨシヒロさんもいらっしゃるようですが(なんとこのイベントにDe De Mouseも出てたとわ!)、わたしは特別凄いものを用意することもなくBuchla Music Easel一台で温泉宿の一夜を小さな小さな音色で '触っていく' だけ。怪しげな 'スピリチュアル野郎' と勘違いされそうだけど、そう、これはセラピー 'Therapy' なんです。その昔、サン・ラのアルバムで 'Cosmic Tones for Mental Therapy' というタイトルがありましたけど、ツマミやスイッチ、スライダーをひたすら触っていくことと小さな小さな音色に耳を開いていくこと。ここでの 'マイルール' はとにかくヴォリュームを小さく、耳を圧迫しない肩乗せ型の古いSonyのヘッドフォンで目の前に現れる音色との '対話' だけが頼りです。個人的にはこんな電気すら使わないスティールパンでそういうことやりたいけど、しかし、こういうヴォリュームの調整できる機器を使っていると最近の音楽がやたらラウドでうるさいことに気が付きます。ジョン・ケージじゃないけど、こーいう静かな温泉地にやってくるともう、ほかの音色はいらないくらいいろんな 'サウンドスケープ' に囲まれているんですヨ。川のせせらぎ、虫の声、かぽーんと鳴る風呂の桶、微かな夜風の匂い...そんな研ぎ澄まされていく五感に合わせてMusic Easelのチューニングをゆっくり合わせて行きます。大事なのは触ってソレを忘れることです...。その稀有な時間と '触れ合った' ことが大事であり、余計な心配事やストレスが入り込まなかったことに驚くでしょう。飽きたらやめて寝っ転がる、また、触りたくなったら手を伸ばす、根を詰めない...ハマらない。自分はなんでも熱狂するものはヘーキで資料探しやYoutubeのネットサーフィン始めるタイプだから、コレとっても大事ですね。SNSに苛まれるケータイの電源も切っときましょう...液晶の明かりは敵だ!(このスマホ依存症的ストレスは確実に目に来ますよ)。しかし、やっぱポータブル?とはいえアタッシュケース・サイズのMusic Easel...持ち運び可能ではあるけどデカくて重いわ(汗)。





ロバート・モーグ、アラン・ロバート・パールマン(Arp)、トム・オーバーハイム、ピーター・ジノヴィエフにデイヴィッド・コッカレル(EMS)、デイヴ・スミス(SCI)...そしてドン・ブックラや同じく西海岸系モジュラーの始祖でもあるサージ・チェレプニン、我ら日本から梯郁太郎氏と三枝文夫氏などなど。数々の 'レジェンド' と呼ばれるシンセサイザーの先駆者たちが新たな創造力と市場を目指して切磋琢磨していた時代がありました。そんな中でもドン・ブックラの試みは元祖でありながら長いこと陽の目を見ず知る人ぞ知る存在ながら今日、広く開陳されることで再評価を受けております。









これまで基本的には 'リファイン' によるリイシューで、それとは別に個別オーダーとしてヴィンテージ・スタイルでの '特注品' を手がけていたBuchla Music Easel。ヴィンテージのオリジナルは1973年にわずか25台が製造され、その後は個別オーダー?への対応をすべく1978年まではカタログに記載されていたようです。最近ではタッチセンサー型鍵盤をカットしたEasel Commandへと生産体制は移りましたが、なんと本機誕生50周年を記念して 'オリジナル風リイシュー' (MIDIなど現代的 'リファイン' の機能はそのまま)を限定復刻するとのこと。これまでの黒いポリカーボネード樹脂によるアタッシュケースから粉体塗装を施した青いアルミ製ケースに組み込み、Model218のタッチセンサーTouch Activated Voltage Sourceのプレートが金色のメタリックなヴィンテージを踏襲したものになっております。そしてヴィンテージならではの監視用の電圧メーター装備、と。これまでにも 'Roman Clone' と呼ばれるEric Loganにより組み込まれたヴィンテージ復刻ものはありましたが、やっぱこのヴィンテージのスタイルは格好良い。ほんとBuchlaは最初からこのカタチで出して頂きたかった。









そんなBuchlaを代表するMusic Easelは、オリジナル機が1973年から1980年代半ばまで製作された超レアもの。同時期のMoogやArp、EMSなどに比べてBuchlaの製作する 'モジュラーシンセ' は一部電子音響作家、大学などの教育機関を除いてほぼ市場で流通することのないものでした。昨今の 'ユーロラック・モジュラーシンセ' の世界で基本的とされるMoogの構成に対して '西海岸系' と呼称されるモジュールには、その同地に拠点を置いていたBuchlaの構成にインスパイアされていることを意味します。以下は最初に復刻されたMusic Easelの対談形式によるレビューとして、'サウンド&レコーディングマガジン' 2015年4月号でエンジニア、渡部高士氏(W)とマニピュレーターの牛尾憲輔氏(U)によるもの。こちらは前モデルの 'Music Easel 2016' 版のレビューとなりまする(基本構成は一貫して同じだけど)。

- まずお2人には、Buchlaシンセのイメージからお伺いしたいのですが。

W - 珍しい、高い、古い(笑)。僕は楽器屋で一回しか見たことがないんだよ。当時はパッチ・シンセを集め始めたころで、興味はあったんだけど、高過ぎて買えなかった。まあ、今も買えないんだけど(笑)。

U - BuchlaとSergeに関しては、普通のシンセとは話が違いますよね。

- あこがれのブランドという感じですか?。

U - そうですね。昨今はモジュラー・シンセがはやっていますが、EurorackからSynthesizer.comなどさまざまな規格がある中で、Buchlaは一貫して最高級です。

W - ほぼオーダーメイドだし、価格を下げなくても売れるんだろうね。今、これと同じ構成のシンセを作ろうとしたらもっと安く組めるとは思うけど、本機と似た構成のCwejman S1 Mk.2も結構いい値段するよね?。

- 実際に操作してみて、いかがでしたか?。

W - Sergeより簡単だよ。

U - 確かに、Sergeみたいにプリミティブなモジュールを使って "これをオシレータにしろ" ということはないです。でも、Music Easelは普通のアナログ・シンセとは考え方が違うので、動作に慣れるのが大変でした。まず、どのモジュールがどう結線されているのかが分からない・・。

W - そうだね。VCAが普通でないつながり方をしている。

U - 音源としては2基のオシレータを備えていて、通常のオシレータComplex OSCの信号がまずVCA/VCFが合体した2chのモジュールDual Lo Pass Gate(DLPG)に入るんですよね。その後段に2つ目のDLPGがあって、その入力を1つ目のDLPG、変調用のModulation OSC、外部オーディオ入力から選べるようになっている。

W - だから、そこでComplex OSCを選んでも、1つ目のDLPGが閉じていると、そもそも音が出ない・・でも、パッチ・コードで結線しなくてもできることを増やすためにこうした構成になっているわけで、いったん仕組みを理解してしまえば、理にかなっていると思ったな。Envelope Generator(EG)のスライダーの数値が普通と逆で、上に行くほど小さくなっていたのには、さすがにびっくりしたけど。

U - でも、こっちの方が正しかった。

- その "正しい" という理由は?。

W - Music EaselのEGはループできるから、オシレータのように使えるわけです。その際、僕らが慣れ親しんだエンヴェロープの操作だと、スライダーが下にあるときは、例えばアタックならタイムが速く、上に行くほど遅くなる。これをオシレータとして考えるとスライダーが上に行くほどピッチが遅くなってしまうよね?だからひっくり返した方がいいと言うか、そもそもそういうふうに使うものだった。時代が進むにつれてシンセに独立したオシレータが搭載されるようになり、エンヴェロープを発振させる考え方が無くなったわけ。

