2016年1月5日火曜日

'UK Blak' と汎アフリカ主義

ピーター・バラカンさんがどこかで言われておりましたが、思春期に影響を受けたものはその後の自分を形成する上で残っていく(相当意訳にまとめていますが)そうで、聴いてきた音楽体験も大体そこに引っ張られていくらしいです。なるほど、確かにわたしにとってのR&Bやソウル・ミュージック、特にファンクの持つグルーヴの中毒性は、今に至ってもなお自分を惹きつけるんですよね。だからジャズ原理主義者が毛嫌いするアシッド・ジャズ系のものなどは、むしろ、わたしにとってはジャズを聴く上での良い入り口だったと思っています。一方で、それまで米国産の音楽ばかり嗜んできた自分が、ある音楽をきっかけにUK産やヨーロッパのものにシフトするグループがいます。

ジャジーBなる、レゲエやレア・グルーヴを中心に回していたDJを中心に結成されたユニットSoul  Soulです。ブラック・ミュージックとして、米国からカリブ海のものをいろいろ物色していた当時のわたしにとり、イギリスというのはいまいちピンと来なかったのですが、そもそもイギリスに住む黒人の大半が旧植民地であったジャマイカなど、西インド諸島からの移民で構成されています。特に彼らが持ち込んだダブの血脈はザ・ビートルズ以降のUK産ポップ・ミュージックの下地に流れ込み、このSoul  Soulというグループ登場へと行き着きます。また、このイギリスという国は日本と似て、米国のポップ・ミュージックに対する偏愛的な影響や、収集癖’ でもって自らの文化と上手に溶け込ませる術を心得ていました。米国という国は比較的過去を振り返らず、新しもの好きな傾向が強いのですが、イギリス人はすでに過去の遺物となった米国のサイケデリック、R&B、ジャズやラテンなどのレコードを収集しては、そこからレア・グルーヴやアシッド・ジャズといったムーヴメントを仕掛け、まさに ‘温故知新’ のごとく古いものから新しい ‘聴き方’ を提示することを大事にしました。このSoul  Soulには米国のR&Bやジャズ、ジャマイカ産のダブから大きな影響を受けながら、しかしイギリスという場所でのみ可能となった独自の存在だと言って良いでしょうね。




‘Keep On Movin’’ のいきなりドスッとぶっとく鳴る(たぶん)Roland TR-808のキック一発。もう、この瞬間こそわたしにとっての大きな最初のパラダイム・シフト’ でした。時代もまさに1989年ということで、それまで世の中から聴こえてきた80’sプラスチックなサウンドから、急にリアルな音像が目の前に現れたような衝撃というか。そして、’Back To Life’ の土着的なコール&レスポンスとレア・グルーヴ感覚。すでに70’sファンクの熱狂的な信者であったわたしにとって、こういうかたちでファンクの黒い感覚が蘇るとは・・。同時代、すでに米国で流行していたニュージャック・スイングと呼ばれるダンス・ミュージックに比べれば、もっとずっと落ち着いていて、そこにはちょっとジャジーな大人っぽい雰囲気さえある。ともかく、ある時代の米国が持っていたR&Bの伝統を昇華させたやり方としては、個人的にイギリスものの方が好みであったことをこのSoul Ⅱ Soulは証明してくれました。そして、ここでフィーチュアされている女性ヴォーカルのキャロン・ウィーラー。このハスキーにしてどこかウェットな質感のする声に一発で参ってしまいましたね。それまでの米国産R&Bシンガーに共通するゴスペル・ライクなスタイルに対し、彼女はレゲエのラヴァーズ・ロック出身ということで、暑苦しくなる一歩手前で抑えるクールな印象が完全にこのオケとぴったりハマっていたのです。

Gota Yashiki Interview

彼らが打ち出したグラウンドビートというグルーヴは、'大地' という意味でのGroundではなく、'擦り付ける' という意味のGrindの他動詞Groundから来ているようで、これは、レゲエのダンスに男女が股間を擦り付けるようにして踊る 'ラバダブ' というのがあり、この辺りから派生した言葉ではないかと思います。それはともかく、ある意味 '大地' と言い換えても良いくらい、この地を這うようなベースラインとキックのぶっとい感じがダブの血統を強く感じ、また、このビート・プログラミングに当時イギリス在住で、元メロン、元ミュート・ビートというグループのドラマーであった屋敷豪太氏が深く携わっていたのは興味深い。何かビートの構成感に日本人的な緻密さがあると言ったらいいかな。屋敷氏の上記リンクのインタビューでは、当時Soul Ⅱ Soulの '心臓部' 的存在であったネリー・フーパーとの出会いが大きかったようですね。そして、このグルーヴにはダブの影響に加えてもうひとつ、そもそもレア・グルーヴのレコードを回すDJであったフーパーやジャジーBらが '見つけてきた' と思われる1曲も元ネタとして強く結び付いています。



