2016年2月3日水曜日

‘On The Corner’ の為に - 10の欠片 -

マイルス・デイビスの踏み絵として、’On The Corner’ はいつでも新しい聴衆を篩にかけるのを待ち構えている。この黄色いジャケットの意匠は、過去といまの音楽を繋ぐ結節点として常に強い磁場を放っているのだ。以下、10枚からなるアルバムは、’On The Corner’ と同時代に生きながら、デイビスと間接的、もしくは相似的な関係を結ぶためのキーワードとなるべきものである。’On The Corner’ の難解なパズルのピースを各々見つけて頂きたい。



There’s A Riot Goin’ On / Sly & The Family Stone (Epic / Sony) 1971

1960年代後半に鮮烈なデビューを果たし、この1971年の本作でファンクの金字塔を打ち立てたスライ。しかし、大ヒットした ‘Stand !’ から一転、どうしてここまでダウナーで自閉的な内容となってしまったのか。’The Family Stone’ の名義とあるが、実際は、スライ・ストーンのソロ・アルバムとして、チープなリズム・ボックスと編集によりほぼひとりで作り上げている。’Stand !’ に続く大ヒット作ながら以後、スライという自我に苛まれる出発点となった特異な作品でもある。それまでファミリーのように築いてきたバンドが瓦解し、頂点へと上りつめることがそのまま、米国という国家が誇ってきた共同体の崩壊する姿とだぶるスライがここにはいる。ともあれ、そのようなメッセージは置いておくとしても、ここでの冷たいファンクの姿は、デイビスに強烈なイメージと共に次なる ‘On The Corner’ 創作の原動力となった。



Revolution of The Mind: Live At The Apollo Vol. 3 / James Brown (Polydor) 1971

病んでいるスライのファンクは、そのまま全米各地から多くのファンク・バンド興隆のきっかけとなったが、このマスター・オブ・ファンクことジェイムズ・ブラウンと彼の帝国も、すでに古臭くなったソウル・レビュー的ショウアップのスタイルもなんのその、そんな時代の連帯感を受けてまさに最盛期まっただ中にいた。スライの ダウナーなファンクから一転、アッパーな ファンクで疾走するブラウンの強力な統率力はしかし、一方で多くの造反者を生み出し、その巨大な帝国崩壊の足音が近づく序章となる。以降、ブラウンは狭いR&Bの世界を抜け出し、エンタテイナーの大御所としてのポジションに収まっていく。それでも、このワン・アンド・オンリーなスタイルを発明し、全員が一糸乱れずマシーンのようなグルーヴを生み出すブラウンの構成力は、何度褒め称えてもし尽くせない。その強力な統率力は、デイビスにグルーヴを司るためのバンドの扱い方へ大きな影響力を与えている。



Chitinous / The Chitinous Ensemble: Directed by Paul Buckmaster (Vocalion) 1971

原盤はDeram’On The Corner’ の影の立役者であるポール・バックマスターは、イギリスの王立音楽院でクラシックと現代音楽を専攻し、以後、エルトン・ジョンやデイヴィッド・ボウイのアレンジ、映画音楽にプログレッシヴ・ロックの分野でも広く活躍するチェリストであり、作・編曲家となる。本アルバムは、そんなバックマスター唯一のリーダー作であり、ブリティッシュ・ジャズ・ロックの精鋭たちとストリングス、インドのタブラなどが組曲形式による壮大なエレクトリック・オーケストラを展開する。ここには、明らかに ‘In A Silent Way’ ‘Bitches Brew’ からの影響力大であり、それは、‘On The Corner’ への長いイントロダクションと共にバックマスターの青写真を写す一枚となった。




Ashirbad / Badal Roy (AMJ) 1975

原盤はTrio’On The Corner’ のキーパーソンにはいろいろな名前が浮かんでくるが、終始メトロノームの如くテンポを刻むタブラのバダル・ロイの存在は大きいであろう。高音のタブラと低音のバヤのふたつのハンド・ドラムから叩き出されるグルーヴは、デイビスにとって、常に ’On The Corner’ セッション開始のキューの合図に指名され、そこに各自リズムを混ぜ合わせていくものであった。本アルバムは、当時、ロイが在籍していたデイヴ・リーブマンのバンドをバックに、インド・ミーツ・ジャズによる密やかな室内楽アンサンブルを展開するものだ。ちなみに日本制作による企画もの的一枚であり、本来はリーブマンをリーダーにするはずが、契約の関係でスピンオフ的にバダル・ロイをリーダーとした貴重なアルバムでもある。




Dancing Time: The Best of Eastern Nigeria’s Afro Rock Exponents 1973 - 1977 / The Funkees 
(P-Vine / Soundway) 1973 - 1977

原盤はAmbaNigeria EMIで、それらの音源を用いたベスト盤である。’On The Corner’ に欠けていたファンクの連帯感は、ある意味で、遠くナイジェリアの地で米国のファンクやロックに憧れながら、どこかファンクの ‘誤用’ となってしまったアフロ産バンドとの共通項がある。フェラ・クティを始め、ナイジェリアと西アフリカ一帯には数多くの部族とそれぞれに言語とリズムの伝統があり、このザ・ファンキーズも、イボの伝統的なリズムに範を取る6/8のアフロ・ポリリズムによる強烈なグルーヴと、米国のファンク・マナーにそった洗練されたビートの共存に溢れている。特に、ナイジェリアEMI時代にリリースされた7インチ・シングルのグルーヴはポリリズムの嵐で、また’Acid Rock’ という曲など、’On The Corner’ 以降のコンサートバンドで展開するオープニング・ナンバー ‘Rated X’ そのまんま、である。



Tomorrow / “Blackman” Akeeb Kareem and his Super Black Borgs (P-Vine / Hot Casa) 1974