- 初期のシンセサイザーはエンヴェロープを発振させてオシレータにしていたのですか?。

W - そう。Sergeはもっとプリミティブだけどね。最近のシンセでも、Nord Nord Lead 3などはARエンヴェロープがループできますよ。シンセによってエンヴェロープ・セクションに 'Loop' という機能が付いているのは、そうした昔の名残なんでしょうね。Music Easelはエンヴェロープで波形も変えられるし、とても面白い。

- オシレータの音自体はいかがでしたか?。

W - とても音楽的な柔らかい音がして、良いと思いましたよ。

U - レンジはHigh/Lowで切り替えなければならないのですが、音が連続して変化してくのがいいですね。あとEMSのシンセのように "鍵盤弾かせません!" というオシレータではなくて、鍵盤楽器として作られているという印象でした。

W - EMSは '音を合成する機械' という感じ。その点Music Easelは '楽器' だよね。

U - 本機ではいきなりベース・ライン的な演奏ができましたが、同じようなことをEMSでやるのはすごく大変ですから。

W - 僕が使ったことのあるEMSは、メインテナンスのせいだと思うけど、スケールがズレていたり、そもそも音楽的な音は出なかったけどね。この復刻版は新品だからチューニングが合わせやすいし、音自体もすごく安定している。

U - 確かに、'Frequency' のスライダーには '440' を中心にAのオクターヴが記されていて、チューニングがやりやすいんですよ。

W - そもそも鍵盤にトランスポーズやアルペジエイターが付いていたりと、演奏することを念頭に作られている。

- オシレータのレンジ感は?。

W - 音が安定しているからベースも作れると思うよ。だけど、レゾナンスが無かったり、フィルターにCVインが無かったり、プロダクションでシンセ・ベース的な音色が欲しいときにまず手が伸びるタイプではないかな。

- リード的な音色ではいかがですか?。

W - いいんじゃないかな。特にFM変調をかけたときはすごくいい音だったよ。かかり方が柔らかいと言うか、音の暴れ方がいい案配だった。普通、フィルターを通さずにFMをかけると硬い音になるんだけど、Music Easelは柔らかい。

U - 僕はパーカッションを作るといいかなと思いました。

W - 'ポコポコ' した音は良かったよね。EGにホールドが付いているから、確かにパーカッションには向いている。でも、意外と何にでも使えるよ。

- 本機はオーディオは内部結線されていて、パッチングできるのはCVのみとなりますが、音作りの自由度と言う観点ではいかがですか?。

U - 信号の流れを理解すれば過不足無く使えますが、例えばオシレータをクロスさせることはできないし、万能なわけではないですね。

W - でも、他社の小型セミモジュラー・シンセより全然自由度は高いよ。'パッチ・シンセ' である意味がちゃんとある。

U - 確かに、変なことができそうですね。

W - Pulser/Sequencerのモジュールも入っているし、いろいろと遊べそうだよね。パッチングの色の分け方も分かりやすい。あとバナナ・ケーブルって便利だね!パッチング中に "あれどこだっけ?" と触診するような感じで、実際にプラグを挿さなくても音が確認できるのはすごく便利。ケーブルの上からスタックもできるし。

U - 渡部さんのスタジオにはRoland System 100Mがありますが、Music EaselでできることはSystem 100Mでも実現可能ですか?。

W - できると思う。System 100Mにスプリング・リヴァーブはついてないけどね。

- 復刻版の新機能としては、MIDI入力が追加されて、ほかのシーケンサーでMusic Easelをコントロールできるようになりました。

U - 僕が個人的に面白いと思ったのは、オプションのIProgram Cardをインストールすると、Apple iPadなどからWi-Fi経由でMusic Easelのプリセットを管理できるところ。ステージなどで使うには面白いと思います。

W - それはすごくいいアイデアだね。

- テスト中、お2人からは "これは入門機だね" という発言が聞こえましたが。

W - 独特のパラメータ名やしくみを理解してしまえば、決して難しいシンセではないという意味だよ。よく "モジュラー/セミモジュラー・シンセは難しそう" という人がいるけど、ケーブルのつなぎ方さえ分かってしまえば、完全に内部結線されているシンセより、自分が出したい音を作るのは簡単だからね。

U - 1つ目のDLPGにさえ気付けば、取りあえず音は出せますしね。

W - Music Easelで難しいのはオシレータとDLPGの関係とエンヴェロープだね。でも逆に言えば、特殊なのはそこだけとも言える。エンヴェロープが逆になっているのを発見したときは感動したな。シンセの歴史を見た気がしますよ。

U - 音作りの範囲はモノシンセに比べたら広いし、その領域がすごく独特です。

W - このシンセの対抗機種はArp OdysseyやOSC Oscarなどのモノシンセだよ。シーケンサーでSEっぽい表現もできるし、8ビット的な音も出せる。もう1つMIDIコンバータを用意すれば、2オシレータをパラで鳴らしてデュオフォニックになるし。

- ちなみにモジュラー・シンセというと、ノイズやSEというイメージが強かったりしますよね。

U - 確かに、モジュラー系の人はヒステリックな音色に触れがちですよね。

W - 僕はポップスの仕事でもガンガン使っていますよ。モジュラー・シンセはグシャグシャした音を作るものだと思っている人も多いようですが、アナログ・シンセの自由度が広いだけ。まあでも、オシレータに変調をかけていくと、ヒステリックな音にはなりがちだよね。

U - 変調を重ねていく方向にしか目が行かないということもあると思います。

W - でもモジュラー・シンセで本当に面白いのはオーディオの変調ではなくて、CVやトリガーをどうコントロールするかなんだよ。その意味でMusic Easelはちゃんとしている。

- 本機をどんな人に薦めますか?。

W - お金に糸目を付けず、ちょっと複雑なモノシンセが欲しい人(笑)。

U - 小さくてデスクの上に置けるのはいいと思います。例えばラップトップだけで作っている人が追加で導入するシンセとしてはどうですか?。

W - いろいろなパートを作れていいんじゃないかな。これ一台あれば演奏できるわけだから、その意味で楽器っぽいところが僕はいいと思ったな。鍵盤付きだし、音も安定している。

U - 確かにこれ一台で事足りる・・Music Easelが1stシンセで、"俺はこれで音作りを覚えた!" という人が出てきたら最高ですね(笑)。

W - で、ほかのシンセ触って "エンヴェロープが逆だよ!" って怒るという(笑)。










Buchla on L.S.D.

あの 'サマー・オブ・ラヴ' の季節にケン・キージー&メリー・プランクスターズ主宰の '意識変革' の場として機能した 'アシッドテスト' でSEを担当したドン・ブックラ。最先端のNASAから極彩色に塗れたサイケデリアの世界へ 'ドロップアウト' した彼の姿を、ノンフィクション作家トム・ウルフの著作「クール・クールLSD交換テスト」ではこう述べられております。

"突如として数百のスピーカーが空間を音楽で満たしていく・・ソプラノのトルネードのようなサウンドだ・・すべてがエレクトロニックで、Buchlaのエレクトロニック・マシンもロジカルな狂人のように叫び声をあげる・・(中略)エレクトロニック・マシンのクランクを回すと、なんとも計算できない音響が結合回路を巡回して、位相数学的に計測された音響のように弾き出された"

わたしのMusic Easelのパネル面に '怪しい物質' は塗られておりませんが(苦笑)、50年以上の時間を経て '小さな付着物' からもたらされた幻覚・・怖い。皆さま、興味本位で絶対にこの手のモノに手を出してはいけません。








