ピーター・バラカンさんがどこかで言われておりましたが、思春期に影響を受けたものはその後の '自分' を形成する上でずっと残っていく(相当意訳しておりますが)そうで、聴いてきた音楽体験も大体そこに引っ張られていくらしいです。なるほど、確かにわたしにとってのR&Bやソウル・ミュージック、特にファンクの持つグルーヴの中毒性は、いまに至ってもなお自分を惹きつけるんですよね。だから 'ジャズ原理主義者' が毛嫌いするアシッド・ジャズ系のものなど、むしろ、わたしにとってはジャズを聴く上での良い '入り口' だったと思っております。一方で、それまで米国産の音楽ばかり嗜んできた自分が、ある音楽をきっかけにUK産やヨーロッパのものにシフトするグループがいました。
ジャジーBなる、レゲエやレア・グルーヴを中心に回していたDJを中心に結成されたユニットSoul Ⅱ Soulです。ブラック・ミュージックとして、米国からカリブ海のものをいろいろ物色していた当時のわたしにとり、英国というのはいまいちピンと来なかったのですが、そもそも英国に住む黒人の大半が旧植民地であったジャマイカなど、西インド諸島からの移民で構成されております。特に、彼らが持ち込んだダブの血脈はザ・ビートルズ以降のUK産ポップ・ミュージックの下地に流れ込み、このSoul Ⅱ Soulというグループ登場へと到達、現在のクラブ・ミュージック全盛の 'ターニング・ポイント' を象徴します。また、この英国という国は日本と似て、米国のポップ・ミュージックに対する偏愛的な影響や '収集癖' でもって自らの文化と上手に溶け込ませる術を心得ておりました。米国という国は比較的過去を振り返らず、全体的に新しいもの好きな傾向が強いのですが、英国人はすでに過去の遺物となった米国のサイケデリック、R&B、ジャズやラテンなどのレコードを収集しては、そこからレア・グルーヴやアシッド・ジャズといったムーヴメントを仕掛け、まさに '温故知新' の如く古いものから新しい '聴き方' を提示してきたのです。もちろん、古いものばかりではなく、ニューヨーク・ガラージやシカゴ・ハウスからアシッド・ハウス、ブリープ・テクノといった '4つ打ち' によるレイヴ文化を生み出したのもUKです。このSoul Ⅱ Soulには米国のR&Bやジャズ、ジャマイカ産のダブからの大きな影響を受けながら、しかし、英国という場所でのみ可能となった独自の存在だと言って良いでしょうね。
さて、そんな 'UKダブ' は、マッド・プロフェッサーやエイドリアン・シャーウッド、ジャー・シャカらがジャマイカのサウンド・システムを持ち込みながら 'ニューウェイヴ' の影響を受けて独自に発展、その中の象徴的な存在なのが 'ダブ・ポエトリー' の巨匠、リントン・クウェシ・ジョンソンと彼の代表作 'LKJ in Dub' を手がけた元マトゥンビのメンバー、デニス・ボーヴェルでしょう。このあたりのスモーキーな '煙たい' 感覚は、英国の港町で多くの 'UK Blak' が住み着いていたブリストルを中心に継承されてマッシヴ・アタックの登場とトリップ・ホップなど、ブレイクビーツからダブの '換骨奪胎' が1990年代を通して提示されていきます。
その 'UKレゲエ/ダブ' のコミュニティの中からラヴァーズ・ロックの3人組コーラス・グループ、ブラウンシュガーで1970年代にデビューしたのが当時わずか12歳のキャロン・ウィーラー。すでにこの時点でその洗練された声はレゲエという狭いフィールドを飛び出し、その後、ロンドンの小さなクラブ、'Africa Center' で自身のサウンド・システム 'Soul Ⅱ Soul' を主宰してレゲエからレア・グルーヴまで幅広く回していたDJ、ジャジーBと合流して大きなムーヴメントを発動させます。
'Keep On Movin'' のいきなりドスッとぶっとく鳴る(たぶん)Roland TR-909のキック一発。もう、この瞬間こそわたしにとっての大きな最初の 'パラダイム・シフト' でした。時代もまさに1989年ということで、それまで世の中から聴こえてきた80's的 'プラスティックな' サウンドから、急にリアルな音像が目の前に現れた衝撃というか・・。そして 'Back To Life' の土着的なコール&レスポンスとレア・グルーヴ感覚。すでに70'sファンクの熱狂的な信者であったわたしにとって、こういうかたちでファンクの黒い感覚が蘇るとは・・。