2016年10月5日水曜日

バーカスベリーの 'ばらつき'

管楽器用のマイクとして、ベルにクリップで取り付けるグーズネック式のものが普及した1990年代、マウスピースに穴を開けて接合するピエゾ・ピックアップは完全に過去のものという認識でした。



1993年のザ・ブレッカー・ブラザーズ '復活' ツアーで来日した際、ランディ・ブレッカーがグーズネック式マイクと併用して用いていたのが、近藤等則さんを除いてはたぶんこの手の製品がステージに登場する最後だったのではないでしょうか?1980年代半ば以降、トランペットはYamahaを愛用し、マウスピースはBach 3Cに穴を開けてBarcus-berryを接合していたランディ。結局、この次のツアーからはマウスピースもYamahaの 'ヘヴィタイプ' となりBarcus-berryの使用をやめてしまいました。最近のインタビューではそんなマウスピース・ピックアップについてこんな感想を漏らしております。

"うん、エフェクトを使い出した頃はバーカスベリーのピックアップを使っていたし、マウスピースに穴を開けて取り付けていた。ラッキーなことに今ではそんなことをしなくてもいい。ただ、あのやり方もかなり調子良かったから、悪い方法ではなかったと思うよ。"

1970年代初頭からビリー・コブハムのグループ在籍時には、デイビス同様にHammondから送られてきたInnovex RSMの付属ピックアップShure CA20Bを用いており、その後のザ・ブレッカー・ブラザーズ以降、より小型のBarcus-berryに切り替えました。確かに大音量のバンドと対峙する上であの収音方法はベストでしたが、やはりセッティングが煩雑であったというのがネックだったのでしょうね。



さて、そんなBarcus-berryのピエゾ・ピックアップなのですが、わたしもかなりの数を集めました。1970年代初めから市場に登場し、それまでは管楽器用エフェクターの付属として用意されていたものが、ピックアップ単体を小型化して販売したのが画期的だったのでしょう。'アコースティック' 楽器全般のピックアップや音響機器を製造するBarcus-berryは、老舗メーカーとしてマウスピース・ピックアップを1990年代半ばまで製造していたことで、一般的にも普及してよく知られた存在でした。その時代ごとに細かな仕様変更がなされており、今回わたしが集めてきたものをサウンドチェックしてみて、実はかなりピックアップ自体の感度にバラツキがあることが分かって驚いております。パッと見は何の変哲もない棒型の小さな金属片なのですが、いざマウスピースに取り付け、プリアンプからアンプに繋ぎ鳴らしてみるとこんなにも違うものなのか、と。

Model 1374
Barcus-berry 1375 Piezo Transducer Pick-up
Model C5600

まずはBarcus-berryの管楽器用各モデルについておさらいしておきましょう。

⚫︎Model 1374 - Brass用ピエゾ・トランスデューサー・ピックアップ
⚫︎Model 1375 - Woodwinds用の廉価版ピエゾ・トランスデューサー・ピックアップ。これはマ
  ウスピースに穴を開けず、パテ状のもので貼り付けて使用します。
⚫︎Model 1375-1 - Woodwinds用ピエゾ・トランスデューサー・ピックアップ
⚫︎Model 6001 - 9V電池駆動のエレクトレット・コンデンサー・ピックアップ。ピックアップ
  本体はマウスピースとネジ止めで取り外し可能。
⚫︎Model 5300 - 9V電池駆動のBrass用エレクトレット・コンデンサー・マイク。ベルのリムに
  ネジで固定する一風変わったもので、1980年代初めに復帰したマイルス・デイビスが同様
  のタイプを使用しました。
⚫︎Model 5200(C5600) - 9V電池駆動のWoodwinds用エレクトレット・コンデンサー・マイク。
  ベルの中にベルクロで取り付ける現在唯一カタログにラインナップされているもの。

このほか、フルートの 'アンプリファイ' 用ピックアップがいくつか現行品としてラインナップされております。基本的に1374と1375-1はピックアップ本体は同一で、ピックアップから3.5mmミニプラグを介してフォン・ケーブルへと変換するための中継コネクターを、トランペットとサックス本体へマウントするためのパーツに違いがあるだけです。



上の動画はジョージ・デューク、ジャン・リュック・ポンティらを擁した、フランク・ザッパの 'ジャズ・ロック' 時代最高潮のもの。そのザッパの片腕、イアン・アンダーウッドがバス・クラリネットのマウスピースに1375を貼り付けており、ネック部分にはその他ピエゾ・ピックアップ用の穴も開けられて蓋がしてありますね。またトロンボーンのブルース・フォウラーのマウスピースにも1374が取り付けられております。ちなみに、この貼り付け型1375はマイケル・ブレッカーも1970年代のザ・ブレッカー・ブラザーズで使用しておりました。

Model 1430 Standard Pre-Amp

ではでは、そんなBarcus-berryピックアップの 'ばらつき' について見ていきたいのですが、たぶん1970年代後半製造の1374(現在使用中)、そして2本所有する1982年製造のWoodwinds用1375-1に関しては、どれも単純にエフェクターに対してよくかかる素晴らしい感度のものでした。微妙な差異ですが、1375-1の方がWoodwinds用だからのか、少し低域に寄っている感じがあってオクターバーが '塊り' の如く飛び出す感じがしました。本来、外部にプリアンプを用いるパッシヴのものながらピックアップ自体のゲインは高く設定されており、入力するBarcus-berry 1430 Standard Pre-AmpのGain(ヴォリューム)ツマミを10時くらいの位置で十分機能します。一方、下で紹介する最初期型の1374はピックアップ自体のゲインは低いもののエフェクターのかかり方自体は悪くないです。プリアンプ1430のGainツマミは2時がベストで音質もナチュラル、うん、作りは華奢だけどちゃんとピックアップとしては機能しております。しかし、2.1mmミニプラグの付いた細い付属ケーブルのせいか音痩せが目立つため、プリアンプ1430のLo-Cutスイッチはオフにしました。ちなみにその他のピックアップではすべて、Gotham GAC-1というスイス製の高品位ケーブルで製作したものを試奏に用いているため、正直、純正ケーブルとは音質の差が歴然なのは仕方ないですね。



Model 1374 (Early Version)

さて、その最初期型1374はデザインが少々異なっており、ピックアップ本体の横からケーブルを出して2.5mmミニプラグが装着されているというもの。上の動画のIMAバンド初期の近藤等則さんが使われており、メス型の中継コネクターはタイラップでトランペットのリードパイプとベルに括り付ける荒っぽい仕様です。この後のモデルチェンジでピックアップ本体のケーブルからメス型の中継コネクター(3.5mmミニプラグ仕様)をそのまま装着し、リードパイプに挟んだ専用のクリップでその中継コネクターをマウントする方式へと変更しました。そして問題は1983年製造のBrass用1374。う〜ん、ここまで違うかというくらいピックアップ自体のゲインが低いですね。こちらはプリアンプ1430のGainツマミを3時にして何とかなる感じ(Lo-Cutスイッチはオフ)で、それでもワウやオクターバーのかかり方は弱く迫力がありません・・。結局、ワウやオクターバー本体のツマミを深めにかけてバランスを取ったものの、わたしの所有する2本とも同じ特性のため壊れているワケではなさそうです。