さて、そんなBuchlaをヒッピーの世界から一転、アカデミックな環境へと納入されるようになったのは 'San Francisco Tape Music Center' を設立したモートン・サボトニック。それまでテープ・レコーダーによる実験的音響に精を出していたこの優れた作曲家は、ドン・ブックラと共同で新たにBuchla 100 Series Modular Electronic Music Systemを生み出すこととなります。当初からブックラとサボトニックはこの新しいアイデアについて意見を闘わせており、それはBuchlaシンセサイザーの基本コンセプトとして現在まで受け継がれております。このようなアカデミックの流れではカールハインツ・シュトゥックハウゼンに師事し、テリー・ライリーのミニマリズムとブライアン・イーノのアンビエントをエキゾティックな '架空の楽園'として描き出した1977年のデビュー作 'Vernal Equinox' でBuchlaシンセサイザーを使用したジョン・ハッセル にも繋がります。このような発想の源にはサボトニック自身が元々クラリネット奏者であったことも含め、後年、この時の出会いと開発時のエピソードとしてこう述べております。

"ドンとは初日から議論を重ねていた。ドンは楽器を作りたがっていたが、わたしは「目指しているのは楽器ではない。最大限近づけて表現するならば、楽器を作るための機材、絵を描くための機材というところだ」と伝えた。ドンは我々が望んでいた機材の本質を理解していなかった。このような考えを持っていたわたしは、鍵盤は不要だと考えていた。昔ながらの音楽制作を繰り返すようなことはしたくなかった。音程を軸にした音楽制作ではなく、奏者のアクションを軸にして音楽制作ができる機材を作りたかったんだ。"

この辺りがMoogやArpとは違う、BuchlaがEMSなどと似た志向を持つ '未知の楽器' モジュラーシンセとしての威厳ですね。これは日本で初めてBuchlaを導入した教育機関である東京藝術大学の '音響研究室' で、その発起人でもあった白砂昭一氏が同様の趣旨のことを述べておりました。

"僕は最初っから鍵盤の付いているものは忌み嫌ってた。最初から装置であるべきなんです。芸大で教える、アカデミックな世界で考えるシンセサイザーというのはね。なぜNHKがシンセサイザーを買わなかったかというと、要するにキーボード・ミュージックなんですよ。キーボードがあると、発想がもうキーボードになっちゃうんです。ブックラのよさはキーボードがないこと。タッチボードっていうのは、キーボード風に使うこともできるけど、あれは単なるスイッチ群なんです。芸大でモーグを入れたのは、電子音楽にあれを使おうというよりも、新しい楽器の研究としてなんです。ここは楽器の研究設備でもある。モーグは新しい電子楽器としての息吹を持っているから、そういうものは買って調べなきゃいけないってね。"

白砂氏によれば、Buchlaはモートン・サボトニックの作風に影響されてセリーの音楽が組み立てられやすいようにタッチボード・シーケンサーを備え、音の周波数の高さもフィート切り替えではなく20〜20000Hzまでポンと自由に切り替えられるものだと見ているそうですが、まさに鍵盤のふりした感圧センサー、電圧制御でジェネレートする 'トリガー・ミュージック' の操作性にこだわることでBuchlaは音楽の '成層圏' を突き抜けます。

こちらはワシントン州オーカス島出身で現在はLAを拠点に活動する女性電子音楽家、ケイトリン・オーレリア・スミス。バークリー音楽院でサウンド・エンジニアとしての教育を受けて、その後は往年のアルヴィン・ルシエに倣ったかのような身体と電気的接触からなる周波数変換を通じて、'A Visual Language' という視覚的アプローチに勤しんでおります。一方でフルクローレ/アメリカーナ的なヴォイスの試みとして 'Ever Isles' 名義によるローリー・アンダーソン的な試みも興味深かった。しかし、彼女の燦々と陽の当たる 'ベッドルームスタジオ' は気持ち良さそうだなあ。








ポップな 'Music Easel使い' としては、中華圏のYoutuberらしいですけどJeanieさんを推したいですね(笑)。Music Easel弾きながらフォークトロニカ風ポップで歌うJeanieさんの即興的音作りはもちろん、ポップ・ミュージックとして成立しているのが素晴らしい。モジュラーシンセ は 'CV/Gate' の電圧制御でどのようにコントロールするかにより、その剥き出しのノイズをどう '手懐けていく' かが醍醐味のひとつ。モジュールは絵の具、オーディオの変調を超えてキャンバスに絵筆を滑らせるめの 'デザイン' をどう生成していくかが重要なのです。動画のコメ欄読むとビョークっぽいという意見や素晴らしい、連絡くれー、みたいな業界人っぽいアプローチも散見されておりますが、誰かフックアップして上げれば良いのにな。動画はどれも再生数があまり伸びておらず、ここ最近はユーロラックモジュールやガジェットシンセ製作の為に立ち上げた自身の会社 'Beanie Bunnie' の近況も聞こえて来ずで寂しい限り...。





晩夏の終わりにイレギュラーで黄昏てみたけど...あんま書くことないな(苦笑)。
ただ、マニアックなモノよりめちゃくちゃポップな中毒性が欲しくなる。このまま行くとまた無駄な 'ネットサーフィン' に突入して液晶画面を凝視とともに目を酷使、グッタリと心身ともに 'テクノストレス' に苛まれそうなんでサッと終わります〜。

2025年6月15日日曜日

夏の亜熱帯 'Việt-Dub' ツアー

厳しい真冬からツライ花粉症に悩まされる '地獄の季節' が終わるのが5月のゴールデンウィーク前後...と思ったら、今年は5月最後まで雨と陽気のアップダウンで寒かったという異常気象(苦笑)。これから7月末にかけてのジワジワと夏が盛り上がっていくこの時期が一番好きなんです。これが8月に突入して20日も過ぎると、早くも晩夏の9月濃厚な夏の終わりがやって来る寂しさに黄昏てしまうのですヨ...。しかし、5月の薫風という言葉もあるように初夏の雰囲気そのまま、この深緑の季節のワクワク感ってほんと特別ですね...。四季なんかいらないからずっと1年中、このままの陽気であって欲しいわ(笑)。そういえば '旅チャンネル' というケーブルTVの番組で放映されている 'Life's A Beach' (夢の楽園へ!ビーチライフストーリー)など見て、中米カリブへ 'ドロップアウト' して自らの楽園を築く者たちの 'セカンドライフ' に想いを馳せております(笑)。欧米人たちがまさにラテン語の 'Carpe diem!' (今を楽しめ!)と、人生は一度きりのチャレンジする姿勢が清々しい...。





まずはジャマイカで1960年代後半のスカ、ロック・ステディから初期レゲエ期を支えたヴァイブ奏者、レニー・ヒバートでスタートです!。この未来への予兆と過ぎ去っていく黄金の '大量消費社会' がせめぎ合いながら、ベトナム戦争の泥沼に足を突っ込んでいたのが往年の1960年代、まさに 'ミッドセンチュリーモダン' としてラグジュアリーと(プレサイケな)ガーリーの狭間を揺れ動くサウンドが胸躍らせる...。ラテンジャズ・ヴァイブの第一人者、カル・ジェイダーもあの 'エキゾなスコア' で一世を風靡したラロ・シフリンのオーケストレーションをバックに世界の秘境を旅します。これ以前の '黄金の50's' でもなければ、これ以降の狂乱に混沌とする '幻覚のLate 60's' なサイケデリック全盛でもない 'プレサイケな' 雰囲気。それって何が違うのか?大雑把に言ってしまえば、この後の長髪にヒゲをたくわえ砂塵舞う荒野をハーレーで疾駆するヒッピースタイルがエレガントな様式を閉じてしまった気がするのです...。