同時代、すでに米国で流行していたニュージャック・スイングと呼ばれるダンス・ミュージックに比べれば、レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラの奏でるストリングスを加え、もっとずっと落ち着いていて、そこにちょっとジャジーな大人っぽい雰囲気さえ漂わせている。ともかく、ある時代の米国が持っていたR&Bの伝統を昇華させた 'やり方' としては、個人的に '英国もの' の方が好みであったことをこのSoul Ⅱ Soulは教えてくれましたね。そして、ここでフィーチュアされる女性ヴォーカルのキャロン・ウィーラー。このハスキーにしてどこかウェットな質感のする声に一発で参ってしまいました。それまでの米国産R&Bシンガーに共通するゴスペル・ライクなスタイルに対し、彼女はレゲエのラヴァーズ・ロック出身ということで、暑苦しくなる一歩手前で抑えるクールな印象が完全にこの '打ち込み' とぴったりハマっておりました。
彼らが打ち出したグラウンドビートというグルーヴは、'大地' という意味での 'Ground' ではなく '擦り付ける' という意味 'Grind' の他動詞 'Ground' から来ているようで、これは、レゲエのダンスに男女が股間を擦り付けるようにして踊る 'ラバダブ' というのがあり、この辺りから派生した言葉ではないかと思います。それはともかく、ある意味 '大地' と言い換えても良いくらい、この地を這うようなベースラインとキックのぶっとい感じがダブの血統を強く主張し、また、この緻密なビート・プログラミングに当時英国在住であった日本人ドラマー、屋敷豪太氏(元メロン、ミュートビート)が深く携わっていたのは興味深いです。それは、このカッチリとした構成に日本人的な '職人感' があるというか、屋敷氏にとってはSoul Ⅱ Soulの '屋台骨' 的存在であったネリー・フーパーとの出会いが大きかったようですね。他にメジャーどころではD.N.A. feat. Suzanne Vegaの 'Tom's Diner' とか、耳ダコになるくらい聴いたグラウンドビートの代表的一曲。また、ジャジーB&ネリー・フーパーが 'True Love'、'1-2-3' の2曲プロデュースに携わった 'Soul Ⅱ Soulフォロワー' 的ユニットのThe Chimesなんかも話題となりましたね。彼らのサウンドに通底する 'ジャジー' な響きはそのまま、Soul Ⅱ Soulと並んで人気を得ていたUKジャズの新星、コートニー・パインのサックスをフィーチュアした 'Courtney Blows' を2作目 '1990 : A New Decade' で披露するなど、この後のアシッド・ジャズ・ムーヴメントへの予兆を匂わせます。しかし、後述しますけど一躍躍り出たSoul Ⅱ Soulのフロントに歌姫キャロン・ウィーラーの姿はなく、彼女がジャジーBと '和解' して戻ってくるのは1995年の 'Vol.V : Believe' まで待たねばなりません。まあ、グラウンドビートとは結局、Soul Ⅱ Soulで始まり終わった短いムーヴメントではありましたが、それまでの 'UK産R&B' というイミテーションを脱してクラブ・ミュージックの新しいスタイルを提示したことに意味があったワケです。そして、このグルーヴにはダブに加えてもうひとつ、そもそもレア・グルーヴを回すDJであったジャジーBが '見つけてきた' と思われる一曲も元ネタとして強く結び付いております。
ジャジーBなる、レゲエやレア・グルーヴを中心に回していたDJを中心に結成されたユニットSoul Ⅱ Soulです。ブラック・ミュージックとして、米国からカリブ海のものをいろいろ物色していた当時のわたしにとり、英国というのはいまいちピンと来なかったのですが、そもそも英国に住む黒人の大半が旧植民地であったジャマイカなど、西インド諸島からの移民で構成されております。特に、彼らが持ち込んだダブの血脈はザ・ビートルズ以降のUK産ポップ・ミュージックの下地に流れ込み、このSoul Ⅱ Soulというグループ登場へと到達、現在のクラブ・ミュージック全盛の 'ターニング・ポイント' を象徴します。また、この英国という国は日本と似て、米国のポップ・ミュージックに対する偏愛的な影響や '収集癖' でもって自らの文化と上手に溶け込ませる術を心得ておりました。