ハービー・マンはジャズ・ロックの伝道師であった・・などと書くと、うん?ハービー・マンってジャズ・ロックなの?って声が聞こえてきそうであります。そもそもジャズ・ロックってのがジャズ側、ロック側のリスナーそれぞれで受け取り方が違っており、モダン・ジャズしか聴いていない耳でフランク・ザッパやソフト・マシーンまでフォローしている人は少ないでしょう。しかし、それでもある時代、ハービー・マンとその一派が撒き散らしていた 'ジャズ・ロック' は確かにロックのある雰囲気を伝えていたのです。
1969年の 'Memphis Underground' はまさにそんなジャズ・ロック時代を象徴する大ヒット作であり、当時のマンのグループのメンバー、スティーヴ・マーカス、ロイ・エアーズ、ソニー・シャーロックらはその片棒を担いでおりました。当時の 'ジャズ・ロック' 世代の人気者であったチャールズ・ロイドを意識したであろうマーカスは、マンのプロデュースでソロ作をAtlanticの傍系レーベルVortexから立て続けにリリースします。そこにはジャズ・ロックを象徴するギタリストとして 'Memphis Underground' にも参加したラリー・コリエルが参加、ギリギリガリガリとハードなギターを掻き鳴らします。ロイ・エアーズも1968年にマンのプロデュースでAtlanticから 'Stoned Soul Picnic' をリリース。そのローラ・ニーロ作のカバーでは 'Memphis Underground' のプロトタイプともいうべきマン流ジャズ・ロックを展開、全体的にフォーキーなサイケデリック的色彩溢れるものとなりました。そして、当時のマンのグループでひとり気炎を吐く異色の怪人ギタリスト、ソニー・シャーロックがマンの持つポップ加減に強烈な毒気を盛り込みます。すでに妻リンダとの 'Black Woman' やフランスのBYGで制作した 'Monkey Pockey Boo' でフリー・ジャズの極北を提示したふたりですが、マンのグループでは実に危ういバランスでポップとサイケデリック、モダン・ジャズの境界をグラグラと脅かす姿がたまらなかった。もちろん、その '寸止め' 感覚がかえってこの個性を際立たせているのであって、この夫妻にすべてを任せてしまったら以下の如く大変なことになります・・。
マンのプロデュースしたVortexからの 'Black Woman' とBYGからの 'Monkey Pockey Boo' は、自宅でフル・ヴォリュームにして聴こうものなら警察に通報されることを覚悟して下さいね。ともかくこのデンデケデケデケ、ギャリギャリした変態ボトルネック奏法は、このシャーロックでしか味わえない突然変異な妙味。さて、この時期のハービー・マン・グループの熱気はこれまで 'Herbie Mann Live At The Whisky A Go Go' というライヴ盤しかありませんでした。それは片面一曲ずつという消化不良状態が長いこと続いていたのですが2016年、いよいよAtlanticがその全貌を2枚組のヴォリュームでドカンと吐き出します。
→Live At The Whisky 1969 - The Unreleased Masters / Herbie Mann
→Green Line / Steve Marcus
冒頭でハービー・マンを 'ジャズ・ロックの伝道師' と呼びましたが、彼らは1969年と70年に立て続けで来日公演をしており、それまで海の向こうから聴こえてきたゲイリー・バートン、ラリー・コリエル、チャールズ・ロイド、ザ・デイヴ・パイク・セットらジャズ・ロックの名手に対し想像で補っていたことを、その眼前でドカンと生で披露したのです。特に69年はマイルス・デイビスも来日公演を予定しておきながら直前で中止となっただけに、なおさらハービー・マンらのジャズ・ロックは注目の的だったのは間違いない(その割には来日公演盤は作られませんでしたけど・・)。ともかくそのフラストレーションはこの2枚組発掘盤で晴らして下さいませ。シャーロック節全開としてはAtlantic盤でもお馴染みの 'Philly Dog' で唸りを上げるフリーキーなソロ!がたまりませんね。しかしズンドコしたマン流ジャズ・ロックの定番 'Memphis Underground' で調子付いてヴォリュームを上げていると、リンダの絶叫ヴォイス Black Woman' と 'Portrait of Linda in Three Colors, All Black' がCD二枚目で襲いかかってきて警察に通報されかねないのでご注意あれ。そう、実はこのハービー・マンのライヴには奥さんのリンダも '飛び入り' 参加してたんですよね。ちなみに70年の来日時には、いわゆる '日本企画もの' としてスティーヴ・マーカスをリーダーとしたアルバム 'Green Line' を制作しております。
さて、そんなシャーロックと 'Memphis Underground' で分け合った 'ジャズ・ロックの申し子' であるラリー・コリエルは、同時期にジャズ・ロック・グループとして人気を博したザ・ゲイリー・バートン・カルテットの一員でした。この後にThe 11th Houseというフュージョン・グループを結成するコリエルですが、1971年の時点ではまだまだ荒削りなジャズ・ロックでギリギリの狂気を見せ付けます。おっと、ハービー・マンでご紹介できる音源が少ないので、そのザ・ゲイリー・バートン・カルテットとライバル関係であったジャズ・ロック・グループ、ザ・デイヴ・パイク・セットの妙技三連発を追加でどうぞ。
米国人のデイヴ・パイクがオランダ、ドイツと巡って結成したザ・デイヴ・パイク・セット。いわゆる米国産ジャズ・ロックのフォーキーな雰囲気とは違うドイツらしい趣きが感じられるのは、もうひとりのリーダーであるドイツ人ギタリストのフォルカー・クリーゲルが持ち込んだものでしょう。同じ編成でライバルでもあったザ・ゲイリー・バートン・カルテットに比べ、どこか怪しい感じというか、シタールとかフィーチュアするサイケなセンスが格好良かったですね。
ニュージーランド出身のピアニスト、マイク・ノックも 'サマー・オブ・ラヴ' の季節にはヒッピー風の出で立ちで彷徨いながらジャズ・ロックの先駆的グループ、ザ・フォースウェイを結成します。どこかウェザーリポートと被る 'キャラっぽさ' (ジョー・ザヴィヌルとマイク・ノックなど)を持ちながら、マイケル・ホワイトの 'アンプリファイ' したヴァイオリンとノックのフェンダーローズから放たれるMaestro Ring Modulatorの歪みきったトーンで 'ジャズ・ロック' の時代を宣誓します。
今や、ビル・フリゼールやジョン・アバークロンビーと並んでECMを代表するノルウェー出身のギタリスト、テリエ・リピダルも1973年はこんな荒削りな感じ。しかし、リピダルと言えば故・中山康樹さんのこんなエピソードを思い出します。深夜、マイルス・デイビスと深酒しながら突如、今度新しいギタリストを雇いたいのだが誰か良いのいるか?と聞かれ、ノルウェー出身のテリエ・リピダルはヘンドリクス・マナーなギタリストだとお勧めした中山さん。どんなヤツだ?ここにスペルを書け!と差し出された紙に、酔ったアタマで咄嗟に 'Terje Rypdal' と書けるヤツなどそうはいないと緊張する中山さん。しばらくしてデイビスのバンドには 'リードベース' ギターのジョセフ "フォーリー" マクレアリが収まったとの報が。どうやらデイビスには 'Terje Rypdal' が 'フォーリー' と読めたのかもしれない、とオチを付けた中山さん・・(笑)。そんな本人の与り知らないところでこんな 'やり取り' のあったテリエ・リピダルは現在も活動中であります。
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