旅情を掻き立てる60年以上前のジャマイカの空港に降り立つ英国の秘密諜報員、ジェイムズ・ボンド。そんな彼をお出迎えするのはその時代を代表するスカの大御所、ザ・スカタライツ。そもそも '007' 原作者のイアン・フレミングが英国植民地期のジャマイカに住み愛した地とされ、映画第6作 'ドクター・ノオ' の舞台ともなりました。さて、ザ・スカタライツといえば1963年にプロデューサーにして自ら経営する 'Studio One' でコクスン・ドッドが招集したハウスバンド。彼らオリジナルメンバーとグループは、1965年にドン・ドラモンドが彼女の殺人事件を起こし服役(獄中死)と共に解散し、ローランド・アルフォンソとジャッキー・ミットゥはそのまま 'Studio One' でSoul Brohers(後のSoul Benders、Sound Dimensionへと続く)を結成してロック・ステディ〜レゲエ/ダブ胎動期における礎を担います。またトミー・マクックは元警官にして '2丁拳銃を携えたルードボーイ' であったプロデューサー、デューク・リードのレーベル 'Treasure Isle' に移籍してSupersonicsの名の下に同じくロック・ステディ〜レゲエ/ダブ胎動期へ貢献します。そんなザ・スカタライツといえば美空ひばりの 'りんご追分' のスカアレンジでして、これはどういう経緯でそうなったのか諸説あるものの、当時ジャマイカで人気を博したハリウッドのウェスタン映画の登場人物に 'Ringo kid' という悪党ガンマンとの縁(この辺から後のルードボーイ文化に繋がる)から勘違いして録音したらしいです(苦笑)。この頃、リー・ペリーもそんなウェスタン映画を題材にしたアルバムを作っていたり、ほかにジェイムズ・ボンドや電撃フリントなどのスパイ映画、後にはダーティーハリーの名前を勝手に流用してのアーティスト名、楽曲が氾濫しました。ちなみに動画はザ・スカタライツではなく、1970年代にトミー・マクックがSupersonicsのメンバーを中心に '再演' したセッションによるもの。

タイトルに '偽りアリアリ' な(笑)そのまま無断借用しての 'Our Man Flint' をザ・スカタライツ解散後、トミー・マクックがThe Supersonicsで 'Treasure Isle' レーベルに吹き込んだもの。そしてこちらもザ・スカタライツのオリジナル・メンバーであるラッパ吹き、ババ・ブルックスが '同名異曲' で吹き込んでおります。そんな '電撃フリント' といえば映画だけではなく俳優と音楽にもあります。いわゆるスパイ映画の雛形を作った '007' を彩るのがショーン・コネリーとジョン・バリーなら、こちらはジェイムズ・コバーンとジェリー・ゴールドスミスだ。ハリウッド映画もジョン・ウィリアムズを最後に豪華なオーケストレーションのスコアを耳にしなくなってしまったのは残念ですが、その1960年代には映画がエンターテインメントとして '有終の美' ともいうべき時代の趨勢を印象付けます。シャーリー・バッシーが歌う 'ゴールドフィンガー' に象徴される '女王陛下' な雰囲気(笑)に対し、こちら 'フリント' はより通俗的な 'ミッドセンチュリーモダン' の大量消費感を漂わせます。



ジェイムズ・ボンドといえばあのカリブの楽園、バハマの青い海と空をバックに亜熱帯のバカンスという戦いに挑む名作 'サンダーボール作戦' が有名。しかし、その豪華なオーケストレーションで '007映画' を彩るジョン・バリーのスコアが...全く陽気なスカ、ロック・ステディでアレンジしまくりというか、これまたタイトル詐欺でしょ(笑)。スカの時代にThe CaribBeatsを率いたギタリスト、ボビー・エイトキンとこれまたトミー・マクックがThe Supersonicsによる '同名異曲' (という言い方もちとシックリこないけど)の 'Thunderball' です。そして、この映画のナイトパーティーを盛り上げるシーンで演奏するのがバハマ出身のパーカッション奏者のグループ、King Errison Combo。これはちゃんと実在するグループであり、この後の1970年代には御多分に洩れずディスコ・ブギー/AOR路線へと変貌します。








そんなバハマといえば首都のナッソー(Nassou)、そのナッソーといえば 'Funky Nassou' ということで、この 'カリビアン・ファンク' で最も有名なのがバハマ出身のファンクバンド、The Bigining of The End。このジャンプアップする 'Funky Nassou' 一曲だけでカリブの泥臭くも陽気な雰囲気はバッチリ伝わっており、その優れたファンクを全編で展開したデビュー作以後、ディスコ全盛期の1976年にバンド名そのままの2作目をリリースしてどこかへ消えてしまいました。Trans Airのコンピレーション 'Disco 'O' Lypso' から 'Funky Nassou' のディスコ・カバーをどーぞ。そして、上述したKing Errisonも 'Thunderball' 出演から10年以上の時を経てすっかり 'AOR風味' となりました(笑)。ちなみにこのTrinidad Steel Bandのスティールパンから聞こえて来る現行のモダンなパンに比べ、発明されて間もない頃のカランコロンと鳴る 'Ping Pong' の素朴な音色が好きですねえ。わたしが最初に入手したトリニダード・トバゴ製パンもまさにこの手の鳴りでしたが、すぐにより深みのあるモダンなパンへの希求が高まってしまいます...(苦笑)。


陽射し溢れるカリブ海とバハマ一帯。実は音楽的に '不毛地帯' ではなかったことを証明する怪しいシリーズ 'West Indies Funk' 1〜3と 'Disco 'o' lypso' のコンピレーション、そして 'TNT' ことThe Night Trainの 'Making Tracks' なるアルバムがTrans Airレーベルから2003年、怒涛の如く再発されました・・。う〜ん、レア・グルーヴもここまできたか!という感じなのですが、やはり近くにカリプソで有名なトリニダード・トバゴという国があるからなのか、いわゆるスティールパンなどをフィーチュアしたトロピカルな作風が横溢しておりますね。カリブ海といえばトリニダード・トバゴ、そして '20世紀最後のアコースティック楽器' として世界に羽ばたく打楽器、スティールパンを生み出した地でもあります。2本のマレットで叩けば真冬であろうとコロコロと南国のムード溢れるドラム缶の気持ち良さで、上記コンピレーションからもThe Esso Trinidad Steel Bandを始め数多の 'パンマンたち' が奏でます。また、バハマとは国であると同時にバハマ諸島でもあり、その実たくさんの島々から多様なバンドが輩出されております。面白いのは、キューバと地理的に近いにもかかわらず、なぜかカリブ海からちょっと降った孤島、トリニダード・トバゴの文化と近い関係にあるんですよね。つまりラテン的要素が少ない。まあ、これはスペイン語圏のキューバと英語圏のバハマ&トリニダードの違いとも言えるのだろうけど、ジェイムズ・ブラウンやザ・ミーターズ、クール&ザ・ギャングといった '有名どころ' を、どこか南国の緩〜い '屋台風?' アレンジなファンクでリゾート気分を盛り上げます。ジャマイカの偉大なオルガン奏者、ジャッキー・ミットゥーとも少し似た雰囲気があるかも。しかし何と言っても、この一昔前のホテルのロビーや土産物屋で売られていた '在りし日の' 観光地風絵葉書なジャケットが素晴らし過ぎる!永遠に続くハッピーかつラウンジで 'ミッド・センチュリー・モダン' な雰囲気というか、この現実逃避したくなる 'レトロ・フューチャー' な感じがたまりません。そんなバハマといえば首都のナッソー(Nassou)、ナッソーといえば 'Funky Nassou' ということで、この 'カリビアン・ファンク' で最も有名なのがバハマ出身のファンクバンド、The Bigining of The End。1971年のヒット曲で聴こえる地元のカーニバル音楽、'ジャンカヌー' のリズムを取り入れたファンクは独特です。このジャンプアップする 'Funky Nassou' 一曲だけでカリブの泥臭くも陽気な雰囲気はバッチリ伝わっており、その優れたファンクを全編で展開したデビュー作以後、ディスコ全盛期の1976年にバンド名そのままの2作目をリリースして消えてしまいました。そして、このジャコ・パストリアス・グループのカリプソ風ファンキーな 'The Chicken' で叩くのはトリニダード・トバゴ出身の名スティールパン奏者、オセロ・モリノー。