ここでいろいろと推理してみるなら、たぶんBarcus-berryは1983年製造品からピックアップのゲイン・レベルを低く設定したものに '仕様変更' したのでしょう。1970年代には、この手のピックアップはアンプで出力するものをマイク録音するのが一般的でした。それをスタンドマイクで収音するベル側の生音とPAでミックスして、エフェクト音+生音として会場のモニターに出力します。これはプリアンプ1430の出力に 'Hi-Z' (ハイ・インピーダンス)と書かれていることからも分かりますね。しかし1980年代以降、PAシステムが整備され、よりクオリティの高いラインでの音作りが一般的になると、むしろアンプにマイクを立てて収音することのデメリットが目立ってきました。多くの電気楽器の中で行う 'エレアコ' のセッティングは、常にその他楽器との音の被りやハウリング、'返り' でもらうモニター音量の限度をどうにかして補正することに時間を取られていたのです。



上の動画はザ・ブレッカー・ブラザーズがチャカ・カーンと共演したもの。'返り' のモニター音量をあまり上げられない為か、ランディ・ブレッカーがウォークマンのヘッドフォンでモニターするという奇異な光景。現在の 'インイヤーモニター' のはしりと言っていいのでは?つまりアンプを用いず、そのままロー・インピーダンスへ変換してDIからPAミキサーに送り、そこから会場のモニター・スピーカーへ振り分けて再生する方式がトラブルの少ないことから、ピックアップ自体のゲインを見直すことでより 'ライン' の音作りに特化したものへ変わったのだと思います。足元のエフェクターはPAミキサーのバスからインサートするかたちで繋いで再びミキサーへ戻す。このようなラインの環境に合わせるため、Barcus-berryも1430に 'Lo-Z' のXLRによるDI出力を追加したModel 1432 Studio Pre-Amp / DIを用意しました。またこの頃からBarcus-berryは、ピックアップと共にインピーダンス・レベルを見直した腰に装着する専用プリアンプ(ボタン電池仕様)を同梱して販売を始めたこともそれを裏付けています。



Roland SPV-355 P/V Synth

ここでちょっと一服。1980年のザ・ブレッカー・ブラザーズによる 'Some Skunk Funk' ですが、珍しくランディはBarcus-berryピックアップを用いずスタンド・マイクでワウをかけており、弟マイケルはピックアップを取り付け、何とRolandの 'Pitch to CV Converter' 内蔵のラック型シンセSPV-355を用いております。そしてマイケルはAmpegのスタック・アンプで鳴らしていたんですねえ。

さて、Barcus-berryピックアップとマウスピースの相性についてですが、基本的にアンプで鳴らそうと思われているのなら、あまりにも深いカップと大きなスロート径は厳禁です。EQなどで補正しないとローが必要以上に出て音抜けが悪くなってしまい、オクターバーなどを踏もうものならアンプを飛ばしかねません。わたしも過去、大きなスロート径とオープン・バックボアのマウスピースに穴を開けて接合したものの、結局はその穴を埋めて元に戻すという苦い経験があります。相性が良いのは浅め〜中庸のカップでバックボアがタイトなものだとアンプからの再生もスッキリします。こう考えるとマイルス・デイビスがタイトなバックボアが特徴のGiardinelliを選んだのも納得できますね。ただし基本的にはピックアップの構造上、ローとハイがあまり出ない中域中心のシャリッとした硬い音質のものなので、やはりベル側の生音とミックスすることで '使える' ピックアップだと思います。



Piezo Barrel HP
Piezo Barrel on eBay

と、ここで嬉しいお知らせ!
オーストラリアでピックアップを製作するSteve FrancisさんのPiezo Barrelからいよいよトランペット用のピエゾ・ピックアップがeBayに登場しました。マウスピースはBachの7C、5C、3Cに対応している(加工済)ようで、これでわざわざヴィンテージなBarcus-berryを探さなくても済みそうです。また、Facebookの方ではWarburtonのモジュラー式マウスピースにも取り付けた写真がありました。ちなみにこのピエゾ・ピックアップはプリアンプを内蔵したアクティヴの仕様で、外部にプリアンプを用いることなくそのままコンパクト・エフェクターやDIへと接続できます。実はわたしもeBayで5C(Bachのコピー品らしい)のものを購入しました!

出音は素直で良いですね。アクティヴだからかBarcus-berryのピックアップに比べて太くダイナミックレンジが広い印象です。個人創業の小さい工房でひとり製作しているらしく、生産数は決して多くないこのPiezo Barrel。わたしに経営の手腕やマウスピースの穴空け加工のスキルがあれば、是非とも日本代理店をやって普及させたいなあ。

vimeo.com/160406148

上はRyan Zoidisさんというユーザーの方のPiezo Barrelの動画。これをきっかけにギリシャのTAP ElectronicsやブルガリアのNalbantov Electronics、ドイツのRumberger Sound Productsの同種ピックアップも、それぞれマウスピース加工済の製品として入手しやすい環境となったら嬉しいですね。

2016年10月4日火曜日

'ベッドルーム・テクノ' の独り言

トランペット吹いては簡易的なループ・サンプラーで短いループのフレイズを作り、せっせとほかのサンプラーに録音、波形編集してはシーケンサーで奇妙なリズムを作るという意味不明なことをやっております。いまならPCとオーディオ・インターフェイスを用意して、PCを 'ハードディスク・レコーダー' 的に扱えばもっとスマートな制作環境を構築できると思うのだけど、如何せんPCに詳しくないので無駄に 'ハードウェア' を揃えてやらざるを得ません。決して機材は多くないけど、いつも1970年代のジャマイカでクリエイトしていた 'ダブ・マスター' たちの仕事ぶりを念頭に置き、何か面白いものはできないか?という気持ちで遊んでおります。そう、最低限の環境でアイデアを見つけてみようという心境でしょうか。ちなみにその昔、今から15年くらい前は完全に '機材フェチ' なところがありまして、とにかくガジェット的に機材を積み上げてはあれこれダブの真似事をやっていた時がありました(というか、昔も今もやっていることは変わってないな・・)。



そもそもは1990年代後半、自分でもトラック制作をやってみたいと思い、Ensoniq ASR-X Proという真っ赤な 'ワーク・ステーション' を購入したことがきっかけでした。これはサンプラー、シーケンサー、ドラムマシン、PCM音源が入ったもので、とりあえず一台で賄える便利なヤツなのです。時代は 'DTM全盛期' ともいうべき 'ベッドルーム・テクノ' の世代が溢れ、自宅で音楽制作できるということに夢がありました。毎月、サウンド&レコーディング・マガジンを購読しては新製品をチェックするのが日課だったのですが、しかし、このASR-X Pro は '宣伝文句' に対してなかなかに難物なヤツでしたね。ライバル機としてAkai Proffesional  MPCシリーズというのもあったものの、そっちに比べて音源が始めからバンドルされていたのがASR-X Proの強みというほかは、肝心のシーケンサーがよく分からなかった・・。つまり、'ソング' という楽曲に仕上げていく上でのパーツを構成して、順々に鳴らしていくためのプログラムの仕方が理解できなかったんですよ。しかもそれらのプログラムはわずか2行分の小さなLED表示で行うのみ・・ホント使いにくかった。だから常に2小節くらいのフレイズをループさせては放置、という状態のものがZIPドライブには満載でした。



あるとき、このASR-X Proのオプションとして8つのパラアウトを出力するアウトボードの存在を知ります。これは8つのトラックをそのまま出力するものなのですが、これをそのままミキサーに立ち上げてリアルタイム・ミックスすれば好きに楽曲の構成を作れるのではないか、と。まさにダブ・ミックスの手法へのアプローチです。ASR-X Proは16トラックのシーケンサーを内蔵しているのですが、内部でリサンプリングすることができるので、各トラックをバウンスして8トラックへ、メインアウト含めて10の出力でミックスできる十分なものでした。これにともないミキサーも大きなヤツに換装し、Mackieの16チャンネル・ミキサー1604 VLZ-Proや14チャンネルのAllen & Heath WZ14:4:2+に買い換えては小節の頭に合わせてフェーダーをちょんと突いたり、EQのブースト&カット、素早くミュート・スイッチをOn/Offして展開を演出したりとミキサーを楽器のように扱うのが楽しかった。