米国という国は比較的過去を振り返らず、全体的に新しいもの好きな傾向が強いのですが、英国人はすでに過去の遺物となった米国のサイケデリック、R&B、ジャズやラテンなどのレコードを収集しては、そこからレア・グルーヴやアシッド・ジャズといったムーヴメントを仕掛け、まさに '温故知新' の如く古いものから新しい '聴き方' を提示してきたのです。もちろん、古いものばかりではなく、ニューヨーク・ガラージやシカゴ・ハウスからアシッド・ハウス、ブリープ・テクノといった '4つ打ち' によるレイヴ文化を生み出したのもUKです。このSoul Ⅱ Soulには米国のR&Bやジャズ、ジャマイカ産のダブからの大きな影響を受けながら、しかし、英国という場所でのみ可能となった独自の存在だと言って良いでしょうね。
さて、そんな 'UKダブ' は、マッド・プロフェッサーやエイドリアン・シャーウッド、ジャー・シャカらがジャマイカのサウンド・システムを持ち込みながら 'ニューウェイヴ' の影響を受けて独自に発展、その中の象徴的な存在なのが 'ダブ・ポエトリー' の巨匠、リントン・クウェシ・ジョンソンと彼の代表作 'LKJ in Dub' を手がけた元マトゥンビのメンバー、デニス・ボーヴェルでしょう。このあたりのスモーキーな '煙たい' 感覚は、英国の港町で多くの 'UK Blak' が住み着いていたブリストルを中心に継承されてマッシヴ・アタックの登場とトリップ・ホップなど、ブレイクビーツからダブの '換骨奪胎' が1990年代を通して提示されていきます。
その 'UKレゲエ/ダブ' のコミュニティの中からラヴァーズ・ロックの3人組コーラス・グループ、ブラウンシュガーで1970年代にデビューしたのが当時わずか12歳のキャロン・ウィーラー。すでにこの時点でその洗練された声はレゲエという狭いフィールドを飛び出し、その後、ロンドンの小さなクラブ、'Africa Center' で自身のサウンド・システム 'Soul Ⅱ Soul' を主宰してレゲエからレア・グルーヴまで幅広く回していたDJ、ジャジーBと合流して大きなムーヴメントを発動させます。
'Keep On Movin'' のいきなりドスッとぶっとく鳴る(たぶん)Roland TR-909のキック一発。もう、この瞬間こそわたしにとっての大きな最初の 'パラダイム・シフト' でした。時代もまさに1989年ということで、それまで世の中から聴こえてきた80's的 'プラスティックな' サウンドから、急にリアルな音像が目の前に現れた衝撃というか・・。そして 'Back To Life' の土着的なコール&レスポンスとレア・グルーヴ感覚。すでに70'sファンクの熱狂的な信者であったわたしにとって、こういうかたちでファンクの黒い感覚が蘇るとは・・。同時代、すでに米国で流行していたニュージャック・スイングと呼ばれるダンス・ミュージックに比べれば、レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラの奏でるストリングスを加え、もっとずっと落ち着いていて、そこにちょっとジャジーな大人っぽい雰囲気さえ漂わせている。ともかく、ある時代の米国が持っていたR&Bの伝統を昇華させた 'やり方' としては、個人的に '英国もの' の方が好みであったことをこのSoul Ⅱ Soulは教えてくれましたね。そして、ここでフィーチュアされる女性ヴォーカルのキャロン・ウィーラー。このハスキーにしてどこかウェットな質感のする声に一発で参ってしまいました。それまでの米国産R&Bシンガーに共通するゴスペル・ライクなスタイルに対し、彼女はレゲエのラヴァーズ・ロック出身ということで、暑苦しくなる一歩手前で抑えるクールな印象が完全にこの '打ち込み' とぴったりハマっておりました。
彼らが打ち出したグラウンドビートというグルーヴは、'大地' という意味での 'Ground' ではなく '擦り付ける' という意味 'Grind' の他動詞 'Ground' から来ているようで、これは、レゲエのダンスに男女が股間を擦り付けるようにして踊る 'ラバダブ' というのがあり、この辺りから派生した言葉ではないかと思います。それはともかく、ある意味 '大地' と言い換えても良いくらい、この地を這うようなベースラインとキックのぶっとい感じがダブの血統を強く主張し、また、この緻密なビート・プログラミングに当時英国在住であった日本人ドラマー、屋敷豪太氏(元メロン、ミュートビート)が深く携わっていたのは興味深いです。