オーネット・コールマンにとっての 'ハーモロディック・ファンク' とはいったい何だったのだろうか。まるで突然変異の如く後に 'Prime Time' と呼称するエレクトリック・バンドの活動を開始したコールマンは、それまでの和声から自由になろうと 'ピアノレス' な編成でフリーに突っ走ってきたスタイルを捨て、バーン・ニクス&チャールズ・エラービーの '2ギター' でリズミックなアプローチに可能性を見出しました。
それはちょうど活動停止をしたマイルス・デイビス・バンドのピート・コージー&レジー・ルーカスの '2ギター' から、コールマンなりに受け継いだ 'On The Cornerへの遅い返答' のようでもあり、実際、そのレジー・ルーカスの紹介で同郷のベーシスト、ルディ・マクダニエルことジャマラディン・タクーマを獲得、'Dancing In Your Head' と 'Body Meta' という衝撃の2作品を世に問います。そして 'ハーモロディクスの愛弟子' としてもうひとり、ジェイムズ "ブラッド" ウルマーがコールマンの元にやってきました。
"ギターは広い範囲のオーバートーン(倍音)を出せることに気づいた。音の強さの範囲に関して言えば、1本のギターがヴァイオリン10丁に相当するのではないだろうか。例えば交響楽団の場合、トランペット2本がヴァイオリン24丁に匹敵する。この点に気づいてから、私はその時やっている音楽をオーケストレーションできるかどうか、もっと大きな音を出せるかどうか、試してみることにした。やってみると、果たしてその通りにできた。1975年頃から、そのころ演奏していた曲や書き溜めていた曲を私が使っている楽器の編成でアレンジし始めた。"
これはジョン・リトワイラー著 'オーネット・コールマン: ジャズを変えた男' (ファラオ企画)に載っていたものですが、このようなコールマンの提唱する 'ザ・ハーモロディクス・セオリー' の言説は、彼の '薫陶' を受けた共演者(ドン・チェリーやチャーリー・ヘイデンなど)、愛弟子らの 'かたちのない' アフォリズムとして '再解釈' されていきます。
"ハーモロディック理論では、結局、どの音も主音のように聴こえるという境地に達する"、"技術面で言えば、即興で演奏しながら、常に(音の高さや音程を)変えていく。譜面や、ミュージシャンの内面から湧き上がってくるものに従い、お互いの音を聴き合っていく・・"、"調和した2つ以上の音の結合、または組み合わせ。一致した同じ内容を唱和すること。・・同時に、または一緒に聞こえ・・多くの人間が揃って音を発すること。完全に調和すること。一致した、調和した、協和した、ハーモニーのバランスが取れた" などなど・・。
コールマン本人は "秘伝でもなんでもなく、誰にでもできるはず" としながら、'ユニゾン' という言葉を西洋の器楽表現の枠からかなり拡大解釈して使っていることですね。'不協和' であることがそのまま個々の '内なるピッチ' を要請し、ハーモロディック流のトーナリティを構成する実に奇妙なファンク。
コールマンによってその才能を見出されたウルマーは、ほとんど初めからその 'ハーモロディックな' トーナリティと見事な調和を見せました。以下はウルマーの解釈する 'ハーモロディクス' の弁。
"この理論は、わたしの音楽の方向を完全に変えたというより、わたしの中に潜んでいるものを引き出してくれた。(中略)オーネットが音楽を通してわたしに示したのは、ある特殊な自由だった。つまり、経験したことや自分が感じたことをはっきりと伝える自由で・・その為にわたしは、即座に転調やオーケストレーションのアレンジをすることを習わなければならなかったが、これらは今や、わたしの音楽概念の中で重要な要素となっている。"
"彼はわたしが加わる以前には、バンドにギターを使ったことは一度もなかった。オーネットがアドリブを吹き、わたしがオーケストレーションしていく。わたしの方から彼の為に音を出すのではなく、彼の目指すところへわたしがついて行く。コード変化のパターンに従うのではない。オーネットの場合、フレイズを出した後でコードが変わる。だからソリストが、自分が本当にやりたいフレイズを出していける。(中略)わたしにもソロのチャンスがあった。オーネットと一緒に演奏すると他の誰とやるよりもギターがよく合う。"
'Prime Time' としてのアルバム制作では一貫していたメンツは、ライヴではいろいろと流動的でオーネットの息子デナード、ロナルド・シャノン・ジャクスン、ウルマー、タクーマらはその '出入り' を繰り返していたそうです。フュージョン全盛、ニューウェイヴ到来の1970年代後半にこのコンセプションを理解させるのは相当大変だったのではないでしょうか。
ウルマーがコールマンの自主制作レーベル、アーティスツ・ハウスから1978年にリリースしたデビュー・アルバム 'Tales of Captain Black' は、ウルマー、タクーマ、デナード、そしてオーネットらミニマルな編成による、ソリッドで硬質な 'ハーモロディック・ファンク' 最良のスタイルを聴かせてくれる傑作です。そしてウルマーに次いでコールマンと '共鳴' したのが時代の寵児、パット・メセニーでしょう。チャーリー・ヘイデンから共演するよう強く勧められていたようで、1986年にECMから 'Pat Metheny / Ornette Coleman: Song X' としてアルバムを完成させました。上の動画はそのメセニーとコールマンとのライヴ(メセニーは35:11から登場)ですけど、ここでは息子デナードのドラムスがたまりませんねえ。しかしコールマンはタブラのバダル・ロイが結構お気に入りだったんですね。1995年、久々の復帰作となった 'Tone Dialing' にも大きくフィーチュアしておりましたが、これも一種の 'On The Corner' 効果だったりして・・。
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