かつてソウル・ミュージックしか知らなかったわたしにとって、ジャズは怪しい大人への '入り口' であると同時に警戒すべき '権威' の象徴でした。例えば、モダン・ジャズにおいてR&Bやラテンの要素を取り入れたスタイルを披露すると、途端に頑固な '原理主義者' たちから商業主義に陥っただの、'芸術' としての評価に値しないという厳しい声が浴びせられます。コレ、一方のR&Bの世界でも似た現象があり、アシッド・ジャズにおいてひとつの価値観が提示される以前は、それまでコテコテなファンクをやっていた連中がジャズやフュージョンのスタイルを取り入れると、'大人ぶって' つまらないスタイルに身を売ったという辛口な評価に落とされました。
モダン・ジャズにおいて 'ポップ' というのが一過性(ブーム)への身売りであるなら、R&Bにおいてフュージョンへの希求は、ミュージシャン主体によるテクニックへの 'ひけらかし' に終始したものに映ったのが1970年代という時代でした。その末期にやってきたディスコはミラーボールと共に世界を画一化してしまったものの、このクール&ザ・ギャングは、まさにそんなR&Bとファンク、ディスコとフュージョンの狭間で '綱渡り' 的にバランスを取りながら現在まで活動するファンク・グループの最高峰です。元々ジャズの素養を持ってファンク・グループの活動を開始した彼らは、例えばジョージ・ベンソン1976年の大ヒット 'Breezin'' や、グローバー・ワシントンJrがビル・ウィザーズをフィーチュアした1980年の名曲 'Just The Two of Us' に象徴される(今でいうところの) 'スムース・ジャズ' という市場の先鞭を付け、ミラーボールの回るダンスフロアーに疲れ切ったリスナーと共にジャズの 'ポップ化' として定着します。スペイシーな1974年の 'Summer Madness' はそんな雰囲気を代表する1曲であり、'Dujii' は1971年に打ち出したクール&ザ・ギャングのジャズ・ファンクにして、いわゆる 'レア・グルーヴ/アシッド・ジャズ' クラシックの1曲。
こちらもクール&ザ・ギャング同様、ジャズを素養に持つオハイオ・プレイヤーズ。サンやデイトン、ザップといった同郷のグループを数多く排出したことで、いわゆる 'オハイオ・ファンク' の祖でもあります。この 'Sweet Sticky Thing' などは、まさに彼らのジャジーなファンクを象徴する1曲。このほか、ジャズ・ピアニストのラムゼイ・ルイスがアース・ウィンド&ファイア(EW&F)と共演した1974年の 'Sun Goddess' 含め、ディスコ一色に染まる直前にはフュージョンとファンクの心地良い関係が手を結んでおりました。またジャズの側からは、ハービー・マンの元でジャズ・ロックに染まっていたロイ・エアーズが1970年代に結成したUbiquityがそれに当たるでしょうか。ちなみに一見、不釣り合いな関係に見えるルイスとEW&Fですが、彼らはシカゴからの古いジャズ時代の付き合いで以前に紹介したピート・コージーなどもここに絡んできます。
1970年代初めの 'ファンク革命' は、一方で都市のゲットーに流入した 'ブラック' たちの鬱積した状況を如実に反映します。すでにエスタブリッシュメントされたジャズの世界から見るストリートの風景は、新たに 'ジャズ・ファンク' から 'クロスオーヴァー'、そして 'フュージョン' というかたちで、分散化された聴衆のニーズへと積極的に応えることとなりました。ジャズマンにして大学で教鞭を取っていたドナルド・バードの教え子たちからなるグループ、ザ・ブラックバーズ、コルトレーンの 'アフロ・スピリチュアリズム' から 'エレクトリック・マイルス' の一員として接触することでファンクへと歩を進めたロニー・リストン・スミス、ザ・ラスト・ポエッツと並び 'ストリートの詩人' として強烈なメッセージを叩き付けるギル・スコット・ヘロンなどなど。
また、そんな時代の狭間でもがきながらモダン・ジャズとR&Bの '折衷主義' の先鞭を付けたリー・モーガン。1963年の 'The Sidewinder' の大ヒットは、以降のモーガンを決定付ける 'ジャズ・ロック' として自身のアルバムの1曲目に必ず入れられるようになります。上の動画にあるハロルド・メイバーン作曲の 'I Remember Britt' は、当時のフラワー・ムーヴメントによるフォーキーな風を受けながら、どこかスティーヴィ・ワンダー1969年の 'My Shelly Amor' と同じ匂いを持つメロウなスタイルで、より 'ブラックな' 方向へとシフトするモーガンの一面を見せつけます。当時、モーガンは積極的に黒人の公民権運動へと参加し、Blue Noteで持った最後のセッションである二枚組アルバムでもジョン・コルトレーンの 'アフロ・スピリチュアリズム' に強い憧憬を示しました。このようなR&Bの 'ポップ' とコルトレーンの 'アフロ・スピリチュアリズム' を継承し、フリー・ジャズとバート・バカラックが奇妙に同居するラーサン・ローランド・カークはユニークな存在でしょう。
コルトレーンやアルバート・アイラーとは別の意味で、'アフロ・スピリチュアリズム' の姿勢をゲットーの卑俗なR&Bにぶつけたその特異なスタイルは、スティーヴィー・ワンダーの 'My Shelly Amor' やバート・バカラック作曲でディオンヌ・ワーウィックやアリサ・フランクリンらが取り上げた 'I Say A Little Player' などを、見事な 'カーク節' で歌い上げていきます。
しかし、なんといってもジャズ・ファンク最大のヒットはハービー・ハンコック1973年のアルバム 'Headhunters' でしょう。セールス的に惨敗したマイルス・デイビス1972年のアルバム 'On The Corner' と聴き比べてみれば、そこには現在のブラック・ミュージックが変容するターニング・ポイントが提示されております。
さあ、そんな汗ばむジットリと湿度の高い、吹き付けるような熱気の時期が今年もまたやってきます。真夏という名の狂気の季節が・・。そんなジットリとした真夜中のドライブをクールダウンすべく、まずは米国出身ながら英国で陽の目を見た歌手、マデリン・ベルが英国の作曲家でライブラリー・ミュージックのKPMにも多くの作品を提供したアラン・パーカーと組んだ一曲 'That's What Friends Are For'。時代的にディスコの香りを湛えたジャズ・ファンクでピュイ〜ンと鳴るArpシンセサイザーがたまりません。そして最後はウェルドン・アーヴァインかエディ・ラスか、とクロスオーバー系キーボーディストをいろいろと物色した中から、ここは泥臭いオルガニストから一転、ラリー&フォンスのマイゼル兄弟によるスカイハイ・プロダクションの力で '転向' したジョニー・ハモンドの 'Fantasy' に決定!夏直前の夜空へと飛翔すべく 'ナイト・フライト' のお供にぜひ・・。
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