それは、このカッチリとした構成に日本人的な '職人感' があるというか、屋敷氏にとってはSoul Ⅱ Soulの '屋台骨' 的存在であったネリー・フーパーとの出会いが大きかったようですね。他にメジャーどころではD.N.A. feat. Suzanne Vegaの 'Tom's Diner' とか、耳ダコになるくらい聴いたグラウンドビートの代表的一曲。また、ジャジーB&ネリー・フーパーが 'True Love'、'1-2-3' の2曲プロデュースに携わった 'Soul Ⅱ Soulフォロワー' 的ユニットのThe Chimesなんかも話題となりましたね。彼らのサウンドに通底する 'ジャジー' な響きはそのまま、Soul Ⅱ Soulと並んで人気を得ていたUKジャズの新星、コートニー・パインのサックスをフィーチュアした 'Courtney Blows' を2作目 '1990 : A New Decade' で披露するなど、この後のアシッド・ジャズ・ムーヴメントへの予兆を匂わせます。しかし、後述しますけど一躍躍り出たSoul Ⅱ Soulのフロントに歌姫キャロン・ウィーラーの姿はなく、彼女がジャジーBと '和解' して戻ってくるのは1995年の 'Vol.V : Believe' まで待たねばなりません。まあ、グラウンドビートとは結局、Soul Ⅱ Soulで始まり終わった短いムーヴメントではありましたが、それまでの 'UK産R&B' というイミテーションを脱してクラブ・ミュージックの新しいスタイルを提示したことに意味があったワケです。そして、このグルーヴにはダブに加えてもうひとつ、そもそもレア・グルーヴを回すDJであったジャジーBが '見つけてきた' と思われる一曲も元ネタとして強く結び付いております。
ワシントンDC出身のグループ、チャック・ブラウン率いるザ・ソウル・サーチャーズが1974年にリリースした作品 'Salt of The Earth' からの1曲 'Ashley's Roachclip' です。当時彼らは完全なるB級ファンク・バンドでして、この後1978年に 'Bustin' Loose' で全米R&Bチャート1位を記録。その後、またしばし音沙汰もなく1984年に 'We Need Some Money' と共にワシントンDC産のファンク・ムーヴメント、ワシントン・ゴーゴーの創始者としてR&B界に大きくその名を轟かすこととなりました。それはともかく、本曲の実にアフロっぽい雰囲気とレア・グルーヴ的怪しい濃度を持った70'sな下地には、確かにグラウンドビートと共通するクールにビートをキープする感覚が漲っています。ちなみにこのグループからは、ゴーゴーのムーヴメントに注目したマイルス・デイビスによりリッキー・ウェルマンという凄腕ドラマーを発掘、晩年のデイビスのバンドを牽引する存在としてアピールしました。
そんなキャロン・ウィーラーも参加するSoul Ⅱ Soulなのですが、1989年の大ヒットでさあ世界ツアーだ、と意気込んだ矢先にジャジーBとウィーラーの間でグループを巡る諸々のトラブルが起こりウィーラーは脱退、いきなりSoul Ⅱ Soulはグループとしての '声' を失うこととなります。その理由のひとつに、そもそもこのユニットのコンセプトに深く携わっていたウィーラーへ正統なクレジットと対価が支払われず、ほぼジャジーB中心で事が進んでいくことに彼女が強く反発したことが発端となりました。そんなウィーラーが脱退後すぐさま自らのコンセプトを元に1990年、ソロとしてリリースしたのが 'UK Blak'。わざわざスペルから 'Black' のCを抜いたのは、ジャマイカ移民のアフリカン・ブリティッシュとして米国の黒人とは違うアイデンティティを表明してとのことで、単なるポップ・シンガーではない強いこだわりが伺えます。また、グラウンドビートのアイデアも元は私にあると主張したいのか、'Blue' や元ネタの 'Ashley's Roachclip' をサンプリングした 'Never Lonely' で、自分こそグラウンドビートのオリジネイターであると訴えているような完成度です。この 'Never Lonely' に聴こえるアフロっぽい雰囲気が、そのままウィーラーの思想であるカリブ海から汎アフリカ主義的なスピリチュアリズムへの志向と結び付けるようにアレンジしたのはさすがですねえ。
