高度経済成長期日本の1970年代に淘汰された幻影、新映電気株式会社(Sin-ei)。そもそもはギター用ピックアップ、マイク、そしてトランスの専門会社として、細々と1960年代から東京板橋区に居を構え製作、下請け事業などを展開して来ました。その地味な会社の契機は1969年、狂乱の 'GSブーム' 終焉の煽りを受けてTiescoから独立した社員により設立された会社Honeyが同年3月に倒産したことで一変します。この時点でShin-eiはまだ「ギターマイク・ボーカルマイク・トランスの専門メーカー」の看板のまま静かな状態でしたが、横目では欧米から流入してくるニューロック、新たな楽器市場への活路を見出したのか翌1970年(昭和45年)に、それまでのHoney製品として販売されていた各種ペダルが新たに 'Shin-ei' または輸出用の 'Companion' ブランドに付け替えられたラインナップで販路もそのまま一手に引き継ぐこととなるのです。それまでの米国Unicord社のUni-Vox、英国Rose-Morris社のShaftesburyらOEM業務に加えてその数は飛躍的に拡大しました。
ここでの議題はそれから約5年後、零細企業としての 'Shin-ei' が競合他社の追い上げと経営悪化から自社ブランドのペダルのみならず他社製品のOEM業務など '自転車操業' 的になりふり構っていられない姿を素描してみます。そもそも 'Shin-ei' としてHoneyから引き継いだラインナップは国内はもちろん、海外へ多くのOEM製品として様々なブランド名と共に輸出されておりました。基本的にこの時代の 'Maid in Japan' は当時、海外で勃興するMaestro、Colorsound、Electro-Harmonixといった総合的ラインナップを誇る新製品群の中にあって、そのような高価なペダルに手の届かないビギナー、低所得層の為に楽器店のワゴンセールで '慰みモノ' としての供給が主でした(OEMブランド名は各々楽器店の為に付けられたものでもある)。しかし、一方で当時の海外製品にはない独自の設計思想により先駆的ペダルを製作していたところが 'Honey / Shin-ei' の伝説たる所以であることは特筆したいですね。さて、そんな 'Honey / Shin-ei' のフラッグシップ機であったVibra Chorus(Uni-Vibe)とPsychedelic Machineの2種に見る対照的な関係は興味深いです。特に1968年の国内カタログに登場しながら 'OEM専用機' ともいうべきVibra Chorusは 'ブランドロゴ' も付けず、Honey倒産直後から新たにフット・コントローラーを装備した 'Uni-Vibe' としてUnicord社へ供給、その内の一台がジミ・ヘンドリクスの手に渡りロックの伝説を刻み付けます。引き継がれたShin-eiの時代にはUni-Voxのほか、Lafayette Radio Electronics (L.R.E.)のブランドで 'Roto-Vibe' の名がカタログに登場。一方でHoney時代のVibra Chorusはトレモロが追加された 'SVC-1 Vibra Chorus' として筐体も一新すると共にCompanion、Jax、Boomer、NomadのOEMで供給されるなど複雑な展開を見せます(こちらは後のRT-18 Resly Tone & PT-18 Phase Toneの系譜となる)。そしてPsychedelic MachineもHoney時代にはElektraのOEMで供給されましたが、Shin-eiの時代にはこちらも筐体を一新し 'PM-14 Psychedelic Machine' として生まれ変わりました。ちょうどそのHoney倒産からShin-eiへと引き継がれた最初期に、Honey時代の筐体のままCompanionのブランドで供給されたPsychedelic MachineはOEM過渡期の貴重な一台でしょう。さて、以下に述べるそんな複雑極まりない米国 'Unicord / Uni-Vox' と 'Honey / Shin-ei' によるOEMの謎に絡み合った関係に比べれば、英国 'Rose-Morris / Shaftesbury' との関係は比較的シンプルなものでした。その主力商品だったのがBaby Crying FuzzとSuper Effect HA-9PのOEM、Duo Fuzz PedalとSquall Pedalの2種で、カンタベリー・ジャズ・ロックの雄、ソフト・マシーンのマイク・ラトリッジやヒュー・ホッパーらが愛用していたことでも有名です。
ここに国内、海外の中古市場やオークションでよく見かけるペダルを取り上げます。その製品名はOEMブランド名と共に微妙な差異でもって各々名付けられており、一部ですがUni-Vox Micro Fazer、Fernandes Compact Fazer、西ドイツからKent Black Gold Phaser KP-100、国内では 'Uecks' こと植木楽器やマコト商会のMelosによりMini Fazerとして販売されていたこの小さなフェイザーです(ただし 'Melos' や 'Uecks' も海外市場でよく見つかります)。他にディストーションのSquare WaveやコンプレッサーのMini Compなどがありました。しかし、その基板のレイアウトを見ていくとShin-eiやCompanion製品より、1970年代後半に登場するCoronやHMIといった 'MXRコピー' の日本製品との共通点が伺えます。こちらは埼玉県浦和に製造工場があったようで、Ariaブランドを擁する荒井貿易にも納入していたことからそこのOEMも担っていたMelosとの関係性が浮上して来ます...。この辺りの事情はまだまだ詳細な調査が必要であると先に断りを入れた上で、ここでは 'build by Shin-ei' について触れたいと思います。とりあえず、この植木楽器の詳細について分からないことは多いのですが、その考察のひとつとしてあのHoneyの初代社長が植木武紀の名であること(Honeyは植木氏、二代目社長となる鈴木宣男氏、技術畑で後にRolandへ入社する末永氏の元Tiesco3名を中心に設立)。憶測ですけど、この植木楽器の創業者と同一人物ではないかと睨んでおります。この会社のペダルは赤、青、黄とカラフルな色彩と共にチープなプラスティック製品でいかにも海外の 'ワゴンセール' に向けた商品展開をしていたことが伺えますね(海外では 'Kay' ブランドで販売されておりました)。近年、黄色いFuzz ToneはU2のギタリスト、the Edgeが使用したとのことから市場でも高騰しているようです。以下、その植木楽器による 'Uecks' のカタログから3種用意されたペダルの説明文をご紹介しましょう。
さらに、これらの中でもかなりの珍品として上位に来るのが、CompanionのOEMにより '4 in The Floor' なる謎のブランド名で製作したリズムボックスのPercussion Combo。1970年代を象徴する '木目調' 筐体から出て来る素朴なドラムシンセは、そのままオルガン奏者が足で踏んで伴奏する為のものだったことが想起できるでしょう。また 'Honey / Shin-eiの血統' ともいうべき先駆的なヴァイブサウンドは、Shin-eiによるMaestro PS-1のデッドコピーであるResly Machine RM-29からRT-18 Resly Tone & PT-18 Phase Tone、そして 'Shin-ei末期の呪詛' ともいうべきPedal Phase Shifter PS-33からMicro Fazerへと 'ロンダリング' しながら、様々なブランド名と忸怩たる思いでMaestroとMXRにより開陳した 'フェイザーの時代' に対応していたのがOEM黎明期日本の風景でした。
ちなみにUni-VoxやMonacor、Melosブランドで製作された磁気ディスク式エコーEM-200は別の外注による製品でした。その大きな筐体の裏パネルを見てみれば...'Melos Electric Co. Ltd.'。磁気カセットテープ式エコーの '隠れた名機' とされるEcho ChamberをMelosで手がけたことを考えれば、国産エコーマシンはAce ToneやElk、Miranoの片山電子と並びマコト商会の影響力が大きかったことが伺えます。Honeyと並び1960年代後半から展開するMelosは、Maestro FZ-1AのコピーであるFS-1 FuzzderがSuper Fuzzと同じLRE(Lafayette Radio Electronics)のOEMでも輸出され(日伸音波のOEMであるMica Electronicsでも輸出された)、東京神田に居を構えるマコト商会は大阪を拠点とするAce Toneの東京営業所も担っておりました。そんな謎に包まれたマコト商会の姿について1966年頃に入社し、その後は現在も輸入代理店業務を行う神田商会を経て日本初のレンタル楽器会社レオミュージックを起業した長澤尚敏氏の証言は貴重です。昼間は営業をしながら夜は技術学校の夜学で勉強するなど、すでにこの頃から同社の技術部門を育成していたことが伺えます。ちなみに同時期、新映電気もマイクやピックアップ、トランスといった楽器周辺機器の製作など行っていた会社であったことは留意したいですね。'Voice' のブランドで 'GSブーム' の一端を担っていた岩瀬電子の岩瀬有吉氏が海外製品のファズボックスの中身を見て配線やハンダの酷さから、こんなモノで商売になるなら模倣でも良いからより丁寧にきちんとした製品を送り出すべき、というその矜持こそこの時代に蠢く '胎動' が予見した日本の '未来予想図' であったと言えるのです。
