さあ、花粉舞う春風と共にいよいよ真打ち登場です、と今さらながら煽るわけじゃないですけど(笑)、長らくそのブランドイメージに胡座をかいていた?ワウペダルの名門Voxから、ついに伝説のリイシューともいうべき 'Real McCoy Wah' と 'V846 Vintage Wah' の2種が登場。管楽器奏者ならこれは、ジミ・ヘンドリクスよりあのマイルス・デイビスが 'アンプリファイ' したトランペットと共に踏んでいた印象が強いのではないでしょうか?。実際、Band of GypsysのFillmore East大晦日公演のバックステージにデイビスが顔を出したところから後日、ヘンドリクス所有品のひとつがデイビスの手許に送られてきたらしい、という噂が伝えられておりまする。
ワウと言ったらまずはVoxとCryBaby。まあ、コレも大元のIcarタイプのカーブを持った100kΩポット搭載によるワウワウミュートの名手 'Clyde McCoy' の名を頂いた英国JMI製から生産増大とコストダウンによりイタリアJenからOEMとして拡大(俗に 'Top Logo' と呼ばれるイタリア産の 'Vox CryBaby' や 'King Vox-Wah' などなど')、その一方で米国のThomas Organからも新たに日本のTDK製インダクターを搭載したV846が製造されるなど市場は入り乱れてワケわからん状態に突入します...。ジミ・ヘンドリクスによるワウの名演といえば 'Voodoo Child (Slight Return)に集中するのでしょうが、個人的には '真夜中のランプ' の幻想的なサイケ感が好きなのです。そしてデイビスの話に限ればヘンドリクスから貰ったClyde McCoyは1971年のステージまで愛用し、サウンドとバンドメンバーを一新した1972年以降は当時Thomas Organの新製品であった 'King-Wah' を足下に置き活動停止する1975年まで突っ走ります。ちなみに当時の呪術的ステージを演出する 'ポリモーダル' な響きの愛機、Yamaha YC-45Dオルガンの方ではCryBaby(もしくはMorley)を踏んでおりました。さて、今回の復刻であるVRM-1 Real McCoy WahとV846 Vintage Wahの2種はオリジナルの筐体から3Dスキャンで質感やペダルのカーブ含めリアルに再現されており、オリジナルに敬意を表してかDC供給無しの9V電池のみ対応の仕様となっております。
ちなみにわたしはヴィンテージのVoxやCryBabyを所有しておりませんけど、一方でこーいうマニアックなヴィンテージワウが足下にあったりします。あのマイルス・デイビスのバンドで特異なギターや各種パーカッション、EMSシンセサイザーなどを縦横無尽に弾きまくっていた怪人ギタリスト、ピート・コージーの愛機であるHalifax Wah Pedal。正確に言えば、わたしの所有品はそのHalifaxがドイツの名門 'Hofner' ブランドの為に製作していたOEM品でファズ内蔵の 'Z' というファズワウなのですが(汗)、基本的なワウとしての音色は一緒です。ユニークなのは踵側にOn/Offスイッチがあり、さらにギターやベース使用による帯域切り替えのスイッチが筐体左側から蹴って使え!というかなりの荒くれ仕様(苦笑)。1960年代後半から存在する本機はどこかワゴンセール品的なVoxの廉価版イメージがありましたけどピート・コージー使用による脚光もあってか、ペダルの可変幅は狭いものの実は '隠れ名機' と言っていいくらい古臭いワウとしての良い音色を持っておりまする。ちなみにコージーは足下へ本機と共にMisitronicsのエンヴェロープ・フィルターの名機、Mu-Tron Ⅲを配置、そしてなぜかMXR Phase 90、Maestro Fuzz Tone FZ-1などをEMSと共に大きなテーブルの上に鎮座させたセッティングで並べておりました(これらに追加してSonyのポータブル・カセット・レコーダーDensukeも必須)。