ワシントンDC出身のグループ、チャック・ブラウン率いるザ・ソウル・サーチャーズが1974年にリリースした作品 'Salt of The Earth' からの1曲 'Ashley's Roachclip' です。当時彼らは完全なるB級ファンク・バンドでして、この後1978年に 'Bustin' Loose' で全米R&Bチャート1位を記録。その後、またしばし音沙汰もなく1984年に 'We Need Some Money' と共にワシントンDC産のファンク・ムーヴメント、ワシントン・ゴーゴーの創始者としてR&B界に大きくその名を轟かすこととなりました。それはともかく、本曲の実にアフロっぽい雰囲気とレア・グルーヴ的怪しい濃度を持った70'sな下地には、確かにグラウンドビートと共通するクールにビートをキープする感覚が漲っています。ちなみにこのグループからは、ゴーゴーのムーヴメントに注目したマイルス・デイビスによりリッキー・ウェルマンという凄腕ドラマーを発掘、晩年のデイビスのバンドを牽引する存在としてアピールしました。

そんなキャロン・ウィーラーも参加するSoul Ⅱ Soulなのですが、1989年の大ヒットでさあ世界ツアーだ、と意気込んだ矢先にジャジーBとウィーラーの間でグループを巡る諸々のトラブルが起こりウィーラーは脱退、いきなりSoul Ⅱ Soulはグループとしての '声' を失うこととなります。その理由のひとつに、そもそもこのユニットのコンセプトに深く携わっていたウィーラーへ正統なクレジットと対価が支払われず、ほぼジャジーB中心で事が進んでいくことに彼女が強く反発したことが発端となりました。そんなウィーラーが脱退後すぐさま自らのコンセプトを元に1990年、ソロとしてリリースしたのが 'UK Blak'。わざわざスペルから 'Black' のCを抜いたのは、ジャマイカ移民のアフリカン・ブリティッシュとして米国の黒人とは違うアイデンティティを表明してとのことで、単なるポップ・シンガーではない強いこだわりが伺えます。また、グラウンドビートのアイデアも元は私にあると主張したいのか、元ネタの 'Ashley's Roachclip' をサンプリングした 'Never Lonely' で、自分こそグラウンドビートのオリジネイターであると訴えているような完成度です。この原曲が持つアフロっぽい雰囲気が、そのままウィーラーの思想であるカリブ海から汎アフリカ主義的なスピリチュアリズムへの志向と結び付けるようにアレンジしたのはさすがですねえ。

このような 'アフリカ回帰' 的なユートピア思想は、特に想像上の 'アフリカ' というルーツを観念的に捉える一部のアーティストたちに共通するものです。例えばジョン・コルトレーンからアーチー・シェップ、ファラオ・サンダースらのフリー・ジャズとアフロ・スピリチュアリズムの関係や、ヒップ・ホップにおけるアフリカ・バンバータと 'ズールー・ネイション' といったかたちで、スローガン的に連呼して自らの立ち位置を再確認することは彼らにとって意味があるのだと思います。



また、そんな 'アフリカ回帰' なメッセージを軽やかに打ち出したヒップ・ホップ・ユニットとして、アフリカ・ベイビー・バム、マイクG、サミーBの3人からなるジャングル・ブラザーズがいます。1988年の 'Straight Out The Jungle' はまさにヒップ・ホップ黎明期を飾る1曲。ここでサンプリングされる1970年代のファンク・グループ、マンドリルの 'Mango Meat' もこれまたアフロ志向とレア・グルーヴ感覚の強いもの。彼らは当時のヒップ・ホップ界を覆い始めていた 'マッチョイズム' (銃やドラッグ、暴力など)を志向しない 'ネイティブ・タン' と呼ばれる一派の 'はしり' であり、これ以降のデ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエストといった連中が続くことでヒップ・ホップの音楽的追求を試みていました。そうそう、このアフリカ・ベイビー・バムは、キャロン・ウィーラー1990年の 'UK Blak' からのシングル・カット 'Livin' In The Right' のプロデュースをしているんですよね。おお、ここでようやく 'アフリカ' が繋がった!





このマンドリルも実に雑多な要素を持ったB級ファンク・グループとして、ジャズやロックにラテン、アフロ、その他怪しげな民族音楽的なものを飲み込みながら1970年代に全盛期を迎えました。上は久しぶりの再結成でモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演したもので、下はまさにデビュー直後の貴重なもの。椅子に座って見ているのは御大JB!?マンドリルのデビューした1970年代初期はファンク黎明期なだけに、とにかくあらゆる要素が 'ごった煮' 状態のファンク・グループで溢れており、この初期マンドリルのサウンドだけ聴いてもサイケ、ロック、ファンク、ジャズ、ラテン、アフロ・・といろんな要素の雑多で満ちています(サンタナっぽいかも)。後にディスコでそのイメージを決定させたアース・ウィンド&ファイアーなども、活動初期はこんな感じの 'アフロ・ジャズ・ファンク' なスタイルであり(そもそも彼らはジャズ出身者であります)、彼らと '姉妹的な' 関係であったザ・ファラオズというグループは、コルトレーンのスピリチュアリズムを継承したフリー・ジャズのユニットでした。ちなみに、日本でも彼らのサウンドはよく聴かれており、実はプロレスのアントニオ猪木が入場するテーマ曲もとい、元々はモハメッド・アリのテーマ曲であった 'Ali Bom-Ba-Ye 〜Zaire Chant〜' のオリジナル演奏者が彼らなのです。なるほど、どうりであの曲はアフロっぽかったわけだ。

