2025年1月15日水曜日

'世界同時革命' を追跡する

 高度経済成長期日本の1970年代に淘汰された幻影、新映電気株式会社(Sin-ei)。そもそもはギター用ピックアップ、マイク、そしてトランスの専門会社として、細々と1960年代から東京板橋区に居を構え製作、下請け事業などを展開して来ました。その地味な会社の契機は1969年、狂乱の 'GSブーム' 終焉の煽りを受けてTiescoから独立した社員により設立された会社Honeyが同年3月に倒産したことで一変します。この時点でShin-eiはまだ「ギターマイク・ボーカルマイク・トランスの専門メーカー」の看板のまま静かな状態でしたが、横目では欧米から流入してくるニューロック、新たな楽器市場への活路を見出したのか翌1970年(昭和45年)に、それまでのHoney製品として販売されていた各種ペダルが新たに 'Shin-ei' または輸出用の 'Companion' ブランドに付け替えられたラインナップで販路もそのまま一手に引き継ぐこととなるのです。それまでの米国Unicord社のUni-Vox、英国Rose-Morris社のShaftesburyらOEM業務に加えてその数は飛躍的に拡大しました。








ここでの議題はそれから約5年後、零細企業としての 'Shin-ei' が競合他社の追い上げと経営悪化から自社ブランドのペダルのみならず他社製品のOEM業務など '自転車操業' 的になりふり構っていられない姿を素描してみます。そもそも 'Shin-ei' としてHoneyから引き継いだラインナップは国内はもちろん、海外へ多くのOEM製品として様々なブランド名と共に輸出されておりました。基本的にこの時代の 'Maid in Japan' は当時、海外で勃興するMaestro、Colorsound、Electro-Harmonixといった総合的ラインナップを誇る新製品群の中にあって、そのような高価なペダルに手の届かないビギナー、低所得層の為に楽器店のワゴンセールで '慰みモノ' としての供給が主でした(OEMブランド名は各々楽器店の為に付けられたものでもある)。しかし、一方で当時の海外製品にはない独自の設計思想により先駆的ペダルを製作していたところが 'Honey / Shin-ei' の伝説たる所以であることは特筆したいですね。さて、そんな 'Honey / Shin-ei' のフラッグシップ機であったVibra Chorus(Uni-Vibe)とPsychedelic Machineの2種に見る対照的な関係は興味深いです。特に1968年の国内カタログに登場しながら 'OEM専用機' ともいうべきVibra Chorusは 'ブランドロゴ' も付けず、Honey倒産直後から新たにフット・コントローラーを装備した 'Uni-Vibe' としてUnicord社へ供給、その内の一台がジミ・ヘンドリクスの手に渡りロックの伝説を刻み付けます。引き継がれたShin-eiの時代にはUni-Voxのほか、Lafayette Radio Electronics (L.R.E.)のブランドで 'Roto-Vibe' の名がカタログに登場。一方でHoney時代のVibra Chorusはトレモロが追加された 'SVC-1 Vibra Chorus' として筐体も一新すると共にCompanion、Jax、Boomer、NomadのOEMで供給されるなど複雑な展開を見せます(こちらは後のRT-18 Resly Tone & PT-18 Phase Toneの系譜となる)。そしてPsychedelic MachineもHoney時代にはElektraのOEMで供給されましたが、Shin-eiの時代にはこちらも筐体を一新し 'PM-14 Psychedelic Machine' として生まれ変わりました。ちょうどそのHoney倒産からShin-eiへと引き継がれた最初期に、Honey時代の筐体のままCompanionのブランドで供給されたPsychedelic MachineはOEM過渡期の貴重な一台でしょう。さて、以下に述べるそんな複雑極まりない米国 'Unicord / Uni-Vox' と 'Honey / Shin-ei' によるOEMの謎に絡み合った関係に比べれば、英国 'Rose-Morris / Shaftesbury' との関係は比較的シンプルなものでした。その主力商品だったのがBaby Crying FuzzとSuper Effect HA-9PのOEM、Duo Fuzz PedalとSquall Pedalの2種で、カンタベリー・ジャズ・ロックの雄、ソフト・マシーンのマイク・ラトリッジやヒュー・ホッパーらが愛用していたことでも有名です。









ここに国内、海外の中古市場やオークションでよく見かけるペダルを取り上げます。その製品名はOEMブランド名と共に微妙な差異でもって各々名付けられており、一部ですがUni-Vox Micro Fazer、Fernandes Compact Fazer、西ドイツからKent Black Gold Phaser KP-100、国内では 'Uecks' こと植木楽器やマコト商会のMelosによりMini Fazerとして販売されていたこの小さなフェイザーです(ただし 'Melos' や 'Uecks' も海外市場でよく見つかります)。他にディストーションのSquare WaveやコンプレッサーのMini Compなどがありました。しかし、その基板のレイアウトを見ていくとShin-eiやCompanion製品より、1970年代後半に登場するCoronやHMIといった 'MXRコピー' の日本製品との共通点が伺えます。こちらは埼玉県浦和に製造工場があったようで、Ariaブランドを擁する荒井貿易にも納入していたことからそこのOEMも担っていたMelosとの関係性が浮上して来ます...。この辺りの事情はまだまだ詳細な調査が必要であると先に断りを入れた上で、ここでは 'build by Shin-ei' について触れたいと思います。とりあえず、この植木楽器の詳細について分からないことは多いのですが、その考察のひとつとしてあのHoneyの初代社長が植木武紀の名であること(Honeyは植木氏、二代目社長となる鈴木宣男氏、技術畑で後にRolandへ入社する末永氏の元Tiesco3名を中心に設立)。憶測ですけど、この植木楽器の創業者と同一人物ではないかと睨んでおります。この会社のペダルは赤、青、黄とカラフルな色彩と共にチープなプラスティック製品でいかにも海外の 'ワゴンセール' に向けた商品展開をしていたことが伺えますね(海外では 'Kay' ブランドで販売されておりました)。近年、黄色いFuzz ToneはU2のギタリスト、the Edgeが使用したとのことから市場でも高騰しているようです。以下、その植木楽器による 'Uecks' のカタログから3種用意されたペダルの説明文をご紹介しましょう。

●Uecks Tremolo Pedal
今迄にない全く新しい演奏効果ペダルマシーンです。トレモロ効果とは決められたセットでの一定周期の自動音量調節装置回路に依る効果ですが、この製品ではペダルの動作に依り、音量調節周期3Hzから10Hzまで連続変化させることができます。早い変化に依るマンドリン効果からゆっくりとしたトレモロ効果までを演奏目的に合わせて、コントロールすることに依り、変化にとんだ演奏の世界を創ります。

●Uecks Wah Wah Pedal
従来のワウペダルがペダル動作をボリュームで電気回路に伝えていた方法を改め、ペダルバネに取付けられた感度コントロール部品をコイルに遠近動作させることに依り音色変化させる方法です。この機構に依り、従来のメカニカルなトラブルやボリュームの破損に依るトラブルはなくなりました。

●Uecks Fuzz Tone Pedal
従来のファズマシーンに加えて、ファズトーンの変化をペダル操作に依り、プレーヤーが自由に変えることができます。このサウンドとフィーリングは従来のファズマシーンやファズワウペダルとも違う新しい演奏効果を生み出します。














一方、Uecksの 'プラスティック製品シリーズ' の中で唯一 'Shin-ei' により製作されていたのがこの黒いフェイザーであり、それはプラスティック製ペダルとは真逆の金属製筐体や同社の 'Uni-Vibe' シリーズと共通する粘っこいフェイズに特徴があります。つまり、一見無関係に見える当時の日本の 'OEM事業' には様々な横の繋がりがあったことを垣間見せてくれるのです。1960年代後半にMaestro FZ-1AのコピーFuzzderを製作したマコト商会のブランドMelos。1970年代にShin-eiはOEMとして 'Companion' と共にHoney時代の販路を引き継ぐUni-Vox、ShaftesuburryはもちろんJAXやPAX、Rands、Sekovaのほか、米国大手の会社であるMonacorやMelosブランドの製品の一部もShin-eiの下請けで製作されることとなり混乱を極めます。そのUni-Voxブランドとして製作されたUni-Tron 5やRing Modulatorなどのシリーズ、大型ラックのフェイザーPHZ-1やスプリング・リヴァーブU3Rは海外の市場でしか見られない珍品でしょう。面白いのはチープなプラスティック製のUni-Wahというワウペダルとジミー・ペイジが使用したことで高騰したブーストペダル、Uni-Driveという相反した製品がUni-Voxの謎なラインナップを飾っていることも特筆したいですね。そんなOEM製品では 'Uni-Tron 5 & Funky Filterシリーズ' を手がけながら、Shin-eiとしても自身のブランドからOB-26 Mute Boxというエンヴェロープ・フィルターをラインナップするなど、この謎の '別ブランド展開' はさらに新映電気という会社の闇を浮き彫りにします。ちなみにShin-eiの時期にHoneyからUni-Voxブランドで引き継いだのはSuper FuzzとUni-Vibeや共通するデザインを持つUni-Fuzzだけです。そして、この頃のUni-Voxのカタログには(Honey製品に携わったエンジニア三枝文夫氏のいる)Korgの製品もOEMとして扱っており、上述した大型ラックなどUni-VoxのOEMの一部が 'build by Korg' の可能性も捨て切れません。また、ElkによるElectro-Harmonixの 'Big Muffコピー' に対し国内市場での勝負を避けた 'Shin-ei Big Muff' は、Sekovaブランドで海外の市場にのみ供給されました(スイッチに 'Shin-ei' の痕跡有り)。Shin-eiには直系のOEMブランドとしてCompanionがあり、その筐体の裏側には丸い印字マークのスタンプが押されておりました。国内向けは昭和表記、海外向けは西暦、そして使用する筐体もShin-eiの時代に一新したものなど当初は分けておりましたが、現状はHoney時代から引き継いだ部材のまま会社後期はその辺りの区別関係なく手当たり次第に '自転車操業' で製造、送り出していたのが実態だったようです。




さらに、これらの中でもかなりの珍品として上位に来るのが、CompanionのOEMにより '4 in The Floor' なる謎のブランド名で製作したリズムボックスのPercussion Combo。1970年代を象徴する '木目調' 筐体から出て来る素朴なドラムシンセは、そのままオルガン奏者が足で踏んで伴奏する為のものだったことが想起できるでしょう。また 'Honey / Shin-eiの血統' ともいうべき先駆的なヴァイブサウンドは、Shin-eiによるMaestro PS-1のデッドコピーであるResly Machine RM-29からRT-18 Resly Tone & PT-18 Phase Tone、そして 'Shin-ei末期の呪詛' ともいうべきPedal Phase Shifter PS-33からMicro Fazerへと 'ロンダリング' しながら、様々なブランド名と忸怩たる思いでMaestroとMXRにより開陳した 'フェイザーの時代' に対応していたのがOEM黎明期日本の風景でした。













ちなみにUni-VoxやMonacor、Melosブランドで製作された磁気ディスク式エコーEM-200は別の外注による製品でした。その大きな筐体の裏パネルを見てみれば...'Melos Electric Co. Ltd.'。磁気カセットテープ式エコーの '隠れた名機' とされるEcho ChamberをMelosで手がけたことを考えれば、国産エコーマシンはAce ToneやElk、Miranoの片山電子と並びマコト商会の影響力が大きかったことが伺えます。Honeyと並び1960年代後半から展開するMelosは、Maestro FZ-1AのコピーであるFS-1 FuzzderがSuper Fuzzと同じLRE(Lafayette Radio Electronics)のOEMでも輸出され(日伸音波のOEMであるMica Electronicsでも輸出された)、東京神田に居を構えるマコト商会は大阪を拠点とするAce Toneの東京営業所も担っておりました。そんな謎に包まれたマコト商会の姿について1966年頃に入社し、その後は現在も輸入代理店業務を行う神田商会を経て日本初のレンタル楽器会社レオミュージックを起業した長澤尚敏氏の証言は貴重です。昼間は営業をしながら夜は技術学校の夜学で勉強するなど、すでにこの頃から同社の技術部門を育成していたことが伺えます。ちなみに同時期、新映電気もマイクやピックアップ、トランスといった楽器周辺機器の製作など行っていた会社であったことは留意したいですね。'Voice' のブランドで 'GSブーム' の一端を担っていた岩瀬電子の岩瀬有吉氏が海外製品のファズボックスの中身を見て配線やハンダの酷さから、こんなモノで商売になるなら模倣でも良いからより丁寧にきちんとした製品を送り出すべき、というその矜持こそこの時代に蠢く '胎動' が予見した日本の '未来予想図' であったと言えるのです。

"東京に出てきて66年頃にマコト商会ってとこに入るんです。当時、グループ・サウンズが全盛期でレゾーンって会社(の製品)とかプリモのマイクなんかを売ってたの。あとギター用のシールドとかカールコードなんかをそこは作ってたんです。楽器周辺機器みたいなものの販売だね。電気の知識ってのはその仕事をしながら電気の大学の二部に行ってたんだよね。昼間働いて夜に学校っていうスタイルでね。阪田商会(現サカタインクス)っていう神田にある印刷のインクをやってる会社があるんです。阪田商会はインクをやりながらスタジオ用プロ機材、AKGのマイクなんかもやってたのよ、そこは。梯郁太郎さんってのは以前、結核で入院してたことがあるらしいんだよね。その時に阪田商会の誰かが入院してて、いろんな意味で話が合ってそれでそこが出資してAce Toneっていうオルガンの会社を梯さんが大々的に始めるんですよ。私はAce Toneの営業とはあんまり関係なかったけど、なにしろウチは社員が2人しかいなかったから(笑)毎日工場からトラックで来るのを問屋に運んでたんです。Ace Toneがまだリズムボックスとアンプをやってた時代ですね。でも結局、梯さんが阪田商会の営業方針を気に入らなかったんだね。それじゃとてもついていけないってことで、独立してやるってんで作ったのがRolandなんです。







ちなみにMelos FS-1 Fuzzder同様にFZ-1Aの国産デッドコピーとしては、HoneyからShin-eiへと入れ替わる時期にSekovaのOEMとして銀メッキの筐体も眩しいFA-Ⅱが輸出されております。またAce Toneといえば国産第一号ファズといわれるFuzz Master FM-1(Maestro FZ-1のコピー)が有名ですけど、こちらもSekovaと同時期に類似したYack DA-1 Fuzz Boxとして市場に登場。さらにYackのYF-2 Fuzz BoxはShin-eiの時代にラインナップされるFY-2 Fuzzとの関係も指摘されております。海外製ファズボックスの出発点ともいうべき 'Maestroの衝撃' から英国のTone Benderに倣ったGuyatone FS-1 Buzz Box、いち早くアッパーオクターヴの洗礼を市場に開陳するHoney Baby Crying、Guyatone FS-2 Buzz Box、Ace Tone Fuzz master FM-2、Royal RF-1 Fuzz Box、またエンヴェロープとファズのハイブリッドとして先駆的な挑戦する姿勢を見せた意欲作Honey Special Fuzzなど、海外との情報に隔たりのある時代にあって常に 'アンテナの感度' を尖らせていた日本の好奇心がありました。そして1970年代に入るとMelosは 'build by Shin-ei' とは別に、サンダー電子のRoyal、荒井貿易のAriaといった製品のOEMを手がけるなどこちらも混迷を極めます。また、スプリング・リヴァーブといえば単体の製品としてHoneyの時代からトレモロとセットになったラックサイズのEcho Reverb ER-1P、Shin-eiではフットペダル型へと変更されたER-23などが有名ですが、海外へはL.R.E.のOEMとしてLafayette Echo-VerbというPA向けの製品が輸出されました。さて、そんなOEM黎明期の裏方を疾駆する新映電気の正確な倒産時期は不明ですが、すでにBossの台頭する1970年代後半には市場からその姿を消していたようです。この辺りからGrecoやGuyatone、Elk、'Maxon / Ibanez' の日伸音波製品などに染み付いていた下請けとしての 'Maid in Japan' が終焉を告げ、'Japan as No.1' として海外でも大きな影響力を誇示するイメージの転換を図ることは論を待ちません。まさに 'つわものどもが夢の跡'...まるで嵐のように種を蒔いた '革命の輸出' は、その後の日本が世界第二位にまで上り詰める序章であったことをいま変化を恐れ老いた落日の日本でどう考えるか、何をすべきかの契機であることを願ってやみません。




さて、最後に国産初のファズを製作したAce Toneを設立し、その後Rolandとして世界的な楽器メーカーを築いた梯郁太郎氏が後年、自らAce ToneからRolandにかけて手がけて行く流れを述べた 'ギターマガジン' 誌2003年5月号のインタビューです。そんな国産ファズ 'コピー元' の出発点として、GibsonのMaestro Fuzz Tone FM-1のデモ音源に聴ける各種管楽器の模倣という奇妙な関係があります。その音源では 'Sousaphone' 〜 'Tuba' 〜 'Bass Sax' 〜 'Cello' 〜 'Alto Sax' 〜 'Trumpet' という流れとして、後のMaestroのブランドマークが 'ラッパ3本' をシンボライズしたのは決して伊達ではありません。また、そのサウンドの再現としてFZ-1の開発者であるグレン・スヌッディとレヴィ・ホッブスの2人によりミキシング・コンソールの接触不良から、回路的には間違ってしまった '過剰な歪み' を取り出すという技術的側面で具現化されました。そして、このFZ-1が爆発的なセールスを記録するのはザ・ローリング・ストーンズ1965年の大ヒット 'Satisfaction' 以降であり、キース・リチャーズの頭の中にあったのはスタックスの豪華なホーン・セクションによる 'ブラス・リフ' を再現することでした。以後、欧米ではいくつかのメーカーから 'アタッチメント' と呼ばれるエフェクター黎明期が到来、当時のLSD服用による '意識の拡張' の追体験としてレコーディング技術が飛躍的に進歩します。その直接的なLSD体験もない高度経済成長期の日本と、ロックにおける '世界同時革命' 的なエレクトロニクスがもたらす聴覚の変容。まだ日本と欧米にはあらゆる距離が開いていた時代にあって、Ace Toneの挑戦はあらゆる音の発見、可能性が探求されていた一端を垣間見ることが出来るのです。それは梯さんが手探りの中で格闘する '電子管楽器' の可能性、採算度外視でいち早く手がけた後述するMulti-Voxの挑戦からも伺えるでしょう。

