アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトのボサノヴァによる産声は、より大衆的なスタイルで世界から愛されたセルジオ・メンデス、ロック世代と '共闘' するかたちでマルコス・ヴァーリやジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾらMPB世代に引き継がれて、新たなブラジル流ポップを世界に証明しました。この '音楽大陸' が持つその膨大な音源はとてもこの項だけでは扱いきれないので(汗)、個人的に引っかかった 'レアグルーヴ' 的色彩の濃いものを中心にピックアップします。
そんなユニークなブラジルの個性の中でも奇才、エルメート・パスコアールほど 'ジャンル' というカテゴリーを超えて探求する音楽家はいないでしょう。アイルト・モレイラらとのクォルテット・ノーヴォからラウンジな短命バンド、ブラジリアン・オクトパスを経て1970年、いよいよマイルス・デイビスとの共演 'Nem Um Talvez' にまで至ります。まさに 'エルメート節' 全開で 'Little Church' と 'Selim' のヴァリエーション的展開含め、2枚組作品 'Live-Evil' に収録されてフォーキーとアンビエントの狭間を口笛吹きながら浮遊・・昇天。しかしブラジルのマルチ・プレイヤーって誰でも皆、こーいう 'ジャンク' からブラジルという大地に根付く自然の騒めきに耳をそばだて、それらが宇宙との交信を目指す壮大なスケールへと直結する '信仰' のようなものに支えられている気がしますヨ。
そんなブラジルといえば'1960年代後半の 'サマー・オブ・ラヴ' の季節と共にカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルらを中心に彷徨い出たムーヴメント、'トロピカリア' とブラジル流サイケデリック・ロックの潮流がありました。まあ、当時でいうところの '世界同時革命宣言' 的なロックと若者の意識変革なのだろうけど、そんなMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)よりもっと下世話な連中からこぼれ落ちてくるものこそ今の耳を引きまする。
そんな 'トロピカリア' 革命の中でひとりブッ飛んだ方向を向いていた男、トム・ゼー。1960年代後半から70年代にかけて散発的にアルバムを発表してきましたが、むしろ彼のユニークさは 'トロピカリア' 再評価とシカゴ音響派などへの影響を経て、元トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーン・プロデュースによる1998年作品 'Com Defeito de Fabricacao' から2000年の作品 '真実ゲーム' (Jogos de Armar) の頃に盛り上がったイメージがあります。
このガレージサイケ感というかやさくれ具合というか(笑)、同時代の日本のGSとかもそうなのだけど、こういう世界的流行の通俗性溢れる 'コピー' からこぼれ落ちてくるものほど、よりその国の土着性が垣間見れる瞬間がありますね。この辺りの 'ブラジリアン・レアグルーヴ' コンピレーションとしては上述した 'Brazilian Guitar Fuzz Bananas' のほか、'Soul Braza: Brazilian, 60's & 70's Soul Psych Vol.1 & 2'、'Love, Peace & Poetry: Brazilian Psychedelic Music'、'The Brasileiro Treasure Box of Funk & Soul' などで幅広く聴くことが出来まする。しかしマイナーな音源なのかと思いきや、実はメジャーレーベルが権利を持ってるからか案外とYoutube以外での視聴制限がかけられているのが多い・・(涙)。
このひとの持つコード感がもの凄く好きだ。自分の 'こえ' の最も波長の合うところを分かっているというか、良い意味でずっとそれはソロ1作目から変わりません。まったくの 'ノー・チューニング' によるDanelectroの11弦ギターを掻き鳴らし、一切の音楽的楽理から距離を置いたところでその個性を獲得したアート・リンゼイは、いわゆる '本場' ブラジルが放つ '取っ付きにくさ' をポップ・ミュージックとの橋渡しとして上手く機能させました。ああ、まるで宇宙遊泳をしているようなこの無重力感。まるで宇宙の果てへたゆたうように飛ばされながら一切の真空の中、耳元で囁かれている宇宙飛行士のような気分・・。ボサノヴァに象徴される '余白' とコードの魔力、首都ブラジリアを設計したオスカー・ニーマイヤーの持つ近未来的デザインと宇宙飛行士がボサノヴァと融合する・・分かりますかね?この感覚。
過去と未来が混在する 'コスモポリタン' としてのブラジル。そういえば2004年頃、ブラジルの現代美術を紹介する催しとして 'Body Nostalgia' を見に行ったことを思い出します。タイトルはブラジル現代美術の出発点である女性作家リジア・クラークが自ら一連の作品に与えた名称 'Nostalgia do corpo' (身体の郷愁)から取られており、それはよくブラジルの雰囲気を説明するときに用いられる 'Saudade' という言葉をグッと深化させて、'Nostalgia' の語源がギリシア語の '帰郷(ノストス)' と '苦痛(アルジア)' の造語から派生したということと深く結び付いているということ。つまりブラジルという場所は、根元的に多くの '痛み' とその '記憶' から身体の新たな '出会い' を促しているのではないでしょうか。それはここで聴ける土着的なものと洗練されたハーモニーの '異種交配' において、ブラジルほどその自浄作用が機能している場を他に知らないからです。
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