"東京に出てきて66年頃にマコト商会ってとこに入るんです。当時、グループ・サウンズが全盛期でレゾーンって会社(の製品)とかプリモのマイクなんかを売ってたの。あとギター用のシールドとかカールコードなんかをそこは作ってたんです。楽器周辺機器みたいなものの販売だね。電気の知識ってのはその仕事をしながら電気の大学の二部に行ってたんだよね。昼間働いて夜に学校っていうスタイルでね。阪田商会(現サカタインクス)っていう神田にある印刷のインクをやってる会社があるんです。阪田商会はインクをやりながらスタジオ用プロ機材、AKGのマイクなんかもやってたのよ、そこは。梯郁太郎さんってのは以前、結核で入院してたことがあるらしいんだよね。その時に阪田商会の誰かが入院してて、いろんな意味で話が合ってそれでそこが出資してAce Toneっていうオルガンの会社を梯さんが大々的に始めるんですよ。私はAce Toneの営業とはあんまり関係なかったけど、なにしろウチは社員が2人しかいなかったから(笑)毎日工場からトラックで来るのを問屋に運んでたんです。Ace Toneがまだリズムボックスとアンプをやってた時代ですね。でも結局、梯さんが阪田商会の営業方針を気に入らなかったんだね。それじゃとてもついていけないってことで、独立してやるってんで作ったのがRolandなんです。
ちなみにMelos FS-1 Fuzzder同様にFZ-1Aの国産デッドコピーとしては、HoneyからShin-eiへと入れ替わる時期にSekovaのOEMとして銀メッキの筐体も眩しいFA-Ⅱが輸出されております。またAce Toneといえば国産第一号ファズといわれるFuzz Master FM-1(Maestro FZ-1のコピー)が有名ですけど、こちらもSekovaと同時期に類似したYack DA-1 Fuzz Boxとして市場に登場。さらにYackのYF-2 Fuzz BoxはShin-eiの時代にラインナップされるFY-2 Fuzzとの関係も指摘されております。海外製ファズボックスの出発点ともいうべき 'Maestroの衝撃' から英国のTone Benderに倣ったGuyatone FS-1 Buzz Box、いち早くアッパーオクターヴの洗礼を市場に開陳するHoney Baby Crying、Guyatone FS-2 Buzz Box、Ace Tone Fuzz master FM-2、Royal RF-1 Fuzz Box、またエンヴェロープとファズのハイブリッドとして先駆的な挑戦する姿勢を見せた意欲作Honey Special Fuzzなど、海外との情報に隔たりのある時代にあって常に 'アンテナの感度' を尖らせていた日本の好奇心がありました。そして1970年代に入るとMelosは 'build by Shin-ei' とは別に、サンダー電子のRoyal、荒井貿易のAriaといった製品のOEMを手がけるなどこちらも混迷を極めます。また、スプリング・リヴァーブといえば単体の製品としてHoneyの時代からトレモロとセットになったラックサイズのEcho Reverb ER-1P、Shin-eiではフットペダル型へと変更されたER-23などが有名ですが、海外へはL.R.E.のOEMとしてLafayette Echo-VerbというPA向けの製品が輸出されました。さて、そんなOEM黎明期の裏方を疾駆する新映電気の正確な倒産時期は不明ですが、すでにBossの台頭する1970年代後半には市場からその姿を消していたようです。この辺りからGrecoやGuyatone、Elk、'Maxon / Ibanez' の日伸音波製品などに染み付いていた下請けとしての 'Maid in Japan' が終焉を告げ、'Japan as No.1' として海外でも大きな影響力を誇示するイメージの転換を図ることは論を待ちません。まさに 'つわものどもが夢の跡'...まるで嵐のように種を蒔いた '革命の輸出' は、その後の日本が世界第二位にまで上り詰める序章であったことをいま変化を恐れ老いた落日の日本でどう考えるか、何をすべきかの契機であることを願ってやみません。
- 梯
あのね、三味線なんですよ。三味線のルーツは中国だけど、日本独特のアイディアが加わったんです。日本の三味線は、一の糸(最も低音の弦、ギターとは数え方が逆)だけが上駒(ギターで言うナットにあたる部分)がなくて指板に触れている。だから、二の糸、三の糸の弦振動は楕円運動で上下左右対称に振動するのに対して、一の糸は非対称の波形で振動して、なおかつ弦が指板に当たることで独特の歪み音を作っていたわけです。それが三味線の演奏上、非常に生きていた。そしてその後、三味線を見習ったわけじゃなく、ギタリストがそういう音を欲しがったんです。耳で見つけ出してね。あとから考えると、昔の人もファズ的な音の必要性を感じたんでしょう。3本の弦のうち1本を犠牲にするほどの意味を持っていたわけですから。
- 1960年代当時は、どうやってあの音を模索したんですか?。
- 梯
プレイヤーの皆さんはいろんなことを試しましたよ。スピーカーのコーン紙を破ってみたりしてね。もちろんどれも結果的には失敗だったんですけど、音としては、弾いたものが非対称に振動して、その時に原音とまったく異なった倍音構成を持つ音をともなって出てくるというのがファズの概念だったんじゃないかな。そもそもファズの定義がありませんでしたし、電気回路として考えたら無着苦茶な回路なんです。でも音楽家の耳がその音を要求したことでそれが生まれた。頭の堅い電気屋にはとうてい出てこない回路ですよ。
- 当時すでにアンプに大入力を入れたオーバードライブ・サウンドは発見されてましたよね?。
- 梯
ありましたよ。ただ、オーバードライブは入力信号が左右対称で、ギターの音っていうのはバーン!と弾いた時が振幅が大きくて、だんだん小さくなっていきますよね。その上下のピークがアンプ側によって削られる、これが技術的に見たオーバードライブの音だった。特にギターは、バーンと弾いた時の振幅が非常に大きいから歪むことが多かったんです。で、当時のアンプはすべて真空管ですよね。真空管はセルフ・バイアスという機能をちゃんと持っていて、大きな信号が入ってくるとバイアス点が変わって歪むポイントも変わるんですよ。そうすると独特の歪みになる。これが、同じ歪みでもトランジスタと比べて真空管の歪みの方が柔らかいとか、耳あたりがいいと感じる理由なんです。まぁ、オーバードライブとかディストーションとか、呼び分けるようになったのはもっとあとの話でね、中でもファズは波形を非対称にするものだから、独立した存在でした。
- マエストロのファズ・トーンが発売された1962年頃、梯さんはすでにエース電子を設立していますが、その当時日本でファズは話題になったんですか?。
- 梯
ほとんど使われなかったですね。ジミ・ヘンドリクスが出てきてからじゃないかな、バーっと広まったのは。GSの人たちはそんなに使ってなかったですよ。使っていたとしても、使い方がまだ手探りの段階だったと思います。
- 国内ではハニーが早くからファズを製作していましたよね。ハニーはトーンベンダー・マークⅠを参考にしたという説もありますが。
- 梯
いやいや、そんなことはないんですよ。彼ら自身が耳で決めたのだと思います。ハニーを設計した人物はその後にエーストーン、ローランドに入社した人ですからその辺の事情は聞いてますけど、ハニーは歪んだ音にエッジをつけて微分する・・要するに低音部を抑えて、真ん中から上の音を強調する回路になっていて、当時としては新しい種類の音でしたね。
- エーストーンも今や名機とされるファズ・マスターFM-2、そしてFM-3を発売しています。これらは70年代に入った頃に発売されていますが、当時の売れ行きはどうでしたか?。
- 梯
両方ともよく売れてましたよ。よくハニーとの関連について聞かれるんだけど、設計者は別の人です。
- そしてその後にローランドを設立するわけですが、ローランド・ブランドではBeeGeeやBeeBaaといったファズを早々に発表しています。やはり需要はあったということですよね?。
- 梯
ありましたね。鍵盤なんかとは違って店頭で売りやすい商品だったのと、その頃にはファズがどういうものかということをお客さんもわかってきていたから。あと面白い話があって、ローランドのアンプ、JC-120の開発もファズと同時期に進めていたんです。根本に戻るとこのふたつは同時発生的に始まっていて、片一方は歪み、片一方はクリーンという対極的な内容のものを作ろうとしていたんですね。そしてJCのコーラスのエンジン部分を抜き出したのが、単体エフェクターのCE-1なわけです。
- そうだったんですね。また、当時の特徴として、ファズとワウを組み合わせたモデルも多かったですよね?。ローランドだとDouble Beat (AD-50)なんかも出てますし。
- 梯
そうですね。ファズを使うことでサスティンが伸びるでしょ。そのサスティンを任意に加工できるのがワウだったんです。音量を変えたり、アタックを抑えてだんだん音が出るようにしたりできたから。
- 当時を改めて振り返って、思うところはありますか?。
- 梯
ハードとソフト、要するにメーカーとプレイヤーの関係は、ハードが進んでいる場合もあるし、ソフトが進んでいる場合もあるんですけど、ファズに関しては音楽家が一歩先を行っていたということですね。それを実現するのに、たまたま半導体が使えたことでこれだけ普及したんだと思います。
- なるほど。その後70年代後半〜90年頃まで 'ファズ' 自体が消える時代がありますが。
- 梯
いや、消えたんじゃなくて、ハード・ロックが出てきて音質がメタリックなものに変わっただけなんです。当初のファズのようにガンガン音をぶつけるんではなく、メロディを弾くためにああいう音に変わった。メタル・ボックスとか、メタライザーとかって名前をつけてましたけど、あれはファズの次の形というか、ファズがあったからこそ見つかった音なわけです。時代で考えてもそうで、ファズがあれだけ出回ったことで、次にハード・ロックが出てきたという自然な流れがあったんだと思います。
- そして90年代にはグランジ/オルタナの流行によって、ファズが再評価されるようになりますね。
- 梯
それは音楽の幅が広がったからですよ。当初、ファズは激しい音楽の部類にしか使われなかったけど、ギターの奏法面でも向上とともに、最初にあった音が見直された。メタリックに歪むものより、あえて昔のファズであったり、OD-1であったりの音でメロディックに弾こうとしたんでしょうね。
- 今ファズを製作している各メーカー、ガレージ・メーカーに対して、梯さんが思うことは?。
- 梯
新しい人が新しい目標でやられるのはいいことです。でも、特定のプレイヤーの意見だけではダメ。10人中10人に受け入れられる楽器なんてないですけど、10人のうち3人か4人が賛同してくれるなら作る意味があると思います。それに、流行があとからついてくるパターンもたくさんあって、ローランドのCE-1なんてまさにそのパターン。1年半売れなかったのに、ハービー・ハンコックがキーボードに使っている写真が雑誌に出たのがきっかけで爆発的に売れたんです。もともとギタリスト向けに作ったのに(笑)。そういう風に、使い道をミュージシャンが見つけた時に真価が出てくることもありますよ。