- 梯さんが 'ファズ' と言われて真っ先に連想することは何でしょうか?。

- 梯
あのね、三味線なんですよ。三味線のルーツは中国だけど、日本独特のアイディアが加わったんです。日本の三味線は、一の糸(最も低音の弦、ギターとは数え方が逆)だけが上駒(ギターで言うナットにあたる部分)がなくて指板に触れている。だから、二の糸、三の糸の弦振動は楕円運動で上下左右対称に振動するのに対して、一の糸は非対称の波形で振動して、なおかつ弦が指板に当たることで独特の歪み音を作っていたわけです。それが三味線の演奏上、非常に生きていた。そしてその後、三味線を見習ったわけじゃなく、ギタリストがそういう音を欲しがったんです。耳で見つけ出してね。あとから考えると、昔の人もファズ的な音の必要性を感じたんでしょう。3本の弦のうち1本を犠牲にするほどの意味を持っていたわけですから。

- 1960年代当時は、どうやってあの音を模索したんですか?。

- 梯
プレイヤーの皆さんはいろんなことを試しましたよ。スピーカーのコーン紙を破ってみたりしてね。もちろんどれも結果的には失敗だったんですけど、音としては、弾いたものが非対称に振動して、その時に原音とまったく異なった倍音構成を持つ音をともなって出てくるというのがファズの概念だったんじゃないかな。そもそもファズの定義がありませんでしたし、電気回路として考えたら無着苦茶な回路なんです。でも音楽家の耳がその音を要求したことでそれが生まれた。頭の堅い電気屋にはとうてい出てこない回路ですよ。

- 当時すでにアンプに大入力を入れたオーバードライブ・サウンドは発見されてましたよね?。

- 梯
ありましたよ。ただ、オーバードライブは入力信号が左右対称で、ギターの音っていうのはバーン!と弾いた時が振幅が大きくて、だんだん小さくなっていきますよね。その上下のピークがアンプ側によって削られる、これが技術的に見たオーバードライブの音だった。特にギターは、バーンと弾いた時の振幅が非常に大きいから歪むことが多かったんです。で、当時のアンプはすべて真空管ですよね。真空管はセルフ・バイアスという機能をちゃんと持っていて、大きな信号が入ってくるとバイアス点が変わって歪むポイントも変わるんですよ。そうすると独特の歪みになる。これが、同じ歪みでもトランジスタと比べて真空管の歪みの方が柔らかいとか、耳あたりがいいと感じる理由なんです。まぁ、オーバードライブとかディストーションとか、呼び分けるようになったのはもっとあとの話でね、中でもファズは波形を非対称にするものだから、独立した存在でした。

- マエストロのファズ・トーンが発売された1962年頃、梯さんはすでにエース電子を設立していますが、その当時日本でファズは話題になったんですか?。

- 梯
ほとんど使われなかったですね。ジミ・ヘンドリクスが出てきてからじゃないかな、バーっと広まったのは。GSの人たちはそんなに使ってなかったですよ。使っていたとしても、使い方がまだ手探りの段階だったと思います。

- 国内ではハニーが早くからファズを製作していましたよね。ハニーはトーンベンダー・マークⅠを参考にしたという説もありますが。

- 梯
いやいや、そんなことはないんですよ。彼ら自身が耳で決めたのだと思います。ハニーを設計した人物はその後にエーストーン、ローランドに入社した人ですからその辺の事情は聞いてますけど、ハニーは歪んだ音にエッジをつけて微分する・・要するに低音部を抑えて、真ん中から上の音を強調する回路になっていて、当時としては新しい種類の音でしたね。

- エーストーンも今や名機とされるファズ・マスターFM-2、そしてFM-3を発売しています。これらは70年代に入った頃に発売されていますが、当時の売れ行きはどうでしたか?。

- 梯
両方ともよく売れてましたよ。よくハニーとの関連について聞かれるんだけど、設計者は別の人です。

- そしてその後にローランドを設立するわけですが、ローランド・ブランドではBeeGeeやBeeBaaといったファズを早々に発表しています。やはり需要はあったということですよね?。

- 梯
ありましたね。鍵盤なんかとは違って店頭で売りやすい商品だったのと、その頃にはファズがどういうものかということをお客さんもわかってきていたから。あと面白い話があって、ローランドのアンプ、JC-120の開発もファズと同時期に進めていたんです。根本に戻るとこのふたつは同時発生的に始まっていて、片一方は歪み、片一方はクリーンという対極的な内容のものを作ろうとしていたんですね。そしてJCのコーラスのエンジン部分を抜き出したのが、単体エフェクターのCE-1なわけです。

- そうだったんですね。また、当時の特徴として、ファズとワウを組み合わせたモデルも多かったですよね?。ローランドだとDouble Beat (AD-50)なんかも出てますし。

- 梯
そうですね。ファズを使うことでサスティンが伸びるでしょ。そのサスティンを任意に加工できるのがワウだったんです。音量を変えたり、アタックを抑えてだんだん音が出るようにしたりできたから。

- 当時を改めて振り返って、思うところはありますか?。

- 梯
ハードとソフト、要するにメーカーとプレイヤーの関係は、ハードが進んでいる場合もあるし、ソフトが進んでいる場合もあるんですけど、ファズに関しては音楽家が一歩先を行っていたということですね。それを実現するのに、たまたま半導体が使えたことでこれだけ普及したんだと思います。

- なるほど。その後70年代後半〜90年頃まで 'ファズ' 自体が消える時代がありますが。

- 梯
いや、消えたんじゃなくて、ハード・ロックが出てきて音質がメタリックなものに変わっただけなんです。当初のファズのようにガンガン音をぶつけるんではなく、メロディを弾くためにああいう音に変わった。メタル・ボックスとか、メタライザーとかって名前をつけてましたけど、あれはファズの次の形というか、ファズがあったからこそ見つかった音なわけです。時代で考えてもそうで、ファズがあれだけ出回ったことで、次にハード・ロックが出てきたという自然な流れがあったんだと思います。

- そして90年代にはグランジ/オルタナの流行によって、ファズが再評価されるようになりますね。

- 梯
それは音楽の幅が広がったからですよ。当初、ファズは激しい音楽の部類にしか使われなかったけど、ギターの奏法面でも向上とともに、最初にあった音が見直された。メタリックに歪むものより、あえて昔のファズであったり、OD-1であったりの音でメロディックに弾こうとしたんでしょうね。

- 今ファズを製作している各メーカー、ガレージ・メーカーに対して、梯さんが思うことは?。

- 梯
新しい人が新しい目標でやられるのはいいことです。でも、特定のプレイヤーの意見だけではダメ。10人中10人に受け入れられる楽器なんてないですけど、10人のうち3人か4人が賛同してくれるなら作る意味があると思います。それに、流行があとからついてくるパターンもたくさんあって、ローランドのCE-1なんてまさにそのパターン。1年半売れなかったのに、ハービー・ハンコックがキーボードに使っている写真が雑誌に出たのがきっかけで爆発的に売れたんです。もともとギタリスト向けに作ったのに(笑)。そういう風に、使い道をミュージシャンが見つけた時に真価が出てくることもありますよ。

- ありがとうございました。最後にファズを使っているギタリストに何かメッセージを。

- 梯
何のためにファズを使うのか、もしくは使おうとしているのか、それをもう一度考えてほしいなぁと思います。そして、演奏技法をクリエイトしてもらえると、楽器を作っている者としては嬉しいですね。


                                                  "WANTED !" - Looking for pedals -

さて以下、Ace ToneのMulti-Vox EX-100は素晴らしい 'お宝探知能力' を持つEdさんにお任せするとして(笑)、米国、英国、スウェーデン、ドイツ、ブラジル、日本...これらは私が世界のネットワークの中から探している今から50年も前の古いペダルたちです(現在、断捨離中なのに懲りない...💦)。上で長々と記述した '世界同時革命' による大量の '日陰者' というべきペダル群の中から、HoneyのSuper Effect HA-9PとSpecial Fuzzは技術者の '過剰' 溢れる壮大な挑戦と '挫折' の結果だと思うのです。ソレはまだどこにも届いていないのですね...誰かに見つけられるのを待っている。わたしの関心は "昔は良かったね" と過去のコレクションを懐かしむことではなく、大量消費社会にあった時代の中で産み落とされながら見つけられなかったもの、捨て置かれていたものの中に内包する '過剰' を見出し再評価することにあります。20世紀という巨大な 'アーカイブ' からデータを引っ張ってくる現代においてタイムレスな製品、音楽の '過剰' に触れること。




                                           
- Oberheim Electronics Phasor P-100 -

それほど珍しくないOberheimのフェイザーP-100。同一モデルでMaestro版のMini Phase MPS-2はそこそこ市場に現れますが、そこはシンセサイザーのOberheimブランドということでなぜかP-100の方の価値が高騰中...。ちなみにMPS-2よりP-100の方が優れているのはDC9V供給出来る仕様となっていること。以前、都内楽器店で状態良好のモノが3万ちょいで長らく売れ残っており、今さらながらアレを買っておけば良かったと大後悔です。本機の姉妹機であるVoltage Controlled Filter VCF-200を箱付きで所有していることから、このP-100も揃えてコンプリートしたいという欲求だけだったりする(笑)。本当はココにOberheim版のRing Modulatorも揃えてこそ完璧なのだけど、アレはまず市場では見かけないし出て来たらもの凄い価格に釣り上がります(以前、ジャンク状態のモノがReverb.comに出ましたがあっという間の高騰ぶり!)。ちなみにOberheimのラインナップにはこのPhasorを内蔵した謎のギターアンプ(若かりし頃のオアシスのロリー・ギャラガーも愛用)や、1970年代後半のオーバーハイムの友人であるボブ・イーストンが立ち上げた会社360 Systemsでほぼ '協業体制' により、ギターシンセサイザーのThe Spectreなどを手がけておりまする。






                                         - Countryman Associates Type 968 Phase Shifter - 


ちなみにトム・オーバーハイムといえば世界初ペダルタイプのPhase Shifter PS-1を開発、市場に開陳したことで70年代 'フェイザーの時代' を宣言した重要人物のひとり。直後にその故障したPS-1が持ち込まれた街の修理会社を経営するキース・バールとテリー・シェアウッドはソレを見て一念発起、より小型化したPhase 90開発の契機とMXR起業のきっかけとなったことは有名な話です。しかし、そこから遡ること1967年!にスタジオ用レコーディング機器として最古のフェイザーとされるType 967/968 Phase ShifterがCarl Countrymanにより開発されております。そのType 967と968が上の画像にある2つの専用バッテリーで駆動する仕様で、最終型になる968Aで重いトランス内蔵と共にAC電源駆動となりました。先日、ヤフオクになんとType968Aがオプションのレアな三角波 'Triangle Wave Oscllator' のType 969オシレータ付属!(さらに今井商事なる国内代理店品!)で出品されておりましたが、自動入札による猛者の '先客' がズラッと待ち構えていたことから早々と退散しました...(汗)。もうちょい粘ろうかと思ってたけど、年始から 'デスマッチ上等!' の雰囲気が醸し出された途端にこちらの気持ちが冷めてしまった...(苦笑)。しかし...捨てる神あれば拾う神あり!?(ちょっと違うかな)、なんと真夜中に同一出品者からまさかの2台目登場で即決しましたヨ。う〜ん、これがタイミングなのでしょうか。現在、本機は海外の市場でも高騰しており、動作不明でも(前回の '競り' より)チョイ高めで即決ならもう迷ってはいけない。




                                 - Oberheim Electronics Voltage Controlled Filter VCF-200 -


こちらはすでに '箱付き美品' として所有しているVoltage Controlled Filter VCF-200。1990年代後半、突然Xotic Guitarsから発売されたRobo Talkなるペダルは当時のエレクトロニカ黎明期による 'グリッチ' と 'ランダム・アルペジエーター' の新たな効果で再評価されます。その後、他社からも多くの同種モデルが市場に開陳されましたが、しかし本機が1970年代のMaestro Filter/Sample Hold FSH-1(Oberheim VCF-200)のクローンであることを知る者は少なかったのでした。本機の再評価に大きく寄与しているのがかのフランク・ザッパ。この独特な効果を最大限に用いたギターソロが、1976年の来日公演のステージから突発的に始まった 'Ship Ahoy' を1981年のアルバム '黙ってギターを弾いてくれ' に収録することで世界に問いました。

             
                                        - Oberheim Electronics Ring Modulator (Prototype) -


そのOberheimといえば自身の製作するペダル第一号として有名なRing Modulatorが上げられるでしょう。1968年にUCLA音楽大学の同窓生でもあったトム・オーバーハイムとジャズのラッパ吹き、ドン・エリスは、当時のサイケデリックの空気とエリスの持つ '実験好き' な嗜好の要請からリング・モジュレーターの試作に取り掛かります。また、同じく前衛的な現代音楽の作曲家リチャード・グレイソンと共にステージで本機のお披露目的デモも行いました。そんなオーバーハイムのキャリアの出発点というべき本機のアイデアの元となったのは、とある電子回路の雑誌に掲載されていたというハラルド・ボデ(Harald Bode)の書いたリング変調の回路を見たことから始まりました。その後、ハリウッドのスタッフらによる特殊効果として注目され、映画作曲家レナード・ローゼンマンから1970年の映画 '続・猿の惑星' のスコアに抜擢されるという栄誉に預かります。この頃、ようやくChicago Musical InstrumentsとしてGibsonのエフェクター部門を担っていたブランドMaestroと契約し製品第一号として市場に流通を始めます。これは当時のジャズやロックのキーボーディストからも熱い注目を浴びて、マイルス・デイビス・グループのチック・コリア、ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌル、ザ・フォースウェイのマイク・ノック、ディープ・パープルのジョン・ロードらがステージで強烈な 原初的 'シンセシス' の片鱗を叩き付ける契機となりました。渋い使い方としては、ラリー・コリエル率いるThe Eleventh Houseでランディ・ブレッカーの抜けた穴を埋めるマイク・ローレンスがBarcus-berryのマウスピース・ピックアップ1374を用いてMaestro Echoplexと一緒に原音へリング変調を微かに混ぜて鳴らしております(フット・コントローラーはそのFrequency操作でしょう)。個人的に興味深いのはノルウェーのジャズシンガー、カーリン・クローグがドン・エリスと交流を持ったことからいち早く本機をヴォーカルに用いて特殊な歌唱を生み出したアルバム 'Joy' を1968年に制作しております。ちなみにヴィンテージで市販モデルのMaestroは中古市場でも高騰中であり、ヤワで折れやすいプラスティック製スライダー、オシレータのクロック漏れなど状態の悪い経年変化のモノが多く注意が必要です。日本では大阪の工房、Eva電子さんがなかなか格好良いクローンを受注生産で請け負っているそうですヨ。




            - Maestro Envelope Modifier (Prototype?) -


'オート・ヴォリューム' の効果を初めてそのカテゴリーと共に単体の製品で市場に開陳したのがこちら、Maestro Envelope Modifier ME-1。実は以前箱付きマニュアル同封の美品を所有していたことがあるのですが、う〜ん、コレはMaestro製品随一の '迷品' かも知れません。レアといえばレアですけど、ちょうどいまヤフオクに出品されていたりしてドッと出てくる時は出てくるものの出品者も匙を投げたような説明が全てを語ります(苦笑)。ズラッと筐体前面に並ぶ4つのツマミの可変範囲(美味しいポイント)が各々狭く、Durationというツマミだけが本機唯一のキモだったりするのですヨ。TRSモード(いわゆる 'Slow Gear' 効果)で2時前後、トレモロになるPercモードだとこのツマミ以外は無効となることがマニュアルに記載されております。本機ME-1以外ではAC電源駆動のマルチエフェクツUSS-1にこの機能が搭載されており(1:51〜2:27)、できれば一度試してみたいですねえ(Youtube動画だとME-1同様にセンシティヴで効果薄そうですが...)。しかし、実はわたしが探しているのは 'Sound Odyssey' と題されたMaestro1972年の広告で確認出来る謎の 'デラックス版?'。Phase Shifter PS-1と同サイズ(Dimensions: 2" high × 9" wide × 12" deep)で、同社のFull Range Booster FRB-1やMultiplier Splitter MM-1にも採用されたプラスティック製スイッチが4つ並ぶそのポップな '面構え' は、これまで発売された形跡もないのでプロトタイプの可能性が高いですね(型番は市販と同じME-1だったりする)。どうやらそのME-1から移植されるのはDurationツマミのみで、筐体前面に並ぶ3つの黒いスイッチを 'Percussive' としてSlow、Medium、FastのOn/Off、そして右側に隔離されるようにあるもう1つの黒いスイッチを 'Tape Reverse' としてBowingのコントロールとします。以下、カタログからの文面でこう紹介されております。