このような 'アフリカ回帰' 的なユートピア思想は、特に想像上の 'アフリカ' というルーツを観念的に捉える一部のアーティストたちに共通するものです。例えばジョン・コルトレーンからアーチー・シェップ、ファラオ・サンダースらのフリー・ジャズとアフロ・スピリチュアリズムの関係や、ヒップ・ホップにおけるアフリカ・バンバータと 'ズールー・ネイション' といったかたちで、スローガン的に連呼して自らの立ち位置を再確認することは彼らにとって意味があるのだと思います。ちなみにソロ後、立て続けでジミー・ジャム&テリー・ルイスのプロデュースにより映画 'Mo' Money' OST中の一曲 'I Adore You' をきっかけにして、'UK Blak' のプライドは持ちながらも障害を抱える自身の子供のために米国へと活動の拠点を移すキャロン・ウィーラー。
その米国の地ではビズ・マーキーやグールー、ピート・ロックら、ヒップ・ホップ勢とのコラボレーションを行いますが、やはり米国R&Bの歌手たちとは一味違う '体温低め' のウェットな歌声はラップとの相性もバッチリ。もちろん、英国での活動も忘れることなく、アシッド・ジャズ・ムーヴメントを覚えている人には懐かしいオマーとのコラボレーション 'Treat You' を2013年にリリースします。しかしキャロンの好むハーモニーって一聴してすぐ分かる・・ホント、この人の持つエキゾチシズムなトーンが凄い好き。1990年のデビュー・アルバム 'UK Blak' と1992年のセカンド・アルバム 'Beach of The War Goddess' はその懐かしい音作り含め、未だに好きでよく聴いておりますヨ。
しかし、そんな 'アフリカ回帰' の根底にあるのはある種のエキゾティシズムというか、やはりSoul Ⅱ Soulがワールドワイドに大ヒットしたのは都会的に洗練されたグルーヴと女性ヴォーカルのコラボレーションにあると思うのです。これが、単に '土臭い' だけのワールド・ミュージック的展開になっていたらここまで人々の意識を惹きつけることはなかったでしょうね。その 'Soul Ⅱ Soul的' なUK Soulはジャズ、というよりジャジーな響きとの親和性が高く、このグラウンドビートに続いてアシッド・ジャズからトリップ・ホップ、ジャングル/ドラムンベース、2ステップ/ブロークンビーツへと続いていくUKならではの 'サンプル' 的に切り取った価値観の提示と深い関係があります。まあ、こういうところが 'ジャズ原理主義者' からは軽薄に見られるところなのかもしれないのだけど、しかし、ジャマイカから持ち込んだサウンド・システムとレコードの結ぶコミュニティの '共有' は、そのジャジーにしてダビーな浮遊感、サイケデリックにして想像上の 'アフロ・スピリチュアリズム' でもって熾烈な現実から 'ダンスホール' を占拠します。
さて、その 'アフリカ回帰' なメッセージを軽やかに打ち出したヒップ・ホップ・ユニットとして、アフリカ・ベイビー・バム、マイクG、サミーBの3人からなるジャングル・ブラザーズがいます。1988年の 'Straight Out The Jungle' はまさにヒップ・ホップ黎明期を飾る1曲。ここでサンプリングされる1970年代のファンク・グループ、マンドリルの 'Mango Meat' もこれまたアフロ志向とレア・グルーヴ感覚の強いもの。彼らは当時のヒップ・ホップ界を覆い始めていた 'マッチョイズム' (銃やドラッグ、暴力など)を志向しない 'ネイティブ・タン' と呼ばれる一派の 'はしり' であり、これ以降のデ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエストといった連中が続くことでヒップ・ホップの音楽的追求を試みていました。彼らは米国のグループではあるのですが、しかし、その肩の力の抜けた 'ネイティヴ・タン' のアプローチは、むしろ、アシッド・ジャズからトリップ・ホップなどのジャズとヒップ・ホップの接近に強い影響を与えたのではないでしょうか。直接的なライムのメッセージではなく隠喩的な 'サンプル' の換起力と匿名的なブレイクビーツの戯れ。
そうそう、このアフリカ・ベイビー・バムは、キャロン・ウィーラー1991年のデビュー・アルバム 'UK Blak' からのシングル・カット 'Livin' In The Right' のプロデュースをしているんですよね。おお、ここでようやくふたりの '想像上のアフリカ' がぶっといダビーなベースラインと共に繋がった!