ここ日本ではLittle Tempoなどがこういうスタイルで早くからアプローチしておりましたが、ダビーな音像によるスティールパンとフェンダーローズ、ヴォコーダーの絡みがとっても気持ち良いなあ...。なるほど、ここでのローファイなブレイクビーツはRolandのSP-404SXで流してるのか。そんな去年に出会った動画の中でかなりお気に入りとなったのが、このフェンダーローズとヴォコーダー、スティールパンによるデュオのユニット。もっと再生数伸びても良いくらいカッコいいサウンドやってると思うんだけど、昨今の人たちにはあんまり訴えないのかな?(謎)。いまフル・アルバムを聴きたいアーティストのひとつなんですけどパンを奏でる渡辺明応さん、本業はお坊さんなんですよね(凄)。お昼の午睡に最適なほどトリップできる 'ローファイ&ワウフラの帝王' こと 'Boards of Canada' のような世界観が素晴らしい...めちゃくちゃインスパイアされました!。









そして、フィルターといえばテクノや古のルーツ・ダブのリアルタイムなミックスで威力を発揮するダイナミズムの専用機ということで、ダイナミック・スタジオから払い下げてきた中古のMCIミキシング・コンソール内蔵ハイパス・フィルターを後に自身のトレードマークとしたキング・タビーの特殊効果をパッシヴで再現したものをご紹介。タビーをフックアップしたプロデューサーのバニー・リーをして "ダイナミックスタジオはあのミキサーの使い方を知らなかったんじゃないか?" と言わしめた独特なワンノブによるハイパス・フィルターは、ここからワン・ドロップのリズムに2拍4拍のオープン・ハイハットを強調する 'フライング・シンバル' の新たな表現を生み出すなどレゲエの発展に寄与します。そのハイパス・フィルターは、左右に大きなツマミでコンソールの右側に備え付けられており、70Hzから7.5kHzの10段階の構成で、一般的な1kHz周辺でシャット・オフする機器よりも幅広い周波数音域を持っていました。そのMCIコンソール内蔵のハイパス・フィルターのベースとされたのがAltecの9069Bという1950年代のフィルターモジュールであり、それをスペインのAudio Mergeがパッシヴで再現させたのがこのKTBK-1Bになります。また、4Uラックサイズで 'Altec風' デザインとしたCF67Bもラインナップされました。スペインといえばBenidubなどダブに特化した機器を製作する工房もあり、なぜかルーツ・ダブに対する希求を隠さない情熱的な国でもあります(笑)。ちなみにこのKTBK-1Bと同種のコンセプトで製作されたものとして、Altec 9069をベースにしたWestfinga EngineeringのWF Filter 222Aという製品もありまする。さて、そのMCIコンソールの特殊効果についてタビーの下でエンジニアとしてルーツ・ダブの創造に寄与、'Dub of Rights' のダブ・ミックスも手がけた二番弟子、プリンス・ジャミー(キング・ジャミー)はこう述懐します。

"ダイナミック・サウンズ用に作られた特注のコンソールだから、すごく独特だったよ。最近のコンソールには付いていないものが付いていた。周波数を変えるときしむような音がするハイパス・フィルターとか、私たちはドラムでもベースでもリディムでもヴォーカルでも、何でもハイパス・フィルターに通していた。ハイパス・フィルターがタビーズ独特の音を作ったんだ。"









さて、このAudio Mergeと同じコンセプトで製作するモノとしてはプラグイン中心に展開する工房、Westfinga EngineeringによるハードウェアWF Filter 222Aという製品もあります。そして、なぜかAudio Mergeと同様 'ルーツ・ダブの聖地' の如くスペイン人が古のダブに特化した機器ばかり製作するBenidub Audioは、現在の市場に本場ダブの持つ原点ともいうべき音作りを開陳するべく貴重な存在。そんな必須の '飛び道具' (文字通りダブとは '飛ぶ のです!')ということで、大きなミキシング・コンソールと共に手に入れておきたいのがエコー、スプリング・リヴァーブ、フィルター、そして最新機種のフェイザーであります。すべては '目の前にある' 4トラック程度の反復した音に対するミキシング・コンソールによる '抜き差し' から、ライヴとレコーデッドされた素材を変調するために '換骨奪胎' する・・これぞダブの極意なり。
















KorgのMini Pops 3を買ったゾ。ええ、ダブ・マスターの奇才、リー・ペリーのBlackArkスタジオにGibsonのMaestro Rhythm 'n Sound for Guitarと積み重ねて鎮座していたモノへの憧れです。正確にはMini Pops 3のUni-VoxへのOEMであるSR-55、MaestroはG-2がBlackArkスタジオの所有品で、わたしの手許にあるのは本家KorgのMini Pops 3とG-1になりまする。ちなみにG-2の方にはトレモロのEcho Repeatに加え、1969年にして先駆的な機能が人知れず搭載されたことは特筆したいですね。それが1972年のMusitronics Mu-Tron Ⅲに先駆けて製品化された世界初のエンヴェロープ・フィルター、Wow Wowなんです。世界初のオートワウ?ということでは1968年のHoney Special Fuzzと争いたいところですが、あちらは周期的なフィルタリングでこちらはエンヴェロープの感度を 'ワンノブ' で調整出来るということでビミョーに違うのですヨ。このG-2のユーザーとしてはエディ・ハリスのグループに在籍したベーシスト、メルヴィン・ジャクソンがLimelightからのアルバム 'Funky Skull' でジャケットにもEchoplexと共に堂々登場。全編、そのトボけた風味の 'Wow Wow' 効果をファンキーでオクターヴな音色にブレンドする変態的ウッドベースを奏でております。個人的には 'エフェクター史ベスト5' に入るほど大好きなペダル(ユニットと言うべきか)ですね。リズム、アンサンブル、組み合わせ、デザイン...そのエフェクター黎明期ゆえのムチャな設計者の過剰な思想が溢れていると思いますヨ。本機には多くの思い出もあり、都内楽器店での捜索から入手、そして一度手放し再度コレクションするという経緯があるほどなのです。最初は恵比寿の怪しげな蚤の市的雑貨屋?にG-2が置いてあり、売ってくれと言うも一部動作不良から直して売るの一転ばりで願い叶わず...学生運動崩れの頑固なヒッピー風店主でした(苦笑)。その後、某ノイズアーティスト放出の委託品であるG-2をゲット、続いてスペースエイジ、ミッドセンチュリーモダンな家具を扱うお店でなぜかG-1も見つけてゲットしましたが一度コレクター終了宣言して全て放出...。そして現在の再コレクションとなりまする。というか、Gibsonは2022年に '復活Maestro' で展開したBossに倣ったようなつまらんラインナップなどヤメて本機の復刻をMIDI、ループ・サンプラー内蔵の仕様でやってくれ。そういう意味では、2004年に 'エレハモ' が限定でやった16 Second Digital Delayのブラッシュアップした復刻は最善のやり方でしたね。そんなビザールなトリガーするパーカッション・ユニットも今や3000ドル超えの高騰で、もはや簡単には手の出せないシロモノでございます。そんな需要?を見越してか、珍品を愛する奇特な集団というべきカナダの工房、Templo DevicesからT2 Multi-Effectとして立派なクローンを完成させました!。あえてMIDIクロックやループ・サンプラー機能とか付けずオリジナルのレイアウトに則り、その '出自' に敬意を評しているのも潔い。こーいう機材と向き合ったときに "うわ、こりゃ使えねえ〜" と放り出すんじゃなく "何だコレ?一体何が出来るんだろ?" というマインドへと変えていって欲しいですね。










そんなMaestroのリズムボックスといえばRhythm King。その名器を用いてファンクの新たなアプローチを開陳させたスライ&ザ・ファミリー・ストーンの傑作 '暴動'。そのスライ本人は惜しくも先週に冥界へと旅立たれてしまいましたが(涙)、そのスライへのトリビュートともいうべき!?なんとジャズのラッパ吹き、ニコラス・ペイトンがこのリズムボックスを用いてユニークなシティポップ感溢れる作品を2020年にリリースしておりました(驚)。これまで伝統的バップの語法で吹いていたジャズマンがこんなの作れるんだ、とビックリです。ペイトンの 'どジャズ' を期待してたファンから次の新作としてコレ聴かされたら、失望と共に石投げ付けられるだろうな(苦笑)。