"Want it wild ? Flip a switch and you'll sound like you're playing backwards ! Like a recording studio reversing the tape. Want it mild ? Get "bowing" effects...sounds that gently sway like they're being played with a violin bow. Still want more style ? Put some percussion sounds in your notes...quick and punchy for fast and funky music. Whatever you want ...the freakiest array of effects...all sealed in just one Envelope Modifier. "

Maestroの特徴である工業的プロダクトとしての品質の高さと未来的でカラフルなスイッチから凄そうなイメージで釣っておいて、実際触るとハア!?、これだけ?となるまでがMaestro製品の "あるある" だったりします(苦笑)。ここでの 'ハッタリ具合' はその見た目の印象から受ける '万博感' 込みで楽しむモノだと留意すべき。逆にチープで荒いガレージ感満載の作りから、そのままブッ飛んだ効果で期待を裏切らないのが 'エレハモ'(笑)。一方、当時の英国雑誌にある広告文句では以下、指でスイッチをフリップすれば逆再生による '火星人のサウンド' やPhase Shifter PS-1と組み合わせサイケな 'レスリー効果' にも効果的だよ、などとメーカーは謳っております(笑)。


                                                    - Carlin Electronics Ring Modulator -


1970年代初めにスウェーデン初のビルダー、ニルス・オロフ・カーリンの手がけたブティックペダルは各々100台前後製作されたPhase PedalとCompressor(すでに入手済)。これだけでも超絶レアものですけど当時、オーダーによりわずか3台しか製作されなかったのがこのRing Modulator。現行のリング・モジュレーターの大半が2つの入力の和と差をマルチプライヤー(乗算器)という回路で掛け合わせ非整数倍音を生成し、これらを掛け合わせるためのキャリア内蔵が一般的ですけど、本機はリング変調の原点に則りA、Bふたつの入出力を掛け合わせて音作りをする珍しい仕様。2016年に同地の工房Moody Soundsから復刻の決まったCarlinのペダルは、その製作者本人の監修のもと現代風の仕様にブラッシュアップされてようやく陽の目を見ます。本機も当初はオリジナル通りのレイアウトで復刻されましたが、すぐにA、B各々でレベル調整出来る仕様へと変更されて使い勝手が向上しました。1970年代に製作されたヴィンテージの3台を見つけることはさすがに無理ですが、復刻に際して当時のパーツでカーリン本人の手により2013年に 'リビルド' されたものを探しています(Moody Soundsは1,850クローネでこれを販売済)。しかし、オーダーまでした当時の3台...何処に行ったんだろうなあ。想像するに当時20代であったであろうロックに熱狂したスウェーデンの若者も、今や70代の終活世代なのは間違いない。汎用性の乏しい特殊な効果だけに一度使用して棚の奥に仕舞われたままか、すでに遺品として残された家族の手によりゴミ箱へ '不燃ゴミ' として捨てられてしまったか...。



ちなみにせっせと集めてきたCarlin古のペダル群、なんとオリジナル通りのRing Modulatorを遂に手に入れてしまいました!。お、1970年代に僅か3台のみ製造されたアレですか!?と突っ込まれそうですが、残念ながら現地スウェーデンからの '遺品報告' はまだありません(汗)。また、2013年にCarlin本人が手許にあった当時のパーツで復刻の為の研究用として組み、後にMoody Soundsから1,850クローネで販売された 'リビルド品' でもないです。とりあえず、貴重なこの 'リビルド品' を手に入れたユーザーは早く手放して下さい、と言いたい(笑)。しかし、その研究成果が如実に反映されたであろうMoody Soundsから2016年最初の復刻モノである 'Ver.1' が手許に到着(涙)。これぞオリジナル通りのレイアウトであり、A、B各々のリング変調をミックスするレベルつまみ1つの仕様で流通量も少ないレアものなんです。また、無塗装のキット販売も当時行われた中で本機はMoody Soundsにより組み込まれた数少ない完成品(塗装は下手クソですが)。この 'Ver.1' の後すぐにA、B各々のレベル調整しやすいよう3つのつまみへと仕様変更された 'Ver.2' へモデルチェンジし、現行品の 'Ver.3' はリング変調用のA、B入出力がオリジナルを模した筐体前面へとレイアウトされております。もちろん、これら復刻モノはDC供給端子、LED、In/Outのレイアウトを現代の標準仕様(右→左)へと戻されております。




                                                             - Jennings Cyclone -

英国のVoxとも深い繋がりを持つJenningsは、独創的な操作で俗に 'ツイスト・シリーズ' とも言うべきラインナップを展開しました。ワウのGlowlerやトレモロのRepeaterはすでに知られた存在でしたが、このシリーズには '英国紳士' 的ハンマートーンの筐体から思いも寄らない '飛び道具' で不意打ちが仕掛けられていたことを忘れてはいけません。Cycloneと題されたこのマルチエフェクツは、ワウファズに加えてなんと 'Silen' と 'Tornedo' のノイズ効果を搭載。はて?この効果といえば我が日本から世界に発信されたマルチエフェクツ、Super Effect HA-9Pとの関係性を知りたくなるのが人情というもの。その '卵が先か鶏が先か' の真意は未だ藪の中ですが、このレアペダルをJHS Pedals主催のジョシュさんのコレクションから動画で開陳したことでわたしの '指名手配' に加わりました(笑)。ちなみに本機のシリーズとしては、ロータリー効果による 'フェイズワウ' の姉妹機Bushwhackerというペダルも用意されております。




                                     - Arbiter Electronics / Fender Soundette / Soundimension -

Fender Soundette
Arbiter Electronics Soundette ①
Arbiter Electronics Soundette ②
Arbiter Electronics Soundimension
Arbiter Electronics Add-A-Sound

Arbiterから登場したSoundimensionとSoundetteはBinson Echorecと同様の磁気ディスク式エコーであり、1968年に僅か1年あまりの短命であったSoundetteは翌年、ポータブルラジオのような持ち運び可能のユニークなデザインのSoundimensionで一新しました。この会社はジミ・ヘンドリクスが愛用したファズ・ボックス、Fuzz Faceを製作していた英国のメーカーとしても有名です。またアッパー・オクターヴの効果を持つAdd-A-Soundはフランク・ザッパも愛用しました。現在、その超レアなSoundetteがeBayに出品中...完動品ですけど肝心のエコー音が出力しないとかで修理に難儀しそうだからか皆、なかなか手を出しませんね(その割にメチャクチャ高値が付けられてる)。そんなSoundimensionはジャマイカのレゲエ、ダブ創成期に多大な影響を与えたプロデューサー、コクソン・ドッドが愛した機器で、ドッドはよほどこの機器が気に入ったのか、自らが集めるセッション・バンドに対してわざわざ 'Sound Dimension' と名付けるほどでした。後には自らミキシング・コンソールの前を陣取り 'Dub Specialist' の名でダブ・ミックスを手掛けますが、そんな彼のスタジオStudio Oneでドッドの片腕としてエンジニアを務めたシルヴァン・モリスはこう説明しております。

"当時わたしは、ほとんどのレコーディングにヘッドを2つ使っていた。テープが再生ヘッドを通ったところで、また録音ヘッドまで戻すと、最初の再生音から遅れた第二の再生音ができる。これでディレイを使ったような音が作れるんだ。よく聴けば、ほとんどのヴォーカルに使っているのがわかる。これが、あのスタジオ・ワン独特の音になった。それからコクソンがサウンディメンションっていう機械を入れたのも大きかったね。あれはヘッドが4つあるから、3つの再生ヘッドを動かすことで、それぞれ遅延時間を操作できる。テープ・ループは45センチぐらい。わたしがテープ・レコーダーでやっていたのと同じ効果が作れるディレイの機械だ。テープ・レコーダーはヘッドが固定されているけど、サウンディメンションはヘッドが動かせるから、それぞれ違う音の距離感や、1、2、3と遅延時間の違うディレイを作れた。"




                               - Blackfield Orchester Elektronik Rotor Effekt / Flying Sound -


パッと見でおお、コレは新映電気のOEMか!?と早とちりするのも無理はない 'ダブルラバー' のペダル部分は、よ〜く見れば少しだけ細身のゴムが貼られていて '似て非なる' ものだったりする...。この1970年代のレスリー風モジュレーション、ファズ・フェイザーの2種である本機たちは、その出所不明な 'Blackfield Orchester Elektronik' なる西ドイツ産をアピールしながらどこか 'Uni-Vibe風フェイズ' なのが謎を増幅させております。Schaller、Höfner、Dynacord...東ドイツまで含めればVermonaなど、これまで散発的に地味なペダル市場を展開してきたドイツ。このサイケなフォントであしらわれたFlying SoundとポップなフォントのRotor Effektに装備されているのは、旧ソ連製ペダルを思わせるローラー型パラメータとドイツ産ならではの質実剛健で無骨な筐体により製品としての品質の高さを伺わせますね。多分、欧州の小さな楽器店を中心に探さないとダメなほどレアなペダルです(以前、Rotor Effektをスウェーデンの楽器店で '売り切れ' 在庫として見付けたことがあります)。








                              - Sound Pedals ES-1〜ES-4 -

1960年代のロックとLSD、その '追体験' ともいうべきエレクトロニクスによる '世界同時革命' の熱病は世界に広がり、それは遠く南米ブラジルの地でも花開くこととなりました。いわゆる 'トロピカリア' と呼ばれるムーヴメントによりオス・ムタンチスを始めとした数多のロック、R&Bバンドが到来、コンピレーションの 'Brazilian Fuzz Guitar Bananas' はそんな時代の熱気をパッケージして開陳します。それに呼応するように同地初?のブランドとして、1960年代後半から1980年代半ば頃まで楽器メーカーとして君臨していたSound Pedals。その中でもファズワウ、トレモロ、フェイザー、あのHoney Super EffectやJennings Cycloneとの '同時性' を感じさせる 'Siren' 効果などを盛り込んだES-1からES-4に至るシリーズはユニークです。そのチープな旧ソ連製ペダルを思わせる筐体に欧米のペダルとは一味違う仕様が、そのまま荒い '持ち味' として南米産ならではの出自を誇示しております。ブラジルといえば1970年代後半には 'エレハモ' 風筐体を持つGiannini、Bossのパクリとして代理店のタハラが扱ったOnerrや現在でもユニークなパッケージングでペダルやアンプ製作を行うMG Musicなどがあり、実は南米もアルゼンチン(Sonomatic、Dedalo Fx)やウルグアイ(Maneco Labs)含めて活発な 'ペダル大陸' だったりするのです(カリブ海の中米まで含めればドミニカの工房Copilot Fxもあります)。





            - Frogg Compu-sound - Digital Filtering Device -

Frogg Compu-sound - Digital Filtering Device

こんなカタチしてますけどペダルなんです。1970年代後半にFroggという会社がFoxxに依頼してわずか100台ほどしか製作されなかったエンヴェロープ・フィルターで、一目でFoxx製と分かる専用エクスプレッション・ペダルのほか、プログラマブルな100個のプリセットをいかにも '初期デジタル風' なEL管表示のデジタル・カウンターによるテンキー操作で '電卓ライク' なルックスがたまりません。ちょうど同時代のYMOの使用で有名となったRplandのデジタル・シーケンサーMC-8を彷彿とさせますが、実際の中身はアナログ回路で構成されているようです(笑)。当時の広告でも 'The Guitar Computer' などと大々的に謳ってますけど、これってWMD Geiger Counterが登場した時と同じような 'デジアナ論争' ?というか、デジタル・カウンターが表示されれば人はすぐに中身もそうだと思い込んでしまう潜入意識がありますよね(笑)。こーいうハッタリ具合もそそられる魅力満点でして、Youtubeの動画で聴いてみれば実は地味なフィルタリングの '質感生成' に特化したヤツっぽいです。欲し〜。数年前に立て続けでReverb.comに出品された時があったんだけど、その時無理して買っときゃよかったな(悲)。







                                                                 - EMS Synthi Hi-Fli -


あのデイヴィッド・コッカレルの傑作!。英国のシンセサイザー・メーカーEMSの手がけた初期ギターシンセサイザーであります。レアものですが '資金繰り' で手放すユーザーもいることから市場でたまに見かけるものの、伝説的なEMS製品ということもあり基本的にどれも100万オーバーにより手が出ません...。ほぼ '投機物件' 扱いのペダルという範疇を超えたスーパーカー的存在と言って良いでしょう。その価格は年々高騰しており下がることはなく、当時のパーツを中心に 'リビルド' で復刻するDigitana Electronics(EMSのリビルド部門会社)のモノも長い順番待ち状態...(現在、過去のEMS製品には所有履歴の追跡できるギャランティカード必携)。まさにこれぞ '世界で一番美しいペダル' なんですが、個人的にはこのデザインを見て確実に萌えるだろうAppleとのコラボで電源Onと共に '🍏マーク' の光る 'Apple / EMS Synthi Hi-Fli' の復刻版を期待したい(笑)。そして、いまReverb.comに出品されているのは記念すべきシリアルNo.001の博物館レベルなお宝モノがありまする。価格も8,500ドル(125万超え!)ということで、もはや恐れ多くて使えませんね...。







                                                       - Ace Tone Multi-Vox EX-100 -

え〜っと、去年の暮れにジャンクとはいえメルカリに出品されてたらしいですね...。不覚にも完全にノーマークで気が付きませんでした(悲)。1ヶ月後に何気なく検索してみて...ガーッン(呆然)。ほんと去年最大の失敗ですヨ、あーあ...。

さて、気を取り直して...っと(ため息は吐くばかり...)、国産といえば日本初のファズボックスを製作し、後に独立してRolandを設立する梯郁太郎氏が手がけたブランド、Ace Toneことエース電子工業株式会社。Fuzz MasterやWah Masterは知っていてもこの管楽器用オクターバー、Multi-Vox EX-100を製作していたことはほとんど知られておりません。当時、39,000円というあまりにも高価格の設定とそのニッチな需要から現在までこの実物を見たことがないのですヨ(というかメルカリ見逃してた...もういいって!?苦笑)。わたしも当時の雑誌広告など資料は揃えましたが、あのEffects Databaseにも未だ網羅されていない為、どなたかより詳細な本機の情報を求ム(実際に使用した日野皓正さんや村岡建さんはもう忘れてるだろうなあ...)。というか、上述した 'ジャンクEX-100' 入手された方はネットで本機の詳細などお伝え下されば幸いです〜。またAce Toneは1968年にHammondと業務提携をして、本機もOEMのかたちで米国に輸出する旨がアナウンスされていたことを1969年のカタログから確認出来ますね。



● for amplifying woodwinds and brass
● exciting and dramatic
● new tonal dimensions

More than mere amplification. A convenient transistorized package complete with microphone attachments for saxes. clarinets and brass. Will provide variety of sounds. singly and in unison, octaves up and down, mellow of bright.