また、サンプラーでより凝ったものを作ろうとしてRolandの新製品VP-9000をウン十回ものローンで購入したことも思い出します。コイツは 'Variphrase Sampler' と呼ばれる新技術の詰まったヤツで、取り込んだフレイズをエンコード処理することでピッチ、テンポ、フォルマントのストレッチが可能という(当時としては)驚異的な内容を誇りました。当時、普通のサンプラーでこれをやろうとするとフレイズを細かく分割して、ピッチ・シフターなどで誤魔化しながら無理やり合わせて・・という、ピッチのある 'ネタ' では基本的に不可能なことでした。6音ポリと少ないものの、簡単にエレクトロニカっぽいフレイズでハーモニーを生成してくれるのが面白かったです。



アウトボードはAuxセンド・リターンに、磁気ディスク・エコーBinson Echorec EC3とHawk技研のスプリング・リヴァーブHR-45をインピーダンス・マッチングを取るアッテネーターConisis E-Sir CE-1000を介して繋ぎ、マスターやチャンネル・インサートで2チャンネルのローパス・フィルターMutronics Mutator、コンプレッサーのDrawmer DL241がわたしの定番セッティング。特にEchorec EC3は特大の一台で、それまで用いていたElectro-Harmonixのアナログ・ディレイDeluxe Memory Manとは比較にならないくらいの強烈さでした。すでにヴィンテージの域であった為、磁気ディスクの回転が正常ではなくユラユラとワウ・フラッターの効果を発する状態ではあったのですが、それすら魅力的なトーンを持っており、また複数のヘッドを動かすマルチタップのディレイ効果も作れるのが良かった。ただしスタンバイ・ノイズが少々大きかったのは難点だったかな。ともかく部屋の半分は機材に占拠されており、その機材熱で夏は上半身裸の汗ダラダラ、冬は '温暖化' のごとく暖房いらず、という状態だったことを懐かしく思い出します。そして、これら山積みにした 'ガジェット群' はちょうど2000年代半ばに仕事を変えたことを機に一度処分。時代は、それまでのMIDIによるハードウェア中心の環境からハードディスク・レコーディングによるプラグインやソフトシンセなどPC完結派へ移行し、街の楽器屋では高値でハードウェアの買い取りを行っていた最中でした。わたしもそれほど損することなく処分できましたがどこか一抹の寂しさもありましたね。





Elektron Octatrack DPS-1
Pioneer Toraiz SP-16

さて、そんな環境から時代はグッと駆け上がり、現在ではハードウェア・サンプラーでもかなりハイレベルなことができるようになりました。スウェーデンのシンセサイザー・メーカーであるElektronの変態 'Dynamic Performance Sampler' Octatrack DPS-1とターンテーブルを用いたパフォーマンス。とにかく難易度の高い操作性のOctatrackなんですが、ここでは簡易ループ・サンプラーの 'Pickup Machine' 機能を用いて、リアルタイムにサンプリングしながら、さらにOctatrackで新たなフレイズを生成して同期させております。操作は足元にあるBehringerのMIDIフットコントローラーで行い、8つあるループ・トラックにどんどんとオーバーダブさせる・・う〜ん、格好良い!面白いのはターンテーブルのピッチを下げてスクラッチをブ〜ンというベースラインへとループさせていること。さらに、このElektronを追撃するようにDJ機器を主に製作するPioneerからOctatrackとAkai Proffesional MPC Touchを合わせたようなグルーヴ・サンプラー、Toraiz SP-16が登場します。Octatrack同様の16ステップのトリガー・シーケンサーとMPC Touchを意識した16パッド+大型タッチ・ディスプレイを組み合わせて、トラック制作からパフォーマンスまでこの一台で完結!もちろん、PCと連動して制作するNative Instruments MachineやAkai Proffesional MPC Studio、Touchなどもループ・メインなトラック・メイカーたちの定番機種となっております。







こうやって自らの変遷(というか基本的に変わってないケド)を辿ってみると、いわゆる 'シンセサイズ' よりも 'エフェクティヴ' な発想から、あれこれ素材をいじくり回して組み立てていく手法が好きなんだな、というのを再確認します。シンセサイザーはオシレータという素材の塊ともいうべきものをフィルターやアンプ、LFOで加算、減算合成することで構成する電子機器なのですが、エフェクターというのはすでにある素材を何がしかの機器に通すことで変調するものであり、特にサンプラーは録音機にして究極のエフェクター的発想というのが面白かった。そう、中身はオシレータのないシンセなんだけどやってることはエフェクターなんですよね。単純に声の録音したテープを早回し、遅回し、逆回転させると、おお、こんな面白い音になる!みたいな子供っぽい価値観と同質なものにワクワクしたのだと思います。ちなみに、こういったガジェット的 '子供っぽさ' は、昨今のPC一辺倒のスタイルに飽きた一部の世代が再び、'ミニマル・ダブ' に触発されて機材のツマミやフェーダーを操作する 'シンセ&ドラムマシン中心派' に回帰する流れにも現れてますね。確かに、これらはPC一台あれば最も安上がり&クオリティの高いものが出来るのだけど、一方で、人間のアナログ的な偶発性は制限のある環境でこそ威力を発揮するでしょう。

'手を使う' ということと音楽的発想が直結するインターフェイスの限界から何が触発されるのか? - "すべては目の前にある" - どうぞ皆さまもワクワクして下さいませ。


2016年10月3日月曜日

横断する 'イルビエント'

久しぶりにドラムンベースを ‘Kick’ してみる。いや、これはプログラムから別のプログラムを起動させるというコンピュータに起因した用語なのですが、レコードや生のドラムから音色をサンプリングして、細かくバラしていくと共に組み直し、テンポを上げてピッチはストレッチさせるという、まさにサンプラーありきのプログラム的なビート・ミュージックだったことを思い出します。緻密でポリリズミックな高速のブレイクビーツと、ダウンテンポの無調によるベースラインの二層的な構造でひとつのグルーヴを生み出すのが画期的でした。ドラムンベース全盛の時代は、まだMIDIプログラミングが当たり前だったのだけど、今や、コンピュータ・ベースによるオーディオ・データ貼り付けの制作システムにおいても、基本的にこのドラムンベースの時代から変わっていない。そういう意味では、音楽が創造的な時代の最後のピークだったと見ることもできる一方、しかし、その盛り上がりから燃え尽きるまでは案外早かったジャンルでもありましたね。特にまだジャングルという呼称で、ラガマフィン・スタイルをベースにリミックス中心のノベルティ・タッチな作風だった頃は単にユニークな響きに聴こえていただけだったものが、その後、ジャズやテクノといったムードを纏い、シリアス・ミュージックとしての可能性に転向してからは、その特徴的なビートの過剰さに寄りかかりすぎて自滅した感があります。それでも4つ打ちのテクノ、スモーキーなダウンテンポのブレイクビーツに現れる普遍性に比べてドラムンベースの方法論は、現在のダブステップやグライムといったEDMのスタイルに受け継がれるように、いわゆるビートの細分化とプログラミングのスキルによるネットワークで再起動したものと見ることができます。