ある意味で1970年代の音楽は、'第三世界' などと呼ばれた文化の要素を取り込みながらその後の 'ワールド・ミュージック' と呼ばれる芽をつみ始めた最初の時期でした。それはラテン界隈から登場したサンタナやウォーにしろ、'アフロ・ロック' などと呼ばれて一時的に脚光を浴びたオシビサやラファイエット・アフロ・ロック・バンドにしろ、すべてアメリカナイズされた上で '作られた' 想像上の異国情緒を増幅する存在に '成り切る' ことで幻想を具現化させていました。



一方で、本場アフリカ大陸はナイジェリアで軍事独裁に反対して、欧米の資本主義により蔓延する拝金的な社会や宗教を痛烈に批判、自ら 'カラクタ共和国' を宣言して '帝国' のシステムから逃れるようなメッセージを訴えるフェラ・クティ。彼が率いるアフリカ'70と共にアフロビートの存在こそ最も強力な武器であると豪語します。同じようなメッセージは、1970年代のジャマイカで広く普及したラスタファリアニズムにおいても、まさに警戒すべき敵として 'バビロン' という名で注意を促していましたね。





'アンプリファイ' なサックスのイノベイターであるエディ・ハリスもレス・マッキャンと共演する頃には相当に '真っ黒' で、ガーナでのライヴではかなりのアフロ志向となっておりますね。そして、御大JBも 'Soul Train' のステージで鋭角的に攻めながら叫びます。そう "Say It Loud, I'm Black and I'm Ploud !" と。


2016年1月4日月曜日

切り替えと '混ぜ混ぜ' の整理術


コンパクト・エフェクターをペダルボードに配置する。そもそも、これのメリットとは何でしょうか?それを考えてみたいと思います。





まずは何と言っても利便性、これに尽きるでしょうね。エフェクターの12つではそれほどメリットはないですが、これが56つとなるとそれぞれを結線して足元に並べるだけでも手間がかかってしまいます。そこで、すべてをボードという場所に設置して予め結線しておけば、後は楽器とアンプをそのボードの入出力に繋ぐのみというお手軽さです。そして、この結線にはもうひとつの利点、エフェクターに電源を一括して供給できることにあります。エフェクターは各製品に見合った電源供給を持ち、それに対応したACアダプターが必要になります。その煩雑さを解消するため、ボードに設置して電源供給できるようにパワーサプライという便利なものがあるのです。一般的なセンターマイナスのDC9Vはもちろん、その他DC12VDC18VAC仕様のものはアダプターを差すための電源タップと一緒になったものや、デジタルとアナログを一括に電源供給する際に起きるノイズ問題を避けたアイソレート電源のパワーサプライなど、実に多岐にわたります。ともかく、これを足元に置いておけば煩雑なケーブル類にまみれずスッキリします。





ここでもう一度ボードを見渡してみれば、いくつまでのエフェクターを足元に置くか、という問題があります。これは置く数によってペダルボードが大きくなることを意味し、あまりに巨大なものだと持ち運びに不便となります。また、単純に複数機を直列で繋ぎ過ぎると音質が劣化するという問題に直面するでしょう。その為、必要なものをそのつど呼び出して用いるスイッチング・システムという機器で、このような複数機使用の弊害を解決することが可能です。ただ、どちらにしても足元はより煩雑で大きくなってしまうので、こういったものを導入する以前に、本当に自分にとって必要なエフェクターとは何かを見極める力が必要でしょうね。ちなみに、どうしても複数機使いたいけど音質劣化は嫌、尚且つ手軽に持ち運びたいという方はマルチ・エフェクターが最適です(各種パラメータのエディット操作は煩雑ですが)。



Boss Vocal Performer VE-5

マイクを直接繋ぐことのできるヴォーカル用マルチ・エフェクター、Boss Vocal Performer VE-5。ヴォーカル用だけあってハーモニー、空間系中心のプログラムですが、このサイズならポケットにポンッと入れてステージに持ち込めますね(工夫すれば楽器本体に取り付けられるかも)。





そして、ペダルボードの最近の主流はいわゆるスノコ形式というヤツで、傾斜の付いたアルミ枠を柱にしてスノコ状に隙間が空いているボードです。これのメリットは配線や各エフェクターに電源を供給するパワーサプライなどをボード裏に引き回せることで、煩雑なケーブル類の処理とボード上のスペースを有効に活用できるところにあります。この手の元祖で、最初のサックス奏者の動画にあるPedal Trainというのがありますが(わたしも使っています)、次の動画でご紹介するT-Rex Tone Trunkはボードを階段状に設計し、段差の裏側への簡単なパワーサプライの取り付け、そして階段部分を境にネジを外し二分割して使い分けることができるなど、さらにもう一歩使いやすくした製品だと言えるでしょう。