しかし 'Inquire for details and prices' と強調されているのを見ると日本から現物が届いておらず、カタログでアナウンスされたものの米国では発売されなかった感じですね。実際、これまでeBayやReverb.comなど海外のオークションサイトで現物を見かけたことはありません。今のところ、Multi-Vox唯一の音源として残されているのは1970年に日野クインテットが手がけた東宝映画 '白昼の襲撃' のO.S.T.盤。そのタイトル曲である 'Super Market' (3曲目)から日野さんの吹くソロで影のように追従する蒸し暑いオクターヴトーンが聴けますけど、これはオクターヴトーンのカットされた45回転シングル盤とは別テイクのミックスでO.S.T.盤でしか味わえない貴重な音源となります。そして、2013年にCD化されたサックス奏者、原信夫とシャープス&フラッツの1968年から70年までのライヴを収めたアルバム 'At The Jazz Festival '68 - '70' で、68年9月のライヴ音源によるチャールズ・ロイドの大ヒット曲 'Forest Flower' をどうぞ。この時期、原さんは自身のサックスをH&A Selmer Varitoneによる 'アンプリファイ' でビッグバンドを率いていたのですが、こちらの 'Forest Flower' で4管からなるブラスセクションのリードソロに発売間近(68年10月から雑誌に広告初出)のAce Tone Multi-Vox使用と思しきクランチーなソロを披露しております!。'Bright' スイッチと 'Super Octave' スイッチをOnにしてチリチリとディストーショナルなラッパの音色から一部ハウりそうな部分もありますが、これは格好良いですねえ!。多分、Ace Toneによるステージでの新製品お披露目的なモニターで使ってもらったのだろうと推測します。











そんなMulti-Voxをいち早く導入したのが、マイルス・デイビスの '電化' に感化されていたトランペットの日野皓正氏とテナーサックスの村岡建氏のふたり。すでに本機発売の翌年、そのデモンストレーションともいうべき管楽器の可能性を示すいくつかのイベントで披露しております。ちなみに雑誌広告としては1968年の 'スイングジャーナル' 誌10月号で初出後、価格未定のまま11月号、12月号、価格決定した翌69年の5月号、6月号、7月号、8月号でのPRを最後に、当時としては39,000円の高価格品ということから庶民には手の出ないモノだったことが伺えますね。雑誌広告でそのMultivox EX-100と併用して使うことをお勧めしているのが同社のギター用スタックアンプ、Solid Ace SA-9。もちろん、このアンプから出力されるのはトランペットに装着されたピエゾ・ピックアップPU-10を介して鳴らされるオクターヴ音であり、これとベル前に立てられたスタンドマイクからの生音をPAでミックスすることでステージでのラッパの '音場' となりまする。日野さんのステージでは、そのSA-9の上にスプリング・リヴァーブ内蔵のAce Tone MP-4 Echo Mixerを鎮座させて使用しておりました。ちなみに当時、日野皓正クインテットの一員として 'Hi-Nology' でも共演するサックス奏者の村岡建さんは、この時期から少し経った1971年に植松孝夫さんとの '2テナー' によるライヴ盤 'Ride and Tie' でファンキーなオクターヴトーンを堪能することが出来ます。実はコレ、Ace Tone Multi-Voxのプレイなのでは?と思っていたのですが、アルバム解説での村岡さんの談によればヤマハから '電気サックス' 一式を購入したことが本盤制作のきっかけになったとのこと。これは、そのヤマハ海外事業部を介して手に入れた '海外製品' (Varitone ?Multi-Vider ?)を使用したと理解する方が自然かもしれません。

⚫︎1969年3月24日 初の日野皓正クインテット・ワンマン・コンサートを開催する(東京サンケイ・ホール)。'Love More Trane'、'Like Miles'、'So What' などを演奏、それに合わせてあらかじめ撮影された路面電車の 種々のシーンをスクリーンに映写し、クインテットがインプロヴァイズを行う。日野さんのラッパには穴が開けられピックアップを取り付けて初の電化サウンドを披露した。

⚫︎1969年6月27、28日 クインテットによる「日野皓正のジャズとエレクトロ・ヴィジョン 'Hi-Nology'」コンサート開催(草月会館)。写真家の内藤忠行のプロデュースで司会は植草甚一。第一部を全員が 'Like Miles'、'Hi-Nology'、'Electric Zoo' を電化楽器で演奏。第二部は「スクリーン映像との対話」(映画の公開ダビング)。「うたかたの恋」(桂宏平監督)、「POP 1895」(井出情児監督)、「にれの木陰のお花」(桂宏平監督)、「ラブ・モア・トレイン」(内藤忠行監督)の5本、その映像を見ながらクインテットがインプロヴァイズを行い音楽を即興で挿入していった。コンサートの最後にクインテットで 'Time and Place' をやって終了。

このAce Toneによるサウンド・システムを駆使した直近のイベントが上記した2つのもの。日野さんは別売りのピックアップPU-10(3,000円)を当時愛用のJet Tone 6Bマウスピースに加工することを避けて、Yamahaトランペットのベル横側に自ら穴を開けてピックアップを組み込み当日のステージへ臨んだとのこと。アルバム 'Hi-Nology' の内ジャケットや下記 '新譜ジャーナル' 広告(Multi-Vox最後の広告となる70年3月号)にもありますが、当時はMulti-Vox EX-100からの出力をAce Toneのスプリング・リヴァーブ内蔵MP-4 Echo MixerからソリッドステートのスタックアンプSA-9を用いて鳴らしておりました。そんな 'Ace Toneお披露目会' 的イベントのうち、3月24日に東京サンケイホールで行われたコンサート評が 'スイングジャーナル' 誌1969年5月号に掲載されております(この過剰な思い入れたっぷりの評がいかにも '学生運動' 世代って感じ...笑)。ちなみにここで扱われる '都電' は当時、いわゆる 'モータリゼイション' の波に押し寄せられ都市の邪魔モノ扱いの如く変わりゆく東京の風景から消えていく象徴でもありました。

"今月はコンサートずいて、3度も鑑賞する機会を得た。しかしこのコンサートほど充実していて感動的な演奏会は、過去にも数えるほどしかなかったのではないかと思うと俄然嬉しくなったのである。この喜びは日野皓正クインテット<村岡建(ts)、鈴木宏昌(p)、稲葉国光(b)、日野元彦(ds)>でなければ味わえぬものだっただけに尚のこと嬉しかったのである。しかも会場の空席はほとんどなく、若い聴衆が目立ち、そのうえ彼らは真に感動的なものに対してのみ送る心の賛辞を熱狂的にあるいは控え目に与え続けた。彼らは心から感動している。これこそ日野が勝ち取った唯一の宝であり、われわれは今まさにこれを大切に育てねばならぬと痛感したのであった。今までの日本ジャズメンによるコンサートは、大抵有名グループを羅列しただけの客の数を増やそうという無策なものだった。こうした安易な企画に対して、われわれは常に厳しい攻撃を加えてきた。日本のジャズの将来のことを考えれば、聴衆の数よりも質の方を優先すべきは当然の理なのである。2部の最後で試みた映像とジャズの結び付きはわれわれを詩の持つ世界に誘い込み、深い感動を与えたが、これなどは企画とミュージシャンの演奏とが渾然一体となった最良のものだろう。これは 'Love More Trane' と名付けられ、あらかじめ撮影された路面電車(都電)の種々のシーンを舞台上に映写し、これに日野グループがインプロヴィゼーションしたものである。つまり演奏と映写は0から同時スタートするわけであり、プレーヤーは変転する局面に応じてソロを取ることになる。画像と音とがぶつかり合って生まれる新しい体験によって聴衆は快い興奮にしばし酔ったのである。それはまさしく '都電' を抽象化した音の世界であり、それはまた悲しみの象徴でもあった。この日の演奏は 'Like Miles' で始められ、その全てが彼らの実力をフルに発揮した近来まれに見るコンサートだったが、数曲でドラムを除いて全員が電化楽器を操り、この面でも彼らの音楽観を損なわぬ意欲に満ちた立派な出来を示した。これこそリサイタルの本来の意味であり、ジャズの呪縛の力なのである。'So What' に示した稲葉のソロを始め、各人がベスト・プレイを見せたことはこのグループが現在本邦一であることを示した。また村岡の感覚的な世界は、脱皮の苦しさに溢れていて、彼が未だ成長途上にあることを物語り、日野のいつもと変わらぬ美しく刺激的なトーンは、そのイマジネイティヴな楽想とによってますます冴え渡った。そして彼らのグループ・インプロヴィゼーションのスリルある美しさは、日頃の鍛錬と各人の意志の集中があってこその成果であり、それと共に彼らの逞しいソロはジャズ・ゲリラとしての厳しい環境から生まれたホンモノであって、そうした厳しい美しさに終始印象付けられたコンサートであった。聴衆の興奮と満足そうな表情に接して、僕は日本のジャズの夜が開けたことを知ったのである。この機は絶対に逃してはならないし、われわれも意識を参加させ、たまには傍観者の地位をかなぐり捨てねばならない。"











どう見てもラッパを持った 'ジミヘン' にしか見えない 'ヒノテル' (笑)。
こうした実験的なコンサートを経て '国産初のオクターバー' は人知れず時代の彼方へと消えて行ってしまいました...。上述した映画 '白昼の襲撃' OST盤以外での使用がほとんど聴かれないのは残念ですね。いかにも本機使用の状況にふさわしいフラワー・トラヴェリン・バンドとの共演による45回転シングル 'Crash c/w Dhoop' では、その 'Dhoop' 後半のユニゾンがMulti-Voxを使うのかと思いきや村岡建さんのテナーだったりするから紛らわしい...(苦笑)。その後、下記本人インタビューにもあるように1970年の大阪万博ステージで披露したのがMulti-Vox使用の最後だったようで、製品広告では '新譜ジャーナル' 1970年3月号の裏表紙に大きく日野さんを前面に出しながらこちらも最後の広告を打っています。そんな当時の '日野ブーム' と共に大きく影響を受けた 'エレクトリック・マイルス' 及び '電気ラッパ' に対して後年、日野さん本人はこう述べておりました。

- エレクトリック・トランペットをマイルスが使い始めた当時はどう思いましたか?。

"自然だったね。フレイズとか、あんまり吹いていることは変わってないなと思った。1970年ごろにニューヨークのハーレムのバーでマイルスのライヴを観たんだけど、そのときのメンバーはチック・コリアやアイアート・モレイラで、ドラムはジャック・ディジョネットだった。俺の弟(日野元彦)も一緒に観に行ってたんだけど、弟はディジョネットがすごいって彼に狂って、弟と "あれだよな!そうだよな!" ってことになって(笑)。それで電気トランペットを俺もやり始めたわけ。そのころ大阪万博で僕のバンドがああいうエレクトリックのスタイルで演奏したら、ヨーロッパ・ジャズ・オールスターズで来日中だったダニエル・ユメールに "日野はマイルスの真似しているだけじゃないか" って言われたことがあるんだけどね。"

この国産初オクターバーと共に 'アンプリファイ' 黎明期を経て再び日野さんが '電気ラッパ' にアプローチするのは1976年、キーボードの 'プーさん' こと菊地雅章氏と双頭による 'Kochi/東風' 名義で制作したアルバム 'Wishes' になりますね。前年に活動停止したマイルス・デイビス・グループのメンバーが大挙参加して、エンヴェロープ・フィルターやテープ・エコーを駆使した和風の '電化っぷり' がたまりません。日野さんとプーさんによるコンビはこの後、1981年に従来のジャズの方法論を超えてマイルス・デイビスが 'On The Corner'でやった手法を '換骨奪胎' させた異色作、'Susuto' と 'Double Rainbow' で日本からジャズの先端を世界に提示します。ちなみにこの1970年の大阪万博のステージでは、スイス館の為にThe Metronome Quintetとして来日、日本コロンビアで7インチ 'Expo Blues' を吹き込むサックス奏者、ブルーノ・スポエリがC.G.Conn Multi-Viderでの演奏を披露しております。同時期に英国のJazz Rock Experience (J.R.E.)に参加していた同郷のラッパ吹きハンス・ケネル(なぜか後年はアルプスホルンの名手となった)もそのMulti-Viderの愛用者でしたが、スポエリは同グループではHammondのInnovex Condor RSMを試しております。その後、後述するギル・メレのようにEMSシンセサイザーやLyliconにも手を出し 'エレクトロニクスのマッドサイエンティスト' としてスイスの地で重鎮となりました。そんな管楽器と 'アンプリファイ黎明期' の思い出を '5つの質問' としてネット上のインタビューから抜粋、こう答えております。

- 1970年代にあなたは電化したサックスで実験されましたよね。あなたのサックスを電化するにあたり用いたプロセスはどのようなものでしょう?。

"サックス奏者でありジャズのインプロヴァイザーでもあるわたしは、いつもキーボード以外のやり方で演奏することを探していました。1967年にわたしはSelmer Varitoneを試す機会を得たのですがそれはあまりに高価だった為、わたしはConn multi-Viderを使い始め、その後にはHammondのCondor RSMへ切り替えて使いました。特にわたしは多くのコンサートでMulti-Viderを使いましたね(1969年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルで私たちのジャズ・ロック・グループが使用し、そこでエディ・ハリスにも会いました)。1972年にわたしはEMSのPitch to Voltageコンバータをサックスと共に用いてコンサートをしました(VCS 3による3パートのハーモニーやカウンター・メロディと一緒に)。そして1975年にわたしはLyriconの広告を見て直ちにそれを注文したのです。"

Ace Tone Mic Adapter MP-1

そんなMulti-Voxと組み合わせて使うモノなのかは分かりませんが、Ace Toneから同時期発売されていたのがMic Adapter MP-1という2チャンネルのアクティヴDI(9V電池駆動)。入力ゲイン自体低く設定(経年劣化?)されておりH.I.、L.I.各々2つずつ計4つの入力があるなどミキサーとしての機能も備わっております。出力がバランスのXLRではなくアンバランスのフォンなのは古い時代ならではですけど(苦笑)、本機の使い方を考えてみれば管楽器のベルに立てたダイナミックマイクの収音をCh.1のL.I.、Multi-Voxからピエゾ・ピックアップで収音したものをCh.2のH.I.に入力してミックスするということでしょうか?。ちなみにわたしの所有品から生えている出力ケーブルは柔らかかったです(笑)。



さて、そのAce Tone随一の謎に迫るべく、'スイングジャーナル' 誌1969年3月号に掲載された座談会「来るか電化楽器時代! - ジャズとオーディオの新しい接点 -」から掲載します。こちらは4名の識者で 'スイングジャーナル ' 誌編集長の児山紀芳氏、テナーサックス奏者の松本英彦氏、オーディオ評論家の菅野沖彦氏、そして当時Ace Toneことエース電子工業専務であった梯郁太郎氏らが 'ジャズと電気楽器の黎明期' な風景について興味深く語り合います。ここでの議論の中心として、やはり三枝文夫氏と同じく梯郁太郎氏もこの '新たな楽器' に対してなかなか従来の奏者やリスナーが持つ価値観、固定観念を超えて訴えるところまで行かないことにもどかしさがあったことを訴えております。しかし、この頃からすでに現在のRoland V-DrumsやAerophoneの原初的アイデアをいろいろ探求していたとは・・やはり梯さん凄い!。また、管楽器とピエゾ・ピックアップの過剰なレスポンスに関する 'エレアコ' の扱いずらさについて、サックス奏者の松本英彦氏が言及しているのも鋭い指摘でさすがです。

-電化楽器の原理をさぐる -

- 児山
今回の座談会は、去年あたりから市販されて非常に話題になっているエレクトリック・インストゥルメントとしてのサックスやドラムといったようなものが開発されていますが、その電気楽器の原理が一体どうなっているのか、どういう特性をもっているのか、そしてこういったものが近い将来どうなっていくだろうかといったようなことを中心にお話を聞かせていただきたいと思います。そこでまずエース電子の梯さんにメーカーの立場から登場していただき、それからテナー奏者の松本英彦さんには、現在すでにエレクトリック・サックスを時おり演奏していらっしゃるという立場から、菅野沖彦さんには、ジャズを録音していくといった、それぞれの立場から見たいろんなご意見をお伺いしたいと思うんです。

まず日本で最初にこの種の製品を開発市販された梯さんに電化楽器というものの輪郭的なものをお話願いたいと思うんですが。

- 梯
電気的に増幅をして管楽器の音をとらえようというのは、もう相当以前からあったんですが、実際にセルマーとかコーンとかいった管楽器の専門メーカーが商品として試作したのは3年ぐらい前です。それが2年ぐらい前から市販されるようになったわけです。

- 児山
これは結局いままでのエレクトリック・ギターなどとは別であると考えていいわけですか。

- 梯
ええ、全然別なんです。これらの電化管楽器が、ギターなどと一番違うところは、コードのない単音楽器だけができる電気的な冒険というのが一番やりやすいわけです。といいますのは、コードになった時点からの増幅段というのは絶対に忠実でなければならない。ところが単音というのはどんな細工もできるわけです。この単音のままですと、これはまだ電子音なんです。そこに人間のフィーリングが入って初めて楽音になりますが、そういった電気的な波形の冒険というのが、単音楽器の場合いろいろなことができるわけです。その一例として、オクターブ上げたり下げたりということが装置を使うと簡単に実現することができるんです。コードの場合はその一音づつをバラバラにしてオクターブ上げたり下げたりしてまた合接する・・これはちょっと不可能なわけですね。

- 児山
これら電化楽器のメリットというか特性的なことをいまお話し願いましたが、そこでいかにして電気的な音を出しているのかという原理をサックスに例をとってわかりやすくお願いしたいんですが。

- 梯
現在市販されているものを見ますと、まずマイクロフォンを、ネックかマウスピースか朝顔などにとりつける。そのマイクもみんなエア・カップリング・マイク(普通のマイク)とコンタクト・マイク(ギターなどについているマイク)との中間をいくようなそういったマイクです。ですからナマのサックスの音がそのまま拾われてるんじゃなくて、要するに忠実度の高いマイクでスタジオでとらえた音とはまったく違うものなんですよ。むしろ音階をとらえてるような種類のマイクなんです。音色は、そのつかまえた電気のスペースを周波数としてとらえるわけです。それを今度はきれいに波を整えてしまうわけです。サックスの音というのは非常に倍音が多いものですから基本波だけを取り出す回路に入れて今度はそれを1/2とか1/4とか、これは卓上の計算機のほんの一部分に使われている回路ですけど、こういったものを使ってオクターブ違う音をつくったりするわけですよ。これらにも2つのモデルがあって、管楽器にアタッチメントされている物ですと、むしろ奏者が直ちに操作できることを主眼に置いて、コントロール部分を少なくして即時性を求めてるものと、それから複雑な種々の操作ができるということに目標を置いた、据え置き型(ギブソンのサウンド・システム)といったものがあるわけです。

- 児山
これで大体原理的なことはわかりますが。

- 菅野
わかりますね。

- 松本
ところが、これから先がたいへんなんだ(笑)。

- 児山
じゃ、そのたいへんなところを聞かせてください。それに現在松本さんはどんな製品を・・。

- 松本
現在セルマーのヴァリトーンです。しかし、これどうも気に入らないので半年かかっていろいろ改造してみたんだけど、まだまだ・・。サックスは、サックスならではの音色があるんですよ。それがネックの中を通して出る音はまず音色が変わるんですね。それから、音が出てなくてもリードなどが振動していたり、息の音などが拾われて、オクターブ下がバァーッと出るんですよ。

- 梯
それはコンタクト・マイクの特性が出てくるわけなんです。

- 菅野
わずかでもエネルギーがあればこれは音になるわけですね。

- 梯
ですから、マウス・ピースに近いところにマイクをつけるほど、いま松本さんのいわれたような現象が起るわけなんです。かといって朝顔につけるとハウリングの問題などがあるわけなんです。