原盤はNigeria EMI。とにかく星の数ほどあるアフロ産バンドだが、その中でも ‘On The Corner’ と近い質感を持つこのアルバムは特筆したい。1966年から1980年代までナイジェリアで活動していたブラックマンは、7枚ほどのアルバムを制作しており、本作は1974年の二作目。最近、ファンページと称したFacebookを立ち上げて健在ぶりをアピールしているが、この本アルバムでの引っくり返ったようなポリリズムの嵐はどうだろう。また、フェイザーのたっぷり効いたギターと並び、この酩酊感にひと味加える当時の最新アイテム、モーグ・シンセサイザーが、さらに ‘On The Corner’ との近似性を露わにする。そして ’Esin Funfun’ では、レゲエのスライ&ロビーによるミリタント・ビートを先取ったようなグルーヴまで披露し、現在の袋小路と言われたようなビート・ミュージックに対してアイデアの宝庫としての存在を誇示する。




King Tubbys meets Rockers Uptown / Augustus Pablo (Get On Down) 1976

原盤はClocktower‘On The Corner’ の秘術的なミックスを手がけるテオ・マセロは、遠くカリブ海の小島で、簡素な機材と共にミックスの換骨奪胎に挑んでいたダブの存在を知っていたのだろうか。ヴァージョンという名のリサイクルによるミックスの再構築は、今や、ストリートを占拠するビート・ミュージックのセオリーとして広く流布しているが、奇しくも、ダブも ‘On The Corner’ もお互いの与り知らないところで同じ到達点へ向かうシンクロニシティの存在であった。ここでは、そんなダブのスタイルを定義したキング・タビーとオーガスタス・パブロのコラボレーションによる名盤を挙げておく。このローファイな質感の中から、オーガスタス・パブロとザ・ロッカーズが提供するメロディカとリディムが、新たな素材としてすべてタビーの手により解体されていく。特にタイトル・ナンバーの、ディレイでバネの効いたようなリディムに変調されたダブルタイムと、断片となって吹っ飛んでいくジェイコブ・ミラーのヴォーカルからなる宙吊りの世界は本作の白眉だ。それまでの音楽の構造をひっくり返したダブの方法論がここにある。




Ceylon c/w Bird of Passsage / Karlheinz Stockhausen (Chrysalis) 1975

‘On The Corner’ に強い影響を及ぼしたシュトゥックハウゼンだが、その逆に、シュトゥックハウゼンへはどのように波及したのだろうか。この1975年の小品は 直観音楽と称して、従来のセリーや図形楽譜からのコンテクストを脱し、即興演奏をさらに直観なる哲学に基づいたコレクティヴ・インプロヴィゼーションにより イメージの具象へ挑んだものである。1970年の大阪万国博の帰りに立ち寄ったスリランカでの体験を元に書いた ‘Ceylon’ と、1975年の ‘Bird of Passage’ B面に配されているが、その ‘Bird of Passage’ の方に、何と息子のマルクスが ‘On The Corner’ に触発されたようなアンプリファイによるトランペットで参加している。クラシックと現代音楽を専攻し、父親の難しいスコアも吹きこなすマルクスだが、一方でジャズにも強い関心を持ち、当時、自らのジャズ・ロックのグループで活動していた。また、本盤ではカールハインツ自らも民俗楽器のKandy Drumやフルートを持ち、演奏に参加しており、ワウワウの効いたトランペットと無調によるエレクトロニクスが錯綜する中、まるでデイビスとシュトゥックハウゼンの擬似共演を聴いているようでもある。




Tales of Captain Black / James “Blood” Ulmer (DIW) 1978

原盤はArtists House。孤立無援であったマイルス・デイビスのエレクトリック・ファンクを継いだのは、何と、あのオーネット・コールマンであった。1975年の活動休止以降、コールマンは自らのエレクトリック・バンド結成のためにレジー・ルーカスとマイケル・ヘンダーソンに声をかける。結局、バンド加入とはならなかったが、ルーカスは同郷のベーシスト、ジャマラディーン・タクマをコールマンに推薦する。1976年の12月にフランスのパリでスタジオに入り、そこから ‘Dancing In Your Head’ ‘Body Meta’ の2枚が生み出されたが、これは ‘On The Corner’ に対するコールマンの遅い返答ともいえる。本アルバムはコールマンの愛弟子、ジェイムズ “ブラッドウルマーの初リーダー作であり、コールマン本人はもちろん、タクマや息子のディナードらとの小編成で ハーモロディクス流ファンクの最もソリッドでプログレッシヴな姿を披露する。伸び縮みするようなファンクやアフロの感覚が、フリーフォームと共に当時の潮流であるパンク、ニューウェイヴとぶつかる様は実に刺激的だ。




Susto / Masabumi Kikuchi (Sony) 1981

マイルス・デイビスのエレクトリック・ファンクに強い憧憬を示し、また、ニューヨークに移住してギル・エヴァンスとの交流を経ながら、デイビスの長期隠遁時期、ラリー・コリエルやTMスティーヴンスと共にデイビスとのセッションに参加した菊地雅章。1976年の ‘Wishes / kochi’ では、日野皓正を始め大挙デイビスの元エレクトリック・バンドのメンバーを集めて、デイビス流のエレクトリック・ファンクと雅楽による和の折衷主義に終始した世界観を提示したが、1981年の本作では、いよいよ ‘On The Corner’ の方法論を用いて、完全にオリジナルのポリリズムと編集によるファンクの脱構築を確立した。また同時期、ほぼ同じメンツによる日野皓正の ‘Double Rainbow’ も同様のコンセプトの姉妹盤である。そして ’On The Corner’ へのオマージュ的内容となったこの年、マイルス・デイビスは6年もの長い沈黙を経て復活する。



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