さて、このような増えてくるコンパクト・エフェクターの効果的な使い方の '救世主' とも言えるスイッチング・システムですが、真っ先に思い出すのは、最低でも2つ、増えると5つくらいは繋ぐことができるA/Bループ・セレクターです。ABそれぞれのループにエフェクターを繋ぎ、個別に切り替えることができるというもの。また、ABのみならず、ABと組み合わせて使えるものもあります。これ以上のものになると、例えばMIDIを備えたディレイやピッチ・シフターなどのプログラムと連動し、パラメータも含めてスイッチング・システムから呼び出すことのできる大掛かりなものも用意されています。





Pigtronix Keymaster

さらに、このスイッチング・システムには単に分岐させて切り替えるもののほかに、積極的に演奏や音作りの中に組み込んで用いるものもあります。この辺の一風変わったループ・セレクターで面白いのがPigtronixのKeymaster。ABの切り替えをスイッチのみならず、ツマミもしくはエクスプレッション・ペダルを繋いでクロスフェードに切り替えられること。一見なんのことやらという感じですが、これはDJミキサーが2台のターンテーブルを交互にミックスする手法のことで、クロスフェードのシームレスな操作を、そのまま本機のツマミもしくはエクスプレッション・ペダルを繋いで行うことができます。本機はアンバランス入力のみならずTRSXLRといったバランス入力も備えており、幅広い入力ソースに対応しています。管楽器でダイナミック・マイクを用いるなら、このKeymasterをプリアンプにしてそのままコンパクト・エフェクターを使うことができますね。ちなみに、本機のXLR入出力はダイナミック・マイクなどをそのまま繋いでラインへ出力できるというだけで、ファンタム電源には対応していないのでご注意下さい。また、単にA/Bと切り替えるだけではなく、入力の原音に対してエフェクト音をミックスできるパラレル接続のループ・セレクターというのもあります。ライン・ミキサーやアンプに備えられているセンド/リターンの機能をループ・セレクターで実現してしまったもので、最近ではループ・ブレンダーなどと呼ばれたりします。


以前にもご紹介した、ギリシャのメーカーDreadboxのループ・ブレンダーCocktailを用いて、Z.VexのFuzz FactoryとDigitech Whammy、エレハモのリヴァーブCathedralをパラレル・ミックスで原音を '確保' した上でのミックス具合。エフェクターをかけただけで原音が潰れてしまったり(歪み系や '飛び道具' エフェクターなど)、音程が取りにくくなってしまったり、といったもの(モジュレーション系)には非常に効果的です。



BANANANA Effects

こちらは関西のガレージ・メーカーで、'BANANANA' と 'NA' が一つ多いのが正解だそうです。しかしラインアップされたエフェクターがすべてに '飛び道具' ばかり。大手メーカーでは二の足を踏みそうな 'ニッチな' 需要こそ、下町の工房にとってのビジネス・チャンスなのかもしれません。本機Loop Looperは、4つのループ・セレクターにシーケンス機能を付けちゃおうという面白い発想で、これは一昔前に流行したくじ付き自動販売機のルーレット辺りから着想を得たのではないでしょうか?

また、このような '飛び道具' エフェクター的な発想をループ・ブレンダーに盛り込んでしまった珍品としては、このようなものが最近市場に現れました。



Umbrella Company Fusion Blender

Umbrella CompanyのFusion Blenderというヤツで、いわゆるLoとHiという風に入力してきた原音を周波数帯域別に分け、それぞれをぶつからないようにして2つのエフェクターをミックスしてしまおうというもの。これは今までになかった発想であり、もちろん動画にもあるようにA/Bボックスやパラレルでのミックス、ディレイの残響音を残せるキルスイッチやライン・レベルの機器も繋げるインピーダンス・マッチングなど、至れり尽くせりの多機能セレクターです。



Vocu Magic Blend Room

こういうのは他に類例がないのでは、と思ったのですが、Vocuというガレージ・メーカーからすでに同様の機能を持つMagic Blend Roomが発売されておりました。こちらもA/Bループ・セレクター、パラレル・ミックスのループ・ブレンダー、そしてFusion Blenderと同じLoとHiの周波数帯域別ミックス、さらに逆相による擬似ステレオ出力などにも対応する多機能セレクターとなっております。

これらスイッチング・システムという類いのものは、あくまで数の多くなったエフェクターに対して利便性を図るものであるため、基本的に接続の '接点' が増える分、直列とは別の意味でトゥルーバイパスの仕様であろうが音質は変化(劣化)します。また、トゥルーバイパスのスイッチというのはその構造上、これも前後に繋ぐエフェクターとの関係によっては踏んだ時に 'ボン!' という 'スイッチング・ノイズ' を誘発する場合があります。そのため、最近ではトゥルーバイパスとバッファードバイパスの切り替えられる仕様のものも登場し、いろいろな '繋ぎ方' へフレキシブルに対応できる仕様の製品も登場しました。それはともかく、どうしてもエフェクター本体に対して直ぐに食指の伸びるものではありませんが、たくさんのエフェクターを直列で繋ぎ過ぎて音痩せする、もしくは、いろいろエフェクターを繋いではみたが飽きてしまった、もっと面白い使用法はないか?という方には、新しいエフェクターを導入する前にこの手の機器を導入して、手持ちの '資産' を蘇らせてみてはいかがでしょうか?