- 松本
ちっちゃく吹いても、大きなボリュームの音が出るというのは、サックスが持つ表情とか感情というものを何か変えてしまうような気がするねェ。一本調子というのかなあ。それに電気サックスを吹いていると少し吹いても大きな音になるから、変なクセがつくんじゃないかなんて・・。初めオクターブ下を使ってたとき、これはゴキゲンだと思ったけど、何回かやってると飽きちゃうんだね。しかし、やっぱりロックなんかやるとすごいですよ。だれにも音はまけないし、すごい鋭い音がするしね。ただ、ちょっと自分自身が気に入らないだけで、自分のために吹いているとイージーになって力いっぱい吹かないから、なまってしまうような...。口先だけで吹くようになるからね。

- 児山
それもいいんじゃないですか。

- 松本
いいと思う人もありますね。ただぼくがそう思うだけでね。電気としてはとにかくゴキゲンですよ。

- 児山
いま松本さんが力強く吹かなくても、それが十分なボリュームで強くでるということなんですが、現在エレクトリック・サックスの第一人者といわれるエディ・ハリスに会っていろんな話を聞いたときに、エレクトリック・サックスを吹くときにはいままでのサックスを吹くときとはまったく別のテクニックが必要であるといってました。

- 松本
そうなんですよ。だからそのクセがついてナマのときに今度は困っちゃうわけ。

- 児山
だから、ナマの楽器を吹いているつもりでやると、もうメチャクチャになって特性をこわしてしまうというわけです。結局エレクトリック・サックスにはそれなりの特性があるわけで、ナマと同じことをやるならば必要ないわけですよ。その別のものができるというメリット、そのメリットに対して、まあ新しいものだけにいろんな批判が出てると思うんですよね。いま松本さんが指摘されたように音楽の表情というものが非常に無味乾燥な状態で1本やりになるということですね。

- 松本
ただこの電気サックスだけを吹いていれば、またそれなりの味が出てくるんだろうと思うんですが、長い間ナマのサックスの音を出していたんですからね・・。これに慣れないとね。

- 児山
やっぱりそういったことがメーカーの方にとっても考えていかなきゃならないことなんですかね。

- 梯
ええ。やはり電子楽器というのは、人間のフィーリングの導入できるパートが少ないということがプレイヤーの方から一番いやがられていたわけです。それがひとつずつ改良されて、いま電子楽器が一般に受け入れられるようになった。しかし、このエレクトリック・サックスというのはまだ新しいだけに、そういう感情移入の場所が少ないんですよ。

- 松本
ぼくが思うのは、リードで音を出さないようなサックスにした方がおもしろいと思うな。だって、実際に吹いている音が出てくるから、不自然になるわけですよ。

- 梯
いま松本さんがいわれたようなものも出てきてるわけなんですよ。これは2年前にフランクフルトで初めて出品された電気ピアニカなんですが...。

- 松本
吹かなくてもいいわけ...。

- 梯
いや吹くんです。吹くのはフィーリングをつけるためなんです。これは後でわかったのですが、その吹く先に風船がついていて、その吹き方の強弱による風船のふくらみを弁によってボリュームの大小におきかえるという方法なんです。ですから人間のフィーリングどうりにボリュームがコントロールされる。そして鍵盤の方はリードではなく電気の接点なんです。ですからいままでのテクニックが使えて、中身はまったく別のものというものも徐々にできつつあるわけなんです。

- 松本
電気サックスの場合、増幅器の特性をなるべく生かした方が...いいみたいね。サックスの音はサックスの音として、それだけが増幅されるという...。

- 菅野
いまのお話から、われわれ録音の方の話に結びつけますと、電子楽器というものは、われわれの録音再生というものと縁があって近いようで、その実、方向はまったく逆なんですよね。電子楽器というのは新しい考え方で、新しい音をクリエートするという方向ですが、録音再生というのは非常に保守的な世界でして、ナマの音をエレクトロニクスや機器の力を使って忠実に出そうという...。というわけで、われわれの立場からは、ナマの自然な楽器の音を電気くさくなく、電気の力を借りて...という姿勢(笑)。それといまのお話で非常におもしろく思ったのは、われわれがミキシング・テクニックというものを使っていろいろな音を作るわけですが、電子楽器を録音するというのは、それなりのテクニックがありますが、どちらかというと非常に楽なんです。電子楽器がスタジオなりホールなりでスピーカーからミュージシャンが音を出してくれた場合には、われわれはそれにエフェクトを加える必要は全然ない。ですからある意味ではわれわれのやっていた仕事をミュージシャンがもっていって、プレーをしながらミキシングもやるといった形になりますね。そういうことからもわれわれがナマの音をねらっていた立場からすれば非常に残念なことである...と思えるんですよ。話は変わりますが、この電化楽器というのは特殊なテクニックは必要としても、いままでの楽器と違うんだと、単にアンプリファイするものじゃないんだということをもっと徹底させる必要があるんじゃないですか。

- 梯
現在うちの製品はマルチボックスというものなんですが、正直な話、採算は全然合ってないんです。しかし、電子楽器をやっているメーカーが何社かありますが、管楽器関係のものが日本にひとつもないというのは寂しいし、ひとつの可能性を見つけていくためにやってるんです。しかし、これは採算が合うようになってからじゃ全然おそいわけですよ。それにつくり出さないことには、ミュージシャンの方からご意見も聞けないわけですね。実際、電子管楽器というのは、まだこれからなんですよ。ですからミュージシャンの方にどんどん吹いていただいて、望まれる音を教えていただきたいですね。私どもはそれを回路に翻訳することはできますので。

- 菅野
松本さん、サックスのナマの音とまったく違った次元の音が出るということがさきほどのお話にありましたね。それが電子楽器のひとつのポイントでもあると思うんですがそういう音に対して、ミュージシャンとしてまた音楽の素材として、どうですか...。

- 松本
いいですよ。ナマのサックスとは全然違う音ならね。たとえば、サックスの「ド」の音を吹くとオルガンの「ド」がバッと出てくれるんならばね。

- 菅野
そういう可能性というか、いまの電気サックスはまったく新しい音を出すところまでいってませんか。

- 梯
それはいってるんですよ。こちらからの演奏者に対しての説明不十分なんです。要するに、できました渡しました...そこで切れてしまってるわけなんです。

- 菅野
ただ、私はこの前スイングジャーナルで、いろんな電化楽器の演奏されているレコードを聴いたんですが、あんまり変わらないのが多いんですね。

- 児山
どういったものを聴かれたんですか?。

- 菅野
エディ・ハリスとか、ナット・アダレーのコルネット、スティーブ・マーカス・・エディ・ハリスのサックスは、やっぱりサックスの音でしたよ。

- 梯
あのレコードを何も説明つけずに聴かせたら、電子管楽器ということはわからないです。

- 児山
そうかもしれませんが、さきほど菅野さんがおっしゃったようにいまそういったメーカーの製品のうたい文句に、このアタッチメントをつけることによってミュージシャンは、いままでレコーディング・スタジオで複雑なテクニックを使わなければ創造できなかったようなことをあなた自身ができる、というのがあるんです。

- 菅野
やはりねェ。レコーデットされたような音をプレイできると...。

- 梯
これはコマーシャルですからそういうぐあいに書いてあると思うんですが、水準以上のミュージシャンは、そういう使い方はされていないですね。だからエディ・ハリスのレコードは、電気サックスのよさを聴いてくださいといって、デモンストレーション用に使用しても全然効果ないわけです。

- 菅野
児山さんにお聞きしたいんですが、エディ・ハリスのプレイは聴く立場から見て、音色の問題ではなく、表現の全体的な問題として電子の力を借りることによって新しい表現というものになっているかどうかということなんですが...。

- 児山
そもそもこの電気サックスというのは、フランスのセルマーの技師が、3本のサックスを吹く驚異的なローランド・カークの演奏を見てこれをだれにもできるようにはならないものかと考えたことが、サックスのアタッチメントを開発する動機となったといわれてるんですが、これもひとつのメリットですよね。それに実際にエディ・ハリスの演奏を聴いてみると、表情はありますよ。表情のない無味乾燥なものであれば絶対に受けるはずがないですよ。とにかくエディ・ハリスは電気サックスを吹くことによってスターになったんですからね。それにトランペットのドン・エリスの場合なんか、エコーをかけたりさらにそれをダブらせたりして、一口でいうならばなにか宇宙的なニュアンスの従来のトランペットのイメージではない音が彼の楽器プラス装置からでてくるわけなんです。それに音という意味でいうならば、突然ガリガリというようなノイズが入ってきたり、ソロの終わりにピーッと鋭い音を入れてみたり、さらにさきほど松本さんがいわれたように吹かなくても音がでるということから、キーをカチカチならしてパーカッション的なものをやったりで...。

- 松本
私もやってみましたよ。サックスをたたくとカーンという音が出る。これにエコーでもかけると、もうそれこそものすごいですよ(笑)。

- 児山
エディ・ハリスの演奏の一例ですが、初め1人ででてきてボサ・ノバのリズムをキーによってたたきだし、今度はメロディを吹きはじめるわけなんです。さらに途中からリズム・セクションが入るとフットペダルですぐにナマに切り換えてソフトな演奏をするというぐあいなんですよ。またコルトレーンのような演奏はナマで吹くし、メロディなんかではかなり力強くオクターブでバーッと...。つまり、彼は電気サックスの持つメリットというものを非常に深く研究してました。

- 菅野
それが電化楽器としてのひとつのまっとうな方法なんじゃないですか。でも、あのレコードはあんまりそういうこと入ってなかったですよね。

- 児山
つまり、エディ・ハリスのレコードは完全にヒットをねらったものでして、実際のステージとは全然別なんです。また彼の話によると、コルトレーンのようなハード・ブローイングを延々20分も吹くと心臓がイカレちゃうというわけです(笑)。そしてなぜ電気サックスを使いだしたかというと、現在あまりにも個性的なプレイヤーが多すぎるために、何か自分独自のものをつくっていくには、演奏なり音なりを研究し工夫しなければならない。たとえば、オーボエのマウス・ピースをサックスにつけたりとかいろんなことをやっていたが、今度開発された電気サックスは、そのようないろいろなことができるので、いままでやってたことを全部やめてこれに飛び込んだというんですよ。

- 菅野
非常によくわかりますね。



- ハウリングもノイズも自由自在 -

- 児山
ラディックというドラム・メーカーが今度電化ヴァイブを開発して、ゲーリー・バートンが使うといってましたが、彼の場合は純粋に音楽的に、そのヴァイブがないと自分のやりたいことができないというわけですよ。なぜかというと、自分のグループのギター奏者が、いままでのギター演奏とは別なフィードバックなどをやると、ほかの楽器奏者もいままで使ってなかったようなことをやりだした。そういう時にヴァイブのみがいままでと同じような状態でやっているというのは音楽的にもアンバランスであるし、グループがエレクトリック・サウンズに向かったときには自分もそうもっていきたいというわけなんですよ。もしそれをヴァイブでやることができれば、どういう方向にもっていけるかという可能性も非常に広いものになるわけですよね。

- 梯
それから、いままでの電子楽器というのは、とにかくきれいな音をつくるということだけから音が選ばれた。ところが音の種類には不協和音もあればノイズもある。そのことをもう一度考えてみると、その中に音の素材になりうるものがたくさんあるわけです。たとえばハウリングですが、以前にバンクーバーのゴーゴー・クラブへいったとき、そこでやってたのがフィードバックなんです。スピーカーのまん前にマイクをもってきてそいつを近づけたり離したりして、そこにフィルターを入れてコントロールして、パイプ・オルガンの鍵盤でずっとハーモニーを押さえ続けてるようなものすごく迫力のある音を出すんです。そんなものを見て、これはどうも電子楽器の常識というものをほんとうに捨てないと新しい音がつくれないと思いましたね。

- 児山
そうですね。ですから、いまこういう電子楽器、あるいは楽器とは別なエレクトリックな装置だけを使って、ジャズだといって演奏しているグループもあるわけです。まあそれにはドラムやいろいろなものも使ったりするわけですが、いわゆる発振器をもとに非常に電気的な演奏をしているわけなんですよ。

- 松本
ただ音は結局電子によってでるんだけど、オルガン弾いてもサックス吹いても同じ音が出るかもしれない。弾いてる人の表情は違うけれども、そういうのがあったらおもしろいと思いますね。

- 菅野
それにもうひとつの問題は、発振器をもとにしたプレーは、接点をうごかしていくといった電子楽器と根本的に違うわけだ。電気サックスなどは、松本さんがいわれているようにナマの音が一緒に出てくるという。そこが問題ですね。だからナマの音も積極的に利用して、ナマの音とつくった音を融合して音楽をつくっていくか、それともナマの音はできるだけ消しちゃって電子の音だけでいくか・・。

- 児山
それはミュージシャン自身の問題になってくるんじゃないかな。たとえばリー・コニッツなどのようにだれが聴いてもわかる音色を持っている人は変えないですね。自分の音を忠実に保ちながらオクターブでやるとか...。

- 梯
しかしその場合、音色は保ち得ないんです。つまりその人その人のフィーリング以外は保ち得ないんですよ。

- 児山
なるほど、そうすると音楽的な内容がその個性どうりにでてくるということなんですね。

- 菅野
一般に音というものはそういうものの総合なんで、物理的な要素だけを取り上げるのは困難なわけです。そういったすべてのものがコンバインされたものをわれわれは聴いているわけですから、その中からフィーリングだけを使っても、リー・コニッツ独特なものが出てくれば、これはやはりリー・コニッツを聴いてるわけですよ。

- 松本
それならいいけどサックスというのはいい音がするわけですよ。それをなまはんかな拡声装置だといけない。それだとよけいイヤになるんですよ。



- ついに出現した電気ドラム -

- 児山
ニューポートに出演したホレス・シルヴァー・クインテットのドラマー、ビリー・コブハムがハリウッド社のトロニック・ドラムという電気ドラムを使用していましたが、あれはなんですか。

- 梯
うちでも実験をやっています。ロックなどの場合、エレキのアンプが1人に対して200W、リードが200Wならベースは400Wくらい。そうなってくるといままで一番ボリュームがあったドラムが小さくなってきたわけですよ。最初はドラムの音量をあげるだけだったのですが、やってみるとマイクのとりつけ方によって全然ちがった効果が出てきたわけですよ。

- 菅野
それは具体的に各ドラム・セットの各ユニットに取り付けるわけですか。

- 梯
最初は単純に胴の中にマイクを取り付けただけでしたが、いまはコンタクト・マイクとエア・カップリング・マイクの共用でやっていますね。

- 菅野
シンバルなんかは...。

- 梯
バスドラム、スネア、タム・タムにはついていますが、シンバルはちょっとむずかしいのです・・。でもつけてる人もいるようですね。

- 菅野
ではいまの形としては、新しい音色をつくろうとしているわけですね。

- 梯
そうですね。現在ははっきりと音色変化につかってますね。

- 松本
でもやはりこの電気ドラムとてナマの音が混じって出るわけですよね。ナマの音がでないようにするにはできないのですか。

- 梯
それはできるんですよ。市販はしてないんですが、ドラムの練習台のようなものの下にマイクをセッティングするわけなんですよ。いままでのドラム以外の音も十分でますがシンバルだけはどうもね。らしき音はでるんですが。

- 松本
いままでの何か既成があるからでしょう。

- 梯
そうですね。だからシンバルはこういう音なんだと居直ってしまえばいいわけ...。それぐらいの心臓がなきゃね(笑)。

- 菅野
本物そっくりのにせものをつくるというのはあまりいいことではない。あまり前向きではないですよ。よくできて本物とおなじ、それなら本物でよりいいものを...。

- 松本
だから電気サックスでも、ナマの音をだそうとしたんじゃだめですね。これじゃ電気サックスにならない。

- 梯
松本さんにそういわれるとぐっとやりやすくなりますよ(笑)。

- 児山
電気サックスというのはだいたいいくらぐらいなんですか?。

- 松本
ぼくのは定価85万円なんですよ。でもね高いというのは輸入したということですからね。そのことから考えると・・。

- 梯
松本さんの電気サックスはニューオータニで初めて聴いたんです。これは迫力がありましたね。

- 松本
すごい迫力です。でも、それに自分がふりまわされるのがいやだから...。

- 梯
こちらから見たり聴いたりしていると松本さんが振り回しているように見えるから、それは心配いらないですよ(笑)。

- 松本
それに運ぶのがどうもねェ。いままではサックスひとつ持ってまわればよかった。ギターなんかじゃ最初からアンプを持って歩かなければ商売にならないとあきらめがあるんですが、ぼくはなにもこれがなくたってと考えるから...。そういうつまらないことのほうが自分に影響力が大きい...(笑)。

- 児山
やはりコンサートなどで、おおいにやっていただかないと、こういった楽器への認識とか普及とかいった方向に発展していかないと思いますので、そういう意味からも責任重大だと思います。ひとつよろしくお願いします。それに、いまアメリカあたりでは電子楽器が非常に普及してきているわけなんですよ。映画の音楽なんかも、エレクトリック・サウンズ、エレクトリック・インスツルメントで演奏するための作曲法なんていうのはどうなるんですかねェ・・。