Phase 90は時期的に 'Script Logo' の初期型、Fuzz Toneは時期的にFZ-1BやFZ-1Sなのかと思いきや上記画像から茶色筐体の初期型であることが判明しました(単3電池2本使用の3V仕様FZ-1か単3電池1本使用の1.5V仕様FZ-1Aのどちらかは不明)。また、ギター出力部の構造からTelecasterやLes Paul、変わり種の12弦Vox Phantom Ⅻや日本のモリダイラ楽器プロデュースによるMorrisの希少なセミアコMando Maniaなどでアタッチメント装着可能なJordan Electronics Boss Toneも使用しております(最初のLes Paulを弾く画像の出力部に注目!)。しかし、個人的に興味深いのは 'Maiysha' 後半に飛び出してくるピート・コージーの奇怪なギターソロってどうやって鳴らしているんだろ?(謎)。ファズとワウ、MXRのPhase 90をヴィブラート気味にかけてるっぽい音作りではあるのだけど、実はEMS Synthi Aの外部入力からギターを突っ込み内蔵のスプリング・リヴァーブとLFOでシンセサイズに変調しているんじゃないか?と妄想しております。一方、上記画像に見えるギラッとした銀色のメタルボックスのペダルは一体何なのだろう?と謎も深まるのですが、後ろにAcousticのスタックアンプと並び置かれてるLeslieスピーカー付属のプリアンプ兼Hi/Loフットスイッチかも知れません...。
えー、でもさあ、あの 'ハーマンミュート' と同じでラッパにワウかけたらモロにマイルスの真似だよなあ、それもちょっと格好悪いよなあ...いいんだよ、真似しなよ(苦笑)。わたしもラッパ始めてそのデイビスが俯いてペダル踏んでる写真見てヤラレちゃったひとりなんだから、これも一度は通過すべきラッパ吹きの掟だったりするのです。何よりデイビスのワウペダルの使い方ってあまりに奇異、同時代のランディ・ブレッカーやエディ・ヘンダーソン、イアン・カーなどと比べても従来の伝統的トランペットの奏法を逸脱した唯一無二なんですよね。特に1971年発表の2枚組 'Live-Evil' では要所要所でオープンホーンとワウペダルを使い分け、それまでのミュートに加えて新たな 'ダイナミズム' の道具として新味を加えようとする意図は感じられた。しかし1972年の 'On The Corner' 以降はほぼワウペダル一辺倒となり、愛器マーチン・コミッティーはまさに咆哮と呼ぶに相応しいくらいの 'ノイズ生成器' へと変貌...。それはいわゆるギター的アプローチというほどこなれてはおらず、また、完全に従来のトランペットの奏法から離れたものだっただけに多くのリスナーが困惑したのも無理はなかったと思うのです。正直、いまの視点から見てもこのやり方がそれほどデイビスの意図していたものだったのかどーか...実はちと疑わしかったりもする(苦笑)。ギターのヴォイシングも研究して目指せ!ラッパのジミヘン!アレ?...なんかちと違くね?...みたいな(汗)。さて、そんなリズム楽器に捻じ曲げたトランペットの '変形' について1973年の来日公演を見たジャズ批評家、油井正一氏はこう酷評しております。
"マイルスの心情は理解できる。トランペットという楽器を徹底的に使い切った彼は、もはやこの楽器に新しい可能性を発見できなくなったのだろう。だがしかし、たとえ電化トランペットに換えたとしても、トランペットをリズム楽器に曲げて用いることは誤りである。(中略)「オン・ザ・コーナー」が私に駄作に聴こえたのは、そのためだ。(中略)電気トランペットによるワウ・ワウ効果は、ありゃ何だ。いくらマイルスが逆立ちしようが、ワウ・ワウ・トランペットの史上最大の名手で40年前に故人となったバッバー・マイレイに及びもつかぬのである。"