というか、管楽器でここまでやろうとする人・・いないだろうなあ。

2016年1月3日日曜日

シーケンスされる快感

お正月なんてあっという間・・新春バーゲンや福袋に並ぶ人たちというのは、その昔、お年玉握りしめてプラモデルを買いに模型ショップへ走って行った小学生と同じ気持ちなのでしょうか。何かこう、お正月に済ませておきたい 'イベント' というか。



Dreadbox

特別気になっていたわけではないのですが、ギリシャの新興メーカーDreadboxのエンヴェロープ・フィルターである4-Pole Lowpass Filter Lamdaと8ステップ・シーケンサー&LFOのKappaによる組み合わせ・・無性に欲しくなっています。あまり売れていないのかアウトレット価格ということも物欲を刺激しますね。お正月から散財させようとするYoutubeの力は恐ろしい。

Maestro Filter / Sample Hold FSH-1







いわゆるエンヴェロープ・フィルターからランダマイズなシーケンスの機能を付けたものとしては、1970年代にトム・オーバーハイムがデザインしたMaestro Filter / Sample Hold FSH-1あたりが元祖ではないでしょうか。ピコパコとしたシンセでいうところのSample & Holdという機能は、1990年代末にXotic GuitarsがRandom Arpeggiatorという名で丸々デッドコピーしたRobo Talkでその機能を甦らせて以降、鬼才ザッカリー・ヴェックスのZ.VexSeek Wahを発売してその後に続きます。ちなみに、なぜザッカリー・ヴェックスが鬼才と呼ばれるのかは、最初のSeek Wahから10年ほど経って上記動画の3機種、Super Seek Wah、Super Seek Trem、Super Ringtoneという16ステップで 'シーケンスされる' フィルター、トレモロ、リング・モジュレーターの化け物を作ってしまったから・・凄すぎますヨ、これは!。要するに入力した音がシーケンス機能によって管理されるワケで、これが復活した1990年代末というのは、従来のギタリストよりもコンピュータで音楽制作をするベッドルーム・テクノの世代が跋扈し、この手のエフェクターが登場する土壌があったのです。この機能を効果的に用いるには、演奏しながらシーケンスのパラメータを動かすよりもループ・サンプラーなどで繰り返すフレイズに対し、いろいろとシーケンスのスピードを操作するなりランダマイズを行うなどの客観性’ で挑んだ方が上手くいきます。これは、演奏という行為が従来の器楽演奏から機器の操作へとその領域を広げたきっかけとして、例えば、その後のギターとKorg Kaosspadなどの演奏法へと続く流れと言えるでしょうね。



Koma Elektronik

んで、このDreadbox Lamda。わざわざエンヴェロープ・フィルターに対してLFOのモジュレーションで揺らし、8ステップのシーケンサーでフレイズを管理するといったことを別体の専用機Kappaで行うという、この何とも大仰な操作性がたまらなくレトロで笑えます。同様の機能をより多機能、かつ一台の中で行うKoma Elektronik FT 201 Analog Filter / 10 Step Sequencerを買った方がもっとずっと音作りの幅は広がると思うのですが、やはりわたしは不器用なヤツに惹かれてしまうんですよね。このドイツ産Koma Elektronikに比べると音色含め、どこかドン臭い感じなのもギリシャ産Dreadboxという印象。正直なところDreadboxの方は、フィルター単体機としてもうちょい操作できる機能を付けて欲しいなあ。まあ、買おうかどうしようかと悩んでいる時間も楽しかったりするんですけどね。

このような ‘シーケンスするエフェクターというヤツはここ近年、性懲りも無く市場に現れているのだけど、未だそのユーザーがどこにいるのか分かりません。まず、この手の効果を有り難がるベッドルーム・テクノの連中は今や、ほぼコンピュータ内のプラグインかKaosspadのようなDJ用エフェクターでやっているのがほとんどです。肝心のギタリストで未だこういうヤツを用いてイノベイターとなった者を聞いたことがないので、どうにも需要と供給のバランスが悪いような気がしているのはわたしだけ!?まあ、確かに 'ニッチな' エフェクターだとは思うのだけど、ピコパコと規則的に鳴りながら点滅するLEDを眺めているだけで幸せな気持ちになってくるのが醍醐味なのでしょうね、きっと。こういうのを本格的にハマっている人たちは、今や欧米で大きな市場と化しつつある 'ユーロラック・モジュラー・シンセサイザー' という世界に多く生息しており、とてもじゃないけど手を出したら泥沼に陥りそうで怖いです。