さて、リズムと戯れるように楽曲の構成を分解することで新たな価値観を提示したのがカリブ海の孤島、ジャマイカで探求された '変奏' ともいうべき 'ルーツ・ダブ' の世界。週末に大量のマスターテープと共に彼らのスタジオTubby's Hometown Hi-FiやBlack Ark、Studio One、Channel Oneにやってくるプロデューサーのオーダーに従い、4トラック程度のリミックスとして過剰なエコーやスプリング・リヴァーブ、フィルターなどで '換骨奪胎' されたものをリアルタイムにダブプレートと呼ばれる鉄板をアセテートで包んだ盤面に刻む。その大量の 'ヴァージョン' はこの孤島を飛び出して、今や 'リミックス文化' におけるポップ・ミュージックのスタンダードとなったことは論をまちません。一貫して島の電気屋としてトランスを巻いていたキング・タビーことオズボーン・ルドックは、週末のダンスホールを盛り上げる趣味のセレクターから一転、そのエンジニアリングの手腕を買われ自宅を 'Tubby's Hometown Hi-Fi' と改装してミックスの '副業' にも精を出します。そこからフィリップ・スマート、プリンス・ジャミー、サイエンティストことオーバートン・ブラウンらを輩出、1980年代にはピーゴ、ファットマン、バントンといったディジタル・ラガ創成期育成のオーガナイズもするなど、常にレゲエの心臓部の役割を担いました。そんなタビーのスタジオは若手エンジニアの登竜門的存在として多くの弟子を育成しており、その'首領' であるタビー本人はミックスより島の電気屋としてトランスを巻いたり修理の出張など本業で忙しかったのです...。この 'ルーツ・ダブ' の全盛期に最も多くのミックスを手がけて一躍その名を有名にし、後に独立してジャマイカ随一のプロデューサーとなったのがプリンス・ジャミー(キング・ジャミー)。ここではその師匠と弟子2人のダブ・ミックスによる '換骨奪胎' の違いをどーぞ。ただ、やっぱタビー御大のミニマルにして '一刀両断' 的な音の細分化こそダブのオリジネイターなんだと毎度感嘆してしまう...。その 'ダブ発見' についてキング・タビーをフックアップしたプロデューサー、バニー・リーは間違えたミックスとダイレクト・カッティングによる最初の興奮と顛末についてこう述べております。

"ダブが始まったとき、それは本当の「ダブ」じゃなかった。ある日の夕方、俺とタビーがデューク・リード(プロデューサー)のスタジオにいると、スパニッシュタウンからルディ・レドウッドっていうサウンドマンがヴォーカルとリディムを使って曲をカットしていた。それをエンジニアがうっかりヴォーカルを入れ忘れたから、途中でカットを止めようとするとルディが言ったんだ。「待ってくれ、そのままやってくれ!」って。それで最初にヴォーカル無しのリディムだけのダブプレートが出来た。ルディは「今度はヴォーカル入りのをカットしてくれ」って言って、ヴォーカルが入ったのもカットした。その次の日曜日、ルディが回しているとき、俺は偶然そのダンスにいた。それで奴らがこないだカットしたリディムだけの曲をかけたらダンスが凄く盛り上がって、みんなリディムに合わせて歌い始めたんだ。あんまり盛り上がったもんで、「もう一回、もう一回」ってあの曲だけを一時間弱かけるハメになってたよ!。俺は月曜の朝、キングストンに戻ってタビーに言った。「タビー、俺らのちょっとした間違いがみんなに大ウケだったよ!」って。そしたらタビーは「よし、じゃあそれをやってみよう!」って。俺らはまず、スリム・スミスの「エイント・トゥ・ベック」とかで試してみたよ。タビーはヴォーカルだけで始めて途中からリディムを入れる。それからまたヴォーカルを抜いて、今度は完全にリディムだけにする。俺らはそうやって作った曲を「ヴァージョン」って呼び始めた。"




そして、久々にCDショップへと足を運んでみてMaya Dread1975年の 'Kaya Dub' を見つけたので購入。本盤はあのJah Lloydの傑作ダブ・アルバム 'Herb Dub' の米国仕様として曲名、収録順が変更になったモノとのことで...なんだ、'Herb Dub' は持ってたな、と(苦笑)。ちなみにミックスはキング・タビー本人の手によるもの。そんな 'Kaya Dub' といえばやはりバニー・リーのプロデュースによりお抱えバンドThe Aggrovatorsの名義で1977年にリリースされた傑作ダブ・アルバムが有名ですね。ミックスはキング・タビーのスタジオTubby's Hometown Hi-Fiということで、プリンス・ジャミーが手がけたミックスとされております。(このド派手なダブは確かにそうかも)。こっちの内容はボブ・マーリィの楽曲目白押しによるダブ化ということで、スライ&ロビーや実際にマーリィのレコーディングにも参加するカールトン&アストンのバレット兄弟参加と超強力メンツの 'フライング・シンバル' 状態!。その一曲目はマーリィの 'Sun is Shaining' をもじった 'Dub is Shining'。そもそもメジャーのIslandレーベルと契約し、いち早く世界の市場でスターダムにのし上がったボブ・マーリィはキングストンのゲットー感覚丸出しなダブの音作りと距離を置いており、そういう意味でも間接的に 'マーリィのダブ' を味わえる稀有な一枚と言えますね。




                                    - Arbiter Electronics / Fender Soundette / Soundimension -

Fender Soundette
Arbiter Electronics Soundette ①
Arbiter Electronics Soundimension ③
Arbiter Electronics Add-A-Sound

Arbiterから登場したSoundimensionとSoundetteはBinson Echorecと同様の磁気ディスク式エコーであり、1968年に僅か1年あまりの短命であったSoundetteは翌年、ポータブルラジオのような持ち運び可能のユニークなデザインのSoundimensionで一新しました。この会社はジミ・ヘンドリクスが愛用したファズ・ボックス、Fuzz Faceを製作していた英国のメーカーとしても有名です。またアッパー・オクターヴの効果を持つAdd-A-Soundはフランク・ザッパも愛用しました。現在、その超レアなSoundetteとSoundimensionがeBayとReverb.comで各々出品中...一応、完動品ですけど両機とも肝心のエコー音が出力しないとかでこれは修理に難儀しますね。だからなのか皆、高値とはいえなかなか手を出せない?という...見た目の状態が美品なだけにこれは勿体無いなあ。磁気ディスクエコーの元祖であるBinson Echorecもその磁気ディスク機構の維持、調整が大変で、現在はイタリアにいるマルチェロという技師が一人コツコツとリビルドして販売しているようです。T-RexがBinsonの版権買って '新生Echorec' として復刻させたのもそういう事情なのだと想像出来ますね。そんなSoundimensionはジャマイカのレゲエ、ダブ創成期に多大な影響を与えたプロデューサー、コクソン・ドッドが愛した機器で、ドッドはよほどこの機器が気に入ったのか、自らが集めるセッション・バンドに対してわざわざ 'Sound Dimension' と名付けるほどでした。後には自らミキシング・コンソールの前を陣取り 'Dub Specialist' の名でダブ・ミックスを手掛けますが、そんな彼のスタジオStudio Oneでドッドの片腕としてエンジニアを務めたシルヴァン・モリスはこう説明しております。