バッバー・マイレイだとか、カビの生えたラッパ吹きを持ち出さざるを得ないところに油井御大の苦しい批評の限界を感じさせるのだけど、しかし何もラッパでそんなことやらんでもいいのでは?という疑問があったことは間違いない。さて、そんなデイビスのワウペダルによるフレージングに大きな影響を与えたのでは?と思わせるのがブラジルの打楽器、クイーカとの関係なんです。ええ、わたしくらいしか未だそんな主張はしておりません(汗)。あの印象的な 'Isle of Wight' のライヴ動画で、デイビスのステージ後方を陣取りゴシゴシと擦りながらトランペットに合わせ裏で 'フィルイン' してくるパーカッショニスト、アイルト・モレイラの姿はそのままデイビスのワウを踏む姿と完全に被りますね。その変貌ともいうべき録音の端緒としては、1970年5月4日にエルメート・パスコアール作の 'Little High People' でモレイラのクイーカやカズーと 'お喋り' するようなフレイズを披露しており、すでにこの時点で1975年の活動停止まで探求する 'アンプリファイ' の指針は示されていることに驚きます。一方、そんなマイルス・デイビスがワウペダルとの決別をした一曲として6年もの沈黙を経て1981年に届けられた作品 'The Man With The Horn'。この思いっきりサイケだローファイだ咆哮だというダーティーで荒れた生活を象徴する野卑な 'ヴォイス' は、すっかり弱り切ったカラダと共に当時流行のブラック・コンテンポラリーでヘルシーなサウンドから老眼鏡や杖の如く手放せないご老人の固執するアイテムにまで成り下がってしまった(苦笑)。何せ6年もの間すっかりラッパの練習など辞めてしまったのでまともに吹けなくなっていたのですが、しかし、すでに 'ワウの時代' は過ぎ去っていたことをスタッフに告げられペダルを隠されてしまったことからもう一度 '老い' に抗うのが晩年の10年間です。ちなみにデイビス本人によるワウペダルとヴォリュームペダル 、そしてステージ上を四方から囲まれる大音量のアンサンブルにより変化する耳のポジションが音楽の新たな '聴こえ方' を開いことについてこう述べております。
"ああやって前かがみになってプレイすると耳に入ってくる音が全く別の状態で聴きとれるんだ。スタンディング・ポジションで吹くのとは、別の音場なんだ。それにかがんで低い位置になると、すべての音がベスト・サウンドで聴こえるんだ。うんと低い位置になると床からはねかえってくる音だって聴こえる。耳の位置を変えながら吹くっていうのは、いろんな風に聴こえるバンドの音と対決しているみたいなものだ。特にリズムがゆるやかに流れているような状態の時に、かがみ込んで囁くようにプレイするっていうのは素晴らしいよ。プレイしている自分にとっても驚きだよ。高い位置と低いところとでは、音が違うんだから。立っている時にはやれないことがかがんでいる時にはやれたり、逆にかがんでいる時にやれないことが立っている時にはやれる。こんな風にして吹けるようになったのは、ヴォリューム・ペダルとワウワウ・ペダルの両方が出来てからだよ。ヴォリューム・ペダルを注文して作らせたんだ。これだと、ソフトに吹いていて、途中で音量を倍増させることもできる。試してみたらとても良かったんで使い始めたわけだ。ま、あの格好はあまり良くないけど、格好が問題じゃなく要はサウンドだからね。"
しかしですねえ、実はこの '誤用' には大事な点もあるのです。トランペットに通底する頑固な西洋金管楽器のバックグラウンドを剥ぎ取ること、より 'ヴォイス' としての金管が持つ原初の感覚へと戻ること。ワウの音色を "アフロの原初だ!" とデイビスが言ったかどーかは知りませんが、実際1970年代はまさに 'ワウの時代' とばかりにロックからファンク、俗に 'ブラックスプロイテーション映画' と呼ばれた黒人が主人公のアクション映画のサントラでチャカポコ、チャカポコ、クワァ〜っと喋るようなリズムカッティングがアンサンブル全体から醸し出されておりました。そんな鋭角的なリフとワンコードの美学を貫いた 'JB' ことジェイムズ・ブラウンの一糸乱れぬアンサンブルは、ナイジェリアの大地でより混沌としたアフロビートのポリリズムで '溢れていく' アンサンブルへと変貌します。