- ありがとうございました。最後にファズを使っているギタリストに何かメッセージを。
- 梯
何のためにファズを使うのか、もしくは使おうとしているのか、それをもう一度考えてほしいなぁと思います。そして、演奏技法をクリエイトしてもらえると、楽器を作っている者としては嬉しいですね。
さて以下、Ace ToneのMulti-Vox EX-100は素晴らしい 'お宝探知能力' を持つEdさんにお任せするとして(笑)、米国、英国、スウェーデン、ドイツ、ブラジル、日本...これらは私が世界のネットワークの中から探している今から50年も前の古いペダルたちです(現在、断捨離中なのに懲りない...💦)。上で長々と記述した '世界同時革命' による大量の '日陰者' というべきペダル群の中から、HoneyのSuper Effect HA-9PとSpecial Fuzzは技術者の '過剰' 溢れる壮大な挑戦と '挫折' の結果だと思うのです。ソレはまだどこにも届いていないのですね...誰かに見つけられるのを待っている。わたしの関心は "昔は良かったね" と過去のコレクションを懐かしむことではなく、大量消費社会にあった時代の中で産み落とされながら見つけられなかったもの、捨て置かれていたものの中に内包する '過剰' を見出し再評価することにあります。20世紀という巨大な 'アーカイブ' からデータを引っ張ってくる現代においてタイムレスな製品、音楽の '過剰' に触れること。
それほど珍しくないOberheimのフェイザーP-100。同一モデルでMaestro版のMini Phase MPS-2はそこそこ市場に現れますが、そこはシンセサイザーのOberheimブランドということでなぜかP-100の方の価値が高騰中...。ちなみにMPS-2よりP-100の方が優れているのはDC9V供給出来る仕様となっていること。以前、都内楽器店で状態良好のモノが3万ちょいで長らく売れ残っており、今さらながらアレを買っておけば良かったと大後悔です。本機の姉妹機であるVoltage Controlled Filter VCF-200を箱付きで所有していることから、このP-100も揃えてコンプリートしたいという欲求だけだったりする(笑)。本当はココにOberheim版のRing Modulatorも揃えてこそ完璧なのだけど、アレはまず市場では見かけないし出て来たらもの凄い価格に釣り上がります(以前、ジャンク状態のモノがReverb.comに出ましたがあっという間の高騰ぶり!)。ちなみにOberheimのラインナップにはこのPhasorを内蔵した謎のギターアンプ(若かりし頃のオアシスのロリー・ギャラガーも愛用)や、1970年代後半のオーバーハイムの友人であるボブ・イーストンが立ち上げた会社360 Systemsでほぼ '協業体制' により、ギターシンセサイザーのThe Spectreなどを手がけておりまする。
- Jennings Cyclone -
英国のVoxとも深い繋がりを持つJenningsは、独創的な操作で俗に 'ツイスト・シリーズ' とも言うべきラインナップを展開しました。ワウのGlowlerやトレモロのRepeaterはすでに知られた存在でしたが、このシリーズには '英国紳士' 的ハンマートーンの筐体から思いも寄らない '飛び道具' で不意打ちが仕掛けられていたことを忘れてはいけません。Cycloneと題されたこのマルチエフェクツは、ワウファズに加えてなんと 'Silen' と 'Tornedo' のノイズ効果を搭載。はて?この効果といえば我が日本から世界に発信されたマルチエフェクツ、Super Effect HA-9Pとの関係性を知りたくなるのが人情というもの。その '卵が先か鶏が先か' の真意は未だ藪の中ですが、このレアペダルをJHS Pedals主催のジョシュさんのコレクションから動画で開陳したことでわたしの '指名手配' に加わりました(笑)。ちなみに本機のシリーズとしては、ロータリー効果による 'フェイズワウ' の姉妹機Bushwhackerというペダルも用意されております。
→Arbiter Electronics Soundette ①
→Arbiter Electronics Soundimension
→Arbiter Electronics Add-A-Sound
Arbiterから登場したSoundimensionとSoundetteはBinson Echorecと同様の磁気ディスク式エコーであり、1968年に僅か1年あまりの短命であったSoundetteは翌年、ポータブルラジオのような持ち運び可能のユニークなデザインのSoundimensionで一新しました。この会社はジミ・ヘンドリクスが愛用したファズ・ボックス、Fuzz Faceを製作していた英国のメーカーとしても有名です。またアッパー・オクターヴの効果を持つAdd-A-Soundはフランク・ザッパも愛用しました。現在、その超レアなSoundetteがeBayに出品中...完動品ですけど肝心のエコー音が出力しないとかで修理に難儀しそうだからか皆、なかなか手を出しませんね(その割にメチャクチャ高値が付けられてる)。そんなSoundimensionはジャマイカのレゲエ、ダブ創成期に多大な影響を与えたプロデューサー、コクソン・ドッドが愛した機器で、ドッドはよほどこの機器が気に入ったのか、自らが集めるセッション・バンドに対してわざわざ 'Sound Dimension' と名付けるほどでした。後には自らミキシング・コンソールの前を陣取り 'Dub Specialist' の名でダブ・ミックスを手掛けますが、そんな彼のスタジオStudio Oneでドッドの片腕としてエンジニアを務めたシルヴァン・モリスはこう説明しております。
"当時わたしは、ほとんどのレコーディングにヘッドを2つ使っていた。テープが再生ヘッドを通ったところで、また録音ヘッドまで戻すと、最初の再生音から遅れた第二の再生音ができる。これでディレイを使ったような音が作れるんだ。よく聴けば、ほとんどのヴォーカルに使っているのがわかる。これが、あのスタジオ・ワン独特の音になった。それからコクソンがサウンディメンションっていう機械を入れたのも大きかったね。あれはヘッドが4つあるから、3つの再生ヘッドを動かすことで、それぞれ遅延時間を操作できる。テープ・ループは45センチぐらい。わたしがテープ・レコーダーでやっていたのと同じ効果が作れるディレイの機械だ。テープ・レコーダーはヘッドが固定されているけど、サウンディメンションはヘッドが動かせるから、それぞれ違う音の距離感や、1、2、3と遅延時間の違うディレイを作れた。"
→Frogg Compu-sound - Digital Filtering Device
こんなカタチしてますけどペダルなんです。1970年代後半にFroggという会社がFoxxに依頼してわずか100台ほどしか製作されなかったエンヴェロープ・フィルターで、一目でFoxx製と分かる専用エクスプレッション・ペダルのほか、プログラマブルな100個のプリセットをいかにも '初期デジタル風' なEL管表示のデジタル・カウンターによるテンキー操作で '電卓ライク' なルックスがたまりません。ちょうど同時代のYMOの使用で有名となったRplandのデジタル・シーケンサーMC-8を彷彿とさせますが、実際の中身はアナログ回路で構成されているようです(笑)。当時の広告でも 'The Guitar Computer' などと大々的に謳ってますけど、これってWMD Geiger Counterが登場した時と同じような 'デジアナ論争' ?というか、デジタル・カウンターが表示されれば人はすぐに中身もそうだと思い込んでしまう潜入意識がありますよね(笑)。こーいうハッタリ具合もそそられる魅力満点でして、Youtubeの動画で聴いてみれば実は地味なフィルタリングの '質感生成' に特化したヤツっぽいです。欲し〜。数年前に立て続けでReverb.comに出品された時があったんだけど、その時無理して買っときゃよかったな(悲)。
え〜っと、去年の暮れにジャンクとはいえメルカリに出品されてたらしいですね...。不覚にも完全にノーマークで気が付きませんでした(悲)。1ヶ月後に何気なく検索してみて...ガーッン(呆然)。ほんと去年最大の失敗ですヨ、あーあ...。
さて、気を取り直して...っと(ため息は吐くばかり...)、国産といえば日本初のファズボックスを製作し、後に独立してRolandを設立する梯郁太郎氏が手がけたブランド、Ace Toneことエース電子工業株式会社。Fuzz MasterやWah Masterは知っていてもこの管楽器用オクターバー、Multi-Vox EX-100を製作していたことはほとんど知られておりません。当時、39,000円というあまりにも高価格の設定とそのニッチな需要から現在までこの実物を見たことがないのですヨ(というかメルカリ見逃してた...もういいって!?苦笑)。わたしも当時の雑誌広告など資料は揃えましたが、あのEffects Databaseにも未だ網羅されていない為、どなたかより詳細な本機の情報を求ム(実際に使用した日野皓正さんや村岡建さんはもう忘れてるだろうなあ...)。というか、上述した 'ジャンクEX-100' 入手された方はネットで本機の詳細などお伝え下されば幸いです〜。またAce Toneは1968年にHammondと業務提携をして、本機もOEMのかたちで米国に輸出する旨がアナウンスされていたことを1969年のカタログから確認出来ますね。
● exciting and dramatic
● new tonal dimensions
More than mere amplification. A convenient transistorized package complete with microphone attachments for saxes. clarinets and brass. Will provide variety of sounds. singly and in unison, octaves up and down, mellow of bright.