つまり、流行のサイクルは短いけど、何度でも組み直されることの変奏により、ビートが身体の限界を管理する様態へいつでも接近したい欲求の、最もプログレッシヴなかたちがドラムンベースだったんじゃないかな、と。現在、世界的に流行しているヒップ・ホップ・ダンスの一種であるPoppin' では、まさにビートと拮抗するような身体の限界に挑む創造性を発揮しております。ええ、上の動画はCGでもなければ編集もなし。ダブステップに特徴のウォブルベースに合わせてブルブルと痙攣させたり、逆再生するような流れでガクガクとヒット(身体を打つようなPoppinの動きをこう呼びます)させる特異な動きなど、いやあサイボーグの時代到来ですね。



1998年とはそんなドラムンベースがピークを迎えた年であり、前年のRoni Size Reprazent ‘New Forms’ を始めに、4 Hero ‘Two Pages’ Goldie ‘Saturnz Return’Grooverider ‘Mysteries of Funk’ が立て続けにリリースされました。しかし、これらはどれも2枚組というヴォリュームで畳み掛けるもので、むしろ、その過剰な供給が食傷気味を早めるきっかけになったという気がしています。そんな同年に、ドラムンベースの本場英国ではなく米国からアプローチする一枚として登場したのが 'Riddim Warfare’。トリップ・ホップやテクノ、ジャングルからドラムンベースへと流れが変わりつつあった1996年に、当時、ニューヨークのアンダーグラウンドで盛り上がっていたイルビエント なるムーヴメントの中心人物だったのがDJスプーキーです。元々、ヒップ・ホップの強い地盤であるニューヨークでは、ドラムンベースのムーヴメントはUKに比べ遅れていたものの、その中でも積極的にヒップ・ホップとダブ、ドラムンベースを集中的にミックスして、さらにそこへアンビエントや民俗音楽、ヤニス・クセナキスら現代音楽のコンテクストを混ぜ合わせ、サンプリングとノイズの脱構築で実践するイルビエントを提唱しました。まあ、今の視点から見るとこのイルビエントってヤツはどこか実体のないイメージでして、このムーヴメントを伝えるAsphodelからのコンピレーション ‘Incursions in Illbient’ を聴いてみてもどこか掴みどころがない・・。というか、このムーヴメントの中心的存在であったDJスプーキー自身がまさにそんなフワフワとすり抜けていく存在でしたね。



1996年の ‘Necropolis: The Dialogic Project’ というミックス・アルバムと同年のフル・アルバム ‘Songs of A Dead Dreamer’ は、まさにイルビエントを体現した一枚として、それまでのトリップ・ホップ的世界観をさらに抽象化したもの。確かにヒップ・ホップやダブなどのストリート・ミュージックに根底を置きながら、そこにヤニス・クセナキスやアンビエントなどのインテリジェンスなセンスをミックスしたことが新しかったのでしょう。しかし、同時期にヨーロッパで勃興していたエレクトロニカに比べると、ムーヴメントをパッケージする美学的センスは壊滅的にセンスがなかったですねえ・・。だってイルビエントとされたアルバムのカバーアートのすべてがダサいもんな。またコンスタントに作品をリリースするDJスプーキー以外では、2作リリースしたSub Dubのほか、雑誌が連呼するほどにはシーン全体が匿名的な存在に甘んじていた印象がありました。前述のコンピレーション以外では、ニューヨークで最初のドラムンベース・レーベルJungle Skyを主宰するDJ Soul Slingerがその中心にいたくらいで、他はイルビエント全面協力の一枚として露出したアート・リンゼイのリミックス・アルバム ‘Hyper Civilizado’ くらいではないでしょうか。DJスプーキー自身は坂本龍一のコンサートにおいて、当時始まったばかりのインターネット回線を用いてコンサートのオーケストラにリアルタイムでドラムンベースをリミックスしていく模様をそのまま ’Jungle Live Mix of Untitled 01 - 2nd Movement - Anger’ で行い、これは1997年の坂本龍一のアルバム ‘Discord’ に収録されております。しかし、そのようなメディア・ミックス的な動きも空しく、新たな潮流としてヨーロッパで勃興していたエレクトロニカの波に掻き消されるように、この1997年をもってイルビエントなるムーヴメントは静かにそのピークを迎えることとなります。

このDJスプーキー、そんなDJによる音楽活動と制作の一方で、批評家としても筆を振るい、2004年に本名のPaul D.Millerリズム・サイエンスという音楽批評本を出しています。これは2008年に邦訳され、自ら手がけたミックスCDを付録に耳と目からの啓蒙を試みるという一冊。イルビエントのキーワードとなるべきサンプリングを核に現代思想を用いて21世紀のアートを考察していくものという、少々理論武装的匂いが強いですね。同時期に勃興したエレクトロニカでは、オヴァルやパンソニックといった音響派のサウンドスケープに現代音楽からの影響が過分にありましたが、このDJスプーキーには、クセナキスの大作 ‘Kraanerg’ 1997年にST-X Ensembleと共に手掛けた際、テープによる電子音響のミキシング操作を担当した他は、いわゆるシリアス・ミュージックへの傾倒はあっても、常にストリート・ミュージックを自らの立脚点としてアルバム制作を行っていました。シリアスでありながら、ヒップ・ホップやエレクトロニカと一歩引いて活動するDJスプーキーの関心は、それこそラジオをひねると飛び込んでくる ‘サンプル’ の情報量を、それぞれが持つ空間’ として結び付けていく '手さばき' こそ重要であるというDJの視点に立脚します。

DJスプーキーは、ニューヨークの喧騒というバックグラウンドの中で、ストリート・ミュージックの批評的な行為がもたらすネットワークの力を肯定します。現代思想のドゥルーズ / ガタリらが提唱するスキゾという概念は、絶えず巨大な資本主義社会を動かすための逃走として肯定していましたけど、DJスプーキーにとってそれは、あらゆるジャンルを横断していく視点として、現在のネットワーク中心なアートと資本の関係を先取りするサンプルの喚起力こそリアルであると喝破しました。それは、ビートやノイズを解体して緻密にコンピュータの中で磨き上げていく職人的なヨーロッパのエレクトロニカに比べ、DJスプーキーらイルビエントのスタンスは、もっとずっと即物的に嵌め込んでいく羅列の快楽が強いのです。このようなやり方は、ヒップ・ホップが元来誇ってきた剽窃と誤用により物質と場の意味を読み替える方法論であり、黒人音楽が辿ってきたルーツの血統を残すための異種交配の記憶を巡る旅でもあります。これ自体はダブを起点としたリミックス文化、コラージュや現代音楽におけるミュージック・コンクレートなどにも共通するものですが、DJスプーキーの即物的な態度には、内容よりもそれがいかに機能するのかの審美眼に作用します。裏を返せば彼自身はあくまでそれぞれを繋いでいく上での媒体であり、そこで発揮される強烈な個性のようなものからすり抜けていくことこそ、そのままイルビエント’ という姿勢を体現しているのだと思うのです





レコードから意味を紡ぎ取るDJのスタンスで、ニューヨークのニッティング・ファクトリーなどに集うオルタナ系の即興演奏家や、マシュー・シップなどのテクノを通過したニュージャズ系らとのコラボレーションを行ってきたDJスプーキー。そのマシュー・シップとのコラボレーション 'Optometry' のリミックス盤 'Dubtometry' で久しぶりに原点回帰的なダブへとアプローチします。



直接、'イルビエント' のムーヴメントとの関わりはありませんが、同時期の1996年、英国のフリー・ジャズの重鎮、デレク・ベイリーがドラムンベースにアプローチしたのは衝撃的な出来事でした。ロンドンのラジオから頻繁にかかってくるドラムンベースのトラックを '即興' の相手に、無機質にノイズの壁を構築していくベイリーの手法。'無機質同士' のお互いが与り知らないところで触発している関係性を、DJ Ninjなるトラックメイカーを呼び、ちょうど 'イルビエント' 真っ只中であったニューヨークでジョン・ゾーン・プロデュースにより実現した一枚。いやあ面白いですねえ。