こーいう 'ハチロク' なアフロ・ポリリズムのサウンドにアプローチするのにストレートなトランペットの音色がハマるとは思えない...。ナイジェリアのお隣、ブルキナ・ファソの超ハイパー・アフログルーヴの老舗、オルケストル・ポリ・リィトモ・ドゥ・コトヌーを始め、いわゆる米国黒人がゲットーで奏でるファンクがそのまま '誤用と剽窃' の一例として、カリブ海や西アフリカのゲットーで各々 '変奏' として換骨奪胎されていきます。我々が現在認識している黒人音楽のグルーヴと呼んでいるものの大半は米国産なんですが、当然、米国の黒人に対してジャマイカの黒人とナイジェリアの黒人ではリズムの取り方が違うのです。アフロビートと呼ばれるグルーヴの元にジェイムズ・ブラウンのファンクとの関係があるけど、ある意味でそれは ‘誤用’ による多様性の現れと言って良いでしょう。レゲエのルーツであるスカやロック・ステディが、そもそもはカリブ海を隔てて米国から入ってくる感度の悪いラジオから2拍、4拍を強調するように(途切れ途切れで)流れてくるR&Bの ‘ジャマイカ流’ 解釈として始まったという説も同様です。
さて、西アフリカでは現在 'アフロビーツ' (さらに細分化して 'バンクー・ミュージック' といったサブジャンルもあるらしい)のムーヴメントがジワジワと欧米の音楽市場を席巻しており、その中でも '台風の目' 的存在なのが1990年のナイジェリアはラゴス生まれ、Wizkidだ。いわゆる1970年代に席巻したフェラ・クティらアフロビートの隔世遺伝としてガーナのハイライフ、ナイジェリアの伝統的ジュジュの影響を維持しながら、実際には直接的な影響を受けていない新世代のアフロポップ・ムーヴメントとのこと。アフロミュージックに大きな影響力を持つカリブ海のラテンリズムであるソン・クラーヴェからダンスホールのデジタル・ラガやレゲトンを通じて世界に頒布したトレシージョを下敷きにEDM(特にヴォーカルの 'ケロ声処理' など)のアフロ変異と言って良いでしょうね。カナダ出身のラッパーであるドレイクやフェラ・クティの息子フェミ、DJ Spinallに女性ヴォーカルのティワ・サベージ、ラゴス版メアリーJブライジといった趣のテムズなど同郷とのコラボ(King Promiseとのコラボで 'Tokyo' っていう曲もある...笑)含め、ナイジェリアポップのひとつの大きな勢力を担っております。このようなアフロポリリズムとEDMにおける変容は、そのまま何度でも組み直されることの '変奏' によりビートが身体の限界を '管理' する様態へいつでも接近したい欲求の表れではないでしょうか。これは昨今、世界的に流行するヒップ・ホップ・ダンスの一種である 'Poppin' において、まさにビートと拮抗するように身体の限界に挑む創造性を発揮するビートの細分化として可視化しております。ダブステップに特徴のウォブルベースに合わせてブルブルと痙攣させたり、無重力に逆再生するような流れでガクガクとヒット(身体を打つようなPoppinの動きをこう呼びます)させる特異な動きなど、まさにサイボーグの時代到来を思わせる神経質なまでの身体性...。この断片化された情報の 'かけら' をサンプリングの如くひとつずつ収集、分解、再解釈していく姿はそのまま、英国の音楽批評家サイモン・レイノルズによれば "想像を超えた激しい情報過負荷時代に対応するため、再プログラミングされた身体の鼓動" であると同時に "ステロイドを使ったポストモダンのダブ" とドラムンベースの時代に定義をしました。まさにこれまでの器楽演奏によるスキルやプレイヤビリティとは全く違う領域から音楽を聴取、身体に作用する新たな感覚が生成するのを無視することは出来ません。
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