しかし 'Inquire for details and prices' と強調されているのを見ると日本から現物が届いておらず、カタログでアナウンスされたものの米国では発売されなかった感じですね。実際、これまでeBayやReverb.comなど海外のオークションサイトで現物を見かけたことはありません。今のところ、Multi-Vox唯一の音源として残されているのは1970年に日野クインテットが手がけた東宝映画 '白昼の襲撃' のO.S.T.盤。そのタイトル曲である 'Super Market' (3曲目)から日野さんの吹くソロで影のように追従する蒸し暑いオクターヴトーンが聴けますけど、これはオクターヴトーンのカットされた45回転シングル盤とは別テイクのミックスでO.S.T.盤でしか味わえない貴重な音源となります。そして、2013年にCD化されたサックス奏者、原信夫とシャープス&フラッツの1968年から70年までのライヴを収めたアルバム 'At The Jazz Festival '68 - '70' で、68年9月のライヴ音源によるチャールズ・ロイドの大ヒット曲 'Forest Flower' をどうぞ。この時期、原さんは自身のサックスをH&A Selmer Varitoneによる 'アンプリファイ' でビッグバンドを率いていたのですが、こちらの 'Forest Flower' で4管からなるブラスセクションのリードソロに発売間近(68年10月から雑誌に広告初出)のAce Tone Multi-Vox使用と思しきクランチーなソロを披露しております!。'Bright' スイッチと 'Super Octave' スイッチをOnにしてチリチリとディストーショナルなラッパの音色から一部ハウりそうな部分もありますが、これは格好良いですねえ!。多分、Ace Toneによるステージでの新製品お披露目的なモニターで使ってもらったのだろうと推測します。
⚫︎1969年6月27、28日 クインテットによる「日野皓正のジャズとエレクトロ・ヴィジョン 'Hi-Nology'」コンサート開催(草月会館)。写真家の内藤忠行のプロデュースで司会は植草甚一。第一部を全員が 'Like Miles'、'Hi-Nology'、'Electric Zoo' を電化楽器で演奏。第二部は「スクリーン映像との対話」(映画の公開ダビング)。「うたかたの恋」(桂宏平監督)、「POP 1895」(井出情児監督)、「にれの木陰のお花」(桂宏平監督)、「ラブ・モア・トレイン」(内藤忠行監督)の5本、その映像を見ながらクインテットがインプロヴァイズを行い音楽を即興で挿入していった。コンサートの最後にクインテットで 'Time and Place' をやって終了。
- エレクトリック・トランペットをマイルスが使い始めた当時はどう思いましたか?。
"自然だったね。フレイズとか、あんまり吹いていることは変わってないなと思った。1970年ごろにニューヨークのハーレムのバーでマイルスのライヴを観たんだけど、そのときのメンバーはチック・コリアやアイアート・モレイラで、ドラムはジャック・ディジョネットだった。俺の弟(日野元彦)も一緒に観に行ってたんだけど、弟はディジョネットがすごいって彼に狂って、弟と "あれだよな!そうだよな!" ってことになって(笑)。それで電気トランペットを俺もやり始めたわけ。そのころ大阪万博で僕のバンドがああいうエレクトリックのスタイルで演奏したら、ヨーロッパ・ジャズ・オールスターズで来日中だったダニエル・ユメールに "日野はマイルスの真似しているだけじゃないか" って言われたことがあるんだけどね。"
- 1970年代にあなたは電化したサックスで実験されましたよね。あなたのサックスを電化するにあたり用いたプロセスはどのようなものでしょう?。
そんなMulti-Voxと組み合わせて使うモノなのかは分かりませんが、Ace Toneから同時期発売されていたのがMic Adapter MP-1という2チャンネルのアクティヴDI(9V電池駆動)。入力ゲイン自体低く設定(経年劣化?)されておりH.I.、L.I.各々2つずつ計4つの入力があるなどミキサーとしての機能も備わっております。出力がバランスのXLRではなくアンバランスのフォンなのは古い時代ならではですけど(苦笑)、本機の使い方を考えてみれば管楽器のベルに立てたダイナミックマイクの収音をCh.1のL.I.、Multi-Voxからピエゾ・ピックアップで収音したものをCh.2のH.I.に入力してミックスするということでしょうか?。ちなみにわたしの所有品から生えている出力ケーブルは柔らかかったです(笑)。
今回の座談会は、去年あたりから市販されて非常に話題になっているエレクトリック・インストゥルメントとしてのサックスやドラムといったようなものが開発されていますが、その電気楽器の原理が一体どうなっているのか、どういう特性をもっているのか、そしてこういったものが近い将来どうなっていくだろうかといったようなことを中心にお話を聞かせていただきたいと思います。そこでまずエース電子の梯さんにメーカーの立場から登場していただき、それからテナー奏者の松本英彦さんには、現在すでにエレクトリック・サックスを時おり演奏していらっしゃるという立場から、菅野沖彦さんには、ジャズを録音していくといった、それぞれの立場から見たいろんなご意見をお伺いしたいと思うんです。
まず日本で最初にこの種の製品を開発市販された梯さんに電化楽器というものの輪郭的なものをお話願いたいと思うんですが。
- 梯
電気的に増幅をして管楽器の音をとらえようというのは、もう相当以前からあったんですが、実際にセルマーとかコーンとかいった管楽器の専門メーカーが商品として試作したのは3年ぐらい前です。それが2年ぐらい前から市販されるようになったわけです。
- 児山
これは結局いままでのエレクトリック・ギターなどとは別であると考えていいわけですか。
- 梯
ええ、全然別なんです。これらの電化管楽器が、ギターなどと一番違うところは、コードのない単音楽器だけができる電気的な冒険というのが一番やりやすいわけです。といいますのは、コードになった時点からの増幅段というのは絶対に忠実でなければならない。ところが単音というのはどんな細工もできるわけです。この単音のままですと、これはまだ電子音なんです。そこに人間のフィーリングが入って初めて楽音になりますが、そういった電気的な波形の冒険というのが、単音楽器の場合いろいろなことができるわけです。その一例として、オクターブ上げたり下げたりということが装置を使うと簡単に実現することができるんです。コードの場合はその一音づつをバラバラにしてオクターブ上げたり下げたりしてまた合接する・・これはちょっと不可能なわけですね。
- 児山
これら電化楽器のメリットというか特性的なことをいまお話し願いましたが、そこでいかにして電気的な音を出しているのかという原理をサックスに例をとってわかりやすくお願いしたいんですが。
- 梯
現在市販されているものを見ますと、まずマイクロフォンを、ネックかマウスピースか朝顔などにとりつける。そのマイクもみんなエア・カップリング・マイク(普通のマイク)とコンタクト・マイク(ギターなどについているマイク)との中間をいくようなそういったマイクです。ですからナマのサックスの音がそのまま拾われてるんじゃなくて、要するに忠実度の高いマイクでスタジオでとらえた音とはまったく違うものなんですよ。むしろ音階をとらえてるような種類のマイクなんです。音色は、そのつかまえた電気のスペースを周波数としてとらえるわけです。それを今度はきれいに波を整えてしまうわけです。サックスの音というのは非常に倍音が多いものですから基本波だけを取り出す回路に入れて今度はそれを1/2とか1/4とか、これは卓上の計算機のほんの一部分に使われている回路ですけど、こういったものを使ってオクターブ違う音をつくったりするわけですよ。これらにも2つのモデルがあって、管楽器にアタッチメントされている物ですと、むしろ奏者が直ちに操作できることを主眼に置いて、コントロール部分を少なくして即時性を求めてるものと、それから複雑な種々の操作ができるということに目標を置いた、据え置き型(ギブソンのサウンド・システム)といったものがあるわけです。
- 児山
これで大体原理的なことはわかりますが。
- 菅野
わかりますね。
- 松本
ところが、これから先がたいへんなんだ(笑)。
- 児山
じゃ、そのたいへんなところを聞かせてください。それに現在松本さんはどんな製品を・・。
- 松本
現在セルマーのヴァリトーンです。しかし、これどうも気に入らないので半年かかっていろいろ改造してみたんだけど、まだまだ・・。サックスは、サックスならではの音色があるんですよ。それがネックの中を通して出る音はまず音色が変わるんですね。それから、音が出てなくてもリードなどが振動していたり、息の音などが拾われて、オクターブ下がバァーッと出るんですよ。
- 梯
それはコンタクト・マイクの特性が出てくるわけなんです。
- 菅野
わずかでもエネルギーがあればこれは音になるわけですね。
- 梯
ですから、マウス・ピースに近いところにマイクをつけるほど、いま松本さんのいわれたような現象が起るわけなんです。かといって朝顔につけるとハウリングの問題などがあるわけなんです。
- 松本
ちっちゃく吹いても、大きなボリュームの音が出るというのは、サックスが持つ表情とか感情というものを何か変えてしまうような気がするねェ。一本調子というのかなあ。それに電気サックスを吹いていると少し吹いても大きな音になるから、変なクセがつくんじゃないかなんて・・。初めオクターブ下を使ってたとき、これはゴキゲンだと思ったけど、何回かやってると飽きちゃうんだね。しかし、やっぱりロックなんかやるとすごいですよ。だれにも音はまけないし、すごい鋭い音がするしね。ただ、ちょっと自分自身が気に入らないだけで、自分のために吹いているとイージーになって力いっぱい吹かないから、なまってしまうような...。口先だけで吹くようになるからね。
- 児山
それもいいんじゃないですか。
- 松本
いいと思う人もありますね。ただぼくがそう思うだけでね。電気としてはとにかくゴキゲンですよ。
- 児山
いま松本さんが力強く吹かなくても、それが十分なボリュームで強くでるということなんですが、現在エレクトリック・サックスの第一人者といわれるエディ・ハリスに会っていろんな話を聞いたときに、エレクトリック・サックスを吹くときにはいままでのサックスを吹くときとはまったく別のテクニックが必要であるといってました。
- 松本
そうなんですよ。だからそのクセがついてナマのときに今度は困っちゃうわけ。