"当時わたしは、ほとんどのレコーディングにヘッドを2つ使っていた。テープが再生ヘッドを通ったところで、また録音ヘッドまで戻すと、最初の再生音から遅れた第二の再生音ができる。これでディレイを使ったような音が作れるんだ。よく聴けば、ほとんどのヴォーカルに使っているのがわかる。これが、あのスタジオ・ワン独特の音になった。それからコクソンがサウンディメンションっていう機械を入れたのも大きかったね。あれはヘッドが4つあるから、3つの再生ヘッドを動かすことで、それぞれ遅延時間を操作できる。テープ・ループは45センチぐらい。わたしがテープ・レコーダーでやっていたのと同じ効果が作れるディレイの機械だ。テープ・レコーダーはヘッドが固定されているけど、サウンディメンションはヘッドが動かせるから、それぞれ違う音の距離感や、1、2、3と遅延時間の違うディレイを作れた。"









さて、西アフリカでは現在 'アフロビーツ' (さらに細分化して 'バンクー・ミュージック' といったサブジャンルもあるらしい)のムーヴメントがジワジワと欧米の音楽市場を席巻しており、その中でも '台風の目' 的存在なのが1990年のナイジェリアはラゴス生まれ、Wizkidだ。いわゆる1970年代に席巻したフェラ・クティらアフロビートの隔世遺伝としてガーナのハイライフ、ナイジェリアの伝統的ジュジュの影響を維持しながら、実際には直接的な影響を受けていない新世代のアフロポップ・ムーヴメントとのこと。アフロミュージックに大きな影響力を持つカリブ海のラテンリズムであるソン・クラーヴェからダンスホールのデジタル・ラガやレゲトンを通じて世界に頒布したトレシージョを下敷きにEDM(特にヴォーカルの 'ケロ声処理' など)のアフロ変異と言って良いでしょうね。カナダ出身のラッパーであるドレイクやフェラ・クティの息子フェミ、DJ Spinallに女性ヴォーカルのティワ・サベージ、ラゴス版メアリーJブライジといった趣のテムズなど同郷とのコラボ(King Promiseとのコラボで 'Tokyo' っていう曲もある...笑)含め、ナイジェリアポップのひとつの大きな勢力を担っております。このようなアフロポリリズムとEDMにおける変容は、そのまま何度でも組み直されることの '変奏' によりビートが身体の限界を '管理' する様態へいつでも接近したい欲求の表れではないでしょうか。これは昨今、世界的に流行するヒップ・ホップ・ダンスの一種である 'Poppin' において、まさにビートと拮抗するように身体の限界に挑む創造性を発揮するビートの細分化として可視化しております。ダブステップに特徴のウォブルベースに合わせてブルブルと痙攣させたり、無重力に逆再生するような流れでガクガクとヒット(身体を打つようなPoppinの動きをこう呼びます)させる特異な動きなど、まさにサイボーグの時代到来を思わせる神経質なまでの身体性...。この断片化された情報の 'かけら' をサンプリングの如くひとつずつ収集、分解、再解釈していく姿はそのまま、英国の音楽批評家サイモン・レイノルズによれば "想像を超えた激しい情報過負荷時代に対応するため、再プログラミングされた身体の鼓動" であると同時に "ステロイドを使ったポストモダンのダブ" とドラムンベースの時代に定義をしました。まさにこれまでの器楽演奏によるスキルやプレイヤビリティとは全く違う領域から音楽を聴取、身体に作用する新たな感覚が生成するのを無視することは出来ません。






                                                                     "Etio + Viet"

坂本龍一 '教授' の 'Riot in Lagos' や 'The Last Emperor' を聴いてフュージョンからペンタトニックの演歌や沖縄民謡、ベトナムなどに頒布する5音音階、そこから北アフリカのエチオピアで '隔世遺伝' の如く '昭和歌謡の哀愁を持つ男' (笑)ことムラトゥ・アスタトゥケの 'Etio Jazz' へ至る長い旅路に想いを馳せるのです('End of Asia' のコーダは中国の '東方紅' のモチーフらしい)。この懐かしくも夏祭りの叙情溢れる 'Etio jazz' はわたしの目指す音楽の未来です。師匠もこの 'エチオ・ジャズ' の 'ハチロク' なアレンジで取り入れた 'Ney Ney' という格好良い曲をスティールパンで挑みました!。ジャマイカで推進されたラスタファリ運動の神ジャーの '化身' として推戴されていたのがエチオピアの皇帝、ハイレ・セラシエ一世だったということで、エチオピアからジャマイカ、アジアへと至る彼らと日本の音楽が持つ '歌謡性' の親和感って一体どこで繋がっているのだろうか?(謎)。夏の盆踊りや東映任侠映画演歌とムラトゥ・アスタトゥケが奏でる和モノ感覚のマリアージュ...いや、これは汎アジア・オリエンタリズムと言うべきか!?そして、なんとベトナムはハノイを根城に活動するインディレーベル 'Thang Long Records' からベトナム産のダブ...バンド?コンピ?、2025年発表でThe Glorious Rant (formally known as G.Rant)の 'Vietnam in Dub' というのを見つけました!。











さらに日本からエチオピアを経て、インドシナのベトナムはトラディショナルな歌謡性の根底にある一弦琴、ダン・バウ(đàn bầu)のように倍音を含んだ響きとコブシを持つ歌唱の二人、Tú TriとLương VĩやThu Hườngという人たちの歌い方へ行き着きます。特にこのThu Hườngをメインヴォーカルに据えた1時間弱に及ぶ 'ライヴシリーズ' は一体いくつレパートリーあんの?というくらい、ほぼ毎日UPされるこの独特なノリとハーモニーがクセになってしまう(笑)。例えばジャズ・ヴォーカルがスキャットなどアドリブへと挑む器楽性の限界に対し、モンゴルのホーミーにも似た独特の倍音とベトナム語の6つからなる声調とリズム、ハーモニーがそのままダン・バウの音色に接近しているのは興味深いですね。そんなベトナムの一弦琴、ダン・バウはここ日本でも購入することが可能です(演奏法を学ぶのは大変だろうけど)。そんなベトナムとジャジーな出会いは、サイゴン生まれで後にフランス・パリへ移住してボーダーレスに活動する歌手Hương Thanhが、ヴァイブをフューチュアして1930年代〜47年までのベトナム大衆歌謡をジャジーにカバーした2017年のアルバム 'SÀI GÒN SAIGON' が最高なんです。他には同じくパリ在住でジミ・ヘンドリクスのトリビュート・アルバムも制作したベトナムを代表するギタリスト、Nguyên Lêと2007年に 'コラボ' したアルバム 'Fragile Beauty' も素晴らしい。一方、今年はベトナム独立&統一50周年としてその記念日の 'サイゴン陥落' を祝う4月30日はベトナムでも盛大なイベントが開催されましたが、ベトナム統一前に南ベトナム政権下のサイゴンのダンスホールで流れていたようなオールドジャズ('Nhạc Phim' と書いてあるので映画音楽の挿入歌でしょう)も素晴らしい。特に一曲目のCarol Kimが歌う 'Sài Gòn Đẹp Lắm' (サイゴンは美しい)は有名で、古いラジオから流れるこの曲聴きながらロブスタ種のベトナムコーヒーの苦味とバインミー噛り付きベトナムの朝の喧騒を感じたい...。この辺りの伝統的歌唱によるトラディショナルなベトナム音楽とダブの手法を混ぜ合わせたサウンドを 'Việt-Dub' として提唱、アプローチしてみたいです(笑)。



ちなみに当時、ベトナム戦争がラオスなどインドシナ全域に拡大するまでの隣国カンボジアはシアヌーク殿下のもとで束の間の平和を享受しておりました。悪夢のような傀儡のロン・ノル政権〜ポル・ポトのクメール・ルージュの虐殺により国土が焦土と化す前は、こんな緩〜いカンボジアの伝統音楽が流れていたんですねえ。残念ながらこの歌手は暗黒のクメール・ルージュの時代に犠牲となったとのこと。そして最近、ダブやエチオ・ジャズについての '良本' が立て続けに刊行されているのは嬉しい限り。それは2010年に翻訳されたマイケルEヴィール著の「DUB論」(水声社)が一昨年暮れ、改訂の新訳により復刊し、去年はティボー・エレンガルト著「キング・タビー: ダブの創始者、そしてレゲエの中心にいた男」(Pヴァイン/Ele-King Books)が発刊、さらに 'エチオ・ジャズ' についての初の書籍である川瀬慈著「エチオジャズの蛇行」(音楽之友社)も書店に並びました。その著作からムラトゥ・アスタトゥケのインタビューで日本と 'エチオ' の相関性について興味深くこう述べております。