ちなみに、このDreadboxもその 'ユーロラック・モジュラー・シンセ' の市場に参入して多くのモジュールを製作しており、さらに動画にあるコンパクト・タイプのシリーズも 'ヴァージョン・アップ' して、足元でモジュラーシンセのような音作りを可能としました。同様なライバルとしてはMoogerfoogerやKoma Elektronikの市場に挑んできた製品だと言えるでしょう。



ここまでは 'ワウ+シーケンス' という製品が主でしたが、こちらはピッチ・シフトをランダマイズなシーケンスでやってしまおうというDwarfcraft Devices Pitch Grinder。出てくる音はまさに 'ファミコン' 世代には懐かしい8ビットのローファイな質感で、ランダマイズに曲を生成してくれる・・ように聴こえてほとんどエレクトロニカ的なノイズ生成器ですね。

過去にXotic Guitars Robo Talkをラッパで用いていろいろ挑戦してみたんですけど、これが本当に難しい・・。もう、どう使いこなすかはセンスあるのみ、ですね。

2016年1月2日土曜日

ベッドルーム・テクノ '95

1995年・・そういえば 'Windows 95' と並んで個人的に音楽の地殻変動が起こった年だったな、と記憶しています。この年を境に自分の音楽的嗜好も、それまでの米国からUKやヨーロッパのものへ完全に変わっていきました。いや、正確にはある時代の米国が誇っていた音楽の質感をヨーロッパが再発見し、うまく咀嚼してみせたと言った方がいいですね。それは、いわゆるDJというスタイルが普及し、ダンスフロアーを軸とした音楽シーンの中で見つける聴き方のスタンスが問われるものだった言えばいいでしょうか。一方の本場米国は、1990年の ‘LA暴動をきっかけにギャングスタ・スタイルのヒップ・ホップが完全にシーンを占拠し、どこを向いてもラップ一色で、ただでさえリリックに不慣れな日本人にとって興味を失うのにそう時間はかかりませんでした。

しかし、そのような音楽に持ち込まれる主張と関係なく、コンシューマ・レベルでコンピュータが安価になったことで、それこそ四畳半の一室で音楽を制作するベッドルーム•テクノの世代が登場したことは大きなパラダイム・シフト’ と言っていいでしょう。もちろん、この辺のルーツは米国のハウスやヒップ・ホップの連中がすでに始めていたことなのですが、UKやヨーロッパの連中は余計なバックグラウンドがない分、より自由なセンスでそのクリエイティビティを発揮し、それまでのメジャーとアンダーグラウンド、プロとアマチュアの垣根を大きく取り払うことを可能とします。このような状況の変化は、例えば、それまでシーンを占拠していたロックの連中も無関係ではおられず、オルタナ グランジポスト・ロックの違いが何にあるのかは分からないものの、少なくとも1980年代のロックに対する反動から当時、ロックの原初的衝動であるアナログ的質感へと大きく揺り動かされることで呼応します。そう、彼らもまたそれ以前の 商業主義的ロックに飽き飽きしていたわけで、それまで忘れ去られていたようなファズやワウワウ、テープ・エコーにハモンド・オルガンやフェンダーローズなど時代の空気をたっぷり吸った音色が復権し、その質感へのこだわりはデジタル一辺倒のハイファイに対してローファイなどと呼ばれたりしました。しかし、このようなローファイという価値観は完全にデジタルのテクノロジーにより回収された上で客観視するものであり、DJたちがこぞってサンプラーというデジタル機器で切り取って強調したことから新しく面白いと気がついたものなのです。



そんな ローファイの代表格として、まだまだメモリーの単価が高かったこの時代、1987年に発売され、すでにロースペックな機器になりつつあったE-Mu SP-1200というサンプラーは、ヒップ・ホップの世代がその限界の中からブレイクビーツの質感を取り出す象徴的な存在となりました。モノラルで10秒のサンプリングタイムしかない中で、33回転のレコードを45回転で取り込み、それを各々8つのパッドに振り分けて、ピッチスライダーでテンポを変更するとアナログ盤自体の質感と12ビットというロービットなスペックが化学反応を起こし、ジャリッとしたブレイクビーツにおける新たな価値観が産み落とされたのです。これこそ、CDの普及とリマスタリングにおけるリスニング環境がアップグレードされた1990年代に、駆逐されようとしていたレコードの市場が勝ち取った発想の転換’ と言っていいでしょう。それは、レコード盤が放つチリチリとしたスタティック・ノイズを針音という効果として、そのままサウンドの一環にまで取り込もうと耳が 開かれていたことの証左となりました。