- 児山
だから、ナマの楽器を吹いているつもりでやると、もうメチャクチャになって特性をこわしてしまうというわけです。結局エレクトリック・サックスにはそれなりの特性があるわけで、ナマと同じことをやるならば必要ないわけですよ。その別のものができるというメリット、そのメリットに対して、まあ新しいものだけにいろんな批判が出てると思うんですよね。いま松本さんが指摘されたように音楽の表情というものが非常に無味乾燥な状態で1本やりになるということですね。
- 松本
ただこの電気サックスだけを吹いていれば、またそれなりの味が出てくるんだろうと思うんですが、長い間ナマのサックスの音を出していたんですからね・・。これに慣れないとね。
- 児山
やっぱりそういったことがメーカーの方にとっても考えていかなきゃならないことなんですかね。
- 梯
ええ。やはり電子楽器というのは、人間のフィーリングの導入できるパートが少ないということがプレイヤーの方から一番いやがられていたわけです。それがひとつずつ改良されて、いま電子楽器が一般に受け入れられるようになった。しかし、このエレクトリック・サックスというのはまだ新しいだけに、そういう感情移入の場所が少ないんですよ。
- 松本
ぼくが思うのは、リードで音を出さないようなサックスにした方がおもしろいと思うな。だって、実際に吹いている音が出てくるから、不自然になるわけですよ。
- 梯
いま松本さんがいわれたようなものも出てきてるわけなんですよ。これは2年前にフランクフルトで初めて出品された電気ピアニカなんですが...。
- 松本
吹かなくてもいいわけ...。
- 梯
いや吹くんです。吹くのはフィーリングをつけるためなんです。これは後でわかったのですが、その吹く先に風船がついていて、その吹き方の強弱による風船のふくらみを弁によってボリュームの大小におきかえるという方法なんです。ですから人間のフィーリングどうりにボリュームがコントロールされる。そして鍵盤の方はリードではなく電気の接点なんです。ですからいままでのテクニックが使えて、中身はまったく別のものというものも徐々にできつつあるわけなんです。
- 松本
電気サックスの場合、増幅器の特性をなるべく生かした方が...いいみたいね。サックスの音はサックスの音として、それだけが増幅されるという...。
- 菅野
いまのお話から、われわれ録音の方の話に結びつけますと、電子楽器というものは、われわれの録音再生というものと縁があって近いようで、その実、方向はまったく逆なんですよね。電子楽器というのは新しい考え方で、新しい音をクリエートするという方向ですが、録音再生というのは非常に保守的な世界でして、ナマの音をエレクトロニクスや機器の力を使って忠実に出そうという...。というわけで、われわれの立場からは、ナマの自然な楽器の音を電気くさくなく、電気の力を借りて...という姿勢(笑)。それといまのお話で非常におもしろく思ったのは、われわれがミキシング・テクニックというものを使っていろいろな音を作るわけですが、電子楽器を録音するというのは、それなりのテクニックがありますが、どちらかというと非常に楽なんです。電子楽器がスタジオなりホールなりでスピーカーからミュージシャンが音を出してくれた場合には、われわれはそれにエフェクトを加える必要は全然ない。ですからある意味ではわれわれのやっていた仕事をミュージシャンがもっていって、プレーをしながらミキシングもやるといった形になりますね。そういうことからもわれわれがナマの音をねらっていた立場からすれば非常に残念なことである...と思えるんですよ。話は変わりますが、この電化楽器というのは特殊なテクニックは必要としても、いままでの楽器と違うんだと、単にアンプリファイするものじゃないんだということをもっと徹底させる必要があるんじゃないですか。
- 梯
現在うちの製品はマルチボックスというものなんですが、正直な話、採算は全然合ってないんです。しかし、電子楽器をやっているメーカーが何社かありますが、管楽器関係のものが日本にひとつもないというのは寂しいし、ひとつの可能性を見つけていくためにやってるんです。しかし、これは採算が合うようになってからじゃ全然おそいわけですよ。それにつくり出さないことには、ミュージシャンの方からご意見も聞けないわけですね。実際、電子管楽器というのは、まだこれからなんですよ。ですからミュージシャンの方にどんどん吹いていただいて、望まれる音を教えていただきたいですね。私どもはそれを回路に翻訳することはできますので。
- 菅野
松本さん、サックスのナマの音とまったく違った次元の音が出るということがさきほどのお話にありましたね。それが電子楽器のひとつのポイントでもあると思うんですがそういう音に対して、ミュージシャンとしてまた音楽の素材として、どうですか...。
- 松本
いいですよ。ナマのサックスとは全然違う音ならね。たとえば、サックスの「ド」の音を吹くとオルガンの「ド」がバッと出てくれるんならばね。
- 菅野
そういう可能性というか、いまの電気サックスはまったく新しい音を出すところまでいってませんか。
- 梯
それはいってるんですよ。こちらからの演奏者に対しての説明不十分なんです。要するに、できました渡しました...そこで切れてしまってるわけなんです。
- 菅野
ただ、私はこの前スイングジャーナルで、いろんな電化楽器の演奏されているレコードを聴いたんですが、あんまり変わらないのが多いんですね。
- 児山
どういったものを聴かれたんですか?。
- 菅野
エディ・ハリスとか、ナット・アダレーのコルネット、スティーブ・マーカス・・エディ・ハリスのサックスは、やっぱりサックスの音でしたよ。
- 梯
あのレコードを何も説明つけずに聴かせたら、電子管楽器ということはわからないです。
- 児山
そうかもしれませんが、さきほど菅野さんがおっしゃったようにいまそういったメーカーの製品のうたい文句に、このアタッチメントをつけることによってミュージシャンは、いままでレコーディング・スタジオで複雑なテクニックを使わなければ創造できなかったようなことをあなた自身ができる、というのがあるんです。
- 菅野
やはりねェ。レコーデットされたような音をプレイできると...。
- 梯
これはコマーシャルですからそういうぐあいに書いてあると思うんですが、水準以上のミュージシャンは、そういう使い方はされていないですね。だからエディ・ハリスのレコードは、電気サックスのよさを聴いてくださいといって、デモンストレーション用に使用しても全然効果ないわけです。
- 菅野
児山さんにお聞きしたいんですが、エディ・ハリスのプレイは聴く立場から見て、音色の問題ではなく、表現の全体的な問題として電子の力を借りることによって新しい表現というものになっているかどうかということなんですが...。
- 児山
そもそもこの電気サックスというのは、フランスのセルマーの技師が、3本のサックスを吹く驚異的なローランド・カークの演奏を見てこれをだれにもできるようにはならないものかと考えたことが、サックスのアタッチメントを開発する動機となったといわれてるんですが、これもひとつのメリットですよね。それに実際にエディ・ハリスの演奏を聴いてみると、表情はありますよ。表情のない無味乾燥なものであれば絶対に受けるはずがないですよ。とにかくエディ・ハリスは電気サックスを吹くことによってスターになったんですからね。それにトランペットのドン・エリスの場合なんか、エコーをかけたりさらにそれをダブらせたりして、一口でいうならばなにか宇宙的なニュアンスの従来のトランペットのイメージではない音が彼の楽器プラス装置からでてくるわけなんです。それに音という意味でいうならば、突然ガリガリというようなノイズが入ってきたり、ソロの終わりにピーッと鋭い音を入れてみたり、さらにさきほど松本さんがいわれたように吹かなくても音がでるということから、キーをカチカチならしてパーカッション的なものをやったりで...。
- 松本
私もやってみましたよ。サックスをたたくとカーンという音が出る。これにエコーでもかけると、もうそれこそものすごいですよ(笑)。
- 児山
エディ・ハリスの演奏の一例ですが、初め1人ででてきてボサ・ノバのリズムをキーによってたたきだし、今度はメロディを吹きはじめるわけなんです。さらに途中からリズム・セクションが入るとフットペダルですぐにナマに切り換えてソフトな演奏をするというぐあいなんですよ。またコルトレーンのような演奏はナマで吹くし、メロディなんかではかなり力強くオクターブでバーッと...。つまり、彼は電気サックスの持つメリットというものを非常に深く研究してました。
- 菅野
それが電化楽器としてのひとつのまっとうな方法なんじゃないですか。でも、あのレコードはあんまりそういうこと入ってなかったですよね。
- 児山
つまり、エディ・ハリスのレコードは完全にヒットをねらったものでして、実際のステージとは全然別なんです。また彼の話によると、コルトレーンのようなハード・ブローイングを延々20分も吹くと心臓がイカレちゃうというわけです(笑)。そしてなぜ電気サックスを使いだしたかというと、現在あまりにも個性的なプレイヤーが多すぎるために、何か自分独自のものをつくっていくには、演奏なり音なりを研究し工夫しなければならない。たとえば、オーボエのマウス・ピースをサックスにつけたりとかいろんなことをやっていたが、今度開発された電気サックスは、そのようないろいろなことができるので、いままでやってたことを全部やめてこれに飛び込んだというんですよ。
- 菅野
非常によくわかりますね。
- 児山
ラディックというドラム・メーカーが今度電化ヴァイブを開発して、ゲーリー・バートンが使うといってましたが、彼の場合は純粋に音楽的に、そのヴァイブがないと自分のやりたいことができないというわけですよ。なぜかというと、自分のグループのギター奏者が、いままでのギター演奏とは別なフィードバックなどをやると、ほかの楽器奏者もいままで使ってなかったようなことをやりだした。そういう時にヴァイブのみがいままでと同じような状態でやっているというのは音楽的にもアンバランスであるし、グループがエレクトリック・サウンズに向かったときには自分もそうもっていきたいというわけなんですよ。もしそれをヴァイブでやることができれば、どういう方向にもっていけるかという可能性も非常に広いものになるわけですよね。
- 梯