- そういえば、エチオピアの音楽は日本の音楽に似ているなんていう話があるけど、あなたはそのあたりをどう考える?。

- ムラトゥ
私は、まさにその一点についていつも考えてきた。日本がエチオピアの音楽の影響を受けたのかもしれないし、エチオピア側が日本の影響を受けてきたのかもしれない。この問題を考えるということは、いかに我々が、音を通してコミュニケーションを行ってきたか、ということを考えることだ。数年前、日本に行ったとき、何人かのミュージシャンと、エチオピア北部の音階と日本の伝統的な音楽の類似性について議論した。話は盛り上がったけど、この点については謎だらけだね。






一方、こちらは在米ベトナム人のラッパ吹き、Cường Vũ(クォン・ヴー)2005年の第4作 '残像' こと 'It's Mostly Residual'。ちなみにこの2人は2017年の第7作 'Ballet (The Music of Michael Gibbs)' でも共演しております。わずか6歳でベトナムから家族と渡米しバークリー音大を経てパット・メセニーのグループへ大抜擢、その名を一躍ジャズ界に知らしめました。グッと顎を引き往年のウッディ・ショウを思わせるその特徴的な構え方から、'アンプリファイ' による歪んだエコーの音像と共にエレクトリック・トランペットの新たな可能性に挑むスタイルは刺激的です。1980年代初期のデジタル・ディレイ/サンプラーとしてあのジョン・フルシアンテが足下に置いたことから高騰したDigitech PDS-1002ですが、わたしとしては構えたラッパの空いた左手で机に置くPDS-1002を触るクォン・ヴーの姿が印象的ですね。



最後はもう10年以上前からひとり 'ミッドセンチュリーモダン' な世界を生きる 'Exoticaオジサン' のフェイバリット 'Exotica' アルバム選をどーぞ。例えばジョン・ハッセルがブライアン・イーノとやった 'アンビエント' の仮想空間による '秘境' の演出は、そのまま遠いエキゾチカの時代からサイケデリックの体験を経て、現在の 'コロナ・ウィルス' による切断された世界の事象へとダイレクトに繋がるものと言って良いでしょう。まさに自宅に籠り世界との '距離' をやり過ごそうとする層にとってインターネットは、そんなヴァーチャルな結び付きに耽溺する為の支配的存在として君臨します。わたしはその 'VR' の端緒となった昭和の 'ラウンジ感覚' というべきクールな雰囲気が大好き。それは日活の無国籍映画などを見ていても現れる眺めの良いホテル、百貨店、空港などのカフェやバー。そうそう、昔は飛行機に乗るのにもキチッとスーツにネクタイを締め、航空会社のネームの入った飛行機バッグをぶら下げておりました。そんな搭乗前のリラックスできるカフェの一角にジュークボックス、そして、ゴージャスな夜の社交場では小編成のジャズ・コンボによる生演奏がこのラウンジのムードを高めるよう、または会話の妨げにならないような演奏で空間を '演出' します。実際、こういった場所をリアルタイムでは知らない世代ですが、しかし、今やジャズだろうが 'AKB' だろうが、何でもお店のBGMとして有線から一方的に音楽を '聴かされる' 時代に比べたら、昔のお店はもっとずっと '大人' であったと思うのです。そして、ラグジュアリーな自宅の一室の延長となった 'マイカー' の生活は、そのまま高速化した移動空間と共にいつかやってくる宇宙への憧憬を反映したようなロケットの流線型で視覚へと訴えます。













1960年代当時、ここ日本へもFENで土曜午後の2時に波の音と共に司会ウェブリー・エドワーズのこの一言から始まる 'Hawaii Calls Show'。ああ、このまどろみの午睡を誘う最高のオープニング、気持ち良かっただろうなあ...。そう、ロート製薬提供のクイズ番組 'アップダウンクイズ' の特賞が10問正解して夢のハワイへご招待!からも伺えるように、それは楽園への '片道チケット' だったのでした。

"ハワイ・コールズ、この番組はハワイのワイキキ・ビーチからお届けしています。"

そんなエレガンスな時代から60年近い時間が過ぎた現在、人々の一日はぐっと短くなり、昼夜を逆転したように眠らない不夜城としての都市を忙しくします。常に何かと接続されて、世界のあらゆる情報とのコミュニケーションを可能とする一方、人間は環境と共に変容しているのでしょうか?、それとも変わりゆく環境の中で、人間は虚構の世界を '騙されたように' 生きているのでしょうか?。冷戦という恐怖の中、史上まれに見る享楽的なエンターテインメイントを生み出した1950年代の米国は、まさに 'ジェットの時代' とばかりにカリブ海やハワイ、アジアを都市の消費社会に対するリゾート地としてその距離を縮めました。そのエキゾティックな眼差しは、実際の都市からの逃避行に対し、さらに都市の中に人工的な楽園を '演出' することへと転倒します。都市の高層アパートメント、もしくは郊外の庭付き一戸建てに住む独身者の嗜み。それは、よく効いた空調設備の整う部屋の中にヤシの木の鉢植えを置き、竹で編んだ簾をかけ、リクライニングチェアに寝転がりながら、その傍らには冷たい飲み物をいつでも手に出来るミニバーが備えられている。仏像やエキゾな土産物、お香を焚いても良いでしょう。ミッド・センチュリー・モダンな木目調オーディオセットからは、当時流行のマンボやラテン・ジャズ、そしてエキゾチカと呼ばれる架空の '秘境' をイメージした環境音楽が流れ、不快指数0%の人工的な楽園を一室に所有するのです。1940年代後半からのマンボ・ブームとラテン・ジャズ、マーティン・デニーやレス・バクスターらエキゾティカのブームは偶然ではなく、その楽園の雰囲気を波のBGMと共にハワイから伝える 'Hawaii Calls Show' は週末のまどろむ逃避行の憧憬となりました。ある意味、アジアは日本も中華も区別が付かないほどにごちゃ混ぜの 'メルティングポット状態' で、ここでの '香港' も架空の楽園の如く描かれます。マリンバはまさに竹のイメージか!?(笑)。さらにこの楽園の '秘境' は鬱蒼としたジャングルや未開の部落を離れ、月夜と共に未だ想像の地である宇宙へと拡張します。ソビエトの 'スプートニク・ショック' がもたらした1957年、人々は月に建設される(だろう)ヒルトン・ホテルのラウンジで、地球を眺めながらカクテルのグラスを傾けることを夢想しました。それは1961年のボストーク1号とガガーリンによる有人飛行を経て、ケネディ大統領の "米国は今後10年以内に月へ有人飛行を達成させる" の発言により宇宙への距離が現実味を帯びたものとなります。さらに1968年のスタンリー・キューブリック監督作品 '2001年の宇宙の旅' では、その具現化されるであろう近未来のヒルトン・ホテルのラウンジが登場しました。この世代を象徴するアルバムの大半で頻繁に目にするのが 'Out of This World' という言葉からも分かり、以後、まさに 'サイケデリック前夜' とも言うべき 'Space Age' の世代へ繋がる為の道筋がこの 'ミッドセンチュリーモダン' の時代に敷かれていたことは無縁ではないのです。それは、アポロ月面着陸の宇宙服を見越してピエール・カルダンがデザインしたコスモコール・ルックだけを見ても、この '宇宙時代到来' への希求がよく現れております。