そして 'イルビエント' ムーヴメント終焉と共にDJスプーキーがメジャーデビュー盤 'Riddim Warfare' をリリースした1998年、カセットテープというかたちでひっそりとニューヨークのストリートで流通した謎の1本。Spectreの 'Ruff Kutz' がミニマル・ダブのベーシック・チャンネル傘下のスタジオ、Dubplates & Masterringの手により2枚組アナログ盤で蘇りました。これはDJスプーキー以上に 'Dope' というか、いやあ、どこか実体のない 'イルビエント' の感覚がタフなブレイクビーツとして覚醒していくというか・・ヤバイですねコレは。


             - ‘イルビエント’ 1996 - 1997 -   

‘Ill(狂ったような)アンビエントという意味合いで、WeDJ Oliveが名付けたイルビエントという言葉が1990年代後半、インターネットという新たなネットワークと呼応するように彷徨い出てきたのは象徴的でした。ヒップ・ホップの地盤が根付き、人種の坩堝と呼ばれるニューヨークという場が用意したのは、表層的に現れるヒップ・ホップ、ダブ、ドラムンベース、ジャズ、アンビエント、民俗音楽、現代音楽といったサンプルを俯瞰しながら、どこか病んだような手付きで混沌とした態を生み出すことにあります。同時期、ヨロッパで勃興したエレクトロニカがシュプレマティズム的な機能美だとするなら、それは、アンディ・ウォーホル的ポップアートの持つ 記号の戯れに溢れていると例えられるでしょうか。いやここでは、DJ Spookyの名前に付随する ‘That Subliminal Kid’ の引用元であるウィリアムSバロウズのカットアップの美学に敬意を表したものと言うべきか。すべてに アノニマスな匂いを放ち、短命に終わったこのムーヴメントを再び読み直すための7枚のアルバムがこれだ(カバーアートはどれもダサいけど)



⚫︎Incursions in Illbient -V.A.- (Asphodel) 1996
⚫︎Necropolis: The Dialogic Project - V.A.- / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Knitting Factory Works / Shadow) 1996
⚫︎Songs of A Dead Dreamer / DJ Spooky That Subliminal Kid
   (Asphodel / Gut Bounce) 1996
⚫︎Hyper Civilizado - Arto Lindsay Remixes / Arto Lindsay
   (Gramavision / Gut Bounce) 1996
⚫︎Sub Dub / Sub Dub (Instinct) 1996
⚫︎Dancehall Malfunction / Sub Dub (Asphodel) 1997
⚫︎Don’t Believe / DJ Soul Slinger (Jungle Sky) 1997


2016年10月2日日曜日

コンドーさんという '息吹き'

学生運動の熱気が過ぎ去った1970年代、バブル全盛期の 'Japan As No.1' であった1980年代、冷戦構造が終焉し世紀末を迎える1990年代、そして2000年代以降・・ずーっとひとり突っ走ってきたコンドーさんのベストって何だったんだろうか、などと考えております(コンドーさんなら最新作こそベストだよって答えるでしょうケド)。





とにかく 'ゲリラ的に' あらゆるプロジェクトやコラボレーションを通して作品をリリースしてきたコンドーさんではありますが、1996年のDJクラッシュとの 'Ki-Oku - 記憶'、1999年のビル・ラズウェル、エラルド・ベルノッキとの '遍照 - Charged'、そして最新作である2015年、再びベルノッキとの 'You Don't Know What Love Is' の3枚は、ここ20年ほどのコンドーさんのスタイルを象徴しているのではないでしょうか。早過ぎず遅過ぎず・・ある意味、マイルス・デイビスの遺作となった 'Doo-Bop' の手法を継承、発展させたことで欧米のメディアからも 'Next Miles Davis' の称号が付けられたのだと思います。そういう意味では、ちょうど良いタイミングでトリップ・ホップの寵児となったDJクラッシュと出会ったことに意味がありました。



1990年代といえばまさに 'ベッドルーム・テクノ' 胎動をもって世紀末へと疾走する10年であり、早すぎたミクスチャーサウンドのバンド、IMAを解散したコンドーさんがひとり '自家発電' でもって自然と対峙する '地球を吹く - Blow The Earth' のプロジェクトを開始したターニングポイントでもあります。この時期、オランダのアムステルダムに拠点を置き、世界とのネットワークを活発化させたコンドーさんの嗅覚は間違っていなかった。それは、テクノロジーが安価になったことで四畳半の一室から世界を変えることに誰もが夢中となる・・そんな10年と真っ向勝負したと思うのです。1999年の 'Charged' はそんなネットワークがもたらした賜物であり、ビル・ラズウェルとはこの後の 'Method of Defiance' へと続いて行くこととなります。



また、その象徴的な作品であるDJクラッシュとの 'Ki-Oku'は、1990年代後半にノルウェーから現れたニルス・ペッター・モルヴェルら 'フューチャー・ジャズ' なる世代に対し、実に大きな影響を与えていたのかが分かりますね。ある意味ではそれまで '主流' とされた米国ジャズのマッチョイズムに対し、日本やノルウェーなどの '辺境' からそれぞれの世界観をエレクトロニクスで乗り越えて行けることを可能にしたとも言えます。



2015年の 'You Don't Know What Love Is' は、そんなお馴染みのジャズ・スタンダードを最新のテクノロジーでもって乗り越えて行こうとするもの。決して枯れたのではなく、いつでも馴染み深いものからメロディの髄を絞り出すコンドーさん自身がすでに 'Timelessな' 存在として君臨しております。さて、これから2020年代を迎えるにあたり、音楽を取り巻く状況は大きく様変わりしました。2016年の最新作 '夢宙 - Space Dream' を手始めにコンドーさんは今後どんな種を蒔くのか、何を発信するつもりなのかその興味は尽きません。まあ、コンドーさんの '裏街道' (ホントはこっちがオモテ?)であるフリー・インプロヴァイザーとしての姿を記録したペーター・ブロッツマンとの 'Die Like A Dog Quartet' の諸作や、ジョン・ゾーン主宰のレーベルTzadikからのソロ作 'Fukyo - 風狂' なども刺激的なんですけどね。





ビル・ラズウェルのオーガナイズでコンドーさん、DJクラッシュ、IMAバンド時代の盟友である山木秀夫さんからなるミニマルなジャムセッション。ひとりエフェクター全開な '電気ラッパ' のパフォーマンスも格好良いけど、こういうバンドというアンサンブルの中でクールに聴かせるための '地味に電気を使う' ラッパもイイですね〜。





Spiri Da Carbo Vario
DPA SC4060、SC4061、SC4062、SC4063
Toshinori Kondo Equipments
近藤音体研究所
Digitech Whammy Ricochet

そうそう、コンドーさんのトランペットは長らくBengeを吹いておりましたが、ここ近年はスイスの工房であるSpiriのカーボンファイバー製ベルを備えたDa Carbo Varioをメインとしております。確かに従来の真鍮とは違う 'コォ〜' という筒っぽい成分が聴き取れるというか、ダークで暖かい響きがしますね。 そして、コンドーさんが川崎市登戸で構えられているプライベート・スタジオ '近藤音体研究所' の一部をイケベ楽器さんが取材されている!まさにコンドーさんの音楽の '心臓部' であり創造の源と呼ぶにふさわしい場所です。さらに、1989年の発売以来、現在までコンドーさんの足元にある 'トレードマーク' 的エフェクターのDigitech Whammyもこんな小さくなりました。これまでペダルで行っていたピッチベンドUp/Downをモメンタリー・スイッチにより行うという、もっと早く商品化すべきであったナイスなモデルチェンジ!