- 松本
これがまたたいへんな問題ですが、非常にむずかしいですね。

- 児山
それがいまの作曲家にとって一番頭のいたいことになってるんですね。

- 菅野
あらゆる可能性のあるマルチプルな音を出しうる電化楽器が普及すれば、新しい記号をつくるだけでもたいへんですね。

- 松本
そのエレクトリック・インスツルメントのメーカーだって指定しなければならないし...。作曲家もその楽器も全部こなさなきゃならないですからね。

- 児山
そのように色々な問題もまだあるわけなんですが、現実にはあらゆる分野の音楽に、そしてもちろんジャズの世界にも着々と普及してきつつあるわけなんです。この意味からも電化楽器の肯定否定といった狭い視野ではなく、もっと広い観点から見守っていきたいですね。












さて、ここからは管楽器の 'アンプリファイ' 黎明期を飾る管楽器用アンプ3種をご紹介。

まずその一番手は、1965年に管楽器メーカーとしてお馴染みH&A.Selmer Inc.が手がけた元祖 'アンプリファイ' サウンド・システムのVaritone。Selmerブランドのほか、管楽器への市場拡大を狙ってなのかBuesherブランドでも販売されておりましたが、製作自体は現在でもPAの分野で大手のElectro Voiceが担当したようです。振動を感知して電気信号に変換するピエゾ・トランスデューサー方式のピックアップは、音源に対して理想的な取り付け位置を見つけるのが難しく、マウスピース部分はもちろん、金管楽器のリードパイプやベルの真横などいろいろ試しながら完成に漕ぎ着けたとのこと。そして、俗に 'Coffee Can' と呼ばれるElectro-VoiceのSRO12という12インチのアルニコスピーカーを装備して、その 'ぶっとい低音' の再生を可能としました。Varitoneは通常の '3300 Auditorium Model' のほか、二番目の動画で登場する '3100 Club Model' の2種がラインナップされておりました。この 'Club Model' はライヴなどの汎用性を高めた '若干' 小ぶりな仕様で、'Auditorium Model' のアンプ正面に備えられていたTremoloの 'Speed' と 'Depth' は外部からのコントロールに移されております。ちなみにここ日本では松本英彦や北村英治、シャープス&フラッツを率いる原信夫らがこの '新兵器' を導入、松本氏は当時のレート '1ドル = 360円' の時代に定価85万円でフルセットを輸入したとのことから相当に高級品だったことが伺えます。その日本代理店は当時、関西にあった木管楽器の老舗である中村楽器商会であり、Selmerのピックアップ単体が2万円ということから国産のAce Toneことエース電子製ピックアップの3千円と比べてもかなり高価だったようですね。



 






以下、'スイングジャーナル' 誌1968年10月号に寄稿された児山紀芳氏の記事 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' では、当時の電気サックス・メーカーが付けたキャッチコピー '音楽にプッシュボタン時代来る' をテーマにして考察されております。面白いのはそもそもの開発の動機が当時のロックに象徴される 'エレキ革命' ではなく、ひとりで4つ同時に管を咥えて '四重奏' を披露するローランド・カークに触発されたというところです。以下抜粋。

"エレクトリック・サックスを最初に開発、発売したのは有名なサックス・メーカーのセルマーだが、セルマーがエレクトリック・サックスの研究を進めた動機は、ローランド・カークの二管同時吹奏という驚異のテクニックにアイデアを求めたものといわれている。一本のサキソフォーンでカークのようなマルチ・プレイが電気仕掛けでできないものか - これがセルマーの考えだった。こうして完成されたのが今日のエレクトリック・サックスだが、この楽器を使うと、人は一本のサックスで、いうなればテナー・サックスとアルト・サックスの演奏ができる。もちろんサックスばかりでなく、ピックアップをクラリネットやフルートに装てんすれば、同じ結果(正確には1オクターヴ下の音)が得られるのだ。そのほか、増幅器(アンプリファイヤー)に内蔵された種々のメカニズムによって電気的に音色を明るくしたり、ダークにしたり、エコーをつけたり、トレモロにしたり、都合、60種類もの変化を得ることができる。" 

当時、ロックやR&Bを中心とした電気楽器によるアンサンブルに最も危機感を覚えていたのがホーンを持つ管楽器奏者たちだったことは間違いなく、それはプログレを始めとしたロックバンドの中にホーンを 'アンプリファイ' することで挑んでいく姿からも象徴的です。ビッグバンドにおける4ブラスを始めとした豪華な '音量' は、些細なピッキングの振動がそのまま、ピックアップとアンプを通して巨大なスタジアム級のホールを震わせるほどの '音圧' に達する 'エレキ' に簡単に負けてしまったのです。ちなみにこれら管楽器の 'アンプリファイ' に対しては伝統的なジャズメンはもちろん、いわゆる 'ヒッピーのテーマ' として大ヒットさせた 'Forest Flower' のチャールズ・ロイドや御大スタン・ゲッツらが 'スイングジャーナル' 誌1968年7月号でこう批判します。

- このところ、ジャズ界ではエレクトリック・サキソフォーンやエレクトリック・トランペットなど、新しく開発された電気楽器を使用するミュージシャンが増えてきましたが、ここではとくに貴方の領分である電気サックスの使用についてのご意見をきかせてほしい。

チャールズ・ロイド
"実は私もエレクトリック・サキソフォーンを最近手に入れたばかりだ。しかし、いまのところ私は、ステージで使ってみようとは思わない。少なくとも、現在の私のカルテットでは必要がない。というのも私自身、これまでのサキソフォーンにだってまだまだ可能性があると考えているからだ。それに、人が使っているからといって、流行だからといって、必要もないのに使うことはない。もし、将来電気サックスが自分の音楽にどうしても必要になれば、もちろん使うかもしれないが...。"





そして、'モダン・コルネット' の第一人者ともいうべきナット・アダレイが1968年にアプローチした '電気コルネット'。いわゆるH&A SelmerのVaritoneを用いてA&M傘下のCTIからリリースしたこの '仏像ジャズ' は、前年にクラーク・テリーがアルバム 'It's What's Happnin'' でアプローチしたことを追いかけるかたちで 'サマー・オブ・ラヴ' の季節を謳歌した異色の一枚となりました。このVaritone、サックスの場合はマウスピースにピックアップを取り付けますが、トランペットやコルネットの場合はリードパイプ上部に穴を開けて取り付け、コントローラーは首からぶら下げるかたちとなります。まあ、効果的にはダークで丸っこい音色のコルネットが蒸し暑いオクターヴ下を付加して、さらにモゴモゴと抜けの悪いトーンになっているのですけど・・。そんなVaritoneのコルネットでなぜ動画のタイトルがヒッチコック監督のサスペンス映画 'ダイヤルMを回せ!' なのかは解らないものの(笑)、このCTI盤から '電気うなぎ' こと 'Electric Eel' の貴重なライヴ。首からコントローラーをぶら下げて(2:39〜40)、ピエゾ・ピックアップはリードパイプの横に穴を開けて接合(4:29〜31)されているのが確認出来まする。この管楽器の 'アンプリファイ' 黎明期において興味深いのは、木管奏者がマウスピースやネック部に簡単に穴を開けるのに対して、金管奏者はドン・エリスや日野皓正さん、クラーク・テリーやこのナット・アダレイらは皆、ベルの横側やリードパイプ上側などに穴を開ける代わりに、誰も音色の要であるマウスピース本体へ穴を開けることには慎重だったことですね(笑)。





C.G.ConnのMulti-Viderについて書いてみよう。
管楽器の 'アンプリファイ' 黎明期の先鞭を付けたH&A Selmer Varitoneにより始まるそのニーズは、続く管楽器の名門C.G.Connからの本機登場で広範囲な市場開拓へと歩を進めました。実際、それはこのふたつの製品を比べてみれば一目瞭然でしょうね。大型の専用アンプ 'Octamatic' と専用のコネクター接続によりリヴァーブ、トレモロをコントロールするその可搬性の悪さは、このMulti-Viderでコントローラー以外は通常のギターペダルとの組み合わせ多彩な音作りを志向します。貧弱なPA環境の1960年代後半、まだ管楽器の 'アンプリファイ' もギタリスト同様に奏者のそばへアンプを据え置くのが一般的でした。専用で用意されたアンプは '500 Amplifier' の名称ながら75W程度のソリッドステート式で、2つの入力とEQ、スプリングリヴァーブ 、トレモロを装備しておりました。ユニークなのは2つの入力とは別にMulti-Vider専用の入力がもう1つ用意されていること。ただ、こちらはアンプのスピーカー部のみ利用(リヴァーブもトレモロも使用不可)でレベル・コントロールはMulti-Vider側で調整するかた血となりまする。そして、このMulti-Viderから他社へのスタンダードな規格となるピックアップも後発のGibson / MaestroやAce Tone Multivoxなど、2つのピンでケーブルをピックアップ本体に差し込み、ゴムパッキンで嵌め込むマウント方式で互換性を推進します。ほぼ同時期に英国の名門Voxから登場するVox Ampliphonicは専用のピックアップを用意しましたが、別途でこのC.G.Connのピックアップを推奨することをアナウンスしておりました。シタールの抹香臭い香りと共にヒッピー全開のトム・スコット1967年のアルバム 'The Honeysuckle Bleeze' でのネロ〜ンとした電気サックスの響きは、まさにこのサイケデリックな時代ならではの個性でしょう。さて、この手の機器をいち早く手にしたリー・コニッツによれば、アンサンブルとホーンの関係において 'アンプリファイ' がより簡単にその解決策を提示してくれたことを 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' でこう記します。もちろん、これは一時的にハマったその時点におけるコニッツのアプローチであることに留意する必要があります(この '電化の季節' が過ぎると従来のアコースティック路線へ戻ってしまった...)。しかし、ジミー・オーウェンス主宰のワークショップで演奏するコニッツ1968年の動画は珍しい。コニッツのマウスピースにはピックアップ装着がされているけど、腰のコントローラーから肝心のアンプはどこに置いているのだろう?。

"このところエレクトリック・アルト・サックスをもっぱら使用しているリー・コニッツは、サックスが電化されたことにより、これまでの難問題が解決されたと語っている。コニッツが従来直面していた難問題とは、リズム・セクションと彼のアルト・サックスとの間に、いつも音量面で不均衡が生じていたことをさしている。つまりリズム・セクションの顔ぶれが変わるたびに、ソロイストであるコニッツはそのリズム・セクションのサウンドレベルに自己を適応させなければならなかったし、リズム・セクションのパワーがコニッツのソロを圧倒してしまう場合がよくあった。電化楽器ではサウンド・レベルを自由に調整することができるからこうした不均衡を即時に解消できるようになり、いまではどんなにソフトなリズム・セクションとも、どんなにヘヴィーなリズム・セクションとも容易にバランスのとれた演奏ができるという。しかも、リー・コニッツが使っている 'コーン・マルチ・ヴァイダー' は1本のサックスで同時に4オクターヴの幅のあるユニゾン・プレイができるから、利点はきわめて大きいという。先月号でも触れたように、コニッツは1967年9月に録音した 'The Lee Konitz Duets' (Milestone)のなかで、すでにエレクトリック・サックスによる演奏を吹き込んでいるが、全くの独奏で展開される 'アローン・トゥゲザー' で 'コーン・マルチ・ヴァイダー' の利点を見事に駆使している。この 'アローン・トゥゲザー' で彼は1オクターヴの音を同時に出して、ユニゾンでアドリブするが、もうひとつの演奏 'アルファニューメリック' ではエディ・ゴメス(ベース)やエルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)、カール・ベルガー(ヴァイブ)、ジョー・ヘンダーソン(テナー・サックス)ら9人編成のアンサンブルで、エレクトリック・サックスを吹き、自分のソロをくっきりと浮き彫りにしている。ここでのコニッツは、アルト・サックスの音量面をアンプで増大するだけにとどめているがその効果は見逃せない。"










これらの設計は当時、ファズやワウペダル、ギターアンプなどの製作を行うJordan Electronicsが担当しましたが、1970年代に入るとその協業体制は終わりC.G.Conn自ら生産体制を敷き後継機Model 914 Multi-Viderを発表...するのですが、この獰猛なまでの 'ジキルとハイド' な変貌ぶりはなんなんだ!?。真っ赤にサイケなカラーリングの本機Model 914は、1970年代初めとしては珍しいDC12VのACアダプター仕様で動画の通り間違いなくギター用のエグいオクターヴファズ向けへと '仕様変更' されました(汗)。しかもこのACアダプターの電源ケーブルもステージ上で歩き回ること想定?してか、異常に長いという使い勝手の悪さ...。これなら前モデル同様に9V電池内蔵でいいでしょ(謎)。いや、中身もどっか間違えちゃったのか?というほど管楽器では太刀打ちできない '暴れ者' で、さすがにこれじゃ制御できんと入力部に前モデルのピックアップ感度を参考にしたレベル切り替えスイッチを増築しました。ツマミではなく3ポイントの切り替え式トグルスイッチで、回路自体には手を加えていないモディファイとなりまする。そんな地味な会社の製品であるJordan ElectronicsをJHS Pedalsのジョシュさんがご紹介。そんなC.G. Conn Multi-Viderの使い手のひとりで、エディ・ハリスと並び管楽器の 'アンプリファイ' 黎明期において人気を博したドン・エリスがいます。いわゆる '正調' ジャズ史では取り上げられないラッパ吹きにして変拍子ビッグバンドのリーダーであった彼は、マイルス・デイビスが不気味なエコーで自らのターニングポイントを示した傑作 'Bitches Brew' を制作する以前に先を見越した試みを推進する先駆者でもありました。1962年の 'Despair to Hope' 前後から、ジョン・ケージの不確定音楽に影響を受けて 'オモチャ箱を引っくり返したような音のピース(破片)' と不穏な静寂の狂気に関心を示し、その後はインド音楽の構造と複雑な変拍子を展開するオーケストラでロックの時代に対応します。ここでエリスが吹いているのはHoltonにオーダーしたクォータートーン・トランペット。3つのピストンに加えて、半音以下の1/4音を出すピストンがもう1つ加えられております。そんな時代の変化を感じ取ったように 'スイングジャーナル' 誌1968年10月号で児山紀芳氏により寄稿された記事 'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' から以下、抜粋します。

"同じ電化楽器でもトランペットの場合は特性面でかなりの相異がある。電化トランペットの使用で話題になったドン・エリスの場合、やはり種々のアンプを使っているが、サックスとちがって片手でできるトランペット演奏では、もうひとつの手でアンプの同時操作が可能になる。読者は、先月号のカラーページに登場したドン・エリスの写真で、彼がトランペット片手にうつむきながらアンプを操作している光景をご覧になっているはずだ。あの場合、ドン・エリスはいったん吹いたフレーズをエコーにしようとしてるのだが、この 'エコー装置' を使うと 'Electric Bath' (CBS)中の 'Open Beauty' にきかれる不思議な音楽が誕生する。装置の中にはテープ・レコーダーが内蔵されており、いったん吹かれた音がいつまでもエコーとなって反復される仕組みになっている。ドン・エリスは、この手法を駆使し谷間でトランペットを吹くような効果を出しているが、彼はまた意識的にノイズを挿入する。これも片手で吹きながら、もう一方の手でレバーを動かしてガリガリッとやるのである。こうした彼のアイデアは、一種のハプニングとみなしていいし、彼が以前、'New Ideas' (New Jazz)で試みた実験と相通じるものだ。"
















マウスピース・ピックアップ' 黎明期にはH&A Selmer、Vox / King、Gibson / Maestroから純正品が各々用意されておりましたが、こちらはC.G. Conn Multi-Viderの為のピックアップとして用意されたRobert Brilhartさん製作による 'R-B Electronic Pick-Up'。ケーブルはストレートなものとカールコードの2種を用意して 'デンマーク製' と表記されておりましたが、本製品はC.G. ConnのほかGibsonのMaestro、さらに専用品を用意するVox Ampliphonicへも 'Uni-Level(Universal) Pickup' として '互換性オプション' の為に納入されるなど当時のスタンダードな規格を提示しました。このような同種製品による各社を跨ぐ供給網は、例えばマイクの名門Shureが用意したCA20BピックアップがH&A SelmerのほかHammondのInnovex Condor RSMの為に供給されていたことからも伺えます。またこの 'R-B Electronic Pick-Up' にはオプションとして、ピックアップとアンプの間にパッシヴのヴォリューム・コントロールや5チャンネルミキサーなどが用意されておりました。これは1台のアンプに対し楽器の持ち替えや複数の奏者からの入力を1人の奏者の腰で一括して調整するなど、まだ貧弱なPA環境を反映したユニークな試みとして興味深いですね。というか、ピックアップから延長ケーブルで伸ばさないと5人の奏者がひしめき合うかたちとなり使いにくいアイテムだ(苦笑)。このようなポータブル仕様のMulti-Viderに次ぎ、多彩な音作りと可搬性を得るべくアタッシュケースの仕様でさらに大きな市場を獲得したのがGibsonのMaestro Sound System for Woodwindsです。本機は1967年のW-1から1971年のW-3に至るまでこの分野における最高のヒット作となり、エディ・ハリス、トム・スコット、ポール・ジェフリー、ジョン・クレマー、ドン・エリス、ザ・マザーズ・オブ・インベンションのイアン・アンダーウッドやバンク・ガードナーら多くのユーザーを獲得、変わったところでは作曲家の富田勲氏も '姉妹機' にあたるG-2 Rhythm n Sound for Guitarと共に愛用しておりましたね。特にドン・エリス1968年のライヴ動画では、わざわざPAのスタッフをステージに上げSound System for Woodwinds W-2と共にEchoplexの操作を担当させて(6:28〜18:09)、まるでダブの如くリアルタイムで刻々と変奏する姿は軽く10年以上を先取りします。本機のセールスを裏付けるように、現在でも状態良好の中古がeBayやReverb.comなど定期的に出品されていることから確認することが出来ます。そんな本機使用の 'アイコン' となったエディ・ハリスは徹底的にその機能と奏法を探求、新たな 'アンプリファイ' における管楽器のスタイルを提示しました。'エレクトリック・ジャズ - 可能性と問題点' ではこう記しております。