このベッドルーム・テクノの世代にとっては、レコードも楽器もすべてが 'サンプル' であり、限定的なテクノロジーの中で、どれほどクリエイティビティな瞬間を '拾い集められるのか' にかかっています。レコードから抜き出すサンプルそのまま、往年の名機であるハモンド・オルガンやフェンダーローズ、モーグやアープのアナログ・シンセサイザーの音色を復権させたのはすべてにその質感です。またE-Mu SP-1200同様、1980年代のデジタル機器黎明期に製造されたRoland TR-808TR-909TB-303といったドラムマシーンやベース・マシーンの音色が、1990年代以降のダンス・ミュージックのグルーヴを決定付けてしまったことも特筆したいですね。元々はドラマーやベーシストの '代用' として用意されながら、あまりにオモチャっぽいと揶揄されたこの初期デジタル機器は、現在に至るまでコンピュータ・プログラミングにおける 'ビート' のスタンダードへと変貌しました。今やそのオリジナル機は天井知らずなまでに価格が高騰しています。このようなテクノロジーがグルーヴを決定付けた最たるものとして、1994年にAkai Professionalが発売したMPC3000は、まさにベッドルーム・テクノ隆盛のきっかけとなった名機であり、個人の所有できる最初の 'スタジオ' となったワーク・ステーションです。それはドラム・マシーンというインターフェイスを用いて、レコード盤とMPC3000だけですべてを完結させる手順’ を見せることで四畳半の一室を占拠しました。16ビット44.1kHz、同時発音数32音のスペックを誇り、モノラルで20.9秒、ステレオで10.9秒のサンプリングを可能とした本機はロジャー・リンが設計に携わった最後のモデルで、何よりシーケンサーに独特なグルーヴ感の揺れがあることから、現在でもヒップ・ホップを中心に高い人気を誇っています。もちろん、コンピュータで細かな波形編集を用いてMIDIで統御するOpcodeの VisionやSteinberg Cubaseといったシーケンス・ソフト、そしてAkai Professional S3000シリーズなどの ‘DTM’ セットで制作するユーザーも増えました。このように、従来のギターやベース、ドラムス、キーボードといった楽器の価値観がコンピュータと共に大きく変わり、打ち込みという言葉から象徴されるような、演奏することが既存のレコード盤から抜き出したり、シンセサイズをMIDIで統御する制作手法をコンシューマ・レベルで拡大したのが1990年代の10年間でした。





Strictly Turntablised / DJ Krush  (Mo Wax 1994)
Underground Vibes / DJ Cam  (Street Jazz 1995)

では、’1995というしばりでこの年を代表するアルバムをいくつか個人的嗜好で選んでみたいと思います。最初は、日本が世界に誇るトラック・メイカーとして名を馳せたDJクラッシュの ‘Strictly Turntablised’ とフランスはDJカムの ‘Underground Vibes’ 。正確には、DJクラッシュのは前年のリリースなのですが、日本では1995年ということで挙げておきます。1991年のマッシヴ・アタックによる衝撃作 'Blue Lines' がこれらの土壌を用意する出発点とされ、そこから芽吹いてきたトリップ・ホップの連中は、ヒップ・ホップを客観視した上でクリエイティビティを発揮することで、そのまま ‘本場指向に捉われずに世界の辺境から優れたトラック・メイカーを発掘するきっかけを生み出しました。UKではコールドカットの主宰するレーベルNinja Tuneやジェームズ・ラヴェルのMo Wax、ハウィーBPussyfootなどがトリップ・ホップの震源地として登場し、DJクラッシュはもちろん、サン・フランシスコ出身のDJシャドウ、ロシア出身のDJヴァディムなどの登場を促します。そして、フランスのStreet JazzからはDJカムも現れますが、面白いのは彼らが皆、自分たちをヒップ・ホップの継承者として異端ではないことを強調していることです。このようなブレイクビーツとターンテーブルの可能性は、この後、再び米国に伝播して、1990年代後半のロブ・スウィフトやQバート、カット・ケミストらターンテーブリストなるブレイクビーツの即興性を経て、マッドリブからJディラにおいて飛躍したトラック・メイカーとしてのヒップ・ホップの可能性に繋がり、それは、現在のフライング・ロータスを始めとした ‘Low and Theory’ に代表されるLAのビート・シーンに脈々と流れています。





Music for Space Tourism Vol.1 / Visit Venus (Yo Mama's Recording 1995)

こちらも1995年、突然ドイツからリリースされたトリップ・ホップ・ユニットVisit Venusのアルバム 'Music for Space Tourism Vol.1'。とにかく、匿名性の強いサイケデリックな音像と '万博世代' に訴えかけるような 'レトロ・フューチュアリズム' の世界観がブレイクビーツとくっ付くことで、この後に盛り上がり始める 'モンド・ミュージック' を予兆させる内容がロマンティックかつ '現実逃避' 的に気持ち良かったですね。



U.F.O. c/w Rings Around Saturn / Photek (Photek Productions 1995)

そして1995年といえば、すでにUKのアンダーグラウンド・シーンから火が付いていたジャングルと呼ばれる新しいブレイクビーツのスタイルが、この頃にはテクノやジャズのエッセンスと結びつき、ドラムンベースとして 'アップグレード' した頃でもあります。ゴールディとMetalheadz、4ヒーローとRainforced、LTJブケムとGood Lookingといったレーベルが活発に12インチ・シングルをリリースし、ここ日本でも多くのコンピレーションに収録されて紹介されました。私も当時UKからの情報にはワクワクしていた頃で、その中でもお気に入りだったのがフォーテックことルパート・パークスの制作するジャジーな雰囲気満載のストイックなドラムンベースでした。こちらも1995年の12インチ・シングル 'U.F.O. c/w Rings Around Saturn' からの1曲で、ロニー・リストン・スミスの弾くフェンダーローズのフレイズが印象的なファラオ・サンダース 'Astral Traveling' をサンプリングし、雨音のイントロから始まる実に気持ちの良い仕上がりです。