このマンドリルも実に雑多な要素を持ったB級ファンク・グループとして、ジャズやロックにラテン、アフロ、その他怪しげな民俗音楽的なものを飲み込みながら1970年代に全盛期を迎えました。上は久しぶりの再結成でモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演したもので、下はまさにデビュー直後の貴重なもの。椅子に座って見ているのは御大JB!?マンドリルのデビューした1970年代初期はファンク黎明期なだけに、とにかくあらゆる要素が 'ごった煮' 状態のファンク・グループで溢れており、この初期マンドリルのサウンドだけ聴いてもサイケ、ロック、ファンク、ジャズ、ラテン、アフロ・・といろんな要素の雑多で満ちています(サンタナっぽいかも)。後にディスコでそのイメージを決定させたアース・ウィンド&ファイアーなども、活動初期はこんな感じの 'アフロ・ジャズ・ファンク' なスタイルであり(そもそも彼らはジャズ出身者であります)、彼らと '姉妹的な' 関係であったザ・ファラオズというグループは、コルトレーンのスピリチュアリズムを継承したフリー・ジャズのユニットでした。ちなみに、日本でも彼らのサウンドはよく聴かれており、実はプロレスのアントニオ猪木が入場するテーマ曲もとい、元々はモハメッド・アリのテーマ曲であった 'Ali Bom-Ba-Ye 〜Zaire Chant〜' のオリジナル演奏者が彼らなのです。なるほど、どうりであの曲はアフロっぽかったわけだ。
あ、そうそう、アフロ志向なUK産ファンクといえば、1970年代に活動、後にレア・グルーヴで再評価されたサイマンデというグループがおりましたね。ラテンというよりカリビアンっぽい陽気さ、というか、やはりカリブ海からの移民の血が疼くのでしょうか?そして、さらにB級感満載のFunky Bands Inc.ことF.B.I.の1976年唯一のアルバム 'F.B.I.'。ゲットー感覚のファンクからカリビアン風、メロウなグルーヴまで実にバランスの取れたスタイルを誇っており、'土臭い' サイマンデよりもこのF.B.I.の方がSoul Ⅱ Soulへと続くUK Soulの出発点といった感じがありますね。また、このダニーもとい(英国風の発音で)ドニー・ハサウェイの名曲 'Love Love Love' の70'sなメロウ具合もたまりません。
ある意味で1970年代の音楽は、'第三世界' などと呼ばれた文化の要素を取り込みながらその後の 'ワールド・ミュージック' と呼ばれる芽をつみ始めた最初の時期でした。それはラテン界隈から登場したサンタナやウォーにしろ、'アフロ・ロック' などと呼ばれて一時的に脚光を浴びたオシビサやラファイエット・アフロ・ロック・バンドにしろ、すべて 'アメリカナイズ' された上で作られた想像上の異国情緒を増幅する存在に 'なりきる' ことで幻想を具現化させていました。それは、ジョン・コルトレーンに比べてよりR&Bなレス・マッキャンとエディ・ハリスのアフロ感覚を実際のガーナ人たちの前で披露する姿と、一方で英国から、ガーナ、ナイジェリア、西インド諸島出身の多国籍なメンツで結成されたグループ、オシビサが 'アフロ・ロック' としてスウェーデンの聴衆の前で披露する姿の '温度差' に共通して現れております。ちなみに彼らは、'ブラックスプロイテーション' 映画 'Superfly' の続編である 'Superfly T.N.T.' のテーマ曲や 'Sunshine Day' でワールドワイドにヒットを飛ばしました。
そんなアフロとジャズ・ロック、ラテンの 'クロスオーバー' として、突如現れたこのカメルーン出身のサックス吹き、マヌ・ディバンゴの大ヒット曲 'Soul Makossa' は忘れられません。アフリカからカリブ海一帯の西インド諸島には、スペイン語圏のキューバ〜プエルト・リコを中心にアフロ・キューバンの伝統が息づいております。ここではそんなラテンの新世代として登場したサルサの 'デスガルガ' ともいうべき、ファニア・オール・スターズとの共演。おお、ジョニー・パチェーコ、ボビー・ヴァレンティン、レイ・バレットもいるゾ!さらに、これまたラテンとファンクのレア・グルーヴ的 '折衷主義' ともいうべきTempo 70の 'El Galleton'。
そして、世界は再び '動き続けろ'とばかりに目まぐるしく '45回転' で回り出します。何度でも '地を這う' ようなビートにノッてクールを 'Keep' し続けろとSoul Ⅱ Soulは歌う。キャロンもジャジーBも歳は取りましたがそのグルーヴは永遠に変わらない。あ、そんなキャロン・ウィーラーの最も新しい仕事は、Children of Zeusなる2人組のユニットがフリーで配信したシングル 'U Alone' のリミックスへの参加。このソリッドなグルーヴに乗って哀調ある '体温低め' でウェットな歌声は健在です。
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