それから、いままでの電子楽器というのは、とにかくきれいな音をつくるということだけから音が選ばれた。ところが音の種類には不協和音もあればノイズもある。そのことをもう一度考えてみると、その中に音の素材になりうるものがたくさんあるわけです。たとえばハウリングですが、以前にバンクーバーのゴーゴー・クラブへいったとき、そこでやってたのがフィードバックなんです。スピーカーのまん前にマイクをもってきてそいつを近づけたり離したりして、そこにフィルターを入れてコントロールして、パイプ・オルガンの鍵盤でずっとハーモニーを押さえ続けてるようなものすごく迫力のある音を出すんです。そんなものを見て、これはどうも電子楽器の常識というものをほんとうに捨てないと新しい音がつくれないと思いましたね。
- 児山
そうですね。ですから、いまこういう電子楽器、あるいは楽器とは別なエレクトリックな装置だけを使って、ジャズだといって演奏しているグループもあるわけです。まあそれにはドラムやいろいろなものも使ったりするわけですが、いわゆる発振器をもとに非常に電気的な演奏をしているわけなんですよ。
- 松本
ただ音は結局電子によってでるんだけど、オルガン弾いてもサックス吹いても同じ音が出るかもしれない。弾いてる人の表情は違うけれども、そういうのがあったらおもしろいと思いますね。
- 菅野
それにもうひとつの問題は、発振器をもとにしたプレーは、接点をうごかしていくといった電子楽器と根本的に違うわけだ。電気サックスなどは、松本さんがいわれているようにナマの音が一緒に出てくるという。そこが問題ですね。だからナマの音も積極的に利用して、ナマの音とつくった音を融合して音楽をつくっていくか、それともナマの音はできるだけ消しちゃって電子の音だけでいくか・・。
- 児山
それはミュージシャン自身の問題になってくるんじゃないかな。たとえばリー・コニッツなどのようにだれが聴いてもわかる音色を持っている人は変えないですね。自分の音を忠実に保ちながらオクターブでやるとか...。
- 梯
しかしその場合、音色は保ち得ないんです。つまりその人その人のフィーリング以外は保ち得ないんですよ。
- 児山
なるほど、そうすると音楽的な内容がその個性どうりにでてくるということなんですね。
- 菅野
一般に音というものはそういうものの総合なんで、物理的な要素だけを取り上げるのは困難なわけです。そういったすべてのものがコンバインされたものをわれわれは聴いているわけですから、その中からフィーリングだけを使っても、リー・コニッツ独特なものが出てくれば、これはやはりリー・コニッツを聴いてるわけですよ。
- 松本
それならいいけどサックスというのはいい音がするわけですよ。それをなまはんかな拡声装置だといけない。それだとよけいイヤになるんですよ。
- ついに出現した電気ドラム -
- 児山
ニューポートに出演したホレス・シルヴァー・クインテットのドラマー、ビリー・コブハムがハリウッド社のトロニック・ドラムという電気ドラムを使用していましたが、あれはなんですか。
- 梯
うちでも実験をやっています。ロックなどの場合、エレキのアンプが1人に対して200W、リードが200Wならベースは400Wくらい。そうなってくるといままで一番ボリュームがあったドラムが小さくなってきたわけですよ。最初はドラムの音量をあげるだけだったのですが、やってみるとマイクのとりつけ方によって全然ちがった効果が出てきたわけですよ。
- 菅野
それは具体的に各ドラム・セットの各ユニットに取り付けるわけですか。
- 梯
最初は単純に胴の中にマイクを取り付けただけでしたが、いまはコンタクト・マイクとエア・カップリング・マイクの共用でやっていますね。
- 菅野
シンバルなんかは...。
- 梯
バスドラム、スネア、タム・タムにはついていますが、シンバルはちょっとむずかしいのです・・。でもつけてる人もいるようですね。
- 菅野
ではいまの形としては、新しい音色をつくろうとしているわけですね。
- 梯
そうですね。現在ははっきりと音色変化につかってますね。
- 松本
でもやはりこの電気ドラムとてナマの音が混じって出るわけですよね。ナマの音がでないようにするにはできないのですか。
- 梯
それはできるんですよ。市販はしてないんですが、ドラムの練習台のようなものの下にマイクをセッティングするわけなんですよ。いままでのドラム以外の音も十分でますがシンバルだけはどうもね。らしき音はでるんですが。
- 松本
いままでの何か既成があるからでしょう。
- 梯
そうですね。だからシンバルはこういう音なんだと居直ってしまえばいいわけ...。それぐらいの心臓がなきゃね(笑)。
- 菅野
本物そっくりのにせものをつくるというのはあまりいいことではない。あまり前向きではないですよ。よくできて本物とおなじ、それなら本物でよりいいものを...。
- 松本
だから電気サックスでも、ナマの音をだそうとしたんじゃだめですね。これじゃ電気サックスにならない。
- 梯
松本さんにそういわれるとぐっとやりやすくなりますよ(笑)。
- 児山
電気サックスというのはだいたいいくらぐらいなんですか?。
- 松本
ぼくのは定価85万円なんですよ。でもね高いというのは輸入したということですからね。そのことから考えると・・。
- 梯
松本さんの電気サックスはニューオータニで初めて聴いたんです。これは迫力がありましたね。
- 松本
すごい迫力です。でも、それに自分がふりまわされるのがいやだから...。
- 梯
こちらから見たり聴いたりしていると松本さんが振り回しているように見えるから、それは心配いらないですよ(笑)。
- 松本
それに運ぶのがどうもねェ。いままではサックスひとつ持ってまわればよかった。ギターなんかじゃ最初からアンプを持って歩かなければ商売にならないとあきらめがあるんですが、ぼくはなにもこれがなくたってと考えるから...。そういうつまらないことのほうが自分に影響力が大きい...(笑)。
- 児山
やはりコンサートなどで、おおいにやっていただかないと、こういった楽器への認識とか普及とかいった方向に発展していかないと思いますので、そういう意味からも責任重大だと思います。ひとつよろしくお願いします。それに、いまアメリカあたりでは電子楽器が非常に普及してきているわけなんですよ。映画の音楽なんかも、エレクトリック・サウンズ、エレクトリック・インスツルメントで演奏するための作曲法なんていうのはどうなるんですかねェ・・。
- 松本
これがまたたいへんな問題ですが、非常にむずかしいですね。
- 児山
それがいまの作曲家にとって一番頭のいたいことになってるんですね。
- 菅野
あらゆる可能性のあるマルチプルな音を出しうる電化楽器が普及すれば、新しい記号をつくるだけでもたいへんですね。
- 松本
そのエレクトリック・インスツルメントのメーカーだって指定しなければならないし...。作曲家もその楽器も全部こなさなきゃならないですからね。
- 児山
そのように色々な問題もまだあるわけなんですが、現実にはあらゆる分野の音楽に、そしてもちろんジャズの世界にも着々と普及してきつつあるわけなんです。この意味からも電化楽器の肯定否定といった狭い視野ではなく、もっと広い観点から見守っていきたいですね。
以下、'スイングジャーナル' 誌1968年10月号に寄稿された児山紀芳氏の記事 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' では、当時の電気サックス・メーカーが付けたキャッチコピー '音楽にプッシュボタン時代来る' をテーマにして考察されております。面白いのはそもそもの開発の動機が当時のロックに象徴される 'エレキ革命' ではなく、ひとりで4つ同時に管を咥えて '四重奏' を披露するローランド・カークに触発されたというところです。以下抜粋。
- このところ、ジャズ界ではエレクトリック・サキソフォーンやエレクトリック・トランペットなど、新しく開発された電気楽器を使用するミュージシャンが増えてきましたが、ここではとくに貴方の領分である電気サックスの使用についてのご意見をきかせてほしい。
チャールズ・ロイド
"実は私もエレクトリック・サキソフォーンを最近手に入れたばかりだ。しかし、いまのところ私は、ステージで使ってみようとは思わない。少なくとも、現在の私のカルテットでは必要がない。というのも私自身、これまでのサキソフォーンにだってまだまだ可能性があると考えているからだ。それに、人が使っているからといって、流行だからといって、必要もないのに使うことはない。もし、将来電気サックスが自分の音楽にどうしても必要になれば、もちろん使うかもしれないが...。"
"このところエレクトリック・アルト・サックスをもっぱら使用しているリー・コニッツは、サックスが電化されたことにより、これまでの難問題が解決されたと語っている。コニッツが従来直面していた難問題とは、リズム・セクションと彼のアルト・サックスとの間に、いつも音量面で不均衡が生じていたことをさしている。つまりリズム・セクションの顔ぶれが変わるたびに、ソロイストであるコニッツはそのリズム・セクションのサウンドレベルに自己を適応させなければならなかったし、リズム・セクションのパワーがコニッツのソロを圧倒してしまう場合がよくあった。電化楽器ではサウンド・レベルを自由に調整することができるからこうした不均衡を即時に解消できるようになり、いまではどんなにソフトなリズム・セクションとも、どんなにヘヴィーなリズム・セクションとも容易にバランスのとれた演奏ができるという。しかも、リー・コニッツが使っている 'コーン・マルチ・ヴァイダー' は1本のサックスで同時に4オクターヴの幅のあるユニゾン・プレイができるから、利点はきわめて大きいという。先月号でも触れたように、コニッツは1967年9月に録音した 'The Lee Konitz Duets' (Milestone)のなかで、すでにエレクトリック・サックスによる演奏を吹き込んでいるが、全くの独奏で展開される 'アローン・トゥゲザー' で 'コーン・マルチ・ヴァイダー' の利点を見事に駆使している。この 'アローン・トゥゲザー' で彼は1オクターヴの音を同時に出して、ユニゾンでアドリブするが、もうひとつの演奏 'アルファニューメリック' ではエディ・ゴメス(ベース)やエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、カール・ベルガー(ヴァイブ)、ジョー・ヘンダーソン(テナー・サックス)ら9人編成のアンサンブルで、エレクトリック・サックスを吹き、自分のソロをくっきりと浮き彫りにしている。ここでのコニッツは、アルト・サックスの音量面をアンプで増大するだけにとどめているがその効果は見逃せない。"