空の気 - 自然と音とデザインと (みすず書房)

最近、コンドーさんがデザイナーの佐藤卓氏と対談した '空の気 - 自然と空とデザインと' を読んだのだけど、やはりこの(愛着を込めて)おっさんの話は面白い。まあ、以前から同じようなこと言っているだけなんだけど、しかし、それがちゃんとその時代その時代の '波' をキャッチして '変奏' し、時代のコトバとして見事にハマっているのだからコンドーさんのアンテナは錆び付いていない。理屈じゃなく動くこと、それによって生じる '波動' を大事にされているというか、日本の四季というものを(あえて) 'デザイン的' に捉えてはそのうつろいやすい '色即是空' なものこそ、日本なのだと 'ホラを吹ける' のはコンドーさんくらいでしょうね。決して、'和' や '禅' などと抹香臭い説話や教条的な '癒し' のスピリチュアリズムにならず、そういうのをサイバーパンクとして遊んでみろよ、と促されているようで・・コンドーさんの視点はいつもずっとどデカイのです。


2016年10月1日土曜日

コンデンサー・マイクの最高峰

管楽器用マイクとして一般的なクリップ式のグーズネック型コンデンサー・マイク。しかし一方で、管体のベルにクリップで挟むことを嫌がる奏者もいて、常にステージではマイクをスタンドに立てて収音することを要求します。特に金管楽器のようなマウスピースの振動をベルの先まで共鳴させてこそ、トランペット本来のブリリアントな響きが得られるという '信仰' は、管体のスライドに付けるOリング、チューニング・スライドの支柱、'唾抜き' のウォーター・キーすら、金管の響きを殺す余計な '煩雑物' として排除の対象とされているのだから・・凄すぎる。確かディジー・ガレスピーの45度アップライト・ベルのトランペットは、楽器の気密性を低下させ息のスピードが落ちるとして、ウォーター・キーを付けなかったんですよね。またアマド式ウォーター・キーというのもそんな気密性を落とさないためにボタンで '唾抜き' できるものだった気がします。これは、Monetteのような管体のあちこちに真鍮の板を貼り付け重量を増やし、余計な共振を抑えるヘヴィ・タイプのトランペットとは真逆な考え方(こちらは音の遠達性が目的のようですけど)。トランペットにとって吹奏の '抵抗感' はあり過ぎてもなさ過ぎてもダメなのですが、ハイノートへの飽くなき探求と並んでいかに 'ストレスフリー' な状態に持っていけるかは永遠の課題と言っていいでしょう。



Audio-Technica ATM 35
Audio-Technina ATM 350

こちらは一般的なグーズネック式のAudio-Technicaコンデンサー・マイク。しかしリヴァーブやディレイなどで空間を広げていくのを活かすトーンは、ダイナミック・マイクには求められないコンデンサー・マイクならではの持ち味ですね。個人的にこのATM 35は価格と音質の折り合い含め、とても良いものでした。わたしは2004年に購入して去年まで所有していましたけど、専用のポーチに乾燥剤と一緒に放り込んでいただけですが、音質が劣化することもなければ壊れることもないくらい耐久性はバッチリ!(さすがMaid in Japan)廉価版としてATM 350というのもありますが、ATM 35はバッテリーボックスAT 8532付属、ATM 350はそのままXLR端子が付いております。



DPA d:vote 4099T
DPA 4099 Microphones

ランディ・ブレッカーは高音質なマイクを製作するDPAの 'd:vote' シリーズから4099Tを用いております。従来のクリップ式より接地面の少ない、ゴムのボール2つでベルを挟むようにマウントするSTC 4099というユニークなクリップも用意。どうしても従来のクリップが苦手な方は試してみてはいかがでしょうか?





SD Systems LCM 77

マイルス・デイビス没後、市場に登場したのがこのSD Systems LCM 77。バッテリーボックスのLP Preamp付属で、ベルとマイクの間に十分な距離を空けることで、わざわざマイク部分をひねらずともミュートを装着することが出来るのが画期的でした。個人的には、音質も硬くて余計なピストンノイズを拾ったりと、(価格ほどの)良いものとは思わなかったのですが、たぶんわたしの使う環境が良くなかったのでしょうね・・。しかしクリス・ボッティ格好良いなあ。







AMT P 800

グーズネック式の管楽器用マイクとしては最高峰のコンデンサー・マイク、AMT P 800。クォン・ヴーも一時ユーザーだったようですが、これだけの大きなダイアフラムを持ったマイク・ユニットですから、ステージ上でもラッパの音質は妥協したくないという方にはまさにピッタリ。腰のベルトに装着してワイヤレス・システムと同時に使えるバッテリーボックスBP 40付きのP 800と、スタジオでミキサーにそのまま入力できるようプリアンプ/DIのAP 40付きP 800-Studioの2種類が用意されております。これ以上のものでは、スタジオ・レコーディングにおける管楽器収音の定番、Neumann U87Aiになってしまうのですが、このAMT P 800-Studioも・・10万超えますよ。さすがに日本代理店のHook Upもこの価格では売りにくいのではないでしょうか。



ただし、ベルとマイクの距離がこれだけ空いた状態で十分な感度を持つマイクということは、実際のステージでかなりイコライズが必要になるでしょうね。当然エフェクターもコンパクト・タイプではなく、ライン・レベルのラック・エフェクターをPAでかけてもらってこそ、その高品質な特性がスポイルすることなく活きると思います。


2016年9月5日月曜日

補論: 消尽するもの

1972年の ‘On The Corner’ は、デイビスがアルバムというフォーマットにおいて試みた編集作業を軸とする最後のものである。以降、1975年の活動停止に至るまで一枚のアルバムとして完成させることを目論んだものはなく、1974年の ‘Big Fun’ 1975年の来日記念盤ともいうべき ‘Get Up With It’ は、なかなかスタジオで集中的に制作を開始しないデイビスにCBSが業を煮やし、過去に制作した未発表のテープや、その当時にリハーサルのかたちでレコーディングしていたものをコンパイルしたアンソロジー的作品集である。もちろん、デイビス自身アルバムの構想が無かったわけではなく、1973年の7月と9月にレコーディングされた素材を元に下準備は行っていた。



今度のカリプソが新しい方向を決定づけるだろう。アルバム一枚で一曲となる。

この1974年のダウンビート誌によるインタビューの発言は、実際、9月にレコーディングされたものを片面30分強の編集を施した ‘Calypso Frelimo’ として ’Get Up With It’ に収録される。また、7月にレコーディングされたものは7インチ・シングルとしてA/B面の2分弱に編集し、7311月に ‘Big Fun / Holly-wuud’ としてリリースされた。 結局、デイビスが精力的に完成させたものはこれだけであり、後は、イレギュラー的にデューク・エリントンに捧ぐというトリビュート的意味合いを持たせた ‘He Loved Him Madly’ を制作したほかはひとつもなかった。その背景にはデイビス自身の健康面の悪化による集中力の低下と、1972年から出発したコンサートバンドをライヴという現場で鍛え上げるという方向へシフトしたからだと思われる。実際、1973年の7月と9月にレコーディングされたものはほぼライヴ用のリハーサル・テイクに等しく、アルバム制作を念頭に置いた ‘On The Corner’ のような特異性はみられない。‘Get Up With It’ には ’Maiysha’ ‘Mtume’ といった、1975年のコンサートバンドで展開するレパートリーも含まれているが、この点でも従来の編集主義からライヴバンドとしてのダイナミズムをそのまま聴いてもらいたい、というデイビスの意図を強く感じる。ただし ‘Maiysha’ に至っては、それまでのリズム主導型なリフをモチーフにした展開から、よりメロディアスな方向へシフトしようとするデイビスの新たな予兆を感じさせる。これを、デイビス言うところのインスタント・コンポジションによるオリジナルなスタイルの確立とみるか、1975年の活動停止に至る音楽表現の限界と捉えるかは意見の分かれるところだろう。