"エディ・ハリスのグループがロサンゼルスの〈シェリーズ・マンホール〉に出ていたとき、彼のグループはジョディ・クリスチャン(ピアノ)、メルヴィン・ジャクソン(ベース)、リチャード・スミス(ドラムス)で構成されていたが、ハリスとベースのジャクソンが電化楽器を使っており、ジャクソンがアルコ奏法で発する宇宙的サウンドをバックにハリスが多彩な効果を発揮してみせた。2音、3音のユニゾン・プレイはもちろんのこと、マウスピースにふれないでキーのみをカチカチと動かしてブラジルの楽器クイーカのようなリズミックなサウンドを出し、ボサノヴァ・リズムをサックスから叩き(?)出すのである。この奏法はエディ・ハリスが 'マエストロ' の練習中に偶然出てきた独奏的なもので、同席した評論家のレナード・フェザーとともにアッと驚いたものである。ハリスはあとで、この打楽器的な奏法がサックス奏者に普及すればサックス・セクションでパーカッション・アンサンブルができるだろうと語っていたが、たとえそれが冗談にしろ、不可能ではないのだ。ともあれ、エディ '電化' ハリスのステージは、これまで驚異とされていたローランド・カークのあの演奏に勝るとも劣らない派手さと、不思議なサウンドに満ちていて人気爆発中。しかもカークが盲目ということもあって見る眼に痛々しさがある反面、ハリスは2管や3管吹奏をプッシュ・ボタンひとつの操作で、あとはヴォリューム調整用のフット・ペダルを踏むだけで楽々とやってのけているわけだ。エレクトリック・サックスの利点は、体力の限界に挑むようなこれまでのハードワークにピリオドを打たせることにもなりそうだ。ハイノートをヒットしなくても、ヴァイタルな演奏ができる。つまり、人体を酷使することからも解放されるのだ。この点は、連日ステージに出る当のミュージシャンたちにとって、大きな利点でもあるだろう。エディ・ハリスは電化サックスの演奏中は、体が楽だといった。これを誤解してはいけないと思う。決してなまけているのではなく、そういう状態になると、その分のエネルギーを楽想にまわせることになり、思考の余裕ができて、プラスになるという。さらに、エレクトリック・サックスを使う場合、もし人が普通のサックス通りに演奏したら、ヒドい結果になるという。楽に、自然に吹かないと、オーバーブロウの状態でさまにならないそうだ。新しい楽器は新しいテクニックを要求としているわけだが、それで体力の消耗が少しでもすめば、まことに結構ではないか。"












Varitone、Multi-Viderに至る米国の新たな潮流に対し、オハイオ州にあった管楽器の名門Kingは英国の名門VoxをディストリビュートしていたThomas Organと協業するかたちで 'King-Vox' のブランドで手がける 'Ampliphonic' シリーズを展開しました。この 'Ampliphonic' ピックアップは 'R-B Electronic Pick-Up' でも用意されていたものと同じ 'A〜B〜C' と可変する 'Vari-Level' コントロールを搭載します。また、管楽器市場への拡大を狙っていたことから総合的なPAシステム全般含めて展開することとなりました。Multi-Vider同様に腰や胸ポケットに装着する小ぶりなOctavoiceはクラリネット用のⅠ、金管楽器用のII、サックス用のⅢが各々用意され、さらにアタッシュケース仕様の機能強化版としてStereo Multi-Voiceがカタログを飾ります。青いパネルに黒スイッチのモノはそこそこ中古市場に現れますけど、後発のMaestro Sound System for Woodwindsに触発されたと思しき黒パネルにカラフルなスイッチの仕様は超レアものです。しかも青パネル仕様とは異なりカラフルな各スイッチの '並び' が一部変更されており(上記画像参照)、VibratoのRateツマミは一度引っ張り出して回すことで機能するギミックとなっております。そして筐体中央にはこれまたWoodwindsに触発されたと思しき、専用スタンドに本体を取り付ける為の重厚なマウントパーツが装着。また専用の付属フットスイッチは4つの機能を備え、エフェクトOn/Offの 'Iスイッチ'、StereoのL/Rのチャンネルを各々切り替える 'Lスイッチ' と'Rスイッチ'、そしてVibratoのOn/Offを切り替える 'Vスイッチ' となっております。さて、そんな 'Ampliphonic' シリーズの基本となる金管楽器用Octavoice Ⅱとしては、高域のトレブルを強調するBright、1オクターヴ下のTrombone、2オクターヴ下のTubaという実にシンプルなコントロールとなりますね。本機コントローラーには備えられていないヴォリュームは、ピックアップ本体に搭載される 'A〜B〜C' パッシヴの 'Vari-Level' コントロールで調整するかたちとなります。ちなみにこの青パネルと黒パネルのStereo Multi-Voiceを各々所有しております。しかし、同じステレオ出力の仕様であるWoodwindsに比べると本機はちと分かりにくい仕様だと思う(困)。突然 'AVC Adjust' (Attack Volume Control ???)とか書かれても意味分からんし(汗)、特に右端の 'DELAY - A.V.C. OFF' という黒いスイッチが未だに謎...。何かが変化しているということは分かるのだが、コレを 'OFF' にすると強烈なフィードバック発振へと変貌します...何コレ???。







一方、PAシステムの中核を担うものとしてVoxが用意したのは、まるで 'アポロ宇宙時代' を反映したかのようなNova、Satellite、Galaxie、Orbiterの名を持つブリティッシュでツイードな香り漂う青いソリッドステート式アンプ群。その中でもわたしの所有するOrbiterは2チャンネルのステレオ仕様('Solo' とバッキング向け 'Accompaniment' のプリ部搭載)で、ユニークなデザインによるバンドスタンドのステージ環境から 'Powerd Music Stand' と位置付けられておりました。そう、この傾斜の付いた独特な構造のアンプは上面に譜面立て(オプションによりグーズネック式ランプも装着可)を備え、スピーカー部はステージから客席に向けて放たれるという '一昔前のビッグバンド' 的ニーズに対応したものだったのです。このOrbiterには 'King-Vox' Stereo Multi-Voiceを始め、Maestro Sound System for WoodwindsやInnovex Condor RSMなどステレオ出力(原音+エフェクツ音だけど)に対応した機器を繋ぎ鳴らしております。そのセッティングは4チャンネル・ミキサーのLand Devices Land Mixerでゲインとパン(2チャンネルのモノをL-Rで左右振り切り)を調整して、KorgのパッシヴによるパンニングペダルFK-5 Foot Balancerで '擬似ステレオ' を強調しております。伝統のVoxアンプだけにサウンドは素晴らしいのですが、肝心のスプリング・リヴァーブとヴィブラートが不調なので誰か直して欲しい...。








M3: Emthree Minimax Mixer, Tape Echo, Power Amp ②
Gretsch Tone Divider Model 2850

管楽器用アタッチメントの '秘境' として発掘調査の待たれる欧州の '長靴' ことイタリア。OEMなど直接C.G.Conn製品とは関係ないと思うのですが、謎めいたSonextoneのMultividerやEmthreeなる会社の腰に装着するオクターバーMini SynthyとMister Wahの2種。特にMister Wahは入力のギター用フォンとは別に3.5mmミニプラグも用意されているなど、明らかに管楽器へ装着したピックアップからの入力も想定していると思われます。また、OEMなのかSonextoneとも '姉妹機的関係' にあるTekson Color Soundなど、1970年代イタリアの '管楽器事情' についても紐解いてみたいところです(当時のAreaなどプログレも盛んな地域ですしね)。一方でイタリアといえばEkoはもちろん、Jen Elettronicaが英国Voxや 'Play Boy' ブランドのシリーズで米国Gretschに向けたペダルのOEMを手がけておりました(ギターシンセのGS-3000 Syntarという製品もありましたね)。GretschのエフェクターといえばExpanderfuzzやTremofect、謎のハーフラックサイズによる 'コンプ+フェイズ' のFreq-Fazeなどが代表的ですけど、こちらも未だその全貌が掴めておりません(汗)。このTone Dividerは1970年代に発売されたもので、4つのツマミにClarinetとSaxophoneの入力切り替えやSound On/Off (Effect On/Off)のスイッチ、そしてズラッと縦に並ぶスイッチはNatural、English Horn、Oboe、Mute、Bassoon、Bass Clarinet、Saxophone、Cello、Contra Bass、String、Tubaの11音色からなるパラメータでMaestro Woodwindsあたりを参考にしたっぽい感じ。ここに追加するようにTremolo、Reverb、Jazzというエフェクツをミックス(外部フットスイッチでコントロール可)するという、同時代の管楽器用エフェクターで定番の仕様となっております。この金属筐体に描かれた木目調のダサい感じがたまりません。しかし、現在までアコースティックとか 'エレアコ' 系のエフェクターって何で木目調や '暖色系' ばかりなんでしょうか?(笑)。














Shadowの4001やBarcus-berryのModel 1375に代表されるマウスピースへの '貼り付け型ピエゾ' としては、その仕様に倣い英国製ピックアップの老舗として有名なC-Tape DevelopementsのブランドC-Ducerから発売されたSaxmanがありました。このメーカーが管楽器用ピックアップを考えるに当たって問題にしてきたのは、いわゆるマウスピースに穴を開けて収音する際に強調される 'カズー音' の回避にあったようです。上記のPiezoBarrelピックアップをカップ内に装着したバルブ・トロンボーンの動画に顕著ですが、Barcus-berryはこの製品の特許出願で当初設計図にこの発案で提出しました。1968年3月27日に出願、1970年12月1日に創業者Lester M. BarcusとJohn F. Berry両名で 'Electrical Pickup Located in Mouthpiece of Musical Instrument Piezoelectric Transducer' として取得しております。ここでの '貼り付け型' は廉価版として、ピックアップ本体とリードをリガチャーで収容するのにパテである程度の幅を開き緩くするなどコツが必要です。ちなみにLettuceのサックス奏者、Ryan ZoidisはShadow 4001とKorgのX-911 Guitar Synthesizerの組み合わせでアプローチしております。そして、このシンプルなヴォリューム機能を持つプリアンプSaxmanを介して接続するのはKen Stone Audioなる工房からのマルチエフェクツSRE-101が用意されておりました。オクターバーのOctave Select、いわゆるテープ・フランジングの効果を生成する 'Artificial Double Tracking' ことADT、そして、ワウのエンヴェロープ・フィルターによるVCF Selectと原音のOn/OffであるDirect Selectからその音作りが各々約束されている仕様となります。


















最後は電子音響とジャズマンを '越境' した 'マッド・サイエンティスト' として唯一無二の存在、ギル・メレをご紹介致しましょう。彼のキャリアは1950年代にBlue Noteで 'ウェストコースト' 風バップをやりながら画家や彫刻家としても活動し、1960年代から現代音楽の影響を受けて自作のエレクトロニクスを製作、ジャズという枠を超えて多彩な実験に勤しみました。そのマッドな '発明家' としての姿を示す画像は上から順に 'Elektor' (1960)、'White-Noise Generator' (1964)、'Tome Ⅳ' (1965)、'The Doomsday Machine' (1965)、'Direktor with Bubble Oscillator' (1966)、'Wireless Synth with Plug-In Module' (1968)といった数々の自作楽器であり、特に1967年にVerveからのリーダー作 'Tome Ⅳ' は、まるでEWIのルーツともいうべきソプラノ・サックス状の自作楽器(世界初!の電子サックス)を開陳したものです。一聴した限りではフツーのサックスと大差なかった為か、彼がコツコツとひとり探求してきたエレクトロニクスの可能性が正式に評価されなかったのは皮肉ですね。そんなメレ独自のアプローチは、1969年暮れのミステリーSFドラマ 'Night Gallery' (四次元への招待)テーマ曲による初期シンセサイザーを用いた習作を経て1971年のビザールなSFパニック映画 'The Andromeda Strain' のOSTに到達、EMS VCS3や自作のドラムシンセを駆使した難解なシンセサイザーにおける金字塔を打ち立てます。ちなみにこの映画は、まさにコロナウィルスを暗示したような未知のウィルス感染に立ち向かう科学者たちのSF作品でして、その '万博的' レトロ・フューチャーな未来観の映像美と70年代的終末思想を煽るギル・メレの電子音楽が見事にハマりました。このギル・メレやブルーノ・スポエリ、ドン・エリスらがやったこと、また、ジャズとインドへの接近から 'Space Age' 世代がもたらした意識変革について誰か一冊の本で著しませんかね?。



さて、そんな欧米の管楽器に対する 'アンプリファイ' の是非に揺れていた象徴として、1970年に 'ジャズの帝王' マイルス・デイビスから提示された二枚組大作が極東の島国にも上陸します。これぞ1969年の黙示録...久しぶりにマイルス・デイビスの 'Bitches Brew' を聴く。わたしが初めて手を伸ばしたジャズのアルバムがコレでした。マイルス・デイビスが何者でジャズが何であるのか一切予備知識もなく、奇妙なジャケットと共に初めてCD化された2枚組本盤・・高かった(涙)。きっかけは、当時どっぷりとハマっていたR&Bの解説本にR&B、ファンクの他ジャンルへの影響の一枚として本盤が挙げられていたからです。何となくですが当時、ジャズという、黒人音楽にしてどこか小難しそうな音楽が凄い気になっていたんですよね。それまではアース・ウィンド&ファイアやクール&ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズなどのアルバムに '小品' として小耳に挟んできたジャジーな響き、その大人っぽい感じが思春期のわたしの感性をビリビリと刺激してきたのでした。あくまでジャズではなくジャジーである、というのが当時のわたしの理解だったんだけど、この 'Bitches Brew' は終始 "何なんだろう?" という不思議な感想として支配される結果に・・。確かに小難しい雰囲気いっぱいながらかろうじて音楽としての構造はある。しかし、楽曲の '主題' のような中心はなく2枚組全体で一曲というような '組曲' として響くなど、デイビスのラッパがどうとか各自のソロがみたいなところは全然耳に入ってこなくて、とにかく全体から提示される圧倒的な '響き' に呑まれるばかり...。特に3台のフェンダーローズ・エレクトリック・ピアノの麻薬的なレイヤーは、分からないなりの中毒性で以って夜眠るときの '睡眠剤' の役割を果たしてくれましたね。まあ、端的に理屈は分からなくとも気持ち良かったのですヨ。




"これは単にもっと美しいの話ではない。ただ違うのだ。新しい美、異なる美、また別の美しさ。それでも美は美なのだ。これは新しいし、新しさのキレがある。宇宙船から、まだ誰も踏み入れたことのない場所に出た時に感じる、あの急にこみあげてくる熱さがある。"

'Bitches Brew' のライナーノーツを担当したジャズ評論家、ラルフJグリーソンのこの一節が本作の魅力を見事なまでに看破しております。それは本作を聴いて当惑するであろう従来のジャズ・クリティク、古くからのリスナーに対する '注意書き' のように、当時流行のLSD服用による '意識の拡張' やアポロ11号の月面着陸、前年公開のスタンリー・キューブリック監督のSF映画 '2001年宇宙の旅' のイメージを借用してまで説き伏せる勢いなのだから...今の何倍もの衝撃があったであろうことは想像に難くない。1968年の映画 '2001年宇宙の旅' はその公開当初から全くテーマらしい解説もなく進行する内容に多くの批評家が匙を投げ出したかと思いきや、ある瞬間からヒッピー風の若者たちがこぞって劇場に足を運びマリファナの甘い香りと煙をくゆらせながら '一粒のトリップ' と共に爆発的な大盛況へと一転しました。そう、コレは '見る映画' ではなくまるで遊園地のアトラクションに興奮するような '感じる映画' へと変容したのです。多分、監督のキューブリックも原作者のアーサーCクラークも想像していなかったような '知的体験' を発見したのです。その 'Chat-GPT' の先駆ともいうべき人工知能HAL-9000との対話から暴走へと突き進む '人類' の放擲は、マイルス・デイビスが保守的なテーラードスーツを脱ぎ捨てると共に旧来のジャズ・クリティック(に象徴される複雑性)からの自由と新たなインターフェイスの獲得へと向かう瞬間に重なります。ちなみに、この人工知能HAL-9000がもたらした神性について「モダン・コンピューティングの歴史」の著者ポールEセルージは、ドイツの哲学者ヘーゲルの弁証法がもたらす 'アウフヘーベン' を乗り越えるかたちでこう述べております。

"現在ユーザーは、(MacintoshやWIndowsなどの)インターフェイス以上にコンピューティングをもっと簡単にすると思われる新しいインターフェイスを見出そうと躍起になっている。しかし、このことがコンピューティングをさらにややこしいものにしている。こうした複雑化のプロセスはこれからも続いていくだろう。2001年はすでに過去となっているが、スタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」の主人公である人工知能コンピュータHALはついぞ実現しなかった。多くの人々はHALに起こった問題は、コンピュータがうまく制御できなくなったことからきているのを忘れてしまっているが、より厳密にいえばHALの問題はコンピュータが完璧に機能したことにあるのだ。HALはプログラムの一部である二つの相反する命令に従おうとしたがゆえに制御不能に陥ってしまった。つまり、宇宙船の乗務員の意向とその宇宙旅行ミッションの真の目的を彼らから隠そうとする行為の狭間に置かれたのだ。しかし現在、HALのような人工知能インターフェイスが出来上がったとしても、この映画にあるようにきちんと正確に職務を実行することはないだろう。"