"同じ電化楽器でもトランペットの場合は特性面でかなりの相異がある。電化トランペットの使用で話題になったドン・エリスの場合、やはり種々のアンプを使っているが、サックスとちがって片手でできるトランペット演奏では、もうひとつの手でアンプの同時操作が可能になる。読者は、先月号のカラーページに登場したドン・エリスの写真で、彼がトランペット片手にうつむきながらアンプを操作している光景をご覧になっているはずだ。あの場合、ドン・エリスはいったん吹いたフレーズをエコーにしようとしてるのだが、この 'エコー装置' を使うと 'Electric Bath' (CBS)中の 'Open Beauty' にきかれる不思議な音楽が誕生する。装置の中にはテープ・レコーダーが内蔵されており、いったん吹かれた音がいつまでもエコーとなって反復される仕組みになっている。ドン・エリスは、この手法を駆使し谷間でトランペットを吹くような効果を出しているが、彼はまた意識的にノイズを挿入する。これも片手で吹きながら、もう一方の手でレバーを動かしてガリガリッとやるのである。こうした彼のアイデアは、一種のハプニングとみなしていいし、彼が以前、'New Ideas' (New Jazz)で試みた実験と相通じるものだ。"
→Gibson / Maestro Sound System for Woodwinds W-2
→Gibson / Maestro Sound System for Woodwinds W-3
"エディ・ハリスのグループがロサンゼルスの〈シェリーズ・マンホール〉に出ていたとき、彼のグループはジョディ・クリスチャン(ピアノ)、メルヴィン・ジャクソン(ベース)、リチャード・スミス(ドラムス)で構成されていたが、ハリスとベースのジャクソンが電化楽器を使っており、ジャクソンがアルコ奏法で発する宇宙的サウンドをバックにハリスが多彩な効果を発揮してみせた。2音、3音のユニゾン・プレイはもちろんのこと、マウスピースにふれないでキーのみをカチカチと動かしてブラジルの楽器クイーカのようなリズミックなサウンドを出し、ボサノヴァ・リズムをサックスから叩き(?)出すのである。この奏法はエディ・ハリスが 'マエストロ' の練習中に偶然出てきた独奏的なもので、同席した評論家のレナード・フェザーとともにアッと驚いたものである。ハリスはあとで、この打楽器的な奏法がサックス奏者に普及すればサックス・セクションでパーカッション・アンサンブルができるだろうと語っていたが、たとえそれが冗談にしろ、不可能ではないのだ。ともあれ、エディ '電化' ハリスのステージは、これまで驚異とされていたローランド・カークのあの演奏に勝るとも劣らない派手さと、不思議なサウンドに満ちていて人気爆発中。しかもカークが盲目ということもあって見る眼に痛々しさがある反面、ハリスは2管や3管吹奏をプッシュ・ボタンひとつの操作で、あとはヴォリューム調整用のフット・ペダルを踏むだけで楽々とやってのけているわけだ。エレクトリック・サックスの利点は、体力の限界に挑むようなこれまでのハードワークにピリオドを打たせることにもなりそうだ。ハイノートをヒットしなくても、ヴァイタルな演奏ができる。つまり、人体を酷使することからも解放されるのだ。この点は、連日ステージに出る当のミュージシャンたちにとって、大きな利点でもあるだろう。エディ・ハリスは電化サックスの演奏中は、体が楽だといった。これを誤解してはいけないと思う。決してなまけているのではなく、そういう状態になると、その分のエネルギーを楽想にまわせることになり、思考の余裕ができて、プラスになるという。さらに、エレクトリック・サックスを使う場合、もし人が普通のサックス通りに演奏したら、ヒドい結果になるという。楽に、自然に吹かないと、オーバーブロウの状態でさまにならないそうだ。新しい楽器は新しいテクニックを要求としているわけだが、それで体力の消耗が少しでもすめば、まことに結構ではないか。"
→Gretsch Tone Divider Model 2850
管楽器用アタッチメントの '秘境' として発掘調査の待たれる欧州の '長靴' ことイタリア。OEMなど直接C.G.Conn製品とは関係ないと思うのですが、謎めいたSonextoneのMultividerやEmthreeなる会社の腰に装着するオクターバーMini SynthyとMister Wahの2種。特にMister Wahは入力のギター用フォンとは別に3.5mmミニプラグも用意されているなど、明らかに管楽器へ装着したピックアップからの入力も想定していると思われます。また、OEMなのかSonextoneとも '姉妹機的関係' にあるTekson Color Soundなど、1970年代イタリアの '管楽器事情' についても紐解いてみたいところです(当時のAreaなどプログレも盛んな地域ですしね)。一方でイタリアといえばEkoはもちろん、Jen Elettronicaが英国Voxや 'Play Boy' ブランドのシリーズで米国Gretschに向けたペダルのOEMを手がけておりました(ギターシンセのGS-3000 Syntarという製品もありましたね)。GretschのエフェクターといえばExpanderfuzzやTremofect、謎のハーフラックサイズによる 'コンプ+フェイズ' のFreq-Fazeなどが代表的ですけど、こちらも未だその全貌が掴めておりません(汗)。このTone Dividerは1970年代に発売されたもので、4つのツマミにClarinetとSaxophoneの入力切り替えやSound On/Off (Effect On/Off)のスイッチ、そしてズラッと縦に並ぶスイッチはNatural、English Horn、Oboe、Mute、Bassoon、Bass Clarinet、Saxophone、Cello、Contra Bass、String、Tubaの11音色からなるパラメータでMaestro Woodwindsあたりを参考にしたっぽい感じ。ここに追加するようにTremolo、Reverb、Jazzというエフェクツをミックス(外部フットスイッチでコントロール可)するという、同時代の管楽器用エフェクターで定番の仕様となっております。この金属筐体に描かれた木目調のダサい感じがたまりません。しかし、現在までアコースティックとか 'エレアコ' 系のエフェクターって何で木目調や '暖色系' ばかりなんでしょうか?(笑)。
最後は電子音響とジャズマンを '越境' した 'マッド・サイエンティスト' として唯一無二の存在、ギル・メレをご紹介致しましょう。彼のキャリアは1950年代にBlue Noteで 'ウェストコースト' 風バップをやりながら画家や彫刻家としても活動し、1960年代から現代音楽の影響を受けて自作のエレクトロニクスを製作、ジャズという枠を超えて多彩な実験に勤しみました。そのマッドな '発明家' としての姿を示す画像は上から順に 'Elektor' (1960)、'White-Noise Generator' (1964)、'Tome Ⅳ' (1965)、'The Doomsday Machine' (1965)、'Direktor with Bubble Oscillator' (1966)、'Wireless Synth with Plug-In Module' (1968)といった数々の自作楽器であり、特に1967年にVerveからのリーダー作 'Tome Ⅳ' は、まるでEWIのルーツともいうべきソプラノ・サックス状の自作楽器(世界初!の電子サックス)を開陳したものです。一聴した限りではフツーのサックスと大差なかった為か、彼がコツコツとひとり探求してきたエレクトロニクスの可能性が正式に評価されなかったのは皮肉ですね。そんなメレ独自のアプローチは、1969年暮れのミステリーSFドラマ 'Night Gallery' (四次元への招待)テーマ曲による初期シンセサイザーを用いた習作を経て1971年のビザールなSFパニック映画 'The Andromeda Strain' のOSTに到達、EMS VCS3や自作のドラムシンセを駆使した難解なシンセサイザーにおける金字塔を打ち立てます。ちなみにこの映画は、まさにコロナウィルスを暗示したような未知のウィルス感染に立ち向かう科学者たちのSF作品でして、その '万博的' レトロ・フューチャーな未来観の映像美と70年代的終末思想を煽るギル・メレの電子音楽が見事にハマりました。このギル・メレやブルーノ・スポエリ、ドン・エリスらがやったこと、また、ジャズとインドへの接近から 'Space Age' 世代がもたらした意識変革について誰か一冊の本で著しませんかね?。
さて、そんな欧米の管楽器に対する 'アンプリファイ' の是非に揺れていた象徴として、1970年に 'ジャズの帝王' マイルス・デイビスから提示された二枚組大作が極東の島国にも上陸します。これぞ1969年の黙示録...久しぶりにマイルス・デイビスの 'Bitches Brew' を聴く。わたしが初めて手を伸ばしたジャズのアルバムがコレでした。マイルス・デイビスが何者でジャズが何であるのか一切予備知識もなく、奇妙なジャケットと共に初めてCD化された2枚組本盤・・高かった(涙)。きっかけは、当時どっぷりとハマっていたR&Bの解説本にR&B、ファンクの他ジャンルへの影響の一枚として本盤が挙げられていたからです。何となくですが当時、ジャズという、黒人音楽にしてどこか小難しそうな音楽が凄い気になっていたんですよね。それまではアース・ウィンド&ファイアやクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズなどのアルバムに '小品' として小耳に挟んできたジャジーな響き、その大人っぽい感じが思春期のわたしの感性をビリビリと刺激してきたのでした。あくまでジャズではなくジャジーである、というのが当時のわたしの理解だったんだけど、この 'Bitches Brew' は終始 "何なんだろう?" という不思議な感想として支配される結果に・・。確かに小難しい雰囲気いっぱいながらかろうじて音楽としての構造はある。しかし、楽曲の '主題' のような中心はなく2枚組全体で一曲というような '組曲' として響くなど、デイビスのラッパがどうとか各自のソロがみたいなところは全然耳に入ってこなくて、とにかく全体から提示される圧倒的な '響き' に呑まれるばかり...。特に3台のフェンダーローズ・エレクトリック・ピアノの麻薬的なレイヤーは、分からないなりの中毒性で以って夜眠るときの '睡眠剤' の役割を果たしてくれましたね。まあ、端的に理屈は分からなくとも気持ち良かったのですヨ。