ちなみにこの時期、イレギュラー的に記録され、デイビス活動停止期間中の1977年に日本でのみリリースされた作品 'Dark Magus' がある。クラシックの殿堂フィルハーモニー・ホールという不釣り合いな場所で奏でられる病的なまでのこの '音響' は、ある意味、デイビス言うところの 'インスタント・コンポジション' の極北とビ・バップ伝統のソリストを吟味する場への転換、そしてテオ・マセロの '再構築' により表出される過剰な暴力の発露となった。グループ脱退直前のデイヴ・リーブマンとコルトレーン・スクールのひとり、エイゾー・ローレンス、若干18歳の若きフレンチ・ブラジリアン、ドミニク・ガモーのヘンドリクス・マナーなギターがピート・コージー、レジー・ルーカスらとぶつかり合って '公開オーディション' と化すそれは、マセロの混沌としたミックス、編集操作によりその不条理な空間を増幅させる。ここ近年、長らくお蔵とされてきたデイビスの編集されたライヴ音源 'Miles Davis At Fillmore' や 'Live-Evel' がそれぞれ無編集版のボックスセットとして公開されているが、この 'Dark Magus' だけは、誰もがその全貌を知りたいと思いながら開けてはいけない 'パンドラの箱' のような気持ちでいるのではないだろうか。

さて、この ‘Get Up With It’ にはもうひとつ、’On The Corner’ の奇形的変奏と捉えられる一曲 ‘Rated X’ がある。’On The Corner’ 以降における編集作業を施したものとしては最もプログレッシヴで、また、デイビスがシュトゥックハウゼンの影響下において完成させた極北といえる。そもそもは1972年の9月にレコーディングされたベーシックトラックを元にプロデューサーのテオ・マセロが、その他のレコーディング・セッションから取られたデイビスの弾くオルガンをオーヴァーダブして、完全にスタジオの編集室の中でテープを切り貼りし、ミキシングコンソールによる音響的操作によって完成させたミュージック・コンクレートとなっている。以下、テオ・マセロによる制作のレシピを開いてみよう。

マイルスのオルガントラックは、実は別の曲のものだった。もともとレイテッドX” とはまったく無関係だったんだ。バンドの音が一斉になくなる箇所があるよね?それでもオルガンは鳴り続ける。あれはループだ。その12小節後、再びバンドが戻ってくる。あのトラックは編集室で作ったものだったのさ

この ‘Rated X’ という曲は、1972年のコンサートバンドにおけるオープニングのレパートリーとして用意された曲で、これは1972年の8月にスタジオでリハーサルしたものが ’Chieftain’ と誤記されて ‘The Complete On The Corner Sessions’ に収録されている。このようなデイビスのやり方は、1969年以降のコンサートバンドにおけるオープニングのレパートリー ‘Directions’ が、1968年に一度スタジオでリハーサルされているのと同じである。一方で、この編集の施された ‘Rated X’ が、そもそものベーシックトラック含めどのような意図によるセッションだったのか、未だ明かされていないものへの興味は尽きない。また、この二曲ともに変則的なクロスリズムを持つバックビートは、1990年代に現れたUKのダンス・ミュージック、ドラムンベースを先取りしたものとして捉えられてもいる。1999年のビル・ラズウェル・プロデュースによるマイルス・デイビスのリミックス集 ‘Panthalassa: The Remixes’ では、ドラムンベースのクリエイター、ドク・スコットの手により ‘Rated X’ をそのまんまアップデートするかのような類似性を発揮した。それはともかく、ほとんどテープ編集とミキングコンソールによる音響的操作のダブ的手法及び、ブレイクビーツの先駆的な 'ループ' を軸に制作された ‘Rated X’ のラディカルさは、’On The Corner’ においてリズムの断片にまで解体されたデイビスのトランペットは完全に消え去っている。それはクラスター的なオルガンの響きがミュートスイッチによる ‘On / Off’ として、ダイナミズムとグルーヴの波が遠心的な距離で拮抗する緊張感の持続においてのみ、ひたすら不穏な状態から逃れることを拒否しているようでもある。端的にこの徹底した編集作業の産物は、そのまま山のように積み上げられるアウトテイクのオープンリールこそ、ほんの瞬間を捉えることを前提とした ‘アーカイブスの構築物であることを示す。つまり、創造の過程は客観的な聴取の作業を要請するための宝の山’ に挑むことであり、それは、徹底した編集主義を貫く当時のデイビスの意図を強調するテオ・マセロの以下の発言からも読み取れるだろう。

録音の機械というのは、セッションの最中止まることはない。止まるのは、録音したプレイバックを聴き返す時だけだ。彼がスタジオに入った瞬間、機械を回し始める。スタジオの中で起こることはすべて録音され、残されるのはスタジオ内のすべての音を閉じこめた素晴らしい音のコレクションだ。一音足りとも失われていない。私が彼を手がけるようになって、彼はおそらく世界でただひとり、すべて(の音)がそっくりそのまま損なわれていないアーティストだろう。普通はマスターリールを作るものだが、それは3トラック、4トラックの開発とともにやめた。もうそういうやり方ではなく、自分が欲しいものだけを取り出し、コピーする。そのあとオリジナルは手つかずのまま、保管室に戻されるんだ。

そして 私のやったことが気に入らない者は、20年後、やり直せばいいとテオ・マセロは言葉を結んでいるが、それは、この時代のデイビスの創造性において最もラディカルな試みであった ’On The Corner’ の核心を突くものでもある。

1972年の11月にリリースされる ‘On The Corner’ を前に、デイビスはそのプロモーションの一環としてコンサートバンドによるツアーを敢行する。メンバーは、基本的に ‘On The Corner’ のレコーディング時からのピックアップで構成されていたが、新たにレジー・ルーカス、カリル・バラクリシュナ、セドリック・ロウソンという畑違いのメンツが加わり、いよいよデイビスのサウンドから脱ジャズ色が濃厚となる。公式には、1972929日にニュー・ヨークのフィルハーモニー・ホールで実況録音された ‘Miles Davis in Concert’ がリリースされたが、CBSは他に同年101日のパロ・アルト、スタンフォード大学野外ホールでの実況録音を、また、アトランティック・レコードがミシガン州アン・アーバーで開かれた野外ジャズ・フェスティヴァルに出演した910日の実況録音を、そして、914日にボストンのジャズ・クラブポールズ・モールへ出演したものを地元のラジオ局で放送用に記録したものがそれぞれ残されているが、公式リリースとしては現在まで陽の目を見ずにお蔵のままとなっている。結局、このときのツアーは10月半ばにデイビスがハイウェイでの自動車事故を起こしたことで中断され、その後の ‘On The Corner’ の売り上げに響いたとされている。しかし、冷静になってこのときの音源を聴いてみれば、あまりきちんとしたリハーサルの時間も取られず、ほぼ見切り発車的にスタートし、また従来のジャズ畑で構成された手練の奏者たちに比べ、明らかにファンクと即興演奏に不慣れな者たちの戸惑いに終始していることが分かる。実際、この物足りなさは翌年の1月にカルロス・ガーネットからデイヴ・リーブマンへ、3月にセドリック・ロウソンからロニー・リストン・スミスへ、そして4月には、リード・ギターとしてピート・コージーを加えるという荒療治で乗り切ろうとするデイビスの姿からも読み取れる。ただし、すでにこの時期において、このまま1975年の活動停止に至るまでの方向性を示す種は蒔かれていた。19734月の時点で10人にまで膨れ上がったコンサートバンドは、これまた満足に聴取できる音源が残されていないのは残念なのだが、錯綜するサウンドの渋滞を前にルーカスとコージーのツインギターを軸にして、思い切ったリズムの断捨離の見通しをデイビスに与えることとなる。それは、19726月の ‘On The Corner’ レコーディング以降、デイビスの音楽的探求に対するひとつの解答が未分化のまま提出されたことを示す。この10人からなる大所帯の編成は、197345日シアトル、412日グリーンズボロ、413日ワシントン、51日サンタモニカ、そして最終日の52日ロス・アンジェルスでの計5回の公演が確認されている。ちなみに51日のサンタモニカはシヴィック・オーディトリアムでの公演の模様は、当時「ミッドナイト・スペシャル」という番組で放送されているという。また、最終日の52日ロス・アンジェルスでの模様は、日本の「スイングジャーナル」誌によりデイビス本人のインタビューと共に取材され、(前年10月の自動車事故による後遺症のためか)スツールに腰掛けて演奏するデイビスの様子を見ることができる。