Millions Now Living Will Never Die / Tortoise  (Thrill Jockey 1995)

ロック・バンドという形態を取りながら、あくまでダブやエレクトロニカ、AACM以降のフリー・ジャズと近しい関係にいたのが ‘シカゴ音響派’ と呼ばれる一派です。トータスはそのシーンの中心にいたバンドで、パンク出身のドラマーでありながら音響的操作やエンジニアとしても活躍するジョン・マッケンタイアを始め、Thrill Jockeyというレーベルはこのシーンから数々のグループなりユニットを紹介し、まるで往年の ‘カンタベリー・ジャズ・ロック’ が蘇ったかの如き活況を見せます。1993年の第1 ‘Tortoise’ からすでにそのサウンドは完成されており、この年の第2 ‘Millions Now Living Will Never Die’ で完全に ‘ポスト・ロック’ の最前線に躍り出ました。彼らが手本としたのはヒップ・ホップやテクノの手法で、サンプルとしてのジャズからローファイという質感を取り出したトリップ・ホップの興隆と共に、例えばロックの側からもレディオヘッドなどが参入する動きなどと合わせて、ロックにおけるブレイクビーツとダブの方法論を刷新していきます。これよりさらにテクノ側と手を結んだ者ではボーズ・オブ・カナダもいますが、彼らが契約したWarpからはエイフェックス・ツイン、オウテカといった 'ベッドルーム・テクノ' の申し子ともいうべき偏執的なクリエイターが登場することで、完全に前世代のロック(という価値観)を過去のものへと追いやりました。

ちょうどこの1995年は、それまでのアシッド・ジャズやトリップ・ホップに見る 'スモーキーな' ブレイクビーツの可能性が話題となる一方で、より高速で細分化されたブレイクビーツのジャングル/ドラムンベース、ヒップ・ホップとダブの概念を抽象化した概念として '横断する' ニューヨークのムーヴメントであるイルビエント、そしてラップトップ・コンピュータからの 'デジタル・エラー' を積極的に取り込み、抽象的な周波数の積み重ねから立ち上る '音楽' を見つけるエレクトロニカが勃興する転換期でもあります。



94 Diskont / Oval (Mille Plateaux 1995)

CDの盤面にサインペンで 'キズ' を付け、偶発的な '読み取りエラー' によるノイズをコンピュータのハード・ディスクに貯蔵し、その膨大なサウンド・ファイルの中から '音楽' を生成させるオヴァルこそ、サンプリング・ミュージックにおける批評と実践を体現した極北でしょう。この1995年リリースの '94 Diskont' はそんな彼のスタイルを決定づけ、その後のエレクトロニカの指針となった一枚です。

'アナログ' という名の 'ローファイ' な価値観の中で、CDというメディアからデジタルにおける 'グリッチ' (機械的な接触不良、間違い)という価値観を提示するオヴァルは、自らの制作手法をテクノロジーによる可能性や、創作における作家性がもたらす意味ありげなミスティフィケーションに対して明確に一線を引いています。オヴァルは自らの特性を音楽だと認識されているものを切り裂いて、ラディカルなアプローチを取ることは認めつつ、それをスタンダドの攻的な使用と述べながらこう定義します。

僕は単にスタンダードな機材とソフトウェアを使用して、特定のワークフロウを象徴しているだけなんだ。僕にどんなCDを渡しても、僕はそれを全く違う音に変えられるというのは、単なる技術的な事実でしかない。それは僕の作品の特質でも何でもないんだ。ソフトウェア会社が開発したソフトウェアや最新のDSPプロセッシング、ファイル・コンパティビリティやプラグインなどによって、誰でもどんな音や映像も、全く違う音や映像に変形させられる。それには何の意味もないんだ

オヴァルことマーカス・ポップによるこの徹底して 'テクノ' (というワークフロウに長けた作家)に対する態度は、そのまま同時代のアーティストたちへの厳しい批判として向けられるのですが、それは完全にコンピュータにより全ての創作を可能とする現代のシーンにおいて何度でも読み直されるものでしょう。

すべてに、お祭り騒ぎのようであったバブル経済の日本が 'はじけた' のが1991年。それでも世は未だその衝撃を実感できずにいました。一部の投資家は別として、一般庶民の生活にその余波が流れてくるまでにはまだバブルの '貯蓄' で食い繋いでいくことができたからです。1995年はちょうどそんな余波が世の中に流れ、社会全体の価値観が大きく変化し冷え込んできたとき・・。何か、この1995年のサウンドに共通する 'ひんやりとした' 耳触りは、そんな世相と共に音楽の将来を占う '来たるべき予兆' のようなものを示唆しているようです。