そもそも当初キューブリックはスタッフにあらゆるジャンルの音楽を集めさせながら "ミュージック・コンクレートのようなゴミはいらない" と喝破したそうですが、個人的には 'Bitches Brew' ほどこの '体験する映画' のOSTに最も相応しい一枚ではないかと思っております。それはこのOSTというか映像のシーケンスのために引用されたハンガリーの現代音楽作曲家、ジョルジ・リゲティの4曲「アトモスフェール」(1961)、「3人の独唱者とアンサンブルのための 'アヴァンチュール'」(1962)、「オーケストラと声楽のための 'レクイエム'」(1965)、「無伴奏合唱のための 'ルクス・エテルナ'」(1966)に顕著なトーン・クラスターとこの時期以降に傾倒するマイルス・デイビスのサウンドとの親和性です。当時のデイビスがその拠り所としたのは現代音楽の巨匠、カールハインツ・シュトゥックハウゼンであり、またイタリアの現代音楽作曲家、ルチアーノ・ベリオの技法である複数の奏者、楽器に固有のピッチをあてがいその中を縦横に動き回る 'ハーモニック・ウォール' に共鳴したアプローチへと歩を進めるところでした。後にそのベリオ本人と会い "オレにいくつかのコードを書いてくれ" と懇願したところ、ベリオ本人はすでにデイビスがソレを身に付けていることを見抜いたのか、"君にはそんなものいらないよ" と冗談交じりに返答したことが伝えられております。








1969年のマイルス・デイビスが最も精力的かつ創造的な時期であったことは間違いありません。新たにジャック・ディジョネットを擁したクインテットを率いて、いわば 'Pre Bitches Brew' 的なアプローチをライヴで試行錯誤しながら、2月に 'In A Silent Way'、8月に 'Bitches Brew'、11月にアイアート・モレイラやカリル・バラクリシュナらブラジル、インドの民族楽器を導入したセッションから 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' という、それぞれ全く異なるコンセプトのサウンドを完成させてしまうのだから...。また、この年は全米で猛威を奮っていた 'サマー・オブ・ラヴ' 最後の一年でもあり、7月のアポロ11号月面着陸、8月のウッドストック・フェスティヴァル開催という激動の瞬間が世界を駆け巡りました。世界中の学生たちはゲバ棒振り回して大学を占拠し、権力に楯突いて暴れ廻っていた季節。そんな時代の雰囲気を如実に感じ取ったであろう変貌するデイビスの姿は、そのまま ''レコードでは静的に、ライヴでは獰猛なほど動的に" という志向へと現れます。これはダブル・アルバムとして、それぞれ1970年に連続でリリースされた 'Bitches Brew' と 'Miles Davis At Fillmore' の両面 '合わせ鏡' のような関係性からも伺えるでしょうね。個人的にこの2作品は '4枚組' の組曲的大作として捉えており、ここに上述した '先行シングル' ともいうべき 'The Little Blue Flog c/w Great Expectations' で全く違う世界をも提示するのだから、いかにこの69年から70年という年がデイビスにとって豊饒なる一年であったか。まさにアブドゥル・マティ・クラーウェイン描く 'Bitches Brew' のダブルジャケットが暗示する如く、すべてにテオ・マセロの編集作業が施されて '静と動' のコントラストが目まぐるしく切断、再生されていくという無重力の世界がそこにあるのです。また、この時期の楽曲制作におけるインスピレーション、アイデアとなる '素材' の源泉として、これまで担ってきたウェイン・ショーターの役割が後退する代わりにジョー・ザヴィヌル、エルメート・パスコアールといった新しい人材を発掘。そして当時のロックのモチーフからBlood Sweat & Tearsの 'Spnning Wheel' やCrosby, Stills & Nashの 'Guinnevere' といったヒット曲を引用するなど、従来のトランペットから聴こえていたフレイズを刷新するアプローチを試していたのもこの時代の特徴です。












Selections from The Early Sessions - Silver Apples

またこの時期、世界初のギター・シンセサイザーとしてHammondが開発した機器Innovex Condor RSMもデイビスの元に届けられて、同年11月から再び始まるインド、ブラジルの民族楽器を導入したセッション中の1曲 'Great Expectations' において不気味なオクターヴの効果をトランペットに付加しております。この曲は13分弱からなるヒプノティックに反復するテーマと少しづつ前後するポリリズムの絡みで構成されており、通奏低音のタンプーラをバックにデイビスのトランペットはソロに変わってオープン、ミュート、エコー、オクターヴ、ディストーション、フェイズ、トレモロと多岐に渡り、刻々とその反復の表情を変えていきます。この効果のより顕著な例としては、翌70年5月にキース・ジャレット初参加にしてVoxの 'Clyde McCoy' ワウペダルの初録音でもある一曲 'Little High People' から聴き取ることが出来ます。Hammondはエレクトリック・ギター用GSMと管楽器用RSM、キーボードなどステレオ機器用SSMの3種を用意し、晩年のジミ・ヘンドリクスもニューヨークで懇意にしていた楽器店Manny'sから購入していたようですね。こちらはそのManny'sの領収書が残っており、ヘンドリクスは1969年11月7日にシリアル・ナンバー1145のCondor GSMを480ドルでMaestro Echoplexと共に購入。使用楽曲として(今のところ)唯一確認出来るのはヘンドリクス没後に発売された未発表曲集 'Rainbow Bridge' の中に 'アメリカ国家' のスタジオ録音版が収録されており、これの 'シンセライク' にキラキラしたオクターヴのギターによるオーバーダビングで本機が使われているのでは?という噂があるのです。ジョン・マクダーモット著によるヘンドリクスのレコーディングを記録した 'ジミ・ヘンドリクス・レコーディング・セッション1963 - 1970' によれば、特定の製品名は出していないもののこう記述されております。

"レコード・プラントは新しいアンペックスのユニットを導入しており、この日ヘンドリクスは初めて16トラックのその設備でレコーディングを行った。おそらくその場の雰囲気に触発されたのであろう、ヘンドリクスは彼独特のユニークな「アメリカ国家」を演奏した。ベースもドラムスもレコーディングされておらず、ミッチ・ミッチェルやノエル・レディングがこのセッションに参加した形跡はない。この時レコーディングされた「アメリカ国家」は、決定版とも言うべきウッドストックでの演奏も含めたステージ・ヴァージョンとはかなり違ったアプローチとなっている。ヘンドリクス自身は生前にこの時のレコーディングを再び取り上げることはなかったが、エディ・クレイマーは後にこれをリミックスし、ヘンドリクスの死後、1971年の 'Rainbow Bridge' に加えた。クレイマーは説明する。「とてもユニークな演奏だと思ったのです。ジミがギターで初期のシンセサイザーのような音作りをしているという事実に感嘆しました。なにしろ、ギター・シンセサイザーが登場するより前のことなんですから。彼の演奏のまた違った面が現れています。彼の作り出す音の無限性、と言えるでしょうか。」"

わたしの '見立て' では、この曲のベーシックトラックが1969年3月18日にニューヨークのレコード・プラント・スタジオで収録され、同年11月7日にヘンドリクスがManny,sで本機Condor GSMを購入と共にオーバーダブの作業を経て完成させたという流れに加え、近年このベーシックトラックのセッションにあのSilver Applesのオシレータ奏者、シメオン(6台ものベース・オシレータを演奏!)が関わっていたことが判明しました。そして以下、Hammondがデイビスを始め元祖電気サックス奏者エディ・ハリスや駆け出しで頭角を現し始めたランディ・ブレッカーなど、積極的に本機売り込みをしていたことを象徴するエピソードとして1970年の 'Downbeat' 誌によるダン・モーゲンスターンの記事から抜粋します。

"そこにあったのはイノヴェックス社の機器だった。「連中が送ってきたんだ」。マイルスはそう言いながら電源を入れ、トランペットを手にした。「ちょっと聴いてくれ」。機器にはフットペダルがつながっていて、マイルスは吹きながら足で操作する。出てきた音は、カップの前で手を動かしているのと(この場合、ハーモンミュートと)たいして変わらない。マイルスはこのサウンドが気に入っている様子だ。これまでワウワウを使ったことはなかった。これを使うとベンドもわずかにかけられるらしい。音量を上げてスピーカー・システムのパワーを見せつけると、それから彼はホーンを置いた。機器の前面についているいろんなつまみを眺めながら、他のエフェクトは使わないのか彼に訊いてみた。「まさか」と軽蔑したように肩をいからせる。自分だけのオリジナル・サウンドを確立しているミュージシャンなら誰でも、それを変にしたいとは思っていない。マイルスはエフェクト・ペダルとアンプは好きだが、そこまでなのだ。"









そして後述しますが、この 'Bitches Brew' レコーディング・セッションにおいてマイルス・デイビスのトランペットには大編成に合わせ2種のピックアップ・マイク、4通りの収音により録音されることとなります。その内のひとつがInnovex Condor RSMの為に用意されたShureの 'マウスピース・ピックアップ' であり、マウスピースか楽器本体のベル部分などに穴を開けて接合するやり方が取られております。以下、上記リンク先のShureのHPから質問コーナーに寄せられたその 'マウスピース・ピックアップ' に対する回答。

Q - わたしはShurre CA20Bというトランペットのマウスピースに取り付けるピックアップを見つけました。それについて教えてください。

A - CA20Bは1968年から70年までShureにより製造されました。CA20BはSPL/1パスカル、-73dbから94dbの出力レベルを持つセラミックトランスデューサーの圧電素子です。それはHammond Organ社のInnovex部門でのみ販売されていました。CA20BはShureのディーラーでは売られておりませんでした。

CA20Bは(トランペット、クラリネットまたはサクソフォンのような)管楽器のマウスピースに取り付けます。穴はマウスピースの横に開けられて、真鍮のアダプターと共にゴムOリングで埋め込みます。CA20Bはこのアダプターとスクリューネジで繋がっており、CA20Bからアンバランスによるハイ・インピーダンスの出力を60'ケーブルと1/8フォンプラグにより、InnovexのCondor RSMウィンド・インストゥルメンツ・シンセサイザーに接続されます。Condor RSMは、管楽器の入力をトリガーとして多様なエフェクツを生み出すHammond Organ社の電子機器です。Condorのセッティングの一例として、Bass Sax、Fuzz、Cello、Oboe、Tremolo、Vibrato、Bassoonなどの音色をアコースティックな楽器で用いるプレイヤーは得ることができます。またCA20Bは、マウスピースの横に取り付けられている真鍮製アダプターを取り外して交換することができます。

Condorはセールス的に失敗し、ShureはいくつかのCA20Bを生産したのみで終わりました。しかし、いく人かのプレイヤーたちがCA20Bを管楽器用のピックアップとしてギターアンプに繋いで使用しました。その他のモデルのナンバーと関連した他の型番はCA20、CA20A、RD7458及び98A132Bがあります。


 





1969年の 'In A Silent Way' と 'Bitches Brew' からデイビスの 'アンプリファイ'、エレクトリック・サウンドへの希求がより本格化したことも特筆したいですね。本作 'Bitches Brew' では、エンジニアにより8トラックを用いて4チャンネル方式で録音、編成の大型化したアンサンブルに対抗すべくデイビスのトランペットも3通りのやり方で試されます。それは、いよいよデイビスのマウスピースにも穴が開けられピエゾ・ピックアップを装着、それをアンプから出力した音をマイクを立てて収音、そのアンプへと出力する直前にDIによって分岐されたラインの音をミキサーへ入力、そしてベルからの生音をマイクを立てて収音され、デイビスの目の前には小型のモニターが置かれてほぼライヴ形式でのレコーディングとなりました。そのモニターの眼前には当時の奥さんにしてエキセントリックな変貌の源であった妻、ベティ・メイブリーを追うデイビスの姿がこの作品全体を横溢しているのです。そして、これら3つの音をエンジニアの手により混ぜ合わせることで、デイビスの 'ヴォイス' は自由に加工できる余地が生まれ、それはタイトル曲で印象的なタップ・ディレイの効果に顕著ですね。これはCBSの技術部門の手により製作されたカスタムメイドのテープ・エコーで 'Teo 1' と名付けられました。1998年にCBSが大々的にマイルス・デイビスのカタログを手直した際にデジタル・リマスタリングとリミックスを担当したマーク・ワイルダーの言によれば、本機はテープ・ループ1本に録音ヘッド1つと再生ヘッドが最低4つは備えられたものだったそうです。そして、この 'Bitches Brew' が従来のジャズのレコード制作と決定的に違う視点を持った作品として、後に 'アンビエント' の作曲家として大きな影響力を振るうブライアン・イーノの発言はとても重要な示唆をしております。それは 'アンプリファイ' (電化)を超えた 'マグネティファイ' (磁化)によるスタジオの密室的な 'マジック' においてのみ、その表現が大きく貢献していることを見抜いていたのです。

"彼のやったことが極めて新しい、レコードでしかできないことだった、という点だ。すなわち、パフォーマンスを空間的に分解したんだ。レコーディングの段階では、ミュージシャン達はひとつの部屋の中、お互いが近い距離に座っていた・・でもオンマイクだったこともあり、各自の音はそれぞれに独立して録音されていた。それをテオ・マセロがミックスの段階で、何マイルも引き離して見せた。だから音楽を聴いているとすごく楽しいんだ。コンガ奏者は道をまっすぐ行った先あたりで叩いているし、トランペット奏者はかなたの山のてっぺんで吹いているし、ギタリストの姿は...双眼鏡でのぞきこまなきゃ見えないんだからね!そんな風に皆の音が遠くに置かれているので、小さな部屋で大勢の人間が演奏しているという印象はまるでなくて、まるで広大な高原かどこか、地平線の彼方で演奏しているかのようなんだ。テオ・マセロはそれぞれの音をあえて結びつけようとはしていない。むしろ、意図的に引き離しているかのようだよ。"





さて、先に述べましたが、実は現在発売中の 'Bitches Brew' はこの1998年にリミックスされたもの、俗に '1998年マスター' と呼ばれているものが基本となっております。つまり、テオ・マセロ及びCBS専属のエンジニア、スタン・トンケルの手によるオリジナル・ミックスではなく、改めて8トラックのマスターテープから '再現' させたものなのです(つまりリミックス)。これは1999年に発売されたボックスセット 'The Complete Bitches Brew Sessions' に合わせて元々の2ミックス・マスターを検証した際、長年のコピーと保管状態含め相当に劣化していたことが原因となっておりました。ここで他国から質の落ちるコピーをもらうか、オリジナルの8トラックに戻って再度リミックスに挑み、ジェネレーション落ちを避けるか・・。CBSの判断は結局、より際立ったエッジとダイナミクスを獲得する代わりに各曲それぞれ秒数の違う長さの新たな 'Bitches Brew'  を完成させました。リミックスを担当したジョー・ワイルダーの言によれば、LPのミックスは質にかなりのばらつきがあり、ボトムを持ち上げる代わりにハイエンドをカットしてクリアーさがかなり失われていると述べます。わたしの手にあるのは1996年に日本でのみ 'Master Sound' としてリマスタリングされた紙ジャケット仕様(Sony SRCS9118-9)のものなのですが、とりあえずリミックス前のオリジナル・ミックスとして聴くことができる '最後' のもの。確かに全体的なダイナミックレンジは狭く、リマスタリングされたとはいえ分離の悪さとだんご状態の低音、シンバルの鈍い音像などが聴き取れますね。それでも8トラック・マスターからテオ・マセロになりきって改めてテープを繋いだり、エコー処理を施すというのはかなり危険な賭けであり現在に至るまで賛否両論出ております・・。

"バランス、そして編集された箇所には凄く注意を払った。僕らのミックスと編集をオリジナルLPヴァージョンと一緒に流して、時には片方のスピーカーを僕らのヴァージョン、もう片方をオリジナルにして比較し、見逃したりズレたりしている編集箇所がないように確認したんだ。これにはもの凄い労力を費やしたよ。編集は大問題で、テオのやったことに敬意を表するのは僕らにとっては重要なことだった。ミックス中は、まるで優先順位割当に従って作業をやっているような感じで、ボブ・ベルデン(今回の企画プロデューサー)と僕は、何を最優先させるか、あれをコピーするかしないか、といったことを常に考えていたんだ。"

また、この作業を通じて 'Bitches Brew' のセッション・テープ全体が再検討されることとなって、そこから流出した編集前の音源が 'Deep Brew' という2枚組ブートレグとして市場に出回り、このセッションに焦点を絞ったジョージ・グレラ・ジュニア著の研究本 'Miles Davis Bitches Brew' (スモール出版)も2016年に邦訳されました。ちなみに、オリジナル・ミックスを手がけたテオ・マセロはこの作業を認めてはおらず、オリジナルを毀損して大人しくなってしまった(常識的な?)リミックス、'The Bitches Brew Complete Sessions' の名で不必要かつ関係のない未発表曲と一緒にまとめたこと、その未発表曲がリリースする水準のないものであると喝破しております。確かに、異様なまでの編集作業と 'ローファイな' 質感こそ 'エレクトリック・マイルス' の音楽性と不可分であることを鑑みれば、果たしてどこまでリミックスという作業が有効であるのかは考えてみる必要がありますね。