1969年のマイルス・デイビスが最も精力的かつ創造的な時期であったことは間違いありません。新たにジャック・ディジョネットを擁したクインテットを率いて、いわば 'Pre Bitches Brew' 的なアプローチをライヴで試行錯誤しながら、2月に 'In A Silent Way'、8月に 'Bitches Brew'、11月にアイアート・モレイラやカリル・バラクリシュナらブラジル、インドの民族楽器を導入したセッションから 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' という、それぞれ全く異なるコンセプトのサウンドを完成させてしまうのだから...。また、この年は全米で猛威を奮っていた 'サマー・オブ・ラヴ' 最後の一年でもあり、7月のアポロ11号月面着陸、8月のウッドストック・フェスティヴァル開催という激動の瞬間が世界を駆け巡りました。世界中の学生たちはゲバ棒振り回して大学を占拠し、権力に楯突いて暴れ廻っていた季節。そんな時代の雰囲気を如実に感じ取ったであろう変貌するデイビスの姿は、そのまま ''レコードでは静的に、ライヴでは獰猛なほど動的に" という志向へと現れます。これはダブル・アルバムとして、それぞれ1970年に連続でリリースされた 'Bitches Brew' と 'Miles Davis At Fillmore' の両面 '合わせ鏡' のような関係性からも伺えるでしょうね。個人的にこの2作品は '4枚組' の組曲的大作として捉えており、ここに上述した '先行シングル' ともいうべき 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' で全く違う世界をも提示するのだから、いかにこの69年から70年という年がデイビスにとって豊饒なる一年であったか。まさにアブドゥル・マティ・クラーウェイン描く 'Bitches Brew' のダブルジャケットが暗示する如く、すべてにテオ・マセロの編集作業が施されて '静と動' のコントラストが目まぐるしく切断、再生されていくという無重力の世界がそこにあるのです。また、この時期の楽曲制作におけるインスピレーション、アイデアとなる '素材' の源泉として、これまで担ってきたウェイン・ショーターの役割が後退する代わりにジョー・ザヴィヌル、エルメート・パスコアールといった新しい人材を発掘。そして当時のロックのモチーフからBlood Sweat & Tearsの 'Spnning Wheel' やCrosby, Stills & Nashの 'Guinnevere' といったヒット曲を引用するなど、従来のトランペットから聴こえていたフレイズを刷新するアプローチを試していたのもこの時代の特徴です。
またこの時期、世界初のギター・シンセサイザーとしてHammondが開発した機器Innovex Condor RSMもデイビスの元に届けられて、同年11月から再び始まるインド、ブラジルの民族楽器を導入したセッション中の1曲 'Great Expectations' において不気味なオクターヴの効果をトランペットに付加しております。この曲は13分弱からなるヒプノティックに反復するテーマと少しづつ前後するポリリズムの絡みで構成されており、通奏低音のタンプーラをバックにデイビスのトランペットはソロに変わってオープン、ミュート、エコー、オクターヴ、ディストーション、フェイズ、トレモロと多岐に渡り、刻々とその反復の表情を変えていきます。この効果のより顕著な例としては、翌70年5月にキース・ジャレット初参加にしてVoxの 'Clyde McCoy' ワウペダルの初録音でもある一曲 'Little High People' から聴き取ることが出来ます。Hammondはエレクトリック・ギター用GSMと管楽器用RSM、キーボードなどステレオ機器用SSMの3種を用意し、晩年のジミ・ヘンドリクスもニューヨークで懇意にしていた楽器店Manny'sから購入していたようですね。こちらはそのManny'sの領収書が残っており、ヘンドリクスは1969年11月7日にシリアル・ナンバー1145のCondor GSMを480ドルでMaestro Echoplexと共に購入。使用楽曲として(今のところ)唯一確認出来るのはヘンドリクス没後に発売された未発表曲集 'Rainbow Bridge' の中に 'アメリカ国家' のスタジオ録音版が収録されており、これの 'シンセライク' にキラキラしたオクターヴのギターによるオーバーダビングで本機が使われているのでは?という噂があるのです。ジョン・マクダーモット著によるヘンドリクスのレコーディングを記録した 'ジミ・ヘンドリクス・レコーディング・セッション1963 - 1970' によれば、特定の製品名は出していないもののこう記述されております。
"そこにあったのはイノヴェックス社の機器だった。「連中が送ってきたんだ」。マイルスはそう言いながら電源を入れ、トランペットを手にした。「ちょっと聴いてくれ」。機器にはフットペダルがつながっていて、マイルスは吹きながら足で操作する。出てきた音は、カップの前で手を動かしているのと(この場合、ハーモンミュートと)たいして変わらない。マイルスはこのサウンドが気に入っている様子だ。これまでワウワウを使ったことはなかった。これを使うとベンドもわずかにかけられるらしい。音量を上げてスピーカー・システムのパワーを見せつけると、それから彼はホーンを置いた。機器の前面についているいろんなつまみを眺めながら、他のエフェクトは使わないのか彼に訊いてみた。「まさか」と軽蔑したように肩をいからせる。自分だけのオリジナル・サウンドを確立しているミュージシャンなら誰でも、それを変にしたいとは思っていない。マイルスはエフェクト・ペダルとアンプは好きだが、そこまでなのだ。"
Q - わたしはShurre CA20Bというトランペットのマウスピースに取り付けるピックアップを見つけました。それについて教えてください。
A - CA20Bは1968年から70年までShureにより製造されました。CA20BはSPL/1パスカル、-73dbから94dbの出力レベルを持つセラミックトランスデューサーの圧電素子です。それはHammond Organ社のInnovex部門でのみ販売されていました。CA20BはShureのディーラーでは売られておりませんでした。
CA20Bは(トランペット、クラリネットまたはサクソフォンのような)管楽器のマウスピースに取り付けます。穴はマウスピースの横に開けられて、真鍮のアダプターと共にゴムOリングで埋め込みます。CA20Bはこのアダプターとスクリューネジで繋がっており、CA20Bからアンバランスによるハイ・インピーダンスの出力を60'ケーブルと1/8フォンプラグにより、InnovexのCondor RSMウィンド・インストゥルメンツ・シンセサイザーに接続されます。Condor RSMは、管楽器の入力をトリガーとして多様なエフェクツを生み出すHammond Organ社の電子機器です。Condorのセッティングの一例として、Bass Sax、Fuzz、Cello、Oboe、Tremolo、Vibrato、Bassoonなどの音色をアコースティックな楽器で用いるプレイヤーは得ることができます。またCA20Bは、マウスピースの横に取り付けられている真鍮製アダプターを取り外して交換することができます。
Condorはセールス的に失敗し、ShureはいくつかのCA20Bを生産したのみで終わりました。しかし、いく人かのプレイヤーたちがCA20Bを管楽器用のピックアップとしてギターアンプに繋いで使用しました。その他のモデルのナンバーと関連した他の型番はCA20、CA20A、RD7458及び98A132Bがあります。
"彼のやったことが極めて新しい、レコードでしかできないことだった、という点だ。すなわち、パフォーマンスを空間的に分解したんだ。レコーディングの段階では、ミュージシャン達はひとつの部屋の中、お互いが近い距離に座っていた・・でもオンマイクだったこともあり、各自の音はそれぞれに独立して録音されていた。それをテオ・マセロがミックスの段階で、何マイルも引き離して見せた。だから音楽を聴いているとすごく楽しいんだ。コンガ奏者は道をまっすぐ行った先あたりで叩いているし、トランペット奏者はかなたの山のてっぺんで吹いているし、ギタリストの姿は...双眼鏡でのぞきこまなきゃ見えないんだからね!そんな風に皆の音が遠くに置かれているので、小さな部屋で大勢の人間が演奏しているという印象はまるでなくて、まるで広大な高原かどこか、地平線の彼方で演奏しているかのようなんだ。テオ・マセロはそれぞれの音をあえて結びつけようとはしていない。むしろ、意図的に引き離しているかのようだよ。"
"バランス、そして編集された箇所には凄く注意を払った。僕らのミックスと編集をオリジナルLPヴァージョンと一緒に流して、時には片方のスピーカーを僕らのヴァージョン、もう片方をオリジナルにして比較し、見逃したりズレたりしている編集箇所がないように確認したんだ。これにはもの凄い労力を費やしたよ。編集は大問題で、テオのやったことに敬意を表するのは僕らにとっては重要なことだった。ミックス中は、まるで優先順位割当に従って作業をやっているような感じで、ボブ・ベルデン(今回の企画プロデューサー)と僕は、何を最優先させるか、あれをコピーするかしないか、といったことを常に考えていたんだ。"
また、この作業を通じて 'Bitches Brew' のセッション・テープ全体が再検討されることとなって、そこから流出した編集前の音源が 'Deep Brew' という2枚組ブートレグとして市場に出回り、このセッションに焦点を絞ったジョージ・グレラ・ジュニア著の研究本 'Miles Davis Bitches Brew' (スモール出版)も2016年に邦訳されました。ちなみに、オリジナル・ミックスを手がけたテオ・マセロはこの作業を認めてはおらず、オリジナルを毀損して大人しくなってしまった(常識的な?)リミックス、'The Bitches Brew Complete Sessions' の名で不必要かつ関係のない未発表曲と一緒にまとめたこと、その未発表曲がリリースする水準のないものであると喝破しております。確かに、異様なまでの編集作業と 'ローファイな' 質感こそ 'エレクトリック・マイルス' の音楽性と不可分であることを鑑みれば、果たしてどこまでリミックスという作業が有効であるのかは考えてみる必要がありますね。
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