ここからデイビスは、エレクトリック・シタール、タブラ、キーボードを排したセプテット編成による新たな改革へと突き進む英断を下す。1973616日の札幌からスタートした日本ツアーは翌月3日まで続き、まだまだ未整理ながらもツインギターを基軸としたソリッドなアンサンブルを初めてお披露目した。デイビス自らYamahaのコンボ・オルガンYC-45Dを弾いて指揮者として君臨する姿は、完成されたアンサンブルをなぞるものより、未だ未分化な状態で錯綜するリズムをコントロールして、デイビス言うところのインスタント・コンポジションのプロセスを体験するところにある。興味深いのは ‘On The Corner’ でビートの基軸を示すツインドラムスの関係性がギターに移行した代わりに、アル・フォスターのドラムスはほぼデイビスのコントロール下に置かれ、いわばシーケンサー的な反復に終始するところだ。ファンクのシンコペーションにおけるビートの自律性より、デイビスが気に入ったというシンバル・ビートをアンサンブルの背景として、各々のリズムが隙間を埋めていくという志向はファンクの細分化のみならず、どこか1969年の 'In A Silent Way' で試みた手法を別の角度から '変奏' したようにも映るのだがどうだろうか。



20枚組からなるボックスセットでの ‘The Complete Miles Davis At Montreux 1973 - 1991’ から、197378日、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演した第二部の模様を聴いてみる。キース・ジャレットを擁した1971年のコンサートバンド以来、1年以上の間を置いて久しぶりにヨーロッパの聴衆の前へ立ったマイルス・デイビスは、明らかに別人の如く変貌していた。それは、音楽面で ’Bitches Brew’ のとき以上の変化と困惑をもたらしたと言える。すでに前月、日本からスタートしたこのツアーは、それまでのデイビスのグループにはいなかった人選を徹底し、さらにジャズの痕跡を消し去ったものだと捉えられた。当時の模様をジャズ評論家のレナード・フェザーは記しているが、デイビス一行は猛烈なブーイングと共に迎え入れられたという。

ジャズ史上有数のイノヴェイターとして25年ものあいだ高く評価されてきたマイルス・デイビスは、なぜ音楽の混沌とした淵に身を投じてしまったのだろう。私にはまったく理解しがたい。いまや彼は、緊密にかつ知的に構成されたアドリブ・ラインを全部捨て去ってしまった。普通のモード形式でもないし、コード展開に音楽基盤を置くわけでもなく、三つの音がはじき飛ばされたかと思うと休止、二つの音符があって休止、今度はワウ・ペダルを忙しく踏み込みながら数音しぼり出す。そうするうちにロックのヘヴィーなカオスが20分近く聴衆を包み込み、また、やおらマイルスはオルガンに向かい、無意味な音を聴衆に叩きつけた。このときついに、(フェスティヴァル期間中の)その週最初の野次が飛び出した。それでもマイルスとその共謀者たちが3部に分かれた退屈な練習曲を40分間演奏しつづけたとき、聴衆は口々に不満の声を上げ、まばらな拍手を消去した。(中略)後半のステージはテンポも少し遅くなり、リズムも前半ほどアグレッシヴではなくなっていた。そのせいか、あるいはアイドルを冷ややかに迎えたことを恥じたためか、もはや聴衆の拒絶反応は姿を消し、ステージの終わりにはかなりの拍手が沸き起こった。

このときの模様は現在、第二部を収めた放送用映像がYoutubeにアップされているので簡単に視聴することができる。フェザーの言う通り、スローダウンした ‘Ife’ から始まるバンドは少ない音数の中でファンクの構造を剥き出しにしながら、未だ定まらないツインギターのコンビネーションを前に、個々の反復から全体のアンサンブルへと到達する ‘On The Corner’ の方法論を開陳することに余念がない。そう、まだまだフォスターに無理なファンクをやらせようとするデイビスの試行錯誤が垣間見えるのだ。しかしこの年の後半から始まるヨーロッパ・ツアーでは強力な統率力の元、まったく違う地平へとバンドは疾走することとなる。







デイビスによるエレクトロニクスとジャズ・ロック、ファンクを軸とした即興演奏のアプローチはすでにこの時期、より洗練された手法として大衆化され、後のクロスオーバーやフュージョン、一部のプログレッシヴ・ロックの連中に影響を与えていた。同じジャズ・トランペット奏者としてフレディ・ハバードやエディ・ヘンダーソン、フュージョン・ブームを牽引していくランディ・ブレッカーを始め、ヨーロッパではイアン・カーのニュークリアス、後にデイビスと 'Aura' を制作するパレ・ミッケルボルグらも混沌としたデイビスの手法の中から表層的な '意匠' を身にまとっていく。そこにはデイビスが意図する '分散化' したリズムのアンサンブルがもたらす原初的な 'プロセス' は整理、単純化され、より個々のソロを軸としたテクニックへと埋没していくことを示した。一方のデイビスは、錯綜するリズムの渦へとそのトランペットもろとも擦り切れるように消尽していく。



果たしてデイビスはすべてをやり切ったのだろうか、それともあらゆるアイデアのひとつを使い切ったに過ぎないのだろうか・・。わたしには修羅の如き完全燃焼したかに見える ‘Agharta’ ‘Pangaea’ を到達点とするより、何度でも立ち上がってくる ‘On The Corner’ がもたらした変奏のように響く。そこにはデイビスが選び取らなかった音楽の余白がぽっかりと口を開けて待ち構えており、永遠に到達することのない曼荼羅のごとく無限が広がっているように聴こえるのだ。



参考文献
完本 マイルス・デイビス自叙伝
マイルス・デイビス / クインシー・トゥループ著 中山康樹訳 (JICC出版局)
マイルス・デイビス物語
イアン・カー著 小山さち子訳 (スイングジャーナル社)
マイルス・デイビスの生涯
ジョン・スウェッド著 丸山京子訳 (シンコーミュージック・エンタテイメント)
エレクトリック・マイルス 1972 – 1975 〈ジャズの帝王〉が奏でた栄光と終焉の真相  中山康樹著 (ワニブックス【PLUS】新書)